三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「独立運動家・洪範図に最高勲章授与 韓国」 

2021年08月17日 | 抗日・反日闘争
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210817001400882?section=news
「聯合ニュース」 2021.08.17 11:01
■独立運動家・洪範図に最高勲章授与 韓国
【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は17日、青瓦台(大統領府)で独立運動家・洪範図(ホン・ボムド)に最高勲章「建国勲章大韓民国章」を授与した。

【写真】京畿道・城南のソウル空港(軍用空港)で開かれた洪範図の遺骨返還式で敬礼する文大統領(右)=15日、城南(聯合ニュース)

 授与式には韓国を訪問しているカザフスタンのトカエフ大統領が出席した。
 青瓦台は洪範図に最高勲章を授与したことについて、「一生を独立運動にささげた功績に加え、全国民に独立精神を呼び起こし、国民統合と愛国心の高揚に寄与した」と説明した。
 洪範図は日本による植民地時代の1920年、旧満州で起きた鳳梧洞戦闘で日本軍と戦い、武装独立運動の歴史に残る勝利を収めた。抗日武装闘争を象徴する人物とされる。
 カザフスタンに強制移住させられ、同国に遺骨が埋葬されていた。文大統領が2019年4月、同国で行ったトカエフ大統領との首脳会談で洪範図の遺骨返還を要請。鳳梧洞戦闘から100年となる昨年の遺骨返還を計画したが新型コロナウイルスの影響などで延期となり、今回のトカエフ大統領の訪韓に合わせて実現した。
 洪範図の遺骨は解放記念日「光復節」の15日に故国に戻った。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40818.html
「The Hankyoreh」 2021-08-16 08:25
■祖国解放戦闘の「独立の英雄」帰還…文大統領が空港で自ら遺骨を出迎え
 洪範図将軍、100年ぶりの帰郷 
 大韓独立軍総司令官を務め 
 「白頭山の虎」と呼ばれた抗日闘士 
 特使団、カザフへ飛び遺骨収拾 
 特別機で帰還…空軍最高の礼遇飛行 
 文大統領「独立英雄を迎えて光栄」

【写真】カザフスタンから洪範図将軍の遺骨を運んできた特別輸送機が15日夕方、ソウル空港に到着した。遺骨が祭壇に運ばれている=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 祖国解放に生涯身を捧げ、「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」(1920)を勝利に導いた大韓独立軍総司令官、洪範図(ホン・ボムド)将軍(1868~1943)が光復節の15日、太極旗とともに故国に帰還した。
 洪範図将軍の遺骨を乗せた特別機はカザフスタンのクズロルダを出発し、この日夕刻、ソウル空港に到着した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領はソ・フン国家安保室長、ソ・ウク国防部長官らと共に空港で将軍の遺骨を自ら出迎えた。この日の特別機は、防空識別区域(KADIZ)進入後、韓国空軍の6機の戦闘機の援護飛行を受けて着陸した。1921年の沿海州移住から100年ぶりに故国に帰還する将軍を最高位の礼遇で迎えるために、大韓民国空軍が運用する戦闘機種がすべて投入された。洪将軍の遺骨は、軍楽隊の声楽兵が「オールド・ラング・サイン」を独唱する中、儀仗隊の護衛を受けながら特別輸送機から降ろされた。「オールド・ラング・サイン」はスコットランド民謡に愛国歌の歌詞をつけた曲で、1896年11月の独立門の定礎式で培材学堂の学生たちが合唱して以降、独立運動家たちの間で国歌のように歌われた。

【写真】洪範図将軍の遺骨が15日、韓国に返還されるためにカザフスタンのクズロルダ空港で国軍の儀仗隊によって特別輸送機(KC-330)に移されている。洪将軍の遺骨は前日にクズロルダの墓域で収拾され、仮の棺に収められてカザフスタン国旗に包まれ、現地の病院に仮安置された。この日、正式な棺に移され、太極旗に包まれて特別輸送機に乗せられた=クズロルダ/聯合ニュース

 洪将軍の遺骨返還は、2019年4月の韓国-カザフスタン首脳会談で文大統領がカシムジョマルト・トカエフ大統領に要請したことで本格的に進められ、16日のトカエフ大統領の訪韓で実を結んだ。
 ファン・ギチョル報勲処長を団長とし、汝千(ヨチョン。洪範図将軍の号)洪範図将軍記念事業会理事長のウ・ウォンシク議員や、映画俳優のチョ・ジヌンさんらからなる大統領特別使節団は14日(現地時間)、カザフスタンの洪範図将軍の墓域で追悼式を行った。追悼式後、国防部遺骨発掘団と葬儀指導士が将軍の遺骨を収拾し、棺に納めた。その後、高麗人協会の主管で祭礼儀式が行われた。将軍の遺骨はカザフスタンの洪範図通り、文化会館などを経てクズロルダ州病院に仮安置された。その後、太極旗に包まれ、輸送機に乗せられて数千キロを飛行し、故国に到着した。
 将軍の遺骨は国民追悼期間を経て、18日に大田(テジョン)顕忠院に埋葬される。国家報勲処は15日から20日まで、国家報勲処ウェブサイトに「将軍の帰還」と題してオンライン追悼空間を設けている。また16日からの2日間、大田顕忠院に「国民焼香所」を設置する。
 文在寅大統領は15日の光復節演説の冒頭で「光復76周年を迎えた本日、ついに洪範図将軍の遺骨が故国に到着する」とし、「独立の英雄たちを祖国にお迎えすることは、国と後の世代が当然果たすべき責務であり光栄と考え、最後まで最善を尽くす」と語った。
 平壌(ピョンヤン)で生まれた洪範図将軍は、日帝治下で義兵闘争に身を投じた。大韓独立軍総司令官となり、間島と沿海州で「白頭山の虎」と呼ばれ、日本軍を討伐した。洪将軍は1937年、旧ソ連スターリン政権の韓人強制移住政策でカザフスタンのクズロルダに移住。現地で75歳で死去した。
ソ・ヨンジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/1007786.html
韓国語原文入力:2021-08-15 21:37


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210816001100882?section=news#none
「聯合ニュース」 2021.08.16 12:04
■独立運動家・洪範図の遺骨返還 文大統領「意味ある帰還」 
【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日本による植民地支配からの解放記念日「光復節」の15日夜、京畿道・城南のソウル空港(軍用空港)で開かれた独立運動家・洪範図(ホン・ボムド)の遺骨返還式に出席した後、遺骨が埋葬されていたカザフスタンに派遣された特使団の黄基鉄(ファン・ギチョル)国家報勲処長や俳優のチョ・ジヌン氏らと懇談し、遺骨の返還は「大変意味のある帰還だ」と述べた。青瓦台(大統領府)の朴ギョン美(パク・ギョンミ)報道官が16日、伝えた。

【写真】政府の特別輸送機で韓国に到着した洪範図の遺骨(資料写真)=(聯合ニュース)
【写真】骨に対して敬礼する文大統領(右)=15日、城南(聯合ニュース) 

 文大統領は、洪範図記念事業会の広報大使として活動する予定のチョ氏に対し「国民の中には洪範図将軍について十分に知らない人もいるため、記念事業会を中心に抗日独立運動の先頭に立った方の生涯と高貴な志を積極的に広めるよう努力してほしい」と呼び掛けた。
 韓国映画「暗殺」や「大将金昌洙(キム・チャンス)」(原題)で独立運動家を演じたチョ氏は、今回の遺骨返還に当たり特使団の一員としてカザフスタンを訪問した。

 文大統領が洪範図の遺骨発掘について尋ねると、黄氏は「全ての過程が順調だった」としながら、6尺(約182センチ)を超える長身だったとみられると説明した。

 独立軍を率いた洪範図は1920年、旧満州で起きた鳳梧洞戦闘で日本軍と戦い、武装独立運動の歴史に残る勝利を収めた。


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40794.html
「The Hankyoreh」 2021-08-13 07:10
■掘っ立て小屋で死んでいった「独立の英雄」洪範図、78年ぶりに故国へ
 親日派を処断し、「飛ぶ洪範図」の異名 
 武装闘争勝利の歴史「鳳梧洞戦闘」を率いる 
 「一兵卒姿に日本軍を狩る銃だけを持った将軍」  
 高麗人強制移住でカザフスタンへ 
 劇場の警備員として働き、生活苦の晩年 
 文大統領の2019年からの返還努力が結実

