三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮人犠牲者を追悼 強制連行・労働犠牲者刻む二つの碑」

2020年12月02日 | 集会
https://www.asahi.com/articles/ASNCW7DWBNCSPXLB008.html
「朝日新聞デジタル」 2020年11月28日 10時00分
『朝日新聞』2020年11月28日朝刊(和歌山版)
■朝鮮人犠牲者を追悼 強制連行・労働犠牲者刻む二つの碑
                               下地毅 

 写真:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する参列者=2020年11月22日午後1時52分、三重県熊野市紀和町板屋、下地毅撮影
 写真:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑に花を手向ける参列者=2020年11月22日午後1時39分、三重県熊野市紀和町板屋、下地毅撮影
 写真:「木本事件」の追悼碑の前で話す金靜美さん(左)=2020年11月22日午前11時22分、三重県熊野市木本町、下地毅撮影
 写真:「木本事件」の追悼碑に献杯する参列者=2020年11月22日午前11時16分、三重県熊野市木本町、下地毅撮影
 写真:「木本事件」の追悼碑に花を手向ける参列者=2020年11月22日午前11時14分、三重県熊野市木本町、下地毅撮影

 日本が朝鮮半島を植民地としていた時代、住民に虐殺されたり強制連行・労働で命を落としたりした朝鮮人を追悼する集いが22日、和歌山県南部に接する三重県熊野市であった。海南市の歴史研究者金靜美(キムチョンミ)さん(71)らが呼びかけ、異郷で果てた同胞を悼んだ。
 金さんらが建立した追悼碑は2基ある。一つは熊野市木本町の古いトンネル前にある李基允(イギユン)さんと裵相度(ペサンド)さんの碑。1926年、トンネル工事に就いていた当時25歳と29歳の2人は、「朝鮮人が襲ってくる」といったデマにあおられた地域の住民らに殺された。もう一つは熊野市紀和町板屋にあり、40年から45年にかけて紀州鉱山へ強制連行された朝鮮人のうち、名前が判明した犠牲者35人を刻んでいる。
 金さんらは「木本事件」の地に94年、鉱山の地には2010年に碑を建てて追悼式を毎年開いている。
 参列者はこの日、この二つの碑をめぐり、献花・献杯をして冥福を祈った。三重県亀山市の小学校教諭岩脇彰さん(59)は「日本が植民地支配をした証拠がここにある。正確な歴史を知ることが、在日の人や中国の人とつながる道だ」と話した。
 そのほかの参列者も「この歴史をみんなに知らせることが大切だ」「たんに追悼するだけではなく、どうして殺されたのかという歴史的原因を追究することで未来につながる」「北の人も南の人も日本の人も助けあう世の中であってほしい」と語った。
 大阪府八尾市から参列した会社員徐文平(ソムンピョン)さん(59)は、紀州鉱山に連行された英国人捕虜のうち亡くなった16人の墓地は史跡に指定されていると指摘し、「朝鮮人については行政も知らんふりしている。こんな差別がまかり通っていいのか。日本人は自分たちがやったことに向きあうべきだ」と怒った。
 金さんも「植民地にしたことは日本人の歴史であり、日本人が自分たちの歴史を知ろうとしなくてどうするのか。何をしたのかを知ることが『二度と繰りかえさない』という意思表明になる」と話した。(下地毅)
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2019年の追悼集会報告

2020年11月06日 | 集会
■2019年の追悼集会報告■

■李基允氏と裵相度氏を追悼する集会  11月9日
 李基允氏と裵相度氏を追悼する碑の前で、第26回目の追悼集会をおこないました。 その後、「木本事件」現場である木本隧道、西郷川にかかる笛吹橋を渡り、親爺町を歩いて、極楽寺に行きました。「木本事件」当時、西郷川の河川敷にトンネル工事で働く労働者の飯場がありました。
 極楽寺では、足立知典住職がつくった李基允氏と裵相度氏の墓地に敷き詰められた石の文字がまだ読めました(2007年12月、尾鷲の小学校の6年生たち100人が一人10個づつ、七里御浜海岸で拾った石に、それぞれ思うことばを書いて、李基允氏と裵相度氏の墓に敷き詰めました)。

