三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「昔日贫困村变“最美中国乡村”」

2017年06月30日 | 海南島史研究
http://ngdsb.hinews.cn/html/2017-06/16/content_3_1.htm
『南国都市报』2017年6月16日  南国都市报记者 黄婷 党朝峰
■文明新风吹遍山村校园、大街小巷
 昔日贫困村变“最美中国乡村”
 最大城中村成全国示范社区

【资料图】什寒村民俗文化吸引游客

  街道干净整洁、市民文明礼让,不管在海口、三亚,抑或琼海,走在城市街头,扑面而来的文明之风让人赏心悦目;村落漂亮如画、村民淳朴善良,走进琼岛的乡村,山青水绿人和善,让游客流连忘返。社区,好人好事不断涌现;学校,团结互助蔚然成风……全省精神文明建设展现喜人成果。
  
★乡村
 生态保护富美乡村
 文化传承倡导新风
  琼中红毛镇什寒村坐落于琼中黎母山和鹦哥岭之间的高山盆地,一度是琼中偏远贫穷的代表村之一。
  近年来,什寒通过旅游扶贫的实施,积极发动群众创建文明生态村。由于什寒是黎族苗族共居的村庄,黎族苗族文化特别丰富。红毛镇探索通过传承民族文化促进文明新风的方法,成立农民文艺队,修建什寒文化广场,开展原生态黎族苗族歌舞表演,让村民积极参与其中。在寓教于乐的同时,也让外来游客亲身体验黎族苗族文化魅力,产生了良好的双重效应。以前喝酒闹事、麻将成风的现象在该村已不复存在。
  昔日的贫困小村如今已蝶变为“最美中国乡村”,先后荣获“海南最佳婚庆旅游目的地”“2014年中国最美乡愁旅游村寨”“2014年中国最美休闲乡村历史古村”“全国生态文化村”“全国民族团结进步模范集体”等多项殊荣,成为琼中“富美乡村”建设和旅游脱贫的成功典范。

★社区
 志愿服务促进社区和谐
 家风家训沉淀文明风尚
  “海口市玉沙社区的亲子跳蚤市场,好东西真不少,这本成语故事我买下来送朋友,节约资源又丰富了百姓的精神生活。”海口市龙华区金贸街道办玉沙社区一位女士点赞该社区精神文明建设让社区居民受益。十年前,玉沙社区是海口最大城中村,如今已蜕变成了全国示范社区,下辖区6个党支部和151名党员,社区党组织把社区党建工作延伸到小区、商业网点和居民家中,加入候鸟党员、非公企业党员,并入党支部进行管理。“我们通过开展活动,无形之中把外来人口融入在一起。”社区干部说道。
  志愿者服务点亮新社区的和谐,而老社区的家风家训沉淀出文明风尚。
  2015年,海口市开展“双创”工作后,典型的老社区居仁坊,旧貌换新颜。换上新装之后的老街道,随处可见居民家门口挂着“好家风好家训”展示牌。传播治家理念和良好家风,让孩子们耳濡目染受到道德召唤。

★校园
 乡村少年宫让留守儿童
 锻炼才艺享受童年欢乐
  海口市灵山镇中心小学的学生是一所乡镇学校,不少学生父母常年在外地打工,孩子们放学后都处于放养状态,如今有了乡村少年宫,孩子们的童年变得不一样了。从2012年创办乡村少年宫以来,每周二、周五的下午,少年宫都开放7个社团活动和15个兴趣小组活动,孩子们在这里锻炼才艺享受欢乐。
  “我的课余生活丰富了,还能学到很多传统文化知识。”一名学生高兴地说。学校老师介绍,诵读让孩子们在潜移默化中得到文明的熏陶。尊老爱幼、团结互助、文明有礼等传统文化让孩子健康快乐成长。据介绍,乡村少年宫是推进素质教育的良好载体,灵山镇中心小学通过聘请老专家、老教师等辅导人员,对学生进行教育,让学生们养成学习的兴趣爱好。
  我省持续推进校园精神文明建设。各学校把社会主义核心价值观融入孩子们的心里,让精神文明的种子在他们的心中生根发芽。
コメント

過去を知り、現在を生きる 東アジア史総論 朝鮮史をとおして考える 5

2017年06月29日 | 個人史・地域史・世界史
■移民(植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
 ヒト(Homo sapiens。ホモ・サピエンス)は、12万年前ころアフリカ東部で生成し、6万年前ころから全地球に移住しはじめた。
 ヒトの居住地に境界線がひかれ、さらに、国家が形成された。諸国家間の国境線は、何度も、戦争によって改変された。
 以下では、13世紀を前史とする15世紀の世界史成立後の、移住・移民の歴史について考えたい。
 世界史成立後の移民・移住の歴史は、侵略国家による他地域他国侵略の歴史であった。

(1)移民(Immigration.Immigrants.Emigrants。植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
  1、他地域他国侵略者:植民者、開拓民、拓殖民 → 移民国家・植民国家
    가、アメリカ合州国の場合
      先住民の大地と海への西ヨーロッパ白人の侵入→植民者による国民国家形成
      「西部開拓」という最悪の侵略犯罪による移民国家形成
    나、「イスラエル」の場合
      パレスティナ人の大地と海へのシオニストの侵入→絶えざる侵略地拡大(壁建設)
    다、カナダの場合。
    라、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼン
     チン……の場合
    마、ロシアの場合。
    바、清→中国の場合。

  ※侵略者の名を国名としている国家:
      アメリカ、コロンビア、フィリピン、マーシャル諸島共和国、セーシェル共和国
     (1742年当時のフランスの財務大臣セシェル Séchelles)、クック諸島(ラロトン
     ガ王国:1858年、建国。1893年、クック諸島連合に入る。1965年、ニュージーラン
     ドと自由連合〈独立〉)。
   侵略者の名を地名としている地域:
      タスマニア島、マゼラン海峡、ビスマルク諸島、ワシントン州、カムチャツカ半島、
     ベーリング海、サンパウロ、ニューヨーク(1664年、イギリス人が占領)、ギルバー
     ト諸島、ルイジアナ(1682年、フランス人がフランス王ルイ14世の名を使って命名)、
     セントルイス(1764年、フランス人がルイ9世の名を使ってサン=ルイSaint-Louisと
     命名)、ペンシルベニア、カロライナ、シドニー。「エベレスト」(1865年にイギリス人が命
     名。ネパールではサガルマータ、チベットではチョモランマ、中国では朱母郎馬阿林、
     珠穆朗瑪峰、聖母峰)、「マッキンリー山」(2015年8月31日:デナリに改名)。
   侵略者がもとの地名を変えた地域
      パットンカン→八通関山(パットンカンの音訳。清時代)・玉山→モリソン山→新高山
     (1895年以後)→玉山(1945年以後)。
      蔚山市方魚洞の蔚崎灯台の「蔚崎」は「蔚山の終わり」という意味の日本式表記。「タ
     ンバウィ」だったが、1904年ここに駐屯していた日本海軍が名前を変えた。
      キンシャサ・キンタンボ→レオポルドヴィル(1881年にスタンリーがベルギー王レオポ
     ルド2世の名を使って命名)→キンシャサ(1966年~ )。
  2、被侵略者:
    가、被植民地域、被植民国からの移住民
    나、被植民地域、被植民国からの被強制移民:奴隷、被強制連行者
        大西洋奴隷貿易(強制移住)
          1452年:ローマ教皇ニコラウス5世、ポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にす
         る許可。
          17世紀~19世紀:アフリカ黒人約1200万人がアメリカ大陸に。
          1865年まで:アメリカ合州国内でアフリカ人が「合法的」に奴隷化された。
    다、被植民地域・被植民国の民衆:先住民、国民

(2)奴隷の強制移住
   16世紀末~19世紀末:「南北アメリカ」とカリブ海地域にアフリカ人1100万人が強制移住。
   大西洋奴隷貿易を開始したのは、スペイン人・ポルトガル人。
   1640年代~1865年:「北アメリカ」で、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷。

(3)難民(Refugee)

(4)日本人移民(植民者・開拓民・拓殖民)
   本格的な日本人移民は、国民国家日本形成期に開始された。国策移民。
  1、19世紀~
    가、アイヌモシリへの移民
       1869年7月8日:維新政府、開拓使設置。
       1869年8月15日:アイヌモシリの一部を「北海道」と命名。11か国86郡設置。
       1870年2月13日:樺太開拓使を設置し、開拓使を北海道開拓使に改称。
       1871年8月7日:北海道開拓使と樺太開拓使を統合。
       1875年5月:屯田兵侵入開始(1904年:屯田兵制度廃止)。
       1877年12月:北海道地券発行条例制定(アイヌの全居住地を「官有地」に編入)。
       1882年2月8日: 開拓使廃止。函館県・札幌県・根室県設置(廃使置県)。
       1886年1月26日:3県を廃止。北海道庁を設置(廃県置庁)。
       1896年5月12日:第7師団、屯田兵を母体として編成(旭川に司令部)。
       1947年5月3日:地方自治法施行。北海道庁廃止。北海道が発足。
       1950年6月1日:北海道開発庁設置。
       1951年7月1日:北海道開発局(運輸省・農林省・建設省の機関)設置。
       2001年1月6日:北海道開発庁は国土交通省北海道局に、北海道開発局は国土交
             通省の地方支分部局に。
         ※殖民軌道:
    나、ウルマネシアへの移民
  2、20世紀前半
    가、台湾への移民。
    나、朝鮮への移民。
       東洋拓殖会社の役割
    다、ハワイ・メキシコ・アメリカ合州国への移民。
    라、南米への移民。
    마、「南洋」への移民。
    바、「満洲」への移民(開拓民)。
    사、海南島、フィリピン……への移民。
  3、20世紀後半以後。
      南米への移民

(5)ウルマネシアからの移民
     1899年:ハワイへ27人。
     1908年:笠戸丸によるブラジル第1次移民781人(ウルマネシア人は325人、41.6%)。
     1915年ころ:糸満の漁民がサイパン島へ。以後ウルマネシア人が、サイパン、テニア
        ン、パラオ、ポナペ……へ。
     1935年:ハワイに1万2820人、ブラジルに1万0668人、ペルーに7647人、フィリピンに
        6229人、アルゼンチンに1841人。
     1938年までに:約2万人がハワイへ。
     1939年現在:「南洋群島」の日本人・ウルマネシア人移民7万7257人(ウルマネシア人
        4万5701人)。
     1944年7月24日 USA軍、テニアン島への上陸開始。8月3日、日本軍壊滅。8000人あ
        まりの日本兵のほとんどが死んだ。約1万5千人の日本人移民のうち約1500人が
        死亡したという。約3000人の朝鮮人のうち犠牲になった人も多かった。
     1948年:アルゼンチンへ33人、ペルーへ1人。
     1954~1964年:ボリビアへ3,200人。
   ※南洋群島沖縄県人戦没者並開拓殉難者慰霊碑(那覇市識名霊園内。1963年12月
    建立。1万2826人)。

