初代加古郡長・北条正直
魚住完治の疎水計画は、動かなくなってしまってしまいました。
完治は、村々に疎水の大切なことを説いてまわりましたが、百姓の答えは、決まったように、「魚住さんの話はよう分かります。せやけど、毎年の日照続きで、先立つものがありまへん・・」
こんな状況を一変させたのは、ひにくなことにも地租改正でした。
食うことに事欠く人々から、なおも奪おうとする非常な地租が、疎水を求める声になったのです。
「このままでは、百姓は土地を手放し、村を出ていかなあかん」「なんとかせなあかん」
せっぱつまった百姓の考えが徐々に変わってきました。
完治と甥の逸治は、郡役所に北条直正をたずねました。
郡長は、さっそく「魚住さん、ようやってですな。疎水計画のことは前の区長からあらまし聞いています」という話からはじめたのです。
郡長の決意
郡長の言葉を『赤い土』(小野晴彦著)から引用させていただきます。
「・・・私はもと林田藩の武士でして、水利工事に関わったことがあります。
林田藩では代々、水利開発に力を入れていまして、310年の間に大きな新田開発をたびたび行っています。
いずれも、まず用水路をつくり、水を確保しています。
そして、これらの工事の全ては藩命により行われました。
お聞きしました山田川よりの引水は、政治をする者が率先して計画実践すべきことであります。
私はこのことを県令殿に申し上げ、少しでも早く着手されるようにお願いしましょう・・・」
北条の話に、完治は目頭をおさえました。
さらに、郡長は逸治に郡役所の仕事を手伝ってくるよう頼むのでした。(no5029)
*写真は、初代加古郡長・北条正直