三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「国連関連サイトの地図 韓国人活動家が「東海」併記求める」

2022年05月31日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220531001200882?section=news 
「聯合ニュース」 2022.05.31 10:45
■国連関連サイトの地図 韓国人活動家が「東海」併記求める
【ソウル聯合ニュース】韓国の広報活動などに取り組む誠信女子大の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は31日、国連のグテレス事務総長と韓国を除く193の国連加盟国宛てに電子メールを送り、国連の地理空間・位置データに関するウェブサイト(www.un.org/geospatial)上の地図で東海が「Sea of Japan(日本海)」と単独表記されていることに抗議し、「East Sea(東海)」と併記するよう訂正を求めたと明らかにした。

【写真】徐氏が訂正を求めた国連関連サイトでは「Sea of Japan」と単独表記されている(赤線で囲んだ部分、同氏提供)=(聯合ニュース)

 徐氏は韓国の「海の日」に合わせてメールを送った。メールには東海に関する英文資料を添え、1977年に国連地名標準化会議(UNCSGN)が、2カ国以上が共有する地形物に対し単独呼称の合意が難しい場合は各国が使用する呼称を併記すると表明したことを取り上げた。
 徐氏は「国連の発表内容を示すことで東海併記の正当性を主張した」と説明した。併記しなければ国連が定めた国際原則に自ら違反することになると伝えようとしたという。
 メールでは、米バージニア州が公立学校の教科書に「東海」と「日本海」の併記を義務付ける法を制定したこと、ニューヨーク州教育局が公式的に併記を決めたことにも言及したという。


https://japanese.joins.com/JArticle/291660?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2022.05.31 11:42
■徐ギョン徳教授、国連の「日本海」単独表記に抗議…「原則通り『東海』併記を」

【写真】国連運営サイト内の「日本海」単独表記(写真=徐ギョン徳教授提供)

 徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)誠信女子大教授が「国連は自ら定めた原則に基づきサイト内の地図に東海(トンヘ、East Sea)を併記すべきだ」と主張した。
 徐教授は31日、「世界海洋デー」を控えて国連のグテーレス事務総長をはじめ、193の加盟国(韓国除く)に抗議メールを送って是正を促したと明らかにした。
 抗議メールには東海関連の英語資料とともに、国際連合地名標準化会議(UNCSGN))が1977年に「2カ国以上が共有する地形物について単一名称の合意が難しい場合、それぞれ使用する名称を併記する」と発表した内容などが含まれた。
 徐教授は「抗議メールで国連の発表内容を強調して東海併記の正当性を主張した」とし「そうしなければ、これは国連が定めた国際原則を自ら違反するという点を想起させた」と説明した。
 特に、すでに世界的な有力メディアと地図制作出版社などが東海を併記している事例を取り上げた。また米バージニア州が共同表記法案を宣言し、ニューヨーク教育庁は公式に併記を決定したという事実も抗議メールに含めた。


https://japanese.joins.com/JArticle/290925?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2022.05.11 13:24
■徐ギョン徳教授「日本語で旭日旗は戦犯旗のハーケンクロイツと同じであることを強調する映像掲載…外務省に正面対抗」

【写真】徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授が制作した、「旭日旗は、戦犯旗であるドイツのハーケンクロイツと同じ」と強調する内容の映像。[写真 YouTube キャプチャー]

 韓国の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は11日、「日本外務省が最近旭日旗関連の韓国語映像広告を韓国のYouTube(ユーチューブ)に出したことに正面対抗する次元で、日本語で旭日旗が戦犯旗であることを強調する映像を掲載する」と明らかにした。
 日本外務省は昨年末、「日本文化としての旭日旗」と題する映像を韓国語・英語・中国語で制作して公式YouTubeチャネルに掲示した。この映像は韓国のYouTubeに韓国語の広告としても登場した。
 徐教授の映像は2分ほどの分量で、2018年ロシアワールドカップ(W杯)当時、韓国語と英語で製作されて世界に配信されたものだが、今回日本語のナレーションと日本語字幕を入れた。映像は旭日旗がナチスの象徴である「ハーケンクロイツ」のような意味を持った戦犯旗であり、ドイツはハーケンクロイツの使用を法的に禁止したという内容が含まれている。
 徐教授は「外務省の旭日旗映像は、第2次世界大戦や太平洋戦争などで『戦犯旗』として使ったという説明を省いたことが最も大きな問題」とし「これは戦争犯罪を否定するものだ」と批判した。
 徐教授は「私費で広告を制作しているため日本政府の物量攻勢ほどの広告執行はできないが、インターネットユーザーとともに各種ソーシャルメディア(SNS)を通じて旭日旗の歴史的真実を世界に地道に知らせていく」と明らかにした。
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西日本新聞 シリーズ戦後60年  私の8・15 11~15

2022年05月30日 | 個人史・地域史・世界史
https://web.archive.org/web/20070911182840/http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo5/11.html
「西日本新聞」 20050803付 朝刊掲載
■私の8・15<11> 頓田の森の爆撃 窪山強一さん かかとに金属片を受けました
 窪山強一(くぼやま・きょういち)さん(68) 福岡県甘木市

 一九四五年三月二十七日。立石国民学校(現・福岡県甘木市)の終業式の最中に空襲警報が鳴り、私たちは通知表も持たずに集団下校しました。二年生だった私は近所の上級生たちに連れられていました。
 周りの大人も米軍の爆撃機を見たことはなかったし、戦争中でも、せっぱ詰まった感じはなかったです。いくつかの班に分かれての集団下校も訓練通りでした。だから、爆弾の地響きがすると、パニックで散り散りになりました。
 頓田(とんた)の森に逃げ込むと、木々に遮られて爆撃機は見えなくなり、目と耳を手で覆い、腹ばいになると少しほっとしました。
 そこへ突然の爆撃。子どもが避難した森に爆弾が落とされるとは夢にも思っていませんでした。私はかかとに金属片を受けました。気を失い、再び目を開いたとき、森は明るくなっていました。枝が吹き飛び、子どもたちに覆いかぶさっていたのです。
 数日間高熱が続きましたが、私は助かりました。しかし、別の班で集団下校中だった五年生の姉は頭と足を負傷し亡くなりました。既に冷たくなって帰宅した姉を、母は病院に連れて行こうと必死だったそうです。
 終戦から三カ月後、頓田の森で子どもを亡くした親たちが近くの一木神社に延命地蔵菩薩(ぼさつ)を建てました。物が乏しい時代に作られた約三メートルの大きな地蔵は深い悲しみの表れでしょう。「いずれ負ける戦争だったら、どうして早く終わってくれなかったのか」。親たちのやり場のない怒りの声を、何度も聞きました。
 私は地蔵を建てた一木児童遺族会の会長を引き継いでから、この地を訪れる子どもたちに、頓田の森の爆撃を語ってきました。
 最近、戦争や爆弾テロで何十人もの人が次々と亡くなっています。六十年前の悲しみが若い人に伝わるのか。「戦争はそんなもん。人が死ぬのは仕方ない」などと思われないか。難しいと感じます。不安になるときもあります。
 戦後六十年がたち、戦争を知る人は減りました。しかし、孫の代になっても、一言でも二言でも戦争の悲惨さを後世に伝え続けてほしいと願っています。

