三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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ミッテ区議会、ベルリンの少女像存置求める決議案を可決…私有地への移転も検討

2024年09月21日 | 日本軍隊性奴隷
「The Hankyoreh」 2024-09-21 06:36
■ミッテ区議会、ベルリンの少女像存置求める決議案を可決…私有地への移転も検討

【写真】ドイツ・ベルリンのミッテ区役所前に登場した平和の少女像。19日(現地時間)、在独市民団体「コリア協議会」は約150人が参加する中、ミッテ区役所前で少女像の撤去に反対する集会を開き、少女像の存置を求めるスローガンを叫んだ=チャン・イェジ特派員//ハンギョレ新聞社

 ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の少女像(以下少女像)」の撤去期限が8日後に迫る中、ミッテ区議会が19日(現地時間)、少女像の存置を保障しなければならないという決議案を可決した。
 同日、ミッテ区議会はミッテ区役所が少女像を撤去せず、長期的にその場にとどめられるよう代案を設け、ベルリン市政府との協議に乗り出すべきという趣旨の決議案を賛成27票、反対15票、棄権7票で可決した。今回の区議会決議案は6月、ドイツ左派党と緑の党、社会民主党が発議した内容だ。それに先立ち5月、ベルリンのカイ・ベーグナー市長が日本外相に会い少女像問題を「解決」すると述べた後に行われたものでもある。区議会は今回の決議案で、少女像設置が市民社会の主導した重要な活動であり、戦時状況での性暴力問題を公に知らせた意義を認めた。
 また、少女像を現在の位置に永久的に保全してほしいという住民請願も賛成27票、反対16票で採択した。少女像を設置した在独市民団体「コリア協議会」がミッテ区住民3000人余りの請願を集め、区議会に提出したことに対する決定だ。
 区議会の決議案は区役所の執行可否に拘束力を持たない。しかし、コリア協議会が2020年9月に少女像を設置した後、約4年間、ミッテ区役所による撤去の圧力が続く過程で、区議会は少女像の存置を求める決議案を数回出し、区庁に圧力を加えようとした。ミッテ区は、少女像が設置された直後から続いた日本政府の強い抗議を受け、碑文や法的手続きなどを問題視し、撤去の方針を固守している。
 ただし、同日開かれた区議会で、ミッテ区役所は少女像を私有地に移す案を新たに提示した。ミッテ区のシュテファニー・レムリンガー区長は「結論的に私も少女像を保全したい。簡単にアクセスできる私有地なら(移転も)可能だ」とし、「コリア協議会が望むなら、地域内の私有地の中で少女像を設置できる他の土地を探してみる」と述べた。コリア協議会は、少女像の近くに博物館を作って、青少年たちと少女像の踏査および歴史教育プロジェクトを進めてきた。これに対し、コリア協議会のハン・ジョンファ代表は「ミッテ区役所との対話の扉は常に開かれている」とし、私有地への移転について話し合う意思を示した。
 区議会が開かれる間、コリア協議会の会員たちをはじめとする市民団体活動家とミッテ区住民、地域政治家約150人余りがミッテ区庁前で少女像を守るための集会も開いた。ミッテ区は少女像に代わる他の造形物を設置する案も議論しているが、集会ではこれに反対する声が大きかった。同日の集会で発言した後、区議会の表決に出た緑の党のシリン・クレッセ議員はハンギョレに「今は(少女像にとって)厳しい状況ではあるが、私たちは最善を尽くすつもりだ」とし、「より多くの人がミッテ区に少女像があることを望んでいるのに、(それに代わる)造形物を設置することはこの問題の解決策にはならない」と語った。
ベルリン/チャン・イェジ特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-09-20 08:51
https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/1158968.html
 

「The Hankyoreh」 2024-09-20 08:44
■台湾唯一の「慰安婦被害者像」撤去…土地使用期限が終了
 国民党議員、銅像の新たな設置場所の提供を要求

【写真】2018年、台湾台南市に慰安婦被害者像が設置された際、台湾の馬英九元総統が関連の式典に参加したときの様子=馬英九元総統のフェイスブックより//ハンギョレ新聞社

 台湾にあった唯一の慰安婦被害者像が18日に撤去されたと、共同通信などの日本メディアが台湾メディアを引用して19日に報じた。
 台湾南部の台南市にあったこの銅像は、土地の使用期限が終了したため倉庫に移されたと共同通信は報じた。銅像は「台南市慰安婦人権平等促進協会」という団体が2018年8月に設置した。土地は国民党の台南市の関係団体が保有する土地だったが、その後競売を経て企業に所有権が移り、土地の現在の所有者である企業が、土地の使用期限が切れたとして、銅像の撤去を要求した。国民党の台南市議員は市に銅像を設置する新たな場所を提供するよう要求した。
 銅像は両手を上げて抵抗する台湾の少女の姿を形象化したものだ。2018年の除幕式の際には国民党出身の馬英九元総統も参加し、「日本政府は必ず慰安婦被害者に正式に謝罪して賠償しなければならない」と述べたことがある。馬元総統は今年8月14日の「世界日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」のときも、この銅像の前で開催された式典に参加し、日本の賠償と謝罪を求めた。日本は第2次世界大戦中、植民地だった朝鮮と台湾、そして占領地だったフィリピンなどから多くの女性を軍慰安婦として連れていった。5月には、台湾で自身が慰安婦被害者だと明らかにした最後の生存女性が92歳で亡くなった。
チョ・ギウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-09-19 21:36


「The Hankyoreh」 2024-09-19 06:48
■「少女像撤去」ベルリン市ミッテ区、疑惑に包まれた代替オブジェ設置計画

【写真】日本軍「慰安婦」被害者追悼の日の先月14日(現地時間)、ドイツ・ベルリンのミッテ区にある「平和の少女像」の前で行われた集会。参加者たちが少女像の前に花を供えている=チャン・イェジ記者//ハンギョレ新聞社

 ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の少女像」(以下、少女像)の撤去を推進している同区のシュテファニー・レムリンガー区長は、この問題で韓国と日本の双方から圧力を受けているとし、それを「不当な介入」だと批判した。現地メディアが報道した。しかし最近、少女像に代わる戦時性暴力反対の意味を込めた新たなオブジェの設置をミッテ区に申請した団体はレムリンガー区長の関連団体だとの疑惑も提起されているため、撤去問題は波紋を広げている。
 ドイツの公共放送ベルリン・ブランデンブルク放送(RBB)は18日(現地時間)、レムリンガー区長が少女像の撤去に影響を及ぼそうとしている外部の介入を批判したと伝えた。報道によると、日本大使館は、少女像が存置された場合は東京とベルリン市の姉妹都市関係を終了しうるとの圧力を加えたとみられる。ただしRBBは、日本大使館はこのような疑惑を否定したと付け加えた。韓国については、今月4~7日に共に民主党のチュ・ミエ議員を団長とする野党議員団がミッテ区長を訪ねたことについて、懸念を表明した。レムリンガー区長はRBBに「外国の外交官と国会議員から圧力が加えられるのは不適切。この問題を議論してほしいという趣旨の書簡を議会上院と外務省に送ることにした」と語った。RBBは、レムリンガー区長は日本政府の圧力を受けて少女像を撤去するという印象を与えることは望んでいない、とも指摘した。
 これに対し、少女像を設置した在独市民団体「コリア協議会」のハン・ジョンファ代表は、「レムリンガー区長はこの問題を韓日の外交対立へと飛び火させている」とし、「日本は植民地加害国で韓国は被害国だったわけで、両国があたかも同等な位置から外交的立場を語っているようにみる視点そのものが間違っている」と述べた。
 ミッテ区は、少女像を撤去する代わりに、戦時性暴力被害者のための普遍的なオブジェを新たに設置する計画を明らかにしてきた。しかし、この推進過程も釈然としない。ドイツメディア「ノイエス・ドイチュラント(ND)」は、「紛争中の性暴力防止協会(SASVIC)」という団体が7月中旬にミッテ区にオブジェの設置を申請していたことを16日に報道した。この団体は現在に至るもウェブサイトを構築中の新生組織で、ミッテ区議会が少女像存置決議案を議論した翌日の6月21日に設立を届け出ている。今年5月にベルリンのカイ・ウェグナー市長が日本の外相と会談した際に少女像問題を「解決する」と表明し、像の存置が問題化した後でもある。
 コリア協議会は、同団体がオブジェ設置を申請した直後の7月19日にレムリンガー区長と面談し、少女像の存置を要請している。当時は新たなオブジェ設置を許可するかどうかを決める担当委員会の審査前であったうえ、レムリンガー区長はSASVICが申請したことも知らなかっただろうと、区の関係者はNDに語っている。だが、この面談に参加したハン代表らは、レムリンガー区長は、すでに「戦時性暴力の被害者を慰めるオブジェの設置が申請された」として、翌年4月に除幕式を行う予定だと述べていたと反論している。
 NDは、SASVICの2人の共同代表のうちの1人であるティロ・フックス氏がレムリンガー区長と同じミッテ区緑の党に所属していることにも注目する。ミッテ区左派党のイングリット・ベルテマン議員はNDに、フックス議員とレムリンガー区長は長いあいだ同じ派閥に所していた、互いによく知っている間柄であると確信していると語っている。同団体のもう1人の共同代表であるダニエル・ウォルター氏は現在、コンサルティング企業に所属しており、過去に軍需企業「エアバス・ディフェンス・アンド・スペース」の子会社での勤務歴を持つ人物だ。
 SASVICは、英国の彫刻家レベッカ・ホーキンス氏の作品を新たなオブジェとして設置する計画だ。韓国の「慰安婦」をはじめ、イラクの少数派ヤジディ教徒、ルワンダやウクライナなど16カ所の戦時性暴力の被害者を象徴するオブジェを建てるという。ホーキンス氏は、ベトナム戦争で韓国軍に性暴力を受けた犠牲者のための英国の市民団体「ライタイハンに正義を」の理事会の構成員でもある。ホーキンス氏は「特定の生存者の集団ではない全世界のすべてのグループ(戦時性暴力被害者)を追悼するためのもの」だとし、今回のオブジェ設置申請は少女像撤去とは関係ないと語っている。

ベルリン/チャン・イェジ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-09-18 18:04
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「韓国2大労組 独大使館前でベルリン少女像の撤去に反対」

2024年09月12日 | 日本軍隊性奴隷
「聯合ニュース」 2024.09.11 15:02
■韓国2大労組 独大使館前でベルリン少女像の撤去に反対
【ソウル聯合ニュース】ドイツの首都ベルリン市内にある旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の撤去期限が28日に迫るなか、韓国労組の二大全国組織は11日、ソウルのドイツ大使館前で撤去反対を訴えた。

【写真】在韓ドイツ大使館前で行われた記者会見の様子=11日、ソウル(聯合ニュース)

 全国民主労働組合総連盟(民主労総)と韓国労働組合総連盟(韓国労総)は、慰安婦被害者を支援する韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」と共にドイツ大使館前で記者会見を開き、少女像の設置を認める期限(28日)以降の像の存続を求めた。
 主催者は、ドイツ政府は過去の戦争犯罪の過ちを償うために努力してきたが、少女像を撤去することになれば、このような努力は水の泡になると主張した。 
 正義連の李娜栄(イ・ナヨン)理事長は「少女像は苦痛を受けながら息を殺して生きなければならなかった数多くの被害者と、その人たちの勇気を象徴する」として「帝国主義の過去から抜け出し人類普遍の価値を実現するために努力してきたドイツに少女像がなければならない理由」と強調した。 
 記者会見に参加した野党「祖国革新党」の国会議員は「少女像撤去の動きは全世界で平和と人権を守るために努力する多くの市民を見捨てる行為」とし「平和の少女像は全世界の平和人権のための連帯の象徴であるため永久に存置されなければならない」と要求した。 
 李理事長は記者会見後、ドイツ大使館を訪れ、少女像の存続を求める内容が盛り込まれた韓国とドイツの労働団体の共同声明を伝える書簡を伝達した。


「The Hankyoreh」 2024-09-09 08:59
■ベルリンの少女像存置のために訪独した韓国野党議員団…「代案検討を約束された」
 連邦議会レベルでも代案の検討を約束

【写真】6日(現地時間)ドイツのベルリン韓人会で「国会ベルリン平和の少女像を守る国会議員団」が会見をしている。左から民主党のキム・ヨンマン議員、祖国革新党のイ・ヘミン議員、民主党のチュ・ミエ議員、イ・ジェガン議員、チョン・ヨンギ議員//ハンギョレ新聞社

 ドイツ・ベルリンのミッテ区にある「平和の少女像」(以下、少女像)の撤去期限まで3週間ほどに迫るなか、韓国の野党の国会議員団がドイツを訪問し、ベルリン市と連邦議会のレベルで少女像存置のための「代案を検討する」という返事を得たことを明らかにした。
 「国会ベルリン平和の少女像を守る国会議員団」(「共に民主党」のチュ・ミエ議員、チョン・ヨンギ議員、イ・ジェガン議員、キム・ヨンマン議員、「祖国革新党」のイ・ヘミン議員。以下議員団)は6日(現地時間)、ベルリンの韓人会館で記者団に4~7日間の日程で訪独した成果を伝えた。議員団は5~6日の2日間、ミッテ区のシュテファニー・レムリンガー区長をはじめ、ベルリン市と連邦下院を相次いで訪問し、少女像の存置の必要性とそれに対する韓国世論を伝えたと述べた。特に、連邦下院の社会民主党所属で家族高齢者女性青少年委員会のウルリケ・バッハ委員長との面会で、バッハ委員長は「下院議員たちとともに、少女像を保存するための方策を要請してみる」と述べ、議員団との連絡チャンネルを維持し今後の代案を議論できるようにした。議員団の団長のチュ・ミエ議員は、家族や隣人、国家から捨てられた少女の姿をした銅像が象徴するものを説明し、「政治家として、私たちがまず動かなければならないのではないか」とバッハ委員長を説得したと語った。
 少女像の撤去など行政執行の実質的な権限はミッテ区にあるが、連邦議会レベルで少女像に関する議論を始める意向を明らかにしたのは、今回が初めて。ミッテ区では、区議会レベルで2020年から数回にわたり少女像の存置を求める決議案を出し、区庁に圧力をかけてきた。
 議員団はこの日、ミッテ区のレムリンガー区長にも面会して書簡を渡し、少女像撤去を保留してほしいと要請した。団長のチュ・ミエ議員は、レムリンガー区長に「(少女像は)法的・行政的手続きでだけで扱うテーマではない。戦時性暴力に対する過去の問題だけでなく、現在直面する問題、さらには、これからはそれを予防しようという(メッセージを込めた)市民的な平和連帯の象徴になっていると(レムリンガー区長に)伝えた」と述べた。議員団は書簡に「少女像は韓日両国の過去の歴史の論争の種を作ることが目的ではない」として、「少女像が外交事案として浮き彫りになることをベルリンが不都合に思うのであれば、世界の市民から多くの抗議にあうだろう」と書いた。レムリンガー区長は、今回の面会では原則的な立場を示したという。区長は、少女像の設置期限が終わる今月28日までに、少女像を建てたドイツの市民団体「コリア協議会」が銅像を撤去しなければ、過料を科す予定だと通知した状態だ。
 議員団はベルリン市との面会でも、州政府レベルでの努力を要請した。チュ議員は「ベルリン市の外交担当次官は、少女像の象徴性、芸術性、公共性などに深く共感した」として、「(撤去に関しては)管轄区庁の行政執行の領域だが、少女像の存置を望む韓国国民の世論を受け止め、代案を検討してみると言っていた」と述べた。ベルリン市のカイ・ウェグナー市長は5月に日本を訪問し、上川陽子外相との会談の場で「変化を作ることが重要だ」として、少女像問題を解決するという趣旨の発言をし、物議を醸した。
 これに対して、少女像を建てたドイツの市民団体「コリア協議会」は5日(現地時間)、ベルリン市庁舎の前でウェグナー市長の辞任を求め、「ウェグナー市長は、日本政府のために自身の政治的影響力を使うのではなく、ベルリン市民の要求に集中しなければならない」と主張した。さらに、ウェグナー市長が「日本政府と対立が生じる可能性がある」として、コリア協議会の『慰安婦』教育プログラムの基金への支援中止の圧力をかけた疑惑についても、調査をベルリン市議会に要求した。ドイツメディアは、日本大使館がプログラムへの支援可否の決定に影響を与えるために、関係する審査員に食事を提供したとも報じた。最終的にベルリン市は、3年間続いたプログラムへの支援を打ち切った。このプログラムに参加したフリッツ・カールセン学校の歴史教師のサシャ・マルティノビィッチさんは「少女像を通じて、生徒たちは『慰安婦』としての同性の苦痛を学ぶとともに、彼女たちの勇気も学んだ」として、「民主的決定を経るべきことが、国家的、政治的利害関係の道具になったという事実は驚くべきことだ」と批判した。

