ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

カネを払ってまでは…木戸ダム(砂防堰堤)

2023-01-16 07:00:20 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県姫路市夢前町新庄(ゆめさきちょう しんじょう)にある夢前川水系の木戸ダムを目指します。アクセスは中国自動車道の「夢前スマートインターチェンジ」を下りて、県道23号を宍粟(しそう)方面へ向かい「前之庄西」交差点を右折。県道67号に入ります。そのまま北上して行くと目的地に到着します。

到着しました。これのようです。


県道67号沿いのあるダムへの入口。えっ? カネとるんかい!訪れた日は休業日だったので取られずに済みましたが。


休業日は入口が閉鎖されているので、県道の脇にクルマを停め、歩いて向かいました。そしてこれがダム上。フェンスがあるのでダム上へ行くことはできません。


上流側から見たダムの様子。


案内板。説明によると、この地には江戸時代前期まで「木戸の関」と呼ばれる関所があったそうな。ダム名はそれに由来するものと思われます。この関所はここから北にある山之内地区への入口であり、当時は道もなく自然が生み出した要塞として南側からの攻撃を防ぐ役割を果たしていたようです。さらに遡れば元弘の乱(1331-1333)により鎌倉幕府の捕虜となった後醍醐天皇が謀反人として1332年に隠岐島に流され、翌年本土に戻り倒幕の策を練ります。しかし当時京都は不安定な情勢だったことから後醍醐天皇を一時的にこの山之内に匿う計画があったとか。そんな安全な地である山之内地区ですが、「木戸の関」の南に位置する前之庄地区へ向かうのは容易ではありませんでした。そして1800年前後に両地区を結ぶ道を拓く工事が開始され、多くの村人の協力のもと1805年に人がようやく通れるほどの道が完成。その後道路の改修が行なわれ、現在の県道67号の形に整えられたのは1991年だそうな。


まあ、ダム名の由来やそれに関係する歴史を学べたとしても、ダムを見るだけならここは駐車料金を払ってまで訪れる場所ではないと思います。なぜなら一番上の写真を見ればわかるように大したダムではないから。それに目測からして、そして形状からするとこれは高さが15m以下の砂防堰堤と思われるからです。ご参考までに。
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退役ため池…氷室ダム(砂防堰堤)

2023-01-15 06:54:34 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県姫路市夢前町山冨(ゆめさきちょう やまとみ)にある夢前川水系の氷室(ひむろ)ダムを目指します。アクセスは県道67号沿いにある「姫路書写ハートフルゴルフクラブ」の看板のあるところの少し北へ行ったところに「道幅狭い」という看板のあるT字路があるので、そこを入っていくと到着します。表示の通り、道幅は本当に狭いので注意が必要です。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。ただ、見た感じ、高さが15mもなさそうなのと形状からして砂防堰堤というのが相応しいかと。


でも、ここへは直接クルマで行くことはできません。クルマで行けるのはここまでで、この先は歩いて行きます。

いや〜、ホントにあるんかな…。

ん? なんだか近づいてきたような。


ダム湖名=氷室池で、築造は古く、天保13年(1842年)に時の姫路藩5代藩主である酒井忠学(さかいただのり:1809-1844)が夢前町玉田と姫路市安室六ヶ村の灌漑水源として完成させたものだそうです。ただし、現在では灌漑用としては使われていないらしい。


左岸のダム横まで登ってきたものの、木が邪魔をしてダム上に行くことを断念。


そこからダム下へ降りる階段があったので下っていきます。


ダム下にはこんな石碑が。氷室池は着工から完成までは5年を要したそうな。しかし池の老朽化が進んだため改修の必要に迫られていました。そして明治36年(1903年)にはこの一帯が砂防地域の指定を受けていたことから平成8年(1996年)に砂防事業による全面改修が行なわれ、現在の形となったようです。


グーグル先生の地図では「氷室ダム」と記載されていますが、形状と規模からすると「氷室砂防堰堤」と呼ぶのが適切かと思われます。ただ、案内板にもあるように現在これは灌漑の役割を果たしていないので、過去の記念物的な扱いという感じがしますね。
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読み方注意!…神谷ダム

