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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の 追悼集会に参加して

2021年10月31日 | 紀州鉱山
■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する  13回目の 追悼集会に参加して■
                                      嶋田 実

 2020年11月22日(日)に開催された「紀州 鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目 の追悼集会」に数年ぶりに参加しました。
 例年ですと土曜日に熊野市で追悼集会を行い、 翌日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼す る会の追悼集会を行うパターンでしたが、今 回は新型コロナウィルスの感染防止対策から、 熊野の集会を終え、そのまま紀和町に移動し、 集会を行いました。
 久しぶりに訪れた追悼の場は、だいぶ様変わ りしており、これまで熊野、紀和町の 山々をみていると変わらないことのほ うが多いように思っていましたが、今回 はいろいろな場所で時間が進んでいる ことを感じました。
 追悼の場の道を挟ん だ正面には、道の駅ができており、そこを訪 れていた若い30歳代くらい男性が、追悼集 会で私たちが集まっているのをみて、「何か あるんですか?」と尋ねてきたことが印象的 でした。きっと、向かいの道の駅に来た人が ふらりとこの追悼碑を見に来ることもきっと あるんだろうな、と思いました。 
 今年もこの追悼集会に多くの人にご参加い ただき、多くのコメントをいただきました。 追悼の場を基点として、広がりを感じること ができる追悼集会でした。



■李基允氏と裵相度氏を追悼する27回目の追悼集会■                
                                金靜美
                                                            
 1926年1月3日から、94年と11か月。2020年 11月22日はよく晴れた日だった。 
 ふたりの名前を刻んだ碑石の前で、参加者 はいつもと同じく、花を手向け、献杯し、ひ とりづつ、ことばをつむいだ。 
 碑の前で、あらためて思った。李基允氏 や裵相度氏たちは、家族や同胞とともに、 異郷に来て、 日々の生活は、どんなふうだったろうか? 
 1926年1月3日、日本人住民の襲撃に逃げ まどいながら、どれほどの憤怒にまみれた だろうか? 
 仲間の無残な死に、どのように耐えたのだろ うか? 
 かれらの憤りは、消えさることはない、と 思う。
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円通院から本龍寺へ  紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の遺骨

2021年10月31日 | 紀州鉱山
■円通院から本龍寺へ  紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の遺骨■
                                    金靜美

  本龍寺がある和気の区長、久保理也さんと、地元で長く本龍寺を管理してきている西正道さんに、2019年11月30日、お会いした。久保理也さんから、「本龍寺の住職は以前は、高橋和尚。楊枝川にあった円通院の住職で、本龍寺を兼務していた。(本龍寺にある遺骨は?)紀州鉱山の遺骨は、円通院から運んできた。日本人の遺骨も、紀州鉱山で働いていた人。家族があとでとりに来るからといって、置いていった」と聞いた。
 1990年代はじめ、紀州鉱山の調査をはじめてすぐのころ、本龍寺に置かれている朝鮮人の遺骨は、円通院からうつされてきた、とさいしょに聞いた。当時の記録は見当たらないが、たぶん、このときも、西正道さんと久保理也さんからお話を聞いた、と思う。
 当時、円通院のことを知り、「過去帳」を探して、亡くなっていた高橋住職の家族を探した。娘さんの連絡先を探し当て、電話で話したが、「過去帳」はないということだった。それから二十数年。円通院のことは気にかかっていたが、訪ねることができずにいた。
 2021年7月26日、杉浦新吉さんの娘さんの家を訪ねたあと、宇恵悟さんの案内で、円通院に行った。宇恵悟さんは、中学時代、筑後の社宅から楊枝の中学校への行き帰りに円通院の前を通ったという。高橋住職にも、ご家族のお葬式で会ったことがあるという。
 円通院は、木々が覆った川沿いの道路わき、低い山並みの裾に位置している、
そこは、何回も車で通ったことがあるところだった。周りに人家が一軒もない。紀州鉱山の調査をはじめたころ、車で道路を走りながらとつぜん現れた墓群におどろき、車を止めた。
 この墓は、紀州鉱山に関係がないか、朝鮮人の墓はもしかしてないか、と思い、墓の文字を読んだ。
 円通院は、いまは建物はないが、宇恵悟さんによれば、本堂があったという。
この本堂に置かれていた朝鮮人の遺骨が、高橋住職によって本龍寺に移されたのだ。
その後、本龍寺に置かれていた朝鮮人の遺骨は、2017年11月に曹洞宗人権擁護推進本部の工藤英勝さんが持ち去った。工藤英勝さんは、いま朝鮮人の遺骨はどこにあるかという問いに、「答えられない」(2019年11月25日、電話で)といった。



■本龍寺に置かれていた朝鮮人の遺骨はいまどこに?■  
                                      金靜美

  「関西地域 民族教育関係者 研修会」で熊野に行くので、その準備のために、2019年11月16日、現在本龍寺の兼任住職をしているという新宮の宗応寺の住職と電話で話をしました。
 宗応寺の住職の話では、本龍寺の朝鮮人の遺骨は、曹洞宗の「宗務庁の人権擁護推進本部から来て持って行った」、「いまどこにあるかわからない」、「人権擁護推進本部から本龍寺に感謝状が届き、いま額に入れて本堂にかけてある」ということでした。
 工藤という人は、2008年7月、熊野地域に残されている朝鮮人の遺骨の調査をするということで、紀州鉱山の真実を明らかにする会に協力を依頼してきた曹洞宗人権擁護推進本部の工藤英勝さんのことだと思います。紀州鉱山の真実を明らかにする会では、2008年7月15日・16日の二日間、会員が同行し曹洞宗人権擁護推進本部の「調査」に協力しました。

 ◆2019年11月25日、曹洞宗人権擁護推進本部の工藤英勝さんと電話で話す
 11月25日、曹洞宗人権擁護推進本部の工藤英勝さんと電話で話しました。
 以下は電話でのやり取りの要約です。
※キム:無縁塚から遺骨を持ちだしたのは事実か?(とまず確認し、その経緯を尋ねました)。
※工藤英勝氏:答えられない。
※キム:なぜ答えられないのか? 遺骨は現在どこに置かれているのか?
※工藤英勝氏:答えられない。
※キム:あなたの人権擁護推進本部での役職は何か?
※工藤英勝氏:答えられない。(重ねて聞くと)本部員です。
 いま日韓関係が????なので、返還できないで、そのまま置いてある。
      ※「?」は電話で正確に聞き取れませんでした。
※キム:これまで、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人のことを調査してきて、それを工藤さんは知っている、だから人権擁護推進本部の熊野の調査のときに、紀州鉱山の真実を明らかにする会に協力依頼してきた、本龍寺の遺骨の人たちを追悼する碑も作った紀州鉱山の真実を明らかにする会に一言連絡することは考えなかったのか?
※工藤英勝氏:お寺とお寺との関係で持って行ったので(このような表現でした)、そういうことは考えませんでした。
※キム:日本の寺が宗派の寺で保管してある朝鮮人の遺骨について調査を始めたのは日本政府の依頼であり、日本政府は、韓国政府の要請で、それにようやくとりかかった。韓国政府が日本政府にそれを要請したのは、韓国やわたしたちの会もふくめた民衆の要求に応じからだ。人権擁護推進本部が、それを無視して、紀州鉱山の真実を明らかにする会にひとことの連絡もなしにどこかに運んで、その所在も隠している。亡くなった人にも人権がある。その人たちの人権無視ではないか。
※工藤英勝氏:意見があるなら、宗務庁に意見を送ってください。
※キム:わたしは意見を言っているのではない、要請している。
※工藤英勝氏:(しばらく無言)。地元の人から要請があれば、(遺骨の保管場所について)教えることができるように検討する……。
 