 ■紀州鉱山でなくなった朝鮮人を追悼する集会 11月10日
 紀州鉱山でなくなった朝鮮人を追悼する第12回目の追悼集会をおこないました。
 この日、追悼集会の前に、2015月8日に除幕式をおこなった「조선인추도비 」「朝鮮人追悼碑」の文字に、黒で墨入れをしました。通りから見ると、石に彫られた文字がはっきりと見えるようになりました。
 石に濃紺の色で書きいれた紀州鉱山で亡くなった35人の名前は、色が薄くなってきたものもありましたが、近くに住む会員が塗りなおしてくれていました。
 この日、一本の赤い椿を植えました。
 数十人の参加者が、「追悼の場」で、追悼碑、名前が書かれた石をかこみ、追悼の集まりが進められました。
 開会のあいさつのあと、献花、献杯をし、参加者一人ひとりが追悼碑前での思いをのべました。 

 2019年11月9日~10日、熊野市民交流センターで展示していたパネル展で、アンケートに書いてくださった内容を紹介します。
★とおりがかって、展示を見てくださった熊野市民の方
 「以前から、木本事件については知っていましたが、海南島でのことは、初めて知りました。日本は、被害の歴史だけでなく、加害の歴史も、冷静に、受け止めねば、と思います」。
★会場に来て知った70代の熊野市民の方
 「こうゆう事件があったのは初めて知った。よい勉強になります。
  これからも頑張ってください。応援します」。
                                 金靜美 記
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2018年の追悼集会報告

2020年11月06日 | 集会
■2018年の追悼集会報告■

■李基允氏と裵相度氏を追悼する集会  11月17日
 李基允氏と裵相度氏を追悼する碑の前で、第25回目の追悼集会をおこないました。
木本隧道の木本口左崖上の追悼碑は、建立から24年という年月をへて、雨水がしみ込んだのか、黒い筋がはいり、渋みを増して周りのみどりの風景とよりなじんできたように思います。
 いつものように、開会のあいさつのあと、献花、献杯をし、参加者一人ひとりが追悼碑前で、1年の報告をしました。
 その後、木本隧道を歩き、笛吹橋、親爺町など「木本事件」の現場をたどりつつ、極楽寺に行きました。

■紀州鉱山でなくなった朝鮮人を追悼する集会 11月18日
 毎年、午前中は、紀州鉱山「現地調査」に行く人たち、「追悼の場」を整備する人たちの2つのグループに分かれます。紀和町の「追悼の場」は、まだ、みんなで完成させる途上にあります。近くの会員が手作りのベンチを置いていました。
 午後、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する第11回目の追悼集会をおこないました。
 数十人の参加者が、「追悼の場」で、追悼碑、名前が書かれた石をかこみ、追悼の集まりが進められました。
 開会のあいさつのあと、献花、献杯をし、参加者一人ひとりが追悼碑前での思いをのべました。
 追悼集会が終わったあと、ひさしぶりに、数人で板屋の共同墓地に行きました。こ
には、石原産業がつくった火葬場、地元の人の証言で、朝鮮人の遺骨が埋まっているといういくつかの石の墓標があります。

 両日、熊野市民文化交流センターでは、「木本事件」、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、海南島への日本侵略、熊野地域と「大逆事件」などにかんするパネル展示をおこないました。
                                 金靜美 記
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27回目と13回目の追悼集会に参加してください

2020年11月01日 | 集会
■27回目と13回目の追悼集会に参加してください■
 1994年11月20日に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されてから26年になり、2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれてから12年半あまりが過ぎました。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する27回目の追悼集会と紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の追悼集会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。
  
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
         http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
     紀州鉱山の真実を明らかにする会
         http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html

■李基允さんと裵相度さんを追悼する27回目の集会のご案内 
 と き:2020年11月22日(日) 午前1時 開会
 ところ:李基允さんと裵相度さんの追悼碑前(木本トンネル熊野市側入り口)
          JR熊野市駅から尾鷲方面に歩いて徒歩約8分です。

■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会のご案内
 13回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会を開催します。

 と き:2020年11月22日(日) 午後1時30分 開会
 ところ:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑前
          熊野市紀和鉱山資料館(熊野市紀和町板屋110)から徒歩2分です。


