■李基允氏と裵相度氏を追悼する28回目の集い 2021年11月14日午前
山あいにひびくトランペットのアリランにみちびかれて、第28回目の李基允氏と裵相度氏を追悼する集いがはじまりました。
小学校低学年生から80代までの参加者60人あまりがみまもる中、司会が開会のあいさつをし、その後、会から「木本事件」と「事件」現場の説明をしました。
献杯のあいさつは、在日本大韓民国民団三重県地方本部団長の殷慶基さんがおこない、「継続は力」と強調しました。
献杯、献花をしたあと、参加者の方たちから発言がありました。
註駐名古屋大韓民国総領事館の領事、Kさんは、“日本で韓国の辛い歴史を忘れないように、このような行事が毎年おこなわれていることを知っておどろくとともに感動した”と話しました。
三重から参加した学校教師を退職したI(日本人)さんは、“戦争のことは教えるが、どんなひどいことをしたかは教えない。学校でこういう歴史を教えるべき”と話しました。同じ三重から参加した教師のO(日本人)さんは、“日本史を教えている。世代が交代する中で、歴史を伝えることの重要性を思う”、また、同じ三重から参加した教師のA(日本人)さんは、“地元のこういう歴史を、未来を担う子どもに伝えていきたい”と話しました。
在日本大韓民国民団三重県地方本部副団長のHさんは、“毎年、追悼集会の準備が大変だと思う。三重の韓国人の歴史をこういう形で伝えていくことはとても大切です。これからもいっしょにがんばっていきましょう”と話しました。婦人会会長のYさんからは励ましのことばがありました。
その後、朝鮮人が掘り進めた木本トンネル、河川敷に朝鮮人飯場があった西郷川をわたり、極楽寺に行きました。
■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する14回目の集い 2021年11月14日午後
紀州鉱山があった紀和町板屋は、周囲を山に囲まれています。
トランペットのアリランの響きが追悼のつどいのはじまりでした。
青ペンキで自然石に書かれた亡くなった35人のお名前は、月日とともにかすれてきています。地元の会員が新しい石を運びいれたり、文字がかすれたお名前を、そのつど書きなぞっていました。2021年の追悼の集いでは、劉太相(ユ テサン)さんと車連伊(チャ ヨニ)さんのお名前を、参加者に書きなぞりをしていただくことにしました。
司会の開会のあいさつにつづき、劉太相さんのお名前は、兪関志瑯くん、車連伊さんのお名前は、井上裕太くんが書きました。このとき、兪関志瑯くんは小学5年生、井上裕太くんは小学4年生。さきに漢字を見せて、“書ける?”と尋ねると、ふたりとも、“書ける”という、頼もしい返事でした。ふたりとも、ていねいに、書きなぞってくれました。どうもありがとう。
その後、献杯と献花につづき、参加者からの発言の時間を持ちました。
さいしょに、亀山市の兪柄煥さんは、“多数の出席ありがとうございます。(「追悼の場」の石標について)「朝鮮人追悼碑」の石の下にたくさんの小石を置いたのは、みんなでこの場所を支えますよ、という意味。小石は朝鮮半島の形に敷き詰めました。朝鮮半島の上に人がいるという意味でもあります”と話しました。兪柄煥さんは「朝鮮人追悼碑」の石を寄贈してくださり、みずからデザインして設置してくれました。
三重のYさんは、“先人たちのもとにわたしたちの生活がある。北も南もない。朝鮮半島の上に人がいる。先人たちが眠っているこういう場のたいせつさを知ってほしい”と話しました。
大阪で民族学級の教師をしているZさんは、“ここまでの山道を来るたびに、歴史を想う。
こんな山深いところまで朝鮮人は連れてこられたのか、何十年も過ぎたが、忘れてはならないことだ"、同じく民族学級の教師をしているKさんは、“日本が責任あるのになかったことにされている。強制連行の歴史を知る大切さ、そのことを目に見える形にすることをここであらためて思った。追悼碑の前の通りを、地元の子どもたちが素通りしていった。地元では、学校でどう教えているのか、気になった”と話しました。
和歌山から初めて参加したNさん(日本人)は、“怒りを感じる”と話しました。三重から参加したIさん(日本人)は、“朝鮮人差別をなくす責任は日本人にある”と話しました。
東京から参加したYさん(日本人)は、“世代が変わる中で、このような活動を続けていくためには日本人と朝鮮人の連帯がたいせつ”と話しました。
2021年11月14日の追悼の集いは、子どもたちが7人参加しました。トランペットの響きとともに、子どもたちのこえも山あいに響きました。
トランペットは、東京から参加した米持匡純さんでした。長時間の演奏、ありがとうございました。ここで書き記すことができた参加者の発言は、ごく一部です。ありがとうございました。
追悼集会に参加した子どもたちの記憶に、熊野の朝鮮人の歴史が刻まれることを願っています。
金靜美 記