【写真】1922年のモスクワ極東民族大会に参加した洪範図将軍/聯合ニュース

 「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘の英雄」洪範図(ホン・ボムド)将軍の遺体が、今年の光復節を機に、逝去から78年ぶりに故国に戻る。洪範図将軍は1943年、祖国の光復(独立)を見ることなく、ソウルから5000キロ離れた中央アジアはカザフスタンのクズロルダに埋葬された。
 大統領府は12日、カザフスタンのクズロルダに埋葬されている洪範図将軍の遺体が、光復76周年を迎える15日夜にソウルに到着すると明らかにした。旧韓末の1868年、平壌(ピョンヤン)で貧しい農夫の息子として生まれた洪範図将軍は、国運が傾きつつあった1895年、江原道淮陽(フェヤン)で蜂起して日本兵を射殺し、抗日運動を開始した。猟師として生活していた洪将軍は、大韓帝国が乙巳条約や丁未条約などで事実上、日本の属国に転落すると、1907年に猟師を集めて義兵部隊を結成した。その後、30人あまりの日本兵を殺傷した厚峙嶺(フチリョン)戦闘などで、数十回にわたって日本軍と激戦を繰り広げた。親日派の官吏や富豪などを処断し、日本人の金鉱を襲撃して金塊を奪い軍資金とするなど、大胆不敵な活動を繰り広げ、「飛ぶ洪範図」と呼ばれてもいる。
 1910年8月に庚戌国恥(キョンスルククチ)で国権を奪われた後、洪将軍は間島と沿海州に舞台を移して活動を続けた。洪将軍は3・1万歳運動の翌年の1920年、独立武装闘争史で最も輝かしい勝利の一つとされる鳳梧洞戦闘を率いた。当時、洪将軍は「いつも階級章もない一兵卒のような姿で、指揮刀や拳銃の代わりに日本軍を狩る長銃2丁を持ち歩いていた」(『間島独立運動小史』)という。
 しかし、独立勢力の拠点だった満州と沿海州地域に対する日本の軍事的圧迫が強まると、洪将軍は独立軍の勢力を拡大するためロシア領土に移動したが、韓人武装勢力同士の紛争で多くの死傷者が発生した「自由市惨変」を経験した。ソ連共産党はこの事件以降、韓人武装勢力を強力に統制した。1937年にはスターリン政権の強制移住政策により洪将軍ら9万6000人あまりの高麗人がカザフスタンに強制移住させられた。洪将軍は、カザフスタンのクズロルダでは掘っ立て小屋に住み、高麗劇場の警備員として生計を立てるほど苦しい晩年を過ごし、75歳で死去した。
 国権侵奪とそれに続く武装独立闘争、高麗人強制移住まで、韓国現代史の痛みがそのまま刻まれている洪将軍の遺体の返還は、これまで政府の宿願だった。政府は1992年のカザフスタンとの国交樹立後、洪将軍の遺骨返還を推進してきた。金泳三(キム・ヨンサム)政権時代の1995年に一度返還が試みられたが、北朝鮮がカザフスタン政府に対して将軍の故郷が平壌であることを挙げて反対したという。遺骨をどこに返還するかをめぐり南北の意見の相違が表面化すると、カザフスタン政府と現地同胞社会は苦しい立場に立たされざるを得なかった。

【写真】鳳梧洞戦闘の英雄、洪範図将軍の遺体が光復節の15日夜、韓国に帰って来る。写真はカザフスタンのクズロルダにある洪範図公園の洪範図将軍の胸像=クズロルダ/聯合ニュース

 同胞たちが遺体返還に快く取り組めなかったもう一つの理由は、将軍の存在がカザフスタン高麗人社会で「精神的求心点」の役割を果たしていたからだ。彼らはクズロルダに将軍の墓を建て、「民族指導者」として称えてきた。カザフスタン政府も1994年に「洪範図将軍通り」を宣言するほど将軍を尊重してきた。遺体返還に同意すべき将軍の子孫がみな亡くなっていることも現実的な困難として作用した。
 このような中、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2019年4月にカザフスタンを訪問し、遺体返還に向けた外交的努力を傾けたという。こうした努力が実を結び、文大統領は昨年の3・1節記念演説で遺体の返還が決まったことを明らかにできた。大統領府の関係者は「鳳梧洞戦闘戦勝100周年(6月7日)を期して洪将軍をお迎えするために努力してきたが、残念ながらコロナ禍で返還が延期されてきた。今回のカザフスタン大統領の訪韓を機に実を結ぶことになった」と説明した。
 文大統領は遺体返還に向けて、14日にファン・ギチョル国家報勲処長を特使とする特使団をカザフスタンに派遣する予定だ。特使団には共に民主党のウ・ウォンシク議員(洪範図将軍記念事業会理事長)と、「暗殺」や「大将キム・チャンス」などの複数の独立運動映画に出演した俳優のチョ・ジヌンさんが国民代表として参加する。15日夜に故国に到着する洪将軍の遺体は、16~17日の国民追悼期間を経て、18日に大田(テジョン)顕忠院に埋葬される予定だ。
イ・ワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/1007492.html
韓国語原文入力:2021-08-12 17:39


https://japanese.joins.com/JArticle/281867?servcode=400&sectcode=400
「中央日報日本語版」 2021.08.13 08:52
■「鳳梧洞戦闘」を率いた独立活動家・洪範図将軍の遺骨、光復節に返還…78年ぶりに故国へ

【写真】洪範図将軍

 日帝強占期の「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」を大勝に導いた洪範図(ホン・ボムド)将軍の遺骨が死後78年ぶりに故国に戻る。
 青瓦台(チョンワデ、大統領府)のパク・ギョンミ報道官は12日、「カザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領が文在寅(ムン・ジェイン)大統領の招待で16、17日両日間、わが国を国賓訪問する予定」とし「トカエフ大統領の訪韓を機に洪範図将軍の遺骨を迎える予定」と明らかにした。
 文大統領は遺骨返還のために14日、黄基鉄(ファン・ギチョル)国家報勲処長を特使とする特使団をカザフスタンに派遣する。パク報道官は「特使団には洪範図将軍記念事業会の理事長を務めるウ・ウォンシク民主党議員と『国民代表』の資格の俳優チョ・ジヌンさんが参加する」と伝えた。チョ・ジヌンさんは、映画『暗殺』と『隊長キム・チャンス』で独立闘士役を演じて深い印象を残した点が考慮された。
 洪範図将軍は、日帝強占期の独立活動家で満州で独立軍を率いた人物だ。1920年崔振東(チェ・ジンドン)将軍とともに独立軍を率いて鳳梧洞の谷間で日本の正規軍「越江追撃隊」と戦闘を繰り広げて大きな勝利をおさめた。沿海州に居住していた1937年、スターリンの韓国人強制移住政策によってカザフスタンに移住し、1943年10月25日現地で生涯を終えた。カザフスタンのクズロルダに安置されていた彼の遺骨は光復節である15日韓国に到着し、16~17日国民追悼期間を経て、18日大田(テジョン)顕忠院(ヒョンチュンウォン)に埋葬される。
 文大統領は2019年4月カザフスタン国賓訪問の際、洪範図将軍の遺骨返還を要請し、その後カザフスタン政府が協力することを約束して両国が実務協議を進めてきた。政府は今回の遺骨返還に合わせて洪範図将軍に愛国心の鼓吹および民族アイデンティティの育成などの労をねぎらって1等級勲章である建国勲章大韓民国章を贈ることにした。
 トカエフ大統領の訪韓で実現する両国首脳会談は2016年ナザルバエフ大統領以降5年ぶりで、トカエフ大統領の就任後初めての訪韓だ。パク報道官は「カザフスタンは中央アジア内の韓国最大の貿易国であり、投資対象国として新北方政策推進の核心協力国」と紹介した。韓国は来年、カザフスタンと修交30周年を迎える。