【写真】5日(現地時間)、ベルリン市庁舎の前でベルリン市のカイ・ウェグナー市長の辞任を求めて集会を開いたドイツの市民団体「コリア協議会」//ハンギョレ新聞社

文・写真:ベルリン/チャン・イェジ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/1157418.html
韓国語原文入力:2024-09-08 11:27


「The Hankyoreh」 2024-09-09 07:40
■日本軍「慰安婦」被害女性が死去…残る生存者は8人
 8人の生存被害者の平均年齢は95歳

【写真】日本軍「慰安婦」被害者追悼の日を翌日に控えた先月13日、京畿道広州市のナヌムの家のすでに故人となった被害女性たちの胸像の前に、花が供えられている/聯合ニュース

 日本軍「慰安婦」被害女性がまた1人死去した。これで政府に登録されている生存被害者は8人のみとなった。
 正義記憶連帯は7日、日本軍「慰安婦」被害者のAさんが前日に死去したことを発表した。
 正義記憶連帯によると、Aさんは18歳の時に縫製工場に就職するために友人と行った中国で日本軍「慰安婦」とされた。Aさんは1945年の解放後も帰国できず、2000年代初めにようやく故国に戻って家族と再会した。Aさんは政府に日本軍「慰安婦」被害者として登録し、その後、水曜デモへの参加や国外での証言など、日本軍「慰安婦」問題の解決に向けた活動に積極的に参加してきた。
 正義記憶連帯は、遺族の意向により被害者の氏名などは公開せず、葬儀も非公開で行うと明かした。
 女性家族部のシン・ヨンスク次官はこの日、「また日本軍『慰安婦』被害者をおひとかた見送ることになり、非常に胸が痛い」とし、「故人の逝く道に最大限の礼儀を尽くす」と述べた。続けて「今や政府登録被害者で生存者はたった8人となった」として、「日本軍『慰安婦』被害者の方々が安らかな余生を送れるよう細心に配慮するとともに、被害者の名誉と尊厳を回復するための記念事業も持続的に推進していく」と述べた。
 これまでに政府に登録されている日本軍「慰安婦」被害者は240人で、この日までに232人が死去し、生存者は8人。8人の生存者は全員が94~96歳で、平均年齢は95歳だ。居住地域はソウル、大邱(テグ)、仁川(インチョン)、慶尚北道、慶尚南道が各1人、京畿道が3人。
チョン・インソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-09-07 16:31


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20240906000700882
「聯合ニュース」 2024.09.06 09:56
■撤去危機のベルリン少女像 現地市民らが市長辞任を要求
【ベルリン聯合ニュース】ドイツの首都ベルリン市内にある旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」が撤去の危機にある中、市庁舎前の広場で5日午後(現地時間)、現地の韓国系市民団体「コリア協議会」などが主催した集会が開かれ、参加者らは像の存続と同市のウェグナー市長の辞任を求めた。


【写真】ベルリン市庁舎前の広場で行われた集会で、平和の少女像の存続とウェグナー市長の辞任を求める参加者ら=5日、ベルリン(聯合ニュース)

 市当局は今月28日を少女像の撤去期限としている。
 2020年9月の少女像設置を主導したコリア協議会は「ウェグナー市長は日本政府のために自身の政治的影響力を使うのではなく、市民の要求に集中すべきだ」と主張した。
 ドイツの公共放送rbbは先月、ウェグナー市長が日本政府との紛争が生じる可能性を理由に、コリア協議会の青少年人権教育プログラム支援の可否を審査する諮問委員会に対し予算を削減するよう圧力をかけたと報じた。
 同協議会は、ウェグナー市長が日本企業の投資誘致のために予算審査に不当に介入したとして、関連疑惑を徹底的に調査するようベルリン市議会に要請した。
 青少年人権教育プログラムは予算削減により5月に中止された。同プログラムに講師として参加した歴史教師は「重いテーマであるにもかかわらず学生たちが熱心に参加し、教育者としてとても感動した」とし、民主主義社会で教育に対する政治的影響力を最小化すべきだと語った。
 一方、韓国の最大野党「共に民主党」と野党「祖国革新党」の国会議員5人は同日、ベルリン市を訪問し、同市当局者と面談するなど少女像存続に向けた活動を行った。6日には少女像がある同市ミッテ区を訪れ、行政処分の権限を持つ同区長に対し像を撤去しないよう要請する予定だ。
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「韓国全国に「平和の少女像」約150体 政府が実態調査」

2024年09月04日 | 日本軍隊性奴隷
「聯合ニュース」 2024.09.02 16:00
■韓国全国に「平和の少女像」約150体 政府が実態調査
【ソウル聯合ニュース】韓国女性家族部は2日、全国の広域自治体(17市・道)を対象に、旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の実態調査を実施中だと発表した。

【写真】ソウルの日本大使館付近に設置された平和の少女像(資料写真)=(聯合ニュース)

 実態調査は、被害者に関する虚偽情報の流布を処罰する規定が盛り込まれた法案が提出されたことを受け、関連情報を把握するために実施された。少女像の損壊を防ぐ目的もある。調査の範囲には中央官庁と地方自治体の主導で設置された少女像だけでなく民間団体が建てた少女像も含まれる。
 同部は「政府レベルで少女像の状況を把握するのは今回が初めて。正確ではないが、全国に設置された少女像は150体余りと推定される」と説明した。


「聯合ニュース」 2024.08.23 16:31
■少女像周辺で座り込み 大学生らに二審も罰金刑=韓国
【ソウル聯合ニュース】韓国のソウル中央地裁は23日、在韓日本大使館近くに設置された旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の周辺で座り込みを行った罪などに問われた大学生ら6人の控訴審で一審と同じくそれぞれ30万~200万ウォン(約3万2600~21万7000円)の罰金刑を言い渡した。

2020年6月、少女像の周辺で集会を行う学生団体=(聯合ニュース)
 6人の被告のうち4人は革新系の学生団体「反日行動」のメンバーで、2020年6月、警察が少女像の周囲に設置した規制線の内側に入って少女像をひもで縛ったりスローガンを叫んだりしたとして集会およびデモに関する法律違反などの罪に問われた。
 裁判所は「被告人らは少女像を保存するために集会を開いたと主張するが、目的を勘案しても正当な行為と判断するのは難しい」と説明した。
 4人は20年7月、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためにソウル市鍾路区が設定した集会制限区域内でイベントを開催したとして感染症予防法違反の罪にも問われた。
 残りの2人はイベントや別の集会に参加した罪に問われた。


「The Hankyoreh」 2024-08-31 16:18
■「ドイツ帝国」の道と平和の少女像【特派員コラム】

【写真】23日(現地時間)ドイツのベルリン・ミッテ区の「アフリカ地区」で、19世紀にドイツ植民地を占領したカール・ペータースにちなんだ「ペータース通り」の名称を変えるイベントに参加した人たち=市民団体Decolonize BerlinのXより//ハンギョレ新聞社

 都市全体が「記憶の空間」と呼ばれるドイツのベルリンには、ドイツ帝国時代が垣間見られる空間もある。ベルリンのミッテ区のベディング地区にある「アフリカ地区」だ。そこには、植民地の人たちを「人間博物館」に展示しようという企画を作りだしたドイツ帝国の記憶が埋め込まれていた。19世紀にドイツ領東アフリカ(タンザニア・ブルンジ・ルワンダなど)の植民地管理を総括したカール・ペータースによる苛酷な統治によって「血の手」「絞首刑執行人ペータース」と呼ばれたが、ドイツでは帝国のために献身した人物として評価された。彼の名前にちなんだ通りの名前である「ペータース通り」(Petersalle)がアフリカ地区を通っていた。
 アフリカ諸国とドイツ植民地の「開拓英雄」たちの名前は、アフリカ地区のいたる所で通りの名称として名が刻まれている。ここに根を下ろしたアフリカ系移民たちは、平穏を甘受すべき空間の前で、常に「加害者の歴史」に直面することになる。
 ところが、8月23日にペータース通りの前で小さな祭りが開かれた。カール・ペータースの名を消し、2つの新たな表示板を取り付けるためだった。ドイツの植民地支配に対抗したタンザニア人の抵抗運動の名前から取った「マジマジアルレ」(Maji-Maji-Alle)と、同じくドイツの植民地だったナミビアのアパルトヘイト(「分離」を意味する人種差別政策)に反対した女性活動家のアンナ・ムングンダの名前からとった表示板だ。脱植民主義の活動家たちの長きにわたる要求とミッテ区議会の決定、法廷闘争の末に勝ち取った成果でもあった。
 植民地主義の歴史を示す通りの名称は、次々と新たな名前に置き換えられてきた。ある活動家はドイツメディアのインタビューで「アフリカ地区は、今や反植民地の空間に変わった」と自負を示した。しかし、72歳のタンザニア出身の活動家のムンヤカ・スルル・ムボロさんは、このようになるまで「40年の時間がかかった」と語った。
 都市は変わっているのだろうか。カール・ペータースが消えたこの町角から約3キロメートル離れたところには、日本軍「慰安婦」被害を象徴する平和の少女像が撤去の危機に直面している。そこでは「アリ」という名で呼ばれる少女像は、4年前にミッテ区の公共の敷地に建てられ、日本政府の圧力にもかかわらずその場所を守っていたが、ミッテ区庁は「これ以上の期間延長は不可」として、少女像を設置した市民団体に9月末までに撤去するよう要求している。この決定を撤回するよう請願したミッテ区民の数は、いまや3000人を超えた。あるアフリカ系男性は少女像の前で、旧ドイツ軍による性的暴行を受けて妊娠した自分の祖母の話をしたという。彼はアリが自分の妹のように感じられると語った。少女像を建てたコリア協議会は、昨年もベルリンの地域社会の学校や青少年団体で子どもたちに会い、日本を越えてドイツやルワンダなどで発生した植民地時代の戦時性暴力問題を話した。
 この場所で少女像が単なる韓日関係や歴史的対立の手段として片付けられない理由は、ミッテ区のドイツ人たちが語っている。ミッテ区のシュテファニー・レムリンガー区長は、カール・ペータースの名が町から消えたことは「正しくて良いこと」だとしながらも、市民社会に感謝を示しながら「非常に長くかかったことを後悔する」と述べたという。少女像に向けられた区長の最後の返事が気になる。

チャン・イェジ|ベルリン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-08-29 19:42


「The Hankyoreh」 2024-08-05 07:22
■【社説】佐渡鉱山の「外交惨事」に続き、「慰安婦消し去り」も黙認するのか

【写真】ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の少女像」=ベルリン/チャン・イェジ特派員//ハンギョレ新聞社

 日本軍「慰安婦」問題の真実を伝えるために韓独の市民社会団体がおこなってきた様々な事業を中止させることを狙った日本政府の攻勢が、一つ二つと効果をあげつつある。4年前にベルリンのミッテ区に設置された「平和の少女像」を来月末までに撤去せよとの決定を引き出したのに続き、最近では4月に韓国系人権団体がおこなった慰安婦教育事業に対する支援の中止決定の過程に深く介入していたことが確認された。佐渡鉱山で大きな「外交惨事」を引き起こした尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は、戦時に女性に加えられた残酷な「戦争犯罪」である慰安婦問題に対してだけは、明確な立場をもって日本に反対しなければならない。
 ドイツの公共放送であるベルリン=ブランデンブルク放送(RBB)は3日(現地時間)、在ドイツ市民団体「コリア協議会」の申請した8万7000ユーロ(約1390万円)規模の「慰安婦」教育プログラムに対する支援が今年4月に不許可とされたことに、ベルリンのカイ・ウェグナー市長が影響を及ぼしたと報道した。RBBは消息筋の話を引用して、ウェグナー市長は市のプログラムに対する支援の可否を最終決定する諮問委員会のある委員に連絡し、「日本政府との対立が生じる恐れがある」として、同団体の申請を不許可とするよう要求したと伝えた。日本政府がドイツの自治体に圧力をかけ、慰安婦問題の真実を伝えようとする現地の市民団体の活動を中止させたわけだ。
 日本政府はこれまで、2020年9月に韓独の市民社会団体の協力によって同市ミッテ区に設置された少女像を、執ように撤去させようとしてきた。日本の岸田文雄首相が2022年4月にドイツのオラフ・ショルツ首相との会談の際に撤去を要求したほか、ベグナー市長は今年5月の上川陽子外相との会談で、「物議を醸しているベルリンの少女像問題に対する解決策を提示した」として撤去の可能性を強く示唆した。NHKは先月12日、ベルリン市が9月28日以降に少女像を撤去するよう同団体に求めたと報じた。コリア協議会のハン・ジョンファ代表はハンギョレに「日本政府が教育事業まで妨害するとは思わなかった」と語った。
 産経新聞などの日本メディアは2014年ごろから、慰安婦問題について「歴史戦」という表現を使って政府の積極的な対応を求めてきた。だが尹錫悦政権は、2015年12月の「慰安婦合意」の際に「第三国内での少女像設置を支援しない」とした、いわゆる「裏合意」を口実として、日本の「歴史歪曲」を沈黙をもってほう助している。尹政権は、戦争犯罪の真実を伝えようとする世界市民の側に立ち、歴史の真実を隠そうとする日本の動きを阻止しなければならない。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
勧告後韓国語原文入力:2024-08-04 19:00