 その後、久保理也さんに人権擁護推進本部に遺骨の保管場所を聞いてください、とお願いしました。
 本龍寺に置かれていた朝鮮人の遺骨をはじめて見たのは、1997年11月16日、紀州鉱山の真実を明らかにする会の3回目の紀州鉱山「現地調査」のときでした。
このときは、本堂奥に、多くの位牌、遺骨といっしょに置かれていて、わたしたちは、朝鮮人の遺骨、5人を確認しました。
 在日本大韓民国民団三重県地方本部では、1980年10月に、三重県内に置かれていた朝鮮人の無縁仏』76柱を、韓国の国立墓地「望郷の丘」に移葬したということです(『民団三重50年史』民団三重50年史編纂委員会、在日本大韓民国民団三重県地方本部発行、1998年)。
 1980年10月に「望郷の丘」に移葬されたという76柱の名前の中に、1997年に紀州鉱山の真実を明らかにする会が本龍寺で確認した朝鮮人の遺骨もふくまれていたため、紀州鉱山の真実を明らかにする会では、その後、在日本大韓民国民団三重県地方本部に問い合わせましたが、当時、三重県内の遺骨調査と収集にかかわった人がいなくなり、その遺骨を収集した場所の記録や名簿の原資料も探せないということでした。
 以前慈雲寺の住職から、在日本大韓民国民団三重県地方本部がかなりまえに寺に置かれていた朝鮮人の遺骨を持って行ったと聞きましたが、このときのことと思います。


■2005年5月30日の『中日新聞』の記事「朝鮮人の遺骨 母国へ」を読んで■
                                    金靜美

 2005年5月30日の『中日新聞』に、本龍寺の朝鮮人遺骨に言及しつつ、大韓民国民団三重県本部が「(韓国への)遺骨移送への組織づくりを進めている」という記事が出ました(「朝鮮人の遺骨 母国へ」)。
 1980年10月に在日本大韓民国民団三重県地方本部が「望郷の丘」に移送したという朝鮮人の遺骨が本龍寺に残っている真相も不明で、さらに、2005年段階で、また、在日本大韓民国民団三重県地方本部が本龍寺に残されている朝鮮人の遺骨を「望郷の丘」に移送する準備を進めているということを『中日新聞』の記事で知った紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2005年6月21日、「大韓民国民団三重県本部のみなさんといっしょに、本龍寺の遺骨の真相糾明をふくめ、紀州鉱山における朝鮮人の強制連行・強制労働の真相糾明をすすめたいと思います」という手紙を送りました。
 同年6月24日、在日本大韓民国民団三重県地方本部団長殷鍾秀、三重県日韓親善協会会長加藤純一の名前で、「真相糾明と遺骨の本国への安葬は別のものと考えており、ただただ異国の地でひっそりと眠っているご遺骨を、一日も早く母国の地に埋葬し、母国の地で安らかに眠っていただきたいとの一心」という返事が届きました。その後、在日本大韓民国民団三重県地方本部の事務局長韓九さん(当時)、在日本大韓民国民団三重県地方本部の関係者と会いましたが、本龍寺の遺骨の真相糾明について。共同調査を進めることはできませんでした。
 そして、本龍寺に置かれていた朝鮮人の遺骨は、2017年11月に曹洞宗人権擁護推進本部が持ち去りました。
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李基允氏と裵相度氏を追悼する「追悼の場」に案内板を設置しました

2021年10月30日 | 木本事件
■李基允氏と裵相度氏を追悼する「追悼の場」に案内板を設置しました■
                                    金靜美
 
 2020年11月、李基允氏と裵相度氏を追悼する「追悼の場」の手すりに案内板をつけました。
 案内板は2種類で、「李基允氏と裵相度氏の追悼碑」と「追悼碑入口 階段ご注意」です。
 李基允氏と裵相度氏を追悼する「追悼の場」は、木本隧道木本口左手の高台にあり、崖に面しています。
 「追悼の場」に行くには、自然石を並べた細くて急な階段をのぼらなければなりません。
 2014年11月、2019年11月、2回にわけて、階段と、「追悼の場」の道路側に手すりを付けました。
 2004年、熊野地域が世界遺産に指定されましたが、その前後から、熊野市内にさまざまな案内板がふえました。李基允氏と裵相度氏の「追悼の場」の下の道路は、木本隧道をへて、太平洋を望む鬼ケ城につづきます。熊野古道にいたる松本峠入口が木本隧道近くにあります。
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会では、熊野市にたいし、2008年10月16日の熊野市との話し合いの席で、直接に、その後、文書などで、熊野市内に案内板が増えたことと関連し、李基允氏と裵相度氏の「追悼の場」の案内板を設置するように要請しましたが、熊野市は応じないままでした。
 「追悼の場」にたびたび行ってくれる人たちから、木本隧道につづく道を歩く人たちが、すぐ上に何があるのかわかるように、案内板を付けたらどうかという提案がありました。熊野市への案内板設置要請は継続することにし、会で独自に案内板を設置することにしました。
 案内板は、「追悼の場」の道路に面した崖に設置すると、道路からよく見えるのですが、提案者のひとりの調査によれば、崖につけるばあい、費用がかさむことと、崖の地権者が不明確で手続きが複雑、また、草が生い茂る時期には見えにくくなる などで、この案はやめることにしました。
 案内板のことばは、約20個、提案されたのですが、最初の二つになりました。
 案内板のことばにはなりませんでしたが、いくつかここで記しておきます。

 ◇トンネル工事中、デマで命を奪われた二人」 ◇「木本事件」で亡くなった若者たち
 ◇トンネル工事と「木本事件」が伝えることは…… ◇侵略と差別の歴史を問う
 ◇歴史に刻まれた1926年1月3日 ◇故郷に帰れなかった二人
 ◇遠い昔のこと? いや今もこれからも私たちは問い続ける



■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 建立基金について■
                                    金靜美

 2008年3月9日、紀州鉱山の真実を明らかにする会が主催して、はじめて紀州鉱山で亡くなった 朝鮮人を追悼する集会を、選鉱所前でおこないました。 
 その後、紀州鉱山の真実を明らかにする会がよびかけ、2008年8月31日、在日本大韓民国民団三 重県地方本部、在日本朝鮮人総聯合会三重県本部と紀州鉱山の真実を明らかにする会の三者で、 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」の発会式を、津でおこないました。 
 2009年9月6日、「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」の第2回集会を、津で おこないました。 

 紀州鉱山の真実を明らかにする会では、2008年3月9日の第1回追悼集会以降、追悼碑建立のため のさまざまな作業に取り掛かり、追悼碑建立基金を設けました。 
 2009年4月時点で、追悼碑建立基金には、471088円が寄せられていました。 
 2009年5月、熊野市紀和町を通る311号線沿いの土地を、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑 を建てる用地として購入を決めましたが、不足する購入資金や整備費用のため、2009年5月25日、 200万円を、在日朝鮮人1世の方から、無利子、無期限で、お借りしました。 
 2010年3月28日におこなった紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の序幕集会ののち、 2011年10月24日に第1回目の返済をし、その後3回に分けて返済し終わりました。最後は、ことし 2021年6月9日でした。 
 在日朝鮮人1世の方、ありがとうございました。  
 みなさまのご支援、ご協力、感謝します。
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わたしたちの立場

