三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

写真集「日本の海南島侵略と抗日反日闘争」を読んで

2007年08月31日 | 写真集
 歴史再考の旅立へ誘われる    足立正生

 この写真集を捲っていくと、1ページ毎に怒りの感情に囚われて行く。
 次いで、茫漠とした何かへの不安感が生じ、それを掬い上げるかのように、開かれたページの写真群が各所に埋もれている「事実」を指し示し始め、一つの方向に向かって不安の広がりを誘っていく。この、怒りとともに生じた不安感。それは、何なのか。
 この写真集の全ては、日本政府・日本軍が「大東亜共栄圏」作戦の名でアジアの各地を侵略占領して人々を虐殺した時代の、太平洋地域に展開すべき日本軍の中枢拠点を海南島に置いた「事実」に結びついたものだ。それは、日本国家と日本人が行った占領し破壊し、失わせた社会と家族、村落経済と文化の屍骸が累積する戦争犯罪の今日的な姿を浮き彫りにしていく。
 写真の群の間に帝国軍の作戦図や実践報告の一部も示されているが、戦争犯罪の明らかな証拠となる部分は政府と自衛隊の隠蔽によって非公開のままだという。怒りの方は、ここで爆発しそうになる。
 そして、怒りに同伴し続けていた不安の中身が徐々に頭を表わし始める。
 いや、その不安感とは、突き詰めて言えば、むしろ写真の群の中で海南島の生存者や目撃者たちが表情と身振りで示す事実や犯罪の「証拠」が、日本国家の隠し通している「報告」(証拠)以上に多くの歴史的な実態を露に指し示し、実は怒っている自分をこそこの物語りの完結へ向けて走り出すように促されていることへの怯えだと気付かされる。写真が物語る事実が不安に落とし込んでいるのである。これほどの挑発があるだろうか。
 そういう意味では、この写真集は、写真による「事実」と歴史認識の再考への旅を促す挑発の書なのである。
 その上、その写真群が、末尾に語られている「証言(ことば)・『場』・『物』・記録」や年表で示す徹底した民衆史観と連なった時、一つの歴史的な事柄、つまり、日本国家と日本人が犯した戦争犯罪の事実は、過去のものではなく、その事実の隠蔽によって、今現在も続いている犯罪行為なのだということを知らされる。そして、不安感のもう一つの実態である、自分もまた日本人としてその犯罪を黙認して加担し続けている現実を突きつけられるのである。
 初めに溢れた怒りの感情と不安感が行動への旅立ちを誘う挑発であったように、海南島だけでなく、近代日本の日本国家と日本人が行ってきたアジアにおける戦争犯罪の全貌を一歩でも突き止めない限り、その旅は終わらないだろうことも分かってしまう。
この写真集が持っている戦争犯罪を見つめる旅への誘いは、中途半端な愛国主義者が護持する偽造神話史観やそれで他を自虐史観だと非難するイデオロギー的なレベルを突き抜けて、事実に照らして歴史を現在に生きかえらせようという決意に連なっているのである。
 従って、この写真集は、事実で歴史を検証し、人々の歴史と現実を照らして語ろうとする者への、実証的な入門書とも言える。
 最後になってしまったが、この写真集の読み方は、冒頭の「序」に極めて穏やかに書かかれている。しかも、末尾には、新たな民衆史観を獲得する為の事実発掘の旅(=運動)を続けるという闘争宣言とともに、まやかしの「戦争の記憶」を語る者たちへ、事実確認を蔑ろにして戦争犯罪を隠蔽する仕掛けに乗じる権力追随者だと警告を発している。私も、その考えに組したいと思う。
 何故なら、現実を形作っている過去と現在の日本の戦争犯罪を暴く行為は、日本国家と帝国軍部に責任を問うだけでなく、それを許している自分に問わなければならい問題だと痛感させられるからである。
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写真集を見て 2

2007年07月12日 | 写真集
■「侵略犯罪に時効はない!」とする立場からの歴史証言
                                 太田昌国

