ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

日高川の守護神!…椿山ダム

2022-04-03 06:51:16 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は和歌山県日高郡日高川町初湯川(ひだかがわちょううぶゆがわ)にある日高川水系の椿山(つばやま)ダムを訪れます。ダム名はその左岸に「椿山隧道」というのがあるので、おそらくこのあたりの地名に由来するものと思われます。アクセスは国道424号沿いにあるので迷うことはありません。

まずは国道から見たダムをご覧ください。



よく見ると「椿山ダム」の文字が!



国道のダム横のところには「椿山ダム管理事務所」の看板があります。だから迷いません。



右岸、ダム横の下流側にはちょっと不気味なフクロウが。その横にボタンがあるので恐る恐る押してみると…。

「・・・・・」

む、無反応! なんやねん、これ。



「日高川の筏(いかだ)流しの歴史」と題された石碑。江戸時代初期から行なっていたという日高川の筏流し。上流で切り出された木材を筏にして河口の御坊まで運ぶというもの。途中、8つの難所があり、運搬には高い技術が求められたそうな。しかしこの筏流しは1953年7月18日に発生した「南紀豪雨(紀州大水害)」により長い歴史に終止符が打たれた。この時、日高川流域では水位が最大7m上昇し、川に架かっていた橋のほとんどが流失したという。そして紀州大水害をきっかけに、古座川では1956年3月に七川(しちかわ)ダムが、有田川では1966年に二川(ふたがわ)ダムが、広川では1974年に広川ダムが、そして日高川では1988年に椿川ダムがそれぞれ完成しています。ま、どーでもいい疑問なんですが、木材を河口の御坊まで運搬した筏師たちはどうやって日高川の上流まで戻ったんでしょうね。むしろそちらのほうが気になります。



右岸(国道側)、貯水側から見たダムの様子です。



右岸のダム本体には「つばやまダム」「昭和63年3月竣功」そして「椿山ダム 1988年3月」と記されたプレートがガッチリと嵌め込まれています。ダムの高さは56.5mあるんですね。







これが右岸のダム横から見たダム上。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。良き眺めです。



一方、ダムの真下は、こんな感じ。



そして、下流側の遠景。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



ダム湖名は「椿山ダム湖」。そのまんまですな。でも、どうりで美しいと思ったら、ここはダム湖百選のひとつなんですね。



左岸のダム横には椿山ダムの建設に際し移転に協力した188戸の方々の名が刻まれています。



その近くの車庫の壁には水利使用標識が貼られています。発電用のダムで、貯水した水はダム下にある美山発電所へ送られて発電に使用されます(参考)。発電所名は付近に美山(みやま)温泉というのがあるのでこの辺りの地名かと思われます。



ダムの定礎は1983年3月。



椿山ダムの案内図。



左岸の下流側には「山紫水明」と刻まれた石碑。



左岸、下流側から見たダムの様子。ラジアルゲートの赤い色が印象的です。



左岸、椿山ダム湖側にあるこの建物が「椿山ダム管理事務所。





そのあたりからダムを見ると、こんな感じ。



日高川をガッチリと支える頼もしい存在。水害は起こらないに越したことはありませんが、ここまでしっかり築造されたダムがあれば再び南紀豪雨のようなものが発生しても被害は最小限に留めることができるんじゃないでしょうか。
コメント