2021年10月29日 | 木本事件
■わたしたちの立場■
                                金靜美
                              
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、1988年9月11日、朝鮮人がよびかけ、第1回目の準備会をひらきました。
 翌年の1989年4月23日、三重県津で、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・三重結成集会をおこない、つづいて6月4日に、大阪で、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の結成集会をおこないました。
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の準備会が1988年11月30日に出した「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑建立を!」には、次のように書かれています(抄録)。

◆ 「事件は終わっていない」
 「いま、李基允、裵相度の死は、かたちを変えて日本でくり返されています。ふたりが日本に働きに来ざるをえなかったのは、日本の植民地支配によって祖国の生活と土地を奪われたからです。現在の日本でも、同じようにしてアジア各地から数多くの外国人労働者が出稼ぎのために来日し、低賃金や劣悪な労働条件の下で、差別・虐待を受け、なかには餓死や自殺に追い込まれた人もいます。敗戦前もいまも、日本はアジアの富を奪い、アジア民衆の犠牲の上に豊かさを享受しているにもかかわらず、日本人の多くはそのことに無自覚なままでいます」、
 「木本事件は、1923年の関東大地震の際の日本人による朝鮮人・中国人の大虐殺や、アジア各地で行われた、天皇ヒロヒトを最高指揮者とする軍隊(「皇軍」)による民衆虐殺に比べたら小さな事件ですが、それらの出来事とけっして無関係な事件ではありません。そして、『奥熊野百年誌』(1968年)、『木本小学校百年誌』(1973年)、『熊野市史』(1983年)などにおける記述が現在もなお、この事件の事実を包み隠し、歪めて伝えていることからも明らかなように、この事件に対する熊野市当局や市民の対応のしかたの中にも、日本人がおのれの歴史に対する責任を回避しようとする態度が表れています」。

◆「歴史から学びつつ」
「李基允。裵相度の死の陰には、無数の朝鮮人労働者の死が隠されています。北海道、紀伊半島(三重県、奈良県、和歌山県)、信濃川流域新潟県、九州の炭鉱など日本全国のいたるところで、数多くの朝鮮人労働者が鉄道工事、道路工事、発電所工事、炭鉱の採掘に際して「事故死」させられ、葬り去られてきました。わたしたちは、李基允、裵相度の無念の声を聞き取り、さらに名を知られることさえなく暗闇の中で殺されていった朝鮮人やその他のアジア人の遺志をたずね、ふたたび同じ悲劇が起こらぬように努力していかねばなりません」。
 
 わたしたちはこの文書を、わたしたちの会の活動の指針とし、次のことを目的として運動をすすめてきました。
 ①李基允氏と裵相度氏を追悼する碑を建立する。
 ②多くの李基允氏たち、裵相度氏たちの無念の声を聞き取り、アジア人の遺志をたずね、同じことをくりかえさせない。
 ③「木本事件」の事実を明らかにし、地域史におけるまちがった記述を訂正させる。

 わたしたちの会の活動は、①の「李基允氏と裵相度氏を追悼する碑を建立する」は実現しましたが、②③は実現していません。

 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の活動の過程で、1997年2月9日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の発足集会を開きました。
 第1回目の紀州鉱山「現地調査」は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会が主催しました。李基允氏と裵相度氏を追悼する第2回目の集会の翌日1995年11月19日でした。第2回目の紀州鉱山「現地調査」も、主催は第1回目と同じで、李基允氏と裵相度氏を追悼する第3回目の集会の翌日、1996年11月17日におこないました。

◆紀州鉱山の真実を明らかにする会 会則◆
1、名称
 本会の名称を、紀州鉱山の真実を明らかにする会とする。
2、目的
 三重県紀和町の紀州鉱山(石原産業経営)における朝鮮人強制連行・強制労働の調査を包括的におこない、さらに、紀伊半島における朝鮮人・中国人強制連行・強制労働の調査を包括的におこなうことによって、紀伊半島の歴史を、19世紀末以降における日本の東アジア太平洋侵略の歴史のなかに、位置づけることを目的とする。
3、会員
 本会の会員は、本会の目的に賛同する個人によって、構成される。
4、運営
 ①本会は、事務局をもって運営される。事務局には、本会員であれば、自由に参加することができる。
 ②事務局会議は、随時におこなわれる。
 ③本会の経費は、基本的に、会員の会費によってまかなわれるものとする。
5、会費
  会費は、年会費3000円とする。

 この会則は、会の発足日である1997年2月9日から実施する。 
                                         


■「改組三会」の『会報』1号における虚偽記述について■                                                                                                                                                                                                        
                                   金靜美

 今年5月1日付で『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会 総称改組三会 会報第1号』が「改組三会」から発行されました。
 この『会報』1号には、昨年11月7日夜、「改組三会」という「会」がつくられたと書かれています。昨年11月7日昼には、斎藤日出治さんや竹本昇さんが中心になって、偽りの「追悼集会」を開いていました。
 斎藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会を2020年にやめていました。会をやめたふたりが中心になって、それまで会の活動にまったく、あるいはほとんどかかわっていなかった人たちが加わり、まぎらわしい名称を付けた「改組三会」という「会」を作ったといっています。
 会をやめたと広言した人たちが、会の名称を変え、あるいは、そのまま使い、それぞれ、歴史、経緯、活動の内容がちがう三つの会を、「総称 改組三会」としたことに、ひじょうに憤りを感じます。
 「改組三会」が発行した「会報第1号」には、この会の実体が象徴的に示されています。でたらめ、虚偽、歴史偽造です。
(一)この「冊子」の最終頁に木本町の地図と「木本事件とは」と題する700字ほどの「解説」が掲載されています(15頁)。筆者は明らかにされていませんが、この地図と短い「解説」には、何か所も、事実とことなる虚偽の歴史が書かれています。 
①この地図の有本湯の斜め前に「裵相度さん虐殺の現場」と書き込まれていますが、その場所は裵相度さんが虐殺された場所ではありません。当時の地域新聞の記事などによると、虐殺された李基允さんの遺体は有本湯の前まで虐殺者らによって引きずられて放置され、その後同じ場所に裵相度さんの遺体が虐殺者らによって引きずられて放置されました。
②裵相度さんが包囲された現場は、笛吹橋の近くであった。 「木本事件とは」には、「裵相度さんは……有本湯付近で自警団に包囲され、鳶口で 殺された」という虚偽が書かれている。 
③「木本事件とは」には、「李基允さんたちは、笛吹き橋付近でダイナマイトで抵抗した後、山やトンネルに逃げた」と書かれている。だが、朝鮮労働者と日本人労働者がダイナマイトで反撃したのは李基允さんが虐殺された後であった。 