◆頓田の森の爆撃
 一九四五年三月二十七日、陸軍大刀洗飛行場と周辺の軍事施設を米軍のB29爆撃機七十四機が空襲。民間人を含む数百人が犠牲になった。頓田の森では立石国民学校から下校中の一木地区の児童が被害に遭い、二十四人が即死、後に負傷者七人が亡くなった。


https://web.archive.org/web/20070908095306/http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo5/12.html
「西日本新聞」 20050804付 朝刊掲載
■私の8・15<12> 陸軍特別操縦見習士官制度 船木 英示さん 何で僕だけが生き残ったのか 
 船木英示さん(ふなき・えいじ)さん(81) 福岡市博多区

 僕は特攻の出撃命令を三回受けた。でも、出撃できなかった。一回目は離陸体勢にまで入っていたのに、トラックが滑走路に飛び出してきて、叫ぶんだ。「本日の攻撃は中止だ」って。
 最後の命令は一九四五年八月十四日、熊本・菊池飛行場で「十七日の沖縄特別総攻撃に参加せよ」と言われた。でも、翌日に玉音放送。言葉が難しくて、ほとんど意味が分からなかったけど、「戦争が終わった。負けたんだ」とは伝わった。おったまがったよ。
 今さら降伏なんか、って気持ちだった。一人で出撃しようと、急いで特攻服に着替え、愛機に走った。ところが、もう操縦かんが引き抜かれていたんだ。やりきれなくてねぇ。竹やぶに入って軍刀を振り回したよ。
 当時は、陸軍特別操縦見習士官の一期生。学徒動員で福岡高商(現在の福岡大)を繰り上げ卒業し、四三年十月一日に大刀洗陸軍飛行学校・目達原分校に入校した。
 同期の五十人のうち四十数人は戦死し、生き残りもみんな亡くなり、もう僕だけになった。易が得意な同期が僕を姓名判断してくれて「おまえは九十歳まで生きる」と占ったことがあったけど、案外あいつの占いは当たってたんだなあ。
 何で僕だけが生き残ったんだろう?って今も考えることがあるね。一つ思うのは、たまたま飛行機乗りとしての素質が認められ、操縦を指導する側に回ってしまったことだ。三回も出撃命令を受けたのに、実際の出撃は後回しにされてしまったんじゃないか、と。
 終戦後は、魚市場、造船所、と職場を転々としたけど、「亡くなった連中の分も」と思って頑張ってきた。みんな前途のある連中ばかりだったんだよ。代弁して僕から一つだけ言いたい。戦争は要するに人と人が殺し合うこと。二度とやっちゃだめだ。そして、命を大切にしてほしい。
 戦中、訓練がないときに喫茶店でクラシックを聴くのが唯一の楽しみだった。サラサーテの「チゴイネルワイゼン」が特に好きでね。今も喫茶店まで散歩し、コーヒーを飲むのが一番の楽しみさ。散歩の途中、空を見上げて飛行機雲を見つけると、「そろそろ、迎えに来てくれよ」って、話しかけるんだ。でも、「まだだめだ」って、あいつらから返事が返ってくるんだよ。

◆陸軍特別操縦見習士官制度
 パイロットをはじめとする航空要員の養成が急務となり、陸軍が四三年に創設した制度。師範学校、専門学校、高校、大学に在学した者が対象で、入隊の最初から曹長の階級を与えた。生き残った特別操縦見習士一期生がまとめた「特操一期生史」によると、四期にわたる特操入隊者は約八千人。一期生任官者二千三百八十六人のうち、六百六十八人が空中戦や特攻で亡くなったという。


「西日本新聞」 20050805付 朝刊掲載
■私の8・15<13> 満映 緒方用光さん 憲兵が無言で監視しているのです
 緒方用光(おがた・もちみつ)さん(81) 福岡市西区

 フィルムに映っていたのは雪中のソ連兵でした。
 防寒着は裏地が毛皮で、暖かくて軽く、いかにも動きやすそうでした。厚い布や革を重ねただけの粗末な日本兵の冬服とは大違いです。「冬場の戦争だったらソ連にはかなわんな」。頭をよぎりましたが、口に出すことなんてできませんでした。
 満州映画協会(満映)の薄暗い一室。私服ですが明らかに関東軍(満州に駐留した日本軍)の憲兵と分かる男が無言で監視しているのです。満映養成所に通っていた私は、先輩職員の手伝いで、ソ連のニュース映画フィルムの複製作業を黙々と続けました。一九四三年ごろから満州でも物資が不足し始め、戦局の悪化をうすうすと感じていました。あのフィルムは関東軍がソ連軍の動向を偵察するため、ソ連領事館あての荷物から抜き取ったものだと思います。複製後、こっそり返すつもりだったのでしょう。今思えば、私たちの作業はスパイ行為の一端だったようです。
 カメラマンになる夢を抱いて、養成所に入った四二年当時、同期生は日本人よりも中国人や朝鮮人が多く、授業も寮も一緒でした。映画を見に行ったり、中国人街に出かけてマントウ(蒸しパン)を買って食べたりしました。映画づくりに燃える仲間同士、自由な雰囲気さえありました。
 しかし、夢を追いかける日々は長く続きません。満映職員も次第に兵隊に取られていきます。四四年に養成所を卒業すると、私は映画科学研究所でフィルムを自給自足するための研究をさせられました。
 翌年三月、召集されました。訓練を繰り返したにもかかわらず、ソ連軍が近づいてきた八月ごろには、上官は「抵抗するな」と言います。戦うこともなく、空腹を抱え、奉天(現・瀋陽)市内を部隊で転々とする中、敗戦を知りました。
 日本に帰れると聞いて列車に乗ったら、そのままソ連(カザフスタン)に連れていかれ、三年間の抑留生活。栄養失調とアメーバ赤痢で、若い仲間がやせ衰え、次々と死んでいくのを、ただ見るだけでした。
 軍隊にいた期間は短かったんですが、国や軍から置き去りにされた彼らの無念さを思うと、戦争を引き起こした人と一緒に靖国神社に祭られるのはやはりおかしい。過去の事実から逃げずに、戦争は人間に何を及ぼすのか考えていかなければならないですね。