「The Hankyoreh」 2024-08-05 07:27
■「少女像撤去の危機」のベルリン、「慰安婦」教育プログラムにも支援中断

【写真】ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の少女像」=チャン・イェジ特派員//ハンギョレ新聞社

 ドイツのベルリンに設置された「平和の少女像」(以下少女像)が撤去の危機に直面した中、ベルリン市長が日本政府との軋轢(あつれき)を懸念し、市民団体の「慰安婦」教育プログラムに対する支援も中断するために圧力を加えたというドイツ現地メディアの報道が出た。結局このプログラムは支援が途絶え、この過程で日本大使館が影響力を行使しようとしたという疑惑も持ち上がった。
 ドイツの公共放送である「ベルリン=ブランデンブルク放送(RBB)」は3日(現地時間)、ベルリンのカイ・ウェグナー市長がドイツの市民団体「コリア協議会」が申請した8万7000ユーロ(約1390万円)規模の「慰安婦」教育プログラムへの支援を許可しないよう影響を及ぼしたと報道した。同放送はある消息筋の話として、ウェグナー市長が市のプログラムへの支援の可否を最終決定する諮問委員会のある委員に連絡し、日本政府と軋轢が生まれかねないとして、コリア協議会の申請を断るよう求めたと報じた。同放送はこのような内容が匿名を要求した「複数の消息筋」によって確認されたとも付け加えた。
 コリア協議会は、ベルリン市が支援する文化教育のための基金を申請したが、4月に脱落した。基金は芸術家と教育者で構成された審査団の評価を経て、これをもとに11人で構成された諮問委員会が決めて支給する構造だ。諮問委員会はベルリン市上院など市政府の内部委員と外部委員で構成される。評価過程で審査団はコリア協議会プロジェクトへの支援を推薦したという。
 しかし、ウェグナー市長が諮問委員会に連絡した後に行われた表決で、コリア協議会のプロジェクトは支援対象から除外された。ベルリン市上院はこれに対するRBBの質問に対し、「プロジェクト(支援するかどうか)の決定は共同で、多数決によって行われる。委員会は一般に公開されないため、決定に関する内容については答えられない」と述べた。ただし、ハンギョレが確認した文書によると、ベルリン市は先月26日、社会民主党(SPD)のマルセル・ホープ議員が今回のプロジェクトが支援対象に含まれなかった理由を尋ねる質疑に「(プロジェクトに対する)多様な観点をめぐり議論が交わされた。ベルリンは女性に対する性暴力イシューを重要視しているため、この事案は慎重に扱われた」と答えたと明らかにしている。
 コリア協議会が基金支援対象から除外された後の5月、ウェグナー市長は日本の上川陽子外相と面会した際、「変化を作ることが重要だ」として少女像の撤去を示唆する発言をし、少女像撤去を求める主張を後押しした。
 諮問委員会の決定に日本大使館も影響を及ぼそうとした情況も報道で明らかになった。日本大使館がベルリン中心部のポツダム広場にある5つ星ホテルに諮問委員数人を招待し食事をしたということだ。この内容を伝えた消息筋は、「当時、大使館の文化分野担当官が、最初は諮問委員の活動に関心を示していたが、話題を変えてコリア協議会のプロジェクトに反対票を投じるよう説得した」と語った。
 この夕食会に招待された委員らは、実際の表決ではコリア協議会の支援に賛成したが、ベルリン市政府と関係のある委員らが反対票を投じたため、コリア協議会は支援の対象から外されたと、RBBは報じた。
 日本大使館側は夕食会への招待について答弁しなかった。しかし「(コリア協議会の)プロジェクトは少女像を一方の話だけを伝える用途に使われている」とし、「アジアに対する知識が多くない若いドイツ人に反日感情を植え付けている」とRBBに述べた。
 コリア協議会がベルリン市に予算支援を申請したプログラムは「私の隣りに座って」という名前のプロジェクトで、すでに2021年から今年上半期までベルリン市の補助金を受けて進めてきたプロジェクトの延長だった。このプロジェクトは、性暴力被害女性たちが自ら声を上げた「慰安婦」被害の歴史を、青少年に教育することから始まる。コリア協議会がミッテ区に設置した少女像を見学し、芸術家とコラボして戦時性暴力問題と関連した作品を作る活動を支援する。市民の後援を通じて主に運営されるコリア協議会は、財政難の解消および歴史教育のためにベルリン市の支援を受けており、今回は6区で8つの青少年団体とともに活動する計画もあった。
 同プロジェクトを主導したコリア協議会のハン・ジョンファ代表はハンギョレに「日本政府の少女像(撤去)圧力は承知していたが、教育事業まで妨害するとは思わなかった」とし、「ドイツの政治家たちもまた日本の(要求に)同調者になったわけで、その点にさらに失望した」と語った。
ベルリン/チャン・イェジ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-08-04 19:41


「中央日報日本語版」 2024.08.01 17:57
■韓国最高裁「ナヌムの家、後援金払い戻すべき」…返還訴訟終盤で覆す
 慰安婦被害者支援施設である「ナヌムの家」の後援者に返すべきという最終判断が出された。韓国大法院(最高裁)は1日、慰安婦被害者後援金返還訴訟対策会がナヌムの家の運営者である社会福祉法人大韓仏教曹渓宗ナヌムの家を相手に起こした後援金返還訴訟で、原告敗訴と判断した原審を破棄し事件をソウル中央地裁に差し戻した。

◇「慰安婦被害者後援目的と使用が不一致…取り消しの理由」
 大法院は「ナヌムの家が表示し後援者が認識した後援契約の目的と後援金の実際の使用現況の間に錯誤と評価できるほどの不一致が存在する。後援者が錯誤に陥らなかったならば後援契約締結に至らなかっただろう」と指摘した。「法律行為内容の重要部分に錯誤がある時には取り消すことができる」という民法第109条に該当するという趣旨だ。
 裁判所が指摘した錯誤は「後援の目的」だ。ナヌムの家は後援金を受けながら、①慰安婦被害者福祉②慰安婦歴史館建設③国際平和人権センター建設――などそれぞれの目的に使われる口座を別々に記載し、原告は①慰安婦被害者福祉口座に後援した。だが「多くの後援金が特定建物の建設用途として法人に留保されている。原告の認識と一致しない」と判断した。
 訴訟は2020年に尹美香(ユン・ミヒャン)元議員が理事長を務めていた正義記憶連帯の会計不正議論から始まった。ナヌムの家は正義連とともに日本軍慰安婦被害者を支援する2大団体のひとつだ。正義連問題の直後にナヌムの家の職員が国民権益委員会などにナヌムの家運営陣の不正運営疑惑を提起し事件が公論化した。
 事件を調査した京畿道(キョンギド)官民合同調査団は2020年8月、「2015~2019年の後援金89億ウォンのうち慰安婦被害者が生活しているナヌムの家に送られた金額は2.3%の2億ウォンにすぎなかった。法人と施設の会計処理と運営が分離できていなかった」と発表した。国家人権委も同年10月、「ナヌムの家で多くの人権侵害事実を確認した」と明らかにした。
 こうした状況を基に対策会所属の50人ほどがナヌムの家と正義連を相手に「被害者のために使用しないのに後援者をあざむいて後援金を募集した」として9000万ウォンの返還を求める訴訟を提起した。ただ正義連に対する訴訟は1審の途中で尹元議員の刑事事件(横領・背任容疑)裁判が別に進行中である関係から分離し、ナヌムの家を相手取った原告23人だけが残った。
 2022年12月の1審で裁判所は「ナヌムの家が後援金を慰安婦被害者支援に使う意思がなかったのに原告をあざむいたり錯誤させて後援契約を締結させたとは見がたい」として原告敗訴の判決を下した。「後援者がナヌムの家という施設にだけ使われるよう目的を限定して後援したものと断定しがたい」という理由からだ。「ナヌムの家ではない所で生活する慰安婦被害者支援も社会福祉活動領域に該当する」という次元だ。
 また、裁判所は「後援金89億ウォンのうち2億ウォンだけ施設に支出した」という事実は認めながらも、「ナヌムの家は留保された後援金を必要な場合いつでも慰安婦被害者のために使う計画であることを明らかにした」点も指摘した。昨年11月の2審で裁判所はやはり「1審判決は正当だ」としてこれを維持した。
 大法院関係者はこうした原審を覆した最終判断に対し、「後援者が認識した契約の目的と後援金の実際の使用現況の間に錯誤と評価できるほどの程度の不一致が存在する場合、契約を取り消すことができると判断したもの。行為当時の将来に対する認識が実際の事実と違うならば錯誤に該当するとみたもの」と説明した。


「 中央日報 日本語版」 2024.08.01 11:05
■ドイツ市民2216人「ベルリンの少女像を守ってほしい」請願
 ドイツ・ベルリン市民約2000人が撤去の危機に置かれた平和の少女像を存置してほしいと請願した。
 在独市民団体コリア協議会は31日(現地時間)、少女像があるベルリン・ミッテ区の住民2216人が署名した請願を区議会に提出した。
 住民たちは「少女像は特に若者たちに生きている記憶と学びの場所」とし「学生や研究者、芸術家たちが性暴力と植民主義、記憶文化について討論している。このような意味と参加を尊重し、少女像を永久に存置しなければならない」と求めた。
 ミッテ区役所と区議会は規定上、地域問題に対して1000人以上の住民が請願すれば正式案件として扱わなければならない。
 ベルリンの少女像は2020年9月の設置直後、日本側の問題提起で区役所が撤去を命令したが、コリア協議会が裁判所に仮処分を申請して保留された。
 その後、1年ずつ2回にわたって特別許可を得て席を守った。区役所は許可期間が終わった2022年9月以降には裁量で容認してきたという立場だ。
 区議会はこれまで少女像の永久存置を求める決議案を数回採択してきた。しかし区役所は少女像を設置したコリア協議会に過怠金を課するとして、9月28日までに自主撤去を求めた。


「聯合ニュース」 2024.07.12 13:49
■慰安婦被害者が暮らす「ナヌムの家」 記念館への転換模索=入居者全員が施設離れる
【広州聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者が共同生活を送る韓国・ソウル近郊の施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)の入居者全員が施設を離れたことが、12日分かった。

「ナヌムの家」に故人となった被害者の胸像が設置されている=(聯合ニュース)
 施設側と広州市によると、2022年12月に入居者の一人、李玉先(イ・オクソン)さんが死去した後は3人が施設に残っていたが、今年2月に相次いで健康状態が悪化。翌月にかけて全員が療養施設に移された。今後施設に戻る可能性は薄いという。
 施設を運営する社会福祉法人「大韓仏教曹渓宗ナヌムの家」は、施設全体を「慰安婦記念歴史館」に転換する計画だ。ナヌムの家の代表理事を務める性華(ソンファ)僧侶は「生活施設の一部はそのまま残して展示室として使用し、食堂などは用途変更工事を行って施設全体を記念歴史館にすることを検討している」と述べた。
 現在、ナヌムの家は療養施設として登録されているが、記念歴史館の運営は社会福祉事業法で規定された事業に該当せず、社会福祉法人が運営することはできなくなる。性華僧侶は、国または地方自治体が運営するか、ナヌムの家と他の特殊法人が共同で運営する方式のいずれかになるだろうとして、近く曹渓宗内部で会議を行って決定すると説明した。
 また、これまでは宗教的観点からつらい経験をした慰安婦被害者を支援することに集中してきたが、今後は戦争を知らない世代に歴史の痛みと弱小国の苦痛を伝え、国の大切さを知らせる施設として生まれ変わると強調した。

【写真】昨年8月、「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」の記念式典に出席した被害者(中央)=(聯合ニュース)
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「日本軍『慰安婦』問題は女性の人権に反する犯罪の問題」

2024年08月30日 | 日本軍隊性奴隷
「The Hankyoreh」 2024-08-29 07:50
■「日本軍『慰安婦』問題は女性の人権に反する犯罪の問題」
 『「慰安婦」、より多くの論争を行う責任』を出版した梨花女子大学のキム・ウンシル名誉教授

【写真】『「慰安婦」、より多くの論争を行う責任』を出版した梨花女子大学のキム・ウンシル名誉教授=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「日本軍『慰安婦』被害女性たちはこの30年あまり、自分たちの被害を証明するために絶えず(被害事実を)語らなければなりませんでした。この証言を聞いた知識人たちは、それに答える責任があります。今回の本は、被害女性たちの言葉に対するフェミニストの知識人たちの回答です。女性学者たちが『慰安婦』被害者たちの抱えてきた苦しみの問題にそれなりに答えつつ、『慰安婦』問題を次の段階の問いへと持っていこうとしたのです」
 最近、仲間の女性学者たちと共に『「慰安婦」、より多くの論争を行う責任』(ヒューマニスト)を出版した梨花女子大学女性学科のキム・ウンシル名誉教授はこう語った。
 同氏は米カリフォルニア大学(UCSF)で人類学の博士号を取得して帰国した1993年に、「民族言説と女性」と題する論文を発表して注目を集めた。韓国の「慰安婦」言説が民族主義言説に圧倒されている現実を指摘するとともに、女性主義的視点の必要性という論点を提示した文章だった。「民族主義と妄言の敵対的共存を超えて」という副題のついた今回の著書は、31年前に世に示されたその問題意識の一つの結論だ。
 今月22日午前、ソウル西大門区(ソデムング)の梨花女子大学韓国女性研究院でキム教授にインタビューを行った。
 同氏がまとめた今回の本には、中部大学のクォン・ウンソン教授やソウル女子大学のキム・シン・ヒョンギョン教授ら、計11人の研究者が筆者としてかかわった。日本の文教大学の山下英愛教授は「山下と英愛の間で」という文章で、「1990年代の慰安婦運動は、民族的被害を掲げることで『慰安婦』被害者が性暴力で負った傷に注目することを難しくした」とし、「(『慰安婦』被害女性たちが)被った被害は民族的被害には還元できない」と述べている。
 「被害者の抱える心の傷は肉体的な傷に比べて目に見えないという点で認識しにくいが、民族問題という視点を強く掲げれば掲げるほど、このような側面は把握が困難になる」ということだ。
 チョン・ヒジン元梨花女子大学招聘教授は、韓国の「慰安婦」運動で見られる「強制性の過度な強調」に注目する。同氏は、「軍『慰安婦』運動は今も(被害女性たちが自発的契約ではなく連行されたという) 強制性の問題を絶えず防衛し論証しなければならない状況に置かれている」と指摘し、「女性に対するジェンダーを基盤とする暴力の連続的構造、すなわち家父長制の中で日常を営む女性たちにとって、強制と自発の区分は虚構」だと指摘する。「強制性の過度な強調は、被害者個人の生を削除する」とも述べている。
 釜慶大学のホ・ユン教授は、「被害女性たちの話はどのように物化されるか」と題する文章で、日本政府の反発でより力を得る平和の少女像建設運動を批判的に省察した。少女像が純潔な被害者像を再生産して様々な立場と位置にあった日本軍「慰安婦」の存在を典型化することで、結果的に無垢で純潔な犠牲者以外の被害者を認めない考え方につながる恐れがある、というのが同氏の考えだ。