(5)、日本および日本の侵略地への朝鮮人移民
  1、1937年まで 
      1918年2月:朝鮮総督府、「労働者募集取締規則」(府令)施行。
      1934年:日本政府、「朝鮮人移住対策の件」閣議決定。
  2、中国東北部・東北アジアへの「移民」
      1907年:日本政府「朝鮮統監府間島出張所」設置。
      1909年9月4日:「満州及び間島に関する日清協約」締結。
      1920年10月:日本軍、間島に侵入(「間島出兵」)。
          10月21日~26日:青山里戦闘。
            ※金靜美「朝鮮独立運動史上における1920年10月―青山里戦闘の歴史的
            意味を求めて―」(『朝鮮民族運動史研究』第3号、青丘文庫、1986年)。
      豆満江・鴨緑江を越えて
         →朝鮮族(1948年8月14日、中国共産党延辺地域委員会「延辺朝鮮民族人民に
         対する方針及び政策」制定)。
      「集団部落」。「安全農村」。
  3、強制連行(労働者、軍属、軍人、「慰安婦」)
      1938年4月:日本政府、国家総動員法公布(5月5日、朝鮮で施行)。
           7月:国民精神総動員朝鮮連盟発足(1940年10月に国民総力朝鮮連盟に
            改組)。
      1939年9月:朝鮮総督府、「朝鮮人労務者募集並渡航取扱要綱」出す(「募集」形式
           の強制連行開始)。
      1939年11月10日 朝鮮総督府、「朝鮮民事令」改悪。→ 1940年2月「創氏改名」実施。
      1942年2月:日本政府、「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定。
            朝鮮総督府、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」決定→「官斡旋」形式の強制
           連行開始。
      1943年7月:海軍特別志願兵令公布(「勅令」)→ 朝鮮人、海軍特別志願兵に。
      1943年11月21日:USA軍、ギルバート諸島(現、キリバス共和国)のマキンとタラワ
           に上陸。11月22日、マキンで日本軍壊滅(500人近い日本兵のうち生き残っ
           たのは1人。日本軍の軍属としてマキンに送られていた朝鮮人数百人のうち
           生き残ったのは104人)。11月23日、タラワで日本軍壊滅(5000人近い日本
           兵、日本人軍属、朝鮮人軍属が死んだ。生き残った朝鮮人軍属は百数十人。
            マキンとタラワで命を失わされた朝鮮人は、約1200人であったという。
            「陸海軍要員としての朝鮮人労務者」に関し、「現在迄に直接戦闘に起因し
           て死歿せる者約 七三〇〇名(「タラワ」「マキン」両島に於ける玉砕者約一二
           〇〇名を含む)と推定せられ其の外行方不明七三五名を出せり」と書かれて
           いる(朝鮮総督府鉱工局勤労動員課『第八六回帝国議会説明資料』1944年
           12月)。
      1944年4月:朝鮮人にたいする徴兵検査開始。
          8月:日本政府、「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定。
      1945 年1月:台湾人にたいする徴兵検査開始。
          6月:朝鮮総督府、「徴用忌避防遏取締規則」決定。
      1946年4月 海南島から朝鮮へ「帰還船」出港→釜山へ。
      1946 年5月~49年3月:朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。

(6)、移民の世界史
  1、中国史における移民
      他地域他国侵略の先兵としての漢族移民
      華僑
  2、移民労働者
  3、核実験場とされた地域の人びと
     アメリカ合州国は、1946年7月、原爆をマ-シャル諸島ビキニ環礁で爆発させ、以後
    13年間にビキニ環礁・エニウェトク環礁で66回、原水爆を爆発させた。
     1947年7月、国際連合、マーシャル諸島をアメリカ合州国の信託統治領として承認。
     1954年3月1日ビキニ環礁で爆発させたアメリカ合州国の水爆は、広島原爆の1000
     倍。周辺で操業中の第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝。ビキニ環礁か
     ら180km離れたロンゲラップ島民は避難させられず「死の灰」を浴びた。
      被曝3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員はクェゼリン環礁に強制移住させられた。
      3年後1957年にアメリカ合州国はロンゲラップ島の“安全宣言”を行ない、島民を帰
     還させた。しかし、実際には、残留放射能で島は住める状態ではなかった。1985年に
     ようやく全島民325人がロンゲラップ島を脱出しメジャト島に移住。
     1990年:マ-シャル諸島共和国独立。
     1998年:アメリカ合州国の資金でロンゲラップ島除染開始。
 4、「ディアスポラ」という虚偽

      ※金靜美「国民国家日本と日本人‘移民’」、『差別と共生の社会学』(岩波講座
      現代社会学15)、岩波書店、1996年。
                                金靜美(김정미 キム チョンミ)
コメント

「沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か」

2017年06月28日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-521509.html
『琉球新報』2017年6月26日 06:01
■<社説>本部町の朝鮮人遺骨 空白の解明は日本の責務
 沖縄戦に動員された朝鮮人の遺骨が本部町に埋葬されていたことが判明した。本紙報道を受け、韓国の市民団体や県内の遺骨収集団体、地元本部町の関係者が埋葬現場を確認し、今後、収骨に向けて具体的に動きだす。
 沖縄戦中の朝鮮半島出身者の動向については不明な点が多く、歴史の空白となっている。それを埋める一つの動きであり、実現に期待したい。同時に、政府をはじめ日本側には空白を解明する調査、研究を進めていく責務がある。
 本部町健堅に埋葬された遺骨は、1945年1月22日に米軍が沖縄全域を狙った空襲による被害者だ。日本軍の戦闘記録によると、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が米軍機4機から攻撃を受けた。救助に向かった船も合わせて、朝鮮人を含む軍属ら少なくとも14人が死亡した。
 45年5月発行の米雑誌「LIFE」に、瀬底島を背に墓標14本が立つ写真が掲載された。「本部町史」にも載っていない米軍撮影の写真で、関係者が数年前に入手し、朝鮮人名簿などと照合した結果、3人は朝鮮人と判明した。
 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」と、韓国の市民団体「太平洋戦争被害者補償推進協議会」は、日韓友好事業として共同で遺骨調査をする方針だ。戦時中に北海道に連行された朝鮮人の遺骨を、1997年に日韓の若者が共同で掘り出した実績がある。沖縄でも実現し、両国の次世代が沖縄戦を追体験して学び、継承につなげてほしい。
 沖縄戦に動員された朝鮮人の人数については、今なお不明だ。糸満市摩文仁の韓国人慰霊塔は「一萬余名」と記すが、最新の「沖縄県史 沖縄戦」は「根拠ははっきりしない」と指摘する。
 朝鮮人軍夫は県内各地に動員され、日本軍の下で重労働を強いられた。その多くが「特設水上勤務中隊」(水勤隊)の101~104中隊に配属され、港での荷役や陣地構築、飛行場建設、砲弾運びなどに従事させられた。
 平和の礎に刻銘された朝鮮人は昨年まで447人にとどまっていた。朝鮮人被害者を長年調査している「沖縄恨(ハン)之碑の会」などの支援団体が申請して、今年7年ぶりに15人が追加刻銘され、462人に増えた。それでも実態とは大きく懸け離れた数字だ。
 朝鮮人軍夫は戦中は異郷で非業の死に追い込まれた上に、戦後は日本政府が調査をせず生死すら確認してこなかった。「捨てられた存在」だ。遺族が複雑な手続きで問い合わせて初めて、部隊名や任地が分かる程度で、回答書類には「復員または死亡記録なし」と冷たい文字が並ぶ。
 政府はいまだに戦争責任を果たしていない。日本軍「慰安婦」も含め、「皇国の民」として朝鮮半島から沖縄に連行された人たちの実態は、難しいかもしれないが、解明すべき課題だ。沖縄側も官民挙げて調査を進める必要がある。


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-517285.html
『琉球新報』2017年6月19日 08:30
■沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か

【写真】埋葬地の向かいの自宅で、写真の複写を持つ中村英雄さん。背後に見える瀬底島の稜線と写真の稜線が重なる=12日、本部町健堅

 1945年1月22日、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が空襲を受け、戦闘に動員された朝鮮人を含む、少なくとも14人の陸軍軍属らが亡くなり、同町健堅に埋葬されていたことが18日までに分かった。沖縄戦開戦直後に米雑誌で掲載された写真や朝鮮人の死亡者名簿、日本軍作成の資料で明らかとなった。県戦没者遺骨収集情報センターには、埋葬地から遺骨が収集された公的な記録は残っていない。沖縄戦に動員された朝鮮人は戦後、生死の確認がなされず、沖縄戦での戦死を証明する公的書類が遺族に届いていない場合が多い。今回、埋葬地が明らかとなったことで遺骨調査などに発展する可能性もある。
 45年5月28日号の米雑誌「LIFE」には「空襲によって殺された」として墓標が14本並んだ写真が掲載された。写真には墓標の脇に米軍とみられる兵士が立ち、奥には瀬底島が写る。
 墓標に記載された名前のうち、強制動員された朝鮮人の死亡者名簿をまとめた「戦時朝鮮人強制労働調査資料集(竹内康人氏編著)」によると、「金山萬斗」「明村長模」の2人は45年1月22日に「彦山丸」で戦死したとされている。「半田充祇」は1月22日に死亡した記録は残るが、死亡した経緯は記されていない。
 旧日本軍の戦闘記録「独立混成第44旅団南西空襲戦闘詳報」(防衛研究所所蔵)によると、彦山丸は45年1月22日、敵機4機から銃撃や爆弾投下を受けた。さらに、救助に来た船も銃撃を加えられ、合計13人が亡くなった。
 遺体が埋葬された土地は本部町健堅で、戦時中は漁師の我部政良さんの土地だった。我部さんの長男で山梨学院大学名誉教授の我部政男さん(78)は「未収骨の可能性がある。歴史の証言として掘り返して検証することが必要だ」と指摘した。埋葬地の道向かいに住む中村英雄さん(88)は「戦後、遺骨が収集されたことは見たことがない」と証言した。
 沖縄戦に詳しい沖縄国際大の吉浜忍教授は取材に対し「1月22日の空襲の詳細は知られていない部分がある。特に名護湾で船舶が被害を受けていたことは、空襲が県内全域であったことを裏付ける事実だ」と語った。
       (池田哲平)


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-519225.html
『琉球新報』2017年6月22日 08:30
■本部の埋葬地調査へ 空襲の朝鮮人犠牲者 日韓団体が共同で

【写真】遺骨が埋葬された土地で向かいに住む中村英雄さん(左)から説明を受ける遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(左から2人目)、李熙子さん(右から4人目)ら=21日、本部町健堅

 米軍機による日本軍の輸送船への攻撃で亡くなった朝鮮人を含む軍属ら14人が本部町健堅に埋葬されたことを報じた本紙報道を受け、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」、韓国で強制連行被害の補償を求める市民団体、本部町の関係者らが21日、埋葬地を視察した。「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は埋葬地の遺骨を「日韓友好事業」として、韓国側や地元の有志らと共同で調査する方針を示した。土地所有者の親族で山梨学院大名誉教授の我部政男さんによると、所有者も遺骨調査に協力する意向を示しており、日韓の団体は近く調査に向けて具体的な協議を始める。
 北海道幌加内町朱鞠内で1997年、戦時中に朝鮮半島から強制連行され、ダム建設や道路工事などで命を落とした犠牲者の遺骨を日韓友好事業で掘り出そうと、若者らが中心となって実施した事例がある。このケースを参考に、日韓の若者や支援団体、地元の関係者らが協力して収集を進める。
 具志堅さんは「亡くなった方の遺骨をどうにかして返してあげたい。仮に遺骨が見つからなかったとしても、亡くなった方に近づこうとすることが大事だ」と強調した。その上で「北海道で日韓が協力した実績を参考に、遺骨収集を通して平和な未来がつくっていければと思う」と日韓共同調査の意義を語った。
 視察には約20人が参加し、周辺住民などが埋葬時の土地の状況などを語った。住民らによると、埋葬された土地は当時、我部さんの父・我部政良さんが畑として使っていた土地で、当時よりも約2メートル盛り土されているという。
 韓国から来沖した李熙子(イヒジャ)さん(74)は埋葬された土地で「長い間お待たせしました」と語り、韓国から持ってきたお酒をささげて亡くなった人たちの冥福を祈った。李さんは「報道で明らかになるまで、公となってなかったことに心が痛む。(本部町の)地元の方々に感謝しつつ、遺骨を返すために取り組んでいきたい」と語った。
 日本軍の輸送船「彦山丸」は1945年1月22日、米軍からの銃撃や爆弾投下を受けた。
         (池田哲平)
コメント

「「ベトナム虐殺被害者のための市民法廷」が第一歩を踏み出す」

2017年06月27日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27728.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.06.24 04:35 修正 : 2017.06.24 23:49
■「ベトナム虐殺被害者のための市民法廷」が第一歩を踏み出す
 民弁弁護士6人、初の現地調査 
 フォンニィ・フォンニャット村の生存者の証言聞く 
 韓ベ平和財団と7月に準備委員会構成し 
 来年4月、ソウルか済州で「市民法廷」開く 
 「政府に対する国家賠償訴訟を推進」

【写真】今月3日、民主社会のための弁護士会所属の弁護士らがベトナム、クァンナム省のフォンニィ村のグエン・ティル・オンさん(78・右)の家を訪問し、1968年の虐殺に対する証言を聞いている=ベトナム戦争時韓国軍による民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース提供//ハンギョレ新聞社

 「(韓国軍が)、叔母を殺害してから、皆村を去りましたか?」
 「叔母を(ナイフで)突き刺し、遺体を燃やして、家にも全部火をつけてから村を去りました。兄は這って、私は歩いて、やっとのことで隣の家に逃げました」

