ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

機能と曲線美の融合!…市之倉おりべ砂防ダム(堰堤)

2023-04-15 12:07:51 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県多治見市市之倉町(いちのくらちょう)にある庄内川水系の市之倉おりべ砂防ダムを目指します。アクセスは国道248号沿いの「市之倉陶の里公園 おりべ砂防ダム」と表示された看板のあるT字路を入って行くと空き地があるのでクルマはそこに停めて、そこからは歩いて奥へ行きます。

到着しました。おおっ、フォルムが従来の砂防ダムと違い、なんともオシャレ!


これまたオシャレなプレート。


案内板。「市之倉おりべ砂防ダム」は大雨の際に中峰谷から流出する土砂を防ぐ目的で築造されたものですが、本来の目的に加え、その形には織部の陶器のもつ暖かみのある曲線が採用されています。あ、でも、概要を見ると高さは11.4mなので名称の定義としては砂防堰堤になりますね。


堰堤下の副堰堤の所に作られた階段。まさに曲線美!



右岸、堰堤下から見た様子。

上の案内板にも書かれていますが、壁面の一部をへこませて陶磁器を展示するブースが設けられています。


右岸、堰堤横に来ました。堰堤の上は立入禁止。

堰堤上にはプレートが嵌め込まれています。「中峰谷第1砂防ダム」が正式名称で、「市之倉おりべ砂防ダム」は愛称なのかな?2000年3月竣工。


堰堤の上に行けないため、右岸の堰堤横から見た上流方向の様子。


右岸、上流側から見た堰堤の様子。


案内板にある通り、これは役人が機能のみに着目して設計したものでなく地域の人々の声を取り入れて築造したものなので従来のダム(堰堤)とはひと味もふた味も異なる建造物になったんですね。紋切り型のフォルムも良いですが、このようなオリジナルのデザインもまた素敵だと思います。
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再現困難な工法…浦山第二砂防堰堤

2023-04-14 17:02:56 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県土岐市妻木町(ときし つまぎちょう)にある浦山第二砂防堰堤を目指します。アクセスは県道388号沿いにある妻木城士屋敷跡(つまぎじょうさむらいやしきあと)の西に架かる小さな橋のすぐ上流にあります。ただし、駐車スペースはないのでクルマは県道388号沿いの空いている場所に停めるしかありません。

これのようです。いや〜、渋い、渋すぎます。


右岸側から堰堤の横に行けないかなと思い、道を進んで行くと堰堤の横でなく、さらに上流に来てしまいました。そこには錠剤のような白い丸い石があり、それを渡って左岸へ行けるようになっています。


左岸へ移動し、そこから堰堤を見るとこんな感じ。


左岸側には案内板があります。それによると、築造の経緯は次の通りです。この地域は昔から美濃焼の産地として知られていますが、陶磁器生産のための陶土採掘や窯で焼くための木材を伐採し続けたため山地は荒廃。そのため少量の雨でも土砂崩れが発生し、下流で水害が多発するようになりました。そこで1937年に国による直轄砂防事業が開始されます。そしてこの浦山第二砂防堰堤は1942年10月21日に工事着工され、昭和18年(1943年)8月25日に完成。その工法は間知石(けんちいし)を矢羽積(やばねづみ)にしただけの空石積(からいしづみ)でモルタルなどは使用していません。この工法は隣接する妻木城を築城した時に用いられたものとされ、その技術がこの堰堤にも反映されているそうな。この石積技術は再現するのが難しいという理由から当該堰堤は2006年10月18日に登録有形文化財として登録されたそうです。(参考




高さ5.0mの地味な砂防堰堤で、興味がなければ気づきませんね。ちなみに「第二」とあるので「第一」もあるのかなという素朴な疑問が…。国土地理院の地図を見ると「第二」のさらに上流に堰堤らしきものがあり、それが「第一」かなと思うのですが確認できず。
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なかなか絵になる!…深山谷第1砂防堰堤

