どーも、ワシです。えー、今回は和歌山県日高郡日高川町高津尾尾曽谷(ひだかがわちょうたかつおおそだに)にある日高川水系の尾曽谷ダムを訪れます。アクセスは県道196号沿いにある関西電力の新高津尾発電所付近から上ると到着します。
坂を上ってくると見えてきました。これですね。アースダムです。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
これがダム上。歩いてみます。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。
同、下流側の景色。遠くに見える川は日高川です。
左岸側に見えるのは取水設備。ここから取水された水は下流の新高津尾発電所へ送水されます。
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸の貯水側から見たダムの様子。
先ほどの取水設備の裏側から見た様子。あれれ、右岸側にも取水口があるようです。
左岸の取水設備とダム上の位置関係は、こんな感じ。よく見ると、左岸のところに洪水吐があり(写真左側)、
増水すると、水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆくようです。
その水路と並行している送水管は、先ほどの取水設備に繋がっていて、それが下流側の新高津尾発電所へ向かうようです。
右岸に戻り、こちら側にある取水口の後方からダム上を眺めると、こんな感じ。
その取水口からこの送水管を経て下流へ送られます。つまり両岸には二本の送水管があるというわけです。しかし、調べてみると、この取水口は実際には余水吐(洪水吐)だそうです。(参考)
右岸の道をさらに遡って行くと、山肌をくり抜いて作られた水路から水が勢いよくダムへ流れ込んでいました。調べてみると、この地下水路は一山超えたところにある、やはり日高川に作られた新高津尾発電所上田原取水堰堤の取水口と繋がっているのがわかりました。いずれ上田原取水堰堤にも行ってみたいものです。
この看板を見る限り、関西電力はここをダムというより発電所のための調整池とみなしているようです。
ちなみに上のリンク先によれば、新高津尾発電所が運用を開始したのは1999年7月で、旧高津尾発電所の運用開始は1918年4月だそうです。尾曽谷ダムはそれに伴うものなので、築造されたのもやはり1918年なんですね。なんと、104年も前に作られたとは!
坂を上ってくると見えてきました。これですね。アースダムです。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
これがダム上。歩いてみます。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。
同、下流側の景色。遠くに見える川は日高川です。
左岸側に見えるのは取水設備。ここから取水された水は下流の新高津尾発電所へ送水されます。
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸の貯水側から見たダムの様子。
先ほどの取水設備の裏側から見た様子。あれれ、右岸側にも取水口があるようです。
左岸の取水設備とダム上の位置関係は、こんな感じ。よく見ると、左岸のところに洪水吐があり(写真左側)、
増水すると、水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆくようです。
その水路と並行している送水管は、先ほどの取水設備に繋がっていて、それが下流側の新高津尾発電所へ向かうようです。
右岸に戻り、こちら側にある取水口の後方からダム上を眺めると、こんな感じ。
その取水口からこの送水管を経て下流へ送られます。つまり両岸には二本の送水管があるというわけです。しかし、調べてみると、この取水口は実際には余水吐(洪水吐)だそうです。(参考)
右岸の道をさらに遡って行くと、山肌をくり抜いて作られた水路から水が勢いよくダムへ流れ込んでいました。調べてみると、この地下水路は一山超えたところにある、やはり日高川に作られた新高津尾発電所上田原取水堰堤の取水口と繋がっているのがわかりました。いずれ上田原取水堰堤にも行ってみたいものです。
この看板を見る限り、関西電力はここをダムというより発電所のための調整池とみなしているようです。
ちなみに上のリンク先によれば、新高津尾発電所が運用を開始したのは1999年7月で、旧高津尾発電所の運用開始は1918年4月だそうです。尾曽谷ダムはそれに伴うものなので、築造されたのもやはり1918年なんですね。なんと、104年も前に作られたとは!