 今月3日午前、ベトナム・ダナン市に位置したあるホテルの会議室で、グエン・ティ・タンさん(57)は、韓国弁護士たちの質問に答えながら、50年以上前の出来事を振り返った。白い紙の上に韓国軍から逃れようと隠れていた防空壕や家の位置などを描きながら、当時の状況を詳細に説明したタンさんは、証言の途中、苦しそうに俯きいて、何度もため息をついていた。3時間以上に渡り証言を続けたタンさんは、インタビューの最後、「ベトナム戦争に参戦した韓国軍たちがこの事件を否定するのを見て、どう思ったのか」という弁護士の質問に、すすり泣きながらこう答えた。「軍人たちに謝罪してもらえると思っていました。謝罪してもらったら、訊いてみたいことも多かったです。私の家族は皆幼い子どもだったが、どうして銃で殺したのかと。しかし、その機会さえありませんでした」
 民主社会のための弁護士会(民弁)の「ベトナム戦争時韓国軍による民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース」(TF)所属の弁護士6人が、今月2~7日、ベトナム民間人虐殺の現地調査を進めた。「ハンギョレ21」が1999年に行った最初の報道で民間人虐殺問題が公論化されて以来、加害国である韓国の弁護士たちが現地で集団調査を行ったのは今回が初めてだ。民弁は、ベトナム被害者たちが大韓民国政府に対し、虐殺の責任を問う国家賠償訴訟を準備しているが、実際の訴訟に先立ち、模擬訴訟の「市民法廷」を企画している。市民法廷を通じて大韓民国政府の責任を明らかにし、その勢いに乗って実際の訴訟に乗り出す計画だ。民弁の弁護士たちは、ベトナム戦争当時、韓国軍の虐殺が集中的に行われたクアンナム省のフォンニィ・フォンニャット村とハミ村を訪れ、訴訟に必要な生存者たちの虐殺当時の具体的な証言と資料を集めた。
 3日、弁護士たちはフォンニィ・フォンニャット村虐殺の生存者であるグエン・ティ・タンさんを訪れた。ダナンから南に25キロメートル離れたフォン二ィ・フォンニャット村は1968年2月12日、青龍部隊第1大隊1中隊によって老人、子供、女性など74人が虐殺されたところだ。当時、8歳だったタンさんも叔母や姉、弟など家族5人を失った。タンさんは「韓国軍が村に来た当時、防空壕に隠れていた。軍人らは防空壕から出てくる子供たちを庭に並べさせて、銃を撃った」と話した。弁護士たちはタンさんの供述の信憑性を高めるため、これまでの証言のなかで具体化させる必要がある部分を集中的に訊いた。実際の法廷で韓国軍の虐殺(違法行為)を立証するためには、被害者たちの細密な証言が必要だからだ。当時、負傷を着たタンさんと共にヘリコプターに乗って病院に同行したグエン・ティル・オンさん(78)は「タンは意識を失って倒れており、大量の血を流していた」と証言した。

【写真】今月4日、民主社会のための弁護士会所属の弁護士らがベトナムのクアナム省のハミ村にあるチュオン・ティ・トゥさん(79・左から二番目)の家に訪れ1968年ハミ村虐殺当時の証言を聞いている=ベトナム戦争時韓国軍の民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース提供//ハンギョレ新聞社

 4~5日にはハミ村を訪れ、虐殺当時の家族5人を失ったグエン・コ・イさん(72)をはじめ、生存者4人の証言を聞いた。ハミ村は1968年2月22日、青龍部隊(海兵第2旅団)によって民間人虐殺被害が行われたところだ。TFのイム・ジェソン弁護士は「民間人虐殺事件の中で、フォンニィ・フォンニャト村は相対的に多くの証拠が確保されており、供述を具体化することに重点を置いた。ハミ村の場合は十分な調査が行われておらず、1次証言の確に注力した」とし、「究極的な目標が国家賠償訴訟人だけに、韓国の裁判所が虐殺の事実を認められるほどの供述や証拠の収集を目標にしている」と説明した。
 民弁TFと韓ベ平和財団は今年7月に市民法定準備委員会を設立し、ベトナム戦終戦記念43周年になる2018年4月に、ソウルまたは済州(チェジュ)でベトナム民間人虐殺被害者たちを原告とした市民法廷を開く予定だ。第二次世界大戦当時、日本の女性の性奴隷動員の責任を問うため、2000年12月に日本の東京で開かれた女性国際戦犯法廷からアイディアを得た。イム弁護士は「1999年の最初の報道以来18年間、韓国政府は被害者たちに対していかなる努力もしなかった」とし、「国家賠償訴訟を通じて1人でも被害事実が認められれば、政府が責任を持って乗り出さざるを得なくなるだろう」と見通した。

ファン・クンビ記者
韓国語原文入力:2017-06-23 04:59
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/799956.html
コメント

「文大統領が顕忠日演説「愛国は今日の大韓民国を存在させた全て」」

2017年06月26日 | 韓国で
http://japanese.korea.net/NewsFocus/Policies/view?articleId=146863
「コリアネット Korea.net」2017.06.07
■文大統領が顕忠日演説「愛国は今日の大韓民国を存在させた全て」
 文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「第62回顕忠日追悼式」の演説で「愛国」を強調した。
 顕忠日の追悼式は6日、国立墓地のソウル顕忠院で開催された。文大統領は「我々の国民のおかげで今日の大韓民国が存在する。愛国が全ての試練を克服した」と強調した。
 その上で、 独立運動家、韓国戦争・ベトナム戦争兵士だけでなく、それを支え働いた人々の献身を言及しながら「まさにこれが愛国だ」と付け加えた。
 「国のために献身した一人ひとりがまさに大韓民国」とし、愛国には保守と進歩(革新)や年齢などの区別はないと定義付けた。また、「私と政府は愛国の歴史を尊重し守っていく」と述べた。
 また、「国家有功者、その遺族や家族への報勲(功勲に報いること)こそが、国民統合を成し遂げ強い国へ進む道」と宣言した。「愛国・正義・原則・正直が認められる国を一緒に作っていこう」と強調した。
【写真】「第62回顕忠日追悼式」に参加した文大統領(1列目の左から2番目)=6日、国立ソウル顕忠院、青瓦台提供
【写真】「第62回顕忠日追悼式」で焼香をあげる文大統領=6日、国立ソウル顕忠院、青瓦台提供
【写真】子供たちを見つめながら明るく笑っている文大統領=6日、ソウル江東区中央報勲病院、青瓦台提供
【写真】独立運動家・韓国戦争兵士有功者と話している文大統領夫婦=6日、ソウル江東区中央報勲病院、青瓦台提供
         キム・ウニョン eykim86@korea.kr


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27559.html
「The Hankyoreh 」登録 : 2017.06.07 03:20 修正 : 2017.06.07 07:16
■“忘れられた”労働者たち「寂しい思いをしてきたが、愛国者として認めてもらえた」
 文大統領、顕忠日追悼演説で 
 清渓川沿道労働者、ドイツ派遣鉱夫・看護師などに言及 
 平和市場の労働者ら
 「同じ労働者であっても、労働者として認めてもらえなかったのに」 
 元ドイツ派遣鉱夫・看護師らも
 「祖国に忘れられた私たちを認めてくれて感謝する」 

 第62回顕忠日追悼式が行われた6日午前、文在寅大統領が国立顕忠院で国民儀礼をしている。2年前に北朝鮮の非武装地帯(DMZ)地雷挑発で負傷を負ったキム・ジョンウォン(前列左から)、ハ・ジェホン中佐をはじめ国家有功者らが大統領のそばに立った。大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社
 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が6日、ソウル銅雀区(トンジャクク)の国立顕忠院で開かれた顕忠日追悼式でドイツ派遣鉱夫とドイツ派遣看護師、清渓川沿道の「女工」など、近代化を導いた人たちを愛国者として取り上げたことに対し、労働者は「本当に新しい歴史が始まっているようだ」と感激した。ドイツ派遣看護士たちは「祖国が私たちを忘れず、ちゃんと認めてくれたような気がした」と話した。
 パク・テスクさん(58)は1975年に小学校を卒業してから、ソウル中区(チュング)平和市場でミシン補助として働き始めた。40年以上も女性服を作っている。同日、なんとなくインターネットで文大統領の追悼演説を聞いていた彼女は、「清渓川沿道にある屋根裏部屋の作業場で、天井が低くてまともに腰も延ばせないその場所で、青春を捧げた女性労働者らの犠牲や献身にも、感謝申し上げます」という部分で、涙が滲んできた。パクさんは「大統領が(追悼演説で)言った部分が全部私の話だ。当時は屋根裏部屋で腰も伸ばせず、2~3時間の睡眠で耐えながら、徹夜で作業をしていた。公式的に愛国者として認めてもらったようで嬉しかった」と話した。(演説から)数時間後にもかかわらず、受話器の向こうから聞こえるパクさんの声には感激の余韻が残っていた。
 平和市場で40年間、子供服を作ってきたイ・スクヒさん(65)も、文大統領が「清渓川沿道の女性労働者たち」と言った瞬間、喜びを隠せなかった。イさんは「これまでどの大統領も清渓川の労働者に言及したことがなかった」とし、「同じ労働者であっても平和市場の労働者たちは一度も労働者として取り上げられたことがなかった。大統領が直接言ってくれて、本当に新しい歴史が始まっているようだ」と話した。
 全泰壱(チョン・テイル)烈士の友達であるイ・スンチョル平和ジッパー代表(68)は、文大統領の追悼演説が韓国の産業化過程を正しく評価していると話した。イ代表は「清渓川労働者に限らず、韓国の発展の裏側には労働者たちの血の滲むような献身的努力があったにもかかわらず、まるで朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領一人で全部経済成長を成し遂げたように歪曲しているのを見て、いつも不快な思いをして来た」とし、「『労働者たちの献身と犠牲』に言及する文大統領の追悼演説を聞いて涙が出た」と語った。
 
【写真】ドイツ派遣鉱夫・看護師などが帰国して暮らす慶尚南道南海ドイツ村で会ったソク・スクジャ氏(69)は、文在寅大統領の顕忠日追悼式の中継放送を見て「言葉が私たちにとってとても感動的です。本当にありがとうございます」と述べた//ハンギョレ新聞社

 ドイツ派遣看護士らも感激していた。1960・70年代にドイツに渡った鉱夫・看護師などが帰国して暮らす慶尚南道南海(ナムへ)「ドイツ村」で会ったソク・スクジャさん(69)は、「文在寅大統領の言葉が私たちにとってはとても感動的です。本当にありがとうございます」と話した。江原道で生まれたソクさんは1973年3月、ドイツへ渡ってから、30年以上も看護士として働いた。ソクさんは「ドイツ病院での仕事は厳しかった。言葉もまともに通じなかった。仕事がない時はいつも家族と故郷を思っていた。一緒に渡った友達とアリランを歌いながら、郷愁に浸っていた」とし、「私たちのおかげでドイツが韓国に経済的支援をしてくれたという知らせを聞いて、胸が一杯になったこともあった。しかし、祖国で我々は忘れ去られた人だった。寂しかった。だからこそ今日文大統領の言葉がもっとありがたい」と話した。ドイツ派遣された元鉱夫のシン・ビョンユンさん(70)も「1971年から20年以上も、ドイツのルール地域で、鉱夫として働いた。ホームシックに悩まされながら、ドイツでの生活に耐えていた。文大統領がこのように我々を認めて慰めてくれて、とても感謝している」と話した。

パク・スジン記者、南海/キム・ヨンドン記者
韓国語原文入力:2017-06-06 20:43
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/797710.html


http://www.asahi.com/articles/ASK6652KKK66UHBI01Y.html
「朝日新聞デジタル」2017年6月7日00時28分 ソウル=武田肇
■文大統領「愛国、統治に利用せぬ」 演説で保革融和訴え
 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は6日、国を守るために犠牲になった人を追悼する「顕忠日」の式典で演説し、「奪われた国を取り戻すのに左も右もなかった」と述べて、愛国心を軸に保守と革新(進歩)系の理念の対立を乗り越え、国民統合を実現するよう呼びかけた。
 進歩系の「共に民主党」の文氏は大統領選中、保守系候補から北朝鮮に融和的な「親北左派」との批判を受けていた。文氏は演説で「私と政府は、愛国の歴史を尊重して守る」と述べて、愛国心の強さを強調。その上で過去の軍事独裁政権を念頭に「愛国の歴史を統治に利用した不幸な過去を繰り返さない」と述べた。
 顕忠日はおもに、日本統治時代の独立運動家や、朝鮮戦争やベトナム戦争で戦死した兵士を追悼してきた。文氏は演説で「祖国のための献身と犠牲は、独立や国を守るための戦場だけではなかった」とも述べ、韓国が経済的に貧しかった1960年代に外貨獲得のためにドイツに派遣された炭鉱労働者や看護師、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれた経済成長期に低賃金で働いた女性労働者らの存在にも言及した。