https://www.donga.com/jp/List/article/all/20210813/2852407/1
「東亞日報」 August. 13, 2021 08:24
■洪範圖将軍の遺骨、光復節に戻ってくる
 日本による植民地時代に青山里・鳳梧洞(チョンサンリ・ボンオドン)戦闘を戦勝に導いた独立運動家洪範圖(ホン・ボムド)将軍(1868〜1943)の遺骨が、死去から78年ぶりに光復節(クァンボクチョル、独立記念日)の15日、祖国に帰ってくる。
 大統領府の朴炅美(パク・ギョンミ)報道官は12日のブリーフィングで、「カザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領が、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の招待で16日と17日、韓国を国賓訪問する予定だ」とし、「トカエフ大統領の訪韓と連携して、カザフスタンのクズロルダに埋葬されている洪範圖将軍の遺骨を運んで来る予定だ」と明らかにした。さらに、「15日午後に到着する洪将軍の遺骨は、16日と17日の2日間、国民追悼期間を経て18日に大田(テジョン)顕忠院に埋葬される予定だ」と明らかにした。
 文大統領は遺骨奉還のため、14日、黃基鐵(ファン・ギチョル)国家報勲処長を特使とする特使団をカザフスタンに派遣する予定だ。特使団には、洪範圖将軍記念事業会理事長である与党「共に民主党」の禹元植(ウ・ウォンシク)議員と、国民代表の資格で新興武官学校事業会広報大使である俳優の趙震雄(チョ・ジンウン)氏が参加する。これに先立って、文大統領は2019年4月のカザフスタン国賓訪問で、洪将軍の遺骨返還を要請し、その後政府がカザフスタン側と実務協議を進めてきた。政府は昨年、鳳梧洞戦闘戦勝100周年を迎え、遺骨返還を推進したが、新型コロナウイルス禍の影響で先送りになった。
 カン・シンチョル大統領国防改革秘書官は、「洪将軍は、沿海州に居住した1937年、スターリンの韓国人強制移住政策に従ってカザフスタンに移住し、翌年カザフスタンのクズロルダに定着後、1943年にこの世を去った」とし、「洪将軍は1921年に沿海州に移住してから100年ぶりに祖国に戻るだけに、今回の遺骨奉還の意味はなおさら大きい」と語った。さらに「洪将軍は、民族精気の宣揚と国民愛国心の向上、高麗人の民族アイデンティティの向上だけでなく、韓国とカザフスタン間の友好増進に貢献した功績も新たに認められ、今回建国勲章最高等級である大韓民国章が授与されるため、遺骨奉還の意味はさらに大きい」と述べた。洪将軍は1962年、建国勲章2等級の大統領章を受けている。
 一方、トカエフ大統領の訪韓は、2016年以降5年ぶりのことだ。昨年1月に新型コロナ禍が始まって以来、海外首脳の初の国賓訪韓となる。朴報道官は、「カザフスタンは中央アジアで韓国の最大貿易国であり、投資対象国として新北方政策推進の中心的協力国だ」とし、「交通・インフラ・建設、情報通信技術(ICT)、保健、環境など多様な分野で両国の実質協力を拡大する案を論議する予定だ」と説明した。両国は来年、国交正常化30周年を迎える。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210812003500882?section=news
「聯合ニュース」 2021.08.12 17:04
■独立運動家・洪範図の遺骨 解放記念日にカザフから返還=韓国
【ソウル聯合ニュース】韓国青瓦台(大統領府)は12日、日本による植民地支配からの解放記念日「光復節(15日)」に独立運動家・洪範図(ホン・ボムド)の遺骨返還が行われると発表した。14日に洪範図の遺骨が埋葬されているカザフスタンに黄基鉄(ファン・ギチョル)国家報勲処長を特使として派遣する。

洪範図(資料写真)=(聯合ニュース)

 遺骨は15日に韓国に到着。16日と17日の国民追悼期間を経て、18日に中部の国立墓地、国立大田顕忠院に埋葬される。
 遺骨返還は16日からのカザフスタン大統領の国賓訪問に合わせる形で実現した。
 独立軍を率いた洪範図は1920年、旧満州で起きた鳳梧洞戦闘で日本軍と戦い、武装独立運動の歴史に残る勝利を収めた。
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「反日を越えて連帯へ…映画『東アジア反日武装戦線』8月20日公開」

2020年07月23日 | 抗日・反日闘争
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/22/2020072280084.html
「NEWSIS/朝鮮日報日本語版」 2020/07/22 14:00
■反日を越えて連帯へ…映画『東アジア反日武装戦線』8月20日公開
 キム・ミレ監督のドキュメンタリー映画『東アジア反日武装戦線』が来月20日に封切られる。
 配給会社アイエムは21日、こうしたニュースを伝えると共にメーン予告編を公開した。
 『東アジア反日武装戦線』は、1974年に東京の三菱重工業で起きた時限爆弾爆発事故(原文ママ)など、日帝戦犯企業連続爆破事件(連続企業爆破事件。1974-75)を題材にした映画だ。戦後日本社会の真の反省を求め、日本帝国主義侵略の歴史を止めて東アジア連帯に乗り出すために行動する人々を記録した。
 メーン予告編は、『東アジア反日武装戦線』という名が与える強烈で直接的なイメージとは対照的な、抒情的な自然の風景と声明書を読むある日本人の淡々とした声で始まる。「われわれは、その日本帝国主義者の子孫」と告白する声と共に、1974年8月30日の三菱重工爆破に始まって75年の間組大宮工場爆破に至るまで、韓国では知られていなかった戦犯企業爆破事件が次々と登場する。
 最後を飾る「私たちは日本を止めたかった」というコピーは、『東アジア反日武装戦線』がいまだ成し遂げられていない任務と、新たな意味を打ち立て続けていく姿を暗示する。
 配給会社側は「映画は、憤怒と単線的イメージでつづられた『反日』ではなく、暴力の根源に対する探究と国際平和、連帯への拡張に重点を置いた」とコメントした。
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「満州の高句麗遺跡一帯を揺るがした抗日闘争の記録発見」

2020年02月17日 | 抗日・反日闘争

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/35763.html
「The Hankyoreh」 登録:2020-02-16 22:34 修正:2020-02-17 08:26
■満州の高句麗遺跡一帯を揺るがした抗日闘争の記録発見
 [ノ・ヒョンソクの時事文化財] 

 1938年日本人 七田氏の『集安行』 
 チョン・インソン嶺南大学教授が入手し公開 
 鴨緑江辺の集安の高句麗古墳群 
 現場研究者が遭遇した抗日闘争 
 中国共産党・朝鮮人のパルチザン部隊が 
 日本軍警と繰り広げた戦闘を生々しく記録 
 古墳の大棟瓦、舞踊塚の鉄釘などは 
 集安遺跡の考古学的情報を見せる

【写真】1930年代高句麗古墳の三室塚の石室内部写真。わらを敷いて作った寝場所の痕跡が見え、当時集安一帯に出没した抗日遊撃隊の仮住居だった可能性がある。高句麗の騎馬兵と神獣を描いた壁画も見える。1938年集安高句麗遺跡に対する日本の学者の現地調査報告書『通溝』より//ハンギョレ新聞社

 「父は80余年前に満州の集安の高句麗遺跡を調査して、詳細な現場日誌を残しました。その後は家で大切に保管してきました。それがこれです」。
 2019年7月、日本の福岡で考古学者の七田忠昭氏に会ったチョン・インソン嶺南大学教授は、思いがけない内容が記録された古い一冊のノートを渡された。『集安行』というタイトルの20×16センチ大の小さなノート。28枚の紙には、七田氏の父、七田忠志氏が1938年5月17日から同年7月5日まで高句麗の二番目の都である通溝県集安の高句麗遺跡を朝鮮古跡研究会の事業で調査した当時の状況が生き生きと記されていた。
 チョン教授が何よりも驚いたのは、日誌には集安の高句麗古墳群を背景に出没した抗日遊撃隊の戦果が多数記録されていたためだ。七田氏は彼らを「匪賊」と表現したが、日誌は当時中国共産党と朝鮮人パルチザン部隊の襲撃で集安一帯の治安が不安定で、日本の研究者が極めて不安に思ったことを示していた。

【写真】日誌『集安行』の本文の内容の一部。1938年5月17日の記録だ//ハンギョレ新聞社

 「城内に入り集安旅館に泊まった…門前のトラック数台に分乗した警察隊が、匪賊討伐のために出発しようとする場面に遭った。気の抜けたような警官、何を為し得るであろうか?」(5月17日)。
 「17号墳、四神塚、イシルブン工事監督。大工に命じて急ぎ古墳の扉に鍵を付け、石室への無断侵入を阻止」(6月3日)、「夜11時頃、県公署から匪賊の状況が悪化したので…軽武装し集合せよと連絡来る…軍装のまま毛布を腹にかけ就寝」(6月11日)。
 「午前1時、…緊張した声に目覚める…匪賊の襲撃が…機関銃音が騒々しい。遊撃隊あわただしく出動…再び寝つくことはできなかった…トグジャの端にある今井組が襲撃にあい、邦人多数が惨殺、拉致されたという…約6割程度が朝鮮人というが、(食事の仕度をする)老婆は腸が露出した状態で惨殺されたと…子持ちの夫人3人は哀れに思った女匪賊の同情で帰って来た…突撃隊の子供は、日本人はバカバカだと言ったという。『間島(カンド)で日本軍が…私たちの両親・兄弟を何もしないのに殺した』と、『日本人は鬼畜だ』と言ったと」(6月20日)。
 「匪賊300人、午前12時30分頃、東江(トンガン)襲撃…途方もなく騒がしいサイレン、県公署に避難、男は武装し、各自警備に臨む…匪賊は二手に分かれて…一群は将軍塚の後方に、他の群れはトンデジャからケア江綱渓谷に出てきて逃走。機関銃と小銃の音が激烈だ」(6月24日)。「大城に匪賊襲撃」(7月1日)。

