「The Hankyoreh」 2025-02-06 09:45
■ベトナム戦争民間人虐殺に対する記念碑的判決、しかし醜悪だった大韓民国【寄稿】
【写真】ベトナム戦争当時、韓国軍民間人虐殺事件の生存者であるグエン・ティ・タンさんが大韓民国を相手に起こした民事訴訟の二審判決公判が開かれた1月17日午後、ソウル市瑞草区のソウル中央地裁前で開かれた記者会見で、事件の原告であるグエン・ティ・タンさんが勝訴を聞いて喜んでいる/聯合ニュース
2000年初め、ハンギョレの記者は鎮海(チンヘ)のあるコーヒーショップで参戦軍人に尋ねた。「なぜこうして全部話してくださるんですか」。ベトナム戦争当時、駐ベトナム韓国軍憲兵隊の捜査係長として服務したその人は答えた。「息子がいま病気で苦しんでいるのですが、それがベトナムで私が犯した過ちのせいのような気がして」。捜査係長の証言は2000年6月、「ハンギョレ21」に「青龍旅団で良民虐殺を操作・隠蔽、元海兵憲兵隊捜査係長の証言…フォンニィ村事件、ベトコンの犯行として調書を取るよう指針下る」という記事で報じられた。
1999年から「ハンギョレ21」の報道を中心に、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺問題が公論化された。被害者の証言だけでなく、参戦軍人の勇気ある告白も続いた。上記の報道はそのような流れの中にあった。しかし、その記者も捜査係長も予想だにしなかっただろう。彼らが告白し報道したその「フォンニィ事件」が、20年後に法廷で取り上げられ、そこでこの記事が核心的な証拠として扱われることを。
ソウル中央地裁は1月17日、フォンニィ事件(1968年2月12日、ベトナム中部のクアンナム省に位置するフォンニィ村で韓国軍によってベトナム民間人70人余りが殺害された事件)の生存被害者、グエン・ティ・タンさんが起こした国家賠償訴訟で、原告勝訴判決を言い渡した。2023年2月7日の一審に続き、被告大韓民国が控訴した二審でも再び被害者に軍配を上げたのだ。
記念碑的な判決だ。ベトナム戦争と関連して参戦国の民間人虐殺の責任を認めた判決は、韓国はもちろん世界的にも類例がない。民主化から40年も経っていない大韓民国で、さらに政府が虐殺を公式に否定している状況で、司法府が独立的に、良心に従って真実を判決した。誰かが大韓民国という共同体の「レベル」を尋ねるならば、この判決を見せたい。判決文の一部にこうある。「人間としての尊厳を最高の価値とする韓国憲法の解釈上…この事件の攻撃のように多数の非武装の民間人を対象にする故意的で無差別的な殺傷行為を正当化することはできない」
しかし、裁判の過程で被告席に座った大韓民国の姿勢は醜悪だった。国家賠償訴訟における被告大韓民国の主張は、この事案に対する政府の公式な立場だ。慎重かつ節制されていなければならないのに、大韓民国は法の技術者といえる法曹人らが使えるテクニックを総動員した。8歳の少女が腹部に銃傷を負い、家族が皆殺しになった。その苦痛を受けた被害者に向かって「ベトナム人は金もないはずなのにどうやって韓国弁護士を雇ったのか」、「経緯と意図が不穏だ」と皮肉を言った。客観的証拠の前でも一貫して知らぬふりをし、あきれた法理を持ち出した。裁判官すらも「主張を後押しする論文や判例はあるのか」と何度も叱責したほどだ。多くの人々の死を前にして言ってはならない主張も述べた。「もしベトナムの被害者9千人余りが全員訴訟を起こしたら、3600億ウォンほどの財政負担が生じるが、この負担は後世を生きていく韓国国民に帰属するのです」
