ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

草からコンクリートへ…刈谷田川大堰頭首工

2022-04-13 15:31:27 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は新潟県見附市上新田町(みつけしかみしんでんまち)にある信濃川水系の刈谷田川大堰(かりやだがわおおせき)頭首工を訪れます。場所は北陸自動車道の中之島見附インターの北東に位置し、国道8号から入って行くと到着するんですが、近くの道が意外に細いので注意が必要かもしれません。

なんとか右岸側に来ました。これが刈谷田川大堰頭首工の「後頭部」です。



これが右岸、上流側には取水装置があり、そこには水利使用標識が掲示されています。





取水された水は刈谷田川の右岸の堤防の下をくぐり、こちらの沈砂池を経て上新田町の農地に供給されます。



頭首工の下流側から撮った写真。逆光のため「ご尊顔」が良く見えないなあ。



頭首工の横から見た管理通路。歩いて渡ってみます。



頭首工本体に貼り付けられたプレート。この鋼製ローラーゲートは1970年5月に設置されたもののようです。



頭首工の中央から見た刈谷田川の上流方向の景色。写真左側に見えるのが先ほど見た取水装置です。



一方、下流側の景色は、こんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返ってみると、こんな感じ。



左岸、上流側から見た頭首工の様子。



先ほどの右岸の取水装置を左岸から見ると、こんな感じ。



左岸の下流側から見た「ご尊顔」。うん、これならまあまあ良く見えるね。



左岸の堤防下にあるのが刈谷田川大堰頭首工を管理する「刈谷田川土地改良区」の建物。





その敷地内には様々な記念碑がド〜ンと並んでいます。この地区は昔から用水の枯渇に苦しむ一方、集中豪雨による冠水にも苦しめられていました。1961年と1964年の二度にわたる豪雨により刈谷田川の堤防が決壊したことを受け、国営農業水利事業推進協議会が結成され、抜本的な用・排水改良事業計画が決定。1970年7月には刈谷田川右岸土地改良区を設立し、おそらくこの時に刈谷田川大堰頭首工が築造されたものと思われます。そして1976年に「刈谷田川土地改良区」を設立されたそうな。





上のリンク先にもありますが、刈谷田川大堰の歴史は江戸時代に遡ります。1656年に最初の「堰堤」が作られます。それは巨大な草堰でした。しかし草堰は洪水が発生するたびに破壊されてしまうため1884年に過水吐樋管を設置するなどして堰堤の決壊を防ぐ方策が取られます。1931年には草堰に代わって高さ4.5mのコンクリート製の堰堤に改良。そして諸々の改修工事が終了し、現在の形になったのは1972年3月だそうな。
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