kr/arti/politics/34513.html
「The Hankyoreh」 2019-09-30 10:30
■『反日種族主義』批判の日本人学者「朝鮮人が貧しくなったのに収奪・搾取なかった?」
[土曜版] インタビュー
『日本人学者が見た植民地近代化論』著者 鳥海豊氏
日帝の投資で朝鮮が発展したという
植民地近代化論の虚構を暴く
「日帝、朝鮮を構造的に収奪
すべての金は日本人に流れた
日本が悪かったと言うしかない」
初めは日本を世界最高だと考え
勉強してみると普遍から程遠い」
日帝植民地36年間、日本が朝鮮人を収奪したり搾取したことはなく、むしろ朝鮮経済が大きく発展したという一部学者の主張が相次いでいる。植民地近代化論に力づけられたためなのか、最近の保守派の集会には、甚だしくは日章旗が登場したりもする。しかし最近、日本人学者が植民地に対する収奪がどう行われたのかを暴いた本を出した。ソウル大学で博士学位を得た鳥海豊氏に25日、ソウル市麻浦区(マポグ)孔徳洞(コンドクトン)のハンギョレ新聞社で会った。
【写真】「植民地近代化論を主張する人々とは学問的に話し合い討論しようとしている。それにより彼らの考えが少しずつ変わるようだ」。日本人学者の鳥海豊博士と25日、ソウル市麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社でインタビューをしている=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
インタビューのために腰をおろすとすぐに鳥海豊博士(57)は、かばんから一冊の本を取り出した。自分の本(『日本人学者が見た植民地近代化論』)ではなく、イ・ヨンフン元ソウル大教授などが書いた『反日種族主義』だった。『反日種族主義』は、日帝植民地時代に朝鮮の経済が大きく発展したという植民地近代化論を掲げ、「慰安婦」に対しても個人の営業行為であり日本軍の戦争犯罪ではない、などの主張を盛り込んだ本である。
-『反日種族主義』を全部読んだか?
「大体は読んでみた。2003年に韓国に初めて来た時も、植民地近代化論が話題だった。あの時もキム・ナクニョン、イ・ヨンフン教授などが同じ主張をしていた。そのような面では、本当に彼らは立派ではある。韓国人がいくら反発し批判しても、「私は学者の良心に従う」と考えているようだ。それはとにかく勇気だ。あの本には個人的にはありがたく思う部分もある。私が論文を書いて本を出しても、ほとんどの人は既存の植民地収奪論に関するものではないかと言って特に反応を示さなかったが、『反日種族主義」が出てからは、私の論文が注目されてきた。そして日本の右翼らの主張が馬鹿げた話ではなく、韓国の人々に影響を与えたりしていることを、『反日種族主義」が逆に証明した。だから、本の著者とはあまり争いたくない(笑)。討論を通じて(彼らを)変えようとしている。もちろん、植民地近代化論に対しては、初めから変だと感じた部分があった」。
◆日本人のポケットに入った日帝の投資
-どのような点がそうなのか?
「彼らの主張には受け入れられる部分も確かにある。日帝時代に武力を動員した収奪はなかったという点がそれだ。土地調査や産米増殖(コメの生産拡大)事業の際、朝鮮人から強制的に土地やコメを奪ったことはなかったと言うが、これは史料を見ると正しいと思った。もちろん、朝鮮王朝が所有した土地を日帝が押収して東洋拓殖会社に渡した後、小作人が小作権を保護されなかったのは事実だが、農民から土地をそのまま押収したことはなかった。日本人地主が最も多く土地を確保した時期は、1926年から1935年の間だが、その時期は土地調査事業とは関係ない。コメも太平洋戦争時期に強制供出が行われた時を除けば、強制的に処分させるとか奪ったことはなかった。そんな点で、植民地近代化論を主張した学者の研究は、すごいと言える。しかし、私の疑問は、収奪や搾取がなかったのに、なぜ朝鮮人はあのように貧しかったのだろうかという点だった。日帝時代、朝鮮に来た日本の人々は、大部分が貧しかったり職がなかった。それなのに、彼らは皆金持ちになった。朝鮮人はさらに貧乏になったが、日本人はほとんど全員が大金持ちになったというのが、とても不思議で変ではないか。そんな謎を勉強を通じてそれなりに解いた。結局、収奪があったからである。したがって、植民地近代化論は正しくないという結論に至った」。