◆満映
 一九三二年、中国東北部に造られた日本のかいらい国家「満州国」の建国理念を浸透させるため、三七年、首都・新京(現・長春)に設立された国策映画会社。娯楽、文化、時事の各映画を製作し、李香蘭(山口淑子)などのスターを生んだ。四五年、日本の敗戦とともに解体。現在は長春映画製作所となっている。


「西日本新聞」 20050806付 朝刊掲載
■私の8・15<14> 勤労学徒動員 川野八郎さん もう「海行かば」は歌わない
 川野八郎(かわの・はちろう)さん(74) 宮崎県小林市

 私が手にしているこの本。題名は「あゝ紅の血は燃えて―勤労動員学徒記録誌」といいます。私たち旧制小林中(現・小林高)二十三回生が十四、五歳の時、勤労動員先で体験した悲惨な出来事の一部始終を収めています。記録を後世に残そうとの一心で、私が編集委員を務め、十九年前に発行しました。
 戦中、当時男子校だった小林中三年の百四十七人は、宮崎県都城市の川崎航空機工業都城工場に学徒動員されました。子どもに戦闘機を造らせようというのですから、今では考えられませんね。食事はご飯粒がついているイモだけ。空腹に耐え、びょう打ちの作業を繰り返す毎日でした。
 一九四五年五月八日の朝、寮の食堂で空襲警報が鳴りだしました。防空壕(ごう)へ向かう途中、上空から「シュル、シュル、シュル」という音がして、見上げたら、カラスのような黒いものが落ちてくる。「爆弾だ」と直感し、瞬間的に伏せました。耳をつんざくごう音。夢中で防空壕に走りました。
 壕の近くのレンゲ畑で一人の友が肩から血を流して倒れ、手足をけいれんさせていました。でも、私は爆撃が怖くて、壕から出られなかった。あの時なぜ引き返して、苦しみにあえぐ友を介抱しなかったのか。自責の念は今も消えません。
 結局、この爆撃で級友十人が殉死しました。ある友は、吹き飛んだ自分の片脚を懐に抱え、「天皇陛下万歳」と叫び、亡くなりました。顔がざくろのように割れた友の遺体は、駆けつけた親にも見せられませんでした。その夜、私たちは亡くなった友のため、涙を流しながら「海行(ゆ)かば」を歌いました。「海行かば…大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ」というあの歌です。
 今でも私たちは年に一回、亡き級友の慰霊祭を続けており、その時は必ず記録誌の題名にした「あゝ紅の…」を歌います。この歌は「花もつぼみの若桜」という歌い出しで、私たち勤労学徒のシンボルだったんですよ。でも、「海行かば」は歌いません。だって大君のために死ぬのは、もはや時代遅れですから。
 振り返れば、私たち勤労学徒は懸命に国のため働きました。その中で、つぼみのまま亡くなった多くの友がいたことを記憶してほしいのです。

◆勤労学徒動員
 第二次世界大戦中、少年や少女が軍事工場などへ勤労動員に駆り出された。一九四五年四月からは「決戦教育措置要綱」により、国民学校初等科を除く学校の授業が停止され、全国で三百万人超の動員学徒が、一万数千の職場で働いたとされる。勤労動員先で死亡した学徒は一万人を超すといわれ、うち九千人近くは原爆犠牲者とみられる。


https://web.archive.org/web/20070920182258/http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo5/15.html
「西日本新聞」 20050809付 朝刊掲載
■私の8・15<15> 被爆体験継承 安井幸子さん 「あの日」若者とともに語り継ぐ
 安井幸子(やすい・さちこ)さん(66) 長崎市八つ尾町
 
 六十年目の八月九日が巡ってきました。六歳の私は、長崎市の自宅近くで被爆しました。爆風は一瞬にして、一緒にいた友だち四人を生き埋めにし、二歳の弟の命を奪いました。五人兄弟だった私は生き残った二人の兄と妹、それに両親とともに、島原の親類のもとに避難しました。でも、原爆の惨禍から逃れることはできませんでした。
 次兄は吐き気と出血、高熱に苦しみ、八月二十四日に死んでしまった。「さっちゃん、さよなら」と言い残して…。涙が止まりませんでした。八日後、長兄も同じ症状で亡くなりました。終戦の日を過ぎても、私たち家族の「戦争」は続いたのです。
 原爆投下から九年後の五四年四月、今度は、被爆後に体調を崩していた妹が重い貧血で倒れました。原因も治療法も分からず、入学したばかりの中学校に行けないまま自宅療養が続きました。夜、私が学校から帰ると「今日は何を習ってきたと」と聞いてきます。枕元で歌を歌い、本を読み聞かせると、安心したように眠ります。「学校に行きたい」が口癖でした。
 その年の六月に息を引き取った妹の死因が「白血病」と分かったのは、亡くなった一週間後。体の奥深くに染み込んだ放射線は、時間をかけて妹をむしばんでいたのです。
 兄弟四人全員が原爆で死にました。私自身も被爆から一カ月後、発熱や出血、脱毛に苦しみました。両手両足が化膿(かのう)し、ウジがわいたこともあります。被爆から十七年後には甲状腺がんを患いましたが、二度の手術で生き延びました。「生かされた」という思いが十年前、語り部活動を始める原点になりました。
 今春、長崎平和推進協会の継承部会長になりました。被爆者の高齢化が進む中、協会では、被爆者以外の市民が核兵器の惨禍を伝える「平和案内人」の育成に取り組んでいます。七十年目、八十年目、体験を話せる被爆者がいなくなったとき、若い人たちに被爆体験を自分のものとして語り継いでほしいのです。
 世界では、テロにおびえる人々がたくさんいます。日本では、被爆や戦争体験の風化という現実があります。日本の平和が原爆や戦争犠牲者の痛みの上に成り立っていることを、忘れてほしくはないのです。

◆被爆体験継承
 被爆体験を修学旅行生らに伝える語り部活動は、長崎市など官民でつくる長崎平和推進協会の継承部会や、長崎原爆被災者協議会などが行っているが、同推進協会の三十八人の平均年齢は七十四歳で高齢化が悩み。次世代への「継承」は被爆地にとって大きな課題となっている。
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「宮古島の日本軍「慰安婦」祈念碑」

2022年05月29日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/43590.html
「The Hankyoreh」 2022-05-27 09:49
■[特派員コラム]宮古島の日本軍「慰安婦」祈念碑