2023-04-13 06:56:25 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県多治見市笠原町(たじみし かさはらちょう)にある庄内川水系の深山谷(みやまだに)第1砂防堰堤を目指します。アクセスは県道13号沿いにある「深山谷第1砂防堰堤 不動滝 入口」の看板のあるところから入って行くと到着します。

これが「ご尊顔」です。2003年3月完成。


では、順番に見ていきましょう。上に示した看板のところから入り登ってくると不動滝の先にこんな景色が見えてきます。


堰堤の下に架かる橋から見た様子。堰堤が2つあるように見えますが、手前のは副堰堤です。


堰堤本体に貼られたプレート。堰堤名は深山谷を堰き止めて築造したことに由来するもので、深山谷が荒廃しているため下流域を土砂災害から守るために築造されたものらしい。なお、説明によれば下流の不動滝は特別宗教的な意味があるものではないそうな。また、堰堤本体には地場産業の産物である陶器がモザイクタイルの形で貼られており、そのデザインは漫画「進撃の巨人」をモチーフにしているとのこと。ほぉ、なかなか攻めてますな。


堰堤の下から見た落水する様子。


その水は副堰堤で一旦溜められ、下流へ向かいます。


堰堤の横にやってきました。そこから見た様子。

堰堤の上に嵌め込まれたプレート。高さは14.5mで15m未満なので堰堤で間違いないんですが、あと50cmカサ増しすれば砂防ダムという名称になったのにね。なんと奥ゆかしい(笑)


堰堤、中央から見た上流側の景色。


溜まった水はこの落水部から流れ落ちて、

副堰堤に溜まります。

そして、下流側の景色。


堰堤中央から右岸側を見るとこんな感じ。


ところで、「進撃の巨人」について調べてみたら意外なことがわかりました。つまりこれは2009年9月から2021年4月まで続いた漫画らしいのでそこから判断すると本砂防堰堤築造時にはなく、モザイクタイルは後から本体に貼り付けられたもののようです。でも、なぜモチーフが「進撃の巨人」なんでしょうねえ。作画は多治見西高校まんが部の生徒によるものだそうですが、どんな意図があったのでしょうか。制作時、「進撃の巨人」が流行していたから? もしそうだとしたら安易な発想だよね。

さらに調べてみると「進撃の巨人」の作者である諌山創(1986- )の出身地である大分県日田郡大山町(現在の日田市)には大山ダム(2012年完成:未見)というのがあり、そこには「進撃の巨人」の主要登場人物の銅像があるそうな。へぇ〜、九州のダムかぁ…。いつか行けたらいいなあ。その時にはぜひ訪ねてみたいと思います。
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日にち合わせて…日合3号砂防堰堤

2023-04-12 06:54:04 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市大岡甲(おおおかこう)にある日合(にちあわせ)3号砂防堰堤を目指します。堰堤名の「日合」はここの地域名に由来します。アクセスは国道19号の「川口」信号を聖高原(ひじりこうげん)方面へ行く県道395号を進んで行くと最初の急カーブのところが目的地になります。

【日合の由来】(参考
で、地名である「日合(にちあわせ)」の由来が気になったので調べてみました。正確な由来は不明のようですが、陰陽道では一日のうちで吉とされる時間のことを「日合(にちごう)」と言うそうで、ここから大岡地区に吉祥が入ってくるようにという願いを込めて読み方を変えて命名されたのではないかと考えられているようです。

お目当ての堰堤は県道から少し奥まった場所にあります。こんな風に。


県道沿いにある表示板。これを見ると、この堰堤はどうやら日合沢を堰き止めて築造したもののようですね。


堰堤に近いところにある表示板。2006年3月竣工だそうです。


さらに近づいてみます。


右岸、堰堤下から見るとこんな感じ。良い感じに苔むしてますね。


左岸側に移動し、堰堤に近づいてみます。すると本体にプレートが嵌め込まれていました。



それにしても「3号」というからには「1号」と「2号」もあるんでしょうか。国土地理院の地図を見ると、ここの下流に堰堤らしきものがあるのでそれなのかもしれません。機会があれば探してみようと思います。
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知られてないのかな?…聖砂防ダム