【写真】日帝の構造的な収奪構造を暴いた鳥海豊博士の本//ハンギョレ新聞社
鳥海豊博士は、今回の本の母胎になった博士学位論文(「日帝下の日本人土木請負師の活動と利潤創出」、ソウル大学国史学科、2013年)で、日帝が植民地朝鮮に「投資」したという資本がどう使われて、結局、誰のポケットに入ったのかを究明した。日帝強占期の鉄道建設や産米増殖計画の水利組合事業など、公共工事に必要な資金は、毎年日本本国から朝鮮総督府に与える金でその相当部分が充当された。しかし、それらの金は日本の土木請負師(土木建設業者)にそっくりそのまま渡った。大韓帝国時代には、朝鮮人の土木請負師が少数いたが、日帝強占期には、ほとんどが芽を潰された。朝鮮総督府が公共事業を発注し、競争入札ではなく指名入札や随意契約の方法で、朝鮮人の参加を根本から排除したからである。ダムや貯水池工事など土木建設が大部分を占めた水利組合事業も、日本人事業家の独壇場だった。これらの日本人事業主は、朝鮮人への賃金支給も、当時の申告価格の3分の1の水準に値下げした。総督府の統計年報には、朝鮮人労働者の日当が日本人労働者の半分の1円と書かれているが、実際の現場では30~40銭、さらには20~30銭しか支給しない場合も多かった。このような実質賃金は、鳥海豊博士が日本人請負師の回顧録など、生き生きとした資料を探して見つけ出した成果だ。このような不公正と便法を植民地当局が傍観し助長したため、巨視的な観点で見ると、植民地時代は、朝鮮に対する日帝の搾取・収奪が行われた時期と言える。
-強圧的な暴力を動員して財産を奪う行為を意味する直接的収奪より、植民地統治勢力の庇護の下で成立した構造的収奪に注目しなければならないと強調した。土木建設事業以外でも構造的収奪が行われたのか?
「二つの重要な機制がある。一つは金融である。大韓帝国時代に作られた銀行を、合邦後に日帝が完全に掌握し、その時から日本人と朝鮮人を差別した。すなわち、日本人には低金利での貸し出しを積極的に行ったが、朝鮮の人々にはしなかった。それで朝鮮人は周りにいる日本人に高金利で社債を発行しなければならなかった。結局日本人は朝鮮人を相手に座って投機をして、結局朝鮮の人々の金が日本人に流れたのである。もう一つは、植民地時代の構造的な暴力である。回顧録などの当時の記録によると、日本人が朝鮮の人々が運営する店に行き、代金が高いと言いながら殴って値段を下げさせたという話が出てくる。このような私的暴力を警察は放置したため、朝鮮人たちは損害を被っても堪えるしかない状況だった。日本人事業主がまったく賃金を支給せずに逃げる事例も多かった。このように日本人は暴力などを利用して実生活で利益を得たが、朝鮮人は損害を被る構造だった」
【写真】植民地近代化論を批判する日本人学者の鳥海豊博士が先日25日、ハンギョレ新聞社の庭園でインタビューを受けている=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
◆日本が良い国になるには
彼は著書で、日帝が意図的に植民地朝鮮を「コメ・モノカルチャー(単一作物)経済」にしたという点も強く指摘した。1941年に総督府の政務総監と会った京城商工会議所の関係者の回顧によると、日本本国の官僚や政治家は、日本本土の工場と競争することになり得るという理由で、朝鮮で工業を興してはならないという方針を持っていた。実際に明治維新の初期に自国では「殖産興業」(政府が主導的に産業と工業を発展させること)を通じて工業を発展させた日本が、朝鮮では官営工場を全く作らなかった。満州事変(1931年)以後に朝鮮半島の北部地方に工場が建てられたが、これは満洲という新しい市場に進出するための踏み台であり、朝鮮の工業発展を企てるものではなかったということである。
-日本人として日帝の朝鮮収奪論を話すのは容易な事ではないだろう。日本で攻撃を多く受けないか?