【写真】『「慰安婦」、より多くの論争を行う責任』//ハンギョレ新聞社

 キム・ウンシル教授は序文「戦時性暴力を改めて問う」で、「東京裁判(極東国際軍事裁判、1946~48)で『慰安婦』問題を戦争犯罪として扱わなかった(米英ソなどの)連合軍側にも責任を問わなければならない」と述べる。
 同氏は「東京裁判に提出された連合軍の文書には、慰安所などについての言及がかなり多く残っている」とし、今からでも連合軍の責任を問うことが「慰安婦」をめぐる韓日のこう着状態を解く糸口になりうるとしている。
 「『慰安婦』問題は戦時性暴力であり戦争犯罪です。ですが、植民地清算問題へと置き換えられたものだから、韓日の間で解けない問題となってしまいました。戦争に反対する日本国内の平和勢力や研究者とも力を合わせて(連合軍の)責任を問えると思います。その過程で戦後きちんと扱われてこなかった日本の戦争犯罪も明らかになるはずです」
 ちょうど10年前に「韓国社会が開かれた社会へと向かうに当たって、植民地主義と民族主義の思考が壁になっている」という考えから、「脱植民地女性主義の立場から『慰安婦』を扱う本を出そう」と決意したという。
 「開かれた社会」とはどのようなものかと問うと、このような答えが返ってきた。「私は女性主義者として女性について語りますが、世の中には非常に多様な違いがあります。境界人の問題もありますし。しかし、私たちは民族言説の影響力が大きすぎるため、内部の違いや多様性をきちんと議論することが難しいのです」
 民族言説が韓国の「慰安婦」運動を圧倒している中で見える問題点について、次のように語った。「『慰安婦』問題が植民地清算の中に位置づけられたことで、結果的にこの問題は強制性の議論だけにとどまっています。強制はもちろんその通りであって重要ですが、そうなると、被害者は結局のところ民族の受けた被害の象徴になります。民族に還元されない、あるいは民族の象徴とはなり得ない女性被害者の苦しみは扱いにくくなります。私は、この問題は戦時に国家が軍人のために女性の性を軍需物資のように動員した性暴力犯罪だ、という視点でみるべきだと思います」
 韓国の「慰安婦」運動が女性主義の深化に肯定的に作用した点はないのだろうか。「寄与というより、(韓国の女性主義に)非常に重要な問いを投げかけましたよね。戦時に軍人を慰めるために女性の性を動員する国家暴力や国家介入を非常にはっきりと見せてくれましたから。動員が強制か自発かとは関係なしに、ファシズム国家や軍隊、資本が女性の性を動員して配置する『慰安婦』問題は、女性主義者にとっては重要すぎる事件です。女性たちの戦時のぜい弱性を示していますから。この問題はまた、女性たちの戦時のぜい弱性が平時の女性の位置、性暴力の問題などにも関係しているということを示しています」
 キム教授は、韓国の近代化国家権力と女性の身体についての医療言説が家族計画政策を通じてどのように女性の身体に作用したのかを検討した論文で、博士号を取得した。どのように「慰安婦」問題に関心を持ったのだろうか。
 「留学から帰国後、韓国のフェミニズム言説は民族言説によって検閲されていると考えるようになってからです。私が93年の韓国女性学会10周年の学術大会で『民族言説と女性』を発表したら、女性学の重鎮に『では私たちは民族主義をしないようにしようという話か』と言われました。ある『慰安婦』研究者には、『民族の方が女性よりも大きい単位なのだから、まず議論されなければならない』と言われました。私はそれに対し、外部に向いた抵抗民族主義言説は内部の違いを抑圧し統制する同質化の権力として作動しうると言いました。私は、『慰安婦』問題は戦争と女性の人権、そしてヒューマニティー(人間性)に反する犯罪の問題だと思います」
 今回の本の出版が韓国の「慰安婦」言説の多様化と討論に寄与することを願うというキム教授に、韓国の「慰安婦」運動を導いている人々に最も言いたいことは何かを尋ねた。
 「慰安婦運動を主導する正義記憶連帯(正義連。挺対協の後身)は市民団体が集まった連合団体です。最初に『慰安婦』運動を始めた時は、植民地清算という枠の中で様々な団体と連帯していました。『慰安婦』被害女性たちが性的に受けた被害はまさに植民地とされた民族の被害だという前提の下で、他の市民団体が挺対協と運動の志を共にしました。もちろん『慰安婦』運動にとって植民地の問題と民族主義は重要で必要な部分です。しかし、今や先へ進まなければなりません。外縁を広げ、今まで以上に多様な視点と方法論を持った団体や研究者とも運動の観点から連帯し、研究もすべきです」。
カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-08-28 17:26


「The Hankyoreh」 2024-08-14 08:36
■14日は日本軍「慰安婦」メモリアルデー…韓国の青少年たちが伝える慰め

【写真】2024日本軍「慰安婦」被害者関連青少年作品公募展で首相賞を受賞した「一目一目編み上げていく慰めの温度」(ナム・ガミン、復興中学校)=女性家族部提供//ハンギョレ新聞社

 女性家族部は14日午前10時、ソウル龍山区の白凡・金九(ペクボム・キム・グ)記念館で日本軍「慰安婦」被害者メモリアルデー(以下「メモリアルデー」)を迎え記念式典を開催する。故金学順(キム・ハクスン)さん(1927~1997)が33年前に記者会見を開き、日本軍「慰安婦」の被害事実を初めて証言した日(1991年8月14日)で、被害者の勇気を記憶に留めるため、2018年から8月14日を国家記念日のメモリアルデーに指定した。
 この日の行事には日本軍「慰安婦」被害者、国会議員、関連団体および学界、市民などが参加し、公演▽テーマ映像の上映▽記念演説▽青少年作品公募展(2024日本軍「慰安婦」被害者関連青少年作品公募展)の授賞式などの順で行われる。

【写真】2024日本軍「慰安婦」被害者関連青少年作品公募展で女性家族部長官賞を受けた「少女の涙が止まるように」(ミョン・ソヒョン、大学の部)=女性家族部提供//ハンギョレ新聞社
【写真】2024年日本軍「慰安婦」被害者関連青少年作品公募展で女性家族部長官賞を受賞した「記憶の部屋」(チェ・イェイン、高校の部)=女性家族部提供//ハンギョレ新聞社

 青少年作品公募展を通じて選ばれた作品は計24点(美術・デザイン部門12点、映像・音楽部門12点)で、最高作品賞である首相賞にはナム・ガミンさん(復興中学校)の絵「一目一目編み上げていく慰めの温度」(美術・デザイン部門)と、「賢い初等生活チーム」(チョンソク小・チョロン小)の映像「絆創膏」(映像・音楽部門)が選ばれた。

【写真】2024日本軍「慰安婦」被害者関連青少年作品公募展で女性家族部長官賞を受賞した「少女たちが自由に羽ばたけるように」(イ・ジヨン、大学の部)=女性家族部提供//ハンギョレ新聞社

 シン・ヨンスク女性家族部次官は記念演説で、「女性家族部は日本軍『慰安婦』被害者の方々の安らかで安定した生活を支援し、名誉と尊厳を取り戻すための努力を続けていく」と述べた。映像部門の受賞作は関連ホームページで観覧できる。

チェ・ユナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-08-13 14:59 
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韓国地裁 日本政府の資産開示巡る原告の抗告を棄却=慰安婦訴訟

2024年07月31日 | 日本軍隊性奴隷
「聯合ニュース」 2024.07.31 08:34
■韓国地裁 日本政府の資産開示巡る原告の抗告を棄却=慰安婦訴訟
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の韓国人慰安婦被害者12人の訴えを認めて日本政府に損害賠償を命じた2021年1月のソウル中央地裁の判決(確定済み)を巡り、同地裁が日本政府に韓国国内にある財産の目録を開示するよう求めていた決定を取り消した問題で、これを不服とする原告の抗告が棄却された。法曹関係者が31日までに明らかにした。
 原告のペ・チュンヒさん(故人)らは2013年8月、日本政府に対し慰謝料の支払いを求める民事調停を申し立てたが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒否して調停が成立しなかった。原告の要請により16年1月に正式訴訟に移行し、ソウル地裁は21年1月、日本政府に対し原告1人当たり1億ウォン(約1100万円)の賠償を命じた。日本政府側は、裁判所が他国を訴訟の当事者として裁判を行うことはできないとする国際法上の原則「主権免除」を主張して出廷せず、判決は確定した。
 これを受け、原告側は21年4月、日本政府が韓国内に所有している資産目録の開示を申請。地裁はこれを認め、22年3月21日までに目録を提出するように命じる決定を出した。
 一方、日本政府は地裁が送った韓国内の資産目録の開示を命じる書類の受け取りを拒否。地裁は「債務者に書類を送達したが返送され続け、(書類を受け取ったとみなす)公示送達以外には他に送達する方法がない」とし、「宛先不明」を理由に資産開示を命じる決定を取り消した。
 原告側は決定の取り消しを不服として即時抗告していた。
 抗告審で地裁は公示送達以外には他に送達する方法がないのであれば、資産開示命令の決定を取り消し、開示申請を却下するのはやむを得ないと説明した。
 原告は抗告審の決定に再抗告し、大法院(最高裁)の判断を求めることができる。ただ、大法院の判断にかかわらず、資産の差し押さえや現金化手続きが実現するかは不透明だ。


「聯合ニュース」 2024.07.26 18:14
■慰安婦集会の保護要請棄却取り消し命じる 韓国裁判所が人権委に
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦問題の解決を求め、韓国・ソウルの日本大使館付近で毎週水曜日に開かれている「水曜集会」を巡り、集会に反対する保守系団体によるヘイトスピーチなどの人権侵害を警察などが放置しているとして、主催側の「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」が国家人権委員会に集会の保護を求める陳情を出したものの棄却された問題で、これを不服とする正義連が人権委員会に対し決定の取り消しを求めた訴訟の判決が26日、ソウル行政裁判所であった。裁判所は原告側の訴えを認め、決定を取り消すよう人権委員会に命じる判決を出した。

【写真】7月24日に行われた水曜集会の様子=(聯合ニュース)

 正義連は判決について、「法に基づいた極めて当然の結論で積極的に歓迎する」とコメントした。
 正義連は「裁判所は、人権委の棄却決定が法令に違反し、たとえ法令違反でなくてもこれまで形成されてきた慣行を特別な理由なしに不利に適用したものであり、平等権と信頼保護の原則に違反したものと判断した」と説明した。
 また警察が2019年末から水曜集会の現場に現れる保守系団体によるヘイトスピーチを放置していると主張し、「今からでも人権委は32年続いてきた水曜集会の歴史性を保障するため、反対集会の勢力に時間や場所を変えるよう勧告し、極右勢力の水曜集会の妨害、侮辱行為に対する救済措置を審議、議決しなければならない」と強調した。


「The Hankyoreh」 2024-07-13 06:51
日本メディア「ベルリン当局、平和の少女像撤去要求方針を示した」

【写真】ドイツ「右翼に反対するおばあさんたち」のあるメンバーが2021年2月19日、ベルリンのミッテ区に建てられた平和の少女像の前で、極右の暴力に抗議し犠牲者を追悼する演説をしている=ハン・ジュヨン通信員//ハンギョレ新聞社

 ドイツのベルリン当局がベルリンに設置された「平和の少女像」(以下少女像)の撤去を求める方針を明らかにしたと日本のメディアが報道した。
 NHKなどは12日、ベルリンのミッテ区が同区に設置された少女像を9月28日以後に撤去するよう市民団体に求める方針だと報道した。
 ミッテ区は、第2次世界大戦当時に日本軍がアジア太平洋全域で女性たちを性奴隷として強制的に連れて行ったなどの碑文の内容を問題視しており、区の「特別許可」が9月28日に満了することを機に、以降は撤去を求める方針だ。
 同少女像は4年前の2020年9月28日、ドイツと韓国の市民団体「コリア協議会」などによってベルリンのミッテ区に設置された。これは欧州の公共敷地に初めて設置されたものだったが、日本側は少女像の設置直後からドイツ当局に撤去を求めて続けてきた。少女像の設置から1カ月も経たず、2020年10月7日にミッテ区は撤去を命令しており、コリア協議会の仮処分申し立てで対抗した。
 ミッテ区は撤去要求を見送ったが、日本の圧力は続いた。2022年4月、日本の岸田文雄首相は日本を訪問したオラフ・ショルツ首相に「引き続き設置されていることは極めて残念である」と述べ、撤去を求めた。ミッテ区が少女像の撤去を求める方針を示したという今回の日本メディアの報道は12日、岸田首相のドイツ訪問を控えて出た。
 少女像は2013年、米国カリフォルニア州グレンデール市立公園の公立図書館前に海外で初めて設置されて以来、世界の多くの所に設置されているが、日本の圧力で撤去されることもしばしば起きている。ドイツ中部ヘッセン州のカッセル州立大学学生自治会の主導で設置された少女像が昨年3月、突如撤去されたこともあった。
チョ・ギウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-07-12 10:24


「The Hankyoreh」 2024-06-24 09:49
■日本政府の妨害作戦を乗り越え、イタリアで「初の平和の少女像」除幕式
 共同通信、碑文内容を「変える」と報道…正義連「事実ではない」

【写真】22日(現地時間)、イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市の海辺に設置された平和の少女像=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社

 日本の妨害にもかかわらず、イタリアのサルデーニャ島の海辺に日本軍慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」(以下少女像)が22日(現地時間)に設置された。少女像が建てられたスティンティーノ市の市長が、日本政府の問題提起に対し少女像に書かれた碑文内容の修正を検討する方針を示したという報道があったが、少女像の設置に参加した「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は事実ではないと反論した。
 ヨーロッパの休養地としても有名なサルデーニャ島のスティンティーノ市では同日、設置された少女像の周辺で除幕式が行われた。地中海を眺める海岸付近に位置することになった少女像周辺には、現地合唱団が歌う民謡「アリラン」が鳴り響いた。正義連は23日に報道資料を出し、除幕式にはサルデーニャ島の女性市長をはじめとする政治家と地域の女性・人権市民団体活動家と市民など200人余りが出席したと伝えた。少女像と共に設置された碑文には「日本政府が引き続き『慰安婦』の存在を否定し、ドイツ、フィリピンなど多くの国で平和の少女像を撤去しようとする試みを進めているのは、非常に残念なことだ」と韓国語とイタリア語と英語などで書かれている。
 正義連によると、人権弁護士出身のリタ・バッレベッラ・スティンティーノ市長は演説で、「少女像は全世界の女性たちが今も体験している性暴力の原因を思い起こさせる」と述べたという。

【写真】22日(現地時間)、イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市の海辺に設置された平和の少女像の除幕式の様子。スティンティーノ市のリタ・バッレベッラ市長が少女像を撫でている=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社

