東黎族自治県尖峰鎮尖峰で
尖峰(ジェンフォン。旧、水馬田)で、符○○さん(1923年生。漢族)は、つぎのように話した。
「昔は山に住んでいた。11、2歳のとき、日本軍につかまった。16、7歳まで5、6年間、仕事をさせられた。
殴られなかったが、食べ物は少ししかくれなかった。仕事は、朝から晩まで。逃げようと思ったが、逃げられなかった。抗日戦争に参加したかったが、家には子どもはわたししかいなかったので、できなかった。
軍人以外には、通訳がいた。
2、300人が働かされていた。この村からは、4、5人が11、12歳から働かされた。男も女も。働かされた。
王子製紙の森林鉄道工事をやらされた。鉄道は、15キロ作った。働きに行かなかったら殴られた。逃げた人がいた。何人逃げたかはわからない。つかまったら、殺された。死体は焼かれた。病気のときでも言えなかった。
八所に行かされたことがあったが、そのときには、工場の宿舎で寝泊りし、2、3か月に一回、家に帰った。朝7時から夜中の12時まで働かされた。おなかはいつもすいていた。
日本軍の兵士だった台湾人が機関銃を盗んで兵舎の鉄条網から出してくれた。
姉、台湾人とわたしは、日本軍の機関銃を、黒眉村にいた共産党員に届けた。姉はその台湾人と結婚した。その人は、あとで日本軍と戦って戦死した。黒眉村は共産党の根拠地だった。
わたしは、黒眉村の戦闘には参加しなかったが、米や野菜など食料を運んだ」。
尖峰(ジェンフォン。旧、水馬田)で、符○○さん(1923年生。漢族)は、つぎのように話した。
「昔は山に住んでいた。11、2歳のとき、日本軍につかまった。16、7歳まで5、6年間、仕事をさせられた。
殴られなかったが、食べ物は少ししかくれなかった。仕事は、朝から晩まで。逃げようと思ったが、逃げられなかった。抗日戦争に参加したかったが、家には子どもはわたししかいなかったので、できなかった。
軍人以外には、通訳がいた。
2、300人が働かされていた。この村からは、4、5人が11、12歳から働かされた。男も女も。働かされた。
王子製紙の森林鉄道工事をやらされた。鉄道は、15キロ作った。働きに行かなかったら殴られた。逃げた人がいた。何人逃げたかはわからない。つかまったら、殺された。死体は焼かれた。病気のときでも言えなかった。
八所に行かされたことがあったが、そのときには、工場の宿舎で寝泊りし、2、3か月に一回、家に帰った。朝7時から夜中の12時まで働かされた。おなかはいつもすいていた。
日本軍の兵士だった台湾人が機関銃を盗んで兵舎の鉄条網から出してくれた。
姉、台湾人とわたしは、日本軍の機関銃を、黒眉村にいた共産党員に届けた。姉はその台湾人と結婚した。その人は、あとで日本軍と戦って戦死した。黒眉村は共産党の根拠地だった。
わたしは、黒眉村の戦闘には参加しなかったが、米や野菜など食料を運んだ」。