「私に対する攻撃は多いが、怖くはない。日本の右翼が誇らしく思う人は、日本のために熱心に仕事をした人ではなく、むしろ外国人のために熱心に仕事をして外国人に誉められる人々である。例えば、杉原千畝(第二次世界大戦末にリトアニアの日本領事館で外交官を務めた人物で、本国政府の拒否命令に反し、日本を経由して米国に行こうとしていたユダヤ人数千名にビザを発給し、彼らの命を救った)の様な人である。杉原は戦争が終わった後、外務省を解雇され貧しく暮らしたが、イスラエル政府が感謝状を与えるとすぐに日本の右翼は、「これが日本精神である」と言いながら彼を担いだ。このようなことを見ると、彼らも今は私を攻撃しているが、10年後には好きになっていると思う(笑)。
かつては私も、日本の文化や生活習慣が世界の標準であり、最良だと思った。そして韓国が異常だと思った。しかし、深く知るようになると、日本が異常で、世界の普遍文化に遅れていた。少数者を尊重し被害者や弱者を考慮することに欠けていた。日本が良い国になるには、近い韓国で学ぶことが最も早い。韓国人や在日韓国人に対する考えから変えなければならない。そのようなことに役立つ役割を少しでも果たしたい」
東京で生まれ育った鳥海豊博士は、日本の早稲田大学経済学科を卒業(1986年)後、職場生活を過ごし、2000年に一歩遅れて韓国史に関する勉強を始めた。軍慰安婦問題など韓日間の過去の問題が毎日ニュースに流れるのを見て、本格的に韓国に対して関心を持つようになった。ちょうど母校にアジア太平洋研究科が設立され、修士課程に入学した。日本では韓国史の博士課程を勉強できるところがなく、2003年に韓国に渡ってきた。現在、韓国歴史研究院(院長イ・テジン)の常任研究委員として働き、鮮文大学で講義している。
◆「日本の右派にも説得の余地がある」
-最近は過去の問題で韓日関係が最悪に突き進んでいる
「日本人だが、『日本が悪い』と言うしかない。安倍政権は1965年の韓日協定で過去の問題はすべて終わり、韓国の裁判所が強制動員労働者に対する日本企業の慰謝料支給の判決を下したことは国際法違反だと言うが、全く当たらない。徴用労働者の問題一つだけを見ても、むしろ日本が国際法に違反した。1932年に日本は国際労働機構(ILO)の「強制労働に関する協約」に加入して批准までした。この国際協約では強制労働が禁止されている。戦時でも植民地である朝鮮の人を動員してはならず、また労働者を苛酷に扱ってはならないと規定されている。個人の請求権は当然残っている」
-どのように解決していけばいいのか?
「不買運動は少し違うようだ。よく通う寿司屋の主人は韓国人だが、私が申し訳なくなるほど、商売が厳しい。不買運動はそのように両国に善意の被害者を多く出す。そういうものよりは、文化の力で押して行けばいいと思う。韓国はドラマを本当に上手に作るので、日本人が自然に反省できる内容をドラマに入れたらよい。それで日本人が徐々に変わって行くようにするのが、最も望ましい道ではないかと思う」
-道のりが遠く見える
「それでも少しずつ変化する部分が確実にある。日本の右派と多くの論争をして、そうなることを感じた。彼らが日帝の朝鮮支配は良いことだったとか言う時、それに対して私がそうではないと言えば、非常に強い反発が噴出する。これについて彼らの話を聞き込み、一つ一つ反論していく。もちろん彼らの中の70~80%は、変わることなく自分の意見に固執するが、側にいる人は「あなたのおかげで考えが大きく変わった、そんな観点でも見ることができるということを知った」という話をしてきた。それを見て、相手が悪いと言って敵として扱い無視するのではなく、彼らと話し合い、粘り強く少しずつ進まなければならないということを知った。あまり難しく重々しく考えると耐えられないので、少しずつ歩んでいかなければならない」。
キム・ジョンチョル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34315.html
韓国語原文入力:2019-09-28 14:57
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34315.html
「The Hankyoreh」 2019-09-09 10:14
■[書評]日本人の「不当利益」を助けた植民地体制
韓国近代経済史研究の日本人学者
土木請負業者を事例に「二重構造」を明らかに
朝鮮に投資された資金の大部分は再度日本人の手に…
「植民地近代化論」の有効性を問う
【写真】日本の学者が見た植民地近代化論−日帝強占期の日本人土木請負業者の不当利益を中心に 鳥海豊 著/知識産業社・1万8000ウォン//ハンギョレ新聞社
日帝強制占領期(日本の植民地時代)の朝鮮総督府が作成した統計年報には、1928年の朝鮮在住日本人と朝鮮人の人口、両者の郵便貯金の残高を示す統計が出ている。日本人約47万人の郵便貯金額が2648万円に達する一方、朝鮮人約1866万人の郵便貯金額は430万円に過ぎなかった。日本人1人当たり、朝鮮人より245倍多い資産を所有していた計算になる。この圧倒的な経済力の格差は、一体どこから来たのだろうか?様々な「実証的資料」を前面に出して「日帝強占期に朝鮮の経済が発展した」と主張してきた「植民地近代化論」は、この統計について果たしてどう説明するのだろうか?
