三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「日本のダム工事現場で死亡した朝鮮人の遺骨、76年ぶり故国へ」

2018年08月17日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japanese.joins.com/article/960/243960.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年08月13日08時26分
■日本のダム工事現場で死亡した朝鮮人の遺骨、76年ぶり故国へ
 日帝強占期に日本に連行されて故国に戻れず死亡した韓国人の遺骨35柱が76年ぶりに故国に戻る。
 日帝強制徴用犠牲者遺骸奉還委員会(以下、遺骨奉還委)は檀君民族平和統一協議会など120の市民団体と共に14日、在日同胞寺院の国平寺に安置されている韓国人の遺骨35柱を韓国に移すと明らかにした。遺骨奉還委は昨年の光復節(8月15日、日本による植民地支配からの解放記念日)ごろ、国平寺と遺骨101柱を韓国に戻すことで合意した。それぞれ遺骨33柱が移された昨年の光復節と今年の三一節(3月1日、独立運動記念日)に続いて3度目となる。
 国平寺に残された韓半島(朝鮮半島)出身者の遺骨約200柱はほとんどが日帝強占期に強制徴用された人たちで、一部は北朝鮮地域の出身者。
 当時日本に徴用された人たちは日本のダム建設工事現場で墜落死するなど、日本で生死をかけて働いて死亡したが故国に戻れなかった人たちだ。国平寺は12日に国平寺で追悼法会を終えた。遺骨奉還委は14日に韓国に到着して金浦(キンポ)空港で帰郷行事を開いた後、翌日にソウル光化門(クァンファムン)広場で国民追慕祭を開催し、ソウル市の墓地「昇華院」に遺骨を移す。
 国平寺住職の尹碧巌(ユン・ビョクアム)氏は「日本で亡くなった方々をようやく故郷に戻せることになってよかった」とし「南北が共に強制連行犠牲者の遺骨を故国に戻すことに積極的に取り組むことを期待する」と話した。
 一方、韓半島出身徴用・徴兵者の遺骨に関する正確な実態把握はできない状況だ。ただ、国平寺など日本の寺や納骨堂などに安置されている遺骨は2770柱と推定される。


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/13/0200000000AJP20180813001900882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/13 13:43
■強制徴用者の遺骨35柱が韓国に ソウル市立墓地に安置へ
【ソウル聯合ニュース】韓国・ソウル市は13日、日本による植民地時代に強制徴用された朝鮮半島出身者の遺骨35柱が、光復(1945年の植民地支配からの解放)から73年を迎えて故国の韓国に戻り、京畿道・坡州にあるソウル市立墓地に安置されると明らかにした。

【写真】遺骨が安置されるソウル市立墓地の納骨堂(ソウル市提供)=(聯合ニュース)

 労役や戦争に動員されて犠牲となった強制徴用者の遺骨は、多くが現在も日本や太平洋の群島に放置されている。
 ソウル市は徴用被害者の遺骨返還に取り組む団体「日帝強制徴用犠牲者遺骸奉還委員会」の要請を受け、昨年8月と今年3月に続いて遺骨の安置を支援することを決めた。
 同市は、委員会が建設を推進している非武装地帯(DMZ)平和公園内の海外同胞墓地が完成するまで、遺骨101柱をソウル市立墓地内に臨時で安置する。
 今回安置される遺骨35柱の納骨式は、16日午後2時から行われる。
 これに先立ち、15日午前11時にはソウル中心部の光化門広場で「第73周年光復節民族共同行事兼遺骨奉還国民追慕祭」が開かれる。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31360.html
「The Hankyoreh」 2018-08-15 00:52
■[フォト]73年間待ち続けた末に故国の土を踏んだ強制徴用犠牲者の遺骨
 15日、光化門広場で国民追悼祭行った後 
 16日、ソウル市立竜尾里墓地公園に安置

