どーも、ワシです。前回の続きです。小武川第一砂防堰堤沿いの道をさらに遡って行くと右側から上来沢川(かみくりざわがわ)が小武川へ合流してきます。その上来沢川に築造されているダムが上来沢川ダムで、今回の目的地となります。ここはダム便覧に登録されているので期待は高まります。
ところが、小武川沿いの道から上来沢川の上流へ行こうとするもクルマで行くことはできません。なんと、車両通行止めなんですよ。
でも、立入禁止ではないのでクルマをその場所に停め、歩いて向かうことに。おそらく目的地までは1.0kmくらいはありそうですが、せっかく来たので覚悟を決めて出発。
まあまあ歩いたと思われるところで「第一村人」ならぬ最初の堰堤に遭遇。
左岸側の堰堤本体に銘板が嵌め込まれているのですが、ズームしても読めず…。
しばらくして、また堰堤らしきものが見えてきました。
ここは右側に銘板が嵌め込まれていて、昭和61年度の治山事業として築造された谷止工(たにどめこう)と判明。
この時点でまだ400mほどしか進んでいません。緩やかながら坂道が続きます。うーん、なかなかキツい。
坂道を進んで行くと思わず目を疑います。え?なに?道と上来沢川が交差してるやん!訪れた時は川の水量が少なかったので飛び石を渡って先へ進みます。
今度は川の左岸側の道を登っていきます。すると、またまた堰堤らしきものが登場。
銘板を見ると昭和62年度の治山事業として築造された谷止工であることがわかります。
さらに道を登ります。ちっとも目的地に到着しません。もうね、足のももがパンパン。緩やかとはいえ、ひたすらの坂道は堪えます。
そして見えてきたのがちょっと古めかしい谷止工。あとでわかるのですが、おそらくこれは上来沢川ダムの築造と同時期に作られたものと思われます。でも、まだ着きません。
何度か休みながら登って行くと、ようやく目的地が見えてきました。あれのようです。
近くまで来ました。いや〜、ツラいツラい。でも古そうな感じのダムですね。それもそのはず、上のリンク先のデータによれば、築造されたのは、なんと1927年!昭和2年ですよ。石積みの感じといい、まさに昭和初期の工法です。すぐ下流の谷止工もその工法であるのは明らか。
高さ=19.0m、長さ=49.6mの重力式コンクリートダムということで、上部と下部をパチリ。
左岸のダム横には水利使用標識があります。使用者が東京電力リニューアブルパワー株式会社なので当然発電を目的としています。
すぐ近くにある建物は管理所かな?
その壁面にある表示は「上来沢調整池…」までは読めますが、その下は読めず。むぅ。
左岸、上流側から見たダムの様子。美しい水の色です。
近くにある表示板。これによれば当該ダムは小武川第三発電所の調整池らしい。それはいいんですが、よく見ると上来沢川の読み方が上のリンク先の表示とは異なっています。ここでは「かみくるさわかわ」なんですよね。ちょっと、ちょっと、どちらが正しいの?
それはさておき、小武川第三発電所はどこにあるんだろうと思い、調べてみると小武川の下流にある小武川第四発電所取水堰のすぐ上流側にあることがわかりました。そして、さらに国土地理院の地図を見ると上来沢川ダムに貯水されている水は上来沢川の水のみならず次回記事にする小武川第三発電所取水堰で取水された水がここへ流れ込んでいることも判明。調整池という名称はそういうわけだったのです。
こうした連携を調べるとダムの意味がよりわかって面白いですよね。ダムに関するブログやサイトは多くありますが、そのほとんどはダムを単体でしか見ていません。確かに独立したダムもありますが、調整池的役割を果たすダムや揚水発電を行なっているダムは決して単体ではありません。周辺の関連施設と連携してはじめて機能するのです。だからこそダムは単体で見るのでなくトータル的に理解する必要があるんじゃないかと思うんですけどね。ええ。
続きます。
ところが、小武川沿いの道から上来沢川の上流へ行こうとするもクルマで行くことはできません。なんと、車両通行止めなんですよ。
でも、立入禁止ではないのでクルマをその場所に停め、歩いて向かうことに。おそらく目的地までは1.0kmくらいはありそうですが、せっかく来たので覚悟を決めて出発。
まあまあ歩いたと思われるところで「第一村人」ならぬ最初の堰堤に遭遇。
左岸側の堰堤本体に銘板が嵌め込まれているのですが、ズームしても読めず…。
しばらくして、また堰堤らしきものが見えてきました。
ここは右側に銘板が嵌め込まれていて、昭和61年度の治山事業として築造された谷止工(たにどめこう)と判明。
この時点でまだ400mほどしか進んでいません。緩やかながら坂道が続きます。うーん、なかなかキツい。
坂道を進んで行くと思わず目を疑います。え?なに?道と上来沢川が交差してるやん!訪れた時は川の水量が少なかったので飛び石を渡って先へ進みます。
今度は川の左岸側の道を登っていきます。すると、またまた堰堤らしきものが登場。
銘板を見ると昭和62年度の治山事業として築造された谷止工であることがわかります。
さらに道を登ります。ちっとも目的地に到着しません。もうね、足のももがパンパン。緩やかとはいえ、ひたすらの坂道は堪えます。
そして見えてきたのがちょっと古めかしい谷止工。あとでわかるのですが、おそらくこれは上来沢川ダムの築造と同時期に作られたものと思われます。でも、まだ着きません。
何度か休みながら登って行くと、ようやく目的地が見えてきました。あれのようです。
近くまで来ました。いや〜、ツラいツラい。でも古そうな感じのダムですね。それもそのはず、上のリンク先のデータによれば、築造されたのは、なんと1927年!昭和2年ですよ。石積みの感じといい、まさに昭和初期の工法です。すぐ下流の谷止工もその工法であるのは明らか。
高さ=19.0m、長さ=49.6mの重力式コンクリートダムということで、上部と下部をパチリ。
左岸のダム横には水利使用標識があります。使用者が東京電力リニューアブルパワー株式会社なので当然発電を目的としています。
すぐ近くにある建物は管理所かな?
その壁面にある表示は「上来沢調整池…」までは読めますが、その下は読めず。むぅ。
左岸、上流側から見たダムの様子。美しい水の色です。
近くにある表示板。これによれば当該ダムは小武川第三発電所の調整池らしい。それはいいんですが、よく見ると上来沢川の読み方が上のリンク先の表示とは異なっています。ここでは「かみくるさわかわ」なんですよね。ちょっと、ちょっと、どちらが正しいの?
それはさておき、小武川第三発電所はどこにあるんだろうと思い、調べてみると小武川の下流にある小武川第四発電所取水堰のすぐ上流側にあることがわかりました。そして、さらに国土地理院の地図を見ると上来沢川ダムに貯水されている水は上来沢川の水のみならず次回記事にする小武川第三発電所取水堰で取水された水がここへ流れ込んでいることも判明。調整池という名称はそういうわけだったのです。
こうした連携を調べるとダムの意味がよりわかって面白いですよね。ダムに関するブログやサイトは多くありますが、そのほとんどはダムを単体でしか見ていません。確かに独立したダムもありますが、調整池的役割を果たすダムや揚水発電を行なっているダムは決して単体ではありません。周辺の関連施設と連携してはじめて機能するのです。だからこそダムは単体で見るのでなくトータル的に理解する必要があるんじゃないかと思うんですけどね。ええ。
続きます。
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