【写真】1932年発刊の『土木工事画報』に掲載された、清津港改築工事で防波堤ケーソンを埋める作業場面の写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞
『日本の学者が見た植民地近代化論』は、韓国近代経済史を研究する日本人学者の鳥海豊氏(57)の博士学位論文を中心とする単行本である。韓国歴史研究院の常任研究員である著者は、公式統計だけでなく産業界の雑誌、新聞記事など様々な資料を動員して、朝鮮と朝鮮人を搾取して日本と日本人に不当な利益を与えた日帝強占期の「二重構造」を実証的に明らかにする方式で、植民地近代化論を理路整然と批判する。
出発点は「なぜ日帝は朝鮮に工業を興そうとしなかったのか」という疑問である。3・1運動の直後、日帝は「産業調査委員会」を開くなど、朝鮮の経済を発展させるという態度を取り、その結果、「鉄道敷設と産米増殖計画」を出した。明治政府が「殖産興業」(政府主導の工業育成)を行ったのとは異なり、植民地朝鮮では、朝鮮経済が日本と競合する状況を避けるために、工業を抑制する代わりに道路や鉄道建設、港湾整備、水利組合事業などだけに投資を集中したのである。著者は「交通と通信機関の整備という方向性を提示することで、日本の工業を守り、朝鮮の外形のみを近代化していく形態を推進した」と指摘した。1939年までの朝鮮総督府の予算は合計55億円程度だが、このうち土木に関連した支出は10億7千万円程度だ。
【写真】1927年『土木工事画報』に掲載された、慶尚南道晋州橋の竣工写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞社
このように投資された資金は、朝鮮に居住する日本人土木請負業者が独占した。彼らは政治権力が定める制度などの保護を受けた。日本内地では会計法が制定されて一般競争入札原則が適用された時期だが、朝鮮などの植民地では、勅令による特命契約・随意契約で請負業者の任意指定が可能だった。1921年の会計法改訂により、朝鮮でも一般競争入札が原則となったが、政務総監通牒(1932年)などにより、すぐに無力化された。日本内地にはない「技術主任制度」が朝鮮でのみ施行されもした。朝鮮人請負業者を構造的に排除したのである。
【写真】1929年『土木工事画報』に掲載された、咸鏡線 新興-居山間の細洞川アーチ橋の工事現場写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞社
日本人請負業者がどのようにして「不当利得」を得たのかを見せてくれるのが、この本の白眉だ。彼らは賃金をピンハネしたり、ほんの少しだけ与えた。『朝鮮総督府統計年報』などの公式資料では当時、朝鮮人の重労働者の一日の賃金を80銭〜1円程度と計算した。しかし著者は、新聞記事と協会発刊物、手記などの資料を参考にして、実際には30〜40銭の水準だったという事実を示す。表面上は工事金額の半分近くを労務費に策定しておき、実際には6〜17%程度しか払わず、残りを「不当利得」として得たのである。農業分野と思いがちな産米増殖計画でも、コメの増産よりは潅漑施設を造るなどの土木事業である水利組合事業が中心であり、その実体は「朝鮮農民に強制執行が可能な水利組合費を賦課し、日本人請負業者・地主などに不当な利益を与える」システムだった。
【写真】鳥海豊 韓国歴史研究院常任研究員=知識産業社提供//ハンギョレ新聞
日本から朝鮮に投資された資金の大部分を、再度日本人が掌握することができるこの「二重構造」の実体は、植民地近代化論が有効になり得るかを問い詰める。さらに進んで著者は「『収奪』の定義だけに縛られるのではなく、政治権力による経済領域の歪曲など幅広い概念で、日帝強占期の経済研究が前に進まなければならない」と、新しい研究の方向性も提案している。
チェ・ウォニョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/908695.html
韓国語原文入力:2019-09-06 21:44