【写真】ミサイル部隊のある日本陸上自衛隊宮古島駐屯地から15分ほど歩くと「日本軍『慰安婦』祈念碑」が建てられた小さな空き地にたどり着く。入り口にはハングルと日本語で「アリランの碑」と書かれた岩がある=宮古島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「日本軍は日本の植民地・占領地の女性たちを連行して慰安婦になることを強要した。女性たちは遠い異国の地で無残にも人格と命を踏みにじられた」。
 11日、沖縄本土復帰50周年を控え取材のために宮古島に行き、そこで日本軍「慰安婦」祈念碑に向きあった。宮古島は日本最南端の沖縄から飛行機で1時間あまりの島だ。2019年から2020年にかけて日本の自衛隊の「ミサイル部隊」ができ、平和な島は様変わりした。訓練場と弾薬基地ができ、「03式地対空ミサイル」「12式地対艦ミサイル」など聞き慣れない最先端兵器が島に配置された。
 ミサイル部隊のある陸上自衛隊宮古島駐屯地から15分ほど歩くと「日本軍『慰安婦』祈念碑」が建てられた小さな空き地にたどり着く。入り口にはハングルと日本語で「アリランの碑」と書かれた岩がある。この離島にも、当時16カ所の「慰安所」があった。辛い唐辛子が好きで、もの悲しくアリランを歌っていた朝鮮人女性たちを覚えていた宮古島の住民たちと、韓国の研究者、韓日市民たちが力を合わせて、2008年9月に追悼碑を建てた。この場所は、朝鮮から連れてこられた女性たちが洗濯の帰りにしばし座って休んだところだという。
 「慰安婦」祈念碑のすぐ近くには、太平洋戦争(1941~1945)当時の残酷さを想起させる歌碑もある。戦争終盤、宮古島には約3万人の将兵が配置され、地上戦はなかったが連日空襲に苦しめられた。連合軍の海上封鎖で食糧と医薬品が途絶え、栄養失調と疾病などで島は阿鼻叫喚と化した。「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古よ八月は地獄」と詠んだ日本軍衛生兵の凄惨な心情を込めた歌碑は、2005年8月に住民たちの力で作られた。
 島の人々は、戦争が繰り返されてはならないという気持ちで祈念碑と歌碑を建てた。しかし、宮古島は再び平和を脅かされている。東シナ海と南シナ海で中国の軍事的脅威が高まり、日本政府は宮古島を含む南西諸島にミサイル部隊を配置するなど、この地を軍事基地化している。
 「力対力」の対決では平和を守ることができないとして、宮古島の住民たちは長い闘いを続けている。2015年にミサイル基地建設計画が知らされた時から、様々な闘争を繰り広げてきた。今も毎週水曜日午後5~6時、木曜日午前9~10時に、市内とミサイル部隊前で街頭デモを行う。11日、少し早く現場に行って街頭デモを準備する姿を見守った。ほとんどが70、80代の高齢者で、大型の横断幕を電柱にくくりつける作業だけで10分かかった。長時間立っているのが体にこたえるので椅子を用意し、旗を差すなどの準備が終わると30分が過ぎていた。このような過程を経た街頭デモは、1649回も行われた。
 平和を望む宮古島の住民の願いとは裏腹に、国際情勢はますます暗鬱になっている。今年2月のロシア侵攻からウクライナ戦争は続き、北朝鮮は連日ミサイルを発射している。東シナ海・南シナ海での中国の脅威は依然として強い。バイデン米大統領が20~24日の初めての韓国・日本歴訪で、対中包囲網を強化し、北朝鮮とロシアに対する警告水位を高めると、朝中ロが同時多発的に反撃に出た。「力対力」がぶつかり、東アジア地域の軍事的緊張感がさらに高まっている。「安保」を名分に繰り広げられる今の対決が何のためのものなのか、あやふやに感じられる。
 「正義が川のように流れ、平和が春の陽のように地球を包む、戦争のない日がくることを願う」。宮古島の日本軍「慰安婦」祈念碑にハングルで書かれた最後の一文が、頭の中で繰り返し響いている。

キム・ソヨン|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1044566.html
韓国語原文入力:2022-05-27 02:37
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「ロシア地方議員、ウクライナ侵攻の停止要求 批判浴びる」

2022年05月28日 | 国家・社会
https://www.afpbb.com/articles/-/3407130?pid=24551989
「AFP」 2022年5月28日 2:32 発信地:モスクワ/ロシア
■ロシア地方議員、ウクライナ侵攻の停止要求 批判浴びる
【5月27日 AFP】ロシア極東・沿海(Primorsky)地方の議会で27日、共産党議員2人が、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領に対しウクライナへの侵攻を停止するよう求めた。同国議員が公の場で政府への反対を表明するのはまれ。
 3か月にわたり続くウクライナ侵攻では多数の死傷者が出ているものの、ロシアの各政党や政府高官の大半はプーチン氏を支持している。だがこの日の沿海地方議会では、共産党のレオニード・ワシュケビッチ(Leonid Vasyukevich)議員がプーチン氏に対しウクライナ撤退を訴える声明文を読み上げ、議場は騒然となった。
 その際の映像によると、ワシュケビッチ氏は「軍事作戦を停止しなければ、国内でさらに多くの孤児が生まれるだろう」と指摘。「軍事作戦中に障害者となる人々もいる。わが国に大いに貢献する可能性のある若者たちだ」とし、「ロシア軍の即時撤退を要求する」と述べた。
 数人の議員やオレク・コジェミャコ(Oleg Kozhemyako)知事がワシュケビッチ氏を制止しようとした。知事は、同氏をロシア軍の評判を汚す「裏切り者」と呼び批判した。
 ワシュケビッチ氏によると、声明文には4人の共産党議員が署名していたが、そのうち2人は議会でその内容に反対を表明した。議会はその後、登院していた議員の賛成多数で、声明文に賛同した同氏とゲンナジー・シュリガ(Gennady Shulga)議員から同日の発言権を剥奪することを決めた。
 地元共産党トップのアナトリー・ドルガチョフ(Anatoly Dolgachev)氏は、声明文は党の承認を得ていなかったとし、「最も厳しい措置」を取ると約束した。


https://www.afpbb.com/articles/-/3405048?cx_part=latest
「 AFP」 2022年5月22日 9:00 発信地:サンクトペテルブルク/ロシア
■「沈黙は賛成と同じ」 ロシアで声を上げる76歳の反戦画家

【写真】ウクライナ侵攻に抗議する自作プラカードと撮影に応じる画家のエレーナ・オシポワさん。ロシア・サンクトペテルブルクの自宅で(2022年5月8日撮影)。
【写真】ウクライナ侵攻に抗議するプラカードを制作する画家のエレーナ・オシポワさん。ロシア・サンクトペテルブルクの自宅で(2022年5月8日撮影)。 
【写真】ウクライナ侵攻に抗議する自作プラカードと撮影に応じる画家のエレーナ・オシポワさん。ロシア・サンクトペテルブルクの自宅で(2022年5月8日撮影)。  