2023-01-14 06:58:10 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は兵庫県姫路市豊富町神谷(とよとみちょう こだに)に市川水系の神谷ダムがあるようなので行ってみます。アクセスは国道372号の「小原」信号を加西(かさい)方面へ曲がり、しばらく行くと国道312号方面へ行く県道373号へのT字路があるので左折。そして最初の右斜め前に入る道へ進み、カーブミラーのあるT字路を右折。そのままクネクネと道なりに登って行くと目的地の左岸に到着します。

左岸のダム横に到着したはいいんですが、この先は関係者以外立入禁止とな! あらら〜。



上のリンク先を見ると明らかなように当該ダムは水道用水確保を目的としたものなので、立入禁止なのも無理はありません。完成したのは2000年で、比較的新しいダムと思われます。

これで退散するのも悔しいので、ダム下へ向かってみました。するとダムの斜面に太陽光発電のためのパネルがびっしりと並べられているのを発見。エネルギーの有効活用は素晴らしいことと思いますが、なんか、こう、違和感を覚えるんですよね。


ダム下には神谷ダム太陽光発電所があり、これは兵庫県企画庁が推進する「メガ・ソーラー・プロジェクト」のひとつで、権現ダムや平荘ダムの斜面にもみられた太陽光パネルも同プロジェクトの成果らしい。

最後にダム名について。「神谷」の読み方ですが、ダム便覧では「こたに」と表示していますが、地名は「こだに」と読みます。これはどういうことなんでしょうね。気になったので調べてみたところ、当該ダムから流れ出る川の名称は「神谷川(こたにがわ)」なので、それを堰き止めて築造したところからダム便覧の表記の通りダム名は「こたにダム」が正しいようです。(参考

ダム名について疑問が晴れたのはいいんですが、ダム上を歩けなかったのは返す返すも残念でした!
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それなりの古さ…大柳ダム(砂防堰堤)

2023-01-13 06:59:40 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加西市東剣坂町(かさいし ひがしけんざかちょう)にある天川(あまかわ)水系の大柳(おやなぎ)ダムを訪れます。アクセスは県道372号沿いの「古法華(ふるぼっけ)石仏」の表示のあるT字路を入って行くと目的地に到着します。

当該ダムは古法華自然公園の一部らしく、ダムの上流には古法華石仏や石彫の森などが、また下流にはキャンプ場などがあります。なお、ダム名は下流の県道372号を挟んだ反対側に「大柳町(おやなぎちょう)」というのがあり、それと何らかの関係があるものと思われます。

そうこうするうちに到着です。


地図では確かに「大柳ダム」と記載されていますが、現地の看板を見ると「古法華池」というため池のようです。ちなみに付近には「大柳ダム」と表示されたものはありませんでした。


これがダム上になります。見た感じからすると年代物のよう。歩いてみましょう。


ダム上、中央に来ました。落水部はこんな感じです。


その場所から見た「古法華池」の様子。


一方、ダムの真下を眺めます。


そして下流側の景色。


現地にはこのダムの諸元を記したものがないので、兵庫県のため池データベースを検索するとありました。高さは10.8mで長さは75mだそうです(参考)。ということはダムの定義からするとこれは堰堤になります。しかも形状は砂防ダムに似ているので大柳ダムというよりも「大柳砂防堰堤」とするのが適切かもしれません。でも築造年はいつなんでしょうねえ。そこそこ古いと思いますが。
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副堤的存在…平荘第3ダム

2023-01-12 07:02:24 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市東神吉町升田(ひがしかんきちょう ますだ)にある加古川水系にある平荘(へいそう)第3ダムを訪れます。アクセスは昨日記事にした平荘第2ダムの左岸を走る県道387号を平荘湖に沿って行くと右側に「加古川ウェルネスパーク」のオブジェのようなものが見えてくるので、そこを左に入っていくと目的地に到着します。でも車両は進入できないので適当な場所にクルマを停めて歩いて向かいます。

上のアクセスだとそのままダム上に行くのですが、先にダム下へ行って「ご尊顔」を眺めてみます。でも高さは15.7mなので、ちょっとした壁みたいな感じ。


では、ダム上に向かいます。ここからがダム上で、

いわゆる親柱のところには「平荘貯水池」「第三堰堤」のプレートが嵌め込まれています。昭和41年(1966年)4月竣功。



ダム上、中央から見た平荘湖の様子。


そして下流側の景色。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。親柱のところには右岸にあったのと同じプレートが嵌め込まれています。