退役軍人を利用した主張は醜悪の極みだった。大韓民国が控訴審で判決を覆すためには、先に言及した捜査係長の証言が書かれた記事を何とかして揺さぶらなければならなかった。これに対し捜査係長の陳述書が新しい証拠として提出された。「隠蔽または覆い隠せという上部の指示があったという発言は事実ではない」、「本人と関係のない記者の推理」だという陳述書。
捜査係長は2000年のインタビューで「真相を明らかにしようと勇気を持って対処できなかったことが悔やまれ、罪悪感を感じる」と語った。「自分の家族がもしもあんなふうに死んだなら、と立場を変えて考えなきゃならないのに」と嘆きもした。被告大韓民国は1968年、捜査係長に、フォンニィ事件をベトコンの犯行に見せかけるよう操作せよと不当な命令を下した。その不当な命令に従った捜査係長は、生涯罪悪感にとらわれて暮らした。自分と同じように海兵隊の将校の道に進んだ息子が若くして大病に罹ると、本人の過ちのせいだという罪の意識に苛まれ、真実を告白した。残念なことに、海兵隊少佐だった捜査係長の息子は、2000年を越すことができず殉職した。ところが、国家はその軍人に謝罪するどころか、2024年に再び「国家に有利な文書」を作成せよと要求した。戦争と虐殺は終わったのか。不当な命令と苦痛の服従は終わったのか。
控訴審裁判部はこのような被告大韓民国の行動を決然と批判した。裁判部は2000年の記事が捜査係長の積極的な協力のもとで作成され、その後、何の反論も訂正要求もなかったという点などを挙げ、2024年の陳述書は信ぴょう性がないと判断した。さらに裁判部は、被告大韓民国は2024年の陳述書が虚偽だという点を知っていたはずであり、故意に虚偽の陳述書を裁判部に証拠として提出したのは、もう一度「真相を意図的に隠蔽する行為」をしたものだと評価した。1968年のベトナムでの隠蔽が2024年の韓国法廷でも続いていると、ぴしゃりと指摘したのだ。
暴力がいつでも社会を覆いうるということを痛感する今日この頃だ。この判決がすべての公務員、特に軍人の教育資料として活用されることを願う。違法な公権力の行使は、地域と時間を越えてついには責任を負うことになるということ、真実を隠蔽するための術などは結局はがされるということを絶えず刻み込んでこそ、暴力を防ぐことができる。この判決が確定したら、国防部の責任ある誰かが必ず捜査係長を訪ねて謝罪し、2000年の勇気を公に評価することを望む。記念碑的な判決だけでなく、その判決を防ぐために醜悪な弁論をおこなった現在の大韓民国の姿まで教育資料に含めなければならない。その醜さを克服する過程こそが、私たちの共同体のもう一つの「レベル」だ。
イム・ジェソン|弁護士・ベトナム戦争民間人虐殺被害者代理人
韓国語原文入力:2025-02-06 07:59
「The Hankyoreh」 2025-02-03 07:41
■大韓民国の司法府、被告大韓民国の「ベトナム戦争をめぐる嘘」を弾劾
ベトナム外交部も「歓迎」の論評
【写真】フォンニィ村虐殺の生存者グエン・ティ・タンさんが先月17日、控訴審の勝訴判決のニュースを韓国からのビデオ通話で聞き、喜んでいる=韓ベ平和財団提供//ハンギョレ新聞社
「この事件の攻撃が『大韓民国軍を装ってフォンニィ村に密かに侵入した北朝鮮軍やベトコンまたは北ベトナム軍による攻撃』である可能性は十分に弾劾されたと判断される」。
ベトナム戦争の民間人虐殺の生存者グエン・ティ・タンさん(65)が大韓民国政府を相手取って起こした国家賠償控訴審の判決で、裁判部は「弾劾」という言葉を使い、このように述べた。これまで大韓民国政府は、計32万人の韓国軍が参戦したベトナム戦争の時期(1964~1972年)の民間人虐殺事件に対して「全く存在しなかった」とか、「韓国軍を装ったベトコンなどの仕業」などと、責任を転嫁してきた。先月17日に開かれた控訴審で、ソウル中央地裁民事控訴3-1部(イ・ジュンミン裁判長)は、政府の控訴を棄却し、原告勝訴判決を下した原審を維持した。2023年2月、一審裁判所は原告のグエン・ティ・タンさんに大韓民国が3千万ウォン(約320万円)と遅延損害金を支給するよう判決を下した。