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/06/0200000000AJP20170606001000882.HTML
「聯合ニュース」2017/06/06 13:34
■韓国各地で顕忠日の追悼式 文大統領は統合を呼びかけ
【ソウル聯合ニュース】国を守るため犠牲になった人々を追悼する「顕忠日」の6日、ソウルをはじめとする韓国各地で追悼式が行われた。午前10時にはサイレンが鳴り、1分間の黙とうがささげられた。

【写真】追悼式で演説する文在寅大統領=6日、ソウル(聯合ニュース)

 国家報勲処は国立墓地のソウル顕忠院で追悼式を催した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領や政府高官、朝鮮戦争の参戦者、殉職した警官・消防当局の公務員の遺族ら、1万人余りが参列した。
 文大統領は演説で、「愛国は今日の大韓民国を存在させたすべてで、国のために献身した一人ひとりがまさに大韓民国」とし、「韓国を守るため献身した方々がその愛国で、韓国統合の先頭に立ってくださることを切にお願いする」と呼びかけた。
 文大統領は、10代半ばで朝鮮戦争に加わった80代の男性や、最前線部隊での任務中に地雷爆発事故で負傷した陸軍上等兵、人命救助中に殉職した公務員の遺族ら計5人に国家有功者証書を授与した。
 中部の国立大田顕忠院のほか、各地で自治体や学校、企業による追悼式が行われた。
       mgk1202@yna.co.kr


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/06/0200000000AJP20170606000800882.HTML
「聯合ニュース」2017/06/06 11:55
■文大統領が顕忠日演説「愛国に保守革新なし、新たな出発を」
【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は6日、国を守るため犠牲になった人々を追悼する「顕忠日」の演説で、「愛国の歴史を統治に利用した不幸な過去を繰り返さない」としながら、愛国心で確執を乗り越え、新たな韓国として踏み出そうと呼び掛けた。
 顕忠日の追悼式は国立墓地のソウル顕忠院で催された。文大統領は「愛国はきょうの大韓民国を存在させたすべてで、国のために献身した一人ひとりがまさに大韓民国」と述べ、保守と進歩(革新)の区別はないと強調。「戦争の後遺症を癒すことより戦争の経験を統治の手段にした理念の政治、(味方と敵に)組み分けする政治を清算する」とした。
 文大統領は過去を振り返り、「植民地から分断と戦争、貧困や独裁との対決と、試練が尽きない歴史だったが、愛国がすべての試練を克服した。この100年を素晴らしい歴史にした」と愛国心をたたえた。独立運動家、兵士だけでなく、それを支え働いた人々すべての献身と犠牲が国の礎になったとした。
 その上で、「新たな大韓民国はここから出発すべきだ。制度上の和解にとどまらず、心で和解しなければならない」と訴えた。文大統領は「私と政府は愛国の歴史を尊重し守っていく」とし、理念の葛藤、憎悪と対立、世代の葛藤を終わらせるよう呼び掛けた。
 また、「報勲(功勲に報いること)こそが国民統合を成し遂げ強い国家へと進む道」と述べた。国会が同意すれば国家報勲処を、長官(閣僚)級をトップとする機関に格上げするとした。
      mgk1202@yna.co.kr


http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=63860
「KBS WORLD Radio」入力:2017-06-06 12:04:58 修正:06-06 13:14:53
■第62回顕忠日 ソウルで戦没者追悼式
 6日は韓国では国のために命を捧げた戦士を称える「顕忠日」です。 国立墓地のソウル顕忠院では、韓国戦争などで国のために命を捧げた戦士たちをたたえる記念式典が行なわれ、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、「戦争の経験を統治の手段にした理念の政治、敵・見方を分ける政治を清算する」と強調しました。
 午前10時から始まった記念式典には、文在寅大統領をはじめ、政府の要人や政党の代表、遺族らが出席し、文大統領は墓地に献花したあと、演説しました。
この中で、文大統領は、「国のために犠牲になった方々やその遺族に、哀悼と感謝の意を表します」と挨拶しました。
 そのうえで、文大統領は、「愛国心がなければ、今の大韓民国もなかったはずだ。大韓民国という国号を守ったのは、独立運動家たちの信念だった。愛国は、保守と進歩に分けることができない。戦争の後遺症を治癒するのではなく、戦争の経験を統治の手段にした理念の政治、敵・見方をわける政治を清算する」と述べ、国民の統合を図っていく決意を示しました。
コメント

「ベトナム戦争に従軍した韓国兵への弔辞に抗議。ベトナム政府「国民感情を傷つけかねない」」

2017年06月25日 | 韓国で
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/15/korea-memorialday_n_17139954.html
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2017/06/13/0601060000AKR20170613064800084.HTML
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/06/13/2017061301857.html
http://news1.kr/articles/?3019511
「HuffPost Korea」投稿日: 2017年6月16日 15時39分 更新:6月16日 17時47分
■ベトナム戦争に従軍した韓国兵への弔辞に抗議。ベトナム政府「国民感情を傷つけかねない」
 ベトナム戦争参戦の韓国軍に対する文在寅大統領の追悼メッセージに、ベトナム政府が反発した。韓国外交部も対応に乗り出した。
 6月13日、大手通信社「連合ニュース」は、ベトナム外交部が文大統領の顕忠日追悼の辞に対して、駐ベトナム韓国大使館を通じて韓国政府に抗議したと報じた。
 顕忠日とは韓国におけるメモリアルデーのことで、戦没者を追悼する記念日だ。1956年に制定され、毎年6月6日に国立ソウル顕忠院にて追悼式典が行われている。追悼対象は朝鮮戦争での戦死者のみならず、国を守るために命を捧げたすべての先祖の魂だという。
 文大統領は6日、顕忠日記念追悼式典で「ベトナム参戦勇士の献身と犠牲を土台に祖国の経済が復活した」と述べたところだ。文大統領は「異国の戦場で戦って生じた病と後遺障害は、国家が責任を負わなければならない負債」とし「然るべき償いで礼遇する」と約束した。
 これにベトナム外交部は12日、ホームページを通じて「韓国政府がベトナム国民の感情を傷つけ、両国の友好と協力関係に否定的な影響を与えかねない言動をしないよう要請する」と立場を伝えた。
 韓国三大紙「朝鮮日報」は、ベトナムの一部マスコミが当時の韓国軍によるベトナム民間人虐殺に対する問題を提起していると報じた。ベトナム戦争当時、韓国軍が9000人余りのベトナム民間人を虐殺したにも関わらず、韓国政府はこれを認めていないのを指摘したということだ。
 韓国政府も対応に乗り出した。通信社「 ニュース1」によると、チョ・ジュンヒョク外交部報道官は13日の定例会見で「韓国はベトナムとの関係を非常に重視する」とし、「顕忠日の追悼辞は、国家の命によって献身した軍人たちに適切な処遇がなければならないという趣旨の言及」と話した。

 執筆者: 김현유, Shoko Komuro 
 ハフポスト韓国版より翻訳・加筆しました。
コメント

「不義に抵抗するハルモニになった少女像が登場する」

2017年06月24日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27698.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.06.21 21:38 修正 : 2017.06.22 07:31
■不義に抵抗するハルモニになった少女像が登場する
 光州市内5区の民間推進委員会 
 8月14日世界慰安婦の日に合わせて建設 
 光州ナビ「記憶する方式を熟慮し歴史認識を打ち立てる場に」期待 
 “躍動的少女像”“少女・ハルモニ像同時建設”など推進方式を多様化

【写真】2015年に光州広域市庁前広場で建設された平和の少女像=光州市提供//ハンギョレ新聞社

 光州(クァンジュ)市内5区に建設される平和の少女像が、これまでのつつましやかに座っているデザインではなく、不義に抵抗する“ハルモニ(おばあさん)像”などに多様化される。
 21日、光州市内5つの区の「平和の少女像建設推進委員会」の話を総合すれば、5つの区の推進委は「世界慰安婦の日」(8月14日)に合わせて少女像を建設する方針だ。2012年「日本軍“慰安婦”問題解決のためのアジア連帯会議」は、8月14日を世界各地にある日本軍慰安婦被害者を記念する「世界慰安婦の日」と決めた。8月14日は、慰安婦被害者の故キム・ハクスンさんが、1991年に被害事実を初めて公開証言した日だ。
 光州市北区の推進委は「光州精神」が込められた少女像の製作を推進している。北区推進委側は「当時の少女が今はハルモニになって、日本政府の誤りに抵抗する姿の少女像を製作する方針」と話した。南区には、座っている少女像の隣に高齢のハルモニが一緒にいる姿の少女像が登場する見込みだ。光山区(クヮンサング)の推進委は、少女像の隣に歴史的事実が刻まれたレリーフもあわせて作る。東区の少女像も、立ちあがり手を差しのべるデザインで建設されると見られる。日本軍性的奴隷被害者支援の活動をする市民団体「光州ナビ(蝶々)」は、最近意見書を通じて「日本軍性的奴隷被害者が今も無力で可憐な少女の姿のままでよいかについて、熟慮しなければならない」として「日本政府と屈辱的な韓日合意に対抗し、韓国全土と世界各地で堂々と対抗しているハルモニの姿もまた、私たちが記憶しなければならない」と明らかにした。
 5つの区の少女像建設を、市民が主導している点はきわめて肯定的だ。北区の平和の少女像建設推進委員会は昨年、11月3日の学生独立運動記念日に合わせて発足式を開き、今年3月1日の三一節に合わせて公式に発足した。
 だが、少女像の建設日を8月14日に合わせるために急ぐことは止めようという提案も出ている。光州ナビのペク・ヒジョン代表は「市民の提案と募金で少女像の建設が推進されることは意味のあること」としながらも「少女像の建設推進が、正しい歴史認識を打ち立てる方式でなされることを願う」と話した。北区平和の少女像建設推進委員会のチョン・タルソン委員長(38)は「市民の募金が目標どおりに進まなければ、少女像の建設も遅れることになる。少女像が区毎に建設されることを否定的に見る必要はないと考える」と話した。

チョン・デハ記者
韓国語原文入力:2017-06-21 17:46
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/799689.html 訳



http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27689.html
「The Hankyoreh」登録 : 2017.06.20 22:28 修正 : 2017.06.21 06:46
■100個の“小さな少女像”の後には彼女たちがいる
 梨花女子高歴史サークル「握斧」の部員たち 
 2015年韓日「慰安婦」合意以後 
 「自分の学校に小さな少女像建設運動」開始 
 19日、目標の100校が確定し成功

【写真】梨花女子高歴史サークル“握斧”の「自分の学校に小さな少女像建設運動」//ハンギョレ新聞社

 初めはまさかできるとは思わなかった。「100個にならなかったらどうする?」おじけづいた友達は、お互いを慰め始めた。「100という数字はただの象徴的なものじゃない?成し遂げられなかったからといって失敗したということじゃない」。そんな風にして始めた「自分の学校に小さな少女像建設運動」は、少しずつうわさが広がり、19日に100番目の学校が参加して目標を達成した。「1年の時、サークルの先輩と計画を初めて構想した時は、夢のような話だったが、“100”を満たすことができてびっくりしました」。ソウル西大門区(ソデムング)の梨花(イファ)女子高歴史サークル“握斧”のキム・ノグォン会長(18)の顔から微笑がこぼれた。
  「少女像世代」の女子高生たちがやり遂げた。歴史サークル「握斧」の「自分の学校に小さな少女像建設運動」がプロジェクト開始から1年あまりで成功裏に終えられた。全国の高校96校と中学3校、小学校1校が「小さな少女像」を校内に設置することにした。すでに61校に少女像が設置され、39校は像の製作を待っている。

