三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「植民地時代の日本人所有地を国有化 今後も調査継続=韓国」

2018年08月26日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/14/0200000000AJP20180814001200882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/14 13:23
■植民地時代の日本人所有地を国有化 今後も調査継続=韓国
【大田聯合ニュース】韓国調達庁は14日、日本による植民地時代に日本の個人や法人、機関が所有しており1948年9月の韓米協定に基づき韓国政府に譲渡された韓国領土内の財産(帰属財産)と、植民地時代に不当に私有化された日本人名義の財産(隠匿財産)の計228万9805平方メートル(3373筆)を7月末までに国有化したと発表した。
 調達庁は国土交通部や国家記録院の資料を基に、国家に帰属する必要がある帰属財産と疑われる土地3万5520筆を選び出し、このうち創氏改名や売却・分配、課税資料の確認などを経て3283筆を国有化した。
 隠匿財産についても、疑いのある土地163筆を対象に訴訟などを経て90筆を国有化した。
 調達庁の公共物資局長は「帰属財産と隠匿財産の調査と国有化は国家財産を増やす効果があるだけでなく、日帝時代の残滓(ざんし)を清算し、歴史を正す上でも意味のあることだ」と述べ、今後も帰属財産、隠匿財産と疑われる土地は最後まで追跡し、国有化を進めると表明した。


http://japanese.joins.com/article/991/243991.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」 2018年08月13日17時23分
■韓国、蔚山で日帝強制占領期神社の碑石を発見…処理が問題に
 過去蔚山(ウルサン)小学校の敷地から日帝強制占領期に製作された蔚山神社の鳥居に推定される碑石が発見された。
 13日、蔚山市などによれば、2015年市立美術館の建設のために旧蔚山小学校を撤去する過程で日帝強制占領期に製作された蔚山神社の鳥居に推定される碑石が発見された。
 長さ1.8メートルの碑石の表面には「皇太子殿下御降誕記念鳥居」という文字が書かれている。皇太子の誕生を祝う記念物という意味だ。碑石の側面には「昭和9年(1934年)10月6日」という製作時期も記されている。中間の部分が破損された碑石は2つに割れている。
 文化芸術観光振興研究所のイ・ギウ代表は12日、慶尚(キョンサン)日報とのインタビューで「蔚山神社に入る入口の鳥居につけられたものとみられる。碑石の表面には建築物に碑石をつける時使うタールのような成分がそのまま残っている」と話した。
 蔚山市は碑石の活用・保存案を模索するために悩んでいると知らされた。蔚山市関係者は13日、聯合ニュースに「碑石が遺物として価値が大きくなく、今後建設される市立美術館と客舎に日本神社の碑石を改めて置くのが正しいかも悩み」とし「関係機関などと活用案を探りたい」と話した。


http://japanese.joins.com/article/969/243969.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年08月13日10時46分
■ソウル市中区、日本人名義の建築物636件抹消…「光復節迎え日帝残滓清算」
 ソウル市中区が日本人名義で登録された建築物636件をすべて抹消すると13日に明らかにした。
 中区は4月から2カ月間にわたり建築物台帳106件と登記簿530件など日本人名義となっている建築物636件すべてを現場調査した。これらの建物は実際にはなかったり存置を確認するのが困難と判断し抹消手続きに入った。
 これに伴い、建築物台帳に日本人名義で掲載されている106件のうち建物がなかった97件は区で職権抹消し、存置を証明できない9件は現所有者が抹消を申請するように案内した。実在せず登記簿にだけ残っていることが確認された530件も現所有者が登記抹消を申請することになる。
 中区のソ・ヤンホ庁長は「光復節を迎え日帝残滓を清算することになり一層意味がある。このように現実や住民感情とかけ離れたものが残っているならば見つけ出して正すだろう」と話している。
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「韓国放送局、強制徴用裁判延期は「韓日慰安婦合意のための交渉用」疑惑提起」

2018年08月26日 | 韓国で
http://japanese.joins.com/article/343/244343.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」  2018年08月24日06時34分
■韓国放送局、強制徴用裁判延期は「韓日慰安婦合意のための交渉用」疑惑提起