「The Hankyoreh」 2019-09-30 10:30
■『反日種族主義』批判の日本人学者「朝鮮人が貧しくなったのに収奪・搾取なかった?」
[土曜版] インタビュー
『日本人学者が見た植民地近代化論』著者 鳥海豊氏
日帝の投資で朝鮮が発展したという
植民地近代化論の虚構を暴く
「日帝、朝鮮を構造的に収奪
すべての金は日本人に流れた
日本が悪かったと言うしかない」
初めは日本を世界最高だと考え
勉強してみると普遍から程遠い」
日帝植民地36年間、日本が朝鮮人を収奪したり搾取したことはなく、むしろ朝鮮経済が大きく発展したという一部学者の主張が相次いでいる。植民地近代化論に力づけられたためなのか、最近の保守派の集会には、甚だしくは日章旗が登場したりもする。しかし最近、日本人学者が植民地に対する収奪がどう行われたのかを暴いた本を出した。ソウル大学で博士学位を得た鳥海豊氏に25日、ソウル市麻浦区(マポグ)孔徳洞(コンドクトン)のハンギョレ新聞社で会った。
【写真】「植民地近代化論を主張する人々とは学問的に話し合い討論しようとしている。それにより彼らの考えが少しずつ変わるようだ」。日本人学者の鳥海豊博士と25日、ソウル市麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社でインタビューをしている=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
インタビューのために腰をおろすとすぐに鳥海豊博士(57)は、かばんから一冊の本を取り出した。自分の本(『日本人学者が見た植民地近代化論』)ではなく、イ・ヨンフン元ソウル大教授などが書いた『反日種族主義』だった。『反日種族主義』は、日帝植民地時代に朝鮮の経済が大きく発展したという植民地近代化論を掲げ、「慰安婦」に対しても個人の営業行為であり日本軍の戦争犯罪ではない、などの主張を盛り込んだ本である。
-『反日種族主義』を全部読んだか?
「大体は読んでみた。2003年に韓国に初めて来た時も、植民地近代化論が話題だった。あの時もキム・ナクニョン、イ・ヨンフン教授などが同じ主張をしていた。そのような面では、本当に彼らは立派ではある。韓国人がいくら反発し批判しても、「私は学者の良心に従う」と考えているようだ。それはとにかく勇気だ。あの本には個人的にはありがたく思う部分もある。私が論文を書いて本を出しても、ほとんどの人は既存の植民地収奪論に関するものではないかと言って特に反応を示さなかったが、『反日種族主義」が出てからは、私の論文が注目されてきた。そして日本の右翼らの主張が馬鹿げた話ではなく、韓国の人々に影響を与えたりしていることを、『反日種族主義」が逆に証明した。だから、本の著者とはあまり争いたくない(笑)。討論を通じて(彼らを)変えようとしている。もちろん、植民地近代化論に対しては、初めから変だと感じた部分があった」。
◆日本人のポケットに入った日帝の投資
-どのような点がそうなのか?
「彼らの主張には受け入れられる部分も確かにある。日帝時代に武力を動員した収奪はなかったという点がそれだ。土地調査や産米増殖(コメの生産拡大)事業の際、朝鮮人から強制的に土地やコメを奪ったことはなかったと言うが、これは史料を見ると正しいと思った。もちろん、朝鮮王朝が所有した土地を日帝が押収して東洋拓殖会社に渡した後、小作人が小作権を保護されなかったのは事実だが、農民から土地をそのまま押収したことはなかった。日本人地主が最も多く土地を確保した時期は、1926年から1935年の間だが、その時期は土地調査事業とは関係ない。コメも太平洋戦争時期に強制供出が行われた時を除けば、強制的に処分させるとか奪ったことはなかった。そんな点で、植民地近代化論を主張した学者の研究は、すごいと言える。しかし、私の疑問は、収奪や搾取がなかったのに、なぜ朝鮮人はあのように貧しかったのだろうかという点だった。日帝時代、朝鮮に来た日本の人々は、大部分が貧しかったり職がなかった。それなのに、彼らは皆金持ちになった。朝鮮人はさらに貧乏になったが、日本人はほとんど全員が大金持ちになったというのが、とても不思議で変ではないか。そんな謎を勉強を通じてそれなりに解いた。結局、収奪があったからである。したがって、植民地近代化論は正しくないという結論に至った」。
