ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(17) 初代加古郡長・北条正直

2020-07-16 10:26:32 |  北条直正物語

     初代加古郡長・北条正直

 魚住完治の疎水計画は、動かなくなってしまってしまいました。

 完治は、村々に疎水の大切なことを説いてまわりましたが、百姓の答えは、決まったように、「魚住さんの話はよう分かります。せやけど、毎年の日照続きで、先立つものがありまへん・・」

 こんな状況を一変させたのは、ひにくなことにも地租改正でした。

 食うことに事欠く人々から、なおも奪おうとする非常な地租が、疎水を求める声になったのです。

 「このままでは、百姓は土地を手放し、村を出ていかなあかん」「なんとかせなあかん」

 せっぱつまった百姓の考えが徐々に変わってきました。

 完治と甥の逸治は、郡役所に北条直正をたずねました。

 郡長は、さっそく「魚住さん、ようやってですな。疎水計画のことは前の区長からあらまし聞いています」という話からはじめたのです。

       郡長の決意

 郡長の言葉を『赤い土』(小野晴彦著)から引用させていただきます。

 「・・・私はもと林田藩の武士でして、水利工事に関わったことがあります。

 林田藩では代々、水利開発に力を入れていまして、310年の間に大きな新田開発をたびたび行っています。

 いずれも、まず用水路をつくり、水を確保しています。

 そして、これらの工事の全ては藩命により行われました。

 お聞きしました山田川よりの引水は、政治をする者が率先して計画実践すべきことであります。

 私はこのことを県令殿に申し上げ、少しでも早く着手されるようにお願いしましょう・・・」

 北条の話に、完治は目頭をおさえました。

 さらに、郡長は逸治に郡役所の仕事を手伝ってくるよう頼むのでした。(no5029)

 *写真は、初代加古郡長・北条正直

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