【5月22日 AFP】ロシアが第2次世界大戦(World War II)の対ドイツ戦勝記念日(Victory Day)を迎えた9日、画家のエレーナ・オシポワ(Yelena Osipova)さん(76)はほとんど寝ずに、ウクライナ侵攻に抗議するプラカードを仕上げた。
 しかし、ロシア第2の都市サンクトペテルブルク(St. Petersburg)にある自宅を出た途端、見知らぬ男性2人にプラカードを奪われ、持ち去られた。
 「明らかに組織的な妨害でしょう」。それでもオシポワさんは、めげることなく代わりのポスターをつかむと、再びデモへ向かった。
 大学で芸術を教えていた元教授でもあるオシポワさんは、2000年にウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)氏が政権の座に就くと、その2年後から20年間、街頭デモを行ってきた。地元では「サンクトペテルブルクの良心」として知られる存在だ。オシポワさんが機動隊にたびたび拘束される映像は、ソーシャルメディアで広く拡散されている。
 「今、大事なのは、禁じられていようとも『戦争反対』の声を上げることです」。
 ロシア政府が「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻を開始して以降、各地の抗議デモは容赦なく弾圧され、侵攻を批判すると15年の実刑に処される可能性がある。
 オシポワさんは、2014年にはロシアによるウクライナ南部クリミア(Crimea)半島の併合や、ウクライナ東部での武力衝突に抗議した。今は、ウクライナ侵攻を批判している。

◆「国を愛するなら、責任は自分に」
 「こんなことを国民として受け入れてしまうとしたら、自分の子どもたちの未来を考えるのをやめることになります」。
 アパートの部屋にある自作のプラカードには、反戦と反政権を掲げるメッセージがあふれている。「私たちは子どもたちにどんな世界を残していくのか──それがプラカードに込める思いです」
 他にも「使い捨ての兵士にされるのはごめんだ」、「妻よ、母よ、戦争を止めよう」、「私たちは帝国主義による挑発的な政治の犠牲者だ」といった言葉が書かれたポスターが並ぶ。
 「私は声を上げ続けてきました。沈黙は、自分の国で起きていることに賛成するのと同じだからです」とオシポワさんは言う。「だから、私は抗議に行くのです」。
 何度も拘束されたせいで警察にすっかり顔を覚えられ、最近では連行されずにまっすぐ家に帰されることもあるという。
 「とうの昔に怖くなくなりました」とオシポワさん。「自分の国で恐れてはいけません。自分の国を愛するなら、その国の責任は自分にあると思うべきです」 。
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「「人権知らぬ自由は権力の自由」差別禁止法制定求め46日間続けたハンスト=韓国」

2022年05月27日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/43582.html
「The Hankyoreh」 2022-05-27 08:06
■「人権知らぬ自由は権力の自由」差別禁止法制定求め46日間続けたハンスト=韓国
 ミリュさん「政治の失敗…闘いは続く」 
 46日目にして差別禁止法ハンスト中断 
 「国民の力は与党の資格なし… 
 民主党は民主勢力自任をやめよ」

【写真】差別禁止法制定を求めて46日間ハンスト座り込みを行ってきた差別禁止法制定連帯のミリュ責任執行委員が26日、ソウル汝矣島の国会議事堂前で行われた座り込み&ハンスト終了記者会見で発言している=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「どうしようもなく悔しくもあり、苦々しくもあり。(しかし)これで終わりではないということも非常によく分かるというか。そんな気持ちです」。
 差別禁止法制定連帯(差制連)責任執行委員のミリュさん(人権運動サランバン常任活動家)に、46日間にわたって続けてきたハンストを中断する心情を尋ねた。ハンスト座り込みでやせ細ったミリュさんは、20秒間沈黙した後、低い声で「これで終わりではないから」と語った。「ハンストは中断しますが、差別禁止法制定のための闘いに中断はありません」。
 差制連は26日、ソウル永登浦区(ヨンドゥンポグ)の国会前の座り込み現場でハンスト座り込み終了記者会見を行い「ハンストは平等な社会でより幸せに生きていくために選んだ闘争方法だったので、私たちの仲間の命が危険になるまでは続けないことを決めた」と語った。
 記者会見でマイクを握ったミリュさんは、市民が差別禁止法の制定を求めているにもかかわらず、なかなか議論を進めない共に民主党と国民の力に対して「私たちが目撃したのは、この地の政治のみじめな失敗」だと述べた。
 そして、「意見を聴取する公聴会さえ拒否する国民の力に、与党の資格はない。大統領が『自由』を叫んでどうするのか。人権を知らない自由は権力の自由にすぎない」と述べた。続けて「市民がこのように切に求めているのに、法案審査を始めることさえできない共に民主党も、民主勢力を自任するのはやめよ」と述べた。ハンスト座り込み45日目である前日(25日)、国会法制司法委員会の法案審査第1小委員会では、差別禁止法制定のための公聴会が開かれたが、国民の力は合意されていない公聴会だとして参加しなかった。
 記者会見の参加者は、167議席を持ちながら差別禁止法の制定に積極的に取り組まない民主党を厳しく批判した。性的マイノリティ差別反対レインボー行動のイ・ホリム執行委員は「この場で確認するのは運動の失敗ではなく政治の失敗、そして国会の過半数を占める共に民主党の失敗」だと述べ、差制連のジオ共同執行委員長は「共に民主党に『過半数の議席でもって、せめて議論のテーブルに載せよ』として迅速処理案件への指定を求めたが、パク・ホングン院内代表と法制司法委員会のパク・クァンオン委員長からの返事はついになかった」と話した。
 ミリュさんは、ハンスト座り込みの中断は新たなはじまりだと強調した。「ハンストは中断しますが、差別禁止法制定のための闘いに中断はありません。差別に立ち向かうのは、自らの尊厳を放棄することのできない人々にとってはやめられない闘いだからです。この闘いは法の制定にとどまらず、平等を目指して韓国の社会と政治を根本的に変える闘いへとつながらざるを得ません。この春、市民が丁重に与えた機会を逃した二大政党は、その審判の結果がいかなるものになるか、まもなく見ることになるでしょう。そして私たちはすぐに再会し、新たな闘いをつないでいくことになるでしょう。平等の春はもう始まっています」。
 差別禁止法案は2007年に法務部が初めて上程したが、プロテスタント界などの反対により、国会では法案上程と廃案が15年にわたり繰り返されている。昨年6月には10万人以上が署名した国会国民同意請願が法司委に付されたものの、法司委は昨年11月に審査期限を第21代国会最終日の2024年5月29日にまで延長している。
 ミリュさんは、この日夜7時ごろから国会前で開かれる文化祭に参加した後に病院に向かう予定だ。差制連は、27日午前に国会前に設置した座り込み会場を撤去し、活動家の回復などの再整備を経て、下半期から差別禁止法制定を目指す運動を再開する計画だと明らかにした。