 日本政府は、イタリアの日本大使館などを動員して、少女像の設置に問題を提起した。共同通信は少女像の除幕式前日の21日、バッレベッラ市長が「(碑文に韓国市民団体の)一方的な主張が書かれている。文言変更を検討している」と述べたと報じた。同通信は、バッレベッラ市長が「慰安婦問題について勉強不足だった。日本のみを批判する意図はなかった」とし、「日韓両国の立場を併記した碑文に作り替える」と言明したとも報道した。
 しかし、正義連のイ・ナヨン理事長はハンギョレとの電話インタビューで、「バッレベッラ市長と面談して確認したが、彼女は碑文を変えると言ったことはなく、今後もそのような計画はないと話した」とし、「日本記者とも直接インタビューに応じたことがないと(バッレベッラ市長が)語った」と伝えた。
 日本政府は多角的にイタリア当局に圧力を加えている。イタリアの日本大使館の関係者は少女像の建立と関連し、NHKに「様々な(イタリアの)関係者に強い懸念を伝え、適切な対応を求めている」と述べた。
 イタリア現地の地域新聞である「ルニオーネ・サルダ」も少女像の除幕式を2日後に控えた20日、在イタリア日本大使館の鈴木哲駐大使がスティンティーノ市を訪問し、バッレベッラ市長に会って除幕式の延期を要請したと報じた。同紙は、鈴木大使が日本は過去の犯罪について謝罪したとし、少女像の碑文の内容が事実と異なると抗議したと報道した。
 韓国外交部は「関連動向を注視しつつ、必要ならば適切な対応を検討していきたい」とし、「政府の基本立場としては、海外の少女像などの設置は戦時性暴力という普遍的な人権侵害問題に対する追悼と教育のため、当該地域と市民社会が自発的に進めていると理解している」と述べた。イタリアの韓国大使館側はハンギョレの取材に対し、「これまで日本大使館やスティンティーノ市役所側から(韓国)大使館に接触したことはない」と語った。

【写真】22日(現地時間)、イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市の海辺に設置された「平和の少女像」の除幕式に参加した出席者たち=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社

 スティンティーノ市の少女像は、欧州ではドイツのベルリンに次ぎ、公共の場所に設置されたものとしては2体目となる。(民間の物を含めると)2013年に米カリフォルニア州のグレンデール市立公園の公立図書館前に海外で初めて少女像が建てられて以来、14体目だ。
 日本政府が世界各地にある少女像に対して持続的に圧力を行使し、ベルリンの少女像は設置から4年で撤去される危機に瀕した。少女像に対する行政処分権限があるベルリンのミッテ区役所は18日、「(少女像は)特別許可が一度延長され、その後は(碑文の)文言を修正する条件で容認されている状態だ。この協議が失敗したため、これ以上許可を延長することはできない」として撤去する方針を発表した。ミッテ区役所は「2024年9月に容認の期間が満了すれば、コリア協議会に区役所の撤去要請を伝える」と明らかにした。これに対し、在独市民団体「コリア協議会」は「文言と関連し、区役所側がまともに協議を要請したことがない」とし、「今からでも文言の修正をはじめとする協議に応じる用意がある」と反論した。
チャン・イェジ記者、東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-06-23 21:52


「聯合ニュース」 2024.06.24 18:31
■韓国野党 日本の慰安婦少女像設置妨害を批判=「政府は放置せず対策を」
【ソウル聯合ニュース】イタリア西部・サルデーニャ島のスティンティーノ市に設置された旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」を巡り、日本政府が撤去を目指す動きを見せていることについて、韓国の野党「共に民主党」や「祖国革新党」などが24日、日本の妨害行為を放置してはならないとして政府に対策を促した。

【写真】イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市に設置された「平和の少女像」(韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」提供)=(聯合ニュース)

 革新系最大野党、共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表はスティンティーノ市に設置された少女像について、「多くの人が訪れ、平和と人権の意味を新たに記憶する平和の聖地になることを期待する」と述べた。そのうえで、日本が設置に反対したことが残念だとし、「政府はこれ以上日本の(妨害)行動を放置してはならない」と強調した。
 野党「祖国革新党」のカン・ミジョン報道官は論評を出し、「日本は少女像設置の動きがあれば妨害し、設置された少女像を撤去するのに外交力を動員している」として、「これは尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領のほう助のせい」と主張した。また、「世界の良心的な人たちと連帯して尹政権が放棄する少女像を守る」などと強調した。


「聯合ニュース」 2024.06.23 11:08
■イタリアに新たな少女像 日本抗議も「碑文変更計画なし」
【ローマ聯合ニュース】日本政府が旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の撤去に向けた動きを進めるなか、イタリア西部・サルデーニャ島のスティンティーノ市に22日(現地時間)、新たな少女像が設置された。

【写真】イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市に設置された「平和の少女像」(正義連提供)=(聯合ニュース)

 この日は像の除幕式が開かれ、像の設置を主導した韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」の李娜栄(イ・ナヨン)理事長やスティンティーノ市のバッレベッラ市長、現地の女性団体代表らが出席。地元の合唱団は韓国民謡「アリラン」を披露して、設置を祝った。
 像の設置は正義連が女性弁護士出身のバッレベッラ市長に提案して実現した。設置場所はスティンティーノ市庁から約200メートル離れた海辺。多くの人の目に留まるよう観光客が多く行き来するところにした。
 正義連によると、同市の少女像は欧州ではドイツ・ベルリンに次いで2番目に公共の場所に設置された。韓国以外に設置されるのは14体目。
 少女像を巡っては、ベルリンの像などで日本政府が撤去を目指す動きを見せている。この日も日本の共同通信の記事を巡って混乱が生じた。
 共同通信はバッレベッラ市長が像の碑文に正義連の一方的な主張が記されているとして「文言変更を検討している」と表明したと報じた。
 ただ李理事長によると、バッレベッラ市長は碑文の修正に言及したことはなく、今後文言を変更する計画もないと述べたという。
 また同市長は自身を訪ねてきた日本大使一行の中に共同通信の記者がいたことを後で知ったとして不快感を示しているという。日本メディアによると、イタリアの日本大使館は同市に強い懸念を伝えるとともに、適切な対応を求めたという。
 碑文には、第2次世界大戦当時に日本軍がアジア太平洋地域で女性を「性奴隷」として強制連行し、少女像は被害者を記憶するための象徴であるという内容のほか、日本政府が慰安婦の存在を否定し、少女像を撤去しようとする動きに対する強い遺憾の意が記されているという。

【写真】少女像の除幕式であいさつするスティンティーノ市のバッレベッラ市長(正義連提供)=(聯合ニュース)


「The Hankyoreh」 2024-06-20 10:11
■イタリア・サルデーニャの浜辺に「平和の少女像」登場

【写真】ドイツ・ベルリン市のミッテ区に立てられた「平和の少女像」=コリア協議会のウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 地中海を臨むイタリアのサルデーニャ島の浜辺に「平和の少女像」(以下、少女像)が設置される。日本政府の圧力によって世界各地の少女像が撤去の脅威を受けているなか、今回設置される少女像の碑文には、第2次世界大戦時に日本が女性を相手に犯した犯罪に対する責任を明確に問う文言が含められる。
 「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は22日(現地時間)にサルデーニャ島のスティンティーノに少女像を立てる予定だと、19日明らかにした。少女像はスティンティーノ市が提供した公共敷地に置かれることになる。スティンティーノ市庁から200メートルほど離れた浜辺にあるこの敷地は、毎年欧州や米国から来る観光客で混みあう場所でもある。スティンティーノ市は22日午前11時(韓国時間夕方7時)に除幕式を開催し、リタ・バレベッラ市長はサルデーニャ島の議会で活動中の女性市長を全員招待した。イタリア現地の合唱団が歌う「アリラン」の公演も予定されている。
 少女像が公共の敷地に設置されるのは、2020年9月にドイツ・ベルリンに立てられた少女像以来2度目だ。正義連は「少女像の撤去のための日本政府による全方向的な圧力が続いている今、スティンティーノ市に少女像が建てられるのは、平和と人権のための世界市民の記憶と連帯が堅固だということ」だと明らかにした。

【写真】イタリア・サルデーニャ島スティンティーノ市に広がる浜辺=イタリア観光庁提供//ハンギョレ新聞社

 イタリアに建てられるこの少女像は、碑文を通じて、日本政府が「慰安婦」問題を回避して歴史を伝えようとする試みを妨害している問題も指摘した。「第2次世界大戦時、日本はアジア太平洋地域で数多くの少女と女性を強制的に連れていき軍の性的奴隷にするなど、ホロコーストに劣らない極悪非道な反倫理的犯罪を犯した」として、「日本政府が引き続き『慰安婦』の存在を否定し、ドイツやフィリピンなどの様々な国で平和の少女像を撤去しようとする試みを進めているのは、非常に遺憾なことだ」と書かれている。
 さらに、「日本は女性と人類に対する戦争犯罪を責任を持って認め、そのような残虐な行為を記憶する正しい措置を取らなければならない」と明記した。少女像の碑文は設置した地域ごとに内容が少しずつ違うが、スティンティーノ市は初めて日本の責任を強調した内容を書いた。
 正義連のイ・ナヨン理事長はハンギョレに「各国に設置された少女像の碑文には、日本に関する表現を修正した事例もたびたびあったが、普遍的な女性の人権問題として『慰安婦』問題をみるイタリアの少女像は、現在の日本の態度も指摘している」と述べた。
 今回の少女像の設置は、イタリア市民とスティンティーノ市の努力が結びついた結果だ。日本軍「慰安婦」被害の歴史に接したスティンティーノ市民のロサ・マリアさんが、古くからの友人で女性人権弁護士出身のリタ・バレベッラ市長にこの問題を伝え、少女像設置の議論が進んだ。その後、正義連が昨年12月に少女像の設置を提案する公文書をスティンティーノ市に正式に発送し、少女像を寄付する意向を表明し、1カ月ほど後の今年1月、市議会がこれを受け入れる決議案を通した。その後、市は4月、イタリアの州政府文化財庁で少女像の登録手続きまで終えて、正式に少女像をイタリアに持ってくることが可能になった。バレベッラ市長は18日(現地時間)、地元新聞の「ラ・ヌオバ・サルデーニャ」に「平時と戦時ともに、女性に対する犯罪に対抗して戦う普遍的な象徴となる少女像を受け入れることができて誇りに思う」と述べた。

【写真】平和の少女像=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社

 これまで世界各地に設置された少女像や「慰安婦」慰霊碑、平和碑などは30基ほどになる。少女像は2013年に米国カリフォルニア州のグレンデール市立公園の公共図書館前への設置を皮切りに、海外でも建てられ始めた。サルデーニャ島の少女像は海外に設置された少女像として14体目だ。しかし、日本の政府と大使館の組織的な妨害によって世界各国に建てられた少女像が撤去される状況は続いている。2018年12月28日にフィリピンのサンペドロ市の「女性の家」に設置した少女像は、日本の外交的圧力でわずか2日で撤去された
 ドイツでは、少女像の設置を主導した市民団体「ドイツコリア協議会」を中心に、撤去の脅しに対抗して少女像を守る活動が繰り広げられている。2022年7月にドイツのカッセル大学の学生会が校内に設置した少女像「ヌジン(Nujin)」は、日本政府の圧力で昨年3月に大学によって「奇襲撤去」された。これに対して学生とドイツコリア協議会は、ヌジンを元の場所に戻すために署名運動を進め、それに参加した5800人ほどの署名を18日にカッセル大学学長に渡した。
 2020年9月にベルリンの中心地であるミッテ区に設置された少女像も、同じく撤去の恐れが強い。ベルリン地域議会の議員はミッテ区庁に少女像の永久存続を求める決議案を17日に提出したが、可決されても法的拘束力はない。ドイツコリア協議会は8月までに少女像の撤去に反対するミッテ区の住民1000人の署名を集めて区に渡す予定だ。ドイツコリア協議会のハン・ジョンファ代表は「国外で少女像は、『慰安婦』問題によって拡張された戦時性暴行問題や移民に対する人種差別など、様々な痛みを交わす求心点の役割を果たしている」と訴えたが、場所を守れるかどうかはわからない状況だ。
チャン・イェジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/1145458.html
韓国語原文入力:2024-06-19 20:37


「聯合ニュース」 2024.06.19 11:55
■「平和の少女像」イタリアに初設置へ 韓国以外では14体目
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」がイタリアに初めて設置される。韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」は19日、イタリア・サルデーニャ島のスティンティーノ市で22日午後7時(日本時間)に少女像の除幕式を行うと発表した。

平和の少女像(少女像推進委員会提供)=(聯合ニュース)≪転載・転用禁止≫
 正義連によると、この少女像は欧州ではドイツ・ベルリンに次いで2番目に公共の場所に設置される。海外に設置されるのは米カリフォルニア州グレンデール市(2013年)などに続き、今回で14体目。
 設置場所はスティンティーノ市庁から約200メートル離れた海辺で、観光客が多く行き来するところだという。
 碑文には、第2次世界大戦当時に日本軍がアジア太平洋地域で女性を「性奴隷」として強制連行し、少女像は被害者を記憶するための象徴であるという内容が盛り込まれた。韓国語とイタリア語、英語の案内板が設置され、QRコードを使えばさらに多くの言語でも碑文を読むことができる。
 正義連は碑文について、過去の犯罪を否定し、責任を回避して少女像の建立を妨害する日本政府の行為が「不正義」であることを明示している点で意味が大きいと説明した。 
 少女像の設置は、正義連が昨年12月にスティンティーノ市に提案。同市の市長は、人類と女性に対するあらゆる形の暴力に反対するとして歓迎の意を表した。
 平和の少女像は11年12月、ソウルの日本大使館前に初めて建てられた。現在は韓国に148、海外に31(撤去、または展示後に設置されていない六つを除く)の記念碑・平和碑が設置されている。
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「薄れゆく歴史 海南省の最後の「慰安婦」5人」

2024年05月29日 | 日本軍隊性奴隷
 「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年8月15日
■薄れゆく歴史 海南省の最後の「慰安婦」5人
◆1軒の瓦葺きの家で、日本政府を提訴した中国大陸最後の「慰安婦」生存者・黄有良さんは人生の最期を迎えた。屈辱を受け、世の激しい変化を経験した黄さんは、8月12日に海南省陵水リー族自治県英州鎮乙堆村の自宅で亡くなった。享年90歳。中国「慰安婦」問題研究センターの統計によると、現在登録されている中国大陸の「慰安婦」生存者はわずか14人である。うち4人が海南省に暮らしている。日本による中国侵略戦争中、20万人の中国人女性が日本軍の性奴隷となった。
 黄有良さんは謝罪と正義という長年の望みを叶えることができなかった。
 1軒の瓦葺きの家で、日本政府を提訴した中国大陸最後の「慰安婦」生存者・黄有良さんは人生の最期を迎えた。屈辱を受け、世の激しい変化を経験した黄さんは、8月12日に海南省陵水リー族自治県英州鎮乙堆村の自宅で亡くなった。享年90歳。