活動の軌跡
 この写真集を制作した「紀州鉱山の真実を明らかにする会」の会報を私は最初から読んでおり、メンバーには個人的にも知っている人も多い。外部からの目ながら、「追悼碑を建立する会」の創立から数えると18年間に及ぶことになる会のあり方をふりかえるとき、ずいぶんと起伏に富んだ活動の軌跡が見えてくる。
 大きな転機は、1998年にあったと思われる。会の活動は、もともとは、アジア太平洋戦争中に紀州鉱山での強制労働を強いられた朝鮮人労働者について調査を行なうことから始まった。  
 虐殺された朝鮮人の追悼碑の建立、地元郷土史の書き換えを要求しての行政との話し合いなどを続ける一方、この年から、会の活動は国外にも及び始めた。紀州鉱山の事業会社である石原産業が、戦時中に、日本国内の鉱山開発だけでなく、アジア南方地域での鉱山開発にも関わっていたことから、その中のひとつである海南島の田独鉱山で石原産業が行なった強制労働を調べようとして、会のメンバーが海南島をはじめて訪問したという。
 その後8年間にわたって10数回の調査活動を繰り返した結果、本書に見られるように、日本の侵略犯罪の実態が明らかにされた。視野の拡がりが、活動の具体性も伴った範例として、民衆史研究のあり方に示唆するところが大きいと思う。時代状況を思えば、「侵略犯罪に時効はない!」とする立場からの歴史証言は、大きな意味をもつからだ。

選び取られた写真
 私は、本書が「写真集」として出された、そのあり方にも注目する。会のメンバーは、文章は書き慣れた人が多いと思うが、失礼ながら、映像記録にはそれほど縁のなかった人が多いのでは、と推測する。ところが、海南島での調査記録は、すでにビデオとDVDで制作されており、今回は写真集の刊行である。これには、映像機材が価格面でも機能面でも私たち素人にも手が出せるものになったという事実も反映しているだろうが、現代における民衆の記録はいかにして可能か、という問いにも繋がっていくと思う。
 本書に収められているのは、およそ650枚の写真である。それは、250時間あまりのビデオテープと5000枚を超えるカメラ写真から選ばれたものだという。1頁に幾枚も挿入されている、サイズがけっして大きいとは言えない写真を仔細に眺めていると、なかには、実に多くのことを物語るものがあることがわかる。
 とくに人びとの表情からは、静止写真であっても、受け取るものは大きい。制作者は「ときに、人の表情は、1秒の間に、大きく変化する。(1秒間に30コマの写真があるビデオテープの)コマ送りをしながら写真を選んでいるとき、わたしたちは、証言者がことばだけでなく、その姿と表情で証言していることを強く感じた」と言っている。こうして選び取られた写真であってこその力が、見る者に伝わってくるのだと思う。

活字表現・映像表現
 私は出版の仕事に関わって4半世紀になるが、活字表現を大事に思いながらも、その限界も強く意識してきた。それは、幼いころから多用な映像と音あるいは音楽に囲まれて育つ若い世代の感性的な豊かさを感じるとともに、彼(女)たちにとっては、映像・音・活字が等価で並んでいる、と知ったからである。私は、やはりこの4半世紀のあいだ、優れた映像表現をしている集団の作品の普及と共同製作にささやかに取り組んできたが、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」が自らの活動を進めるなかで、映像記録を重要なものだと意識して、具体的にその「結果」を公表しつつあることに、共感をおぼえる。

調査の過程、あるいは時間の流れ
 ないものねだりを承知で言えば、本書からは調査の過程、あるいは時間の流れが、よくは見えない。
 「(被害者の)証言を聞きとり記録する者の責任」については原則的な立場が語られており、それには同感するが、調査者と被害者の関係はどのように展開したのか。当初は、拒絶されなかったか。双方に、どんな葛藤があったのか。どのように信頼関係を築いたのか。それらが語られる機会があれば、この報告書は深みを増すように思う。
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写真集を見て 1

2007年07月11日 | 写真集
          大道寺将司さんから獄外の知人に送られてきた手紙に、写真集『日本の海
         南島侵略と抗日反日闘争』のことが触れられていました。その部分を以下に
         掲載します。
          大道寺将司さんには、べつに写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』
         の「書評」を依頼してあります。届きしだい、ここに掲載する予定です。
          大道寺将司さんらのたたかいについては、このブログの2006年10月27日の
         書きこみで触れています。              佐藤正人

■写真の古老たちに勇気づけられる思いがします
                            大道寺 将司

 本書には写真がふんだんに掲載されていますが、ぼくの目が釘付けになったのは、弓を手にした古老たちです。日本軍に弓矢を武器にゲリラ戦を展開したのだとか。威力では銃に到底かないませんが、音もなく飛んでくる矢に日本軍は肝を冷やしたでしょうし、それだけに実に有効な武器足り得たでしょう。不謹慎かもしれませんが、ニヤリとしてしまいました。
 写真の古老たちに勇気づけられる思いがします。
 アベを筆頭に政府、与党が、アメリカの議会やマスコミからも批判されるほどに内向きに歴史を改竄し、強制連行も性奴隷であった従軍慰安婦もなかったかのようにしようとするなか、朝日なども腰が引け、正面きっての批判を避けようとしています。
 事実を事実として主張すること、歴史の曲解や捏造に対する批判が困難になりつつあるだけに、本書の刊行は意義があります。
 そして、写真を含めての事実の掘り起こしである本書は、単に歴史捏造への批判だけでなく、心ある者たちの覚醒を促すものとなり得ています。
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(日本語版)