(二)『総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」には、「姫リンゴの花」のカラー写真が掲載されている。その説明文の全文はつぎのとおりだ(13頁)。 
 「木本の追悼碑前には姫リンゴの花が咲き、やがて可愛いリンゴがたくさん実る。 
杉浦新吉さん(飯場襲撃に対して、朝鮮人と共に闘った三人の日本人労働者の一人)の孫娘さんに贈られた苗木が気丈に育っている」。 
  • 「木本の追悼碑前には姫リンゴの花が咲き……」と書かれているが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑の前には「姫リンゴ」の樹は植えられていない。 この「冊子」に掲載されている「孫娘さんに贈られた苗木」の写真は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑とは、まったく無関係のものである。
  • 杉浦新吉さんには「孫娘さん」はいない。
  • 「朝鮮人と共に闘った三人の日本人労働者」と書かれているが、朝鮮人といっしょにたたかった日本人は、3人だけではない。
(三)「はじめて会の運営規約を採択」(4頁)。
  三つの会には、会則、規約などがある。
(四)「数年以上にわたって事務局会議を開催することなくメールの交信のみで活動してきた旧三会」(14頁)。
  わたしたちは、最近の数年間に限っても、事務局会議を開き、追悼集会、総会、定例研究会を開き、「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判をおこない、「関西地域 民族教育関係者 研修会」に参加し、日本政府に「日韓合意」の撤回を求め、海南島・韓国で「現地調査」をおこなっている。



■「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて■                                                                                                       
                                  キム チョンミ

 「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルは、1999年7月6日~8月29日まで、大阪人権博物館(リバティ大阪 現在は閉館)で開かれた、企画展「“木本事件”ー熊野から朝鮮人虐殺を問うー」のために、大阪人権博物館が作成した写真パネルと解説パネルが主なものです。
 企画展で使用した写真パネルと解説パネルは、大阪人権博物館の担当学芸員が、企画の趣旨に沿って独自に選定・作成したパネルも数点ありますが、基本的には、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会のキム チョンミが写真を選定し、解説を作成しました。
 企画展では、「木本事件」だけではなく、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山を経営していた石原産業が海南島で現地人や朝鮮人を強制連行して働かせていた田独鉱山のパネルも展示しました。
 企画展の終了後、これらのパネルは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会が、大阪人権博物館から譲り受け、キム チョンミが管理してきました。
 「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行のパネルは、企画展の終了後、1999年11月の追悼集会のさい、極楽寺で展示しました。
 2000年11月の追悼集会のさいには、熊野市立図書館ではじめて展示し、その後、毎年、追悼集会のさい、熊野市立図書館(のち、熊野市民文化センター)で展示をしてきました。
 その後、上記の二つの会では、佐藤正人さん、小谷英治さん、キム チョンミが中心になって、「大逆事件」など、随時あたらしくパネルを制作し、いまの枚数になっています。
 これらのパネルは、すべて、キム チョンミが保管し、追悼集会のさいに熊野に運びましたが、2015年、慶尚北道議員団が追悼集会に参加したさい、キム チョンミが議員団とともに紀和町から和歌山方面に向かわなければならなかったため、パネルの撤収作業に参加できず、竹本昇さんに一時的に保管をお願いしました。そのご、竹本昇さんが「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんするパネルを一時的に保管してきました。

 竹本昇さんが昨年、上記二つの会をやめたため、今年4月30日、パネルの返却を要請したところ、同日、返さないといってきました。
 その「理由は、金静美さんの独裁による会の運営を認められないからです」、ということです。
 竹本昇さんがわたしが会で「独裁」をしていたと考えることについて、わたしは竹本昇さんと議論するつもりはありませんが、パネルは、会のものです。
 竹本昇さんは、会の活動と会員の個人にたいし、誹謗中傷し、虚偽をまき散らして会をやめた人たち、会の活動にほとんどかかわっていなかった人たちとともに、昨年、「改組 三会」というものをつくりました。
 わたしは、この「改組 三会」というものは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の活動を妨害していると判断します。
 その竹本昇さんは、アジア民衆歴史センターの主催者である久保井規夫さん(「改組三会」の運営委員でもあります)の借用依頼にかんし、個人的に了解の返事をしたと、久保井規夫さんからのメールで知りました。
 これらのパネルは、会をやめた竹本昇さんには、いっさい関係がありません。また、いかなる人間でも、個人的に貸与したりできるものではありません。
 会をやめた人間が、担当していた事務の引き継ぎの提案に「排除」だといって応じない、預かっていた会のものの返却要請に応じず個人的に貸与しようとする、すでにある会則を無視して「改組 三会」というものの会則をつくる。
 「改組 三会」というものの不正義、モラルのなさは、見苦しいほどです。
 人のものを奪って恥じないという考え方に、侵略者の論理が重なります。
 竹本昇さんが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の写真と解説パネルを返却するように、ご協力をよろしくお願いします。
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追悼場2021

2021年10月28日 | 紀州鉱山
■追悼場2021■
                                 宇恵悟

 追悼碑に関わるようになって、10年も経っているのですが、2つの追悼の場が納得のいく形で整備(草刈り)が出来、満足して集会に参加する人を迎えられたことはなく、今年こそ十分な準備をしようと、前の集会が終わって、すぐに整備に通い始めたのですが、集会まで一か月となってまだ区切りがつきません。
 10年と言えば、築10年の板屋の木造の建立宣言台が朽ちて、上部が見事に崩落(?)しました。元のように上手くは出来ませんでしたが、残ったセメントブロックの土台とか、支柱などのおかげで簡単に復旧出来、先人の努力に改めて敬意を表しました。宣言台に限らず多くの場面で追悼場を造り上げた人々の思いを感じています。
 20年以上もかけて、遠隔地から追悼碑建立に足を運び、地元住民の聞き取りや犠牲者の故郷の韓国にまで出向いて、聞き取り調査をし、多くの同志を募り、地元の無理解や市議会等との度重なる交渉に業を煮やしながら、費用も自ら調達し、それぞれのメンバーの居住地と熊野を数限りなく往復し、2つの追悼碑を建立し、建立以来、毎年の追悼集会を開催して来た人達の思いに寄り添い、2つの碑の永劫の存続を念じながら、連綿と続く在日の人への差別、最近では日本に暮らすアジア人への入管等の人権侵害、くすぶり続ける、韓国の慰安婦・戦時徴用工問題等、追悼碑をそれらの問題に関わる拠り所とし、碑に関わる犠牲者は勿論、追悼碑に思いを寄せる人達の心情や情熱を受けとめ、多くの関係者の母国語であるハングルにも、祖国にも、関心を持って、地元も含め多くの人が、2つの追悼碑に心を寄せてくれるよう願いながら、2つの追悼碑の整備の区切りがつく日まで頑張りたいと思います。
                                                          
                                     (2021年10月8日)                
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【報告】 2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか  注記

2021年10月27日 | 海南島近現代史研究会
■【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか  注記■