この左岸のところから升田山への登山道があります。ここの地名(升田)はこれに由来するものと思われます。


昨日記事にした第2ダムもそうでしたが、この第3ダムにも洪水吐はありません。つまり第1ダムがメインであり、これら2つのダムは副堤的な位置付けのようです。

それにしても平荘第1ダムの右岸にある「平荘湖」の石碑の裏には第4ダムと記されていますが、いったいどこなんでしょうね。案内板の地図にも出ていないし、ネットを検索してもヒットしません。なんか、まるでそれが最初からなかったかのような扱い…。摩訶不思議だ。
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ジジイの罵声!…平荘第2ダム

2023-01-11 06:53:16 | 兵庫(ダム/堰堤)
午前7時といえば、昔からワシが寝る時間。眠りについたその頃、近所のFさんが自治会の集金にやって来ました。Fさんは既に悠々自適の身分ですが、数年前までは青果店を営んでいました。そう、彼の生活リズムでは午前7時はバリバリに起きている時間なのです。とはいえ、午前7時に集金に伺うのは一般的には非常識だと思いますけどね。いや〜、田舎の朝は早い!早すぎる!

どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市平荘町里(へいそうちょう さと)にある加古川水系の平荘第2ダムを訪れます。アクセス方法については昨日の記事をご参照ください。さて、昨日記事にした「第1ダム」と今回の「第2ダム」はそれぞれ独立してはいるものの、そのダム上は実は繋がっているんです。ですが、平荘湖は大きいので一旦ダム下へ降りて、第2ダムの左岸へ移動しました。
 
結果からすると第1ダムのダム上からそのまま第2ダムのダム上へ移動すれば何も起こらずに済んだのですが、これが運の尽き。第2ダムのダム横にクルマを停めようとしたら、そこは駐車禁止の表示が…。仕方ないのでその表示から外れた場所にクルマを停めました。ちょっと気がかりだったのはその場所は歩道に少しかかっていたことです。でも、歩行者が通るのに充分なスペースを空けているので大丈夫だろうと判断。

で、いざダム上に向かおうとしたら、駐車禁止の場所に停まっていた姫路ナンバーの軽のワンボックスからひとりの老人がワシのところに駆け寄って来ました。なんだろうと思った瞬間、

「おい、あんた!そこに停めたら歩行者が通れないだろ!」と、猛烈な罵声を浴びせて来たんです。
「あぁ、すみません。じゃあクルマを移動…」のワシの声を遮るようにこのジジイ、
「そんなところに停めるのは、あんた、人間としておかしい!」

(人間としておかしい?…何を言ってるんだ? このジジイは)

まあ、ワシとしても全く非がないわけでもないので、ともかくクルマを移動しようとするも、ジジイ、

「これから警察に通報する!」と怒声を浴びせてきます。
「いや、すぐに移動しますから…」
「言い訳するな!あんた、そんなこともわからんのか!」
「いや、だから移動すると言ってるでしょう」
「通報する、通報する。あんた、人間としておかしい!」

頭ごなしに怒鳴られ、こちらも怒り心頭なのですが、面倒臭いことに巻き込まれるのは時間の無駄なのでジジイの罵声を背にそそくさとクルマを少し離れた場所に移動しました。

でもね、このジジイに他人を注意する資格なんてないんですよ。なぜならジジイが停めた場所こそ駐車禁止場所だからです。それにジジイは平荘湖を管理する立場の人間でも関係者でもないから。おそらく日頃平荘湖を利用している近所に住むジジイなんでしょうね。

自らの立場もわきまえず、ただただ一方的に怒鳴り散らす。そんな奴とは対話が成立するわけがない。その昔、1932年5月15日に軍部の襲撃犯に暗殺された犬養毅(1855-1932)が「話せば分かる」と語ったそうですが、問答無用の相手に何を言ったって通じるわけがありません。「話せば分かる」のは相手も対話する用意ができていて初めて成立するものだからです。

対話にならない人は世の中にいるもんですね。最初こそ論理でねじ伏せてやろうと思いましたが対話をする気がないことが分かった瞬間、ホント理不尽ですがスルーするしかない境地に達したわけであります。

