三島由紀夫の松(徴兵検査の場所) *加古川町木村
一回目は、由紀夫に徴兵検査(昭和19年5月)の命令が来た時である。
当時、徴兵検査は現住所か本籍地のどちらで受けてもかまわなかった。
彼も父も何とか公威(由紀夫)の不合格をのぞんだ。
おしなべて体格のよくない東京での徴兵検査になれば合格率が高くなる。
幸い、当時の由紀夫は体の貧弱な若者だった。
たくましい若者の多い本籍地・加古川で受験すれば不合格の可能性が高くなると踏んだのである。
この徴兵検査の時、加古川を訪れている。
検査は、視力・腕力・走力それに重量挙げまであった。
後に、『仮面の告白』で、この時のようすを「・・・・農村青年たちが軽々と十回も上げる米俵を、私は胸までも持ち上げられずに検査官の失笑を買ったにもかかわらず、結果は第二種合格で・・・」と表現している。
これは、本人も父も誤算だったに違いない。
なお、この検査の行われた場所は、加古川公会堂、現在の加古川小学校の横の市立図書館の松の木の下である。
これが由紀夫の一回目の加古川訪問であった。
召集令状届く
由紀夫の二回目の加古川訪問は、入隊の時である。
昭和20年2月4日、赤紙、召集令状の電報があった。電文には、「本籍地(志方町)で入隊せよ」とか書かれてあった。
東京を発つ時、微熱だったのですが、志方に着くにつれて熱は激しくなった。
入隊地の現在の青野ヶ原へ出かけた。
この時のようすを、「仮面の告白」から引用したい。
「・・・(入隊場所の青野ヶ原で)入隊検査で獣のように丸裸にされて、うろうろしているうちに、私は何度となく、くしゃみをした。
青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセル(異常呼吸音)と間違え、あまつさえ、この誤診が私のでたらめの病状報告で確認され・・・(省略)・・・私は、肺浸潤の名で即日帰郷を命ぜられた。
営門を後にすると私は駆け出した。・・・・」
彼は、加古川があまり好きでなかったのか、その後、加古川への訪問はなかった、作品にも加古川・志方は登場しない。
*写真:三島由紀夫が徴兵検査を受けた場所にある松の木