【写真】日帝の構造的な収奪構造を暴いた鳥海豊博士の本//ハンギョレ新聞社
鳥海豊博士は、今回の本の母胎になった博士学位論文(「日帝下の日本人土木請負師の活動と利潤創出」、ソウル大学国史学科、2013年)で、日帝が植民地朝鮮に「投資」したという資本がどう使われて、結局、誰のポケットに入ったのかを究明した。日帝強占期の鉄道建設や産米増殖計画の水利組合事業など、公共工事に必要な資金は、毎年日本本国から朝鮮総督府に与える金でその相当部分が充当された。しかし、それらの金は日本の土木請負師(土木建設業者)にそっくりそのまま渡った。大韓帝国時代には、朝鮮人の土木請負師が少数いたが、日帝強占期には、ほとんどが芽を潰された。朝鮮総督府が公共事業を発注し、競争入札ではなく指名入札や随意契約の方法で、朝鮮人の参加を根本から排除したからである。ダムや貯水池工事など土木建設が大部分を占めた水利組合事業も、日本人事業家の独壇場だった。これらの日本人事業主は、朝鮮人への賃金支給も、当時の申告価格の3分の1の水準に値下げした。総督府の統計年報には、朝鮮人労働者の日当が日本人労働者の半分の1円と書かれているが、実際の現場では30~40銭、さらには20~30銭しか支給しない場合も多かった。このような実質賃金は、鳥海豊博士が日本人請負師の回顧録など、生き生きとした資料を探して見つけ出した成果だ。このような不公正と便法を植民地当局が傍観し助長したため、巨視的な観点で見ると、植民地時代は、朝鮮に対する日帝の搾取・収奪が行われた時期と言える。
-強圧的な暴力を動員して財産を奪う行為を意味する直接的収奪より、植民地統治勢力の庇護の下で成立した構造的収奪に注目しなければならないと強調した。土木建設事業以外でも構造的収奪が行われたのか?
「二つの重要な機制がある。一つは金融である。大韓帝国時代に作られた銀行を、合邦後に日帝が完全に掌握し、その時から日本人と朝鮮人を差別した。すなわち、日本人には低金利での貸し出しを積極的に行ったが、朝鮮の人々にはしなかった。それで朝鮮人は周りにいる日本人に高金利で社債を発行しなければならなかった。結局日本人は朝鮮人を相手に座って投機をして、結局朝鮮の人々の金が日本人に流れたのである。もう一つは、植民地時代の構造的な暴力である。回顧録などの当時の記録によると、日本人が朝鮮の人々が運営する店に行き、代金が高いと言いながら殴って値段を下げさせたという話が出てくる。このような私的暴力を警察は放置したため、朝鮮人たちは損害を被っても堪えるしかない状況だった。日本人事業主がまったく賃金を支給せずに逃げる事例も多かった。このように日本人は暴力などを利用して実生活で利益を得たが、朝鮮人は損害を被る構造だった」
【写真】植民地近代化論を批判する日本人学者の鳥海豊博士が先日25日、ハンギョレ新聞社の庭園でインタビューを受けている=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
◆日本が良い国になるには
彼は著書で、日帝が意図的に植民地朝鮮を「コメ・モノカルチャー(単一作物)経済」にしたという点も強く指摘した。1941年に総督府の政務総監と会った京城商工会議所の関係者の回顧によると、日本本国の官僚や政治家は、日本本土の工場と競争することになり得るという理由で、朝鮮で工業を興してはならないという方針を持っていた。実際に明治維新の初期に自国では「殖産興業」(政府が主導的に産業と工業を発展させること)を通じて工業を発展させた日本が、朝鮮では官営工場を全く作らなかった。満州事変(1931年)以後に朝鮮半島の北部地方に工場が建てられたが、これは満洲という新しい市場に進出するための踏み台であり、朝鮮の工業発展を企てるものではなかったということである。
-日本人として日帝の朝鮮収奪論を話すのは容易な事ではないだろう。日本で攻撃を多く受けないか?