                                     佐藤正人
 
◆注記① 「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」で斉藤日出治さんが史・資料をまったく示さずにおこなっていた虚偽の歴史叙述の数例と意味不明のデタラメな叙述の数例。
 ① 日本軍は海南島で住民を無差別に虐殺する一方で、敗戦の末期にサイパン島、グアム島、テニアン島、フィリピン、沖縄、「満州」で、今度は自国の住民を大量に死に追いやった。非戦闘員を戦闘に巻き込み、足手まといになると住民を見捨て、生きながらえるよりもみずから死を選ぶよう指示した。「集団自決」という強制集団死が、これらの地上戦が行われた各地で発生した。
 ②沖縄で起きた「集団自決」という日本の非戦闘員の自死行為が海南島の住民虐殺と同じ質のものであり、後者の住民虐殺が前者の「集団自決」をもたらしたのだ……。
 ③ 強制労働のさなかに多くの住民が……挨拶をしないと言って電気拷問をかけられ、さらに銃剣で刺し殺された。
 ④「戦後」とは、日本の社会が敗戦の経験によってみずからの手で歴史を検証する回路を封じ込め、二つの住民虐殺を容認、あるいはかたちをかえて再生産してきた体制である。
 ⑤現在のわれわれに求められているのは、住民虐殺を抹殺、あるいは変造するこの「戦後」という集合的記憶と対決するもうひとつの歴史認識を構築することであり、もう一つの歴史認識の可能性を提示することである。
 ⑥沖縄の「集団自決」は、日本のアジアにおける住民虐殺という植民地支配と侵略のコンテクストがもたらした帰結としてとらえられるべき。
 ⑦ 海南島の住民虐殺の事実を抹消し沖縄の強制集団死を変造することによって成り立つ戦後日本の歴史認識。
 ⑧ 日本軍統治下の海南島で住民に行使された日本軍の暴力について、国民は戦後七〇年近くのあいだその検証を行おうとしてこなかった。
 ⑨ 日本は敗戦によって植民地主義を強制的に断念させられた。
 ⑩ アジア諸地域に対する植民地体制は敗戦によって放棄させられても、アジアに対する植民地主義の意識はそのまま存続する。
 ⑪日本の社会が自覚しないままに戦後七〇年ちかくのあいだ自明の前提として戦後社会に保持してきた日本の植民地主義。

◆注記② 「この会のありかたについて-わたしはなぜ退会するのか」という文書に、斉藤日出治さんは、
 「海南島で、自分のできるかぎりの聞き取りをして、メモを作り、自分なりの報告書をつくりました。その作業を通して、自分が海南島における日本の重大な侵略犯罪について学んだことを文章化しようとこころみました」。
 「海南島における日本の侵略犯罪の責任追及をする会は、あらゆる機会に会員がみずからこの活動から学んだことを外部に伝える必要があります。記者のインタビュー、集会、などで発言していかなければなりません。ところが、そのような発言や記述が徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判がされるようになると、会員は自由にものが言えなくなります。共産党のかつての査問委員会のような審査と糾弾に等しいことがこの会の内部ではおこなわれているのです」。
などと書いていた。

 「会員」が、「記者のインタビュー、集会、などで」おこなった「発言や記述」が「徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判」がなされたことがあったという虚偽を斉藤日出治さんがなぜ書くことができたのか、理解できない。 
 中国の国営通信社である新華社の記者から、斉藤日出治さん、竹本昇さん、金靜美さん、佐藤正人が長時間いっしょに取材を受け、記事になったことがあった。
 このときの新聞記事とテレビ放送については、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』63号・18号に掲載してある。
 海南島で南海出版公司の編集者から斉藤日出治さんが取材を受けたことがあった。 
 そのときの斉藤日出治さんの「発言」が誰かによって「「徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判」がなされたことがなかったことは、斉藤日出治さん自身がよく知っていることだろう。
 海南島の南海出版公司の編集者おこなった斉藤日出治さんへのインタビューが含まれている『真相 海南島近現代史研究会海南島17年(27次)調査足跡』(2015年8月刊)、および『忘記過去意味着背叛』(2015年12月刊)が出されていることを斉藤日出治さんは知っているだろう。
 「そのような発言や記述が徹底して検証……」というコトバは、斉藤日出治自身が虚言であることを自覚しつつ発している恥知らずな虚言である。
 斉藤日出治さんが「自分が海南島における日本の重大な侵略犯罪について学んだことを文章化しようとこころみました」と言っている「文章」の作成過程で剽窃をおこなっていると、佐藤正人は、具体的に指摘し、なんども質問している。
 その質問にまともに答えることなく、斉藤日出治さんは、悪辣な空言を20204月29日に、「退会のあいさつ」で述べていた。そこに斉藤日出治さんは、会について
 「そういう断定がなぜそうなのかについての共通の理解を深めることを妨げ、なんとなくわかった雰囲気を創り出し、自分に異を唱えるな、と恫喝し、同意を強制します。そしてそのような強いられた同意が会の合意となるのです。しかし、そのような断定は思考の判断停止をもたらします。それ以上考えなくてもわかったような雰囲気が生まれる。そのような雰囲気でひとが行動を起こすのは、ファシズムの行動様式です。わたしたちはそのような動きを乗り越える運動をめざしていながら、みずからが克服すべき運動を支えてしま っている。この逆説にわれわれはもっと自覚的でなければなりません」
と、かれが常用してきているあいまいな文体で悪辣な暴言を書いている。

◆注記③ 『総称改組三会 会報第1号』には、「改組三会」は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会を「改組」した「会」であると書かれている。
 「改組三会」は、それまで存在していなかった「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」を、偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」が開催された2020年11月7日の夜に創作し、「改組」している。

◆注記④ 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達するために、会員が綿密な文書記録探索・分析をおこない、犠牲者本人・家族・遺族・関係者から証言を聞かせてもらい、写真を収集・撮影し、地図・年表を作成し、実証的な歴史叙述を書いて、一枚いちまい完成させたものである。
 展示用パネルの多くは、1999年7月6日~8月29日にリバティ大阪(大阪人権博物館)で開催された「(企画展)“木本事件” 熊野から朝鮮人虐殺を問う」で展示された。
 展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達し、犯罪者に歴史的責任をとらせるためのものである。

◆注記⑤ 紀州鉱山の真実を明らかにする会が購入した紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地に、三重県は不動産取得税を、熊野市は固定資産税を課税してきた。                                          
 それに対して、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、熊野市の固定資産税強制徴収に対する訴訟と三重県の不動産取得税強制徴収に対する訴訟を、2011年3月18 日に三重県津地方裁判所に提訴した。
 訴訟は、弁護士をつけず、本人訴訟のかたちでおこなうことにし、訴状は紀州鉱山の真実を明らかにする会が作成した。
 訴状で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、三重県に強制連行され三重県で強制労働させられ三重県で死亡した朝鮮人を追悼する場は私有地ではなく、公共の場であり、課税されるべき土地ではないという、あたりまえのことを主張し、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働に歴史的責任をもつ三重県と熊野市がその土地に課税することが、どれほど悪質な行為であるかを詳細に分析・提示した。
 竹本昇さんは、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員であったときに、紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地の5人の登記人の一人となっていた。
 そのことを「理由」にして、2020年11月7日夜に「改組三会」の「運営委員」となった竹本昇さんは、「竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」と、2021年9月22日・23日に主張した。
 紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地は紀州鉱山の真実を明らかにする会の土地である。登記人5人の共有地ではない。
 三重県に強制連行され三重県で強制労働させられ三重県で死亡した朝鮮人を追悼する碑は、熊野市紀和町の紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑だけだ。
 この碑は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者、李基允さんと裵相度さんを追悼する碑とともに、国民国家日本の朝鮮植民地支配責任を問うものである。

                                2021年10月20日記
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【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか

2021年10月26日 | 海南島近現代史研究会
■【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか■                                    
                                      佐藤正人                                                                                                

 2021年5月1日付けで「事実と異なる虚偽の「歴史記述」、非論理的で悪質な虚論・空論で満たされている『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」(18頁)が出されました。
 その「冊子」には、2020年11月7日夜に「総会で選出された運営委員」は、「下記の9人」(竹本昇、久保井規夫、斉藤日出治ら」)だと書かれていました。
 久保井規夫さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの副会長であり、斉藤日出治さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの事務局長でした。斉藤日出治さんと竹本昇さんは、かつて、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の創立期からの会員でした。
 国民国家日本の他地域他国植民地支配責任を問い、歴史的責任とるべきものにとらせようとしてきた民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」という「会」の実体を明かにするとともに、このような「会」が現われてきた原因をはっきりさせるための作業の一環として、「改組三会」発生に至る経過、および「改組三会」発生後、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会の展示用パネル盗奪に至る経過を年表形式で報告します。