そうなれば、もうあとは淡々とダム巡りを遂行するのみ。これが左岸側から見た第2ダムの様子です。


そして、これがダム上。ここに写っているのがそのジジイ。何やら不満そうにしていますが、ワシのクルマはとっくに移動しているので文句が言えず、ただこちらを睨んでいます。でもそんなのは華麗にスルー。ザマーミロでございます。


ダム上、中央から見た平荘湖の様子。


一方、ダム下はのどかな景色です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


右岸、下流側から見た様子。


クルマを置いた左岸に戻ってみたら、ジジイの軽ワンボックスカーは消えていました。この場所に停めていたんですよ。


このジジイのせいで、ワシの中の兵庫県の好感度が急降下しました。もちろんこのジジイが例外なのは分かっています。でも県外から来た見学者はこんな理不尽な目に遭うと兵庫県、特に加古川市に対するイメーシが最悪になる。近くの権現湖の悪臭もありますしね。ここが二度と訪れたくない場所としてワシの脳裏に刻まれたのは事実なのでした。
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工業用水確保のための…平荘第1ダム

2023-01-10 11:03:43 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市平荘町池尻(へいそうちょう いけじり)にある加古川水系の平荘ダムを訪れます。アクセスは国道2号と加古川が交差する新加古川大橋を目指し、加古川の右岸を走る県道79号を上流方向へ進むと「←平荘湖」の看板があるのでそこから入っていくと到着します。

ダム名はもちろん地名に由来しますが、平荘町は旧村名の平之荘村から命名されたもののようです。ここ平荘湖には複数のダムがあるのでひとつずつ見ていくことにしましょう。

まずは平荘第1ダムから。ダム下から見上げると左岸側の斜面半分ほどに太陽光パネルが並べられています。

左岸側には洪水吐があり、増水すると水はあそこから流れ出てきます。


アクセスに沿って進んで行くと第1ダムの右岸に辿り着きます。いきなり目に飛び込んでくるのは「平荘湖」と刻まれた石碑。

石碑の裏側には概要が記されています。湖と言うものの、これは人造湖で、築造された目的は東播磨工業地帯へ工業用水を定時供給するためでした。ここに加古川の水を貯水することで工業用水の安定的な確保を目指したのです。昭和38年(1963年)12月に工事着手、昭和41年(1966年)5月に完成しますが、これにより35戸の家屋が移転し、山林や溜池が水没したそうな。


平荘湖には4つのダムがあるようです。


近くにあるこの建物は平荘湖監視所。



その入口の横には平荘ダムの概要を記した案内板があります。あれれ、ここには3つのダムしか記されてませんよ。「第4ダム」はどこにあるんだろうか?謎だ。


まあいいや。とりあえず、その付近から第1ダムを見ると、こんな感じです。


では、ダム上を歩いてみることにします。


第1ダムのダム上、中央から見た平荘湖の様子。


一方、下流側はこんな景色です。


太陽光発電システムの案内板。2016年2月から発電が開始されているそうな。権現ダムにもこれがありましたが、ここで発電された電気はどうするんでしょうね。やはり売電するのかな?


第1ダムの対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


先ほど見た洪水吐を平荘湖側から眺めます。

そこから溢れ出た水はこの水路からあちらへ流れてゆきます。


左岸の斜面中段から見た様子。


権現湖と平荘湖は近い距離にあります。でも権現湖で食らった悪臭はここにはありませんでした。次回は平荘第2ダムを記事にしますが、なんとも理不尽極まりない事態に遭遇します。お楽しみ(?)に!
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酸・甘・苦のハーモニー

2023-01-07 07:01:13 | 脳みその料理
どーも、ワシです。ここ三日間ほど悪臭の話ばかり記事にしていたので、書いている本人も気分が悪くなりました。ちょっとこれは精神衛生上よろしくないなと考えたので、気分転換に今日は今年最初に作ったデザートの写真を載せます。目で味わって悪臭を忘れましょう!