原告のグエン・ティ・タンさんは1968年2月12日、ベトナム中部のクアンナム省のディエンバン県(現ディエンバン市社)ディエンアン坊フォンニィ村で、腹部に深刻な銃傷を負って生き残った。当時、韓国軍海兵第2旅団1大隊1中隊が村に進入した状態だった。グエン・ティ・タンさんの兄も腹部と尻に深刻な銃傷を負い、母親と姉、弟は命を失った。 この日、フォンニィ・フォンニャット村だけで住民74人が死亡した。 グエン・ティ・タンさんが韓国の民主社会のための弁護士会(民弁)のサポートを受けてソウル中央地裁に国家賠償訴状を提出したのは、それから50年余りが過ぎた2020年4月のことだ。
【写真】ベトナムのクアンナム省ディエンバン県(現ディエンバン市社)ディエンアン坊フォンニィ村で1968年2月12日に韓国軍によって銃撃された事実を証言したグエン・ティ・タンさん(2001年3月)=コ・ギョンテ記者//ハンギョレ新聞社
この日の控訴審の結果は、尹大統領の逮捕適否審の棄却や西部地裁での暴動など、他の問題に押され、あまり注目されなかった。一歩遅れて判決文を読んだ人々は「被告が新しい証人を付けて提起した主張を、控訴審裁判部がこのように積極的に反論するとは思わなかった」と驚きを隠せなかった。実際、フォンニィ村の住民への攻撃の主体に対する被告の主張と、これに対する判断を盛り込んだ判決文の内容だけで50ページ余りに達する。原告側の代理人の一人だったイム・ジェソン弁護士(法務法人ヘマル)は2日、ハンギョレに「引用符を丁寧に付け、被告の主張についてそれがなぜ不当なのかを誠実に書いた判決文」だとし、「意を決して被告の弁論の形を叱っているような印象を受けた」と語った。
【写真】1968年2月12日、海兵第2旅団1大隊1中隊がフォンニィ・フォンニャット村を通過した直後、大量に発見された遺体。事件直後に村に入った米軍が写真を撮った=米国立文書記録管理庁//ハンギョレ新聞社
被告の大韓民国は2年前、一審で敗訴した後、代理人団を2倍以上に補強し、控訴審を準備してきた。政府法務公団と国防部法務官(訴訟遂行者)だけが参加した一審とは異なり、控訴審には法務部法務官と法務法人2カ所がさらに加わった。大韓民国川は、事件の当日に第1中隊1小隊の先頭で銃撃を受けて後送されたというKさんをはじめ、2人の将校と私兵の供述を受けて提出し、当時の中隊員を調査した憲兵隊捜査係長の供述書を提出した。ところが、裁判部はこれらの陳述に重きを置かなかった。
今回の裁判で、被告大韓民国の論理は、1968年6月のベトナム戦争当時、韓国軍の残虐行為の疑惑に対する釈明を求めたウェストモーランド駐ベトナム米軍司令官の書簡に対するチェ・ミョンシン駐ベトナム韓国軍司令官の答申内容から一歩も抜け出していない。当時、チェ司令官は「(フォンニィ・フォンニャット事件は)偽装用の軍服を着たベトコンの仕業」であることを示唆し、「大量虐殺は韓国軍、米軍、南ベトナム軍の間に分裂を起こそうとするベトコンの陰謀」だと述べたが、この論理を58年間維持してきたわけだ。今回の控訴審裁判部は、このような論理が事実と合致せず、これまでこれを裏付ける根拠が全く示されていないとして、被告大韓民国の安易さを叱責した。
【写真】フォンニィ・フォンニャット事件を上部の指示に従って筋書に合わせて捜査したと、25年前にハンギョレ21に証言した憲兵隊捜査係長出身のSさんが、1968年にベトナムのホイアンで撮った写真=Sさん提供//ハンギョレ新聞社
