と き :2008年3月9日(日) 午後1時~4時
と こ ろ :紀州鉱山跡地(熊野市紀和町板屋)
主 催 :紀州鉱山の真実を明らかにする会
紀州鉱山を経営していた石原産業が、1946年9月に三重県内務部に出した「名簿」によれば、紀州鉱山では、アジア太平洋戦争中に1000人を越える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
この「名簿」や紀州鉱山で亡くなった労働者の名を記した石原産業の『従業物故者 忌辰録』、紀和町の寺に残された遺骨や記録によって、紀州鉱山で、30人余りが亡なくなっていることがわかりました。
『紀和町史』には、紀州鉱山に朝鮮人が強制連行されていたことは、ひとことも書かれていません。また、紀和町にある鉱山資料館にも、朝鮮人についての「展示解説」はありません。
紀州鉱山には、「泰緬鉄道」工事で生き残ったイギリス軍捕虜300人も強制連行され働かされていました。そのうち亡くなった16人の「墓」が、「外人墓地」と名づけられ、「紀和町指定文化財」とされています。これは、石原産業の社長石原宏一郎がA級戦犯容疑者として逮捕されてから、急遽つくられたものです。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1997年2月の会結成前から、韓国で、紀州鉱山に強制連行された人びとの故郷を訪ね歩き、存命の方たちからお話しを聞かせていただいていました。そして、紀州鉱山での朝鮮人強制連行・強制労働の事実をおおくのみなさんとともに明らかにしていくとともに、亡くなった朝鮮人を追悼するための何かをしたいと考えてきました。
それから、10年以上が過ぎました。わたしたちの怠慢をお詫びするとともに、みなさんとともに、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する集会をおこないたいと思います。
ぜひご参加ください。
追悼集会の前日、8日に、紀州鉱山の「現地調査」をおこないます。
選鉱所跡、坑口、朝鮮人労働者の宿所跡、墓地、朝鮮人の遺骨が残されていた本龍寺、朝鮮人犠牲者の名が記されている「記録帳」がある慈雲寺などを回るとともに、当時のことを知るかたから証言を聞かせてもらいます。
「現地調査」のあと、8日は、朝鮮人宿所があった湯の口に宿泊します。
連絡先 竹本 昇
電話090-8860-9961
と こ ろ :紀州鉱山跡地(熊野市紀和町板屋)
主 催 :紀州鉱山の真実を明らかにする会
紀州鉱山を経営していた石原産業が、1946年9月に三重県内務部に出した「名簿」によれば、紀州鉱山では、アジア太平洋戦争中に1000人を越える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
この「名簿」や紀州鉱山で亡くなった労働者の名を記した石原産業の『従業物故者 忌辰録』、紀和町の寺に残された遺骨や記録によって、紀州鉱山で、30人余りが亡なくなっていることがわかりました。
『紀和町史』には、紀州鉱山に朝鮮人が強制連行されていたことは、ひとことも書かれていません。また、紀和町にある鉱山資料館にも、朝鮮人についての「展示解説」はありません。
紀州鉱山には、「泰緬鉄道」工事で生き残ったイギリス軍捕虜300人も強制連行され働かされていました。そのうち亡くなった16人の「墓」が、「外人墓地」と名づけられ、「紀和町指定文化財」とされています。これは、石原産業の社長石原宏一郎がA級戦犯容疑者として逮捕されてから、急遽つくられたものです。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1997年2月の会結成前から、韓国で、紀州鉱山に強制連行された人びとの故郷を訪ね歩き、存命の方たちからお話しを聞かせていただいていました。そして、紀州鉱山での朝鮮人強制連行・強制労働の事実をおおくのみなさんとともに明らかにしていくとともに、亡くなった朝鮮人を追悼するための何かをしたいと考えてきました。
それから、10年以上が過ぎました。わたしたちの怠慢をお詫びするとともに、みなさんとともに、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する集会をおこないたいと思います。
ぜひご参加ください。
追悼集会の前日、8日に、紀州鉱山の「現地調査」をおこないます。
選鉱所跡、坑口、朝鮮人労働者の宿所跡、墓地、朝鮮人の遺骨が残されていた本龍寺、朝鮮人犠牲者の名が記されている「記録帳」がある慈雲寺などを回るとともに、当時のことを知るかたから証言を聞かせてもらいます。
「現地調査」のあと、8日は、朝鮮人宿所があった湯の口に宿泊します。
連絡先 竹本 昇
電話090-8860-9961