2023-04-11 06:53:29 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市大岡丙(おおおかへい)に信濃川水系の聖(ひじり)砂防ダムというのがあるようなので行ってみることにします。その場所は犀川(さいがわ)へ流れ込む聖川沢(ひじりがわさわ)の上流にあるようです。聖川沢を堰き止めて築造したものといえば、一昨日記事にした「一倉田和(いちくらだわ)砂防堰堤(ダム)」がありますが、今回のはそれよりも上流になります。ただ、アクセスの仕方を説明するのは難しいんです。何しろグーグル先生の地図にも国土地理院の地図にも聖砂防ダムという名称はないからです。そこで、地図を載せておくので行かれる方は参考になさってください。

写真右下のカーソルのあるところが今回目指す聖砂防ダムで、グーグル先生の地図だと「聖ダム湖」と表記されているところになります。ちなみに写真左に見えるのが樋ノ口沢を堰き止めて築造された「浅刈砂防ダム」(昨日の記事)です。


なんとか聖砂防ダム左岸近くまで来ましたが、クルマはここまで。未舗装な上に、道らしき道がなくなっています。なので、ここからはクルマを置いて歩いて向かいます。


膝上くらいの高さの竹やぶの向こうに、こんな石碑が…。「聖川砂防ダム 春夏秋冬之恵」と刻まれています。あれれ?名称が違いますね。もしかして違うダムに来たのかな?

そんな疑問を抱きつつ、裏側に回ってみると何やら築造の経緯が記されていました。

その内容は転記すると次の通り。
「信濃川流域犀川支流聖川沢はその源を霊峰聖山に発し山間谷間耕地●複雑な地形をぬって急流をなして犀川に注ぎその延長は約9.8kmにおよび村内では延長流域共に最も大きい河川である本流域は第二紀層に属する脆弱の地であり加えて地形が急傾斜のため表層の滑落河岸の浸食等の崩落が著しく豪雨時による土砂流出による被害は数多く発生している特に昭和34年8月の集中豪雨の災害は甚大で土砂流出により人命財産に多大な被害を与えた以来村としては地域の強い要望もありこれら被害を防止するための抜本的な対策としてダムの築造を基とする砂防治水事業を強力に推進し河川の改修と相俟って土地の保全と地域住民の安寧を図るべく昭和45年(1970年)2月聖砂防ダム建設促進期成同盟会を結成しこれが早期実現のため一丸となって各方面へ運動を進めると共に数度に亘り関係機関に陳情を行った
幸いにして本村出身参議院議員青木一男先生(※1)のご高配と県議会議員風間和夫(※2)先生の絶大なるご尽力と更に国県関係各位のご理解により昭和47年(1972年)10月待望の聖砂防ダムの着工をみるに至り村を挙げて歓喜した次第である
工事の施工は飛鳥中部建設共同企業体が請負われ悪い地質条件を始めあらゆる困難を克服し最新の工法と優れたる技術と熱意により早期に偉容を誇る立派な聖砂防ダムの竣工をみるに至ったことは村民が深く感激するところである
ここに今日まで本砂防ダム建設のためご高配とご協力を賜った諸先生方並びに関係各位に●●感謝の意を●●●
この砂防ダムの完成により治山治水がはかられ災害が防止され民生の安定はもとより満々と湛えられた水は地域の産業振興と更に村の画期的発展の基礎となるものと期待され極めて意義深いものである
よって聖砂防ダムの竣工を祝し限りなき村の発展を祈念しここに記念碑を建立した次第である
   昭和50年11月1日」