判決文によると、裁判部は「もしこの事件の攻撃が実際に偽装攻撃ならば、駐越韓国軍司令部を含む大韓民国政府は当然全力を尽くしてこの事件の攻撃の真実を究明し、その結果を駐越米軍司令部と米国政府、南ベトナム政府に直ちに知らせ、偽装攻撃であることを直接・間接的に証明する詳しい証拠資料まで伝え、大韓民国国軍による南ベトナム民間人虐殺疑惑を払拭し、それによる評判の失墜、 軍事的影響および法律的・外交的責任のリスクを除去しようとしただろうというのは、経験則から容易に予想できる」とし、「被告は、先に見たこの事件の攻撃の主体に関する被告の弁論経過から分かるように、50年以上が過ぎたこの裁判所の弁論終結日まで、いわゆる偽装攻撃勢力の正体が北朝鮮軍なのかベトコンなのか、あるいは北ベトナム軍なのかさえ把握していないものとみられる」と述べた。
フォンニィ・フォンニャット事件の生存者たちは一貫して攻撃の主体が韓国軍だったことをさまざまな事例を通じて明らかにし、これを調査した駐越米軍監察部の報告書にも韓国軍が介入した情況が詳しく書かれている。さらに、韓国軍の小隊長と兵士たちもハンギョレ21などのインタビューで「韓国軍によって不祥事が発生し、これによって中隊長が早期帰国した」と、一貫した証言をしてきた。にもかかわらず、大韓民国政府はまるでベトナムの被害者たちが50年以上もベトコンの虐殺を韓国軍の行為として捏造し、嘘をついてきたかのように責め立ててきた。
控訴審裁判部は、政府の論理に一つひとつ反論したが、これは被告が提出した海兵第2旅団の憲兵隊捜査係長出身のSさん(88)の供述に対する判断からも明らかだ。2000年6月、ハンギョレ21のインタビューで、「上部の指示によって筋書に合わせた捜査を行い、これに伴い良心の呵責を感じた」と陳述したSさんは、今回の控訴審の裁判過程では過去のインタビューを否定する趣旨の陳述書を提出した。陳述書には「(陳述書作成当時)心身微弱な精神混迷の状態にあった点」などが追加で摘示された。裁判部は「この陳述書の証拠価値が疑われる」と判断した。「(ハンギョレ21の報道後)20年が過ぎても上記の記事を報道したメディアを相手に言論仲裁申立てや訂正報道請求などの異議手続きを提起しなかった点」などから、上部の命令によりフォンニィ・フォンニャット事件に対する偽りの捜査をしたという25年前の陳述に信憑性があるとみたのだ。
【写真】先月17日、フォンニィ事件の生存者グエン・ティ・タンさんの控訴審勝訴判決が言い渡されたことを受け、喜ぶ原告弁護団と韓ベ平和財団の実務者およびメンバーたち=韓ベ平和財団提供//ハンギョレ新聞社
二審で裁判所は「この事件の攻撃当時、フォンニィ村の住民の一部がベトコンなどに同調していたとか、フォンニィ村にベトコンなど武装した敵対勢力の隠れ家があったと言った」という政府の主張も退けた。裁判所は「人間としての尊厳を最高の価値とする韓国憲法の解釈から、そのような事情だけでこの事件の攻撃のように多数の非武装の民間人を対象とする故意的かつ無差別な殺傷行為を正当化することはできない」とし、「この事件の攻撃に際し、南ベトナム各地で北ベトナム軍などによる『テト攻勢』が行われていたとか、この事件の第1中隊をはじめとする派越韓国軍などがこれに対応する作戦を実施していたとか、原告などこの事件の攻撃の被害者が大韓民国の国民ではないからといって、これと異なる見方をすることもできない」と判断した。
裁判部は結局、「様々な証拠によって認められる事実または事情を総合すると、この事件の第1中隊員のうち、氏名不詳の一部の部隊員による原告と原告の家族をはじめとするフォンニィ村住民の殺傷行為が、故意または過失による行為であることが認められ、またこれは正当な理由なしに人間の尊厳性を害し、生命と身体を侵害する行為に該当し、国家賠償責任で職務行為の違法性要件を充足する。これに反する被告の主張はすべて受け入れられない」と結論付けた。また、一審と同様に1967年の韓・ベ請求権協定により賠償責任がないとか、消滅時効が過ぎたという被告の主張を全て退けた。