(一)「改組三会」発生に至る経過
 2014年春 斉藤日出治さん、近畿大学日本文化研究所編『日本文化の明と暗』(2014年3月20日発行)に、「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」を発表。
 斉藤日出治さんの虚偽の「歴史叙述」は、2014年春から(あるいは、それ以前から)開始されていた。◆注記①
 2019年10月12日 当時海南島近現代史研究会の事務局長であった斉藤日出治さんに、佐藤正人が、「海南島近現代史研究会の研究の本質にかかわる悪質な発言、および実質的な剽窃問題について」送信。斉藤日出治さんが実質的な自覚的剽窃作業をおこなっていた事実を指摘し、質問開始。
 2020年2月11日 斉藤日出治さんが「海南島近現代史研究会の研究の本質にかかわる悪質な発言、および実質的な剽窃問題について」に、いつまでたっても答えないので、佐藤正人、4か月後に再送。
 斉藤日出治さんは、かれの「歴史叙述」で、剽窃をくり返し、かつ、日本の侵略犯罪史にかかわって「物書きとして」虚偽をくり返していた。
 斉藤日出治さんは、史・資料に基づかず、自分が実際に正確に読んでいない資料名をあいまいなかたちで示して、史実ではないことを(すなわち、虚偽を)書いて発表していた。
 2020年2月18日 斉藤日出治さん、「脱会の通知」送信。
 2020年2月29日 斉藤日出治さん、自分の剽窃行為を「引用や模倣」に置き換えてごまかし、「私的所有権の侵害」などという用語まで非科学的に使用してごまかしの弁明を重ねたうえで、斉藤が剽窃をしたということは、この会から斎藤は出て行け、という意味なのですと「解説」し、「だから、ぼくは退会するのです」、「ぼくは佐藤さんが投げかけた「剽窃」の言葉に応じて,佐藤さんの求めに応じて、この会を退会します」、「今後は、意思疎通のなりたたないメールのやりとりをやめることにします」と発言。
 2020年3月14日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について 1」送信。その後、斉藤日出治さんの歴史叙述の方法と内容とその質について、佐藤正人は、分析し、批判し、くり返し質問し続けた。
 2020年4月29日 斉藤日出治さん、「退会のあいさつ」という件名のメールに表題を「この会のありかたについて-わたしはなぜ退会するのか」という文書を添付して送信。◆注記②
 2020年8月9日 「退会」(あるいは「脱会」した斉藤日出治さん、「Re: 「原則に会の運営」をはかるため、みんなで議論する場を設けましょう」とい う件名のメールで
 「キムチョンミさんが、会を止めたことを理由にして、やめたひとが会議の提案はできないか ら、会議を開かないと言っていますので、わたしは会のあり方を議論するために会に戻ることにします。会のメンバーとして、この会のあり方について議論する場を設けることを提案します」と、「会に戻ることにします」と「通知」。
 ◆「脱会の通知」を送信し脱会するのは自由だが、脱会したものが「通知」をだすだけで再入会することはできない。
 2020年10月3日 斉藤日出治さん、「会員が、会のありかたについて、会の内外で公に議論をするべくその機会をつくるために名簿を使うのです」というメール(件名:Re: 住所録)を送信。
 2020年10月18日 『会報』編集・印刷・郵送を担当している金靜美さん、斉藤日出治さんに『会報』65号・20号郵送用の封筒返却を要求。
 2020年10月後半 斉藤日出治さんは、竹本昇さんと共謀して、『会報』65号・20号郵送用の封筒を盗用して、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会のご案内」・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会のご案内」を『会報』65号・20号の読者に、差出人を「竹本昇」として『会報』の読者に郵送した。封筒盗用は、同時に住所録・会員名簿の盗奪であった。
 その「ご案内」で、斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会が2019年秋に作成して郵送した「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会のご案内」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」の案内の数字を26から27に、12から13に変え、構成・文章をそのまま使い、あたかも2019年の追悼集会に続く集会の案内であるかのように細工し、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」の主催者が三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会であるかのように読者を欺こうとした。
 その「ご案内」で、斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会が作成してきた追悼集会の案内の構成・文章をほぼそのまま使い、デザインを盗用し、写真を盗用していた。
 2020年11月1日 佐藤正人、斉藤日出治さんにメール(件名:斉藤日出治さんの歴史叙述について 16   特に斉藤日出治さんの剽窃行為について)送信。
 そのメールで、佐藤正人は、「斉藤日出治さんの剽窃行為とデタラメな叙述の実態  斉藤日出治『アジアの植民地支配と戦後日本の歴史認識』の場合(抄)」と「斉藤日出治さんのデタラメな「歴史叙述」の実態  斉藤日出治「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」の場合(抄)」を示した。
 2020年11月4日 斉藤日出治さんが、佐藤正人に、「封筒が盗用なのかどうか、追悼集会を偽造したのかどうか、斉藤の歴史次述が剽窃なのかどうか、について7日に討論します」というメールを送信。
 2020年11月4日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について 17  特に斉藤日出治さんの剽窃行為と封筒盗用について」)を送信。
 2020年11月5日 斉藤日出治さんが、佐藤正人に、次のようなというメールを送信。
 「佐藤さんは、11月7日の追悼集会をどうしても求めたくないようですね。この集会は、封筒の「盗み」にも、「斎籐の剽窃」にも、還元することができない、集会参加者の共同意思です。佐藤さんはその集会にまともに向き合うことが出来ないから、封筒問題、剽窃問題を理由にして、集会そのものを否定しようとしているのではありませんか。これまでの会の在り方が問われているのです」。
 2020年11月6日  佐藤正人、次のような要請文を斉藤日出治さんに送信(件名:再送:斉藤日出治さんの歴史叙述について 17 特に斉藤日出治さんの剽窃行為と封筒盗用について)。
 あなたの剽窃行為、非科学的な「歴史叙述」についいての、少なくても一年以上まえからのわたしの指摘と質問に答えてください。
 「佐藤さんは、11月7日の追悼集会をどうしても求めたくないようですね」というのは、どういう意味なのですか。
 「この集会は、封筒の「盗み」にも、「斎籐の剽窃」にも、還元することができない、集会参加者の共同意思です」と、あいかわらずオカシナ文章を書いてますが、「この集会は、……集会参加者の共同意思です」というのは、どういう意味なのですか。……
 2020年11月7日昼 偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」が開催された。