 (※1)青木一男(1889-1982)は東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。外国為替管理法(通称:外為法)を策定するなど賀屋興宣(かやおきのり:1889-1977)、石渡荘太郎(いしわたそうたろう:1891-1950)とともに大蔵省の三羽烏として活躍。1939年に企画院初代総裁となり貴族院勅選議員に選出される。同年には阿部信行内閣の大蔵大臣として入閣。1942年の東条内閣では初代大東亜大臣を拝命。戦後A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されるも1948年に釈放される。その後1953年参議院議員に当選し、1977年まで4期務めた。
 (※2)風間和夫:長野県議会議員。第41代(1959年)、第48代(1964年)県議会議長を務めた。

文章には「聖砂防ダム」と記されています。石碑を建立する際になぜ表と裏を確認しなかったんでしょうね。詰めが甘いなぁ。いずれにしてもどちらが正しいんでしょうか。写真をよく見ると左側に「聖砂防ダムの概要」と書かれています。そこには長さが148m、高さが20mとあり、それらの数値は長野県の土尻川(どじりがわ)砂防事務所が公表している聖砂防堰堤のものと一致します。また竣工年も昭和50年(1975年)11月とあるので同一のものとみてよいでしょう。もっとも、同砂防事務所の表記は砂防堰堤となっていますが、本体に嵌め込まれているプレートには「聖砂防ダム」とあることから石碑の表側の表記は間違いであるのがわかります(参考

謎解きのようなことをしてきましたが、じゃあ、聖砂防ダムはどんな姿なのか?というと、左岸からはこの程度しか見ることができませんでした。ダム横へはもちろん道がなく、急斜面のため近づけなくなっているのです。


改めてネットを検索してみても「聖砂防ダム」に関する記事はほぼ見当たりません。石碑について言及しているのは皆無です。その意味からすると今回の記事はレアものになるかもしれませんね。もっとも、苦労してたどり着いた割に肝心のダムがよく見えないんだからガッカリして書かないのかもしれないですけど…。
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発電もするよ!…浅刈砂防ダム

2023-04-10 07:08:19 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市大岡甲(おおおかこう)にある信濃川水系の浅刈(あさがり)砂防ダムを目指します。ここも前回記事にした一倉田和砂防堰堤(ダム)と同様にその場所を説明するのは難しいので、下に地図を載せておくので参考にしてください。ざっくり書くと、県道12号から聖山高原へ向かう県道501号に入り、少し行ったところにある未舗装の脇道を入って行くと目的地に到着します。

その未舗装路を進んで行くと浅刈砂防ダムの右岸側に辿り着きます。ダムは眼下にあり、こんな風に見えます。


…と、まあ、さらっと書きましたが、県道501号からここへ行くには少し歩かなくてはなりません。もちろん4WD車ならばあっという間に着くんですが、そうでないクルマだとスタックする危険があるのでワシはクルマを県道脇に停めて歩きました。


ダム横近くにはこんな石碑があります。「浅刈砂防ダム竣工 記念碑」。

裏側には概要が記されています。これによると、高さ25mのコンクリートダムで、着工は1985年9月4日、完成は1989年11月28日。なお、石碑には「大岡村字浅刈」とありますが、大岡村は2005年1月1日に長野市に編入したため現在の住所は上記の通りとなります。またここからわかるのはダム名がこの場所の地名に由来するものだということ。


ダム横には別の表示板があります。


上の表示板には危険なので立ち入るなと書かれていますが、ダム上へ行く扉が施錠されていないので自己責任で下りてみます。そしてこれがダム上。平成元年度の荒廃砂防工事として築造されたものらしい。


ダム上、中央から見た上流側の様子。砂防ダムというよりフツーのダムみたいですね。


中央の落水部の様子。

そして、下流側の景色です。写真左下に見える小屋のような建物は大岡浅刈小水力発電所だそうで、落差を利用して発電された電気は地元の大岡中学校と大岡小学校へ供給され、余剰電力は電力会社へ売電されるんだとか。


ダム上、中央から右岸を見るとこんな感じ。


砂防ダムでありながら発電もするなんて、なかなか賢いですね。もっとも、そもそも樋ノ口沢を堰き止めて築造したダムなので水の量も豊富で発電が可能なのでしょうけど。

最後にこの場所を示す地図を載せておきます。写真右下のカーソルのところが今回の浅刈砂防ダムで、右上に見えるので前回記事にした一倉田和砂防堰堤(ダム)です。参考までに。
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ちょっとした要塞!…一倉田和砂防堰堤(ダム)