2007年04月20日 | 写真集
        写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(日本語版)のお知らせです。
        序文、構成、目次、詳細目次は、3月に「写真集」のカテゴリーに入れてあります。
                           紀州鉱山の真実を明らかにする会
          
■写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(日本語版)
650枚のカラー写真による日本の海南島における侵略犯罪と抗日反日闘争の歴史
1998年6月から2007年1月まで、8年半の海南島での「現地調査」の報告
A4版、128頁(総カラー100頁+文字28頁)
2007年2月10日発行  定価:3000円
制作:紀州鉱山の真実を明らかにする会
編集:佐藤正人 金静美 小谷英治 斎藤日出治 崔文子 竹本昇
    嶋田実 日置真理子 久保雅和
協力:張応勇(故人) 王鎮寧 姜美蘭 鐘翠雅 王中山 林彩虹
写真撮影:金静美 佐藤正人 小谷英治 久保雅和
解説:金静美 佐藤正人
地図作成:小谷英治 佐藤正人 久保雅和
版下作成:小谷英治 佐藤正人 金静美
印刷・製本:栗生印刷
発行所:写真の会パトローネ

直接注文の場合は、送料を含めて1冊2800円です。
郵便振替:紀州鉱山の真実を明らかにする会 00920-3-247174
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』制作

2007年04月12日 | 写真集
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年6月以来、海南島で知った日本の海南島侵略にかんする事実を伝達しようとしてきた。
 2005年5月に、わたしたちは、それまでの報告をまとめ、冊子『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』を出版した。
 その序言のおわりに、わたしたちは、つぎのように書いた。
   「日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけました。
   アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代でした。
    その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません」。

 写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』は、その終わっていない全世界的規模の民衆闘争の時代を、海南島という地域に限定して写真と証言(ことば)で記録し伝達しようとするものである。
 ことばと写真は、記録する手段であるとともに、伝達する手段である。
 写真と証言(ことば)は、相互に補いあって、事実を伝達してくれる。
 写真は、ことば(文字)で表現できないことを伝達してくれる。
 この写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』制作の過程で、わたしたちは、歴史認識と歴史叙述の手段として、写真の役割がおおきいことを再確認した。
 この写真集では、250時間あまりのビデオテープと5000枚をこえるカメラ写真から約650枚の写真を選択した。
 ビデオテープには、1秒間に30コマの写真がある。
 ときに、人の表情は、1秒の間に、おおきく変化する。コマ送りをしながら写真を選んでいるとき、わたしたちは、証言者がことばだけでなく、その姿と表情で証言していることを強く感じた。
 写真を撮影し、選択し、編集していく作業は、写真によって歴史を叙述していく作業である。
 証言(ことば)を聞きとり文字で記録するとともに、映像で記録し、ことばと映像で史実を明らかにし、それを伝達していくために、わたしたちは、この写真集を制作した。
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』細目次 13

2007年03月24日 | 写真集

96、生還した人たち
    Aさん(1917年生) 1998年10に亡くなられた
    表台さん(1922年生) 2005年12月に亡くなられた
    柳濟敬さん(1917年生) 「治安維持法違反」で投獄、「第1次朝鮮報国隊」に
    生還できた「朝鮮報国隊」の人びとの名簿から(「京城刑務所假出獄関係書類」)
97、生還した人たち
    高福男さん(1917年生)
    高福男さんが描いたコッケンイ(つるはし)
  戻れなかった人たち
    朴聖南さん 「治安維持法違反」で投獄 海南島に
    朴聖南さんの「不在者確認申請書」
    「発掘現場」を訪れた朴聖南さんのむすこさんたち
    金慶俊さん(1915年生) 石碌で死亡
    金慶俊さんの戸籍簿(部分)
    金慶俊さんの甥、金忠孝さん(1936年生)
98~99、「朝鮮報国隊」関係文書・写真ほか
    「第2次朝鮮報国隊」の「京城刑務所」での「検閲式」
    「第5次朝鮮報国隊」の看守たち
    『治刑』(朝鮮総督府法務局行刑課内治刑協会発行)より
    『第86回官房、学務、法務、警務帝国議会説明資料』(1944年12月、朝鮮総督府)
    Pさんの証言
    衣笠一『海南島派遣の朝鮮報国隊始末記』
    衣笠一氏の手記
    「臨時陸軍(軍属)届」
      「朝鮮報国隊」の朝鮮人看守が海南島で陸軍軍属として「現地召集」されたこともあった
    第7次「朝鮮報国隊」の看守たちの名簿
    龍起義さん(1826年生)  「朝鮮報国隊」宿舎跡まえで
    「朝鮮報国隊」 龍起義さんが記憶していて書いた文字
100、総論 海南島での日本の侵略犯罪の真相究明   証言(ことば)・もの・「場」・記録
112、【年表】国民国家日本の海南島侵略史
113、【史料・資料・文献】海南島現代史
122、紀州鉱山の真実を明らかにする会のあゆみ
124、詳細目次
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』細目次 12