【写真】日誌『集安行』の本文の内容の一部。1938年5月17日の記録だ//ハンギョレ新聞社

 記録に出てくるトクジャ、東江など見慣れない地名は、すべて高句麗遺跡付近の村だ。内容が現場ルポを見るように具体的で迫力にあふれている。抗日遊撃隊と推定される勢力が、満州の高句麗遺跡付近で行った戦闘の現場記録が出てきたのは、七田氏の記録が初めてだ。チョン教授は「調査団が治安の悪化で撤収する直前に“大成”自体が襲撃を受けたという日誌の記録が出てきて、集安を遊撃隊が解放区にして占領した可能性もある」として「七田氏が1938年に日本の考古学雑誌に載せた報告書で、彼らを“共産匪賊”と書き、満州東邊道に主力が移動してきたと明らかにし、共産系列の武装勢力が1938年頃に集安に移ってきたという意味と見ることができる」と解釈した。
 日誌を公開した七田忠昭氏は、佐賀博物館の元館長で、韓国の学界では日本の世界的な古代住居遺跡「吉野ヶ里を調査した主役として知られている。2007年から北東アジア歴史財団のプロジェクトで、日本国内の高句麗関連遺物・記録を調査してきたチョン教授が、現地学者のほのめかされて彼に接触し、思いもしなかった近代史料を確保することになった。

【写真】1930年代の満州国時期、通溝県集安一帯の地図//ハンギョレ新聞社

 1930年代の間島と鴨緑江辺で、中国と朝鮮の共産主義者が力を合わせて東北抗日連軍を結成しパルチザン遊撃活動を行った事実は、北朝鮮の首席だった金日成の抗日闘争経歴とも直結する。当時、金日成が関与したパルチザン闘争の最も有名な成果が、1937年鴨緑江周辺の普天堡襲撃戦闘だ。発掘された日誌は、中国と北朝鮮の史料には出ていないが、普天堡戦闘に匹敵するほど激しかった抗日遊撃隊の活躍像を日本人の記録で実証されたという点で、歴史的価値が大きい。七田氏の日誌が発見され、満州、高句麗遺跡は20世紀始めに抗日闘争の舞台としての意味も持つことになったわけだ。

【写真】1930年代、日本の調査団が撮った当時の鴨緑江辺の通溝集安の入り口の風景。高句麗城を基に作った城壁がよく残っていて、左側に出入りする城門と楼閣が見える//ハンギョレ新聞社

 チョン教授が確認した七田氏の日誌と、彼が当時日本に持ってきた集安出土遺物は、今まで分からなかった集安高句麗遺跡の考古学的情報も相当数示している。太王陵の南西側の建物跡に多量の赤瓦無地の建物跡があるという記録からも、高句麗の王陵級古墳に使われた大棟瓦、舞踊塚から出土したという鉄釘4点は特に注目される。そのほかに日本の奈良県にある天理大付属図書館に保管された高句麗壁画模写の先駆者、小場恒吉の平南(ピョンナム)眞坡里古墳調査関連史料を発見し紹介して、日本所蔵の高句麗瓦の全貌を評価し分析した点も成果だ。詳細な内容は、財団が最近出した『日本所在高句麗遺跡-日帝強制占領期間高句麗遺跡調査研究V』に掲載され公開される予定だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr ) 写真:チョン・インソン嶺南大教授提供
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/928412.html
韓国語原文入力:2020-02-16 18:16
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「明東学校を監視した100年前の日帝機密文書発掘」

2020年02月17日 | 抗日・反日闘争
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/24920.html
「The Hankyoreh」 2016-08-16 13:45
■明東学校を監視した100年前の日帝機密文書発掘
 金躍淵記念事業会のキム・ジェホン事務総長が公開
 1912年の憲兵司令部「在外不良鮮人言動」
 強制併合の直後の満州・沿海州の抗日運動史料
 1919年の北間島領事分館の外務省報告
 尹東柱・宋夢奎の親など明東学校教師として確認

【写真】12年11月、朝鮮駐在憲兵隊司令部で作成した報告書「在外不良鮮人言動」の表紙//ハンギョレ新聞社

 映画「東柱」で、尹東柱(ユンドンジュ)や宋夢奎(ソンモンギュ)が生まれ育った明東村など北間(ブクカンド)と沿海州一帯の韓人共同体を、日帝が朝鮮支配初期から「不良鮮人本拠地」として集中的に監視した事実が確認できる秘密文書が100年ぶりに公開された。
 圭巌・金躍淵(キムヤクヨン)記念事業会のキム・ジェホン事務総長は15日の光復節を迎え、1912年11月に朝鮮駐在憲兵司令部、1919年6月に北間島頭道溝(トゥドグ)の日本領事館分館で、本国外務大臣に送った「機密公信」を発掘しハンギョレに知らせた。
 明治天皇の子で裕仁(ひろひと)の父の嘉仁(よしひと)が王位を継承した大正元年(1912年)11月の朝鮮駐在憲兵司令部の「在外不良鮮人言動」によると、強制併合された朝鮮本土とは違って民族精神教育と独立運動の勢いを衰えていない北間島の韓人たちの活躍ぶりを逆説的に確認できる。

【写真】「機密公信21号」の目次。露領(ウラジオストク一帯)、豆満江(北間島)、鴨緑江(西間島)、ハルビンから奉天(瀋陽)方面、米国地方に分け朝鮮人の抗日独立運動の動向を詳細に整理していた//ハンギョレ新聞社

 北間島キリスト教民族運動史が専門のソ・グェンイル韓神大教授(国史学科)は「文書の目次を見ただけで、露領(ウラジオストク一帯)、図們江(北間島)、鴨緑江(西間島)、ハルビン~奉天(瀋陽)方面、米国地方まで網羅されており、当時、朝鮮本土以外に広まっていた韓人共同体の国権回復と抗日闘争運動の様相を広範囲かつ総体的に表している」と史料価値を高く評価した。例えば、日付別に整理された文書には、浦潮(沿海州)で韓人らが真っ先に定着したゲチョン里で朝鮮人70人余りが決死隊を組織し、日本帝国の朝鮮侵奪を糾弾する檄文5千枚を配布して日本人に投石をしたという「報告」がされている。また、韓人学校で演説会を開き、異国の地で不幸にも病死した李儁(イジュン)烈士の妻や家族を助けると話され、安重根(アンジュングン)義士の殉国1周忌を迎え、義士の家族を助けるとする演説会が開かれたという記録もある。

【写真】1919年6月、北間島頭道溝の日本領事館分館から本国外務大臣内田康哉に送った「機密公信21号」//ハンギョレ新聞社

 ソ教授は「米国で結成された大韓人国民会議の安昌浩(アンチャンホ)、鄭在寬(チョンジェグァン)らがロシア領に来て黄公達(ファンゴンダル)や崔寬屹(チェグァンフル)らと会ってキリスト教信者中心の国権回復運動を議論する内容などは、キリスト教と独立運動の関係を究明するうえで貴重な手がかりとみられる」とキリスト教民族運動史の観点から新たなアプローチが必要かもしれないと指摘した。
 また他の文書は、1919年6月に日本の頭道溝領事館分館の主任・諏訪光瓊が外務大臣子爵の内田康哉に送ったもので、「朝鮮独立運動ニ関スル情報送付件、本件ニ関スル情報中ノ重ナルモノ別紙写ノ通リ一括御参考迄ニ差進矣間御査閲相成度」と書かれている。さらにこの公信の写本には、鈴木領事と木島主任に先に送付したと明らかにしている。

【写真】在外不良鮮人言動に載る1919年現在の明東学校職員名簿。詩人尹東柱の父ユン・ヨンソクは会計と教師、宋夢奎の父ソン・チャンヒも教師と記されている//ハンギョレ新聞社

