ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

背景を学ぶと面白い!…笠破頭首工

2022-04-08 06:51:45 | 富山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は富山県黒部市笠破(かさやぶり)にある片貝川(かたかいがわ)水系の笠破頭首工を訪れます。アクセスは布施川に沿って走る県道125号を以前訪れたことのある布施川ダム方面へ進んでいくと到着します。

【笠破の由来】(参考

ところで、頭首工の名称でもある「笠破」にはどんな由来があるんでしょうか。珍しい地名でもあるので調べてみました。笠破頭首工の近くにはいくつもの「白山社」と呼ばれる神社があるんですが、この頭首工から県道125号を少し下ったところにある最も近い白山社(富山県黒部市笠破1006-2)に笠破の由来を説明する案内板があります。

それによると、鎌倉時代後期、この地に住んでいた三郎右衛門がある時杉の大木を切って薪を作ろうとしたところ、その切り株に一寸八分の大きさの金の薬師如来像があるのを発見。三郎右衛門はそこに小さな祠を建てます。この話を伝え聞いた京都の公家の夫人が三人の従者とともに来訪。その目的は夫人のお乳が出るようにと祈願するためでした。そして祠に着いて祈願するとすぐにお乳が出るようになったそうな。ここから同地は「宝来村(ほうらいむら)」と呼ばれるようになる。

その後、ある女性が川のほとりに自分が被っていた菅笠を置いておいたところ、帰る段になって藪から生えたタケノコが菅笠を突き破っていたという。これを見た女性、慌てたのか「ほうらい村」と言うところを「かさやぶり村」と言い間違えたところからこの名が付いたという。(どんな間違え方やねん!とは思いますが…)

【片貝川の由来】(参考

リンク先の説明によると「『片貝』の名称は『片峡』つまり片側だけの峡谷という意味からといわれ」と書かれていますが、実際どういうことなんでしょうか。想像するに、川の右岸だけが峡谷のような壁面になっていて、それが貝が開いた形、つまりL字型のような感じに見えることから貝の片方、すなわち片貝と呼ばれるようになったということなのかもしれません。

前置きが長くなりました。では、笠破頭首工を見ていきましょう。これが上流側から見た様子です。小ぶりな頭首工ですね。同頭首工が完成したのは1992年で、設備の摩耗などにより劣化が進んでいるため2021年から3カ年計画で補修工事を進めているところだそうです(参考)。見た感じ、頭首工は新しく見えますが、新しく見える部分はすでに塗装し直しているのかもしれませんね。



布施川の上流方面の様子。これを遡っていくと布施川ダムがあります。



頭首工の真横には「笠破頭首工」の看板。



その上部には水利使用標識。



その真下の、白っぽく見えているところが取水口です。分水した水は下流側にある黒部市内生谷(うちゅうだに)の田畑へ供給されます。



ちょっと下流側から見た頭首工の様子。



右岸側には段々になっている魚道が見えますね。これでお魚さんたちも布施川を遡ることができます。



さらに下流側から眺めてみます。



下流方向の景色です。



頭首工の横にはクリームでデコレーションした角型のケーキのような建物。実は、これ県道沿いにある笠破頭首工の水門操作室で、布施川側から見るとこんな感じですが、



県道から見ると、こんなタイル画になっています。



これは地元に伝わる民謡「布施谷節(ふせんたんぶし)」を踊る子供達を表現したものだそうで、1992年12月とあります。原画は高松昭春が制作。同氏はおそらく地元黒部市に在住する方のようです。



「布施谷」とは布施川の上流の谷の名称で、「布施谷節」はその地に住む人々により、いつともなく作られ歌い継がれている民謡。記録によると江戸時代の天和年間(1681-1684)には木綿生産に携わる女性たちの「糸引き歌」として歌われていたとあり、1956年1月13日には黒部市指定民族無形文化財に指定され、現在では「布施谷節保存会」がその伝承にあたっているそうです。(参考
コメント