◆黄有良さんの家から50キロほど離れた場所にもう1人の被害者がいる。本号鎮宿風村に住む92歳の卓天妹さんは状況があまり良くなく、病気で寝たきりである。
 12日前の夕方、カメラを持った記者が訪れると卓天妹さんは起き上がって何か話そうとしたが、喉に痰が絡み、リー族の言葉をわずかに話した後に力がなくなり再びベッドに横たわった。息子の嫁の陳玉瓊さんによると、数日前は喘息がひどかったという。
 当時、卓天妹さんも悲惨な体験をした。4年間にわたり、卓天妹さんは「慰安婦」にさせられただけでなく、日本軍のために水汲み、洗濯、炊事も行った。暴行、暴力、労働、飢餓の繰り返しで、卓天妹さんの体はボロボロになった。日本が敗戦してようやく家に帰ることができたという。その時、両親はすでに亡くなっていた。
 【写真】92歳の卓天妹さん 

◆91歳の李美金さんと92歳の王志鳳さんは澄邁県中興鎮土龍村で暮らしている。メディアの取材と「慰安婦」に関する調査により、彼女たちが「慰安婦」だったことが近年になり村民に知れ渡った。
 1940年、王志鳳さんは澄邁県山口村の自宅で日本軍に連行され、付近の大雲墟拠点に拘禁された。1年後、李美金さんが澄邁県茅圓村で捕まり、臨高県にある日本軍の加来空港に拘禁された。
 日本軍が降伏して長時間経っても2人は当時の経験を語ることなく結婚し、土龍村に嫁いだ。
 秘密を守るため、王志鳳さんは4回引越しをし、夫も王志鳳さんの過去の苦しみを知らないままこの世を去った。王志鳳さんは今でも悪い夢を見、ここ数年は睡眠の質も悪くなっている。
 万寧市大茂鎮進坑村で暮らす91歳の陳連村さんは割と健康である。家事はできるが、1人で外出しなくなり、暗くなる前に自分の部屋に戻る。息子は、母親がテレビに映る日本人を怖がるため、テレビを陳連村さんの寝室から別の部屋に移した。
当時、最初に海南省で「慰安婦」調査を実施した符和積さんはもう68歳になっている。符さんは、日本に行き提訴した「慰安婦」生存者の陳亜扁さんが今年5月に亡くなったことを知らない。符さんは「まだ健在な方もいるが、年齢的に記憶が曖昧になっている。これは忘れてはいけない記憶である」と話した。
 【写真】91歳の李美金さん

◆【写真】92歳の王志鳳さん
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「「少女像を守って」…日本軍「慰安婦」被害者が駐韓ドイツ大使館に書簡」

2024年05月23日 | 日本軍隊性奴隷
「The Hankyoreh」 2024-05-23 07:03
■「少女像を守って」…日本軍「慰安婦」被害者が駐韓ドイツ大使館に書簡
 ベルリン市長の「撤去」示唆発言に 
 世界の市民団体の共同書簡も手渡す

【写真】正義記憶連帯(正義連)が22日、ソウル中区の駐韓ドイツ大使館前で、ベルリン市長の少女像撤去示唆発言を糾弾する記者会見をおこなっている=キム・ガユン記者//ハンギョレ新聞社

 「最後に切にお願いします。少女像を守ってください」。
 日本軍「慰安婦」被害生存者であり女性人権活動家のイ・ヨンスさんは22日、マイクを握って駐韓ドイツ大使館前に立った。イさんは「各国に建てられた韓国の少女像はその国を守っており、戦争のない世界の平和を象徴している。今ベルリンに建てられた少女像を絶対に撤去してはいけない」と声を強めた。
 正義記憶連帯(正義連)はこの日、ソウル中区(チュング)の駐韓ドイツ大使館前で、「ドイツ・ベルリン市長の少女像撤去示唆発言糾弾共同記者会見」をおこなった。正義連は、趣旨に賛同する1861人の市民、韓国をはじめドイツ、日本、米国、ノルウェーなどの全世界の173団体が名を連ねた公開書簡や、イさんの手紙などを大使館に直に手渡した。

【写真】日本軍「慰安婦」被害生存者のイ・ヨンスさんが22日、駐韓ドイツ大使館に渡した手紙=正義連提供//ハンギョレ新聞社

 正義連の説明によると、ベルリンのカイ・ヴェグナー市長は今月16日(現地時間)、日本の上川陽子外相との会談で、ベルリンの少女像問題の解決策を提案したという。同市長は「女性に対する暴力に反対する記念物には賛成するが、一方的な表現があってはならない」と述べつつ、「管轄の区役所、連邦政府など、すべての関係当時者と対話しており、駐ドイツ日本大使もこの議論に参加させる」と約束したという。
 正義連は公開書簡で、「第2次世界大戦でナチスドイツが犯した歴史的過ちを清算するために努力してきたドイツが、戦争の代価として朝鮮半島のように分断の痛みを経験したベルリンの市長が、どうしてそのようなことが言えるのか」として、強い遺憾の意を表した。
 これらの団体は、「ベルリン市長の発言は、これまでの日本政府の執ような少女像設置に対する妨害および撤去工作と無関係ではない」とも指摘した。そして「少女像は世界各地で今も発生している戦時性暴力に警鐘を鳴らす普遍的な女性の人権の象徴」だとし、「歴史の真実に背を向け、自らの過ちを隠そうとしている日本政府の側に立ち、ベルリン市長とドイツ連邦政府が一緒になって少女像を撤去すれば、これまでに国際社会で築いてきた信頼をすべて失うことになるだろう」と強調した。
 ベルリンの少女像建設を主導するなど、現地で活動を展開しているドイツのコリア協議会のハン・ジョンファ代表は正義連を通じて、「日本政府に狡猾(こうかつ)なロビー活動をやめるよう要請すること」、「平和の少女像が超国家的な女性の人権の象徴であることをドイツの政治家と官僚に伝えること」をドイツ外務省に求めた。
キム・ガユン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-05-22 17:29


「聯合ニュース」 2024.05.22 16:46
■ベルリンの少女像 「撤去、あってはならない」=韓国人慰安婦被害者
【ソウル聯合ニュース】ドイツの首都ベルリンのウェグナー市長が同市内に設置された旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」を巡る対立の解決を図る方針を示したことについて、慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さん(95)は22日、在韓ドイツ大使館前での記者会見で、「少女像の撤去は決してあってはならない」と訴えた。

【写真】抗議書簡を伝達するため、ソウルのドイツ大使館に向かう李容洙さん(中央)=22日、ソウル(聯合ニュース)

 李さんは「各国に建てられた少女像は戦争のない世界の平和を象徴する」とし、「少女像を守ってくれることを願う」と語った。
 会見は慰安婦被害者を支援する市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」などの主催で行われた。同団体はウェグナー市長が16日に日本の上川陽子外相と会談した際、少女像を巡り「変化を起こすのが重要だ」と述べたことは像の撤去を示唆した発言だと主張。「少女像は日本軍の性奴隷制のような悲劇が再発しないことを望むドイツ市民の心を集めて建てられた」とし、「ベルリン市が少女像を撤去する場合、第2次世界大戦の加害国であるドイツが過ちを認め、被害者に賠償したこれまでの努力が色あせる」と訴えた。
 会見後は約170の市民団体と約1860人の市民が署名した書簡を大使館側に伝達した。書簡には「ベルリン市長とドイツ政府が日本の肩を持ち、少女像を撤去すればドイツは国際社会で築いた信頼を失う」などの内容が盛り込まれた。

【写真】ベルリン市ミッテ区に設置されている少女像(資料写真)=(聯合ニュース)


「The Hankyoreh」 2024-05-20 06:47
■日本外相に会ったベルリン市長、「平和の少女像」の撤去を示唆
 「変化を作ることが重要だ」と発言したことが分かり 
 在独市民団体「日本政府の圧力に屈服」と反発

【写真】2021年2月19日(現地時間)、ドイツ「右翼に反対するおばあさんたち」のあるメンバーがベルリンのミッテ区にある平和の少女像の前で、極右暴力に抗議し、犠牲者を追悼する演説をする姿=ベルリン/ハン・ジュヨン通信員//ハンギョレ新聞社

 ドイツのベルリン市長が日本の外相との会談で、「変化を作ることが重要だ」とし、ベルリン平和の少女像(以下少女像)をめぐる対立を解決する意向を明らかにしたことが遅れて明らかになった。在独市民団体は、「撤去を示唆する発言だ」として反発した。
 ベルリン市は16日(現地時間)、報道資料を発表し、東京を訪問したカイ・ベーグナー市長が上川陽子外相と会談し、「われわれが変化を作ることが重要だ」と発言したことを明らかにした。ベルリン市は報道資料で「議論になっているベルリンの少女像の問題に関する解決策を提案した」と書いた。ベーグナー市長はベルリンと東京の友好都市提携30周年を迎え、日本を訪れた。
 ベーグナー市長は会談で、女性に対する暴力に反対するモニュメントには賛成するが、一方的な表現があってはならないとし、管轄区庁や連邦政府などすべての関係者と対話しており、駐ドイツ日本大使もこの議論に参加させる方針を示したと、ベルリン市は伝えた。
 在独市民団体の「コリア協議会」は18日、ベーグナー市長が「変化」に触れたのは、事実上撤去を意味するとみて、「ベルリン市が日本政府の圧力に屈服している」と反発した。コリア協議会は声明文で、「ベーグナー市長が自身の発言とは異なり、少女像を建立した私たちとは対話していない。対話を提案されれば、喜んで応じる」と述べた。同団体は「平和の少女像に対する決定権限は全面的に区庁にある」とし、「会議が開かれればミッテ区とベルリン市に日本政府が加えた圧力についても問題を提起する」意向を示した。少女像が「一方的表現」という主張については、「平和の少女像はすでに紛争地域の性暴力に反対する普遍的なモニュメント」だとし、ベーグナー市長にコリア協議会が運営する戦時性暴力博物館を訪問し多様な観点と教育活動を直接見るよう提案した。コリア協議会は来月19日、「紛争における性暴力根絶のための国際デー」を迎え、市民社会団体を平和の少女像に招き徹夜討論を開くと発表した。
 日本政府はこれまで、世界各地の少女像が韓国の一方的な立場を込めているとして、撤去を求めてきた。ベルリンの少女像は設置直後の2020年10月、管轄のミッテ区役所が撤去を命令したが、コリア協議会の仮処分申立てで保留された。2022年4月、岸田文雄首相は日本を訪問したオラフ・ショルツ首相に直接「引き続き設置されていることは極めて残念」だとし、撤去を要求した。ドイツでは昨年3月、中部ヘッセン州のカッセル州立大学自治会の主導で設置された平和の少女像が奇襲撤去され、学生たちと市民団体の反発を買った。
キム・ミナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力: 2024-05-19 18:29


2024-05-13 08:57
■韓国最高裁「『慰安婦』講義中に学生にセクハラ発言した大学教授の懲戒は妥当」

【写真】「慰安婦は売春ではない」学生の反発に…「気になるなら一度やってみるか?」発言
講義中に日本軍慰安婦のことを「売春の一種」と発言して名誉毀損で起訴されたリ
ュ・ソクチュン元延世大学教授が今年1月24日午前、ソウル麻浦区のソウル西部地裁での一審判決公判に出廷している/聯合ニュース

 講義中に日本軍「慰安婦」のことを性売買女性にたとえたうえ、学生にセクハラ発言をおこなったリュ・ソクチュン元延世大学社会学科教授に対する懲戒は妥当だとする判決が、最高裁で確定した。
 最高裁3部(主審:ノ・ジョンヒ最高裁判事)は、リュ元教授が教員訴請審査委員会の決定の取り消しを求めて起こしていた訴訟で、原審の原告敗訴判決を9日に審理不続行棄却とすることで確定したと12日に明らかにした。審理不続行棄却とは、上告対象ではないと判断される事件をそれ以上審理せずに棄却すること。
 リュ元教授は延世大学に教授として在職中だった2019年9月、発展社会学の講義中に日本軍「慰安婦」のことを売春行為の従事者になぞらえる発言をおこなった。これに対してある学生が「日本軍が仕事を紹介すると言ってだまして被害者たちを連れて行ったという証言がある」との趣旨の反論を行うと、リュ元教授は学生に「気になるなら一度やってみますか?」と発言して物議を醸した。
 事件後、延世大学学生会は「学生に性売買を勧めるもので、人格の冒とくでありセクシャルハラスメントだ。リュ氏を授業から全面排除せよ」とする声明を発表し、教員懲戒委員会は翌年7月にリュ教授に停職1カ月の処分を下した。リュ教授は1カ月後に定年退職した。
 リュ元教授は訴訟の過程で、自身の講義での発言について「『気になるなら学生が自ら(日本軍『慰安婦』の)研究をしてみるか』という意味であって、売春をしてみろという趣旨ではなかった」と抗弁したが、一審二審ともにこれを認めず、リュ元教授の発言をセクハラと判断した。懲戒の手続きや重さも問題がないと原審は判断している。
 リュ元教授は自身のユーチューブチャンネルの紹介にも「気になるなら(チャンネル登録、いいね)一度やってみますか?」と記している。
 リュ元教授は「慰安婦は売春の一種」という発言で起訴されてもいるが、一審で無罪判決を受けている。検察はこれを不服として控訴し、現在は二審が行われている。

【写真】リュ・ソクチュン元教授のユーチューブチャンネルより//ハンギョレ新聞社

オ・ヨンソ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-05-12 11:03
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「解散した慰安婦財団の残金処理できず 韓国政府は5年以上「議論中」」

2024年05月07日 | 日本軍隊性奴隷
「聯合ニュース」 2024.05.06 06:10
■解散した慰安婦財団の残金処理できず 韓国政府は5年以上「議論中」
【ソウル聯合ニュース】韓国で旧日本軍の慰安婦被害者を支援するため設立された「和解・癒やし財団」の解散から5年半が経つが、まだ残金を処理できていない。財団の監督機関で慰安婦問題を担当する女性家族部は財団の清算を巡って特別な動きを見せておらず、解決の意志がないとの批判が出ている。残金の処理方法を巡って意見が異なる市民団体や関係者らも早期に解決策を打ち出す必要があるとの認識では一致している。