 この文書には特に明東村にあった明東学校の初期の教師陣と第1~5回の主要卒業生のリストと動向を具体的に明らかにしている。1919年の明東中学校の現役職員のリストを見ると、校長・金躍淵、校監・崔ジェ鶴(チェジェハク)、学監・朴景チョル(パクキョンチョル)、総務・朴光ソプ(パクグァンソプ)、会計・尹永錫(ユンヨンソク)、教師にキム・ヨンオン、朴・景チョル、崔ジェ鶴、イ・ギュシク、ヨ・ボンガプ、ヨ・ボンウン、チェ・シンハク、ユン・ヨンソク、ソンチャンヒ、ラ・ホンなどとなっている。また「明洞イエス協学校同窓録」という題名で第1~5回小学校と中学校卒業生の一部の名前はもちろん、年齢、出身地、卒業後の活動まで一目瞭然に整理されている。
 キム・ジェホン事務総長は「これまで初期の明東学校の教師と生徒名簿は、生存者らの口述や証言に依存して部分的に把握されていたにすぎなかったが、日帝の監視記録のおかげで正確に確認できるようになった」と説明した。
 たとえば詩人の尹東柱の父ユン・ヨンソクと文益煥(ムンイクファン)牧師の父ムン・ジェリンが中学校の第2回卒業同期だと明らかになっており、ユン・ヨンソクは卒業後に会計として学校で勤務しており、ムン・ジェリンは北京留学をしたという事実が分かる。また、宋夢奎の父ソン・チャンヒをはじめ、イ・ドンフィの娘イ・ウィスンも女学校教師の名簿に載っている。今までイ・ボンウンとされていた「東亜日報」記者出身教師はウ・ボンウンであることが確認された。
 ソ・グェンイル教授は「卒業生の出身地を見ると、北間島4県の和竜県、延吉県、琿春県、汪清県地域だけでなく、国内の咸境北道鍾城、会寧、穏城、羅南、吉州、慶興、慶源、清津と忠清南道舒川からも留学にきており、ロシア領の秋風、水靑、海参威地域の出身もいる」と明東学校が当時の先進教育機関として早くから名声と信望を得ていたことが分かると語った。また、日帝の文書はムン・ジェリンをはじめ、キム・ソククァン、ムン・ソンリン、キム・ジョンフンなど北京留学生らが戻ってきて北間島地域の民族教育運動と青年運動の先頭に立った事実も確認される。
 明東村は漢学者の金躍淵先生が1899年に咸鏡北道会寧からムン・ビョンギュ、キム・ハギュ、ナム・ジョンギュなど4家門142人とともに豆満江を渡って北間島和竜県ジシン郷に開拓した村だ。1908年に明洞書塾として発足した明洞学校は、翌年に明東中学校となり、1911年に明東女子学校が増設され、25年間で1200人の人材を輩出して間島独立運動の拠点になった。

【写真】明東村の設立者、金躍淵先生のひ孫に当たるキム・ジェホン圭巌記念事業会事務総長//ハンギョレ新聞社

 金躍淵先生のひ孫にあたるキム氏は、航空業界に従事したため30年間、米国、カナダ、日本など世界各国を回りながら明東村だけでなく北間島や沿海州付近の韓国人独立運動資料を収集してきた。これをもとに記念事業会は報勲処とともに満州抗日運動資料集20冊の編纂作業を進めている。
 キム氏は「編纂作業のために植民地支配下の陸海空軍のマイクロフィルム文書などを確保する過程で、今回の外務省秘密文書を発掘した」と話した。

キム・ギョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2016-08-15 23:31
http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/756834.html
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「米メリーランド州議会、柳寛順決議案を全会一致で採択」

2020年01月26日 | 抗日・反日闘争
http://www.donga.com/jp/List/article/all/20200123/1959921/1/米メリーランド州議会、柳寛順決議案を全会一致で採択
『東亞日報』 January. 23, 2020 08:07,
■米メリーランド州議会、柳寛順決議案を全会一致で採択
 米メリーランド州議会は13日(現地時間)、柳寛順(ユ・グァンスン)烈士の死去100周年を記念して、独立運動を公認する決議案を全会一致で採択したと、グローバル韓国人連帯が明らかにした。この決議案は、中国系スーザン・リー上院議員(16地区)と韓国人2世のマーク・チャン議員(32地区)が上下院にそれぞれ発議した。決議案は、韓国の独立運動である3・1運動100周年を記念して、平和デモを導いた柳寛順烈士の自由に向けた献身を称える内容を盛り込んでいる。
 今回の決議案採択は、韓国人が請願に積極的に乗り出した結果だと連帯は説明した。米韓国人の日だった当日の記念行事で、パク・チュンギ元連邦特許庁行政判事は、「自由と民主主義に向けた柳寛順烈士の献身が、今回の決議案によって浮き彫りになり嬉しい」と感想を明らかにした。アン・ビョンユン駐米大使館公使参事官、リンダ・ハン・グローバル会長などの韓国人会の団体長たちも同日の行事で功労章を受章した。
 米州における韓国人の日は、韓国人がハワイに初めて到着した1903年1月13日を記念する日だ。2005年、米連邦上下院で法案を可決後、毎年、全米で記念行事が開かれる。
            任寶美 bom@donga.com
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「李儁烈士と安重根義士が経たウラジオストク駅」

2020年01月26日 | 抗日・反日闘争
http://www.donga.com/jp/List/article/all/20200118/1955479/1/李儁烈士と安重根義士が経たウラジオストク駅
「東亞日報」 January. 18, 2020 08:57,
■李儁烈士と安重根義士が経たウラジオストク駅
 ウラジオストク市の中心にある中央革命広場から徒歩で10分の距離にあるウラジオストク駅は韓国人との縁が深い。1893年、ウラジオストクとウスリースク区間が開通して以降、使われ始めたこの駅は、世界最長のシベリア横断列車(9334キロ)の終着地として有名だ。また、沿海州と満州を舞台に独立戦争を繰り広げた抗日闘士が利用した場所でもある。
 縁の開始は1907年。ハーグ特使が万国平和会議に参加するためにこの駅を訪れた。「第二次日韓協約(1905年)の不当さと日帝の侵略を世界に伝えよ」という高宗(コジョン)皇帝の密旨を持って、李相卨(イ・サンソル)と李儁(イ・ジュン)は同年5月21日、ウラジオストク駅からサンクトペテルブルクに向かう列車に乗った。15日後の6月4日にサンクトペテルブルクで李瑋鍾(イ・ウィジョン)と合流した特使は、オランダ・ハーグに到着し、日本の侵略行為を糾弾した。 
 1909年10月26日、ハルビンで伊藤博文を刺殺した安重根(アン・ジュングン)もこの駅を利用した。安重根は同年2月7日(陰暦)、ロシア領土での韓国人の初期の定着地である延秋下里で12人の同志と共に左手の薬指を切って、太極旗に「大韓独立」と血で書き、国のために命を捧げることを決心する。その後、ウラジオストクの韓国人の定着地である開拓里で、伊藤博文が満州を視察しに来るという消息を聞くや、暗殺することを決心する。この時、開拓里の韓国人社会の指導者、崔在亨(チェ・ジェヒョン)は、安重根ために拳銃「ブローニング」を手に入れるなど、偉業を支援した。ついに10月21日午前8時50分、ウラジオストク駅で安重根は同志禹徳淳(ウ・ドクスン)と共に偉業を実行した。この他にも多くの無名の独立闘士がウラジオストク駅を利用して独立運動を行った。
 ロシアの韓国人独立運動史の最後の場面もこの駅で繰り広げられた。1937年にスターリンが実施した韓国人強制移住政策により、何も知らずに汽車に乗った韓国人は、中央アジアなどロシア各地に散らばった。鳳梧洞戦闘の主役、洪範図(ホン・ボムド)もこの時、カザフスタンに連れて行かれた。水原(スウォン)大の朴桓(パク・ファン)教授は、「中央革命広場がウラジオストクの象徴なら、ウラジオストク駅は韓国人独立運動の象徴に挙げられる」と指摘した。
       ウラジオストク、ウスリースク=アン・ヨンベ記者 ojong@donga.com
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「姜宇奎義士の取調べを見守った日本新聞「本当に老人か」」