ソ・ヘミ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1044498.html
韓国語原文入力:2022-05-26 15:22
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「ドキュメンタリー映画『教育と愛国』が記録した政治の露骨な教育介入」

2022年05月26日 | 国家・社会
https://www.newsweekjapan.jp/mori/2022/05/post-48.php
「Newsweekjapan」 2022年05月25日14時30分(2022年5月31日号掲載)
■ドキュメンタリー映画『教育と愛国』が記録した政治の露骨な教育介入
 2015年8月、安倍晋三首相(当時)は戦後70年談話を発表し、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。
 いつまで謝罪しなければならないのか。何度賠償を要求されるのか。おそらくこれは、保守的な思想を持つ多くの日本人の気持ちの代弁でもあるのだろう。でも韓国や中国などかつて日本から加害されたアジアの国の多くは、決して謝罪や賠償だけを求めているわけではない。
 彼らの本意は謝ってほしい、ではなく、忘れないでほしい、なのだ。
 しかし日本は忘れる。被害の記憶は語り継ぐが、加害の記憶は風化する。その意味で、長く論争の対象となってきた南京虐殺や従軍慰安婦問題はまだましだ。李氏朝鮮26代高宗の妃を殺害した閔妃暗殺事件、オーストラリア兵・オランダ兵捕虜を殺害したラハ飛行場虐殺事件、市民10万人が犠牲になったマニラ市街戦での住民虐殺、中国で3000人以上を人体実験で殺害した731部隊。ほかにも日本国や日本人が関わった虐殺は数多い。でも多くの人は知らない。忘れる以前にそもそもインプットされていない。
 確かに失敗や挫折の記憶はつらい。できることなら忘れたい。なかったことにしたい。でもそれでは人は成長しない。個人史と同じだ。成功体験ばかりを記憶するならば、傲慢で鼻持ちならない人格になってしまう。同じ過ちを繰り返さないために記憶する。歴史を学ぶ意義はここにある。でも特に近年、こうした負の歴史を伝えることは自虐史観として、忌避される傾向がとても強くなっている。
 06年、第1次安倍政権下で教育基本法にいわゆる「愛国心条項」が加えられた。その後も政治権力は教育に介入を続け、教科書は大きく変わり続けている。例えば道徳の教科書で、「パン屋」は「和菓子屋」に変えられた。理由はよく分からない。パンは西洋発祥だからなのだろうか。
 このエピソードをオープニングに置いたドキュメンタリー映画『教育と愛国』は、急激に接近する教育と政治の関係を描く。とはいえ、決してお堅い社会派映画ではない。そのテイストはホラーでありギャグでもある。ところがテーマは深刻だ。
 歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた教科書出版社の元編集者や保守派に支持される教科書の執筆者へのインタビュー、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師や研究する大学教授への一方的なバッシング。無邪気にネットのフェイクニュースを信じる政治家たち。
 ......教育と愛国というキーワードを導線にしながら、多くの人が登場する。そもそもはテレビドキュメンタリーだったが、放送後に起きた日本学術会議の任命拒否問題なども取材して再構成を重ねて映画になった。
 ロシア国民によるプーチン大統領への支持率が80%を超えていることを多くの人はいぶかるが、もしもあの時代にこの国で世論調査が行われたならば、ほぼ100%が中国侵攻や軍事政権を支持していたはずだ。
 人は環境によりどのようにも変わる。だからこそメディアと教育は重要だ。そのメディアが愛国心に侵食された教育に挑む。二大怪獣の最後の決戦だ。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220519002000882?section=news 
「聯合ニュース」 2022.05.19 14:09
■教科書への政治的圧力に警鐘 映画「教育と愛国」の斉加尚代監督
【東京聯合ニュース】教育への政治的圧力と介入を告発するドキュメンタリー映画「教育と愛国」の公開がこのほど日本で始まった。聯合ニュースの取材に応じた斉加尚代監督は、日本政府が歴史的事実をねじ曲げる教科書を検定で合格させていることに対し「歴史の蓄積が政権を執っている権力によってねじ曲げられるということ。それを許してしまうと、日本の歴史教育がロシアの愛国教育とどこが違うのかという世界になってしまう」と懸念を示した。

【写真】監督を務めた毎日放送ディレクターの斉加氏。映画の上映が始まった東京都内の劇場で=(聯合ニュース)
【写真】映画「教育と愛国」のポスター(製作委員会提供)=(聯合ニュース) 
【写真】日本の高校の歴史教科書(資料写真)=(聯合ニュース 
【写真】斉加尚代監督=(聯合ニュース) 

 斉加氏は「学問の自由を脅かす政治の介入、圧力をみんなの声で排除していかなくては、この社会の未来というものがとても危ないものになる」と強い危機感を示した。この映画をつくりながら「歴史教育、教科書を政治が意のままにすれば、行き着く先は戦争」とも考えた。映画公開の発表は偶然にもロシアのウクライナ侵攻開始と同じタイミングとなり、こうした思いを一層強くしたという。
 日本では近年、権力による教育への介入や学問の自由の侵害が起きている。今年3月、主に高校生が2023学年度から使用する教科書の検定では、日本による植民地時代に行われた朝鮮半島出身者の「強制連行」を「動員」に、「従軍慰安婦」を「慰安婦」と表現を修正した教科書が合格した。当局が再三「政府の統一見解」を強調した結果だ。
 「教育と愛国」は、教科書の旧日本軍慰安婦問題の記述を巡り、日本の右翼の攻撃、政界の圧力、学会での問題などを逃すことなく追った。教科書で旧日本軍慰安婦問題を詳しく取り上げたために右翼から攻撃され、教科書の採択が減った結果、倒産に追い込まれた出版社の事例なども取り上げた。
 今年の教科書検定であらわになった政府の教育介入について、斉加氏は子どもたちの学ぶ権利を奪うものだと指摘した。日本が加害国になりアジアの人々を苦しめたという歴史を教えることは、戦争の悲惨さや恐ろしさを子どもたちに伝えることになるとの考えを示した。
 「教育と愛国」は17年に毎日放送(大阪市)のドキュメンタリー番組として放送された。同局の記者、ディレクターとして1990年代初めから日本の教育現場を取材してきた斉加氏は、2019年にこのドキュメンタリーを書籍にしている。さらに最新の状況を追加取材して映画も制作した理由を尋ねたところ、「教育の普遍的価値を壊されたくない、守りたいという気持ちが強かった」との答えが返ってきた。
 斉加氏は韓国の教育の動向にも関心を示している。かつて朴槿恵(パク・クネ)政権が歴史教科書の国定化を目指したが、国内で反対する声が強く実現に至らなかった。斉加氏は「そこが韓国だ」とし、「明らかな政治圧力もあるが、それを跳ね返す民主的な力、エネルギーもとてもある」と評価した。
 一方、日本ではおかしいと思われる政治家を退場させるという共通理解が薄まり、批判する人がむしろたたかれるという冷笑主義のようなものが感じられるとした。
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「韓国の市民団体が声明「日本の国連常任理事国入りの試みを糾弾する」」