「私に対する攻撃は多いが、怖くはない。日本の右翼が誇らしく思う人は、日本のために熱心に仕事をした人ではなく、むしろ外国人のために熱心に仕事をして外国人に誉められる人々である。例えば、杉原千畝(第二次世界大戦末にリトアニアの日本領事館で外交官を務めた人物で、本国政府の拒否命令に反し、日本を経由して米国に行こうとしていたユダヤ人数千名にビザを発給し、彼らの命を救った)の様な人である。杉原は戦争が終わった後、外務省を解雇され貧しく暮らしたが、イスラエル政府が感謝状を与えるとすぐに日本の右翼は、「これが日本精神である」と言いながら彼を担いだ。このようなことを見ると、彼らも今は私を攻撃しているが、10年後には好きになっていると思う(笑)。
かつては私も、日本の文化や生活習慣が世界の標準であり、最良だと思った。そして韓国が異常だと思った。しかし、深く知るようになると、日本が異常で、世界の普遍文化に遅れていた。少数者を尊重し被害者や弱者を考慮することに欠けていた。日本が良い国になるには、近い韓国で学ぶことが最も早い。韓国人や在日韓国人に対する考えから変えなければならない。そのようなことに役立つ役割を少しでも果たしたい」
東京で生まれ育った鳥海豊博士は、日本の早稲田大学経済学科を卒業(1986年)後、職場生活を過ごし、2000年に一歩遅れて韓国史に関する勉強を始めた。軍慰安婦問題など韓日間の過去の問題が毎日ニュースに流れるのを見て、本格的に韓国に対して関心を持つようになった。ちょうど母校にアジア太平洋研究科が設立され、修士課程に入学した。日本では韓国史の博士課程を勉強できるところがなく、2003年に韓国に渡ってきた。現在、韓国歴史研究院(院長イ・テジン)の常任研究委員として働き、鮮文大学で講義している。
◆「日本の右派にも説得の余地がある」
-最近は過去の問題で韓日関係が最悪に突き進んでいる
「日本人だが、『日本が悪い』と言うしかない。安倍政権は1965年の韓日協定で過去の問題はすべて終わり、韓国の裁判所が強制動員労働者に対する日本企業の慰謝料支給の判決を下したことは国際法違反だと言うが、全く当たらない。徴用労働者の問題一つだけを見ても、むしろ日本が国際法に違反した。1932年に日本は国際労働機構(ILO)の「強制労働に関する協約」に加入して批准までした。この国際協約では強制労働が禁止されている。戦時でも植民地である朝鮮の人を動員してはならず、また労働者を苛酷に扱ってはならないと規定されている。個人の請求権は当然残っている」
-どのように解決していけばいいのか?
「不買運動は少し違うようだ。よく通う寿司屋の主人は韓国人だが、私が申し訳なくなるほど、商売が厳しい。不買運動はそのように両国に善意の被害者を多く出す。そういうものよりは、文化の力で押して行けばいいと思う。韓国はドラマを本当に上手に作るので、日本人が自然に反省できる内容をドラマに入れたらよい。それで日本人が徐々に変わって行くようにするのが、最も望ましい道ではないかと思う」
-道のりが遠く見える
「それでも少しずつ変化する部分が確実にある。日本の右派と多くの論争をして、そうなることを感じた。彼らが日帝の朝鮮支配は良いことだったとか言う時、それに対して私がそうではないと言えば、非常に強い反発が噴出する。これについて彼らの話を聞き込み、一つ一つ反論していく。もちろん彼らの中の70~80%は、変わることなく自分の意見に固執するが、側にいる人は「あなたのおかげで考えが大きく変わった、そんな観点でも見ることができるということを知った」という話をしてきた。それを見て、相手が悪いと言って敵として扱い無視するのではなく、彼らと話し合い、粘り強く少しずつ進まなければならないということを知った。あまり難しく重々しく考えると耐えられないので、少しずつ歩んでいかなければならない」。
キム・ジョンチョル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34315.html
韓国語原文入力:2019-09-28 14:57
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34315.html
「The Hankyoreh」 2019-09-09 10:14
■[書評]日本人の「不当利益」を助けた植民地体制
韓国近代経済史研究の日本人学者
土木請負業者を事例に「二重構造」を明らかに
朝鮮に投資された資金の大部分は再度日本人の手に…
「植民地近代化論」の有効性を問う
【写真】日本の学者が見た植民地近代化論−日帝強占期の日本人土木請負業者の不当利益を中心に 鳥海豊 著/知識産業社・1万8000ウォン//ハンギョレ新聞社
日帝強制占領期(日本の植民地時代)の朝鮮総督府が作成した統計年報には、1928年の朝鮮在住日本人と朝鮮人の人口、両者の郵便貯金の残高を示す統計が出ている。日本人約47万人の郵便貯金額が2648万円に達する一方、朝鮮人約1866万人の郵便貯金額は430万円に過ぎなかった。日本人1人当たり、朝鮮人より245倍多い資産を所有していた計算になる。この圧倒的な経済力の格差は、一体どこから来たのだろうか?様々な「実証的資料」を前面に出して「日帝強占期に朝鮮の経済が発展した」と主張してきた「植民地近代化論」は、この統計について果たしてどう説明するのだろうか?