【写真】強制徴用犠牲者の遺骨が今月14日、金浦空港を通じて帰国している/聯合ニュース

 光復73周年を迎え、強制徴用犠牲者の遺骨35柱が韓国に帰って来た。
 遺骨が到着した14日、金浦(キンポ)空港入国場では、英霊たちのための還郷儀式も開かれた。ソウル市は、遺骨35柱がソウル市立竜尾里(ヨンミリ)第2墓地公園に安置されると発表した。「強制徴用犠牲者遺骨奉還委員会」がDMZ平和公園に推進中の海外同胞墓地が完成するまで、委員会の要請で遺骨を臨時安置される。

【写真】強制徴用犠牲者の遺骨が今月14日、金浦空港を通じて帰国し、還郷儀式が開かれている/聯合ニュース
【写真】強制徴用犠牲者の遺骨が今月14日、金浦空港を通じて帰国している/聯合ニュース

 埋葬式は16日午後2時に行われる予定だが、埋葬式前日の15日午前11時には光化門広場で、第73周年8・15光復節の民族共同行事兼遺骨奉還国民追悼祭が行われる。ソウル市は昨年の光復節と今年の三・一節にも33柱ずつ合わせて66柱を奉安した。

【写真】強制徴用犠牲者の遺骨が今月14日、金浦空港を通じて帰国している/聯合ニュース

イ・ジョンア記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/857543.html
韓国語原文入力:2018-08-14 13:28
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「独立運動家・安重根の遺骨 「南北共同での発掘推進」=文大統領」

2018年08月17日 | 抗日・反日闘争
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/14/0200000000AJP20180814002200882.HTML
「聯合ニュース」 2018/08/14 15:05
■独立運動家・安重根の遺骨 「南北共同での発掘推進」=文大統領
【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は14日、初代韓国統監を務めた伊藤博文を1909年に暗殺して翌年死刑になった独立運動家、安重根(アン・ジュングン)の遺骨を見つけられずにいることを指摘し、「3・1(独立)運動と大韓民国臨時政府樹立から来年で100周年を迎えるのに合わせ、政府は安重根義士の遺骨発掘事業を北と共同で推進する」と表明した。光復節(8月15日、日本による植民地支配からの解放記念日)を翌日に控え、青瓦台(大統領府)で催した独立有功者やその遺族との昼食会で述べた。

【写真】昼食会であいさつする文大統領=14日、ソウル(聯合ニュース)

 文大統領は「安重根義士が(中国の)旅順監獄で著した『東洋平和論』は東洋の平和のための日本の役割を強調し、韓中日が共同で銀行や軍隊を創設しようという時代を先取りしたビジョンも提示している。自由と平和を目指した安重根義士の偉大な精神と足跡は現在まで続いている」と業績を評価。その安重根の、解放後の故国への移葬を望むという遺言を守れずにいるとし、北朝鮮との共同での遺骨発掘に意欲を示した。
 また、「私は報勲(功勲に報いること)こそが強い国をつくる根になるとの信念を持っている」と述べ、独立運動家の子孫が安定した生活を送れるよう約1万7000人に支援金を支給していることなどを説明した。
 その上で、「二度とこうした苦しみと痛みが繰り返されてはならない。正義と真実で歴史を正し、平和により国をしっかりと守る」と約束した。