【写真】退溪院高等学校に建てられた「小さな少女像」の姿=梨花女子高歴史サークル“握斧”提供//ハンギョレ新聞社

 2015年末に行われた日本軍「慰安婦」被害者問題関連韓日合意が、すべてのことの始まりだった。「何かしなくては」と意気投合した握斧の会員たちは、学校に「日本軍『慰安婦』問題を考えられるように『小さな少女像』を建てよう」と提案した。昨年5月にはまずソウルと京畿道の高校900校に直接手紙を送って参加を訴えた。「“自分の学校に少女像”を建設する高等学校になってください。小さな少女像はハルモニ(おばあさん)と手を握る私たちの確約です」。そこから全国の100の学校に、少女像100個を建てようという目標を立てた。
 フェイスブックに「大韓民国高校生少女像」のページを作り、広報活動も始めた。やがて全国各地から参加の便りが聞こえてきた。生徒たちが募金した少女像製作費50万ウォン(約5万円)を送れば、握斧が“平和の少女像”の製作者であるキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻に届け、作家が縦横30センチ大の小さな少女像を学校に送った。学校がお金を加えて大きな少女像を設置した所もあった。中には募金に成功しても“政治的”だという理由で許可しない学校もなくはなかった。

【写真】18日、第81号「小さな少女像」建設運動完了のニュースが伝えられた金海慶原高校の歴史サークル“易地思之”の生徒たちが学校で小さな少女像建設に向け募金活動を行っている= 梨花女子高歴史サークル“握斧”提供//ハンギョレ新聞社

 握斧は、小さな少女像建設運動を知らせるために、2月から2カ月間ストーリーファンディング(ポータルサイト ダウム)も進めた。目標金額の300万ウォン(約30万円)の5倍を超える1500万ウォンが集まった。このうちの一部で募金が難しかった慶尚北道鬱陵郡(ウルルングン)の鬱陵高校と唯一の小学校である京畿道龍仁市(ヨンインシ)の杜倉小学校を支援した。ソ・カヨン副会長(18)は「日本軍『慰安婦』として連れていかれたハルモニが、私たちと同じような年齢で苦難に遭ったので、一層関心が強いようだ」として「今でも希望する学校が多く、今後も建設運動を続けるだろう」と話した。梨花女子高の歴史教師ソン・ファンチョル氏は「少女像建設という一つの目標のために、全国の生徒たちが学校の塀を越えて連帯する難しい仕事をやり遂げた」と話した。1999年に作られた“握斧”は、人類最初の道具である握斧で、世の中の誤ったものを壊し正そうという意味を込めている。

【写真】20日、ソウル西大門区の梨花女子高読書室に設置された「小さな少女像」の後で梨花女子高歴史サークル“握斧”の部員たちがポーズを取っている。左から握斧部員ソン・ドンヒ(18)、会長キム・ノグォン(18)、副会長ソ・カヨン(18)、部員ヒョン・スビン(18)さん//ハンギョレ新聞社

ファン・クムビ記者
韓国語原文入力:2017-06-20 19:12
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/799569.html



http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27635.html
「 The Hankyoreh」登録 : 2017.06.14 23:27 修正 : 2017.06.15 05:24
■江陵・原州に続き束草・春川でも、平和の少女像建立相次ぐ
 束草では12月10日に少女像除幕式
 春川では来月4日に建設推進委発足予定

【写真】2015年8月原州市庁 公園に設置された'原州平和の少女像'//ハンギョレ新聞社

 江原地域で日本軍「慰安婦」問題解決のための平和の少女像建立が相次いでいる。
 束草(ソクチョ)平和の少女像建設市民推進委員会発足準備委員会は15日午前11時、束草市庁のブリーフィングルームで記者会見を行い、平和の少女像束草建設計画を明らかにする予定だ。束草では束草女性人権センターが2017年の事業として、平和の少女像建設を計画し、今年4月から地域の市民社会団体13団体と協議して、発足準備委員会を設けた。発足準備委は記者会見を基点に平和の少女像建設計画を公開し、8月14日に市民推進委員会を発足させて、募金に乗り出す予定だ。除幕式は12月10日の世界人権の日に合わせて行う予定だ。束草平和の少女像建設市民推進委員会のカン・ソクテ発足準備委員長は「市民の自発的な募金を通じて建設される平和の少女像は、人間尊重と平和を愛する地域文化の中心になるだろう」と話した。
 束草に続き春川(チュンチョン)でも市民が来月4日に春川平和の少女像建設推進委員会を発足させる。先月12日に30人あまりで始めた建設準備委員会は、市民の参加が増えて現在410人あまりが活動している。建設推進委は発足と同時に市民を対象に本格的な平和の少女像建設キャンペーンと募金活動に乗り出す。準備委は1億ウォン(約1千万円)程度を集め、このうち4000万ウォン(約3900万円)は平和の少女像建設費として使い、残りは「慰安婦」問題解決と被害者の名誉・人権回復のための教育事業に使う計画だ。
 平和の少女像の建立場所としては、新たに建設中の市庁庁舎前公園と明洞(ミョンドン)通り、道庁前公園、旧キャンプページ跡、孔之川(コンジチョン)などが候補に上げられている。クォン・オドク建設準備委共同執行委員長は「平和の少女像建設自体より、最大限多くの市民が参加して日本軍慰安婦問題解決のために共にするムードを作ることに重点を置いている。推進委が構成されれば、市民の意見を反映して時期と場所を決める」と話した。
 一方、江原道では2015年8月に江陵(カンヌン)と原州(ウォンジュ)に平和の少女像が設置された。特に原州の平和の少女像は、全国で最初に原州市条例を通じて地方自治体の公共造形物として登録され、体系的な管理がなされる先進モデルとして全国的に見習う動きが起きた。

パク・スヒョク記者
韓国語原文入力:2017-06-14 16:34
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/798786.html
コメント

「韓日の市民団体 戦没者遺骨のDNA鑑定「韓国人も対象に」」

2017年06月23日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/22/0200000000AJP20170622003400882.HTML
「聯合ニュース」2017/06/22 18:34
■韓日の市民団体 戦没者遺骨のDNA鑑定「韓国人も対象に」
【ソウル聯合ニュース】韓国の市民団体、太平洋戦争犠牲者補償推進協議会は22日、沖縄で日本の市民団体「ガマフヤー」と共同集会を開き、戦争で犠牲になった韓国人の遺族のDNAをデータベース化し、遺骨の鑑定を実施するよう日本政府に訴えた。韓国市民団体の民族問題研究所関係者が伝えた。

【写真】22日に沖縄県浦添市で行われた集会の様子(民族問題研究所提供)=(聯合ニュース)

 日本政府は昨年成立した戦没者遺骨収集推進法に基づき、沖縄戦で戦死した部隊の遺族に対し、遺骨を送還するためにDNA鑑定に協力するよう呼びかけを始めたが、韓国人遺族については対象外とした。
 両団体は「遺骨には強制動員された韓国人が含まれている」とし、「DNA鑑定の対象に韓国人遺族を含み、遺骨発掘事業に韓国人遺族などが参加できるようにしなければならない」と強調した。
 また「日本政府は沖縄に動員された韓国人の公式の死亡記録がないため行方不明者と規定している」とし、「今まで行方不明というのは当時死亡した可能性が高いということだ。これら遺族に対するDNA鑑定も実施しなければならない」と要求した。
 厚生労働省は昨年、同協議会が韓国人遺族に対するDNA鑑定を行うよう要望書を提出した際、韓国政府から具体的な提案があれば慎重に検討するとして、これまでと同じ立場を繰り返した。
 集会に参加した民族問題研究所の関係者は聯合ニュースの取材に対し、「日本政府の返事から1年が過ぎても、韓国政府は日本に何も提案もしていない」とし、「韓国政府は早く問題解決に動きださなければならず、日本政府も人道的な立場で韓国人の遺骨探しを行わなければならない」と指摘した。
                 yugiri@yna.co.kr


http://ryukyushimpo.jp/news/entry-519233.html
『琉球新報』2017年6月22日 07:30
■戦没者DNA鑑定募る 集団申請へきょう集会

【写真】集会への参加を呼び掛ける(右から)具志堅隆松代表と、韓国から来沖した太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子共同代表、張完翼弁護士、金英丸対外協力チーム長=21日、県庁

 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表らが21日、県庁で記者会見し、22日に浦添市社会福祉センターで開く「戦没者遺骨を家族の元へ6・22沖縄集会」への参加を呼び掛けた。戦没者遺骨のDNA鑑定を厚生労働省へ求める集団申請に向け、ガマフヤーは希望者の名簿をまとめ、7月上旬にも厚労省へDNA鑑定を申請する予定だ。
 厚労省は従来、DNA鑑定で、戦死場所を記した日本軍の部隊記録などを基に軍人・軍属の遺族だけに戦没者遺骨のDNA鑑定の希望者を募ってきたが、民間人にも対象を広げ、7月にも鑑定希望者を募る。これを受け、ガマフヤーは軍民や国籍などを問わずに幅広く希望者を募ってDNA鑑定を申請する。
 具志堅代表は会見で「国が遺族を選定するのではなく、希望する遺族全てを対象にしてほしい。高齢化した遺族に対し、(鑑定対象の条件に)高いハードルを設けるのはやめてほしい」と強調し、広く集会への参加を呼び掛けた。
 会見には韓国から来沖した太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子(イヒジャ)共同代表や金英丸(キムヨンファン)対外協力チーム長、張完翼(チャンワニク)弁護士も同席し、朝鮮人戦没者の遺骨もDNA鑑定を求める考えを強調した。
 集会は午後2時から。当日、集団申請への参加者を受け付ける。問い合わせはガマフヤー(電話)090(3796)3132。


http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/104619
『沖縄タイムス』2017年6月22日 08:04
■「戦没者の遺骨を家族の元へ」 沖縄戦、DNA鑑定の集団申請呼び掛け
 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(具志堅隆松代表)は22日午後2時から、浦添市社会福祉センターで「戦没者遺骨を家族の元へ6・22沖縄集会」を開く。

【写真】沖縄戦の戦没者遺族にDNA鑑定の申請を呼び掛ける「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(中央)=21日、県庁
   
 遺骨の遺族への返還につなげようと、軍民や国籍を問わず、沖縄戦の遺族らにDNA鑑定の集団申請への参加を呼び掛ける。
 21日、県庁で記者会見した具志堅代表は、7月上旬にも申請書を第1次として厚生労働省に提出する考えを示し、「遺族は高齢化し、年々少なくなっている。国が遺族を選定して希望者を募るのではなく、希望する遺族全てを受け付けるべきだ」と、国に方針変更を求める考えを示した。
 具志堅代表は、国が那覇市真嘉比など県内10地域の戦没者に関し、7月にも遺族と思われる人に申請を呼び掛ける方針を示していることを問題視。「沖縄戦の特徴は誰がどこで亡くなったか、分からないのがほとんど。地域を限定する呼び掛けでは意味がなく、政府に限定しないよう要請する」と話した。
 集会や集団申請に関する問い合わせはガマフヤー、電話090(3796)3132。
コメント