【写真】1932年発刊の『土木工事画報』に掲載された、清津港改築工事で防波堤ケーソンを埋める作業場面の写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞
『日本の学者が見た植民地近代化論』は、韓国近代経済史を研究する日本人学者の鳥海豊氏(57)の博士学位論文を中心とする単行本である。韓国歴史研究院の常任研究員である著者は、公式統計だけでなく産業界の雑誌、新聞記事など様々な資料を動員して、朝鮮と朝鮮人を搾取して日本と日本人に不当な利益を与えた日帝強占期の「二重構造」を実証的に明らかにする方式で、植民地近代化論を理路整然と批判する。
出発点は「なぜ日帝は朝鮮に工業を興そうとしなかったのか」という疑問である。3・1運動の直後、日帝は「産業調査委員会」を開くなど、朝鮮の経済を発展させるという態度を取り、その結果、「鉄道敷設と産米増殖計画」を出した。明治政府が「殖産興業」(政府主導の工業育成)を行ったのとは異なり、植民地朝鮮では、朝鮮経済が日本と競合する状況を避けるために、工業を抑制する代わりに道路や鉄道建設、港湾整備、水利組合事業などだけに投資を集中したのである。著者は「交通と通信機関の整備という方向性を提示することで、日本の工業を守り、朝鮮の外形のみを近代化していく形態を推進した」と指摘した。1939年までの朝鮮総督府の予算は合計55億円程度だが、このうち土木に関連した支出は10億7千万円程度だ。
【写真】1927年『土木工事画報』に掲載された、慶尚南道晋州橋の竣工写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞社
このように投資された資金は、朝鮮に居住する日本人土木請負業者が独占した。彼らは政治権力が定める制度などの保護を受けた。日本内地では会計法が制定されて一般競争入札原則が適用された時期だが、朝鮮などの植民地では、勅令による特命契約・随意契約で請負業者の任意指定が可能だった。1921年の会計法改訂により、朝鮮でも一般競争入札が原則となったが、政務総監通牒(1932年)などにより、すぐに無力化された。日本内地にはない「技術主任制度」が朝鮮でのみ施行されもした。朝鮮人請負業者を構造的に排除したのである。
【写真】1929年『土木工事画報』に掲載された、咸鏡線 新興-居山間の細洞川アーチ橋の工事現場写真=知識産業社提供//ハンギョレ新聞社
日本人請負業者がどのようにして「不当利得」を得たのかを見せてくれるのが、この本の白眉だ。彼らは賃金をピンハネしたり、ほんの少しだけ与えた。『朝鮮総督府統計年報』などの公式資料では当時、朝鮮人の重労働者の一日の賃金を80銭〜1円程度と計算した。しかし著者は、新聞記事と協会発刊物、手記などの資料を参考にして、実際には30〜40銭の水準だったという事実を示す。表面上は工事金額の半分近くを労務費に策定しておき、実際には6〜17%程度しか払わず、残りを「不当利得」として得たのである。農業分野と思いがちな産米増殖計画でも、コメの増産よりは潅漑施設を造るなどの土木事業である水利組合事業が中心であり、その実体は「朝鮮農民に強制執行が可能な水利組合費を賦課し、日本人請負業者・地主などに不当な利益を与える」システムだった。
【写真】鳥海豊 韓国歴史研究院常任研究員=知識産業社提供//ハンギョレ新聞
日本から朝鮮に投資された資金の大部分を、再度日本人が掌握することができるこの「二重構造」の実体は、植民地近代化論が有効になり得るかを問い詰める。さらに進んで著者は「『収奪』の定義だけに縛られるのではなく、政治権力による経済領域の歪曲など幅広い概念で、日帝強占期の経済研究が前に進まなければならない」と、新しい研究の方向性も提案している。
チェ・ウォニョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/908695.html
韓国語原文入力:2019-09-06 21:44