ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

イナゴ退散せよ!…日笠ダム

2023-04-28 07:00:12 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県和気郡和気町保曽(わけぐん わけちょう ほそう)にある吉井川水系の日笠(ひかさ)ダムを目指します。アクセスは県道414号沿いに「日笠ダム→」の表示があるので、そこを入って行くと到着します。

まず、ダム下へ行ってみます。こんなダムです。


続いてダム横に向かいます。治水ダムのようですね。


ダム横にある表示板。これによると、洪水調節と用水確保を目的とした高さ39.0mのダムで、笹目川を堰き止めて築造したものですが、日笠地区のダムであることから日笠ダムと命名されたようです。


その付近から見たダムの様子。


左岸の貯水側には「日笠ダム完工記念碑」があり、

その横には概要を示す石碑が並んでいます。ダムの完成は昭和61年度。


では、ダム上を歩いてみることにします。

いわゆる親柱のところには「笹目川」「日笠ダム」のプレートが嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。

おや?左岸の奥に建物がありますね。なんでしょうか。あとで行ってみましょう。


一方、ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景はこんな感じ。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。こちら側の親柱には「昭和58年1月竣功 岡山県」のプレートが嵌め込まれています。おそらくこれはダム本体が完成した時期と思われます。

また、日笠と書くと「ひがさ」と読めますが、正確には「ひかさ」であることがここからわかります。


右岸の下流側には「除蝗之碑」と刻まれた石碑があります。ん?除蝗ってなんだ?調べてみると、イナゴ(蝗)やトノサマバッタなどの害虫が農作物を食い尽くすことにより凶作になることから、それらを駆除し豊作を願う意味でこのような石碑が建てられたものと思われます。たぶん。

ちなみにその駆除法について江戸時代後期の農学者である大蔵永常は『除蝗録』(1826)の中で田畑に鯨油を撒くことを説いています。つまり「飛んで火に入る夏の虫」の例え通り、虫は灯明の下にある油に飛び込む習性があることから鯨油の散布が効果的だと考えたのです。また、なぜイナゴに「蝗」の文字がついたのかというと、中国ではこうした害虫の被害をいかに防ぐかにより「皇」帝の命運が決まるとすら言われていたので虫偏に皇の文字が当てられたのだとも言われています。別にイナゴが虫の王様というわけではありません。

「除蝗之碑」の裏側には「岸野氏子中」が昭和57年5月吉日に建立したとあります。「岸野氏子中」とはダムの下流域の岸野地区の人々といった意味です。


さて、先ほど気になった左岸の建物のところに行ってみます。

日笠ダム管理事務所でした。

そこから見たダムの様子。


「除蝗之碑」なんてのは初めて見ました。おそらくこうした石碑を建てるほどかつては害虫による被害があったんでしょうね。
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