 今年は、新コロナウィルス感染防止のため、2つの集会を同じ日に開きます。

主催:三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
   紀州鉱山の真実を明らかにする会
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26回目と12回目の追悼集会に参加してください

2019年10月30日 | 集会
 1994年11月20日に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されてから25年になり、2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれてから11年半あまりが過ぎました。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する26回目の追悼集会と紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する12回目の追悼集会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。
  
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
         http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
     紀州鉱山の真実を明らかにする会
         http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html

■李基允さんと裵相度さんを追悼する26回目の集会のご案内 
 と き:2019年11月9日(土) 午後2時 開会
 ところ:李基允さんと裵相度さんの追悼碑前(木本トンネル熊野市側入り口)
        JR熊野市駅から尾鷲方面に歩いて徒歩約8分です。

 追悼集会の後、「木本事件」の跡をたどりつつ、おふたりの墓のある極楽寺に行きます。


★写真パネル展
 追悼集会と合わせて、「木本事件」、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」などに関する写真パネルなどを展示します。ぜひ見にきてください!
 場所は、熊野市文化交流センター 多目的広場です。
    熊野市井戸町643-2。 電話 0597-89-3686。 JR熊野市駅をでてすぐ右です。
 [展示時間]●11月9日:13時~17時  ●11月10日:9時~16時
         
 ※追悼集会・写真パネル展とも参加費は無料です。


■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会のご案内
 12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会を開催します。

 と き:2019年11月10日(日) 午後1時 開会
 ところ:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑前
       熊野市紀和鉱山資料館(熊野市紀和町板屋110)から徒歩2分です。

 当日、午前10時から12時まで、旧紀州鉱山地域の「現地調査」をおこないます。


【11月9日夜の宿泊と交流会のご案内】
 宿所は、「入鹿温泉ホテル瀞流荘」(熊野市紀和町小川口158 電話: 05979-7-1180)です。
 宿泊費は、11月9日夕食費、11月10日朝食費をふくめ7000円ほどです。
 11月9日夕食後、交流会を開きます。交流会費は1000円ほどです。
 問い合わせ、宿泊申し込みは、 pada@syd.odn.ne.jp にメールしてください。
 
 例年宿所は、朝鮮から連行されてきた朝鮮人労働者の飯場があった湯ノ口の近くの「湯ノ口温泉」でしたが、今年だけは「清流荘」にしました。
 紀州鉱山には、地下の坑道が掘られ、トロッコで鉱石・労働者が運ばれていました。「清流荘」のすぐ近くに、3号坑道と5号坑道の出口があります。
 5号坑道を西南に行くと湯ノ口に着きます。3号坑道・2号坑道・1号坑道を東北に行くと板屋に着きます。板屋にも朝鮮人労働者の飯場がありました。
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海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争

2018年12月13日 | 集会
 日本軍の海南島侵入(1939年2月10日)から80年後、来年(2019年)1月26日に開催する集会のお知らせです。


■海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争■

 2019年1月26日午後1時30分開会(午後1時開場)
 ところ:ムーブ21(守口市生涯学習センター) 
         地下鉄谷町線大日駅(3号出口)をでて北へ約250m
 参加費(資料代を含みます):500円

 主  催 設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会         
           http://regainpeace.blog.fc2.com/
           連絡先 090-8860-9961(竹本)
 協  力 海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/
 報告者 海南島近現代史研究会 佐藤正人 金靜美 斉藤日出治

