どーも、ワシです。さて、今回はグーグル先生の地図に「同道大池(どうどうおおいけ)」というのを見つけたので行ってみることにします。場所は岡山県備前市鶴海(つるみ)。アクセスは県道39号沿いにある岡山大鵬薬品株式会社近くの細い川に沿った道を山方面に曲がり、道なりに進んでいくと到着します。
その道を来ると目的地の左岸に辿り着きます。これが左岸から見た様子。
いわゆるダム上は、まあまあの長さがあります。
左岸から見た下流側の様子。斜面が茶色くなっているのは焼いたんでしょうね。
ではダム上を歩いてみることにしましょう。中央から見た池の様子。
一方、下流側はこんな景色です。空が朝焼けなのは目的地に到着したのが早朝だったからです。
右岸側には越流式の洪水吐があります。増水すると、水はここから溢れ出て、
この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。
右岸から見たダム上の様子。
近くには2つの石碑が…。
小さいほうは平成6年度に完了した「ため池等整備事業(大規模)」についてのもの。高さは27mとあるのでこれはダムと呼んでも間違いではありませんね。気になったのは「地区名」の表記。「同道池地区」と書かれています。ん?同道大池じゃないの?
その裏側には「農地を潤す」というわかりやすい文言。
一方、大きいほうの石碑は「修●之碑」と篆書体で題されていて、その下にはおそらく築造の経緯などが記されていますが風化が激しく、また読めない字が多数あり、おまけに漢文調で書かれているので詳細は不明。なんとか理解できたのは大正13年9月に着工し、二年後の大正15年(1926年)5月31日に竣工したことくらい。石碑自体は大正15年11月下旬に建立されています。
説明文の一部。写真中央付近には「同道池」の文字が見えます。
2つの石碑にはどちらも「同道池」とあるのになぜグーグル先生の地図では「同道大池」と記されているんでしょうね。ちなみにダム便覧の表記も「同道大池」ですが、国土地理院の地図では「同道池」と記載されています。
最後に下流側から見た同道池の様子をご覧ください。
池の名称である「同道」の由来はわかりませんでした。ただ、同道池から瀬戸内海に流れ込んでいる川の名称は「堂々川」というそうですが、果たしてそれと関係があるんでしょうか…。謎がどんどん出てきそうなので次の目的地へ向かいます。
その道を来ると目的地の左岸に辿り着きます。これが左岸から見た様子。
いわゆるダム上は、まあまあの長さがあります。
左岸から見た下流側の様子。斜面が茶色くなっているのは焼いたんでしょうね。
ではダム上を歩いてみることにしましょう。中央から見た池の様子。
一方、下流側はこんな景色です。空が朝焼けなのは目的地に到着したのが早朝だったからです。
右岸側には越流式の洪水吐があります。増水すると、水はここから溢れ出て、
この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。
右岸から見たダム上の様子。
近くには2つの石碑が…。
小さいほうは平成6年度に完了した「ため池等整備事業(大規模)」についてのもの。高さは27mとあるのでこれはダムと呼んでも間違いではありませんね。気になったのは「地区名」の表記。「同道池地区」と書かれています。ん?同道大池じゃないの?
その裏側には「農地を潤す」というわかりやすい文言。
一方、大きいほうの石碑は「修●之碑」と篆書体で題されていて、その下にはおそらく築造の経緯などが記されていますが風化が激しく、また読めない字が多数あり、おまけに漢文調で書かれているので詳細は不明。なんとか理解できたのは大正13年9月に着工し、二年後の大正15年(1926年)5月31日に竣工したことくらい。石碑自体は大正15年11月下旬に建立されています。
説明文の一部。写真中央付近には「同道池」の文字が見えます。
2つの石碑にはどちらも「同道池」とあるのになぜグーグル先生の地図では「同道大池」と記されているんでしょうね。ちなみにダム便覧の表記も「同道大池」ですが、国土地理院の地図では「同道池」と記載されています。
最後に下流側から見た同道池の様子をご覧ください。
池の名称である「同道」の由来はわかりませんでした。ただ、同道池から瀬戸内海に流れ込んでいる川の名称は「堂々川」というそうですが、果たしてそれと関係があるんでしょうか…。謎がどんどん出てきそうなので次の目的地へ向かいます。