http://japanese.joins.com/article/024/244024.html?servcode=200§code=200
「中央日報日本語版」 2018年08月14日17時30分
■文大統領「来年、北と共同で安重根義士の遺骨発掘事業を推進」
 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が14日「来年、三一独立運動と大韓民国臨時政府樹立100周年を迎え、政府は北朝鮮と共同事業で安重根(アン・ジュングン)義士の遺骨発掘事業を推進する」と明らかにした。
 文大統領は第73周年光復節(解放記念日)記念式を一日控えて国内外の独立有功者および遺族を青瓦台(チョンワデ、大統領府)に招請して昼食会を開き、このように述べた。
 文大統領は「この席に安義士の子孫の二方もおられる。108年前、死刑を控えた安義士はピレム神父と最後の面会で韓国の独立運動が抑圧から抜け出し、自由を取り戻そうとする全人類的な活動であることを明らかにした」と説明した。
 また「安義士が麗順(ヨスン)監獄で著述した『東洋平和論』では、東洋平和に向けた日本の役割を強調し、韓日中が共同で銀行と軍隊を創設しようという時代に先駆けたビジョンを提示した」とし「自由と平和に向かった安重根義士の偉大な精神と足跡は今日まで続いている」と述べた。
 文大統領は「しかし、われわれは今まで安義士の遺骨さえ探せなかった」として「金九(キム・グ)先生が孝昌(ヒョチャン)公園に用意した家廟は依然として空いている。『解放されたら故国に戻して葬儀を行ってほしい』といった安義士の最後の遺言を守れずにいる」とした。
 さらに、「報勲こそ強い国家を作る根元という信念を有している」として「国のための献身に優遇をつくすのは国家の当然な道理であり、未来のための最高の投資だ。独立活動家一族の現在の姿こそ次世代に愛国の指標になるため」と述べた。
 文大統領はまた「経済的支援を拡大するのはまともな報勲の始まり」とし「約束通りに今年から愛国の志士に差し上げる特別優遇金を50%引き上げした。独立活動家の3代まで安定的に生活することができるよう、1万7000人に支援金を提供している」と話した。
 引き続き「今年から独立有功者の子孫の自宅を訪問する報勲福祉サービスを実施している」として「海外に住まれて国内に永住帰国したすべての独立有功者の子孫には住宅を支援している」とした。


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/08/15/0200000000AJP20180815002100882.HTML
「The Hankyoreh」 登録:2018-08-15 23:26 修正:2018-08-16 07:34
■日本は安重根義士の伊藤狙撃をどのように描いたか?
 狙撃当時の場面を描写したリトグラフ初公開 
 原州の古版画博物館で8月18~9月23日特別展

【写真】1909年10月26日、中国のハルビン駅で安重根義士が狙撃に成功した後に捕まった状態でも、伊藤博文を鋭くにらむ姿が描かれたリトグラフ=古版画博物館提供//ハンギョレ新聞社

 73周年光復節をむかえて、安重根義士が伊藤博文を処断した歴史的事実を描いたリトグラフが初めて公開された。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が安重根義士遺骨発掘事業を南北共同で推進すると明らかにしたこともあり、一層関心を引く。
 江原道原州(ウォンジュ)の雉岳山(チアクサン)明珠寺の古版画博物館は、今月18日から来月23日まで「版画で見る近代韓国の事件と風景」特別展を開くと15日明らかにした。今回の特別展では、安重根義士の狙撃事件を描いたリトグラフが初めて公開される。「ハルビン駅伊藤公遭難之圖」という題名のリトグラフで、1909年10月26日中国のハルビン駅で安義士が伊藤を狙撃した直後の様子を描いている。
 この図で安義士は、伊藤を狙撃して捕まった状態でも伊藤を鋭い目つきでにらんでいる。ただし、すでに三発の銃弾に当たった伊藤が正常に立っている姿で描写されているのは自然でない。この版画の隣には当時の記事も載っているが、そこから見て「報道用版画」と推定できる。この版画は、狙撃から1カ月余り後の1909年12月1日、東京の「博画館」という出版社が当時の最先端技法であるリトグラフで製作したものだ。
 ハン・ソンハク古版画博物館長は「光復(解放)は、単純に第2次世界大戦の結果として得たものでなく、先祖の絶えざる抵抗と闘争から出たことをよく見せる資料だ。このリトグラフの記事は、安義士を“凶漢”と表現しているが、安重根義士の抵抗精神が引き立って見える」と説明した。
 今回の展示会では、このリトグラフだけでなく江華島(カンファド)条約から安義士の狙撃事件まで、近代韓国の主要事件と美しい風景を描いた60点余りの作品に出会うことができる。