【集会内容】
(一)報告 
■日本陸海軍、海南島に奇襲上陸
 80年前の1939年2月、日本陸海軍は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島に奇襲上陸しました。
■住民虐殺
 日本の侵略に抗する民衆の抵抗を抑えようとして、日本海軍は、「Y作戦」をくりかえし、村を焼き、住民を虐殺しました。
■略奪
 日本政府と日本軍は、日本企業とともに、飛行場、港湾、道路、橋梁、鉄道、ダムなどを整備・新設して軍事支配の基礎をつくり、鉱山開発、森林伐採などをおこなって資源を略奪しました。
■労働強制
 日本企業は、海南島内、ホンコン、上海、台湾、朝鮮などから連行した人たちを酷使し虐待し、1万人以上の命を奪いました。
■日本軍性奴隷
 1939年3月に、海口の日本海軍情報部長は、台湾拓殖会社本社に「慰安所」設置を依頼しました。台湾拓殖会社は、5月に海口に「慰安所」を竣工させました。海南島の村々に侵入した日本軍将兵は、その地の少女を捕え監禁し性奴隷としました。
■海南島を基地として
 1941年12月4日、日本陸軍兵士を乗せた船団が海南島の港を出港し、12月8日未明、マラヤのコタバルを奇襲攻撃し、アジア太平洋侵略戦争を開始しました。
■昨日のこと
 日本占領時に、村を襲撃された海南島住民、朝鮮の監獄から海南島に連行された「朝鮮報国隊」の人たち、アジア各地から連行され酷使された人たち、「日本軍隊性奴隷」とされた人たちにとって、日本政府・日本軍・日本企業による虐殺・暴行・略奪・人権侵害は、昨日のことです。
■抗日反日闘争の時代
 日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけました。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代でした。 
 その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。
■海南島民衆の証言
 紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会はこれまで、海南島の1000か所あまりの村を訪ね、証言を聞かせてもらうとともに、住民虐殺の現場、日本軍の基地跡などに案内してもらいました。
 日本国家の侵略犯罪を日本民衆が知り、日本政府に責任者を処罰させ、謝罪させ、賠償させる民衆運動が広がっていくことを願いつつ、海南島民衆の証言の内実を報告します。

(二)討論  他地域他国侵略をゆるさない民衆の歴史認識


◆略年表                                       
 1939年2月10日 日本陸海軍海南島北部に奇襲上陸。
 1941年12月4日 日本陸軍の船団、海南島楡林港出港。12月8日午前1時半、日本陸軍コタバル奇襲、アジア太平洋戦争開始。
 1945年8月14日 日本無条件降伏。
 1998年6月 海南島で、紀州鉱山の真実を明らかにする会、はじめての「現地調査」。
 2001年7月 日本軍隊性奴隷とされた8人の女性、「海南島戦時性暴力被害訴訟」開始。
 2007年8月5日 海南島近現代史研究会創立。
 2007年9月~11月 海南島近現代史研究会、はじめての海南島「現地調査」。
 2018年10月 海南島近現代史研究会として20回目、紀州鉱山の真実を明らかにする会として33回目の海南島「現地調査」。
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25回目と11回目の追悼集会に参加してください

2018年10月16日 | 集会
 1994年11月20日に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されてから24年になり、2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれてから10年半あまりが過ぎました。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する25回目の追悼集会と紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する11回目の追悼集会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。
  
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
         http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
     紀州鉱山の真実を明らかにする会
         http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html

■李基允さんと裵相度さんを追悼する24回目の集会のご案内 
 と き:2018年11月17日(土) 午後2時 開会
 ところ:李基允さんと裵相度さんの追悼碑前(木本トンネル熊野市側入り口)
        JR熊野市駅から尾鷲方面に歩いて徒歩約8分です。

 追悼集会の後、「木本事件」の跡をたどりつつ、おふたりの墓のある極楽寺に行きます。


★写真パネル展
 追悼集会と合わせて、「木本事件」、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」などに関する写真パネルなどを展示します。ぜひ見にきてください!
 場所は、熊野市文化交流センター 多目的広場です。
    熊野市井戸町643。 電話 0597-89-3686。 JR熊野市駅をでてすぐ右です。
 [展示時間]●11月18日:13時~17時  ●11月19日:9時~16時
         
 ※追悼集会・写真パネル展とも参加費は無料です。


■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会のご案内
 11回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会を開催します。
 ぜひ、参加してください。

 と き:2018年11月18日(日) 午後1時 開会
 ところ:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑前
       熊野市紀和鉱山資料館(熊野市紀和町板屋110)から徒歩2分です。