2019年12月04日 | 抗日・反日闘争
http://www.donga.com/jp/List/article/all/20191128/1913683/1/姜宇奎義士の取調べを見守った日本新聞「本当に老人か」
「東亞日報」 November. 28, 2019 15:20,
■姜宇奎義士の取調べを見守った日本新聞「本当に老人か」
 「爆弾犯人の姜宇奎(カン・ウギュ)は検事局に護送された後、鍾路(チョンノ)警察署の未決監に入れられているが、獄中では非常に穏やかだった。検事局で取り調べを受けるときは、何か楽しく感じられることがあれば哄然と笑い、時事を語るに至っては傲慢な態度になり、志士であるかのようにテーブルを叩きながら語る光景は高齢者とは思えないほどだった」。
 3・1運動後の1919年9月2日、新たに赴任する斎藤実朝鮮総督に爆弾を投げた姜宇奎義士(1855〜1920・写真)。彼の取調べの過程を描いた日本の大阪朝日新聞の同年10月7日付けの記事だ。記事は、「もし気に入らないことがあれば、口を堅く閉じて一言も言わず、一般の犯人とは雰囲気が全く違って取り調べが難しかった」と伝えた。日本新聞にも関わらず、記事の行間から姜義士の気概と強い力を感じることができる。
 姜宇奎義士記念事業会(会長=チャン・ウォンホ)は姜義士の殉国99周期の29日、ソウル鍾路区の北朝鮮5道庁で義挙100周年記念学術会の「姜宇奎義挙の歴史的存在感と性格」を開催する。
 韓国独立運動史研究所のキム・ヒョンモク研究委員は発表文で、大阪朝日新聞を中心に姜宇奎義挙について日本メディアの報道を調べた。キム研究委員は、「姜義士が耐えがたい拷問を受ける最中、日本のメディアは独立運動を貶め、姜義士を現実に不満を抱く過激派や『無頼漢』と罵倒した」と明らかにした。
 民衆が姜宇奎義挙をどれほど痛快に思ったかは、当時の日本側の取調べの資料からもわかる。水原(スウォン)大学史学科の朴桓(パク・ファン)教授は発表文で、「姜宇奎義士の民族運動」で1919年10月21日、平安北道(ピョンアンブクド)知事が報告した「爆弾犯人姜宇奎についての感想」の段落を紹介した。
 「平安北道鉄山郡(チョルサングン)地方の有識者階級者の間で、犯人の姜宇奎は…60歳を超えた老躯を率いながら、遠く離れたウラジオストクから京城に潜入して…その勇猛は壯者を超えており、吾人朝鮮民族が全く快く思っており、仮に極刑に処されて刑場の露に消えても、その偉勲は朝鮮民の脳裏に深い印象を長く、秘史上の一つの美談として伝えられるだろうし、これを上揚する(称える)ような言動をする者がいる」
 朴教授は、「姜宇奎の義挙はその後、国内外の民族運動の大きな起爆剤となった」と評価した。学術会では、キム・ジュンウィ記念事業会顧問(元国会議員)が基調講演を行い、「姜宇奎評伝」の著者であるウン・イェリン氏とハン・ドンミン水原博物館長がパネリストとして参加する。
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「韓国農業団体、北向けトラクター27台を公園内に放置」

2019年05月10日 | 抗日・反日闘争
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/08/2019050880069.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/08/2019050880069_2.html
「朝鮮日報日本語版」 2019/05/08 10:31
■韓国農業団体、北向けトラクター27台を公園内に放置
 京畿道坡州市の臨津閣にある平和ヌリ公園の駐車場に新品のトラクター27台が10日以上にわたり放置されている。これらのトラクターは韓国のある企業が製造したもので、価格は1台当たり4000万ウォン(約380万円)、27台で合計10億ウォン(約9400万円)以上になる。トラクターには韓半島(朝鮮半島)旗が掛けられ「北朝鮮制裁解除」「米国は去れ」などと書かれた横断幕も掛けられていた。
 先月27日に全国農民会総連盟(全農)はこの場所で4・27南北首脳会談1周年を祝う「対北朝鮮制裁解除統一助け合い全国農民大会」を開催したが、その直後にこれらのトラクターは北朝鮮に贈られる予定だった。集会では「統一のトラクターで力強く自主統一の道へと進もう」「つらい農作業を家族同士で助け合うのに、外の人間(米国)の許可を受ける狂った人間などいない」などの声が相次いでいた。しかし集会が終わると、参加者たちはトラクターを置いたまま解散した。
 トラクターは全農が募金活動によって準備したのものだ。昨年10月に全農は「統一農機具助け合い運動」を開始し「韓国のトラクターで北朝鮮の農地を耕し、北朝鮮固有の種などを韓国が受け取ることで南北交流に勢いをつける」という趣旨で全国民に募金も呼び掛けた。当初の計画では40億ウォン(約3億8000万円)を集めてトラクター100台を北朝鮮に贈ることになっていた。
 昨年10月以降は各地方ごとに「統一農機械助け合い運動本部」が発足した。またこれまでに10億ウォンの資金も集まり、光州・全羅南道で12台、京畿道4台、全羅北道3台など各支部ごとに集めた資金でトラクターも購入した。全農のパク・ヘンドク議長は先月27日に臨津閣で行われた集会で「大人たちは統一助け合いの資金を集め、子供たちは統一貯金箱で行動を共にしよう」と呼び掛けた。
 全農はトラクターに乗って北朝鮮を訪問する計画も進めていた。全農釜山慶尚南道連盟のキム・ソンマン議長は昨年11月、慶尚南道昌原市の慶尚南道議会前で開催された「統一農機具助け合い慶尚南道運動本部」の発足宣言式で「来年春にトラクターに乗って北朝鮮に行く。これを阻止するならトラクターを置いてデモを行う」と宣言していた。
 ただ全農は募金活動を始める前から事前に北朝鮮側と協議を行っていたかは明らかにしていない。法律によれば、韓国の国民や団体が北朝鮮と接触するには、統一部(省に相当)から事前に許可を受けねばならない。緊急事態の場合も後から統一部に報告することになっている。全農の機関紙によると、全農は今年3月に北朝鮮の朝鮮農業勤労者連盟と6・15共同宣言実践北側委員会農業文化委員会に対し、統一トラクターに関する実務協議の開催を呼び掛けていたという。これについて統一部の関係者は「統一トラクターについて全農から北朝鮮との接触要請や事後報告はなかった」と伝えている。また北朝鮮も今のところ何の反応も示していないようだ。
 また仮に北朝鮮がこの提案に応じても「制裁」というハードルがある。峨山政策研究院安保統一センターの申範澈(シン・ボムチョル)所長によると、2017年11月に採択された国連安保理決議第2397号において、全ての国連加盟国は北朝鮮に産業用の機械や運送手段などを輸出できないよう定められたという。国連が全農のトラクターについて例外措置を認めなければ、これらのトラクターを北朝鮮に送ることはできない。そのため「全農はトラクターの持ち出しが難しいことを知りながら、4・27南北首脳会談1周年に合わせて無理に募金活動を行った」との指摘も出ている。
 北朝鮮に行けなかったトラクターが10日以上公園の駐車場に放置されていることで、公園側も対応に苦慮している。公園管理事務所の関係者は「集会後はトラクターを持っていくことになっていたが、(全農とは)連絡がつかない」「強制的に撤去するわけにもいかず、どうしたらよいか分からない」とコメントした。臨津閣を訪れたある市民は「市民の空間にトラクターが威圧的な雰囲気で置かれているのは印象が良くない」と語る。本紙は全農の考えを聞こうとしたが、全農は取材に応じなかった。
       キム・ウンジュン記者


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/09/2019050980046.html
www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/09/2019050980046_2.html
「朝鮮日報日本語版」 2019/05/09 10:30
■韓国農業団体が準備した北向けトラクター、一部自治体が購入費を支援
 全羅南道霊厳郡、宝城郡、長興郡から支援
 国連制裁にも違反
 自治体側「関連する条例に従った」
 専門家「国際社会から不利益も」