2007年03月23日 | 写真集
86、「朝鮮村虐殺」  「朝鮮村」遠景
87、「朝鮮村」1998年6月 ここに朝鮮人がながいあいだ埋められてきた
  「朝鮮村発掘」1998年7月
    「発掘」現場
    埋められていた人たち
88、「朝鮮村発掘」2001年1月
  「発掘」現場
    埋められていた人たち
    鉄片がささった頭蓋骨
    遺骨のそばから出てきた「軍隊手帳」
89、2001年の「発掘」ののち
    展示館
    展示館内の風化しつつある遺骨
    遺骨館
    砕かれ、壷に入れられている遺骨
    骨を砕いたうすと杵
    弾痕と思われる穴がある頭蓋骨 砕かれてしまった
90、「朝鮮報国隊」の人たちが着せられていたのは青い服
    遺骨とともに土中にあった青い布
    白いボタン
    鉄の輪
    くぎ
     金歯
    針と針箱
    「朝鮮村」の酸梅樹  同様の樹に朝鮮人が吊り下げられたという
91、「朝鮮村試掘」2006年5月
    「試掘」現場
92~93、虐殺を目撃した「朝鮮村」の人たち
    周学韓さん(1935年生)
    朝鮮人が作らされた道に立って退避壕の場所を示す周学勤さん
    符亜輪さん(1916年生)
    符亜参さん(1918年生)と周亜細さん(1922年生)
    苦命草をもつ符亜参さん
    林瑞章さん(1934年生)
    蘇亜呑さん(1914年生)
    林吉亜さん(1924年生)
    中村地図
    中村の洞窟
94~95、「朝鮮報国隊」の軌跡
  「朝鮮報国隊」強制労働現場位置図
  三亜飛行場
    「朝鮮報国隊」の宿舎跡
    三亜飛行場の排水路 「朝鮮報国隊」がつくらされた
    「朝鮮報国隊」を目撃した哈秉堯さん(1921年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した宋周生さん(1929年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した海經杰さん(1934年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した高振武さん(1936年生)
  三亜中山路
    「朝鮮報国隊」を目撃した馬霖さん(1916年生)
  感恩鉄橋
    「朝鮮報国隊」を目撃した呉日文さん(1931年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した蘇諠芬さん(1923年生)
  石碌鉱山・
    「朝鮮報国隊」を目撃した白川さん(1921年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した向全さん(1917年生)
    「朝鮮報国隊」を目撃した張達雄さん(1922年生)
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』細目次 11

2007年03月22日 | 写真集
77、日本軍隊性奴隷制
  2006年8月30日、東京地方裁判所に入場する原告と弁護団と支援者
78、海口
    「慰安所」があった中山路
    「慰安所」として使われた建物
    「慰安所」から見えたという時計台
    黄礼分さん(1922年生)
  那大(現、儋州)
    「慰安所」の跡地
    林良さん(1923年生)
79、新盈
    新盈紅民南街の「慰安所」建物として使われた A 2002年4月撮影
    新盈紅民南街の「慰安所」として使われた建物 A 2002年10月撮影
    新盈紅民南街の「慰安所」として使われた建物 B
    新盈紅民南街の「慰安所」前の舗道
    陳偉さん(1926年生)
    林吉蘇さん(1925年生)
80、加来
    「慰安所」跡
    加来派遣隊司令部として使われていた建物
    弥発晨さん(1934年生)
  石碌
    「慰安所」として使われた建物
  北黎
    「慰安所」跡  樹の下に礎石だけが残っていた
    「慰安所」として使われた建物
81、崖県
    「慰安所」として使われた建物(「華南庄」)の一部
    朝鮮人女性が入れられていた「慰安所」として使われた建物
    朝安さん(1927年生)
    日本軍が奪って「慰安所」とした家
    当時の井戸跡
    趙述顔さん(1931年生)
    「慰安所」があった街路
    日本軍司令部があった場所
82、陵水
    「慰安所」として使われた建物
    当時のままの裏階段
    二階部分
    「慰安所」で仕事をしていた王亜交さん(1922年生)
  会文
    「慰安所」として使われていた建物 
    会文守備隊本部だった建物
    馮惟書さん(1934年生)
83、三亜
    紅沙の「慰安所」跡
    紅沙の「慰安所」の瓦
    朴来順さんの墓碑(保亭)
    朴来順さんの故郷(朝鮮慶尚南道咸安)
    朴来順さん(1942年2月海口で)
    朴来順さん(1993年8月保亭で)
84~85、海南島の女性 日本政府を告発
    原告が日本国に要求している謝罪文と謝罪広告
    当事者目録
    東京地方裁判所前の林亜金さんと証人張応勇さん(2005年3月)
    林亜金さんの故郷
    黄玉鳳さんの家
    玉民さんの村 
    玉民さんを囲んで
    陳金玉さんを囲んで
    陳亜扁さんから自宅で話しを聞く
    陳亜娘さん
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』細目次 10

