第二次世界大戦中に学童疎開を体験された旧神戸国民学校(現:諏訪山小学校に統合)卒業生や教職員等、約100名が疎開50周年を記念して、1994年(平成6)10月23日、高砂・姫路・加古川市の疎開先をバスで訪問されています。
次の下記は観音寺(志方町)を訪問された仁藤明氏の訪問記の一部です。
50年ぶりの訪問 4年 仁藤 明
今を去ること五十年前の太平洋戦争の最中、ちょうど10才で親元を離れ印南郡志方村へ疎開した。
10才と言えば食べ盛り遊び盛りの年頃、疎開先では裏山で松の木を切り、そのまま持ち帰り風呂の燃科に、また、食べるものと言えば芋のつる、稗、粟、蓬(よもぎ)、雑炊、煌(いなご)、等口に入る物は何でも食べた。
親恋しさに連れ戻された事、辛い事ばかりが脳裏に焼きついた50年前を回想しながら、今その地(観音寺)に立っている何とも複雑な心境でした。
あだなで「にっちゃん」と呼ばれた時は、嬉しさで一挙にあの時に戻りました。
お世話になった観音寺ご住職が一ケ月前に他界され、お会いする事を楽しみたしていただけに誠に残念でし・・・・(以下略)
*写真:観音寺にて