 全国農民会総連盟(全農)が北朝鮮に贈るとして準備した「統一トラクター」に一部地方自治体の予算が使われていたことが8日までに分かった。光州・全羅南道の場合、12台のトラクター購入に全羅南道の三つの自治体から8000万ウォン(約750万円)が投入されていた。トラクターを北朝鮮に贈る行為は国連安全保障理事会の制裁決議に違反するにもかかわらず、一部自治体の予算が使われトラクター購入の支援が行われていたのだ。
 この日、本紙が確認したところ、全羅南道霊厳郡、宝城郡、長興郡の三つの自治体は条例に基づき、統一トラクターの購入に総額8000万ウォンを支援した。「霊厳郡・4月26日統一トラクター購入費支援事業補助金執行」という資料を確認したところ、霊厳郡農民会に統一トラクター購入費として4000万ウォン(約380万円)の支援が行われたと記録されていた。また霊厳郡は昨年11月13日「南北交流協力に関する条例」を制定していたが、霊厳郡によると、この条例を根拠に、独自の募金に予算を加えて4台のトラクターを購入する計画だったという。ところが実際は募金額2000万ウォン(約190万円)を含む支援総額は6000万ウォン(約560万円)にとどまり、2台しか購入できなかったようだ。これについて霊厳郡行政チームのチェ・ゴンス氏は「条例が制定された当時は政府次元での南北交流協力や統一政策が活発に行われていた」「(北朝鮮から)遠い南部地方でも民間次元で北朝鮮との協力強化を求める声が根強く、住民と共に予算から支援を行うことを決めた」などと説明した。
 宝城郡も昨年12月に制定された「南北交流協力支援に関する条例」に基づき、統一トラクター購入費として2000万ウォンを郡の予算から執行した。寶城郡対外協力係のソン・ギュホ係長は「南北交流の準備を進めていた農民会から協力の要請を受けた」とした上で「条例には、農業技術を北朝鮮に普及し、食料作物の普及も支援するという内容があるので、法的には問題がない」との見解を示した。
 長興郡もトラクター購入費として2000万ウォンを支援した。これに先立ち長興郡は2003年11月、南北交流協力に関する条例を制定していた。長興郡によると、トラクターは1台4000万ウォンで、うち半分の2000万ウォンは条例に基づいて郡の予算から支出され、残りは農民会が行った募金が使われたという。
 光州・全羅南道では昨年10月25日、地元の107の農民団体が参加し統一トラクター購入のための募金を行う新たな団体が立ち上げられた。この団体を通じた農民などからの募金に、地方自治体の予算8000万ウォンを加えた総額4億8000万ウォン(約4500万円)で統一トラクター12台が購入されたようだ。
 全農は全羅南道以外の地域にもトラクターの購入費の支援を要請していた。これと関連して全羅北道のある関係者は8日「対北朝鮮制裁違反の懸念があったので断った」と明らかにし、また江原道洪川郡の関係者も「関係する条例がなかったので要請には応じなかった」と伝えた。
 尹徳敏(ユン・ドクミン)韓国外大碩座(せきざ)教授(寄付金で研究活動をするよう指定された教授)・元国立外交院長は「統一トラクター」の購入に一部自治体の予算が使われていた問題について「(韓国は)国連加盟国であるにもかかわらず、対北朝鮮制裁という国際規範を守っていないと見なされる可能性がある」「米国など先進国から直接・間接的な不利益を突き付けられるかもしれない」などと指摘した。
       霊厳郡=チョ・ホンボク記者 , キム・ウンジュン記者
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「韓国裁判所、日本製鉄差し押さえ資産売却案検討突入」

2019年05月09日 | 抗日・反日闘争
https://japanese.joins.com/article/134/253134.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2019年05月08日11時42分
■韓国裁判所、日本製鉄差し押さえ資産売却案検討突入
 大邱(テグ)地裁浦項(ポハン)支院は7日、日帝強制徴用被害者代理人団が1日に戦犯企業である日本製鉄(旧新日鉄住金)の差し押さえ資産を現金化してほしいという内容の売却命令申し立てを受け付けたと明らかにした。
 大邱地裁浦項支院は「最近強制徴用被害者と相続人10人ほどが出した新日鉄住金系列会社PNRの株式保有分の現金化命令申し立てを検討中。結論を早く出さなくてはならないが、処理過程が複雑で相当の時間がかかるものとみられる」と明らかにした。
 裁判所は今回の事案が特殊なため処理方法を決めるのに苦労している。単純な金銭債権関係ならば債務者尋問期日を決めて立場を聴取した後に判断して資産強制売却の可否を決定できるが、今回の場合は外国にある債務者に尋問期日を通知する文書送達の問題などの手続きが必要だ。
 日本製鉄強制動員被害者代理人団は「90歳前後である生存被害者の年齢を考慮すると現金化を遅らせる限界に達した。だが強制動員加害企業をはじめとするいかなる主体からもこれと関連した意志表示を得られず売却命令を申し立てた」と明らかにした。
 浦項支院が日帝強制徴用被害者代理人団の申し立てを受け入れれば現在差し押さえている日本製鉄とポスコの合弁会社PNRの株式は強制売却手続きを踏むことになる。日本製鉄はリサイクル業者であるPNRの株式30%に相当する約234万株(約110億ウォン相当)を保有している。
 これに先立ち韓国大法院(最高裁に相当)は昨年10月に強制徴用被害者4人が新日鉄住金を相手取り起こした損害賠償請求訴訟で会社側に「被害者1人当たり1億ウォンずつ賠償金を支給せよ」と確定判決を出した。
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「朝米会談の直前にスペインの北朝鮮大使館を襲撃した「自由朝鮮」メンバー1名逮捕」

2019年04月23日 | 抗日・反日闘争
http://japan.hani.co.kr/arti/international/33291.html
「The Hankyoreh」 登録:2019-04-21 21:20 修正:2019-04-22 07:31
■朝米会談の直前にスペインの北朝鮮大使館を襲撃した「自由朝鮮」メンバー1名逮捕
 19日、FBIが米国で反北朝鮮団体メンバー1人を起訴 
 自由朝鮮の指導者宅も急襲したが逮捕できず 
 団体弁護士「北朝鮮の要求による米国人逮捕に驚愕」

【写真】反体制脱北民の秘密組織「自由朝鮮」のホームページの初期画面に、米連邦捜査局(FBI)がこの団体のメンバーをスペイン駐在北朝鮮大使館襲撃事件の容疑者として逮捕したことに対する弁護士名義の批判声名が載っている=「自由朝鮮」ホームページよりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 2月末、スペイン駐在北朝鮮大使館を襲撃した反北朝鮮団体「自由朝鮮」のメンバー1人名が、米国で逮捕され起訴された。朝鮮半島非核化のための朝米対話が続いているなかで発生した突発事案なので、両国関係に微妙な波紋が予想される。
 米連邦捜査局(FBI)は19日、ロサンゼルスで米海兵隊出身のクリストファー・アンを逮捕し起訴したと、この懸案に詳しい消息筋を引用してAP通信が21日報道した。彼に適用された容疑が具体的に何かはまだ確認されていない。匿名を要請したこの消息筋は、米国の捜査当局がこれに先立って18日に「自由朝鮮」の指導級人物エイドリアン・ホンの自宅を急襲したが逮捕はできなかったと明らかにした。
 2回目の朝米首脳会談を目前に控えた2月22日、暴漢10人余りがマドリードの北朝鮮大使館に侵入し、職員を縛り上げコンピュータ数台を奪い逃げた。現地の日刊紙「エルファイス」は、暴漢が米中央情報局(CIA)と関連しているとも報道したが、中央情報局は沈黙を維持している。この犯行が自分たちの仕業だと明らかにした「自由朝鮮」(別称:千里馬民防衛)は、北朝鮮を脱出し様々な国に亡命した反体制北朝鮮出身者たちの秘密組織として知られている。
 2回目の朝米首脳会談を控えて発生した事件の容疑者であり、謎めいた団体「自由朝鮮」のメンバーが逮捕されたのは初めてなので、この事件の敏感な全貌が明らかになるか注目される。これに先立ち、自由朝鮮は「米連邦捜査局との相互秘密維持合意により莫大な潜在的価値がある特定情報を共有した」と主張した。
 自由朝鮮の“対外大使”であるリ-・ウォロスキー弁護士は声明を出し「米国の法務省が、北朝鮮政権の要求で米国市民に(逮捕)令状の執行を決めたことに驚愕した」として「(米国政府の)標的になっている米国籍者たちの身辺の安全について米国政府から何の保障も受けられずにいる」と非難した。