2022年05月25日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/43565.html
「The Hankyoreh」 2022-05-25 09:12
■韓国の市民団体が声明「日本の国連常任理事国入りの試みを糾弾する」

【写真】市民団体「独立」のイ・マンヨル理事長=キム・ギョンエ記者//ハンギョレ新聞社

 韓国の市民団体「独立」(理事長イ・マンヨル)は24日、声明を出し「反省のない戦犯国家である日本が国連常任理事国入りしようとする試みを厳重に糾弾する」と明らかにした。
 声明によると、23日に日本を訪問したジョー・バイデン米大統領が、岸田文雄首相との首脳会談で「日本の国連常任理事国入りを支持」と明らかにしたことに関連して「問題は戦争国家日本の復活」と指摘した。
 日本は1990年代以降、国連の分担金3位の資金力を動力に「ドイツ・インド・ブラジルと共にいわゆる『G4』が追加で国連常任理事国になるべき」と主張しており、最近、ウクライナ侵攻糾弾決議案がロシアの拒否権行使で失敗に終わったことを口実に、再び外交戦を強化している。
 同声明は、「我々は、日本の試みが北東アジアの平和と善隣友好の韓日関係を埋葬する退行だと規定する。また、我々はこのような退行が日本の孤立に帰結することをはっきりと警告する」と主張した。さらに、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権に向けて「日本の極右勢力のうごめきに断固として対抗しなければならない。大韓民国は天から落ちた国ではない。日帝の強制占領に対抗して戦った先烈たちの血で取り戻した国だ。未来志向的な善隣友好の韓日関係も、このような歴史認識の共有が前提だ。戦争国家日本が復活するならば、歴史はその責任を尹錫悦政権に問うであろうと厳重に警告する」と明らかにした。

キム・ギョンエ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1044225.html
韓国語原文入力:2022-05-25 02:04
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「国連特別報告者に中国から2500万円、「民族浄化の隠蔽支援」 監視団体」

2022年05月24日 | 国家・社会
https://www.afpbb.com/articles/-/3405809
「AFP」 2022年5月20日 15:11 発信地:ジュネーブ/スイス
■国連特別報告者に中国から2500万円、「民族浄化の隠蔽支援」 監視団体

【写真】国連のアリーナ・ドゥハン特別報告者。ベネズエラの首都カラカスで(2021年2月12日撮影)。(c)uri CORTEZ / AFP
【写真】中国北西部、新疆ウイグル自治区の「再教育施設」とされる建物(2019年6月4日撮影)。(c)GREG BAKER / AFP 

【5月20日 AFP】国連(UN)監視団体「UNウオッチ(UN Watch)」は19日、国連のアリーナ・ドゥハン(Alena Douhan)特別報告者が2021年に中国から20万ドル(約2560万円)を受け取る一方、同国がイスラム系少数民族ウイグル人に対する「民族浄化を隠蔽(いんぺい)するのを支援」したと非難し、返金を求めた。
 ドゥハン氏はベラルーシ人法学者。2020年3月、国連人権理事会(UN Human Rights Council)から特別報告者に任命された。一方的な制裁の負の影響を専門とする。国連特別報告者の主張は必ずしも国連の見解を反映するものではない。
 ドゥハン氏は昨年9月、新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)を「素晴らしい土地」と喧伝(けんでん)する中国政府が後援するオンラインプロパガンダイベントに出席した。
 イベントでは中国の外交官や高官が、西側諸国が中国に対する中傷キャンペーンを展開していると非難。「新疆ウイグル自治区の政策は国際的な労働・人権基準に従っており、生活水準の向上を目指す全民族の意志を支持する」と主張する映像も流された。
 欧米諸国は中国によるウイグル人へのジェノサイド(大量虐殺)を認定しているが、中国は断固として否定している。
 UNウオッチによると、ドゥハン氏は昨年、他にも二つの西側諸国による制裁を批判するイベントに出席。イベントは中国、ベラルーシ、イラン、ベネズエラ、ロシアの共催だった。
 UNウオッチのヒレル・ノイアー(Hillel Neuer)事務局長は「独立した立場であるべき人権専門家が政権から金を受け取り、残虐行為を隠蔽すべく企図されたイベントを支持するとは信じ難い」と非難した。
 中国からドゥハン氏への献金は3月、国連総会(UN General Assembly)に提出された国連人権理事会が任命したすべての特別報告者と作業部会の活動に関する報告書で発覚した。
 国連人権理事会の報道官はAFPの取材に対し、特別報告者の活動資金は国連の通常予算で賄われるが、委託された仕事の量に対して決して十分とはいえないとして、特定の活動に対する任意献金の必要性を強調した。
 特別報告者の活動には多くの国が献金しているが、中国が昨年ドゥハン氏に献金した額は群を抜いて多かった。ドゥハン氏はロシアからも15万ドル(約1900万円)、カタールからも2万5000ドル(約320万円)を受け取った。
 ドゥハン氏はベネズエラやジンバブエ、イランなどを訪問。制裁は「壊滅的な人道的影響」をもたらし違法であり、解除すべきだと主張。人権活動家からは、権威主義国の苦境は西側諸国に科された制裁が原因だと主張し、権威主義政権のプロパガンダに利用されていると批判されている。(c)AFP/Nina LARSON
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「尹政権の初代教育秘書官、親日・独裁美化した国定教科書「世論操作の実務者」だった」

2022年05月23日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/43495.html
「The Hankyoreh」 2022-05-18 08:46
■尹政権の初代教育秘書官、親日・独裁美化した国定教科書「世論操作の実務者」だった
 朴槿恵政権時代、国定化の実務を担当 
 国定化に賛成する世論作りに向けて 
 討論会パネルを保守系人物で構成し 
 保守団体に随意契約で研究を依頼 
 朝鮮日報などへの寄稿文も計画・実行 
 世論操作は認めたが、時効過ぎて処罰されず