(二)「改組三会」発生後現在までの経過
 2020年11月7日夜 「改組三会」、「会としてはじめての会の運営規約を採択(2021年5月1日付けで出され た『総称改組三会 会報第1号』に記載)。
 2020年11月7日夜 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働物(李基允・裵相度)を追悼する会」が、突然でてきた。◆注記③
 2020年11月15日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について18」送信。この18回目の「斉藤日出治さんの歴史叙述について」の副題は、「特に斉藤日出治さんの虚偽の歴史叙述と封筒盗用について」。2020年11月24日に再々送。
 2021年4月30日  三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会代表であり紀州鉱山の真実を明らかにする会事務局長である金靜美さんが、竹本昇さんが一時的にあずかっている三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会の展示用パネルについて「わたしがすべて保管することにします。取りに行きますので、いつがいいですか?」と竹本昇さんに問い合わせた。◆注記④
 2021年5月1日 竹本昇さんは、「金静美さんのこの申し出をお断りします」と返信した。
 2021年9月19日 展示用パネルを盗み続けている竹本昇さんが、「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」というメール送信(件名:RE: 竹本昇問題と斉藤日出治問題と小久保浩問題 15(特に、竹本昇のパネル横領問題))。
 2021年9月22日 竹本昇さん、「木本事件の追悼碑の土地は、5人の共有になっており、竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」というメール送信(件名:RE: 竹本昇問題と斉藤日出治問題と小久保浩問題 18(竹本昇のパネル横領問題))。
 2021年9月23日  竹本昇さん、「紀州鉱山の追悼碑の土地のことでした」と訂正(「紀州鉱山の追悼碑の土地は、5人の共有になっており、竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」と主張)。

現在
 斉藤日出治さんは、公表している、虚偽の「歴史叙述」や剽窃作文を放置し続けている。
 斉藤日出治さんと竹本昇さんは、『会報』郵送用封筒盗用を、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会に、いまだに、謝罪しておらず、封筒返済を実行していない。
 斉藤日出治さんは、歴史叙述における剽窃問題、虚偽記述、封筒盗用などについての質問に、いまだに、まともに答えていない。
 「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」という2021年9月19日の竹本昇さんの空言・虚言を、久保井規夫さんを含む「改組三会」の「運営委員」は、放置=追認し続けている。
 「竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」という「竹本昇」の2021年9月22日・23日のおぞましくひれつで悪質な空言・虚言を、久保井規夫さんを含む「改組三会」の「運営委員」は、放置=追認し続けている。◆注記⑤

(三)斉藤日出治さんと竹本昇さんが「改組三会」という「会」を作成した原因
 (一) 個人的原因(思想性、感性、人間性、正義感の欠如)
 (二) 社会的原因
 竹本昇問題と斉藤日出治問題は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会という民衆組織のなかで「発達」していた問題である。
 李基允氏と裵相度氏を追悼する碑が除幕1994年11月20日、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑が除幕されたのは2010年3月28日であった。竹本昇問題と斉藤日出治問題が顕在化したのは、その後である。
 この問題は、顕在化する以前に発生していたと考えられる。
 問題を解決するためには、問題発生の社会的・思想的原因を解明しなければならない。
                                 
                                  2021年10月20日記
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部落解放同盟全国連合会機関紙『部落解放新聞』の虚偽記事について

2021年10月25日 | 木本事件
■解放同盟全国連合会機関紙『解放新聞』の虚偽記事について■
      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
      紀州鉱山の真実を明らかにする会
                             2021年10月20日

■解放同盟全国連合会機関紙『解放新聞』2021年2月10日号
 解放同盟全国連合会の機関紙『解放新聞』2021年2月10日号(第359号)に、「木本事件、紀州鉱山追悼集会が開かれる(三重県)」という表題の記事(馬場彰子署名、解放同盟全国連合会大久保支部(準)発信)が掲載されました。
 この記事の冒頭に、「2020年11月7日・8日、三重県で第27回木本、第13回紀州鉱山追悼集会が開かれた」と書かれています。 
 この記事は、事実を伝えておらず、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の運動を妨害するものです。
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、李基允さん・裵相度さんを追悼する27回目の集会を2020年11月22日に開催し、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の集会を2020年11月22日に開催しました。

■解放同盟全国連合会への『解放新聞』2021年2月10日号記事取消し要求
2021年6月29日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会は、関係文書を同封したうえで、解放同盟全国連合会に、解放同盟全国連合会と『解放新聞』編集部が独自に調査し、事実を知ったら、速やかに、『解放新聞』に、偽りの記事掲載理由を報告し、偽りの記事を取り消す記事を掲載することを文書で求めました。
 しかし、解放同盟全国連合会から応答がなく『解放新聞』の偽りの記事も取り消されなかったので、8月16日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会は、再度、解放同盟全国連合会に応答を求めました。だが、それにも、いまだ応答がありません。
 機関紙『解放新聞』に掲載された偽りの記事を放置しておくことは、解放同盟全国連合会が、その偽りを肯定し伝播し続けていることを意味します。

 2021年5月1日付けで、『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会 総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」が出され、それに、「2020年11月7日、わたしたちは追悼集会の後、熊野の湯ノ口温泉に宿泊し、総会を開いて、会としてはじめて会の運営規約を採択しました」という「説明」のあとに「規約全文」なるものが掲載されており、その「付則」に、「総会で選出された運営委員は、下記の9名」と書かれていました。その9名に三宅法雄さんと馬場彰子さんが入っていました。
 解放同盟全国連合会大久保支部(準)の会員である三宅法雄さんと解放同盟全国連合会の会員である馬場彰子さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の運動を妨害する記事を解放同盟全国連合会の機関紙に発信して、解放同盟全国連合会という組織に重大な危害を加えました。

付記(一)
 解放同盟全国連合会も『解放新聞』編集部も、この問題にかんする事実をあまり把握していなかったので、解放同盟全国連合会大久保支部(準)が発信した「2020年11月7日・8日、三重県で第27回木本、第13回紀州鉱山追悼集会が開かれた」という記事が偽りであることを知らずに機関紙に掲載したと、わたしたちは判断し、次の文書を2021年6月29日に同封しました、
 ◆三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』65号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』20号。
 ◆「2020年11月22日の追悼集会のご案内」
 ◆「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』の読者のみなさんへ」。
 ◆『朝日新聞』2020年12月9日記事「現場へ! アジア人への冷たさ 根深く  強制労働の足跡をたどる3」。
 ◆『朝日新聞』(和歌山版)2020年11月28日記事「つながる道 歴史しること」。
 ◆三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』64号、紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』19号。
 ◆紀州鉱山の真実を明らかにする会編刊『紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会  報告と記録』(3刷り。2019年11月10日発行)。

付記(二)
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の会員、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員である佐藤正人は、解放同盟全国連合会大久保支部(準)が発信した「木本事件、紀州鉱山追悼集会が開かれる(三重県)」という表題の記事について、2021年5月2日にメール(件名:「2020年11月7日・8日、三重県で第27回木本、第13回紀州鉱山追悼集会が開かれた」という記事について)で、解放同盟全国連合会大久保支部(準)の三宅法雄さんに問い合わせましたが、一か月あまり経っても応答がありませんでした。 
 6月10日に、さらに問い合わせましたが、応答がありませんでした。
 いつまでも放置しておけない問題なので、10月8日に三度目の問い合わせをメール(件名:解放同盟全国連合会機関紙の虚偽記事について)を送りました。 
 三宅法雄さんは、現在まで、まったく応答していません。
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『会報』66号・21号合併号発行のおしらせ

2021年10月24日 | 『会報』
■『会報』66号・21号合併号発行のおしらせ■
 11月1日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の『会報』66号と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』21号の合併号を発行します。
 内容は、つぎのとおりです。

      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
            http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/
      紀州鉱山の真実を明らかにする会
            http://www.kisyukouzansinjitu.org/index.html

