紀州鉱山の真実を明らかにする会で、9月5日から17日まで、海南島に行った。1998年6月いらい、9回目だった。
わたしは、5日から14日まで参加し、11日から14日までは、崔文子さん、海南島戦時性暴力被害訴訟の支援をしているハイナンNETの山田祥子さん(仮名)と鈴木良絵さん(仮名)が合流した.
今回の目的は、1、さらなる日本の侵略史調査、2、海南島の人たちとの共同調査・共同研究を具体的にすすめること、3、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』の上映会をすること、4、「朝鮮村」の地権問題の現状を把握することなどであった。
1、海南島中央部の瓊中黎族苗族自治県に行った。抗日遊撃隊の根拠地であった山間部で、日本軍が空爆を繰りかえしたあと侵入し、村落を破壊した地域である。
烏石で、たくさんの人たちに話を聞かせていただいた。夫を殺された女性、父と兄を殺された女性……。陳さんは、1944年冬に日本兵に刀で刺された数箇所の傷跡を見せてくれた。
車が入らない道をオートバイで1時間くらい山中に入った。そこにも、日本軍の基地が築かれたという。その近くの黎族の村に日本軍の性奴隷にさせられた女性が4人おられると聞いた。
この地域でのわたしたちの「調査」は始まったばかりである。
2、海南広播電視台主任ニュースキャスター姜さん(中国東北部から来た朝鮮族)、海南師範大学の王さんら、海南大学の李琳さんや銭家英さんらと、今後の共同作業について話し合った。姜さんは、海口市内で旧日本軍司令部の建物を発見していた。11日から14日まで、李琳さんと銭家英さんがわたしたちの調査に参加した。3、村委員会の全面的協力によって、9月13日に、回新村で上映会を持つことができた。9月6日に、回新村委員会の人たちと上映会を村内で開く話し合いをしているとき、村委員会の人が、哈(ハ)さんをオートバイで連れてきてくれた。
哈さんは、わたしたちが何回もお会いして、回新村近くの日本軍飛行場建設をさせられていた「朝鮮報国隊」の労働の様子や殺された人の話、宿所の場所、日本軍司令部の場所などを教えていただいた人で、その証言の映像がドキュメンタリーのなかにある。
病気の治療のために午後に広州に行くのだと言う哈さんと、また会いましょうといって別れたが、16日に上映会のために回新村に行くと、村委員会の人が哈秉尭さんは14日に亡くなったと、話した。
回新村での上映は、雨上がりの午後8時から、村入り口の建物の壁に投射した大画面で、野外でおこなった。子どもから大人までさまざまな年齢の人たちが見てくれた。上映後、何人もの少女たちから、自分は今来たばかりで見ていない、今度はいつするのか、どこから来たのかと、尋ねられた。日本から来たが、日本人ではなく朝鮮人だ、来年の春また来て上映するから、その時はきっと見てね、と言って少女たちと別れた。
16日には海南師範大学で、王さんの協力で、上映会をおこなった。
4、「朝鮮村」の地権問題は、まだ不確かなことが多い。「朝鮮村」のすぐ近くに、大学の建物が建設中で、村を横切って、幅10メートル近い道路がつくられていた。
わたしは、5日から14日まで参加し、11日から14日までは、崔文子さん、海南島戦時性暴力被害訴訟の支援をしているハイナンNETの山田祥子さん(仮名)と鈴木良絵さん(仮名)が合流した.
今回の目的は、1、さらなる日本の侵略史調査、2、海南島の人たちとの共同調査・共同研究を具体的にすすめること、3、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』の上映会をすること、4、「朝鮮村」の地権問題の現状を把握することなどであった。
1、海南島中央部の瓊中黎族苗族自治県に行った。抗日遊撃隊の根拠地であった山間部で、日本軍が空爆を繰りかえしたあと侵入し、村落を破壊した地域である。
烏石で、たくさんの人たちに話を聞かせていただいた。夫を殺された女性、父と兄を殺された女性……。陳さんは、1944年冬に日本兵に刀で刺された数箇所の傷跡を見せてくれた。
車が入らない道をオートバイで1時間くらい山中に入った。そこにも、日本軍の基地が築かれたという。その近くの黎族の村に日本軍の性奴隷にさせられた女性が4人おられると聞いた。
この地域でのわたしたちの「調査」は始まったばかりである。
2、海南広播電視台主任ニュースキャスター姜さん(中国東北部から来た朝鮮族)、海南師範大学の王さんら、海南大学の李琳さんや銭家英さんらと、今後の共同作業について話し合った。姜さんは、海口市内で旧日本軍司令部の建物を発見していた。11日から14日まで、李琳さんと銭家英さんがわたしたちの調査に参加した。3、村委員会の全面的協力によって、9月13日に、回新村で上映会を持つことができた。9月6日に、回新村委員会の人たちと上映会を村内で開く話し合いをしているとき、村委員会の人が、哈(ハ)さんをオートバイで連れてきてくれた。
哈さんは、わたしたちが何回もお会いして、回新村近くの日本軍飛行場建設をさせられていた「朝鮮報国隊」の労働の様子や殺された人の話、宿所の場所、日本軍司令部の場所などを教えていただいた人で、その証言の映像がドキュメンタリーのなかにある。
病気の治療のために午後に広州に行くのだと言う哈さんと、また会いましょうといって別れたが、16日に上映会のために回新村に行くと、村委員会の人が哈秉尭さんは14日に亡くなったと、話した。
回新村での上映は、雨上がりの午後8時から、村入り口の建物の壁に投射した大画面で、野外でおこなった。子どもから大人までさまざまな年齢の人たちが見てくれた。上映後、何人もの少女たちから、自分は今来たばかりで見ていない、今度はいつするのか、どこから来たのかと、尋ねられた。日本から来たが、日本人ではなく朝鮮人だ、来年の春また来て上映するから、その時はきっと見てね、と言って少女たちと別れた。
16日には海南師範大学で、王さんの協力で、上映会をおこなった。
4、「朝鮮村」の地権問題は、まだ不確かなことが多い。「朝鮮村」のすぐ近くに、大学の建物が建設中で、村を横切って、幅10メートル近い道路がつくられていた。