チョ・イルジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/890832.html
韓国語原文入力:2019-04-21 20:16


https://japanese.joins.com/article/650/252650.html?servcode=100§code=120
「中央日報日本語版」 2019年04月23日13時11分
■【グローバルアイ】北朝鮮大使館襲撃の韓国人の処理は?
スペインの北朝鮮大使館を襲撃した反北朝鮮団体「自由朝鮮」の会員クリストファー・アン(韓国系米国人)が米国で逮捕された。ロイター通信によると、米政府連邦要員は北朝鮮大使館襲撃を主導したエイドリアン・ホン・チャンの自宅も捜索した。クリストファー・アンはスペイン当局が確認した加担者で、国際逮捕状が発付されたと、AP通信は伝えた。
 米国は自由朝鮮が連邦捜査局(FBI)に渡した資料も返したが、このような措置の背景に関心が集まっている。しかし米国の意図だけに注目する時ではない。米国が逮捕に動いた人たちは米国籍者または永住権者だ。スペイン裁判所はこのほか、サム・リュが韓国系の米国国籍者だと明らかにした。3人以外にスペイン当局が身元を確認した残りの加担者はすべて韓国国籍者だ。
 この事件を担当するスペイン裁判所は先月、捜査内容の公開を決めた。スペイン司法府に情報公開を請求してスペイン語の15枚分の文書を入手した。この文書には襲撃に加担した韓国国籍者5人の身元が出ている。現地メディアがすでに紹介したイ・ウラン(文書の一部はイ・ウラムと表記)をはじめ、リム(LIM)○○、イ(LEE)○○、パク(PARK)○○、ビョン(BYON)○○などと実名が書かれている。生年月日まで出ていて、旅券番号だけが個人情報として公開されなかった。
 捜査から1カ月余り、スペイン当局は彼らの動きをはっきりと把握した。どこに宿泊し、お金はどんな身分証を持つ誰が出したのかまで確認していた。欧州連合(EU)を出る時に使ったパスポート情報も確保したとみられる。スペイン裁判所がホン・チャンとサム・リュに対して国際逮捕状を発付したと現地メディアは伝えたが、クリストファー・アンが逮捕されたのを見ると、残りの人も追われる状況である可能性が高い。
 北朝鮮大使館襲撃事件の後、彼らは米国に行ったと伝えられたが、韓国国籍者は滞在期間に限界がある。彼らが入国すれば韓国政府も逮捕するかどうか決めなければいけない状況だ。メディアにも文書を公開するスペイン当局が韓国政府に情報を伝えていないはずはない。名前と生年月日も出ているめ、情報当局はすでに身元を把握しているに違いない。
 彼らの身柄の処理は米国より韓国でさらに敏感な問題だ。スペインとしては自国内の海外公館に侵入した事件を捜査しないわけにはいかず、韓国で同じことが発生してもそうするだろう。しかし韓国国内では自由朝鮮の襲撃を英雄視するコメントが書き込まれている。不必要な賛否対立を減らすには政府が該当事件の性格を急いで整理する必要がある。
       キム・ソンタク/ロンドン特派員


http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1708974/1
「東亞日報」 April. 23, 2019 08:20
■FBIの「自由朝鮮」メンバー逮捕は原則的な法執行
 米連邦捜査局(FBI)が、2月にスペイン・マドリードの北朝鮮大使館を襲撃したメンバーの1人であるクリストファー・アン容疑者を逮捕したことをめぐって、今後の事件処理が長期化するという観測が流れている。
 ワシントンの外交筋は21日、「(FBIの逮捕は)原則的な法執行と理解している」と話した。スペイン当局が、国際逮捕状を発付したため執行せざるをえなかったという説明だ。スペイン裁判所は先月末、別のメンバーであるエイドリアン・ホン・チャン、サム・リュ容疑者に対しても国際逮捕状を発付したという。
 同消息筋は、「ただし事案が非常に敏感で、スペインへの送還手続きに時間がかかる可能性が高い」と伝えた。米国とスペイン間の犯罪人引渡し条約により、原則的には逮捕した容疑者をスペインに引き渡さなければならないが、時間がかかる可能性があるということだ。カナダで逮捕された中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟・副会長兼財務責任者(CFO)の米国への送還に時間がかかっているのもこのためだ。
 米国がアン容疑者ら襲撃に関与した人物を逮捕した後、送還に時間をかけ、状況を見ている可能性があるという見方も出ている。2月末のハノイでの米朝首脳会談を目前にして起こったマドリードの北朝鮮大使館襲撃事件は、FBIが関与している可能性のため、今後の非核化交渉に及ぼす影響に関心が集まる。
 APなど主要外信によると、18日に逮捕され、起訴されたアン容疑者は、19日にロサンゼルス連邦裁判所で犯罪認否手続きを踏んだ。この手続で、今後無罪か有罪のいずれを主張して裁判を受けるのかを決める。アン容疑者が具体的にどんな犯罪容疑を受けているかは明かされなかった。アン容疑者の弁護人の要請により、ロサンゼルス連邦裁判所は事件を非公開で進める。
       ワシントン=イ・ジョンウン特派員 チョン・チェウン記者


https://japanese.joins.com/article/559/252559.html
「中央日報日本語版」 2019年04月20日11時10分
■米当局、北朝鮮大使館襲撃「自由朝鮮」メンバー逮捕
 米国当局が今年2月に在スペイン北朝鮮大使館を襲撃した反北朝鮮団体「自由朝鮮」の一員の元米海兵隊員を逮捕したと、ロイター通信が19日(現地時間)報じた。
 通信などによると、逮捕された人物は韓国系米国人「クリストファー・アン」。ロイター通信は複数の関係者を引用し、アン容疑者が18日に逮捕され、19日に米ロサンゼルス連邦裁判所で起訴認定手続きが取られるようだと伝えた。
 アン容疑者はその間、スペイン当局の捜査とメディアの報道に登場していなかった人物だ。事件を主導したと伝えられているメキシコ国籍の米国居住者エイドリアン・ホン氏の名前だけが挙がっていた。今回の事件に関連して新しい名前が登場したのだ。
 しかしアン容疑者が北朝鮮大使館襲撃事件でいかなる役割をしたかは伝えられていない。米法務省もアン容疑者の逮捕に関していかなるコメントも拒否したとロイター通信は伝えた。
 2月22日、スペイン・マドリードの北朝鮮大使館に10人が押し入り、コンピューターやUSB、携帯電話などを強奪する事件が発生した。奪われた保存装置などにどのような情報が入っていたかは公開されていない。
 この事件は米連邦捜査局(FBI)関与の可能性のためにさらに注目されている。北朝鮮大使館を襲撃した犯行グループの正体は自由朝鮮の会員と伝えられた。自由朝鮮は2017年2月に暗殺された金正男(キム・ジョンナム)氏の息子、金漢率(キム・ハンソル)氏を保護していると主張する反北朝鮮団体だ。
 自由朝鮮側は先月26日、スペイン裁判所が捜査結果を出すと、「犯行直後にFBIと接触して資料を渡した」とし、犯行事実を公開的に認めた。米国当局は「我々は該当事件と関係ない」と一線を画した。犯行計画および実行、事後資料の伝達などに米国の積極的な介入はなかったという立場だった。16日には、FBIが北朝鮮大使館の盗難物品をスペイン側に渡し、スペイン側はこれを北朝鮮大使館に伝えたという内容のロイター通信の報道があった。
 一方、自由朝鮮はこの日、アン容疑者の逮捕に関連してホームページで立場を表明しながら反発した。リー・ウォロスキー弁護士はこの日の声明で「米法務省が北朝鮮政権が(スペインで)告訴した米国人に対する逮捕状を執行したことに驚いている」と明らかにした。続いて「最近、北朝鮮政権に抑留された米国市民は北朝鮮の拷問で身体障害者になって帰国し、生き続けることができなかった」とし「我々は米国政府が標的とした米国人の安全に対して米国政府からいかなる保証も受けることができなかった」と主張した。
 北朝鮮に拘束され、植物状態で送還されて死亡した米国人大学生オットー・ワームビアさんの事例を通じて、クリストファー・アン容疑者の身辺に懸念を表したとみられる。


https://www.sankei.com/world/news/190420/wor1904200018-n1.html
「産経新聞」 2019.4.20 18:30
■逮捕者は反体制団体「自由朝鮮」メンバー スペインの北朝鮮大使館襲撃

【写真】スペインのマドリードにある北朝鮮大使館=3月27日(ゲッティ=共同)

【ワシントン=黒瀬悦成】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は19日、「自由朝鮮」を名乗る北朝鮮の反体制団体が2月にマドリードの在スペイン北朝鮮大使館を襲撃した事件で、米当局が同団体メンバーの元米海兵隊員、クリストファー・アン容疑者を逮捕したと伝えた。
 同紙によると、この事件での逮捕者は初めて。米当局はまた、団体の指導者で米国在住のアドリアン・ホン・チャン容疑者の自宅を捜索した。スペイン当局は同容疑者が事件の主犯格であるとして、米当局に拘束を要請していた。
 ホン・チャン容疑者の代理人である弁護士は同紙に「米司法省は北朝鮮の(金正恩)体制からの刑事告発に従って米国人に令状を執行した形で、落胆した」とする声明を発表した。
 スペインからの報道では、襲撃犯らは大使館に侵入して館員らを拘束、尋問し、コンピューターや携帯電話などを奪って車両で逃走した。犯人の一人は大使館で入手した情報を米連邦捜査局(FBI)に提供したとされている。
 事件をめぐっては一時、米中央情報局(CIA)が関与したとの報道が流れたが、国務省報道官は16日、「米政府は事件に一切関与していない」と強調した。
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