 当日、午前10時から12時まで、旧紀州鉱山地域の「現地調査」をおこないます。


【宿泊のご案内】
 11月17日夜、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑に近い朝鮮人の飯場があった湯の口に宿泊し、夕食後に懇親会をひらきます。
 宿所は、熊野市紀和町にある「湯元山荘 湯ノ口温泉」です。
 宿泊を希望する方は連絡してください。
 宿泊費は、夕・朝食費をふくめ5500円ほどです。懇親会費は1500円ほどです。
   問い合わせ、宿泊申し込みは、
    pada@syd.odn.ne.jp にメールするか、090-8860-9961(竹本昇)に電話してください。
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24回目と10回目の追悼集会に参加してください

2017年10月29日 | 集会
 1994年11月20日に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されてから23年になり、2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれてから9年半あまりが過ぎました。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する24回目の追悼集会と紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する10回目の追悼集会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。
  
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
         http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
     紀州鉱山の真実を明らかにする会
         http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html

■李基允さんと裵相度さんを追悼する24回目の集会のご案内 
 と き:2017年11月18日(土) 午後2時 開会
 ところ:李基允さんと裵相度さんの追悼碑前(木本トンネル熊野市側入り口)
        JR熊野市駅から尾鷲方面に歩いて徒歩8分です。

 追悼集会の後、「木本事件」の跡をたどりつつ、おふたりの墓のある極楽寺に行きます。


★写真パネル展
 追悼集会と合わせて、「木本事件」、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」などに関する写真パネルなどを展示します。ぜひ見にきてください!
 場所は、熊野市文化交流センター 多目的広場です。
    熊野市井戸町643 電話 0597-89-3686。 JR熊野市駅のすぐ右です。
 [展示時間]●11月18日:13時~17時  ●11月19日:9時~16時
         
 ※追悼集会・写真パネル展とも参加費は無料です。


■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会のご案内
 10回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会を開催します。
 ぜひ、参加してください。

 と き:2017年11月19日(日) 午後1時 開会
 ところ:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑前
       熊野市紀和鉱山資料館(三重県熊野市紀和町板屋110-1)から徒歩2分です。

 当日、午前10時から12時まで、旧紀州鉱山地域の「現地調査」をおこないます。


【宿泊のご案内】
 11月18日夜、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑に近い朝鮮人の飯場があった湯の口に宿泊し、夕食後に懇親会をひらきます。
 宿所は、熊野市紀和町にある「湯元山荘 湯ノ口温泉」です。
 宿泊を希望する方は連絡してください。
 宿泊費は、夕・朝食費をふくめ5500円ほどです。懇親会費は1500円ほどです。
   問い合わせ、宿泊申し込みは、
    pada@syd.odn.ne.jp にメールするか、090-8860-9961(竹本昇)に電話してください。
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23回目と9回目の追悼集会に参加してください

2016年10月11日 | 集会
 1994年11月20日に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されてから22年になり、2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれてから8年半あまりが過ぎました。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する23回目の追悼集会と紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する9回目の追悼集会を開きます。
 みなさんの参加をお待ちしています。  
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
         http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
     紀州鉱山の真実を明らかにする会
         http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html
                                   
■李基允さんと裵相度さんを追悼する23回目のつどい
  と き:2016年11月26日(土曜日) 午後2時 開会
  ところ:李基允さんと裵相度さんの追悼碑の前(木本トンネル熊野市側入り口の高台)
         JR熊野市駅を出て左の尾鷲方面に進んで、徒歩10分ほどです

  追悼のつどいの後、「木本事件」の跡をたどりつつ、極楽寺に行きます。

■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する9回目のつどい
  と き:2016年11月27日(日曜日) 午後1時 開会
  ところ:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の前
        熊野市紀和鉱山資料館(三重県熊野市紀和町板屋110)の筋向かい

  当日、午前10時から12時まで、旧紀州鉱山地域の「現地調査」をおこないます。
 
■「写真パネル展」
 追悼集会と合わせて、 「木本事件」、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」などに関する「写真パネル展」を開きます。ぜひ見にきてください!
 場所は、熊野市文化交流センター 多目的広場です。
       JR熊野市駅を出てすぐ右です(熊野市井戸町643-2 TEL 0597-89-3686)。    
 展示時間:11月26日:13時~17時  11月27日:9時~16時  
       