【写真】今月17日、ソウル龍山区の戦争記念館前で民族問題研究所のメンバーがクォン・ソンヨン教育秘書官の任命撤回を求める1人デモを行っている/聯合ニュース

 クォン・ソンヨン大統領室教育秘書官が、親日附逆と独裁を美化したという批判を受けて廃棄された朴槿恵(パク・クネ)政権の歴史国定教科書の推進過程で「世論操作」など実務を主導していたことが明らかになった。尹大統領が当選後、国定教科書推進の主役であるイ・ベヨン元韓国学中央研究院院長を特別顧問に任命したのに続き、国定教科書関連者を再び登用したことをめぐって、歴史学界と歴史教育界の懸念が高まっている。
 17日、共に民主党のカン・ドゥック議員が確保した教育部の「歴史教科書国定化関連調査結果報告書」と「歴史教科書国定化の真相調査白書」によると、クォン秘書官は2014年1月~12月、教育部歴史教育支援チーム長として働きながら、歴史教科書国定化のための実行計画と核心論理を開発し、国定化への賛成世論を造成・操作する役割を果たした。具体的にクォン秘書官は、2014年8月30日に開かれたテレビ討論会に国定化を支持する討論者として出演したカン・ウンヒ当時セヌリ党議員に、討論資料を自ら提供した。同年9月2日と9月14日、国定化を支持する教授の寄稿文が文化日報と朝鮮日報に掲載されるよう計画し、実際に寄稿文が掲載された。クォン秘書官は、教育部の真相調査委員会の調査過程で「彼ら(教授たち)と事前に話し合った事実がある」と認めた。本紙は同日、クォン秘書官に電話と携帯メールを通じて数回連絡を試みたが、クォン秘書官はこれに応じなかった。
 特にクォン秘書官は、2014年9月25日に開かれた第2回韓国史教科書発行体制改善討論会で、国定化への賛成意見が多数になるよう、賛成する人物を中心にパネルを構成した。また、企画室を通じた公募手続きを踏まず、教育部政策課題(用役費3000万ウォン)を保守系団体に随意契約で与えたこともあった。真相調査委はこのような世論操作や政策課題の不当支援が刑法上職権乱用にあたるとともに、国家公務員法の誠実義務、親切・公正の義務、品位維持の義務に反するとして、クォン秘書官に警告措置を与えるべきという意見を示したが、懲戒時効3年が過ぎていたため、処罰は行われなかった。

【写真】歴史教科書「国定化真相調査白書」の付録に掲載された、教育部歴史教育支援チームが2014年10月2日に作成した文書の一部//ハンギョレ新聞社

 全国歴史教師会のパク・レフン会長はこの日、本紙との電話インタビューで、「イ・ベヨン元院長に続き、国定化問題に責任ある人を相次いで任命するのをみると、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権には歴史教育の方向性が欠落しているのではないかと思う」とし、「クォン秘書官が明確な教育哲学を持って働くよりも、(国定化当時のように)『魂のない公務員』として政権の顔色を見て動くのではないかと懸念される」と話した。民族問題研究所は13日、声明を発表し、「教科書国定化を主導的に計画して実行したことですでに歴史的審判を受けた人物に、国家の教育政策を再び任せるわけにはいかない」としたうえで、この日から20日まで龍山(ヨンサン)の大統領執務室の向かい側で、クォン秘書官任命撤回を求める1人デモを行う予定だ。クォン秘書官をめぐる議論と関連し、キム・デギ大統領室秘書室長は同日、国会運営委全体会議に出席し、「(クォン秘書官が)そこまで(世論)操作を行い、主導したという主張には同意しかねる」と述べ、疑惑を否定した。

イ・ユジン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/schooling/1043221.html
韓国語原文入力:2022-05-18 02:41
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「韓国監査院、尹美香問題に刀抜いた…「市民団体の会計モニタリングする」」

2022年05月22日 | 日本軍隊性奴隷
https://japanese.joins.com/JArticle/289838?servcode=200&sectcode=200
「中央日報日本語版」 2022.04.12 09:48
■韓国監査院、尹美香問題に刀抜いた…「市民団体の会計モニタリングする」
 監査院が国庫補助金を受けている市民団体の会計モニタリングを実施すると先月25日に政権引き継ぎ委員会に業務報告したと監査院関係者が明らかにした。いわゆる「尹美香(ユン・ミヒャン)スキャンダル」で市民団体の不透明な会計処理問題が指摘されたが、これに対し監査院が刀を抜いたのだ。
 監査院は政権引き継ぎ委員会政務司法行政分科の業務報告で「市民団体会計不正関連報告」をしながら「監査院の会計監査専門家が市民団体の会計執行・処理に対するモニタリングをする」という趣旨の計画を明らかにしたという。まず市民団体の国庫補助金事業からモニタリングし、後に市民団体の寄付金までモニタリングを拡大するという計画も報告された。
 政務司法行政分科幹事である「国民の力」のイ・ヨンホ議員は中央日報との通話で「文在寅(ムン・ジェイン)政権で市民団体に多くの支援がされたがこれに対する管理はしっかりされていなかった。今後これに対して監査院がモニタリングにより管理するという意味の報告だった」と話した。
 尹錫悦(ユン・ソクヨル)次期大統領は大統領候補当時の昨年11月23日に「朴元淳(パク・ウォンスン)市長時代にソウル市は親与党市民団体の金庫と変わらなかった」と話したりもした。1月には「権力と結託した市民団体の違法利益を全額還収する」と公約した。尹氏の当選後に政権引き継ぎ委員会は会計監査機関である監査院と市民団体業務主務官庁である行政安全部に市民団体の会計透明化案をまとめるよう注文した。
 ただ監査院関係者は「モニタリングを優先するということであり、すぐに監査を進めるという意味の報告はではなかったものと理解する」と話した。同関係者は「いまでも他の国庫補助金事業などに対してまずモニタリングをして、問題が多くみつかれば監査を進める」と説明した。監査院は具体的に市民団体の会計をどのようにモニタリングするのか検討しているという。
 これに先立ち尹美香議員が正義記憶連帯理事長を務めながら文化体育観光部とソウル市から総額3億ウォン以上の補助金を不正受領した容疑が2020年の検察捜査で明らかになった。旧日本軍「慰安婦」被害者の国外旅行経費などを募金した後、5755万ウォンを個人的に使った容疑も見つかった。業務上横領、準詐欺などの容疑で起訴された尹議員は裁判を受けている。
 監査院はまた、業務報告で177の在外公館に対する監査も強化すると報告し、在外公館監査専従部署を新設するという計画も明らかにした。2020年に在ニュージーランド韓国大使館で発生した外交官セクハラ事件など在外公館ではこれまで大小の不正が絶えなかった。だが海外で発生したことのため監査がまともに行われていないという批判があった。
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