ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

人にモノを頼むこと

2005-03-15 03:46:07 | 脳みその日常
どういうわけか、頼み事をされることが多い。数日前、ある学生がメールで質問をしてきた。自分はこれこれしかじかの勉強をしたいが、どうすればよいのでしょうか、と。

頼まれればイヤと言えないのがワシの性格。自分のこれまでの経験を踏まえ、その学生の能力に相応しいと思われる方法を考えた末に、送信。ところが、その後何の連絡もない。

世間的な常識からすれば、相談してリアクションしてくれたのだから、その相手に対してすぐさま礼状を送るのは当たり前のこと。しかし、今の若い人たちにしてみれば、これまでの常識は常識ではないのかもしれない。

ワシは何も礼状をよこせと言っているのではない。むしろそんなのはどうでもいいとすら思っている。だが世の中はそうじゃないんだよな。

学生時代というのは、学校の中だけが社会とだ思っているフシがある。学内の価値観が一般社会の価値観であるかのように錯覚するのは仕方のないことかもしれない。残念ながら、それは違う。むしろ、一般社会の価値観は損得勘定にまみれた、ある意味で醜い世界なのだ。このほうが普通といってよい。

この醜い世界では、誰かに何かをしてあげるということは、悲しいかな無償ではないようである。つまり、その人は相手に何らかのリターンを求めているのだ。リターンといってもさまざまで、金品であったり、仕事をまわせということだったりする。異性間の場合だと、最もおぞましいケースでは身体を要求されることだってある。

音楽の世界なんかでは、我々がおぞましいと思っていることが意外と当たり前だったりするからコワイ。したたかな女であれば、喜んでそれを利用したりする。つまり身体を売れば主役の座がもらえると計算するわけだ。実際、その作戦は成功したりするから恐ろしい。

たとえば、舞台作品の出演者を決める場合、たいていはオーディションが行なわれる。役柄に相応しく、能力のある人間がフツーは選ばれることになっている。だからといって、才能がある人が選ばれるとは限らない。したたかな女がそれに応募した場合、番狂わせが生じるからだ。だから、オペラやオペレッタで主役クラスの歌や演技が他の出演者よりも明らかに下手だなという場面に遭遇したら、それはその主役クラスが「作戦」を実行したのだろうなと思ってほぼ間違いない。

性的な魅力で人を落とせても、音楽で人を騙すことはできない。したたかな女は、心の中で「勝ったわ!」と胸を張っているだろうが、誰もこの女を認めてはいないのである。実に哀れだねえ。

こうした醜さは極端なものかもしれない。しかし、程度の差こそあれ、世の中のギヴ・アンド・テイクの関係はシビアに存在する。前述の学生は、いつそれに気づくのだろうか…。まあ、痛い目に遭わなければ気づかないと思うけれど。
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