紀州鉱山の真実を明らかにする会として27回目、海南島近現代史研究会として14回目の海南島「現地調査」の3日目の3月30日、朝7時半に宿所でて東方市八所の万人坑に向かいました。
そこは、1998年6月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の最初の海南島「現地調査」のときに訪ねたところです(このブログの2011年5月8日の「海南島の「万人坑」2」をみてください)。
それ以後、8回ほど訪ねました。最後訪ねたのは2011年秋だったと思います。
今回、その3年半後に訪ねたのですが、万人坑に行く道がすっかり変わり、すぐにはたどり着くことができませんでした。
わたしたちは、あらかじめ、「中国新闻网」に掲載されていた「“日军侵琼八所死难劳工监狱”将整体平移」(2013年12月7日。このブログの2014年12月11日の「“日军侵琼八所死难劳工监狱”将整体平移」をみてください)や「国际旅游岛商报网」に掲載されていた「“八所劳工监狱”整体平移500米」(2013年12月10日 。作者:驻东方记者 呉平。このブログの2015年3月26日の「“八所劳工监狱”整体平移500米」をみてください)や「大公网海南频道」に掲載されていた「东方劳工监狱遗址平移500米 全国最远距离」(2013年12月21日。责任编辑:童瑞琼)をみていたので危惧していたのですが、八所の万人坑に建てられていた高さ30メートルの「日军侵琼八所死难劳工纪念碑」は、消えていました。この纪念碑は、 1988年に海南省文体厅と东方县(現、东方市の人民政府在该“万人坑”が建立したもので、「海南省重点文物保护单位」に指定されていました。
かつて、碑の基石の裏面には、つぎのような碑文が書かれていました(このブログの2013年8月12日の「日本政府・日本軍・日本企業の海南島における侵略犯罪「現地調査」報告 36」をみてください)。
日軍侵瓊八所死難勞工遺址,也稱“八所萬人坑”,是抗日戰爭時期日本侵略者、埋葬三萬餘勞工的
地點,公元一九三九年八月,日本侵略軍侵占昌感後,為了掠奪石碌鐵礦資源,從淪陷區的廣州、江門、
佛山、汕頭、香港、廈門、福州等地誘騙和強抓十餘萬勞工及部份英澳戰俘開採石碌礦山及修建其附屬工
程----石(碌)八(所)鐵路、八所港、東方水電站。其中八所港投入勞工二萬三千餘人,公元一九四二年春,
工程結束時,僅存勞工一千九百六十餘人,二萬餘勞工為此付出了性命,加上修建鐵路死難勞工,其三萬
餘人合葬在八所港的這片沙坵上。
該遺址于公元一九八三年六月三日被廣東省人民政府公佈為省級文物保護單位。海南建省後,于公元一
九九四年十一月一日被海南省人民政府公佈為省級文物保護單位。為了對後代進行愛國主義教育,不忘日
本軍國主義侵略中國的罪惡行徑,由海南省文體廳和東方黎族自治縣人民政府撥款建成此碑,並勒石銘文,
以示千秋。 公元一九九四年十一月