2007年03月21日 | 写真集
73、■森林資源略奪
    王子製紙の森林鉄道跡(楽東黎族自治県尖峰鎮紅湖村)
    李玉球さん(1930年生) 紅湖村で
    周文華さん(1930年生) 紅湖新村で、
    海南島事業所附近明細図」(王子製紙社史編纂室編『王子製紙南方事業史』より)
74、■土地略奪
  日本人農業「移民」
    現、六郷村の電柱に
    六郷村北方に残る旧日本軍トーチカ 銃口が三亜飛行所のある海の方向に開いている
    日本軍トーチカから三亜海岸を見る
    六郷村に残っていたヤカン
    日本海軍の錨と桜の印
    日本人がきて村人につくらせた井戸
    日本軍が村人につくらせた六郷村を貫いている直線道路
    「海南島移民計畫」(日本外務省記録『海南島農業政策関係』より)
75、■コメ略奪・土地略奪
    「1941年海南島緊急米穀対策要綱」(「海南部隊命令」機密海南警備府命令第19号)
    在海口総領事笠原太郎「海南島土地処理問題ニ関スル件」(外務大臣東郷茂徳宛て)
    海南海軍特務部「開発会社土地処理実施計画」
    海南海軍特務部「海南島土地処理要綱」
76、■思想統制
  保亭
    「治安維持会」があった建物
  北黎
    日本侵略期の新街小学校の生徒たち
    新街小学校前の日本兵士と日本語教師たち 新街に横須賀鎮守府第4特別陸戦
   隊司令部があった
    新街小学校の日本語教師たち
    当時の新街小学校の建物が残っている(2000年3月撮影)
    日本侵略期に新街小学校に通った傀定平さん(1936年生)
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写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』細目次 9

2007年03月20日 | 写真集
68、■鉱山資源略奪
68~69、石碌鉱山(日本窒素)
    石碌の追悼碑
    碑文
    石碌の「万人坑」跡
    石碌市内から見る鉱山
    選鉱所
    日本軍見張台跡
    発電所跡 
    発電所跡 内部
    発電所跡水路跡
    発電所導水管跡
    1943年ころの発電所 
    旧日本軍見張り台跡
    旧日本軍石碌守備隊司令部の地下洞窟通路
    「石碌鉱山全景 1942年4月」
    「石碌鉱山平面図」(河野司編著『海南島石碌鉄山開発誌』より)。
70~71、八所(日本窒素)
    日本侵略期の八所港跡(遠景)
    日本侵略期の八所港埠頭跡
    八所港の「万人坑」跡
    「万人坑」跡に残っている監獄跡
    「日軍侵瓊八所死難労工紀念碑」
    碑文 「八所港投入労工二萬三千餘人」「是抗日戦争時期日本侵略者屠殺埋葬三萬餘
   労工的地点」
    海南省人民政府の追悼碑案内板
    「日軍殺害労工的万人坑」(『八所海港史』より)
    石碌―八所港鉄道工事の労働者を監視・監督していた日本軍の兵舎跡 叉河鎮附近
    林亜政さん(1924年生)
    八所魚鱗洲遠景 手前に八所港「万人坑」跡がある
    1940年ころの魚鱗洲
    「八所港略図」(『海南島石碌鉄山開発誌』より)
72、田独鉱山(石原産業)
    日冦時期受迫害死亡工友記念碑
    田独万人坑死難砿工記念碑
    碑文
    田独鉱山跡
    鉱山から楡林港まで鉱石を運んだ鉄道跡
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