毎度おなじみのヨーグルトムース・ケーキなんですが、今回のポイントはスポンジケーキにコーヒーとシナモンを混ぜたこと。こうすることでヨーグルトの酸味と生クリームの甘さ、そしてコーヒーの苦味が一体となってなんとも言えないハーモニーが生まれます。シナモンのほのかな香りもアクセントになりました。

見た目はシンプルですが、口に入れるとホントに美味いです。ええ、自画自賛ですけど。
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あれ? 匂わないゾ!…権現第3ダム

2023-01-06 07:01:47 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市平荘町中山(へいそうちょう なかやま)にある加古川水系の権現第3ダムを訪れます。アクセスは昨日記事にした権現第2ダムから県道79号を600mほど北上すると権現第3ダムが見えてくるので、その近くのT字路を入っていきます。この第3ダムも権現湖のダムのひとつなので権現湖までのアクセス方法は一昨日記事にした権現第1ダムを参考にしてください。

権現第3ダムは下流側からはこんな感じに見えます。


右岸に通じる道がありそうなので進んで行くと…なんと、クルマでは途中までしか行けません。仕方がないので安全な場所にクルマを停め、そこからは歩いて行きます。


右岸、ダム横に来ました。第1・第2ダムにあったのと同じ案内板がここにもあります。ただ、現在地はちゃんと矢印で示されているので位置関係がわかりやすいです。


右岸にちょっと高い場所があったので、そこからダム上を撮ってみました。


そして、これがダム上です。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た権現湖の様子。


一方、下流側はこんな景色です。写真の中央を横に走っている道が県道79号。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


左岸、権現湖側から見たダムの様子。


あれ? そういえば第1ダムと第2ダムで食らった悪臭がここでは臭わないゾ。ここも権現湖で繋がっているのにどうして? そこから導き出されるのは、権現湖の水が悪臭の元凶である可能性は低いということ。ワシはてっきり汚染された水からあの悪臭が発生していたと思ったのです。とするなら、あの気が狂いそうなほどの悪臭はどこから発生しているのでしょうか。

何度も書きますが、自治体は早急にこの悪臭問題に着手し解決すべきです。生理的に受け付けないあのニオイは絶対人体に有害だと思うから…。
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悪臭充満!…権現第2ダム

2023-01-05 06:55:12 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市平荘町磐(へいそうちょう いわお)にある加古川水系の権現(ごんげん)第2ダムを訪れます。ここは昨日記事にした権現第1ダムと同じ権現湖にあるダムで、アクセスは権現第1ダムから県道79号を北に400mほど行ったところにあります。ただし、第2ダム付近には駐車スペースがないので要注意。クルマは少し離れた場所に停めて歩かなければなりません。なお、権現湖までのアクセスは昨日の記事を参考にしてください。

…というわけで、第2ダムのダム横に来ました。こぢんまりした小さなダムという感じです。


これがダム上になります。ご覧の通り道幅は狭いので車両は通行できません。通れるのはせいぜい自転車くらいです。


第1ダムの右岸にあった案内板とほぼ同じものがここにもあります。現在地は地図の中の矢印のところ。


ダム上、中央から見た権現湖の景色です。向こう岸に見えるのが第1ダムで、

ズームしたところがラビリンス型の洪水吐がある場所。


一方、下流側はこんな感じ。


対岸(左岸)に来ました。距離が短いので、あっという間です。


第2ダムとはいえ、ここには洪水吐はありません。たぶん第1ダムの副ダム的な役割を果たしていると思われます。

昨日の記事でも触れましたが、ここも嫌なニオイが全開!息を吸うのも嫌になります。でも吸わないと死んでしまうので恐る恐る吸うのですが、嫌悪するニオイがたちまち鼻腔に飛び込んできます。もうね、気が狂いそう。

だから足早にこの場所を後にしました。
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悪臭対策を!!…権現第1ダム

2023-01-04 06:55:57 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市平荘町上原(へいそうちょう うえはら)にある加古川水系の権現第1ダムを訪れます。ここのダム湖名は「権現池(ごんげんいけ)」と言い、そこには3つのダムがあるようです。それぞれのダムは独立しているので記事も3つに分けたいと思います。権現池へのアクセスは国道2号と加古川が交差する新加古川大橋を目指し、加古川の右岸を走る県道79号を上流方向へ進んで行くと目的地の左岸に辿り着きます。

権現池のメイン・ダムというべき第1ダムは下流側から県道79号を走ってくると見えてきます。どうやら右岸側に洪水吐があり、ダムの斜面には太陽光発電パネルがびっしりと並んでいます。