2023-04-09 07:01:52 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市大岡甲(おおおかこう)にある信濃川水系の一倉田和(いちくらだわ)砂防堰堤を目指します。この場所を説明するのは難しくて、国道19号の「川口」信号を聖高原(ひじりこうげん)方面へ入り、県道395号をウニャウニャ進んで行きます。そして「←上栗尾・下栗尾・信州新町」の看板のあるT字路を入って行くと目的地に到着するんですが、わかりにくいので後ほど地図を載せておきます。

目的地はその道のカーブしたところから少し入ったところにあり、歩いて行くとこんなゴツイ姿が目に飛び込んできます。


近くにある表示板。堰堤名の「一倉田和」は右岸側の下流の地名に由来しており、堰堤は聖川沢(ひじりがわさわ)を堰き止めて築造したものです。竣工は2006年3月。ただ、高さが26.0mあるのでダムの定義からすると砂防ダムになりますね。


右岸、下流側から見た副ダムの様子。これだけ見ても迫力があります。


しかしながら、これ以上は近づくことができず、ましてやダム上に行くこともできません。それほどまでにこの場所は写真で見る以上に過酷で荒廃しています。また足場も悪く、右岸から左岸へ移る際、ワシは約2mぐらいの高さから滑り落ちました。砂防堰堤(ダム)のある場所はそれなりに危険もはらんでいるんですね。

最後にここの場所を示した地図を載せておきます。写真左端の赤い線が国道19号で、右下に見えるカーソル部分のところが「一倉田和砂防堰堤(ダム)」です。
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ちゃんと見学!…奥裾花ダム(再訪2023)

2023-04-08 06:54:22 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市鬼無里(きなさ)にある信濃川水系の奥裾花(おくすそばな)ダムを再訪します。再訪の理由およびアクセスについては前回の記事をご覧ください。

まずは「ご尊顔」をどーぞ。立派なダムです。


奥裾花ダムのダム横へは昼間しか行くことができません。夜間はゲートが閉まっているからです。でも今回は幸いにも行くことができました。で、左岸から見たダムの様子がこちら。


ダム横にある案内板。当該ダムは裾花川上流河川総合開発事業の一環として築造されたもので、洪水調節、長野市の上水道確保、そして発電を目的とする多目的ダムとして1980年3月に完成したものだそうです。


左岸の貯水側にある建物が「裾花ダム管理事務所」。ん?奥裾花じゃないの?うーむ、わからんなぁ。



事務所のところにある「定礎」の石碑。1976年10月15日と刻まれています。


そこからダムを見ると、こんな感じ。


そのへんをウロウロしていたら職員の方がトレイを手に近づいて来て、「よろしければ、どーぞ」と声をかけられました。トレイを見ると、そこには奥裾花ダムのダムカードと2つの発電所カードが…。ダムカードをもらう目的に来たわけじゃないので「いえ、特に集めていませんから」と言うも、「まあまあ、そう言わずに」と仰るので遠慮なくいただきました。ここのダムカードはネットで見ることができるので省略しますが、発電所カードなんてのがあるんですね。初めて知りました。せっかくなのでここに載せておきます。



では、いよいよダム上を歩いてみることにします。


ダム本体に嵌め込まれたプレートには昭和54年(1979年)3月竣工とあります。おそらくこれはダム本体の完成年なのでしょうね。


ダム上を歩いて行くと、中央のところに水力発電を目的とする水利使用標識が貼ってありました。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。


一方、ダムの真下と、

下流側の遠景はこんな感じです。


対岸(右岸)の壁面には「奥裾花ダム」の文字。このアピールの仕方は水資源機構が管理するダムと同じですね。


で、振り返るとこんな感じです。


右岸側から見たダムの様子。


前回の訪問は深夜でゲートも閉まっていて何も見えなかったのですが、今回はしっかり見ることができました。良き、良き。
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偶然発見!…前沢砂防堰堤