※追悼集会・写真パネル展とも参加費は無料です。

 
【宿泊のご案内】
 11月26日夜、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑に近い朝鮮人の飯場があった湯の口に宿泊し、懇親会をひらきます。
 宿所は、熊野市紀和町にある「湯元山荘 湯ノ口温泉」です。
 宿泊を希望する方は連絡してください。
 宿泊費は、夕・朝食費をふくめ5000円ほどです(懇親会費は1500円ほどです)。
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2014年 追悼集会報告

2015年10月11日 | 集会
■李基允氏と相度氏を追悼する集会
 2014年11月20日に行った李基允氏、相度氏の追悼集会に、おおくの方々が集まりました。
 追悼碑前は、塀と崖に囲まれているような土地です。いつも誰かが滑って落ちてもおかしくないぐらい集まって追悼集会を行っていますが、2014年もおおくの人々で埋まったような状態でした。
 まず、開会のあいさつで、会員が、つぎのように述べました。
   「(略)日本における異民族虐殺も追悼碑の建立・維持も日本・アジア・世界の情勢を
   反映していると思います。
    追悼碑は、わたしたちが、共にたたかっていく一つの拠点だと思います。
    21回目の追悼集会の日を、新しい未来を切り開いていく第一歩のはじまりの日にした
   いと思います(略)」。

 次に献花、献杯を行い、参加者がひとことずつ発言していきました。
   「(略)この会の活動は、20年前から会誌を通して知っていた。在日朝鮮人として、父
   や母が同じ運命を辿っても不思議でないという大変身近な問題として感じています。こ
   の場で育つ草花を植えたいと思い、白いユリの種を持ってきました(略)」。
 これは京都から参加された人の発言です。

 李基允氏と相度氏が虐殺された事件、日本人住民が朝鮮人労働者を襲撃し、殺人した事件を、日本人の私は身近な問題として感じているか、と思いました。身近な問題として感じるというのはどういうことか。
 この追悼碑自身が、『木本事件』はどういう事件なのかを表しています。事件を掘り起し、どういう性質のものだったのかを明らかにし、そしてどういう追悼碑であるべきかの激しい議論、賛同、協力があって、立ったと聞きました。
 その後、追悼碑の前にさまざまな人々が集まってきている。追悼碑にしか分からないだろうけれど、石段のゆるみなどにも影響しているのかもしれません。そしてまた追悼集会の直前に、おおくのひとびとの力で、手すりが設置されました。
 木本にある追悼碑は、多分、数えきれないぐらいのひとびとが支えて、成り立っています。それはこの事件を世界史的に位置付けてとらえて、緻密に調査し、今も『熊野市史』を書き換えさせようと行動し続けているからだし、調査・行動もおおくのひとびとの力があってこそ。
 この追悼碑は、私にとって、どう考え、行動するのかを考える1つの基準であって、いつもそうしているかを考える基準にすべきものだと思いました。多分、近いうちに、京都から背負われてきた種は、きれいに追悼碑の周りで咲き出すでしょう。

■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会
 翌日、午後1時から、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑の前で7回目の追悼集会を開きました。この日だけ来られた方もいました。新宮の人が、ことしもみかんと花をたくさん、送ってくれました。
 開会のあいさつに続き、熊野市の追悼の土地課税に対する裁判の経過報告、参加者全員による献花と献杯を行いました。

 集会での会員の発言です。  
   「追悼碑の石の35人のお名前の中に、姓の解らない人、名前の一字しか解らない人
   がいます。故郷の住所が解っている方は5人だけです。ということは、あとの30人は、
   故郷の人たち、家族の人たちが、自分の息子であり、夫であり、父である人が、日本
   のどこで亡くなったか、どんなふうにして連れていかれたのか、知らされていない
   可能性が高いということです。
    わたしたちは、4年前に追悼碑をつくるときに、さらに、調査を継続して、故郷の住
   所、正確な名前を捜していこうとしましたが、その後は、一人だけが解っただけで、あ
   との方は、まだ、どなたも判明していません。これからも、できる限り、皆さんの故郷、
   正確な名前を明らかにする努力を続けていきたいと思います」。

 在日朝鮮人の参加者から、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼の場のさらなる整備のための、全面的協力の提案をいただき、現在、案を練り、進めています。

                                 日置真理子
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