パク・スヒョク記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/857728.html
韓国語原文入力:2018-08-15 16:20


http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/31375.html
「The Hankyoreh」 2018-08-16 23:05
■[コラム]“消えた”安重根記念館
 中国のハルビン駅に安重根記念館ができたのは2014年1月だった。1909年、伊藤博文を射殺した現場の直ぐ前の貴賓用待合室を改造して作ったものだった。ハルビン駅舎は、20世紀に何回もの増改築をたどりながら、当初ロシアの東清鉄道時期の姿はほとんど失った状態だった。1988年に現代的建物に変貌した新しい駅舎も、2014年に安重根記念館を迎える頃にはすでにかなり古くなっていた。
 そのためか記念館は相当に引き立って見えた。古いロシア式建築をそっくり模した黄色い壁の入口を新たに作った。草緑色の文字で「安重根義士記念館」と書かれた黒い看板が訪問客を迎え、記念館入口の低い垣根も高級感を添えた。
 記念館の内部には、安重根の生涯とハルビン駅の挙事、彼の思想などに対する説明が写真と共に韓国語と中国語で展示されていた。安重根が遺した筆文字も懸かっていた。何よりも圧巻は、展示館の奥の全面ガラス窓から見える外の光景だった。安重根が伊藤を射殺した1番ホームだった。床には安重根と伊藤が立っていた場所が表示され、上には現場を知らせる表示板が「1909年10月26日」という日付とともに懸かっていた。
 わずか4年余り前に作られたハルビン駅の安重根記念館の話を持ち出して、すべての文章を「過去型」で書いたのは、この施設が今はなくなっているためだ。ハルビン駅舎がまた大々的な増改築をすることになり、記念館は昨年3月に休館され、後に撤去された。1番ホームも撤去された。今月5日に訪ねたハルビン駅で職員に尋ねたところ、目隠し幕が張られた工事現場を指さして「記念館と義挙の現場はそこだと言った。今はすべて撤去され見ることはできない」とのことだった。
 ハルビン駅の駅舎は、100年余り前のロシア時期の姿に変身中だ。外観は伝統的だが、屋内は現代的に整え、中国が誇る高速鉄道に相応しい東北地方の中心駅を目標にしている。
 今年末には工事が終わると言っていた新駅に、安重根記念館も帰って来るだろうか?当初ハルビン駅に安重根記念館ができたのは、2013年6月に中国を訪問した朴槿恵(パク・クネ)大統領の要請に習近平主席が快く同意して実現した。黒龍江省党史研究所のキム・ウジョン元所長は「習主席が自ら指示したことなのでうまくいくだろう。韓国と中国の約束であり、習近平と朴槿恵のひそかな約束ではなかった」と話した。中国当局がハルビン駅の改築後に記念館を2倍に拡張することにしたという報道もあった。
 だが「行って見なければ分からない」という反応もある。韓中日の力学関係が変わったためだ。韓中はTHAAD軋轢以後に関係が微妙になった反面、中日は慎重ではあるが接近する局面だ。朴槿恵政府の時のような「韓中反日歴史共助」を期待することは難しい状況だ。その上、ハルビンに安重根記念施設を作ろうとの試みは、日本の反対ですでに数回失敗した。中国が日本からの外資誘致を推進していた時期だった。
 ハルビン駅記念館にあった胸像、彫刻品、説明資料などは、現在ハルビン市内の「朝鮮民族芸術館」に別に空間を用意して展示中だ。当初2006年からハルビン駅施設ができるまで、記念館の役割をした所だ。芸術館関係者は「駅にあった時は行き来する中国人も多数参観したが、ここに再び来てからは以前のように韓国人ときわめて一部の北朝鮮の人だけが訪れる」と話した。
 韓中関係の風景かと思い苦い味がした。ハルビン駅記念館を再び見られない可能性もあるという不安を抱くのは私一人だけであろうか。是が非でも今度は新装なった記念館再開の便りを伝えたい。

キム・ウェヒョン北京特派員
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/857921.html
韓国語原文入力:2018-08-16 20:05
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