式内社(日岡神社) *加古川町大野
日岡神社は、式内社(しきないしゃ)である。
「式内社(しきないしゃ)は、聞きなれない言葉で、これは10世紀のはじめ、醍醐(だいご)天皇の時代に作られた規則である延喜式(えんぎしき)に、その名が見られる神社のことである。
古代人にとって、森や山は神々の宿る場所であり、ある時は、そこに集まり神々に感謝し、あるときは政(まつりごと)を神々と共に行った場所であった。
時はたち、やがて社殿が造られるようになり、7世紀の後半には全国的に神社の形が完成した。
中央政府は、地方の豪族と結びつきを強め、勢力をさらに強めるため、全国の有力な神社をその統制下におき、「式内社」として権威づけた。
加古川市付近(加古川市・高砂市・播磨町・稲美町)で「式内社」は日岡神社だけで、 多くの神社がそうであるように、式内社に選ばれた理由は分からない。
きっと、日岡神社は、当時このあたりで大きな勢力をもっていたため式内社に選ばれたと思われる。
亥巳籠(おいごもり)
先日、日岡神社でいただいたパンフレットから引用したい。
(少し、文章を変えている)
「・・・(亥巳籠は)一般に「おいごもり」と呼ばれ、旧正月後の最初の亥の日~巳の日まで籠るので「亥巳籠」と言われています。
ヤマト・タケルのお母さん(稲日大郎姫命・いなひおおいらつめのみこと)は、双子の皇子をご出産されました。
亥巳籠は、その時、安産されるように黙祷(もくとう)した状態を後世に伝えたものだといわれています。
亥巳籠の期間中、写真のように本殿の扉を榊で囲い、しめ縄を張り、鈴を柱に結えていっさいの音を禁じている・・・」
亥巳籠が明ける最初の午の日、的射(まとい)の神事が行われます。
きのうの新聞には、5日に行われた的射の行事が大きく報じられていた。
日岡神社は、安産の神様としてよく知られていますが、ヤマト・タケルの出産と関係している。