ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

スカスカのホール

2005-03-19 19:54:47 | 音楽あれこれ
昨晩の東京文化会館大ホールは悲惨だった。これは「東京オペラの森」企画の一環で、アラン・ギルバート指揮によるオーケストラ演奏会。あの大ホールで4割程度のお客しか入らないなんて最悪もいいところ。これが現代音楽の演奏会ならわかる。でもそうじゃない。全曲がリヒャルト・シュトラウスだったのだから。

集客が悪い理由はいくつかある。まず入場料が高いこと。次に宣伝不足だったこと。最後は内容だろうな。前の2つはともかくとして、3番目のことは一番考える必要があると思う。

演目のことは別にして、この企画に出演する演奏者は、いわば「サイトウキネン・オーケストラ」のメンバーである。一部のゴマスリ連中が「サイトウキネン」をやたらと称賛するせいで、このオケは素晴らしいというふうに思われているが、実は評判ほどのものじゃない。そのほかのちゃんとした耳と見識をもつ人々からの評価はまるで低いのである。

なぜそんなに低い評価なのかというと、寄せ集めのメンバーで作られた臨時のオケだからである。各人の能力はソリストとして優れているのかもしれない。しかしだからといってソリストが集まれば良いオーケストラになるかというと、残念ながらそうではない。

ソリストというのはみな個性の強い演奏家なのだ。音色も違えばクセも違う。そうした連中が集まっても均一な音色になるハズがないのだ。仮にうまくいくとしたら、それは指揮者の能力を褒めるべきであろう。ところが残念なことに、指揮者にはそこまでの能力はないようである。

オケの各パートの音色が均一でないことで何の問題があるのだと思われるかもしれない。技術があればいいじゃないかと思うだろう。違うのだ。パートごとの音色が均一であるからこそ心地よい響きとなるわけだし、そうじゃなければ何人も集まる意味がない。アンサンブルというのは各楽器の音色が調和するからこそ美しく響くのである。

でも、このオケはそうじゃない。だから聴いていても心地よくなれないのだ。なぜそれが音楽監督の小澤にはわからないのだろうか。昨晩はアラン・ギルバートが指揮したが、この人はいわば身内みたいなもの。つまりオケの一員であるヴァイオリン奏者の建部洋子の息子がアランなのだ。うがった見方をすれば、経費を安くしようとしたのかもしれない。

アランはわが国ではすでに何度も指揮し、雑誌などでも取り上げられている。しかし、注目されるほどの能力があるとは正直思えない。この日の演奏が凡庸に思えたのはオケの問題とともに指揮者の能力も関係していたのではないか。そんな事情はたぶん聴衆のほうが気づいている。それもあって昨晩の客の入りは最悪だったんじゃないのか?

企画する側は、名の知れた演奏家を呼んでくればそれでよいと思っていたのかもしれない。ちょっと昔ならそれでもよかった。でも今は違うのだよ。客を甘く見たら痛い目に遭うという典型的な例である。
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