■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 2
2004年2月、「朝鮮村発掘」開始直前に、それまで「発掘」に協力していた「朝鮮村」の埋葬地域の地権者(韓国人)が突然「発掘」を拒否したため、紀州鉱山の真実を明らかにする会と民族問題研究所・太平洋戦争被害者補償推進協議会との「共同発掘」が不可能になった。
この年の3月5日に、韓国で「日帝強占下強制動員被害などに関する真相究明特別法」が公布された。
2003年末から、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における侵略犯罪と海南島民衆の抗日反日闘争の歴史をたどるドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の制作を開始し、2004年4月に完成させた。
2004年5月に開催された「日本の過去清算を要求する国際協議会 ソウル大会」の「遺骨問題セッション」で、太平洋戦争被害者補償推進協議会の金銀植さんが、「朝鮮村」の朝鮮人遺骨について報告した。
2004年7月21日から8月15日まで、大阪人権博物館(リバティ大阪)で、展示会『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)開催されることになっており、この年春から、大阪人権博物館は、「催し物のご案内」などで、この企画展の趣旨や期日を公表していた。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2002年11月から、この展示会内容にかんする綿密な打ち合わせ会議を人権博物館とくりかえしおこなっていた。
ところが、とつぜん、5月13日に、大阪人権博物館は、紀州鉱山の真実を明らかにする会に、『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』という表題では「右翼」から展示が妨害されるおそれがあるので変更してほしいと、申し入れてきた。
展示内容は変えないというので、わたしたちは、展示会の表題を『海南島とアジア太平洋戦争 占領下で何がおこったか』とすることに合意した。しかし、さらに、5月30日に、大阪人権博物館は、展示そのものを延期すると一方的に通告してきた。
この展示会は、8年あまりたった2012年11月末の時点でも延期され続けている。
この問題にかんして、6月14日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、つぎのようなお知らせをおこなった。
★企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)延期のお知らせ
大阪人権博物館で、7月21日~8月15日に開催する予定で準備を進めていた企画展示「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)が、大阪人権博物館の事情で、延期されることになりました。
5月13日、大阪人権博物館から、当初の企画展名「海南島で日本はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・姓奴隷化――」が“刺激的だ”という理由で、変更を提示され、展示の内容は従来通りで、企画展名を「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」に変更することに合意しました。
大阪人権博物館では、特別展「つくられる日本国民」(4月13日~6月13日)を開催中に、戦闘服姿の集団が押しかけたり、大阪市議会議員がポスターの撤去、展示の即時中止などを要求してきたそうです。
5月30日、大阪人権博物館から、現在の状況で、企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」を開催すると、さらに右翼の攻撃が強まることが予想され、大阪人権博物としては対処できないので、延期をしたいという「提案」がありました。これは、大阪人権博物館側では、決議を経た決定でした。
今回の企画展は、主催が大阪人権博物で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は後援することになっていました。この間、2002年11月から約10回にわたって、大阪人権博物館側と打ち合わせ会議をおこない、企画展の準備を進めてきましたが、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては、主催の大阪人権博物館ができないという以上、やむをえません。
「ヒノマル」「キミガヨ」が強制され、軍隊が海外に派兵され、排外主義が強まっているいまの日本でこそ、今回の企画展は、大切な意味を持つと考えたのですが、残念ながら、わたしたちの力が及ばず、こういう結果になりました。
なお、海南島における日本侵略史を概観する展示は、2005年7月~8月、大阪市内で、主催:紀州鉱山の真実を明らかにする会、後援:大阪人権博物館として、おこなう予定です。
韓国では予定通り、今年2004年9月から約3か月間、主催:民族問題研究所・独立記念館、後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会で、独立記念館での展示をふくめ、全国巡回展示をおこないます。
2004年6月に発行された『大阪産業大学経済論集』(第五巻第三号)に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員である斉藤日出治さんは、「日本の海南島侵略(一九三九~四五年) 軍事占領から空間の総体的領有へ」を発表した。
2004年夏~秋に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、和歌山市内、京都大学、大阪人権博物館、熊野市内などで、『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の上映会をおこなった。
2004年9月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府(総理大臣、法務大臣、厚生労働大臣)に、「朝鮮報国隊」関係文書(朝鮮の監獄から海南島に連行された朝鮮人全員の名簿など)の公開と真相究明を要請した。これにたいして、10月6日に、厚生労働省職業安定局総務課から、「厚生労働省では“南方派遣報告(ママ)隊” に関する資料がないため、要請に対してお答えすることができません」という「回答」が来た。
2004年10月1日~10月10日に、西大門刑務所歴史館で、特別展『해남도에서 일본은 무엇을 했는가? 침략・학살・약탈・성노예화(海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化)』(主催:民族問題研究所、獨立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が開催された。続いて同じ内容の展示会が、10月15日~11月21日に韓国独立紀念館で開催された。この韓国での展示会の内容は、日本の大阪人権博物館が7月21日から8月15日まで開催を予定していながら、開会50日前の5月30日に突然延期した展示会「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」の内容とほぼ同一であった。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、この韓国での展示の準備を、2003年秋からすすめていた。この特別展の構成は、つぎのとおりであった。
Ⅰ、総論:海南島で日本はなにをしたのか
Ⅱ、軍事侵略、抗日闘争
Ⅲ、経済侵略:土地略奪・資源略奪・労働強制
Ⅳ、「朝鮮村」虐殺
Ⅴ、海南島における日本軍隊性奴隷制
Ⅵ、侵略犯罪に時効はない!
