前世紀末、1999年7月6日から8月29日まで、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と大阪人権博物館(リバティおおさか)は、企画展「“木本事件”――熊野から朝鮮人虐殺を問う――」を開催しました。
その約3年後、2002年11月ころ、大阪史についての企画展(あるいは特別展)を開催する準備を始めました。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、大阪人権博物館(リバティおおさか)に協力を求められ、2002年11から2004年春までの間に、11回、企画展(あるいは特別展)「海南島で日本は何をしたのか――侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化――」の展示内容について大阪人権博物館(リバティおおさか)との綿密な打ち合わせ会議を重ねました。
大阪人権博物館(リバティおおさか)は、2003年末に、翌2004年7月21日から8月15日まで企画展「日本は海南島で何をしたのか」を開催すると広報しはじめ、『催し物のご案内(2004年4月~8月)』というリーフレットに、企画展「日本は海南島で何をしたのか」を2004年7月21日から8月15日まで大阪人権博物館のギャラリーで開催するという案内を掲載しました。
ところが、開催概要5週間あまり後に迫っていた、2004年5月13日に、大阪人権博物館(リバティおおさか)は、当初の企画展名「海南島で日本はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・性奴隷化――」が“刺激的だ”という理由で、変更したいと提案してきました。展示の内容は変えないというので、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、企画展名を「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」と変更することに合意しました。
その半月後、2004年5月30日に、大阪人権博物館(リバティおおさか)は、紀州鉱山の真実を明らかにする会に、一方的に、企画展「日本は海南島で何をしたのか」の開催を中止すると通告してきました。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は直ちに、大阪人権博物館(リバティおおさか)にたいして、①中止する理由が正当なものだと理解することも了承することもできない、②予定通り開会するためにはどうしたらいいのかを紀州鉱山の真実を明らかにする会とともに検討してほしい、と告げました。
この問題にかんして、2004年6月14日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、つぎのような文書を公表しました。その全文はつぎのとおりです。
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★企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)延期のお知らせ
大阪人権博物館で、7月21日~8月15日に開催する予定で準備を進めていた企画展示「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)が、大阪人権博物館の事情で、延期されることになりました。
5月13日、大阪人権博物館から、当初の企画展名「海南島で日本はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・姓奴隷化――」が“刺激的だ”という理由で、変更を提示され、展示の内容は従来通りで、企画展名を「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」に変更することに合意しました。
大阪人権博物館では、特別展「つくられる日本国民」(4月13日~6月13日)を開催中に、戦闘服姿の集団が押しかけたり、大阪市議会議員がポスターの撤去、展示の即時中止などを要求してきたそうです。
5月30日、大阪人権博物館から、現在の状況で、企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」を開催すると、さらに右翼の攻撃が強まることが予想され、大阪人権博物としては対処できないので、延期をしたいという「提案」がありました。これは、大阪人権博物館側では、決議を経た決定でした。
今回の企画展は、主催が大阪人権博物で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は後援することになっていました。この間、2002年11月から約10回にわたって、大阪人権博物館側と打ち合わせ会議をおこない、企画展の準備を進めてきましたが、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては、主催の大阪人権博物館ができないという以上、やむをえません。
「ヒノマル」「キミガヨ」が強制され、軍隊が海外に派兵され、排外主義が強まっているいまの日本でこそ、今回の企画展は、大切な意味を持つと考えたのですが、残念ながら、わたしたちの力が及ばず、こういう結果になりました。
なお、海南島における日本侵略史を概観する展示は、2005年7月~8月、大阪市内で、主催:紀州鉱山の真実を明らかにする会、後援:大阪人権博物館として、おこなう予定です。
韓国では予定通り、今年2004年9月から約3か月間、主催:民族問題研究所・独立記念館、後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会で、独立記念館での展示をふくめ、全国巡回展示をおこないます。
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2004年10月1日~10月10日に、西大門刑務所歴史館で、特別展『해남도에서 일본은 무엇을 했는가? 침략・학살・약탈・성노예화(海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化)』(主催:民族問題研究所、獨立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が開催されました。続いて同じ内容の展示会が、10月15日~11月21日に韓国独立紀念館で開催されました。この韓国での展示会の内容は、大阪人権博物館(リバティおおさか)が7月21日から8月15日まで開催を予定していながら、開会50日前に突然延期した展示会「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」の内容とほぼ同一でした。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、この韓国での展示の準備を、2003年秋からすすめていました。この特別展の構成は、つぎのとおりでした。
Ⅰ、総論:海南島で日本はなにをしたのか
Ⅱ、軍事侵略、抗日闘争
Ⅲ、経済侵略:土地略奪・資源略奪・労働強制
Ⅳ、「朝鮮村」虐殺
Ⅴ、海南島における日本軍隊性奴隷制
Ⅵ、侵略犯罪に時効はない!
