昨年、ある事情で桜の時期に加古川にいなかった。今年は、見事な日岡山公園のソメイヨシノ、ヤマザクラを見に出かけたい。
もうすぐ、桜が咲く楽しみである。
きょうは、桜ではなく、日岡山公園にある古墳の話をしたい。
鏡(同笵鏡) は語る
写真の鏡は、東車塚古墳出土の「三角縁神獣鏡」(さんかくぶちしんじゅうきょう)である。
東車塚出土の鏡は、「同笵鏡(どうはんきょう)」である。聞きなれない言葉であるが、同じ鋳型からつくられた鏡のことをいう。
「同笵鏡」は一枚ではない。
この「同笵鏡」について歴史家は、「同笵鏡は、有力な豪族が、同盟を結んだ印として他の豪族に与えた鏡である」と考えている。
したがって、「同笵鏡の分布の範囲を知ることにより、当時の勢力関係が分かる」と言う。
東車塚古墳から出土した「同笵鏡」は、大和(奈良)地方の豪族と同盟関係にあったことが分かった。
日岡山の古墳の多くは4世紀古墳である。
ということは、4世紀に加古川地方の豪族は、すでに大和の豪族と同盟関係を持っていたことになる。
日岡豪族にとって、大和の豪族と同盟を結ぶ必要があった。
加古川地方は、畿内と畿外との接点に位置していた。
つまり、西には吉備地方・出雲地方の豪族が勢力を持っていた。
東は、もちろん大和の豪族である。
加古川地方の豪族が、吉備地方の豪族から攻撃を受けた時、自らを防衛するために大和から応援を求める必要があった。
また、自らの地位を高めるために、大和の豪族と同盟を結んだとも考えられる。
大和王権にとって、加古川地方は、吉備(岡山)地方との最前線基地で、加古川地方が、吉備(岡山地方)と同盟を結ぶことは大問題であった。
加古川地方を重要な拠点と考えたのは当然であった。
*写真は東車塚古墳(加古川市加古川町大野)出土の三角縁三神二獣鏡。
東車塚古墳は、現在の加古川刑務所内にあったが、戦前ここに弾薬庫(神野倉庫)が建設され、壊された。