■紀州鉱山について■
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の事実などを明らかにするために、朝鮮人と日本人が1997年2月に結成した民衆組織です。
紀和町での聞き取り調査、および植民地朝鮮から強制連行された人たちからの聞き取りによって、アジア太平洋戦争中に、紀州鉱山で1000名を越える朝鮮人が強制連行されており、そのうち20名近い朝鮮人が紀州鉱山で死亡しているという事実が明らかになりました。
この調査を踏まえて、会は1998年4月1日に紀和町と教育委員会に対してつぎのような要請をおこないました。
一 紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の歴史的事実を早急に調査し、『紀和町史』にその事実を明記すること。
二 紀和町鉱山資料館には、紀州鉱山への朝鮮人強制連行に関する事実を示す展示がない。紀和町と紀和町教育委員会は、紀和町鉱山資料館に紀州鉱山への朝鮮人強制連行に関する資料・文書を展示すること。
三 紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行に関する資料を探索し開示すること。
四 紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山に強制連行され亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立し、定期的に追悼式をおこない、また追悼碑の維持・管理に責任をもつこと。
また、追悼式に、遺族および紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の参加を保証すること。
この要望に基づき紀和町との話し合いがおこなわれ、紀和町は次の点を約束しました。
一については、紀和町は歴史的事実の調査の必要性を認めて、当時の久保幸一教育長はご自分で関連資料をファイルし資料収集作業を進められました。
『紀和町史』における朝鮮人強制連行の記述の書き直しについては合意を得られていませんが、現行の記述がきわめて不十分なものであることは紀和町も認めています。
二について、紀和町は鉱山資料館に朝鮮人の強制連行に関する資料の展示に同意し、会のほうで石原産業が内務省に提出した朝鮮人の名簿、会の調査資料集、韓国のテレビ局(安東文化放送)が1998年に制作したドキュメンタリー『紀伊半島に隠された真実』(紀州鉱山の真実を明らかにする会協力)などを提供しました。すでにこれらの資料は鉱山資料館に展示されています。
しかし、紀州鉱山への朝鮮人強制連行に関して、わたしたちの会が作成した解説文を送ったにもかかわらず、いまだに鉱山資料館に掲示されていませんので、早急に掲示していただくよう要望いたします。
三については、紀和町から
「石原紀州鉱山、三重県町、県史編纂室などに出向いて資料収集に努めたが、入手できなかった。今後とも努力していきたい。強制連行についての事実確認はそちらでやっていただきたい。また資料、情報等があれば提供していただきたい」(2002年1月29日付)という旨の回答をいただいています。
みずから調査をするという約束をしておきながら、「調査はそちらでやっていただきたい」という回答がどうしてできるのか理解できません。
当時の紀州鉱山で就労経験のある人に聞き取り調査をすることは、紀和町としてすぐにでもできることであり、すべきことです。この調査について再度要望します。
四については、追悼式を紀和町としてやることはできない、と回答しています。
しかし、紀州鉱山に捕虜として強制連行され死亡した16人のイギリス人については、紀和町は1987年に町の指定文化財「史跡 外人墓地」としています。
また「紀南国際交流会」が主催して「慰霊祭」を開催しています。朝鮮人の強制労働による犠牲者についても、紀和町はどうして碑の建立や追悼式をすることができないのでしょうか。
わたしたちは紀和町とのこれまでの話し合いの経過を踏まえて、上記の四つの質問をあらためて熊野市に対して行います。
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「木本事件」における朝鮮人虐殺と紀州鉱山における朝鮮人の強制労働は、近代日本によるアジア植民地支配の歴史の一環として熊野地域に起きたもので、その歴史的事実を明らかにし、未来に向けて教訓化することは、当該地域の行政機関である熊野市に課せられた責務であると考えます。当時の存命者がしだいに少なくなっていく中で、事実の調査を早急に進める必要があります。