2023-04-07 06:54:40 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は以前訪れた信濃川水系の奥裾花(おくすそばな)ダムを目指します。再訪の理由は前回が深夜で何も見えなかったから…(参考)。今回の訪問は昼間なのでちゃんと見ようと思ったからです。

アクセスは国道406号から奥裾花峡へ向かって行けば到着します。ところが、その途中、うっかり小さな砂防堰堤を見つけてしまいました。目に止まった以上確認するしかありません。その場所は国道から分岐して裾花川と並行して走る道沿いにあり、奥裾花ダムまでに裾花川を三回横切るんですが、二度目に横切るあたりにあります(国土地理院の地図では「岩下」と表示されているあたり)。

偶然見つけてしまった砂防堰堤がこちら。


光に集まる虫のように堰堤に近づいてみます。


堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「前沢砂防堰堤」とあり、2018年11月に竣工。堰堤名はここの沢の名称と思われます。ちなみに調べてみると同名の堰堤は山形県西置賜郡白鷹町(にしおきたまぐん しらたかまち)にもあるようですね(未見)。


堰堤から下流側を見た様子。写真上に見える道を左に行くと奥裾花ダムになります。


ちなみにグーグル先生のストリートビューを確認したところ、この付近の画像は2014年10月に撮影されたものであるため、この堰堤はまだ存在していません。ストリートビューに出ていないのはそういうわけです。
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地味に…藤口堰堤(砂防ダム)

2023-04-06 06:55:55 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県上水内郡小川村瀬戸川にある信濃川水系の藤口堰堤を目指します。アクセスは国道406号沿いの「小川村」の看板の先に斜め左に降りて行く道があるので、そちらへ行きます。目的地はその先にあります。ここはグーグル先生の地図に表示はありませんが、ダムの貯水湖のような形をしているのでそれを目印にすると良いでしょう。

アクセス通りに来ると目的地の右岸に到着します。


堰堤本体にはプレートが嵌め込まれていて、かろうじて「藤口堰堤」と読むことができます。しかしそのほかのデータは読めず。ただし、こちらのサイトの情報を信じるなら高さは15.0mなので、しかも形状から砂防ダムが正しい表記になります(サイトでは「藤口砂防堰堤」と表示されていますが)。竣工は1972年11月。


右岸のダム横から見た様子。ダムは道から下にあるので降りることはできません。


天神川の上流側から見たダムの様子。木が邪魔でほとんど見えませんね。


天神川を堰き止めて築造されたダムですが、ダム名は地名によるものなのか確認はできませんでした。
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清き水を堰き止めて…板之峰砂防ダム(堰堤)

2023-04-05 07:01:57 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県長野市鬼無里日影(きなさひかげ)にある信濃川水系の板之峰(いたのみね)砂防ダムを目指します。アクセスは国道406号沿いにある「民宿むろが荘」前のT字路を入り、神地沢(じんぢざわ)に沿った道を進んで行くと到着します。

これが板之峰砂防ダムです。ダムは道よりも下にあるので見下ろすことになり、降りることはできません。


ダム本体に嵌め込まれたプレート。これを見ると高さが14mなので定義上は砂防堰堤になりますね。着工は1987年9月で、竣工は1994年12月。


右岸、上流側から見た様子。


神地沢の上流方向の景色。水がキレイ!