大阪人権博物館(リバティおおさか)は、2004年7月1日発行の『広報誌リバティ』26号に、「企画展“日本は海南島で何をしたのか”の中止について」を掲載しました。その全文はつぎのとおりです。
大阪人権博物館では、7月21日から8月15日まで企画展「日本は
海南島で何をしたのか」の開催を「紀州鉱山の真実を明らかにす
る会」の後援により予定し、当館発行の「催し物のご案内」など
で広報していました。
しかしながら、2005年の常設展示の全面リニューアルの実現とそ
の準備などの諸事情により、本企画展の開催を中止することを判断
しました。
なお、当館は8月16日から常設展示リニューアルのための休館し
ますが、本企画展については来年度以降の実現のため、開催形態
を含めて検討しています。
最後に、本企画展の中止についてお詫び申し上げますとともに、
皆さまのご理解をいただきたいと存じます。
大阪人権博物館(リバティおおさか)が「来年度以降の実現のため、開催形態を含めて検討しています」と公言したのは、2004年7月でした。しかし、それからこれまで15年あまりのあいだに大阪人権博物館(リバティおおさか)は、企画展「海南島で日本は何をしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化」(→企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」を開催する努力をほとんどしてきませんでした。
大阪人権博物館(リバティおおさか)の建物は、2020年7月以後、解体されることになり、5月25日から31日までの一週間、最終的に開館されました。
わたしは、5月30日に、大阪人権博物館(リバティおおさか)を訪問しました。
展示会場の入り口に、「特別企画 リバティおおさか35年展(2020年1月15日~3月14日)」というタイトルが掲げられており、そこに「大阪人権博物館のあゆみ」と題する年表が示されていました。
そしてそこに、
2004年2月6日 入館者100万人を越える
3月 リニューアル工事のため休館
と書かれてありました。
大阪人権博物館(リバティおおさか)が、「リニューアル工事のため休館」したのは、2004年8月16日でした。2004年3月に「リニューアル工事のため休館」したという誤記は、大阪人権博物館(リバティおおさか)が2004年5月の企画展「海南島で日本は何をしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化」(→企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」を中止(→延期)した問題を真剣に解決しようとしてこなかったことを示しています。
海南島近現代史にかかわって何を展示するのか。何を展示しないのかは、展示主体の思想に規定されます。
しかし、展示(事実の伝達)をおこなわないというのであれば、その主題にかかわって、博物館の役割は根本のところで空無となります。
大阪人権博物館(リバティおおさか)は、「人権問題に関する調査研究をおこなうとともに、関係資料や文化財を収集・保存し、あわせてこれらを展示・公開することにより、人権思想の普及と人間性豊かな文化の発展に貢献する」ことを設立目的としています。
海南島近現代史にかんする展示の中止→延期は、「人権に関する総合博物館」としての大阪人権博物館(リバティおおさか)存在理由にかかわる重大な問題です。
2022年に再出発しようとしている大阪人権博物館(リバティおおさか)が、2004年の誤りを克服することを願っています。
佐藤正人
【付記】本稿には、大阪人権博物館編刊『大阪人権博物館紀』第10号(2008年3月1日)に掲載された紀州鉱山の真実を明らかにする会「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」(文責キム チョンミ)をほぼそのまま使用した箇所があります。
「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」の全文は、このブログに10回に分けて連載してあります(2009年5月3日~5月12日)。