左岸のダム横に来ました。そこには「権現ダム」と刻まれた石碑があります。おそらく3つのダムを総称してそう呼ぶのでしょう。

その裏側には概要が記されています。それによれば、当該ダムは加古川工業用水道第2期事業として東播磨工業地帯へ工業用水の供給を確保するために築造されたもので、昭和53年(1978年)12月に工事着手、昭和57年(1982年)3月に完成。そしてダム築造にあたり家屋36戸のほか田畑・山林などが水没したそうな。


石碑の近くには断面図や地図などが記された案内板があります。


また、先ほど目にした太陽光発電パネルを使用して発電も行なっています。パネル枚数、何と6,912枚!2014年11月から発電が開始されているとか。疑問なのはここで発電した電気はどこで使われるのでしょうね。もしかして電力会社へ売電する?


これがダム上。立入禁止ではないので歩いていきます。


ダム上、中央から見た権現湖の様子。写真右側に見えるのが権現第2ダム。



そして、下流側はこんな景色です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。写真の白いフェンスの下が洪水吐の水路になっています。


そのフェンスの間から見た洪水吐がこちら。珍しいラビリンス型です。このタイプの洪水吐は以前訪れた中では秋田県雄勝郡(おがちぐん)の松倉ダム(ため池)、そして和歌山県日高郡の亀尾池もそうでした。でも、権現ダムのはそれらよりも規模がデカいので見応えがあります。


そして、洪水吐から溢れ出た水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。


あとで判明するんですが、この案内板は第2、第3ダムにもあります。ただ違うのはそれぞれの「現在地」が示されている点です。でもわかりやすいので見学者からするとありがたい限り。


写真だと伝わらないんですが、実はここ、メチャクチャ嫌なニオイがするんですよ。何のニオイだろう…。これまで嗅いだことのないニオイなんです。それはマスクをしていても鼻腔に突撃してきます。我慢すれば何とかなるレヴェルじゃない。単刀直入に言うとメンタルすらやられそうになる…そんなニオイなんです。

この周辺に暮らす人たちはこのニオイについてどう思っているんでしょうね。誇張でも何でもなく、自治体はこのニオイの原因を早急に突き止め、対策を講じる必要があると思いますよ。

本当なら、もっと長くダムを見ていたかったんですが、あまりの悪臭により逃げました。
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加古川大堰に立ち寄る

2023-01-03 06:54:36 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県加古川市八幡町中西条(やはたちょう なかさいじょう)にある加古川水系の加古川大堰(おおぜき)を目指します。アクセスは国道2号(加古川バイパス)の加古川中央ジャンクションから加古川小野線に入り、八幡稲美インターで降りると県道65号に出るのでそれを右折。そのまま加古川を渡ろうとすると左方向に目的地が見えてきます。実を言うと、最初から加古川大堰を目指していたわけではありませんでした。たまたま加古川を渡っている最中に目に入ったので行ってみようと思った次第。

…というわけで、まずは右岸側に行ってみることに。加古川沿いに進んで行くとこんな風に見えてきます。


右岸側の道沿いには取水口設備とみられるものがあります。向こうに見えるのは県道65号が通っている橋。


取水された水は右岸の道の下を通ってあちらへ流れゆきます。


右岸から川へ近づきます。これは魚道。向こう(下流)からこちらへ向かってお魚さんたちが遡ってくる道です。

これは何でしょうね。魚道にもちょっとした障害物が用意されているんでしょうか。お魚さんに試練を与えるとか?


その魚道を下流から見た様子。階段状になっているのは流れの勢いを弱めるためです。これは言うなれば長野県の牛伏川(うしぶせがわ)にあるフランス式階段工みたいなもの。(参考


右岸、下流側から見た様子。凛々しいお姿。


右岸の下流側にも取水設備があります。


そして、右岸から見た管理橋の様子。


では、管理橋を歩いてみます。その中央から加古川の上流方向を見るとこんな感じ。


一方、下流側の景色です。


大堰本体に貼られたゲートのプレート。このゲートは昭和60年(1985年)3月に設置されたとあります。


管理橋の路面には「加古川大堰」と大書されていて、空からでも認識できるようになっています。


左岸側にも魚道が用意されていて、

お魚さんたちはここから魚道を通って上流へ遡ることができます。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