ベトナム政府も控訴審判決を歓迎した。先月22日、ベトナム外交部のファム・トゥ・ハン報道官はグエン・ティ・タンさんの裁判結果に対する韓国記者の質問を受け、「歴史的事実を反映した最近の控訴審判決は『過去を後にし、未来に向けて』の精神を実現するのに寄与した」と評した。被告大韓民国の上告期限は7日午前0時まで。
コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2025-02-02 20:49
「The Hankyoreh」 2025-01-18 08:02
■韓国裁判所、「ベトナム民間人虐殺」の控訴審でも政府の賠償責任認めた
【写真】大韓民国を相手取ってベトナム戦争民間人虐殺被害補償訴訟をするグエン・ティ・タンさん。2022年8月に韓国を訪問した時の様子=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺の被害者が韓国政府を相手取って起こした国家賠償訴訟で、1審に続き控訴審裁判所も被害者の訴えを認めた。控訴審裁判所は「加害国である韓国」が原告の主張に反論するほどの根拠を何も提示していないと指摘し、被害者のベトナム人に対し法的責任を取るべきだと判断した。
ソウル中央地裁民事控訴3-1部(イ・ジュンミン裁判長)は、ベトナム人のグエン・ティ・タンさんが韓国政府を相手取って起こした損害賠償訴訟の控訴審で、政府の控訴を棄却し、原告勝訴判決を下した原審を維持した。これに先立ち、1審裁判所は2023年2月、大韓民国が原告グエン・ティ・タンさんに3千万ウォン(約320万円)と遅延損害金を支給するよう判決した。
グエン・ティ・タンさんは8歳だった1968年2月、ベトナムのクアンナム省ディエンバン市ディエンアン区フォンニィ村の自宅の周辺で、韓国軍青龍部隊所属の軍人たちが撃った銃に左脇腹を撃たれて重傷を負い、手術の末に命は助かったものの、これまで後遺症を患っている。当時、家族5人が命を落とし、14歳の兄は大けがをした。グエン・ティ・タンさんは「民間人虐殺に対する韓国政府の認定だけが被害者の苦しみを和らげることができる。私をはじめとする多くの被害者の名誉が回復することを願う」として、2020年4月に韓国政府に対して訴訟を起こした。
1審裁判所はベトナム戦争参戦軍人や当時の民兵隊員などの証言とグエンさん側が提出した証拠などをもとに、原告側の主張をほとんど事実と認めた。裁判所は「大韓民国海兵第2旅団第1中隊(青龍部隊)所属の兵士たちが1号作戦を遂行中に、原告の家族に銃撃を加えた事実、原告の母親を他の人々とともに強制的に集めた後、銃で射殺した事実が認められる」とし、「このような行為は明白な不法行為に当たり、原告に賠償請求権が認められる。被告大韓民国の消滅時効の抗弁は権利乱用に当たる」と述べた。
控訴審裁判所もまた「被告はベトナム戦争当時からこの事件の訴訟に至るまで、何の実体的根拠も提示してこなかったにもかかわらず、あたかも客観的調査を経て確認されたかのように『偽装攻撃』の主張を繰り返しており、中央情報部(現在の国家情報院)の調査資料を保管していながらも、納得できる理由もなく、証拠の提出を拒んでいる」として、政府の控訴を棄却した。
同訴訟で裁判所は、ベトナム民間人虐殺に対する韓国政府の賠償責任を初めて認めた。「ベトナム戦争問題の正義ある解決のための市民社会ネットワーク」は宣告後に立場表明文を発表し、「鼓舞的な判決」だとしたうえで、「1審で原告がすべての法的争点で勝訴し、被告大韓民国は控訴審で裁判結果を覆すほどのいかなる論拠も示していない。ついに実現した正義の過程であり結果だ」と強調した。
