ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かこがわ100選(27):寺家町周辺

2013-03-04 09:27:37 |  ・加古川100選

誓文払いがあった             

Photo加古川市に「誓文払い(せいもんばらい)」という、商店がこぞって参加する年末の大バーゲンセールがあった。

寺家町等は、狂おしいほどの賑わいであった。

「誓文払い」は、もともと京都に始まった行事らしい。

広辞苑は「・・・一年中、商売上の駆け引きで嘘をついた罪を払い、神罰の赦免を請う行事。この日、呉服店は特に安値の売出しをする・・」と説明している。

もとの意味はともかく、姫路では12月1日から5日間、加古川ではその後日曜日を中心に5日間が「誓文払い」だった。

地元商店だけでなく、遠くは大阪からも商人が大挙して押しかけるほどの大セールだった。

寺家町・本町商店街は、写真のように満員電車なみの人混みとなった。

そのはずである。三木・小野・西脇など東播磨一円から人が加古川に集まった。

(写真は、「人形の店・陣屋」から、10メートルほど西の本町商店街の「誓文払い」時の風景。西の方向を撮っている)

 それに、姫路・明石は空襲で焼け野原になったが、加古川はほとんど無傷で戦後から7・8年の盛況は今からは想像もできない。

「誓文払い」が近づくと、我々悪がきもワクワクした。誓文払いと一緒にサーカスが町にやってきた。

『新・かこがわ事典』は「・・・こまったことは公衆便所がすくなく、路地はどこもかしこも臭い臭い小便路地になっていた・・・今ではとても想像すらできないことですが、ご婦人方も結構立小便をされていた・・」と、こんな話も取り上げている。

   そして、ザワメキが消えた

・・・・寺家町・本町から「誓文払い」のザワメキが消えた。

人は大型販店に押しかける。そして神戸・大阪へ買い物に出かける。

時の流れとばかりで済まされない。「無策」という言葉が残る・・・

*写真:誓文払いの風景

コメント
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