どーも、ワシです。今回は兵庫県姫路市夢前町山冨(ゆめさきちょう やまとみ)にある夢前川水系の氷室(ひむろ)ダムを目指します。アクセスは県道67号沿いにある「姫路書写ハートフルゴルフクラブ」の看板のあるところの少し北へ行ったところに「道幅狭い」という看板のあるT字路があるので、そこを入っていくと到着します。表示の通り、道幅は本当に狭いので注意が必要です。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。ただ、見た感じ、高さが15mもなさそうなのと形状からして砂防堰堤というのが相応しいかと。

でも、ここへは直接クルマで行くことはできません。クルマで行けるのはここまでで、この先は歩いて行きます。

いや〜、ホントにあるんかな…。

ん? なんだか近づいてきたような。

ダム湖名=氷室池で、築造は古く、天保13年(1842年)に時の姫路藩5代藩主である酒井忠学(さかいただのり:1809-1844)が夢前町玉田と姫路市安室六ヶ村の灌漑水源として完成させたものだそうです。ただし、現在では灌漑用としては使われていないらしい。

左岸のダム横まで登ってきたものの、木が邪魔をしてダム上に行くことを断念。

そこからダム下へ降りる階段があったので下っていきます。

ダム下にはこんな石碑が。氷室池は着工から完成までは5年を要したそうな。しかし池の老朽化が進んだため改修の必要に迫られていました。そして明治36年(1903年)にはこの一帯が砂防地域の指定を受けていたことから平成8年(1996年)に砂防事業による全面改修が行なわれ、現在の形となったようです。

グーグル先生の地図では「氷室ダム」と記載されていますが、形状と規模からすると「氷室砂防堰堤」と呼ぶのが適切かと思われます。ただ、案内板にもあるように現在これは灌漑の役割を果たしていないので、過去の記念物的な扱いという感じがしますね。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。ただ、見た感じ、高さが15mもなさそうなのと形状からして砂防堰堤というのが相応しいかと。

でも、ここへは直接クルマで行くことはできません。クルマで行けるのはここまでで、この先は歩いて行きます。

いや〜、ホントにあるんかな…。

ん? なんだか近づいてきたような。

ダム湖名=氷室池で、築造は古く、天保13年(1842年)に時の姫路藩5代藩主である酒井忠学(さかいただのり:1809-1844)が夢前町玉田と姫路市安室六ヶ村の灌漑水源として完成させたものだそうです。ただし、現在では灌漑用としては使われていないらしい。

左岸のダム横まで登ってきたものの、木が邪魔をしてダム上に行くことを断念。

そこからダム下へ降りる階段があったので下っていきます。

ダム下にはこんな石碑が。氷室池は着工から完成までは5年を要したそうな。しかし池の老朽化が進んだため改修の必要に迫られていました。そして明治36年(1903年)にはこの一帯が砂防地域の指定を受けていたことから平成8年(1996年)に砂防事業による全面改修が行なわれ、現在の形となったようです。

グーグル先生の地図では「氷室ダム」と記載されていますが、形状と規模からすると「氷室砂防堰堤」と呼ぶのが適切かと思われます。ただ、案内板にもあるように現在これは灌漑の役割を果たしていないので、過去の記念物的な扱いという感じがしますね。
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