前号で、妙正寺(志方町横大路)へ集団疎開された神戸小学校の方が建てられた記念碑を紹介しました。
記念碑のあるまさにその場所にかつて(昭和22年まで)樹齢500年といわれる見事な松の大木(写真上)がありました。
きょうは、コーヒー・ブレイクとして、その松を紹介しておきます。
秀吉公鐘かけの松
かつて、妙正寺には、樹齢500年以上と推定されるそれは見事な松がありました。
山門を入って左の塀の側で、今そこに「集団疎開の碑」が建てられています。
近隣の自慢の松でした。
幹の高さは五間程で、太さは大人四人が手をつないでやっととどき、技は四方に張り出し、あたかも唐傘を拡げた格好から「傘松」とも呼ばれていました。
村の子どもたちは、大きな枝に荒縄を懸け、ブラシコをしてよく遊んでいました。
また一説では、天正年間 (約400年前)羽柴秀吉が志方城(志方町観音寺の場所にあった)を攻めた時に、この地に陣をおき、陣太鼓をつるして軍を叱咤したと伝へられ、別名、鐘懸松または、釣鐘松と呼ばれています。
天下の名樹としてその名に恥じない風格の古松でしたが、昭和22年8月、瀬戸内海一帯にまんえんした害虫(松喰虫)のため予防の効果なく遂に枯れてしまいました。
松でつくった火鉢
先日、集団疎開について本堂で取材をさせていただきました。その時、本堂の隅にみごとな火鉢を見つけました。
住職にお聞きすると、「松の大木(鐘懸松・写真下)で作った火鉢です」と話してくださいました。