過去を知り、現在を生きる 東アジア史総論 朝鮮史をとおして考える 4

2017年06月22日 | 個人史・地域史・世界史
■分断国家・分断地域・分断民族
(1)境界(地域線、国境線、植民地線)の世界史
  1、初期農耕社会
      長江文明(BC14000年ころ  )。
      メソポタミア文明(BC8000年ころ~  )。
      黄河文明(BC7000年ころ~  )。
      インダス文明(BC7000年ころ~  )。
      遼河文明(BC6200年ころ~  )。
      エジプト文明(BC5000年ころ~  )。
  2、古代国家・古代帝国
      エジプト王国(BC3000年ころ~BC30年)。
      夏・殷・周国(BC1900年ころ~  )。
      ヒッタイト王国(BC1680年ころ~BC1200年ころ)。
      ペルシア帝国(アケメネス朝〈BC550~BC330年・アルサケス朝〈BC247~
            AD224年・ササーン朝〈226~651年〉)。
      秦漢帝国(BC221年~220年)。
      ローマ帝国(BC27~395年)。
         395年:東西に分裂。西ローマ帝国、~480年。東ローマ帝国、~1453年。
      隋唐帝国(589~907年)。
  3、中世国家・中世帝国
      神聖ローマ帝国(800~1806年)。
      モンゴル帝国(1206~1634年)。
      エチオピア帝国(1270~1936年イタリアが占領~1941年独立~1975年帝政廃止)。
      オスマン帝国(1299~1922年)。
      アステカ帝国(1325年ころ~1521年)。
      明帝国(1368~1644年)。
      ティムール帝国(1370~1507年)。
      インカ帝国(1438~1533年)。
  4、近代国家
      ポルトガル帝国(1410~2002年……現在)。
      スペイン帝国(1492~1898年……現在)。
      ムガル帝国(1526~1858年)。インド大反乱(第一次インド独立戦争。1857~
           1859年)。
      ハプスブルク帝国(1526~1804年)→オーストリア帝国(1804~1867年)→
           オーストリア=ハンガリー帝国(1867~1918年)。
      オランダ帝国(16世紀末~現在。オランダ東インド会社〈1602~1799年〉年……
           現在)。
      ロシア帝国(1613~1917年……現在)。
      清帝国(1616年建国。1644~1912年)。
      フランス帝国(1605~現在。第一帝政1804~1815年、第二帝政1852~1870年
           ……現在)。
      イギリス帝国(大英帝国。17世紀……現在)。
      USA帝国(1776~1861~1865~1898年……現在)。
  5、国民国家・国民帝国
      北緯49度線・西経141度線  アメリカ合州国・カナダ。
      ドイツ帝国(1871~1918ヴァイマル共和国~1933ナチスドイツ~1945年……
           現在)。
      日本帝国(大日本帝国。1889~1947年……現在)。
  6、植民地地域
      西ヨーロッパ国民国家によるベルリン会議(1884年11月~1885年2月)後のアフリカ
     分割
      ★イギリス
        エジプト(保護国)、スーダン、ケニア、ウガンダ、ソマリランド、南ローデシア(現
       ジンバブエ)、北ローデシア(現ザンビア)、ベチュアナランド(現ボツワナ)、オレン
       ジ自由国、南アフリカ(現南アフリカ共和国)、ガンビア、シエラレオネ、ナイジェリア、
       ゴールド・コースト(現ガーナ)、ニアサランド(現マラウイ)、ザンジバル。
      ★フランス
        アルジェリア、チュニジア、モロッコ、ソマリランド(現ジブチ)、マダガスカル、コモ
       ロ諸島、モーリタニア、セネガル、スーダン(現マリ共和国)、ギニア、コートジボワー
       ル、ニジェール、オートボルタ(現ブルキナファソ)、ダオメ(現ベナン)、ガボン、中
       部コンゴ(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ(現中央アフリカ共和国)、チャド。
      ★ポルトガル
        アンゴラ、ポルトガル領コンゴ(現アンゴラ領カビンダ)、ポルトガル領東アフリカ
       (現モザンビーク)、ポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)、カーボベルデ諸島(現
       カーボベルデ)、サントメ・プリンシペ。
      ★ドイツ
        カメルーン、ブルンジ、ルワンダ、タンガニーカ、ナミビア、トーゴ。
      ★イタリア
        リビア、エリトリア、ソマリア、エチオピア(1936~1941年)。
      ★ベルギー
        ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)。
      ★スペイン
        スペイン領サハラ(現西サハラ)、リオ・デ・オロ、サギア・エル・ハムラ、イフニ、
       モロッコ北部保護領(1415年~1913年)、セウタ、メリリャ、リオムニ(現赤道ギニア
       の一部)

     ※直線の植民地線が国境線に
       北緯26度線・西経12度線  西サハラ・モーリタニア
       北緯25度線  マリ・モーリタニア
       北緯22度線  エジプト・スーダン
       南緯13度線  アンゴラ・ザンビア
       東経141度線  インドネシア・パプアニューギニア
       東経56度線  カザフスタン・ウズベキスタン
       東経25度線  リビア・エジプト
       東経25度線・東経24度線  リビア・スーダン
       東経24度線  チャド・スーダン
       東経22度線  アンゴラ・ザンビア
       東経21度線・東経20度線  ナミビア・ボツワナ
       東経20度線  ナミビア・南アフリカ共和国

  7、現代国家・植民地
      植民地所有国(2017年現在)
         イギリス、フランス、アメリカ合州国、オランダ、ニュージーランド
      現在の植民地
        イギリス:ケイマン諸島、イギリス領バージン諸島、アンギラ島、バミューダ諸島、
           タークス・カイコス諸島、ピトケアン諸島、マルビナス諸島、ジブラルタル、
           モントセラト島、セントヘレナ・アセンション・トリスタンダクーニャ。
                 西サモアは1962年にイギリスから独立。
        フランス:ニューカレドニア(1853年にフランス領)、フランス領ポリネシア(ソシエテ
           諸島〈タヒチ島など〉、マルキーズ諸島、トゥアモトゥ諸島、ガンビエ諸島、オ
           ーストラル諸島、ラパ島……)、グアドループ島、マリー・ガラント島、ラ・デ
           ジラード島、レ・サント諸島、サン・バルテルミー島、セント・マーチン島北部
           (サン・マルタン)。
        アメリカ合州国:東サモア(トケラウ諸島のスウェインズ島はアメリカ合州国領サモ
           ア)、グアム島、テニアン島、北マリアナ諸島(サイパン島、テニアン島、ロタ
           島……)、アメリカ合州国領バージン諸島、プエルトリコ。
        オランダ:シント・ユースタティウス島、サバ島、セント・マーチン島南部、オランダ領
           アンティル。
        ニュージーランド:トケラウ諸島のアタフ島、ヌクノノ島、ファカオフォ島(1948年に
           ニュージーランド領に)。

    ※戦争による国境の画定
      太平洋戦争(1879年4月~1884年4月休戦~1904年講和):
         ボリビア共和国・ペルー共和国 対 チリ共和国。
         ボリビア西南部・ペルー南部がチリの領土に。ボリビアが内陸国になった。

(2)分断国家→統一国家
     朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)
       1945年、朝鮮解放。
       1948年8月、大韓民国建国。9月、朝鮮民主主義人民共和国建国。
       1945年8月17日:38度線。
       1953年7月27日:軍事境界線(군사분계선。 Military Demarcation Line〈MDL〉)。
           軍事境界線の南北に非武装中立地帯(DMZ。幅約4キロ。地雷原など)。
     ドイツ(1949~1990年:ドイツ連邦共和国・ドイツ民主共和国)→1990年:ドイツ連邦共
         和国)。
     ベトナム(1949~1975年:ベトナム民主共和国・ベトナム共和国)→1975年:ベトナム社
         会主義共和国。
     イエメン
       1918年、イエメン王国(オスマン帝国から独立)。
       1962年、イエメン王国崩壊。イエメン・アラブ共和国「成立」。
       1967年、英領南アラビア保護領(南イエメン)が、南イエメン人民共和国として独立
         (アラブ世界初の社会主義国)。1970年、イエメン人民民主共和国と改称。
       1990年5月22日、イエメン共和国「成立」(イエメン・アラブ共和国、イエメン人民
         民主共和国合併)。

(3)分断地域
     モンゴル(モンゴル〈←モンゴル人民共和国〉・内モンゴル自治区〈←内モンゴル自治
       政府〉・ブリヤート共和国・トゥバ共和国)
         1933年、モンゴル人民共和国軍、布爾根等占拠。
     トルキスタン:
       西トルキスタン(トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン・タジキス
      タン)。
       南トルキスタン(アフガニスタン北部)。
       東トルキスタン(中華人民共和国新疆ウイグル自治区)。
          清国政府、1884年に新疆省設置。在地有力者を通した間接支配。
          辛亥革命後、漢民族官僚による独裁的な体制(事実上の独立状態)。
          1919年6月、中華民国政府、アルタイ地区編入。
          1933年、東トルキスタン共和国、中華民国より独立を宣言。
          1949年、中華人民共和国政府支配。
          1955年、中華人民共和国、新疆ウイグル自治区に改組。
     アゼルバイジャン
     アルメニア
     ジョージア(グルジア):グルジア・ソビエト社会主義共和国・南オセチア共和国・アブ
        ハジア共和国
     キプロス島:1914年11月にイギリスがオスマントルコ領のキプロスの併合を宣言。1925
          年に直轄植民地に。
           1960年8月16日、イギリスから独立。1964年、内戦開始。
           1983年、北キプロス・トルコ共和国(北部約37%。トルコ共和国のみが承認)。
           キプロス共和国(国際連合加盟国193か国のうちトルコ以外の192か国が承
          認)。
         ※「グリーンライン(green line、UN Buffer Zone in Cyprus)」(コンクリート壁、
          鉄条網、監視塔、塹壕、地雷原)で分断。
     カリマンタン島(ボルネオ島)
     チモール島
        東チモール(ポルトガル最後の植民地。2002年、独立)。
        西チモール(オランダの植民地→インドネシア領)。
     パプア島(「ニューギニア島」)
        1848年:西部をオランダ領に、1884年:東部の北部をドイツ領に、南部をイギリス
       が領土化→1901年にオーストラリア領。1914年に東部の北部がオーストラリアの委
       任統治領に。
        パプア島東部  パプアニューギニア独立国:1975年9月16日独立。
        パプア島西部  インドネシア領パプア州(1961年:オランダがオランダ領ニュー
               ギニア独立を正式承認。1969年:インドネシアが領土化〈西イリアン
               州〉、1973年:イリアンジャヤ州と改称。2002年:パプア州に改称)。
     アイルランド島
        1541~1649年・1660~1800年、アイルランド王国(Ríocht na hÉireann)。1694
          年以後、イングランド王国の従属国。
        1801年、グレートブリテン及びアイルランド連合王国( United Kingdom of Great
           Britain and Ireland)「成立」。
        1916年4月24日 ~30日、イースター蜂起。
        1919年、アイルランド共和国独立宣言。
        1922年、アイルランド自由国(Saorstát Éireann。Irish Free State)。
           アイルランド島32州の南部26州がイギリス(グレートブリテンおよびアイルラ
          ンド連合王国)から分離。
        1927年、グレートブリテン及びアイルランド連合王国、グレートブリテン及び北アイ
          ルランド連合王国と改称。
     イスパニョーラ島
        ハイチ共和国(イスパニョーラ島西部。1804年1月1日フランスから独立)。
        ドミニカ共和国(イスパニョーラ島東部。スペインから1821年12月1日独立)。
     クルディスタン
        トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部、アルメニア南部。
     フエゴ島
        ヤーガン族の大地と海。
        西経68°36′38″でアルゼンチンとチリに分割。
     イヌイット・アレウト族(アリュート族)の大地と海
        1867年4月:アメリカ合州国、ロシアからアラスカ購入。
(4)分断民族

(5)絶滅させられた民族、失われた言語
   「タスマニア人」。
      1803年……1828年~32年:「ブラックウォー」(「タスマニア人」虐殺・フリンダーズ島
         へ強制移住)。
      1876年5月8日:最後の「タスマニア人」死亡。トルガナンナ(Trugernanner。1812年ころ
         生まれた)。遺体はタスマニア島のカスケイズ女性刑務所に埋葬。2年後、タスマ
         ニア王立協会によって掘り返され展示された。1976年4月、死後100年目火葬さ
         れ、ダントルカストー海峡に撒かれた。カスケイズ女性刑務所は、2010年に「オ
         ーストラリアの囚人遺跡群」の1つとしてユネスコ世界遺産に登録。
           Female Convicts Research Centre:http://www.femaleconvicts.org.au/
                   タスマン(1603~1659年):オランダ人、オランダ東インド
                  会社員。1643年にタスマニア島、ニュージーランド、フィジーに。
   「パタゴニア語」:マプチェ語 (Mapudungun):チリに60万人あまり、アルゼンチンに30万人
       のマプチェ語話者。