この場所は加古川河口から11.8kmだよっていう標識。


左岸、上流側から大堰を見ると、こんな感じ。


同、下流側から見た様子。


左岸側にあるこの建物が「姫路工事事務所 加古川分室」で、加古川大堰のいわば管理所らしい。

「定礎」の石碑。昭和58年(1983年)1月とあります。


大堰周辺には案内板のようなものは見当たらなかったのでネットで調べてみました。昭和43年(1968年)から調査が開始され、工事は昭和55年(1980年)に着手。そして大堰本体は昭和59年(1984年)10月にほぼ完成。その後周辺設備が整備され、平成元年(1989年)7月26日に竣工式を行なったようです(参考)。
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暴飲をフィーチャー?…呑吐ダム

2023-01-02 07:02:52 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県三木市志染町三津田(みきし しじみちょうみつだ)にある加古川水系の呑吐(どんど)ダムを訪れます。アクセスは山陽自動車道の「三木東インター」で降りて左折し、少し進み三田(さんだ)・淡河(おうご)方面に左折します。そして県道85号の「御坂東(みさかひがし)」信号を南方向へ曲がり、しばらく行くと「呑吐ダム」の看板があるのでそこを入って行くと到着します。

まずは右岸から見たダムをご覧ください。こんなダムです。


では、順を追って見ていきます。「呑吐ダム」の看板のあるところを入って行くと、最初に目にするのが管理所の建物。正式名称は「農林水産省 近畿農政局 加古川水系広域農業水利施設総合管理所」だそうです。うーん、長いな。



管理所の門の横には「呑吐ダム概要図」があります。この下のところにダム名の由来が書かれています。それによると当該ダムの上流にかつてあった「呑吐の滝」なるものに由来するとのこと。そして築造によってできたダム湖は「つくはら湖」と言うそうな。ちなみに岡山県を流れる閑谷川にも「呑吐滝」があるようですが、こちらは「どんと」と読むようです(参考)。KINCHOの使い捨てカイロか!…と思わずツッコミ。



概要図の隣には加古川水系の水利施設の説明図があります。




呑吐ダムは管理所の横の道を下って行くとあります。その途中の壁面には子供にもわかるような案内板があります。これによれば以前訪れた川代ダムから川代導水路を経た水は大川瀬ダムに至り、さらに大川瀬導水路から呑吐ダムへ流れ込むルートになっているようです。


この案内板のところから見たダムの様子。


左岸、ダム横に来ました。近くには水利使用標識があります。灌漑用水と上水道用水確保を目的としたダムなんですね。


左岸、下流側から見たダム。凛々しいねえ。


ダム本体に嵌め込まれた「どんどダム」のプレート。平仮名表記だとちょっとユーモラスに思えるから不思議です。


これがダム上です。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た「つくはら湖」の様子。そういえばダム湖名の由来はなんだろうなあ。調べてみると、ダム湖の右岸上流の地名が山田町衝原(やまだちょうつくはら)なのでそれに由来するものと思われます。


一方、下流側を見ようとすると、ご丁寧に下流から見た洪水吐ゲートの写真が貼られていました。

その洪水吐の上から真下を見ると、こんな感じ。

そして下流側の遠景。ダム上の高さが71.5mなので空撮しているように見えます。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。


「呑吐ダム」の説明書き。ダム築造の計画は昭和46年(1971年)に開始され、昭和61年(1986年)に工事が完成したそうな。呑吐ダムは「加古川 水の新百景」に選定されていますが、笑っちゃうのはリンク先を見ると選定地は百景どころか135箇所もあること。絞りきれなかったのかなあ。 ちなみに呑吐ダムは131番です。


右岸、「つくはら湖」側から見たダムの様子。


呑んで吐くダムってどんなダムやねん!と訪れる前には思っていました。大酒飲みのダムか!と。でもそれは上流にあった滝の様態、つまり滝から落ちる水が呑み込まれるように落ち、そして滝壺から吐き出されるように湧いてくるさまから呑吐の滝と呼ばれるようになったことを知り、むしろそのネーミング・センスに感心しました。着眼点が素晴らしい!もっとも、これは滝の話であって、当該ダムは「呑吐」をフィーチャーしただけで呑んで吐くようなことはないんでしょうけどね〜。
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急坂の上のロマン!…立ヶ畑ダム

2023-01-01 07:08:50 | 兵庫(ダム/堰堤)
新年が明けました。今年は変動の年になるという話をどこかで聞きました。何が変わるのかわかりませんが、ワシはマイペースで「ダム巡ラー」の道を邁進して行く所存です。本年もお楽しみくださいね。