佐藤正人
2004年2月、「朝鮮村発掘」開始直前に、それまで「発掘」に協力していた「朝鮮村」の埋葬地域の地権者(韓国人)が突然「発掘」を拒否したため、紀州鉱山の真実を明らかにする会と民族問題研究所・太平洋戦争被害者補償推進協議会との「共同発掘」が不可能になった。
この年の3月5日に、韓国で「日帝強占下強制動員被害などに関する真相究明特別法」が公布された。
2003年末から、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における侵略犯罪と海南島民衆の抗日反日闘争の歴史をたどるドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の制作を開始し、2004年4月に完成させた。
2004年5月に開催された「日本の過去清算を要求する国際協議会 ソウル大会」の「遺骨問題セッション」で、太平洋戦争被害者補償推進協議会の金銀植さんが、「朝鮮村」の朝鮮人遺骨について報告した。
2004年7月21日から8月15日まで、大阪人権博物館(リバティ大阪)で、展示会『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)開催されることになっており、この年春から、大阪人権博物館は、「催し物のご案内」などで、この企画展の趣旨や期日を公表していた。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2002年11月から、この展示会内容にかんする綿密な打ち合わせ会議を人権博物館とくりかえしおこなっていた。
ところが、とつぜん、5月13日に、大阪人権博物館は、紀州鉱山の真実を明らかにする会に、『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』という表題では「右翼」から展示が妨害されるおそれがあるので変更してほしいと、申し入れてきた。
展示内容は変えないというので、わたしたちは、展示会の表題を『海南島とアジア太平洋戦争 占領下で何がおこったか』とすることに合意した。しかし、さらに、5月30日に、大阪人権博物館は、展示そのものを延期すると一方的に通告してきた。
この展示会は、8年あまりたった2012年11月末の時点でも延期され続けている。
この問題にかんして、6月14日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、つぎのようなお知らせをおこなった。
★企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)延期のお知らせ
大阪人権博物館で、7月21日~8月15日に開催する予定で準備を進めていた企画展示「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)が、大阪人権博物館の事情で、延期されることになりました。
5月13日、大阪人権博物館から、当初の企画展名「海南島で日本はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・姓奴隷化――」が“刺激的だ”という理由で、変更を提示され、展示の内容は従来通りで、企画展名を「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」に変更することに合意しました。
大阪人権博物館では、特別展「つくられる日本国民」(4月13日~6月13日)を開催中に、戦闘服姿の集団が押しかけたり、大阪市議会議員がポスターの撤去、展示の即時中止などを要求してきたそうです。
5月30日、大阪人権博物館から、現在の状況で、企画展「海南島とアジア太平洋戦争――占領下でなにがおこったか――」を開催すると、さらに右翼の攻撃が強まることが予想され、大阪人権博物としては対処できないので、延期をしたいという「提案」がありました。これは、大阪人権博物館側では、決議を経た決定でした。
今回の企画展は、主催が大阪人権博物で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は後援することになっていました。この間、2002年11月から約10回にわたって、大阪人権博物館側と打ち合わせ会議をおこない、企画展の準備を進めてきましたが、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては、主催の大阪人権博物館ができないという以上、やむをえません。
「ヒノマル」「キミガヨ」が強制され、軍隊が海外に派兵され、排外主義が強まっているいまの日本でこそ、今回の企画展は、大切な意味を持つと考えたのですが、残念ながら、わたしたちの力が及ばず、こういう結果になりました。
なお、海南島における日本侵略史を概観する展示は、2005年7月~8月、大阪市内で、主催:紀州鉱山の真実を明らかにする会、後援:大阪人権博物館として、おこなう予定です。
韓国では予定通り、今年2004年9月から約3か月間、主催:民族問題研究所・独立記念館、後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会で、独立記念館での展示をふくめ、全国巡回展示をおこないます。
2004年6月に発行された『大阪産業大学経済論集』(第五巻第三号)に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員である斉藤日出治さんは、「日本の海南島侵略(一九三九~四五年) 軍事占領から空間の総体的領有へ」を発表した。
2004年夏~秋に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、和歌山市内、京都大学、大阪人権博物館、熊野市内などで、『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の上映会をおこなった。
2004年9月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府(総理大臣、法務大臣、厚生労働大臣)に、「朝鮮報国隊」関係文書(朝鮮の監獄から海南島に連行された朝鮮人全員の名簿など)の公開と真相究明を要請した。これにたいして、10月6日に、厚生労働省職業安定局総務課から、「厚生労働省では“南方派遣報告(ママ)隊” に関する資料がないため、要請に対してお答えすることができません」という「回答」が来た。
2004年10月1日~10月10日に、西大門刑務所歴史館で、特別展『해남도에서 일본은 무엇을 했는가? 침략・학살・약탈・성노예화(海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化)』(主催:民族問題研究所、獨立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が開催された。続いて同じ内容の展示会が、10月15日~11月21日に韓国独立紀念館で開催された。この韓国での展示会の内容は、日本の大阪人権博物館が7月21日から8月15日まで開催を予定していながら、開会50日前の5月30日に突然延期した展示会「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」の内容とほぼ同一であった。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、この韓国での展示の準備を、2003年秋からすすめていた。この特別展の構成は、つぎのとおりであった。
Ⅰ、総論:海南島で日本はなにをしたのか
Ⅱ、軍事侵略、抗日闘争
Ⅲ、経済侵略:土地略奪・資源略奪・労働強制
Ⅳ、「朝鮮村」虐殺
Ⅴ、海南島における日本軍隊性奴隷制
Ⅵ、侵略犯罪に時効はない!
佐藤正人