   ★1950年以後に消滅した言語
     ブラジル:アマナイェ語(Amanayé)、アラパソ語(Arapáso)、ウィトト語(Huitoto)、クレ
        ンイェ語(Krenjê)、マク・アクアリ語(Máku-Auari)、ムーラ語(Múra)、ヌキニ語
        (Nukiní)、トラ語(Torá)、ウモティニャ語(Umutina)、ウルパ語(Urupá)、シャ
        クリヤバ語(Xakriabá)、ユルティ語(Yurutí)。
     ペルー:チョロン語(Cholon)、クリェ語(Culle)、モチーカ語(Mochica)、ワリアパノ
        語(Wariapano。Panobo)、ヤメオ語(Yameo)。
     チリ:アタカマ語(Atacameño)。
     アルゼンチン:クンザ語(Atacameño)、プエルチェ語(Gününa Küne)、セルクナム語  
        (Ona)、ビレラ語(Vilela)。
     ボリビア:アポリスタ語(Apolista)、アタカマ語(Atacameño)、カニチャナ語
        (Canichana)、ウル語(Uru)。
     ホンジュラス:レンカ語(Lenca)。
     ニカラグア:カカオペラ語(Cacaopera)、マタガルパ語(Matagalpa)、スブティアバ語
        (Subtiaba)。
     コロンビア:カラバヨ語(Carabayo)、マカグアヘ語(Macaguaje)、オポン語(Opon-
        Carare)、ピハオ語(Pijao)。
     エルサルバドル:レンカ語(Lenca)。
     エクアドル: アンドア語(Andoa)、テテテ語 (Tetete)。
     ドミニカ国:島嶼カリブ語 (Island Carib)。
     アメリカ合州国:サリナ語(アントニアーニョ方言。 Antoniano)、アラパホー語
       (Arapaho) 、アツゲウィ語(Atsugewi)、バルバレーニョ語(Barbareño)、カトー
       バ語(Catawba)、カユーガ語(Cayuga)、カイユース語(Cayuse)、中央カラプヤ語
       (Central Kalapuyan)、アイオワ・オトー・ミズーリ語(Chiwere)、カウリッツ語
       (Cowlitz)、クペーニョ語(Cupeño)、東アベナキ語(Eastern Abenaki)、東ポ
       モ語(Eastern Pomo)、ワイラキ語(Eel River Athabaskan)、クーズ語(Hanis)、
       ワイアンドット語(Huron-Wyandot)、イネセーニョ語(Ineseño)、島嶼チュマシュ語
       (Island Chumash)、カンサ語(Kansa)、カトー語(Kato)、クラマス・モドック語
       (Klamath-Modoc)、コノミフ語(Konomihu)、リパン語(Lipan)、下チヘリス語
       (Lower Chehalis)、マトール語(Mattole)、マイアミ・イリノイ語(Miami-
       Illinois)、サリナ語(ミグレーノ方言。 Migueleño)、モララ語(Molala)、ナ
       チェズ語(Natchez)、ニュー川シャスタ語(New River Shasta)、ニセナン語
       (Nisenan)、ヌックサック語(Nooksack)、北東ポモ語(Northeastern Pomo)、
       オビスペーニョ語(Obispeño)、プリシメーニョ語(Purisimeño)、クアポー語
       (Quapaw)、キルート語(Quileute)、クイノールト語(Quinault)、セラノ語
       (Serrano)、シウースロー語(Siuslaw)、南東ポモ語(Southeastern Pomo)、
       ティラムック語(Tillamook)、トゥニカ語(Tunica)、トゥトゥトニ語(Tututni)、
       トゥワナ語(Twana)、ウナミ語(Unami)、上チヘリス語(Upper Chehalis)、上ア
       ンプクア語 (Upper Umpqua)、ベントゥレーニョ語( Ventureño)、ワッポ語
       (Wappo)、西アベナキ語(Western Abenaki)、ウィヨット語(Wiyot)、ユキ語 
       (Yuki)。
     アラスカ:イヤック語(Eyak)。
     カナダ:ペントラッチ語(Pentlatch)、ツェツァウト語(Tsetsaut)。
     ガーンジー:オルダニー語(Alderny French)。
     イラク:アディゲ語(Adyge)、ユダヤ現代アラム語(バルザニ。Barzani Jewish Neo
        Aramaic) 、ユダヤ現代アラム語(リシャナデニ。Lishana Deni)、ユダヤ現代アラ
        ム語(リシャニドノシャン。Lishanid Noshan) 。
     イラン:ユダヤ現代アラム語(フラウラ。 Hulaula)、ユダヤ現代アラム語(リシャンディ
        ダン。Lishan Didan)。
     エジプト:コプト語 (Coptic)。
     エチオピア:Boro、Gafat、ゲエズ語(Ge'ez)、Qwarenya。
     カメルーン:Duli、Gey、Nagumi、Ngong。
     ギニア:Baga Kalem。
     ナイジェリア:Odut、Zeem。
     ウガンダ:Napore、Nyang'i、Singa。
     ケニア:エルモロ語(Elmolo)、Kinare、Kore、Lorkoti、Sogoo、Yaaku
     コートジボワール:エオティレ語(Eotile)、Tonjon。
     コンゴ民主共和国:Li-Ngbee。
     シエラレオネ:Mo-peng、Sei。
     アンゴラ:ケデ語(Kede)、クワディ語(Kwadi)、クウィシ語(Kwisi)。
     タンザニア:Aasax、Kw'adza。
     トーゴ:Boro。
     チャド:Berakou、Horo。
     チュニジア:セネド語(Sened)。
     シリア: ムラフソ語(Mlahso)。
     スーダン: Baygo、Berti、Birgid、Gule、
     南スーダン:Homa、Togoyo。
     ボツワナ:Deti。
     南アフリカ共和国:ǃGanǃne、Cape Khoekhoe、ǀ'Auni、 ǀXam、 ǁKu ǁ'e、 ǁKx'au 、 ǁXegwi。
     スペイン:グアンチェ語(Guanche。カナリア諸島のグアンチェ人が16~17世紀まで話し
        ていた言語)。
     モロッコ:ユダヤ・ベルベル語(Judeo-Berber)、リーフ語(アイト・ルアディ方言。Ait   
        Rouadi)。
     ソロモン諸島: Dororo、カズクル語(Kazukuru)、ラグ語(Laghu)。
     バヌアツ:Aore。ウタハ語(Ifo)、Maragus。
     ニューカレドニア(フランス):Sishee。
     パプアニューギニア:Aribwatsa、Bina、Getmata、カニエト語(Kaniet)、Karami、ラエ
        語(Lae)、Mahigi、Mulaha、Uruava、Yoba。
     オーストラリア:ワカワカ語(ドゥーンギジャウ方言。Dungidjau)、ガーガジュ語
        (Gaagudju)、クルチャル語(Kurtjar)、マルグ語(Marrgu)、ンガラ語
        (Ngarla)、イル・ヨロント語(Yir Yoront)。
     フィリピン:Arta、Ata、Dicamay Agta、Katabaga。
     マレーシア:Kenaboi、Orang Kanaq、Seru。
     タイ:Phalok。
     ビルマ:Hpun、Malin、ピュー語(Pyu)、Taman。
     インドネシア:Hukumina、Kayeli、Mapia、Moksela、Naka'ela、 Nila (Nila Island)、
        Palumata、Piru、Tandia、Te'un (Te'un Island)。
     ネパール:Dura。
     インド:アーホーム語(Ahom)、Andro、Rangkas、Sengmai、Tolcha。
     中華人民共和国:ソロン語(トルキスタン方言。Ongkor Solon)。
     エヴェンキ語(ソロン語):ツングース諸語では話者の1番多い言語。話者は約2.9万人。
        エヴェンキ族の居住地域はロシア、中華人民共和国、モンゴル。
     台湾:バブサ語(Babuza)、バサイ語(Basay)、ホアンヤ語(Hoanya)、ケタガラン語
        ( Ketangalan)、クルン語(Kulun)、パポラ語(Papora)、パゼッヘ語(Pazeh)、
        シラヤ語(Siraiya)、タオカス語(Taokas)。
     トルコ:ギリシャ語(カッパドキア方言。Cappadocian Greek) 、ムラフソ語(Mlahso) 、
        ウビフ語(Ubykh) 。
     クロアチア:ダルマチア語(Dalmatian)。
     アゼルバイジャン:キリト語(Kilit)。
     ロシア: アイヌ語(千島列島。Kuril)、アイヌ語(樺太。Sakhalin)、サーミ語(アッカラ
        方言。Akkala Saami)、エベン語(アルマン方言。Arman)、カマス語(Kamas)、ハ
        カス語(カマス方言。Kamas Turk)、カレリア語(バルダイ方言。Karelian  
        〈Valday〉)、ケレク語 (Kerek)、シレニック語(Old Sirenik)、イヌピアック
        語(スワード半島方言・大ダイオミード島。Seward Peninsula Inupiaq 〈Big
        Diomede Island〉)、ハンティ語(南部方言。Southern Khanty)、マンシ語(南
        部方言。Southern Mansi)、ソヨト語(Soyot)、ウビフ語(カフカス方言。Ubykh
        〈Caucasus〉)、マンシ語(西部方言。〈Western Mansi〉)、ユグ語(Yug)。

       ※日本:アイヌ語 - 極めて深刻。奄美語 - 危険。八丈語 - 危険。国頭語 - 危険。
          宮古語 - 危険、沖縄語 - 危険。八重山語 - 重大な危険。与那国語 - 重大
          な危険。
       ※「たったひとりのことば 絶滅する言語と失われゆく‘世界’。 4カ月に1つ、この
       世界から言語が失われている」。
           http://wired.jp/special/2016/loss-for-words/
       ※『真珠のボタン』
           http://luckynow.pics/el-boton-de-nacar/
           http://ameblo.jp/jahyon2002/entry-12097776039.html

(6)壁
  シオニストによるパレスティナにおける分離壁という侵略犯罪。
  メキシコ・アメリカ合州国の壁。
(7)単一民族国家という虚偽
(8)言語・民族・国家
(9)境界のない世界
                               金靜美(김정미 キム チョンミ)
コメント

「アイヌ遺骨 返還視野 日豪政府が交渉」

2017年06月21日 | 個人史・地域史・世界史
https://mainichi.jp/articles/20170605/k00/00m/040/102000c
『毎日新聞』2017年6月5日 07時00分
■アイヌ遺骨 返還視野 日豪政府が交渉
 アイヌ民族の遺骨3体がオーストラリア国内の博物館で保管されていることが昨年から今年にかけて相次いで判明し、豪政府が返還も視野に日本政府と交渉を始めたことが分かった。駐日豪大使が北海道アイヌ協会の代表者と8日にも札幌市内で面会し、遺骨の状況などを説明する。
 アイヌなど先住民族の遺骨は19世紀以降、欧米などの研究者が人類学の研究目的で収集し、英国やドイツなどでも見つかっている。ドイツでは昨年17体が確認され、うち1体は1879年に札幌の墓地から盗掘されたものと特定。外交ルートを通じた初の返還が年内に実現する見込みだ。
 オーストラリアで見つかった3体は、いずれも頭骨で、日豪の専門家の調査により、アイヌ研究で知られる東京帝大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)名誉教授(1859~1944年)が1911~36年にオーストラリアの研究者に送ったものと確認された。
 調査に携わる北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)によると、国立メルボルン博物館で2体、国立オーストラリア博物館で1体が保管されている。このうちメルボルン博物館の1体は樺太(サハリン)で収集した記録があるという。
 オーストラリアには、他国の先住民の遺骨について、遺骨が属するコミュニティーの求めに応じて返還すると定めた国内規定がある。
 豪大使館は毎日新聞の取材に「オーストラリアと日本の先住民への理解を促進する機会にしたい」と話し、内閣官房アイヌ総合政策室は「(返還手続きなどは)豪政府側から情報提供を受けた後に検討する」としている。
              【三股智子】


https://mainichi.jp/articles/20170204/k00/00m/040/145000c
『毎日新聞』 2017年2月4日 2月4日 08時24分
■アイヌ遺骨 発掘禁止令 19世紀、「不当な収集」根拠に

【写真】「極東にて」のコピー(手前左)とクライトナーに関する論文(右)=2017年1月31日午後4時2分、中西啓介撮影

【ベルリン中西啓介、ウィーン三木幸治】海外にアイヌ民族の遺骨が散逸している問題で、日本政府が19世紀後半、アイヌの墓の発掘を禁止する「命令」を出していたとみられることが、オーストリア人の旅行記から分かった。命令が確認されれば、海外からの遺骨返還に必要な「不当な収集」を裏付ける根拠となる可能性があり、専門家は日本政府による調査の必要性を指摘している。
 命令についての記述があるのは、オーストリア人アイヌ研究者グスタフ・クライトナー(1847~1893年)の旅行記「極東にて」(1881年出版)。1878(明治11)年8月に北海道を探検した際のアイヌの調査などをまとめている。
 クライトナーらは研究資料としてアイヌの頭骨を入手することを旅行の主要目的の一つにしており、当時北海道を管轄した「開拓使」とみられる官庁に墓の発掘許可を申請。だが、日本側は「政府はアイヌの墓に触れてはならないとする厳しい命令を出している」として、申請を却下していた。
 命令の時期や詳細な内容の記述はないが、当時、札幌で農業指導をしていたドイツ出身のルイス・ベーマーはクライトナーに「(1865年に)函館近郊で英国人によるアイヌ遺骨窃盗事件が起きたため、住民の怒りを買う発掘は難しくなった」と背景を説明している。
 独ボン大のウールシュレーガー博士(アイヌ学)は「事件は英国領事の辞職につながる大問題になった。命令は確実に存在したはずだ」と指摘。ドイツの指針では遺骨返還に「不当な収集」を裏付ける必要があるが、「命令が有効だった期間に海外に持ち出された遺骨は、全て不当収集と証明できる」という。
 アイヌ民族は「最も原始的な民族」とされ、欧州では1860年代に人類学の研究対象として北海道などから多数が「収集」された。



https://mainichi.jp/articles/20161025/k00/00m/040/149000c
『毎日新聞』2016年10月25日 10時22分
■アイヌ遺骨 学者間で「流通」か 英独露、多様な人種収集