ちなみにダム名は右岸、上流側の地名に由来するものと思われます。
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荒廃の奥に…絹張砂防ダム

2023-04-04 12:08:37 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県上水内郡小川村瀬戸川(かみみのちぐん おがわむら せとがわ)にある信濃川水系の絹張(きぬばり)砂防ダムを目指します。アクセスは県道31号沿いにある「小川の湯」の看板付近から北へ向かって入り、沢入沢と呼ばれる小さな川に沿って道なりに進んで行くと到着します。

行くと分かりますが、このあたりはちょっと山の中に入って行くとその荒廃ぶりに驚きます。木々は倒れ、路面には小さな岩がゴロゴロしています。行政に修復予算がないんですかね。不安を覚えつつ進んで行くと道から少し入ったところに絹張砂防ダムがあります。それがこちら。


定礎は1992年9月24日で、

竣工は1998年3月。完成までに随分時間がかかったようです。なお、ダム名はこの下流の地名に由来するものと思われます。


斜面の荒廃ぶりの一部。このあたりはこんな調子。


ネットを見るとダムマニアはいますが、砂防ダム(堰堤)のマニアはあまり見かけません。その理由はいくつかあります。まず通常の大きなダムはその周辺がきちんと整備されていてアクセスしやすいこと。そして対象(ダム)が大きいので観光地化していることにあります。いわゆる「映え」ますしね。ところが砂防ダム(堰堤)のある場所はそもそも災害が発生しやすいところであり、周辺が整備されていない危険な場所に築造されているケースがほとんど。また一般のダムに比べて「映え」ませんしね。

ダムと称する場所にいろいろ行った経験から言えるのは、一般のダムを訪れるのは入門向きで、砂防ダムはリスクを理解した中・上級者向けなのかもしれません。でも、砂防ダムに行ったからといって、得るものは何もありません。ただ単に自己満足に過ぎません。もっとも、それがマニアなのかもしれませんけどね。
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あと1mあれば…塩沢砂防ダム(堰堤)

2023-04-02 06:51:09 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上水内郡小川村小根山(かみみのちぐん おがわむら おねやま)にある信濃川水系の塩沢砂防ダムを目指します。ダム名は上流側の地名に由来すると思われます。ちなみにここを流れる川は栗尾沢というらしく、塩沢ではないようです。ともあれ、アクセスは県道31号沿いにある小川神社を目指し、その横の細い道を登っていくと到着します。

左岸から見た「ご尊顔」。コンクリートが良い感じに苔むしていますね。


ダム本体に嵌め込まれたプレート。ダム名は確かに「塩沢砂防ダム」と表示されていますが、よく見ると高さは14m、長さが51mと読めるので、ダムの定義からすると堰堤になります。竣工は1993年6月。


左岸、堰堤の横にある表示板。


これがいわゆるダム上になります。歩いてみましょう。


堰堤上、中央から見た栗尾沢上流方向の景色。


落水部を見ると、こんな感じ。

そして、下流側の様子。


堰堤の中央から左岸側を見ると、こんな感じです。なんらかの工事をしているところのようですね。


左岸、上流側から見た堰堤の様子。いや〜、相当土砂が堆積しています。


堰堤の高さがあと1m以上あればダムだったのに…。うーん、残念!
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親水公園の奥に…二重砂防ダム

2023-04-01 06:59:26 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県大町市美麻二重(みあさ ふたえ)にある信濃川水系の二重砂防ダムを目指します。アクセスは国道148号の「南借馬(みなみかるま)」信号を長野・美麻方面へ向かう県道31号に入り、続いて信州新町へ向かう県道394号のT字路を入ります。そしてすぐのT字路を曲がり蝮坂スノーシェルターへ。道なりに進み、長野方面へ向かう県道497号へ入り、富士浅間神社を過ぎて少し行くと左側に金熊川に架かる橋が見えるのでそこの交差点を右折して登っていくと到着します。

ドーン。なかなかの偉容です。


左岸のダム横へ向かう道があるので歩いていきます。途中にある看板。ダム名は二重沢を堰き止めて築造したことによるもののようです。


ダム本体に嵌め込まれたプレート。高さ16m、長さ52mで、1988年10月に着工し、1992年1月に竣工。


左岸、ダム横から見た様子。ダムの上を歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た上流側の景色。砂防ダムの割に水が溜まっていますね。


落水部はこんな感じ。

そして下流側の景色です。


ダム上、中央から左岸側を見るとこんな感じです。


下流側には親水公園があり、家族連れでも楽しむことができると思います。
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