4月24日、慰安婦問題の解決を求めてソウルの日本大使館付近で毎週水曜日に開かれている「水曜集会」=(聯合ニュース)
◇財団の残金 約56億ウォンから59億ウォンに
 最大野党「共に民主党」の金翰奎(キム・ハンギュ)国会議員が女性家族部から提出を受けた資料によると、財団の残金は59億4000万ウォン(約6億7000万円)で、解散が決まった2018年11月の約56億ウォンより約3億4000万ウォン増えた。当時、女性家族部は残金の処理まで1年かからないと表明したが、今まで清算手続きが完了せず、預金利息がついた残金は膨らんだ。
 財団は2015年12月の日本との合意に基づいて日本側が10億円を拠出し、両国が慰安婦被害者と遺族を支援する事業を行う目的で16年7月に発足した。だが、17年に発足した文在寅(ムン・ジェイン)政権が合意を再検討し、日本側の拠出金を政府の予算に置き換えることを決定。18年11月に女性家族部が財団の解散を発表し、発足から2年4カ月で解散手続きに入った。
 財団は慰安婦被害者側に46億ウォンを支払い、運営費で9億6000万ウォンを使用した。財団の事務は22年10月に終了したが、残金は今も処理できず清算人が管理している。
◇残金の処理方法 まだ「協議中」
 残金の処理が完了していないことについて、女性家族部は「具体的な処理方法については韓日の協議が必要」として、「外交部と協議を続けている」と明らかにした。ただ、昨年と状況はほとんど変わっていないという。
 清算人として残金を管理している金栄鎮(キム・ヨンジン)弁護士は「状況はそのまま」とし、「具体的な議論が行われたという話も聞いていない」と伝えた。
 金議員は「女性家族部がこの問題について5年以上、手をこまねいていることは職務放棄といえる」として、「慰安婦被害者の意見が最優先に反映された清算手続きをまとめることに積極的な姿勢を見せなければならない」と指摘した。
◇解散でも維持でもない矛盾
 民法によると、解散した法人の残金は担当官庁の許可を得て本来の目的に沿った方向で処分されるか国庫帰属となる。市民団体や学界は残金を日本に返還するか本来の目的通り慰安婦被害者の支援事業に投入するか早期に方向を決めるよう求めている。国際通商が専門の宋基昊(ソン・ギホ)弁護士は「解散でも、維持でもない矛盾した状況から抜け出そうとする意志を示さなければならない」と促した。そのうえで、「日本が拠出した資金のため、日本に返すべきだ」として、「日本が受け取らなくても、せめて返すという意志表示は必要だ」と主張した。
 一方、仁荷大の洪承祺(ホン・スンギ)教授(法学)は「財団を元に戻し、本来の目的通り事業を継続することが日本に対する礼儀であり、国際社会での韓国の地位にふさわしい」とし、「女性家族部が今からでも積極的に動いて、中途半端な状況を変えるべきだ」と強調した。

ソウルの日本大使館付近に設置されている慰安婦被害者を象徴する少女像(資料写真)=(聯合ニュース)
kimchiboxs@yna.co.kr


2024.05.06 06:10SHARE LIKE SAVE PRINT FONT SIZE
【ソウル聯合ニュース】韓国で旧日本軍の慰安婦被害者を支援するため設立された  
 「和解・癒やし財団」の解散から5年半が経つが、まだ残金を処理できていない。財団の監督機関で慰安婦問題を担当する女性家族部は財団の清算を巡って特別な動きを見せておらず、解決の意志がないとの批判が出ている。残金の処理方法を巡って意見が異なる市民団体や関係者らも早期に解決策を打ち出す必要があるとの認識では一致している。


【写真】4月24日、慰安婦問題の解決を求めてソウルの日本大使館付近で毎週水曜日に開かれている「水曜集会」=(聯合ニュース)

◇財団の残金 約56億ウォンから59億ウォンに
 最大野党「共に民主党」の金翰奎(キム・ハンギュ)国会議員が女性家族部から提出を受けた資料によると、財団の残金は59億4000万ウォン(約6億7000万円)で、解散が決まった2018年11月の約56億ウォンより約3億4000万ウォン増えた。当時、女性家族部は残金の処理まで1年かからないと表明したが、今まで清算手続きが完了せず、預金利息がついた残金は膨らんだ。
 財団は2015年12月の日本との合意に基づいて日本側が10億円を拠出し、両国が慰安婦被害者と遺族を支援する事業を行う目的で16年7月に発足した。だが、17年に発足した文在寅(ムン・ジェイン)政権が合意を再検討し、日本側の拠出金を政府の予算に置き換えることを決定。18年11月に女性家族部が財団の解散を発表し、発足から2年4カ月で解散手続きに入った。
 財団は慰安婦被害者側に46億ウォンを支払い、運営費で9億6000万ウォンを使用した。財団の事務は22年10月に終了したが、残金は今も処理できず清算人が管理している。

◇残金の処理方法 まだ「協議中」
 残金の処理が完了していないことについて、女性家族部は「具体的な処理方法については韓日の協議が必要」として、「外交部と協議を続けている」と明らかにした。ただ、昨年と状況はほとんど変わっていないという。
 清算人として残金を管理している金栄鎮(キム・ヨンジン)弁護士は「状況はそのまま」とし、「具体的な議論が行われたという話も聞いていない」と伝えた。
 金議員は「女性家族部がこの問題について5年以上、手をこまねいていることは職務放棄といえる」として、「慰安婦被害者の意見が最優先に反映された清算手続きをまとめることに積極的な姿勢を見せなければならない」と指摘した。

◇解散でも維持でもない矛盾
 民法によると、解散した法人の残金は担当官庁の許可を得て本来の目的に沿った方向で処分されるか国庫帰属となる。市民団体や学界は残金を日本に返還するか本来の目的通り慰安婦被害者の支援事業に投入するか早期に方向を決めるよう求めている。国際通商が専門の宋基昊(ソン・ギホ)弁護士は「解散でも、維持でもない矛盾した状況から抜け出そうとする意志を示さなければならない」と促した。そのうえで、「日本が拠出した資金のため、日本に返すべきだ」として、「日本が受け取らなくても、せめて返すという意志表示は必要だ」と主張した。
 一方、仁荷大の洪承祺(ホン・スンギ)教授(法学)は「財団を元に戻し、本来の目的通り事業を継続することが日本に対する礼儀であり、国際社会での韓国の地位にふさわしい」とし、「女性家族部が今からでも積極的に動いて、中途半端な状況を変えるべきだ」と強調した。

【写真】ソウルの日本大使館付近に設置されている慰安婦被害者を象徴する少女像(資料写真)=(聯合ニュース)
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「中国侵略日本軍の「慰安婦」制度被害者がまた1人死去 残り8人に」

2024年03月05日 | 日本軍隊性奴隷
「人民網日本語版」 2024年02月28日14:52
■中国侵略日本軍の「慰安婦」制度被害者がまた1人死去 残り8人に
 中国侵略日本軍の「慰安婦」制度の被害者である劉年珍さんが今月27日12時ごろ、湖南省岳陽県で亡くなった。享年107歳。1918年に湖南省岳陽県で生まれた劉さんは1944年に、張谷英鎮で中国侵略日本軍に捕まり、山中にある荒れはてた家屋に連行された。拘束期間中、劉さんは中国侵略日本軍の性奴隷にされた。拘束されている場所は兵士が監視していたものの、拘束されてから7-8日後の夜に、劉さんはなんとか逃げ出すことができたのだという。ただその際に受けた傷の炎症が深刻で、子どもを産むことができなくなってしまった。晩年は甥一家が劉さんの面倒をみた。これにより、中国大陸部で生存している「慰安婦」制度登録被害者はわずか8人となった。


「中央日報日本語版」 2024.02.29 09:54
■中国内の旧日本軍「慰安婦」被害者の中で最高齢生存者が死去
 中国の旧日本軍「慰安婦」被害生存者である劉年珍さんが27日、107歳で死去した。
 28日、上海師範大学の慰安婦問題研究センターによると、中国本土の被害生存者の中で最高齢である劉さんが前日、湖南省岳陽県で亡くなった。1918年湖南省岳陽県で生まれた劉さんは、1944年故郷の近くで旧日本軍に捕まり、山奥の崩れた家に閉じ込められて強制的に性奴隷になった。
 劉さんは監禁されて7~8日が過ぎた後、かろうじて脱出したが、深刻な病気を得て晩年まで甥家族の世話を受けた。中国の慰安婦問題研究センターの湖南省調査チームは2019年、岳陽県を調査するうちに口述インタビューと現場把握を通じて劉さんが生存被害者であることを確認した。上海師範大学慰安婦問題研究センターは「劉さんの死去に沈痛な哀悼の意を表する」と明らかにした。
 これで中国本土の慰安婦被害生存者は22日、湖南省平江県で新たに確認された1人を含めて計8人となった。
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『日本軍‘慰安婦’被害者 金玉珠 口述資料集』(韓国挺身隊研究所編、2022年12月刊)について

2024年02月23日 | 日本軍隊性奴隷
■『일분군‘ 위안부’ 피해자 김옥주 구술자료집 』한국정신대연구소 엮음 , 한국 여성인권진흥원 간,  2022년12월(『日本軍‘慰安婦’被害者 金玉珠 口述資料集』韓国挺身隊研究所編、韓国女性人権振興院刊、2022年12月)について■       金靜美
 
 1923年大邱で生まれた金玉珠(キム オク チュ)さんは、17歳の時に、海南島につれて いかれました。「食母」として仁川に行くことに応じた金玉珠 さんは、仁川から船に乗せられ、上海、香 港をへて、着いたところは海南島でした。 じぶんを入れて5人がいっしょに海南島に 連れていかれたといいます。 
 この本は、金玉珠さんに話を聞いた4回の 一問一答式の全記録です(面談者は、4回と もチョチェ ヘラン)。 
 さいしょに話を聞いたのは、1996年11月3 0日で、当時住んでいた江原道麟蹄の自宅だ ったそうです。 
 1999年に出版された『증언짐 강제로 끌 려간 조선인 군위안부들 証言集 強制 的に連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(第3 巻、韓国挺身隊研究所・韓国挺身隊問題対 策協議会編、ハンウル、1999年10月)には、 金玉珠さんの証言が収録されていますが、 面談者が整理したもので、今回の一問一答 式の証言は、その原型となるものです。 
 金玉珠さんがいた慰安所の屋号は、海口 の‘エビス’だったそうです。道を挟んだ 正面に軍の基地があり、時計塔が見えたと いいます。 
 金玉珠さんの記憶は、とても正確で、時計塔があり、日本軍の基地があった場所は、 海口の中心街の中山路です。 
 わたしは、紀州鉱山の真実を明らかにす る会・海南島近現代史研究会の海南島「現地 調査」で、海口の中山路に何度か行きました。 そのうちの1回は、佐藤正人が行程計画を 立案・調整し、ともに参加した2002年10月 の紀州鉱山の真実を明らかにする会として は第5回目の海南島「現地調査」で、韓国挺身 隊研究所と共同でおこないました。 
 このとき、金玉珠さんがいたという‘エ ビス’を探して、当時の建物が残る中山路 を歩きましたが、特定できませんでした。 その「現地調査」について、佐藤正人・金 靜美が共同執筆した、「海南島における日 本軍隊性奴隷制度と強制連行・強制労働― ― 2002年10月海南島「現地調査」報告― ―」は、『2002년 국외거주 일본군 ‘위안 부’피해자 실태조사 2002年 国外居住日 本軍‘慰安婦’ 被害者実態調査』(2002年1 2月、韓国女性部刊)に収録されています。 
 今回の『口述資料集』には、佐藤正人は、 「海南島戦時性暴力被害訴訟」1、2を、 金靜美は、「女性たち、日本軍占領下の海南 島で」を書きました。 金玉珠さんは、日本敗戦の翌年、陰暦9 月に船に乗り、日本を経て釜山に着きまし た。故郷に戻ってからの生活は、“ことば にできないほどの苦労”だったといいます。 麟蹄からナヌムの家に移り、2000年1月16 日、病のため亡くなりました。77歳でした。

      ………………………………………………………………………………………………………………………………
  以上の文は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』68号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』23号合併号(2023年10月10日発行)に掲載したものです。
    
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログに昨日(2024年2月22日)掲載した「女性たち、日本軍占領下の海南 島で」は、한국정신대연구소 엮음『일분군‘ 위안부’ 피해자 김옥주 구술자료집 』(韓国挺身隊研究所編『日本軍‘慰安婦’被害者 金玉珠 口述資料集』、韓国女性人権振興院刊、2022年韓国女性人権振興院刊)の巻末に付録として掲載された金靜美「일본군 점령하 하이난다오(海南島)의 여성들」の日本語版です。
      ………………………………………………………………………………………………………………………………
■付記
 『일분군‘ 위안부’ 피해자 김옥주 구술자료집 』の巻末には、付録として金靜美「일본군 점령하 하이난다오(海南島)의 여성들」とともに佐藤正人「하이난다오(海南島) 전시 성폭력 피해 소송」が掲載されています。その原文(日本語)は、つぎのとおりです。

◆海南島戦時性暴力被害訴訟◆ 
 ◆訴訟開始
 住んでいる村に突然侵入してきた日本軍によって、少女の時に日本軍隊性奴隷とされた黄玉鳳さん、陳金玉さん、鄧玉民さん、陳亜扁さんは、黄有良さん、林亜金さん、譚玉蓮さん、譚亜洞さんの8人は、2001年7月16日に、日本国を被告として、「名誉及び尊厳の回復のための謝罪」と「名誉及び尊厳の回復がなされてこなかったことに対する損害賠償」を求めて、訴状を東京地裁にだしました。
 この年11月に、黄有良さんが、東京地裁で開かれた第1回裁判(口頭弁論)で「意見」を述べました。
 その後、原告が出席しないまま裁判が続けられましたが、2005年3月の第9回裁判の場で、原告の林亜金さんと海南島史研究者である張応勇さんが、2006年3月の第14回裁判の場で、原告の陳亜扁さんが証言しました。

 ◆一審判決
 2006年8月、5か月ぶりで再び来た原告の陳亜扁さんが見まもるなかで、東京地裁民事24部の裁判官(矢尾渉、梶智紀、亀村恵子)は、海南島における日本軍の性犯罪事実とその不法性を認定しながら日本政府を免罪し、「原告らの請求をいずれも棄却する」という不当判決をだしました。
 原告と海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団は直ちに控訴し、中国人戦争被害賠償請求事件弁護団は、海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団と共同抗議声明をだし、中華全国律師協会・中華全国婦女聨合会・中国人権発展基金会・中国法律援助基金会・中国抗日戦争史学会は共同抗議声明をだしました。

 ◆『日軍侵陵暴行実録』
 2001年7月に黄有良さんらが日本の裁判に、日本人弁護士24人を代理人として訴状を出す6年半前、1995年2月に発行された『日軍侵陵暴行実録』(政協陵水黎族自治県委員会文史学習委員会編『陵水文史』第7輯)に掲載されている黄有良口述・胡月玲整理「一位“慰安婦”的血和泪」には、
    “黄有良さんの村(架馬村)から40メートルの地点に日本軍は軍営を作った。
   日本兵30人あまりが駐屯した。
   その軍営を拠点にして日本軍は、近くの黎族の村を襲撃し、多くの人を殺し、女性に暴行した……”
と書かれています。
 黄有良さんら8人の原告に危害を加えたのは、海南海軍第16警備隊加茂分遣隊、保亭派遣隊、藤橋派遣隊などに所属する日本兵たちでした。
 海南海軍第16警備隊に所属する日本兵は、1945年には「朝鮮村」でおおくの朝鮮人を虐殺していました(当時の第16警備隊司令は、海軍大佐能美実)。海南警備府第16警備隊が軍事支配しようとしていたのは、ほぼ現在の三亜市、保亭黎族苗族自治県、陵水黎族自治県に相当する地域でした。
 陳亜扁さんが最初に被害を受けた場所は、海南警備府第16警備隊所属祖関守備隊の兵舎(あるいはその周辺)だったと思われます。