グエン・ティ・タンさんもベトナム現地で判決結果を聞き、市民団体を通じて「もう一度裁判で勝訴してとても嬉しい。ベトナム中部の他の虐殺被害村にも良い影響を与えるだろう」とし、「国防部はこれ以上控訴せず、裁判所の判決に承服すべきだ」というメッセージを送った。
キム・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2025-01-17 16:41
「The Hankyoreh」 2023-02-08 07:13
■ベトナム民間人虐殺「ハンギョレ21」初報道から23年後に認められた韓国の賠償責任
【写真】2000年6月27日午後、ソウル孔徳洞のハンギョレ社屋前で枯葉剤後遺症戦友会のメンバーたちが社屋から持ち出した事務用紙などを燃やしている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社
韓国軍によるベトナム戦争民間人虐殺事件は、1999年「ハンギョレ21」の報道で初めて知られた。報道の衝撃による反発は激しかった。2000年6月27日、枯葉剤後遺症戦友会のメンバー2000人余りがハンギョレ新聞社前の道路を占拠して放火を試みる一方、社屋に乱入して什器を壊し、社員たちを殴る事件が起きたのだ。
「ハンギョレ21」のコ・ギョンテ記者は翌年の2000年11月、30年ぶりに機密解除された米国国立文書保管所のベトナム戦争韓国軍虐殺関連文書と写真を入手し、世界で初めてフォン二ィ・フォンニャット村の惨劇を知らせた。コ記者はそれから10年あまりたった2013年1月と2014年2月にベトナムの村を再び取材し、翌年の2015年2月にその結果である著書『1968年2月12日』を出版した。
フォンニィ村に住んでいたグエン・ティ・タンさん(63)は、2015年に平和博物館の招待を受け、ベトナム戦争当時、韓国軍駐留地域の民間人虐殺生存者の中で初めて韓国を訪れた。2018年4月には民主社会のための弁護士会(民弁)と韓・ベトナム平和財団が開催した「ベトナム戦争民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」で、訴訟の原告として法廷にも立った。この法廷の裁判長を務めたキム・ヨンラン元最高裁判事は「大韓民国は賠償金を支払い、原告の尊厳と名誉が回復できるよう公式謝罪せよ」と判決を下した。
その後、民弁「ベトナム戦争民間人虐殺真相究明のためのタスクフォース(TF)」はグエン・ティ・タンさんを代理して2020年4月21日、ソウル中央地裁に大韓民国政府に対して3000万100ウォン(約310万円)の支払いを求める損害賠償請求訴訟を起こした。当時の記者会見で、グエン・ティ・タンさんはテレビ電話を通じて「韓国政府が民間人虐殺を認めない限り、被害者の苦痛を癒すことはできない。私をはじめとする多くの被害者の名誉が回復することを望んでいる」と語った。
【写真】2000年6月27日午後、ハンギョレ新聞社社屋前で「ベトナム参戦勇士による民間人虐殺」報道に不満を抱いた「枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーたちが集会を開いている。彼らは社屋の中に乱入して持ち出した事務用紙などを燃やしたりもした=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社
イ・ウヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-02-07 22:17