ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(2) 印南野台地(1)

2020-07-01 08:46:04 |  北条直正物語

       印南野台地(1)

 「北条直正物語」を始めましたが、さっそく脱線です。

 その前に、物語をより理解していただくために、稲美町のこと・印南台地のことを簡単に紹介しておきましょう。

 

 稲美町は、印南野台地の中央部に位置しています。

それでは、印南野台地はどんな性格を持った台地でしょうか。

 印南野台地を歩いてみます。

最初に、その場所を確認しておきましょう。地図をご覧ください。

 西は加古川市野口あたりから東は明石川、北は美の川、南は瀬戸内海にかこまれた台地が続きます。

 この台地が、印南野台地(いなみのだいち)です。

 ほぼ平坦な台地ですが、東が若干高く、西に行くにつれ徐々に低い地形を形成しています。

 印南野は万葉集にも多く詠まれ、「枕草子」にも登場し、ロマンチックな響きさえ持っています。

 しかし、印南野台地は極端に水が少なく、開拓が進むのは、やっと江戸時代になってからで、人をよせつけない土地でした。

 古代においての印南野は、荒涼とした風景が広がる地域でした。

 司馬遼太郎の『播磨灘物語』に面白い記述があります。

  ・・・野口は印南野の西にあって多少の丘陵が起伏し、西から来る旅人にとって、いかにも「野の入り口」といった地形をなすため、そういう地名が出来たのであろう。

 野口の地名は、印南野の入り口の意味であると紹介しています。

 蛇足です。播磨町の野添(のぞえ)は、印南野台地に沿った場所にある集落の意味です。(no2014)

コメント
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