【写真】2015年12月28日、ソウル外交部庁舎で韓国の尹炳世外交部長官(右)と岸田文雄前外相が慰安婦問題の解決策をさぐる会談に先立ち、握手をしている。

 朴槿恵(パク・クネ)前大統領政府時代、韓日慰安婦合意のために強制徴用裁判を延期した情況が明らかになったと、韓国公営放送KBS(韓国放送公社)が報じた。
 KBSは21日、「慰安婦合意妥結のため強制徴用裁判を延期」という単独報道を通じて、「2014年10月、金淇春(キム・ギチュン)前大統領秘書室長がソウル三清洞(サムチョンドン)の公館で秘密会合を開いた」とし「当時、朴炳大(パク・ビョンデ)最高裁判事と尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官、趙允旋(チョ・ユンソン)政務首席、そして鄭宗燮(チョン・ジョンソプ)安全行政部長官などが参加した」と伝えた。
 続いて「朴判事が強制徴用裁判の状況を説明し、外交部が強制徴用裁判の延期を要請した」とし「慰安婦合意のために政府部署と司法府まで総動員した」と伝えた。
 韓国と日本は2015年12月に韓日慰安婦合意を成功させた。日本政府予算で慰安婦関連財団を設立し、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されたことを確認した。しかし、慰安婦被害当事者に対する配慮がなかったという点で被害当事者やその支援団体から反発を受けることになった。また、韓国政府の慰安婦関連団体の説得努力や海外少女像建設を支援しないなどの裏面合意の存在も明らかになった。
 これに対し、文在寅(ムン・ジェイン)政府は慰安婦タスクフォース(作業部会)を設置して韓日慰安婦合意を検討した。この検討に基づき、康京和(カン・ギョンファ)外交部長官は今年1月9日、慰安婦合意の処理方向についての立場発表を通じて「2015年12月に行われた韓日両国間の慰安婦合意は問題の真の解決にはなりえない」としつつも「再協議は要求しない」と明らかにした。
 続いて「ただし、日本自らが国際普遍基準により、真実をありのまま認めて、被害者の名誉・尊厳の回復と心の傷を癒やすために努力し続けることを期待する」とし「被害者のおばあさんが一様に望んでいるのは自発的で誠意のこもった謝罪」と強調した。
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「慰安婦:「絵で心の傷癒やすハルモニたちの勇気を伝えたい」」

2018年08月26日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/08/22/2018082200901.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/08/22/2018082200901_2.html
「朝鮮日報日本語版」 2018/08/22 11:02
■慰安婦:「絵で心の傷癒やすハルモニたちの勇気を伝えたい」
 裸のまま顔を覆っている少女と、その少女に手を伸ばす日本人兵士(故・姜徳景〈カン・ドッキョン〉さんの『奪われた純情』)、兵士に片腕をつかまれてどこかへ連れて行かれる少女の驚いた表情(故・金順徳〈キム・スンドク〉さんの『連れて行かれる』)…。

 「最初に絵を見た時、息が止まるような思いがしました。数十年前、地獄だったその瞬間を描こうと、おばあさんたちは何度筆を取ったり置いたりしたんだろうと思うと、こみ上げてくるものがありました」。画家イ・ギョンシンさん(50)は1993年から97年まで「ナヌムの家」で暮らす旧日本軍従軍慰安婦だった女性たちに絵の指導をした「最初の絵の先生」だ。イ・ギョンシンさんは当時のエピソードをまとめたエッセー『咲けなかった花』(ヒューマニスト社)を出した。
 91年に弘益大学絵画科を卒業したイ・ギョンシンさんが元慰安婦の女性たちに初めて会ったのは93年2月のことだった。ソウル市麻浦区にナヌムの家ができて4カ月目だった。イ・ギョンシンさんは「ハングル(韓国語の文字)を教えるボランティアを募集しているというラジオ放送を偶然聞いてナヌムの家を訪れました。ですが、ハングルを教えるよりも私が得意な絵でおばあさんたちに接してみようと思いました」と言った。
 絵の教室は週1回行われた。絵筆を初めて取るという女性たちの反応は良くなかった。「何も言わないおばあさんたちのそばに行って『お上手に描いていますね』『これは何を表現しているのですか』と話かけ、見守るのが私の仕事でした」。だが、1-2年過ぎると女性たちの表現力は大幅に上がった。中でも姜徳景さんと金順徳さんが熱心だった。「姜徳景さんは、自身をわなにかけて縛り付ける木で日本兵を表現したり、ハトで自由への希望を表現したりと、象徴物をよく使っていました。一方の金順徳さんはシンプルだけれども素朴な線を主に使って表現していました。『私が絵を習うなんて牛に笑われそうだね』と言っていましたが、心の傷を癒やしていくおばあさんたちの勇気を見て、毎回感心していました」
 95年に絵を描くことによる癒やしプログラムを終えてアーティスト活動をしてきたイ・ギョンシンさんが、25年前のエピソードを本にまとめることにしたのは、2015年の慰安婦問題韓日合意で衝撃を受けたためだ。「当時の合意過程でおばあさんたちの意見は後回しでした。日本は韓国政府に慰労金を握らせ、不可逆的な解決だとクギを刺しました。だから、おばあさんたちの話をもう一度しようと思いました」
 現在、韓国政府に登録されている慰安婦被害者239人のうち、国内の生存者は27人。イ・ギョンシンさんに絵を習った女性たちで生存しているのは李容洙(イ・ヨンス)さんだけだ。「光復節(日本による植民地支配からの解放記念日、8月15日)の前日、李容洙さんにお会いして本を渡しました。喜んでくださって、『先生もだいぶ老けたね!』と力強く笑っていらっしゃいました。25年前のあの時も今も慰安婦問題解決のため堂々と声を上げていらっしゃって、感謝しかありません」
 イ・ギョンシンさんは「おばあさんたちが痛みと心の傷を乗り越えるために見せてくださった強さを多くの方々と分かち合いたい。つらい人生を送っている方々にとって、おばあさんたちの勇気が希望になれば」と語った。

     キム・スンヒョン記者
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