…というわけで、改めまして、どーも、ワシです。今回は兵庫県神戸市兵庫区千鳥町(ちどりちょう)にある新湊川水系の立ヶ畑(たちがはた)ダムを訪れます。アクセスは国道428号の「平野」信号を西へ曲がり、山麓線という道路を進んで行きます。そして最初の緩い左カーブのところを直進し、ウニャウニャ行くと目的地に到着します。このウニャウニャ道、急勾配で本当に細いので気をつけましょう。対向車が来たら完全にアウトなので。いや〜、来るんだなぁ、これが。

到着しました。立ヶ畑ダムはこんなフォルムをしています。


では、順を追って見ていきましょう。ウニャウニャ道の急坂を登ってくるとダムへの入口があり、そのまま進むと右岸に辿り着きます。おー、これかぁ。


右岸のダム横から見た様子。ダム上は微妙にカーブしていますね。


本体には「大正三年拡張」と刻まれています。大正三年?1914年じゃないですか!今から109年前!! でも拡張というからには築造されたのはもっと前なんでしょうかね。


本体の別の面には「近代化産業遺産」のプレートが。


そのリンク先を見ると烏原ダムと表示されていますが、烏原とは地名でもありますが、調べてみると、どうやら元々このあたりは烏原村(人口414人、98戸)で、明治37年(1904年)に貯水池を築造するために湖底に水没。そこで「烏原貯水池」と命名されたようです(参考)。じゃあ、「立ヶ畑」という名称の由来はなんだろうってなりますが、それについて検索してみるもヒットしませんでした。うーん、気になる。

「石うすについて」と題された表示板。なんだ、なんだ、唐突に…。と思い、説明を読んでみると右岸の護岸中段に160個の石臼が並べられているそうな。この石臼は貯水池が築造される前、結果的に水没することになる烏原村で使用されていたものらしい。木の皮をこの石臼で挽いて線香の原料を製造していたというのだ。石臼が並べられているのは、水没により離村するにあたり足跡を残したいという願いからだという。残念ながらその石臼は目視では確認できませんでした。


右岸から見た立ヶ畑ダムの様子。

ズームしてみると石積みの壁面であるのがわかります。これは少し前に記事にした千苅ダムと同じ工法ですね。やはり大正期に築造されたダムに共通する特徴と言えるでしょう。


では、ダム上を歩いてみることにしましょう。ダム上、中央から見た貯水池の様子はこんな感じ。


一方、ダムの下の様子と、

下流側の遠景です。


ダム上、中央には大正モダンを思わせる建物があります。

「養而不窮」の原典は古代中国の五経(儒教の基本書籍)のひとつである『易経』の48番目《䷯井》にあります。著者は中国の伝説的帝王と言われる伏羲(ふぎ)。なお、易経という名称は宋代以後、儒教の教書とされてからのもので、本来の署名は『易』または『周易』。原文は「井養而不窮也」で、「井戸は人々を養っても枯れることはない」という意味。

横文字表記も千苅ダムと同様にあります。これによると1901年に工事に着手し、1904年に竣工したことがわかります。興味深いのは烏原貯水池を「KARASUWARA RESERVOIR」と表記していること。現在の烏原町は「からすはらちょう」と読みますが、湖底に水没した烏原村は「からすわらむら(そん)」だったんでしょうか…。

この隣の銘板には工事に携わった技術者の氏名が刻まれています。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


左岸、貯水池側から見たダムの様子。


どうやら貯水池の上流にはダムの概要が書かれた案内板があるようで、それによると明治10年(1877年)、神戸市でコレラが流行。伝染病予防のため貯水池が必要と判断した当時の市長、鳴滝幸恭(なるたきゆききよ:1849-1925)の主導のもとダム工事が開始されたそうです。また、上に「大正三年拡張」とあるのは翌年(1915年)3月にダムの高さを2.7m嵩上げしたことを示すもののようです(参考)。

住宅地の間の急坂を登った先にはこんな立派なダムがあるのには驚きました。でも、心残りは「立ヶ畑」の由来。築造の経緯からすると烏原ダムで良いと思うのになぜ立ヶ畑ダムという名称になったんでしょうねえ。
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