【写真】小金井良精・東京帝大医科大教授が1900年にハンス・ウィルヒョウ・ベルリン大教授に宛てて送った遺骨提供への礼状=提供写真

 アイヌ民族の遺骨がドイツなど海外の研究機関に保管されている問題で、遺骨が研究者による「人骨流通ネットワーク」を通じ持ち出された可能性が浮上している。その実態解明は国外での収蔵先把握に不可欠で、専門家は研究者による調査の必要性を指摘している。【中西啓介】
 人骨流通ネットワークは近年、ドイツの研究者が存在を指摘するようになった。19世紀後半の人類学研究では、頭骨計測のため大量の遺骨が収集された。多様な「人種」の骨を集めるため、英独露などの研究者間で、国内や植民地で収集された先住民らの遺骨が交換された。遺骨の売買も行われたとみられる。
 ドイツには少なくとも17体のアイヌの遺骨が収蔵されている。日本国内でドイツ人が盗掘した物もあるが、一部はロシアから研究資料として寄贈された記録が残る。北海道大大学院の小田博志教授(人類学)は「こうしたネットワークの中心はベルリンやロンドンなどだった」と話す。
 ドイツ留学後、日本でアイヌを研究した東京帝大医科大(現東大医学部)教授の小金井良精(よしきよ)(1859~1944年)は1900年、ベルリン大教授のハンス・ウィルヒョウ(1852~1940年)に、遺骨提供への謝意をはがきで述べている。
 はがきについて小田教授は「日本も人骨流通ネットワークの一部だったことを示す」と指摘。新たにアイヌの遺骨を発見するためにも海外の研究機関に残された「標本」購入や交換の記録を調べ、ネットワークの実態を解明することが重要だとしている。北海道アイヌ協会の加藤忠理事長も調査の必要性を強調している。
 遺骨返還について、内閣官房アイヌ総合政策室は収蔵先が判明し、収集過程の資料がそろうドイツの遺骨の調査を進める方針だ。既に在独日本大使館を通じて調査を実施。「2020年に北海道内に慰霊施設が建設されることをめどに返還交渉を進めたい」としている。



https://mainichi.jp/articles/20160922/k00/00e/040/185000c
『毎日新聞』2016年9月22日 08時36分
■アイヌ遺骨 頭骨2体、豪の博物館で確認 東大から流出
 オーストラリアのメルボルン博物館で確認されたアイヌの遺骨について、東京帝国大医学部(現・東京大医学部)の小金井良精・名誉教授(1859〜1944年)が、豪州などの先住民アボリジニの遺骨と引き換えに送ったことが豪州の研究者の調査で分かった。「東大に豪州の男女の頭骨を保存している」との論文があることも判明。東大は「アボリジニ遺骨の所在は調査中」としている。
 豪州・国立大のガレス・ナップマン研究員がアボリジニ遺骨調査を進める中、メルボルン博物館でアイヌの頭骨2体を確認した。
 一緒に保管されていた小金井氏直筆の手紙や税関の書類によると、小金井氏は1935年7月にアイヌの男女1組の資料として下あごがない頭骨1人分と複製一つを同博物館に送った。小金井氏は36年9月にも、同大医学部解剖学教室の「Yokoo」氏が同年夏に収集した頭骨1人分を追加で送っていた。
 一方、同教室の助教授を務めていた横尾安夫氏の1943年発表の論文には「東大解剖学教室に保存の六個の濠洲(豪州)人男女性頭骨」との記述がある。このうち同博物館からは、アボリジニの遺骨2人分が日本に送られた可能性があるという。
 小金井氏はドイツ留学を経て東大の解剖学講座の教授を務め、日本の解剖学の草創期を築いた。アイヌの遺骨を用いた人類学的研究で知られ、1888〜89年には道内各地の墓地などから大量の遺骨を収集した。

              【三股智子】


https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/040/127000c
『毎日新聞』2016年8月7日 10時25分
■アイヌ遺骨 ドイツに17体 北海道協会が返還要請へ
【ベルリン中西啓介】研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨が、ドイツに17体保管されていることが分かった。当時の記録から、1体は19世紀にドイツ人が札幌市内の墓から盗掘し、運び込んだことも判明。北海道アイヌ協会によると、独国内で遺骨が確認されたのは初めて。協会は今後、日本政府を通じてドイツ側に調査や返還を求める方針だ。

★頭骨1体は札幌で盗掘
 毎日新聞が入手した収蔵リストなどによると、独国内で保管されているのは、国所有の頭骨10体と骨1体▽民間団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)が所有する頭骨6体−−の計17体の遺骨。
 このうち国所有4体とBGAEUの1体は日本国内で収集されたとみられる。11体は今のロシア・サハリンで収集され、1体の収集地は不明。いずれも19世紀後半以降、人類学などの研究資料として集められた。
 国所有の遺骨はシャリテー・ベルリン医大が資料として収集した約8000体の骨の一部で、政府系機関ベルリン博物館連合(SMB)が管理する。戦争や東西ドイツ分裂により、長期間放置された。現在、データベース化に向けた作業が進められている。
 SMBは、サハリンで収集された頭骨6体の写真を開示。頭骨の左側頭部に「Aino Sachalin Jacobsen」とあった。当時、アイヌの表記に使われた「Aino」と収集場所、収集者が記録された。
 BGAEUは頭骨6体の確認を終えており、今後SMBが作成するデータベースに統合される。また、BGAEUにある頭骨1体は、札幌で盗掘されたことが1880年発行のドイツの民族学誌から判明した。
 北海道アイヌ協会の佐藤幸雄事務局次長は「ドイツでの発見は、なぜアイヌが人類学のために研究され、盗掘の手法が用いられたのかを解明する手がかりになる」と話す。協会は海外に散逸した遺骨について国に調査の徹底を要請している。



https://mainichi.jp/articles/20160807/k00/00m/030/131000c
『毎日新聞』2016年8月7日08時19分
■アイヌ遺骨 返還に壁、独研究140年の歴史

【写真】当時ウィルヒョウが描いた頭骨のスケッチのコピー=ベルリンで2016年7月6日午前9時59分、中西啓介撮影
    https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/1

 【ベルリン中西啓介】ドイツで見つかったアイヌ民族の遺骨について、北海道アイヌ協会は返還を求める方針だ。だが、ドイツ側は「不適切な収集」の裏付けなどが必要だとの考えだ。長年放置されてきた遺骨の調査には、140年以上という歴史の壁が立ちはだかっている。

★「不適切収集」の証明必要
ベルリン中心部の国立図書館に19世紀発行の民族学誌が収蔵されていた。すり切れた布張りの表紙を開くと、アイヌの頭骨のイラストが次々と現れた。
 執筆したのは、ベルリン大教授のルドルフ・ウィルヒョウ(1821〜1902年)。細胞病理学や人類学の礎を作った「権威」だ。
 欧州でのアイヌ研究は、1860年代に英国で初めて遺骨が公開されたことで活発化した。「最も原始的な民族」とされたアイヌの骨を計測し、民族の特徴や人類の系統を解明しようとしたのだ。
 ウィルヒョウは、1873年、同誌でアイヌの遺骨を入手したことを報告。93年の同誌では、7体の頭骨を保有していることを明かし「サンプルを増やしたい。東アジアの仲間にアイヌの骨を送るようお願いしたい」と熱心に訴えた。
 「シュレージンガー氏が札幌の農業試験場(偕楽園)で収集した頭骨」。82年の民族学誌で、ウィルヒョウは具体的な収集者や収集場所を記載した。偕楽園は1871(明治4)年開設の札幌初の公園だ。
 他の記録では、旅行家のウィルヘルム・ヨーストら複数のドイツ人が遺骨を独国内に運んだことも分かった。
 運ばれた遺骨は今、どこにあるのか。人類学の資料を保管する研究機関に問い合わせる中で、ウィルヒョウが設立を主導した「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)と、彼が勤めたシャリテー・ベルリン医科大の収蔵品に残されていることが分かった。
 BGAEU代表のウォルフラーム・シーア・ベルリン自由大教授は6月上旬、6体の遺骨が記録された収蔵リストを提示。「33番にシュレージンガーとあります」と説明した。
 該当欄には「Aino(アイヌ) Yeso(蝦夷(えぞ)) Sapporo(札幌) Schlesinger(シュレージンガー)」とあった。毎日新聞の取材を受け、BGAEUは7月、ベルリン市内にある収蔵庫を調査。この遺骨を含む6体が今も保管されていることを確認した。
 シュレージンガーはどのように遺骨を入手したのか。それを解く鍵は、ベルリンから約540キロ離れた独西部ボンにあった。
 「冒とく行為がもたらす危険を避けるため、夜の闇に紛れ、素早く手前にあった頭骨を入手した」。1880年の民族学誌で、シュレージンガーが盗掘を報告したことが記録されていた。
 この民族学誌を所有するボン大のハンスディーター・ウールシュレーガー博士は「当時は墓の盗掘に恥の意識がなかったことの表れだ」と指摘。「さらに多くの遺骨が収集された可能性が高く、独国内の研究機関は独自に調査すべきだ」としている。

★外交交渉、不可欠に
 ドイツにあるアイヌの遺骨の多くは19世紀に収集された。戦争などにより長期間放置されたことから、返還に必要な情報の不足も懸念される。今回取材で見つかった17体の遺骨のうち、国所有の11体を管理するベルリン博物館連合(SMB)が所属する国の財団は、遺骨などの扱いに関する基本方針を公表している。
 人体由来の収蔵品について、本人らの意思に反し「不適切に」収蔵された物でないかを調査。不適切だったり、収集地から異論が出たりした場合は話し合うとし「希望があれば返還も可能」とする。6体所有するBGAEUもこれに準拠する。
 だが、不適切の定義は、収蔵者側の判断に委ねられている。また、SMBの収蔵品は国に所有権があるため、SMBは「アイヌ側との話し合いには応じるが、返還は政府の判断だ」と言う。BGAEUは「アイヌだからという理由で包括返還することはない」とし、遺骨の由来の特定を優先させる考えだ。
 ベルリンには19世紀以降、人類学の研究拠点として1万体以上とも言われる遺骨が集められた。「20世紀最初の虐殺」とされるドイツの植民地・独領南西アフリカ(現ナミビア)でのヘレロ人虐殺でも、殺されたヘレロ人の遺骨が研究用として独国内に運ばれた。
 遺骨の存在が外交問題化したことから、2011年にシャリテー・ベルリン医科大は20体の遺骨をナミビアに返還している。
 ドイツ内のアイヌの遺骨のうち、取材で不適切な収集が確認できたのは、札幌で盗掘されたBGAEUの頭骨1体のみだが、北海道アイヌ協会は返還の対象を広げたい考えだ。
 SMBが保管する遺骨の一部は、収集したヤーコブセンの旅行記から、サハリン南部コルサコフで収集されたことが分かっている。協会は、これらの遺骨についても、北海道に住むアイヌの祖先である可能性があるとし、調査を求める考えだ。
 協会は日本国内に残された遺骨とドイツの頭骨を照合し、元の状態に復元した上で慰霊することを目指している。遺骨返還の実現には、日独の外交交渉が不可欠だ。

★ドイツに運ばれた遺骨の収集地と数
 https://mainichi.jp/graphs/20160807/hrc/00m/040/001000g/2
   国が所有し政府系機関SMBが管理=計11体
     ・サハリンで収集された頭骨6体
     ・北海道で収集されたとみられる頭骨4体
     ・収集地不明1体
   民間団体BGAEUが所有=計6体
     ・札幌で収集された頭骨(シュレージンガーが収集)1体
     ・サハリンで収集されたとみられる頭骨5体
コメント