今年の追悼集会の案内
写真:李基允さんと裵相度さんを追悼する場の案内板(2021.10.5.)
金靜美 「李基允氏と裵相度氏を追悼する27回目の追悼集会」
嶋田実 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の追悼集会に参加して」
金靜美 「李基允氏と裵相度氏を追悼する「追悼の場」に案内板を設置しました」
【新聞記事】 「つながる道 歴史知ること 強制連行・労働犠牲者刻む2つの碑に」(『朝日新聞』朝刊 2020年11月28日 和歌山版)
【新聞記事】 「現場へ! 強制労働の足跡をたどる3 アジア人への冷たさ 根深く」(『朝日新聞』夕刊 2020年12月9日)
金靜美 「杉浦哲栄さんのこと 2021年7月26日」
宇恵悟 「追悼場2021」
写真:壊れた「追悼碑建立宣言」台(2021.3.22.)
写真:作り替えた「追悼碑建立宣言」台と碑(2021.10.7.)
金靜美 「円通院から本龍寺へ 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の遺骨」 
写真:円通院あとの説明板
写真:真ん中の「墓石」には「鑛」という文字
金靜美 「「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて」
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会 「解放同盟全国連合会機関紙『解放新聞』の虚偽記事について」
佐藤正人 「【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか」
金靜美 「わたしたちの立場」
金靜美  「改組三会」の『会報』1号における虚偽記述について
金靜美 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 建立基金について

別刷り
■2021年11月14日の追悼集会のご案内

     B5版 24頁。 定価 200円(送料140円)
     連絡先 和歌山県海南市日方1168 紀州鉱山の真実を明らかにする会
     郵便振替口座記号番号 00920-3-247174 
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「韓国外相「日本が和解・癒やし財団への拠出金の残額の使用に反対」」

2021年10月23日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/41468.html
「The Hankyoreh」 2021-10-22 07:16
■韓国外相「日本が和解・癒やし財団への拠出金の残額の使用に反対」
 21日、外交統一委の外交部国政監査で明らかに 
 日本と協議してきた案も初めて公開

【写真】チョン・ウィヨン外交部長官が今月21日、国会外交統一委員会の外交部・統一部などに対する総合監査で議員の質疑に答えている/聯合ニュース

 チョン・ウィヨン外交部長官が21日、2015年の韓日政府間「慰安婦」合意により日本政府が拠出した基金(10億円)のうち残額(56億ウォン)を被害者記念事業に使うことを「日本が反対している」と明らかにした。また、「慰安婦」被害者問題の解決のために韓国政府が日本政府に提案した内容も公開した。
 チョン長官は同日、国会外交統一委員会の外交部・統一部総合国政監査で、国民の力のチョ・テヨン議員が「和解・癒やし財団の解散後、3年間そのまま残っている56億ウォン(約5億4千万円)を、被害女性たちを記念できる事業に使ってほしい」という意見を示したことを受け、このように述べた。チョン長官は「(日本が)他の目的で使ってはならない」という立場を貫いているとし、「日本と様々な案について協議してきた」と付け加えた。
 チョン長官は「被害者の方々が『(基金を)受け取らない』と拒否したため、男女平等基金の名目で韓国が100億ウォン(日本政府の拠出金に代わる予算を)を作り、そのお金をそのまま日本に送る方法、あるいは10億円と(和解・癒やし財団の基金残額)56億ウォンを合わせて慰安婦被害者たちを記憶に残すための別の活動をする方法、または日本が心から謝罪した場合、被害者たちに補償として支払う方法など、そのほかにも様々な現実的案を引き続き日本と協議している」と明らかにした。
 チョン官は今年4月、寛勲クラブの討論会で、「慰安婦」被害者交渉の過程で、「非常に現実的な代案を示したが、日本側は一貫して自分たちの主張だけを繰り返した」と述べ、注目を集めた。しかし、具体的にどのような提案をしたかについては明らかにしなかった。日本政府もこれまで「基金は韓日合意を履行する観点で使用しなければならない」という立場を示しているとされたが、具体的な協議内容が公開されたのは今回が初めて。
 チョン長官は同日、チョ議員が「2017年当時38人だった被害者の方々が今は13人しか残っていない。被害者中心主義を主張する文在寅(ムン・ジェイン)政権が結果的にみると、被害者のために何もしていない」という趣旨の発言をしたことに対し、「そんなに簡単な話ではない」と反発する過程で、こうした発言をした。チョン長官はまた「日本がそのお金(10億円)も受け取ろうとせず、このお金(56億ウォン)も絶対に他のものに使ってはならないという」とし、「この問題を解決するため、さまざまな現実的方策を提示しており、被害者や代理人とも引き続き協議している」と述べた。
 文在寅政権は2018年1月、韓日政府間の「慰安婦」合意は問題の真の解決にはならないとして、日本政府が拠出した10億円を政府予算で賄い、基金の処理は日本と協議する方針を決めた。その後、同年11月に和解・癒し財団の解散を公式発表し、103億ウォン(10億円)を用意した。財団には、合意当時に生存被害者47人のうち34人、死亡被害者199人のうち58人に支給した44億ウォン(約4億3千万円)と運営費に使われた金額を除いた56億ウォンが残っていた。
 チョ議員とチョン長官は同日、被害者問題が解決していないことについて、「原罪」がどこにあるのかをめぐって舌戦を繰り広げた。 チョ議員が文在寅政権が「慰安婦」問題について「右往左往」したとし、「文在寅政権の原罪も非常に大きい」と指摘したことに対し、チョン長官は「原罪がどこにあるかというと、2015年の合意に根本的に問題がある」と述べながら声を荒げる場面もあった。
 チョン長官は「文在寅政権は2015年慰安婦合意を破るとは一度も言ったことがない。合意の枠組み内で日本を説得し続けている」とし、「慰安婦問題を解決する上で最も重要なことは被害者の名誉と尊厳を回復することだ。(こうした)根本的な問題を解決しなくてはならない」と強調した。
キム・ジウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/1016180.html
韓国語原文入力:2021-10-21 22:13


https://japanese.joins.com/JArticle/283980?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2021.10.19 10:52
■韓日NGO、日本政府の慰安婦関連答弁書撤回要求に「明白な強要」
「子どもと教科書全国ネット21」など韓国・日本の190余りの市民社会団体は「従軍慰安婦」の代わりに「慰安婦」、「強制連行」の代わりに「徴用」という表現を使うことが適切だとする日本政府の答弁書を撤回するよう岸田文雄首相と末松信介文科相に求める要求書を18日、文部科学省に提出した。
 日本政府は今年4月27日、「政府としては『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから『従軍慰安婦』または『いわゆる従軍慰安婦』ではなく単に『慰安婦』という用語を用いることが適切であると考えている」とする答弁書を閣議決定した。
 韓日非政府組織(NGO)は答弁書閣議決定以降、中高の教科書を作る出版社5社が社会、地理歴史、公民など29種類の教科書における従軍慰安婦、強制連行などの表現を削除・変更すると申請し、文科省がこれを承認したとして「自主的な形を取っているが明白に政府・文部科学省による強要」と規定した。
 日本政府は答弁書を国会に提出した後、これに沿うように教科書を修正しない場合、文科省が訂正の申請を勧告することができるという見解を明らかにし、出版社15社の編集担当役員を対象にした臨時説明会で修正申請日程を提示するなど圧力を加えたというのが市民団体の主張だ。
 18日、文科省で開かれた記者会見で「子どもと教科書全国ネット21」の石山久男代表委員は「答弁書の閣議決定を後援した勢力ともいえる『新しい歴史教科書をつくる会』などの本当の目的は河野談話の撤回というのが明白だ」と主張した。
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