 ◆加害将兵の所属部隊と氏名
 日本政府は、アジア太平洋各地で侵略犯罪を直接実行した犯罪集団の部隊名・指揮官名・将兵名をほとんど明らかにしていません。海南島における侵略犯罪の場合も同じです。
 8人の原告を襲ったのは、日本海軍海南警備府第15警備隊の南林地域、保亭地域、加茂地域、祖関地域、田仔地域駐屯部隊の将兵の将兵でした。
 藤橋分遣隊などの構成員にかんして、これまでわたしたちが公開されている旧日本軍文書(『海南警備府戦時日誌』、『海南警備府戦闘詳報』など)のなかで発見できたのは、つぎのような、わずかなことだけです。

 1944年4月の藤橋分遣隊指揮官は、兵曹長横山壽。1944年5月の藤橋分遣隊指揮官は、少尉寺角八十一。当時の藤橋分遣隊部隊員数74人、准士官以上2人、下士官兵37人、巡査補35人。藤橋分遣隊警察隊員数8人、巡査6人、巡査補2人。
 1944年4月の保亭派遣隊指揮官は、少尉寺角八十一、同年5月の保亭派遣隊指揮官は兵曹長横山壽。
 1944年4月の加茂分遣隊指揮官は、二曹田中勝次郎、同年5月の加茂分遣隊指揮官は一曹野尻竹次郎。
 1944年4月、5月の什令分遣隊指揮官は、上曹東川七之助。
 1944年4月・5月の藤橋分遣隊指揮官と、保亭分遣隊指揮官は、入れかわっていますが、兵曹長横山壽や少尉寺角八十一が指揮官であった時期に、黄有良さんは、1944年4月、5月にも、藤橋の「慰安所」に監禁されていました。

◆二審開始
 2007年5月15日に、東京高等裁判所で「海南島戦時性暴力被害訴訟」の二審の審理が開始され、9月25日に第2回裁判、10月18日に第3回裁判が開かれました。
 2008年1月15日午後2時から、東京高裁818法廷で、高裁4回目の裁判が開かれました。この日、黄有良さんが海南島から来て証言しました。

◆証言する黄有良さん
 黄有良さんの証言を傍聴しようとして、この日東京高裁前には、100人以上の人が集まりました。50枚ほどの聴券が抽選で配られました。
 黄有良さんは黎族で、漢語を話しません。法廷では、黄有良さんの話す黎語を、海南島から同行してくれた胡月玲さんが漢語に通訳し、それを徳永淳子さんが日本語に通訳しました。
 胡月玲さんは、「一位“慰安婦”的血和泪」を書いた人です。
 黄有良さんは、低い声で、静かに、日本軍が何をやったのかを語りました。

◆ハイナンNET
 2005年3月16日に林亜金さんと張応勇さんが東京地裁で証言する1か月ほど前、ハイナンNET(海南島戦時性暴力被害者への謝罪と賠償を求めるネットワーク)が組織されました。
 黄有良さんが高裁で証言した2008年1月15日の夕刻、ハイナンNETは報告集会を開きました。
 傍聴できなかった人もふくめ70人あまりが参加したこの集会に来てくれた黄有良さんは、
    「日本政府はきちんと謝罪し、わたしたちの‘潔白’を証明すべきだ。
     こんなに多くの人がわたしたちを支援しているのを知ってうれしい」、
と穏やかな表情で語りました。

◆原告林亜金さんと証人張応勇さん
 2005年3月15日の「海南島戦時性暴力被害訴訟」の東京地方裁判所での第9回裁判で原告林亜金さんと証人の張応勇さんが証言しました。
 証言の前々日、弁護団と支援者が集まった席で、マスメディアに写真取材を認めていいかどうかなどが議論になったとき、林亜金さんは、「ウェイダー」と言いました。「ウェイダー」は、「恐れることはなにもない」という意味の黎語です。
 林亜金さんと張応勇さんが、東京地方裁判所で証言した2日後、2005年3月18日に、東京高等裁判所で、中国人「慰安婦」裁判第2次訴訟の控訴審判決が出されました。この判決を、林亜金さんと張応勇さんは傍聴しました。郭喜翠さんと侯巧蓮さんは、1996年2月に、被害事実の認定と、日本政府の公式謝罪と賠償を求めて提訴していました。控訴審判決は、原告が1949年から中華人民共和国政府のもとに生活しているにもかかわらず、1952年に蒋介石政権との間に締結された「日華平和条約」にもとづいて、原告の損害賠償請求権の放棄を認定する不当判決でした。
 侯巧蓮さんは、1999年5月に亡くなられました。
 東京地方裁判所で証言してから9か月後の2005年12月28日朝5時に、張応勇さんが亡くなられました。

◆陳金玉さん
 2004年9月に、原告の黄玉鳳さんが亡くなられました。
 2007年5月に、東京高等裁判所第21民事部(渡邊等裁判長)で二審の「海南島戦時性暴力被害訴訟」口頭弁論が開始されました。このときの「事件名」は、「日本軍によって「慰安婦」とされた中国海南島の被害者が日本政府に対して謝罪と名誉回復並びに損害賠償を求めた控訴請求事件(海南島戦時性暴力被害賠償請求事件)」でした。
 2007年9月に第2回口頭弁論、2007年10月に第3回口頭弁論、2008年9月に第6回口頭弁論が開かれました。
 2008年12月に第7回口頭弁論が開かれ。原告の陳金玉さんが証言しました。
 陳金玉さんの証言を傍聴しようとして、朝9時半までに、裁判所前に、100人以上の人が集まりました。しかし、証言がおこなわれる東京高等裁判所424号法廷の傍聴席には42人しか入ることができず、抽選からはずれた人たちは傍聴できませんでした。  
 弁護団は、あらかじめ東京高等裁判所第21民事部渡辺等裁判長に大きな法廷を使うことを要請していましたが、裁判長は許可しませんでした。
 陳金玉さんは黎族で、漢語を話しません。法廷では、陳金玉さんの話す黎語を、海南島から同行した陳厚志さんが漢語に通訳し、それを徳永淳子さんが日本語に重訳しました。
 陳金玉さんは、静かに、日本兵から加えられて危害について語り、そのときこころとからだに受けた、いまも癒されることのない傷について話しました。
 証言をはじめてからまもなく、陳金玉さんは、涙声になり、話しができなくなり、10分ほど休廷しました。
 証言のおわりに、陳金玉さんは、被告席に座っている3人の日本国の代理人の方を向いて、日本政府に歴史を直視し事実を認め謝罪し賠償することを求めました。
 その3年10か月足らずのちの2012年9月22日に陳金玉さんは亡くなられました。

 ◆二審判決、そしてその後
 2009年3月26日に、東京高等裁判所第21民事部は控訴人らの請求を棄却するという判決をだしました。同日、直ちに、海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団と中国人戦争被害賠償請求事件弁護団が連名で、つぎのような声明をだしました。その要旨はつぎのとおりです。

   本件は,中国海南島において,旧日本軍(主として海軍)が中国人の少女を強制的に拉致・監禁し,継続的かつ組織的に戦時性奴隷とし
  た事案である。
   本判決は,「本件被害女性らは,本件加害行為を受けた当時,14歳から19歳までの女性であったのであり,このような本件被害女性らに対し
  軍の力により威圧しあるいは脅迫して自己の性欲を満足させるために陵辱の限りを尽くした軍人らの本件加害行為は,極めて卑劣な行為で
  あって,厳しい非難を受けるべきである。このような本件加害行為により本件被害女性らが受けた被害は誠に深刻であって,これが既に癒さ
  れたとか,償われたとかいうことができないことは本件の経緯から明らかである」(判決書28頁)と認定している。
   本件被害の質的側面においてもPTSDはもとより「破局的体験後の持続的人格変化」も認定している(判決書30頁)。
   以上の事実認定を踏まえ,国家無答責の法理を排斥したうえ民法715条1項を適用し控訴人らの損害賠償請求権を認めた。
   アメリカ連邦下院における対日謝罪要求決議の外,カナダ,オランダ,EU議会,国連人権理事会,国連自由権規約委員会,ILO条約勧告適
  用専門家委員会等々で解決を求める決議がなされている。このように国際社会は,被害を受けた女性の尊厳と人権の回復のための真の措置
  をとるよう日本政府に強く迫っている。
   国内においても宝塚市,清瀬市,札幌市に続いて福岡市議会において3月25日解決を求める決議が賛成多数で可決された。
   このように解決を迫る世論は国内外を問わず高まっている。
   日本政府は,本判決で厳しく認定された加害の事実と深刻な被害の事実を真摯に受け止め,被害者一人一人が納得するように謝罪をし,そ
  の謝罪の証として適切な措置をとるべきである。

 2010年3月2日 最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)、「海南島戦時性暴力被害賠償請求事件」上告を棄却し上告受理申立を不受理とする決定。海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団と中国人戦争被害賠償請求事件弁護団、抗議声明。
 2010年9月8日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告譚亜洞さんが亡くなられました。
 2012年9月22日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告陳金玉さんが亡くなられました。
 2013年10月17日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告林亜金さんが亡くなられました。
 2014年6月19日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告鄧玉民さんが亡くなられました。
 2017年5月11日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告陳亜扁さんが亡くなられました。
 2017年8月12日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」最期の原告黄有良さんが亡くなられました。

◆張応勇さん
 1993年に張応勇さんは、海南島の保亭黎族苗族自治県の県道工事で働いていた朴来顺さんに出会いました。
 朴来順さん(1912年生)は、朝鮮人で、1941年に日本軍にだまされて中国につれてこられて「慰安妇」にされ、1942年に海南島に連行されていました。1945年8月に日本が投降したあと保亭に留まり、1994年に病死しました。
 1994年5月に張応勇さんは、南林郷羅葵村委会什号村に住む林亚金さんを始めて訪ねました。このころから張応勇さんは、保亭黎族苗族自治県とその周辺地域で日本軍の性奴隷とされていた人からの聞き取りと記録を熱心に始めました。
 保亭黎族苗族自治県の保亭の自宅を突然訪問し、保亭文史資料工作委員会主任であった張応勇さん(1940年生)にはじめて会ったのは、2002年3月でした。
 2002年10月に、金靜美さんとわたしは、朴来順さん(1912年生)について、くわしく話しを聞かせてもらいました。
 張応勇さんは、
  「日本の罪悪史を調査していて、朴来順さんのことを知った。
   国籍も中国に変えないでいるのに、なぜ故郷に帰らないのか、知りたいと思った。
   最初は、なにも話してくれなかった。なんども訪ねて、世間話だけして、帰ってきた。
   病気になって、“わたしはもう死にゆく身だから、みんな話してあげよう”といって、ようやく、1994年秋ころからすこしづつ話しを聞か
  せてもらうこができた。
   故郷に帰りたかったら、領事館を通じて話をしてあげようと言ったが、“ここで長い間暮らしたのだから、ここで死ぬ”といった」
と話しました。
 朴来順さんが保亭の病院で亡くなったのは、韓国と中国が国交を樹立してから3年後の1995年でした。
 2003年7月に、わたしたちは、張応勇さんに、朴来順さんが死ぬときまで住んでいたところ(保亭亭県公路局宿舎)に案内してもらいました。

◆朴来順さんの墓
 2000年3月に、金靜美さんとわたしは、保亭に行き、朴来順さんの墓を訪ねました。
 保亭県公路局が建てた墓誌には、「生於一九一二年卒於一九九五年」、「祖妣韓国僑工来順朴氏墓」と刻まれていました。朴来順さんは、日本の軍艦にのせられて、1942年2月に海南島北部の海口につれてこられ、海口の「慰安所」にいれられ、1943年1月に、海南島南部の三亜紅沙の「慰安所」に移されました。日本敗戦後も故郷に戻らず、保亭県の公路局で働き、1995年に亡くなり、保亭郊外に埋葬されました。
 2004年2月に、わたしたちは、朴来順さんの故郷、慶尚南道咸安を訪問しました。朴来順さんの家のあった場所は空き地になっていました。

◆海南島に連行され「慰安婦」とされた朝鮮人女性と台湾人女性
 朴來順口述・張應勇整理「我被騙逼當日軍“慰安婦”的經歴」〈『鐵蹄下的腥風血雨――日軍侵瓊暴行實錄――』下,海南省政治協商會議文史資料委員會編,1995年〉、牛泊「北黎日軍“慰安所”簡況」〈政協東方黎族自治県委員会文史組編『東方文史』8、1993年3月〉、戴沢運「日軍的慰安所」〈政協昌江黎族自治県委員会文史資料組編『昌江文史』6、1997年1月〉、戴沢運「日寇鉄蹄残踏昌感見聞」〈政協東方市文史委員会編『東方文史』10、1999年12月〉などの記述を総合すれば、海口、三亜、北黎、石碌、藤橋、陵水などの「慰安所」に収容されていた朝鮮人女性は70~80人である。調査をすすめれば、この数はさらに増えるかもしれない。
 1945年に「三亜航空隊」の第二中隊長であった楢原留次によれば、飛行場近くにあった「つばき荘」という名の「慰安所」には、朝鮮人女性15人が「収容」されていたといいます(楢原留次「海軍経歴と海南島勤務」、『三亜航空基地』三亜空戦友会事務所刊、1980年)。
 2003年春に、わたしたちは、慶尚南道生まれの朴来順さんが2年7か月間入れられていた紅沙の「慰安所」跡を訪ねました。
 子どものころからその近くに住んでいた蘇殷貞さん(1931年生)は、
   「建物は三つあった。一般兵士は土日、将校は金曜日に来た。一般人はそこに入ることもできなかった。朝鮮人の女性は、白い服を着て
  いた。長いスカートだった。(チマ・チョゴリの絵を書いて見てもらうと)。これだ。こんな服を着ていた。朝鮮人の女性たちは髪が長かった。日本人は髪が短い。“アリラン”は聞いたことがある」
と、話しました。幼いときに蘇洪槙さんは、朴来順さんを見かけたことがあったかもしれません。
 朴来順さんは、故郷にもどることなく、1995年に海南島で病死しました。おなじ「慰安所」に入れられていた台湾の盧満妹さん(1926年生)は、謝罪と賠償を求めて、日本国を被告とする裁判闘争を1999年にはじめました。
 2000年12月に東京で開催された女性国際戦犯法廷で盧満妹さんは、
   「看護婦にならないかと騙されて、高尾から軍艦で海南島に連れていかれ、紅沙の「慰安所」に入れられた。そこには30人あまりの女性
  が入れられており、30人が台湾人で、朝鮮人女性や日本人女性もいた」
と証言しました。
 盧満妹さんは2011年8月に亡くなられました。

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 以上の海南島戦時性暴力被害訴訟にかんする報告の前半は、海南島近現代史研究会『会報』創刊号(2008年2月10日発行)に掲載したもので、後半(「原告林亜金さんと証人張応勇さん」以後)は、2022年10月に書いたものです。   佐藤正人
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