ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

対岸の火事と思っていると…

2005-03-20 18:55:36 | 脳みその日常
午前10時53分頃、九州北部で震度5~6の地震が発生。多数の負傷者が出た模様。被害に遭われた方のことを思うと掛ける言葉も浮かばないが、1日も早い復興を願うばかりだ。

とはいうものの、心の中で被災された人々に同情し、自分が当事者となった時のことを想定するかというと、実は何も対策をしていないというのが現状。どこかで「地震なんて対岸の火事だ」と思っているからなのだろう。それは単に心が冷たいというのではない。心のどこかに楽観的な考え方があるからではないか。

自分の身に火の粉が降り掛かってきて、はじめて人は「しまった!」と感じるもの。だから後悔という言葉があるのだし、「後悔先に立たず」という諺や「覆水盆に返らず」という故事もあるわけだ。かなりの割合でヘコんだとしても「死ぬしかない」なんて考える人はそういるわけじゃない。生きる望みが少しでもあれば、人間は生きることを選ぶ。何とかしようと努力する。難しい言葉で表現すれば「生への執着」だ。

いやいや、そんな難しいことはデーケンやショーペンハウアーなどの哲学者がすでに語っているからここでは書かない。要するに、人間のDNAにはどんなピンチに遭遇しても「何とかなるだろう」というふうにあらかじめプログラミングされているのだ。だから、ニュース映像などで悲惨な状況を見たとしても、その時には気の毒だと感じるけれど、自分は大丈夫だろうとか、そうなっても何とかなるさと楽観的でいられるのだ。いくら心配性といわれるA型の人であっても、程度の差こそあれ死を選択することがないのはそのためである。もっとも、精神的に病んでいる人は別ですがね。

そう、人間は本当に「お気楽な」生き物なのである。でも、そう言いながら結局後悔するんだよな。憎めない生き物だと、つくづく思う。いや、こんなことは今ワシが被災者じゃないから言えること。実際に罹災したらきっと自分で自分をブン殴ると思うね。「何をノンキなこと抜かしとんねん!」って。
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