ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

頼宣の功績のひとつ…櫻池

2022-04-29 07:08:43 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は和歌山県紀の川市北志野(きのかわしきたしの)にある紀の川水系の櫻池(さくらいけ)を目指します。アクセスは京奈和(けいなわ)自動車道の紀の川インターチェンジの東にあり、京奈和自動車道の北側を並行して走る道を東に進み、志野神社を目指して行くとその先に櫻池があります。

到着しました。これですね。写真では傾いているように見えますが、これは単にワシのミス。





道を登ってくると櫻池の右岸に来ますが、フェンスがあるため直接ダム上に行くことはできません。むむむ、目の前にダム上があるのに行けないというジレンマ…。なんとか行く方法はないものだろうか。

とりあえずその道を進んで行くとその先に「櫻池管理釣り場」の入口がありました。うっかり写真を撮り忘れましたが、櫻池で釣りをしたい人はここで手続きをして池に向かうことができます。でも案内板を見ると釣り人以外は入場禁止とは書いていません。ならば堂々と入ってしまおう。

池伝いにダム上に向かいます。そしてようやくフェンスの内側のダム上に来ました。それがこれです。写真右下に石碑のようなものがありますね。



見ると「紀仙郷 徳川南竜院公築造 櫻池」と刻まれています。



【徳川南竜院公とは?】
徳川頼宣(とくがわよりのぶ:1602-1671)のこと。頼宣は家康の十男として京都・伏見城で生まれ、1619年に紀州徳川家を興し、紀伊和歌山藩の初代藩主となる。「南竜院」は頼宣の法名(戒名)が「南竜院殿二品前亜相顗永天晃大居士」だったことから南竜院公と称されるようになったようです。

1650年、頼宣は殖産興業に力を入れるため水田灌漑のため池工事に着手。そして2年後の1652年夏に完成したのがこの櫻池です。以来、櫻池は長年地域の農業発展に貢献してきましたが、老朽化が進み、あちこちが漏水するようになり決壊の危険性も指摘されたため1964年に和歌山県の県営改修工事として着手。そして1966年8月に完成したそうな。

実はこの石碑の近くに「櫻池改修記念」と題された大きな石碑があり、そこに築造および改修工事の経緯が上のように記されています。うっかり写真を撮り忘れました…てへ。ただし、櫻池という名称は誰が命名したのかは不明です。

そんな櫻池ですが、いわゆるダム上を歩いてみることにします。ダム上の中央から見た池はこんな感じ。



一方、下流側はこんな景色です。



ダム上は舗装されていないので歩くのが疲れます。ふかふかした土を踏みながら対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸の下流側から見た様子。そこそこの高さがありますね。



ここは、まあ大きな釣り堀という感じで、太公望が多数釣り糸を垂れていました。ワシは釣りには全く興味がないのでそこで何が釣れるのか彼らに聞きもしませんでしたけどね。
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