紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立する会の第2回集会のお知らせです。
と き 2009年9月6日(日)午後0時半開場 午後1時開会
ところ 三重県教育文化会館 第4会議室
三重県津市桜橋2-142
電話059-228-1122
JR・近鉄津駅正面から23号線方面へ徒歩5分
参加費・資料代 500円
石原産業が経営していた熊野市紀和町の紀州鉱山には、1940年から1945年までの間に、1000人を超える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
紀州鉱山では、家族とともに来て亡くなった幼い子たちをふくめて、30人をこす朝鮮人が亡くなりました。
日本政府と石原産業は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人に関する記録文書を公表しようとせず、熊野市は、紀州鉱山での朝鮮人の労働と死の事実を追及しようとしていません。
日本政府は、他地域他国にたいする侵略犯罪を謝罪せず、賠償もしていません。
石原産業は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働の企業責任をとろうとしていません。
熊野市は、1926年に熊野市(当時は、木本町)で虐殺された朝鮮人労働者、李基允さんと相度さんの死にたいする行政責任をとろうとしないばかりか、住民がお二人を虐殺したことを、『熊野市史』(1983年、熊野市発行)に「まことに素朴な愛町心の発露」だと書き、いまなおその表現を取り消そうとしていません。
紀州鉱山では日本軍の捕虜となったイギリス兵300人が強制労働させられ、そのうち16人が死亡しました。熊野市は、その16人の「墓地」を熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」としています。
しかし、熊野市は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人のためには、追悼碑を建立する土地の提供さえかたくなに拒否し続けています。
わたしたちは、今年7月10日に、独自に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する土地を入手しました。
集会では、来年春の除幕式にむけ、亡くなった朝鮮人を追悼する碑文をみなさんと検討するとともに、追悼の場をどのようにつくりあげていくかを話し合いたいと思います。
みなさんのご参加をお待ちします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主な内容 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
報告 会創立(2008年8月31日)からの1年間
在日本朝鮮人総聯合会三重県本部
在日本大韓民国民団三重県地方本部
紀州鉱山の真実を明らかにする会
ドキュメンタリー『紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で』上映
江原道から、1942年~1944年に、545人が紀州鉱山に強制連行されました。
江原道麟蹄郡・平昌郡の故郷に戻った人々の、いま、を伝えます。
報告 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人一人ひとりのこと キム チョンミ
紀州鉱山から生きて故郷に帰ることができなかった朝鮮人の名前も数も、日本政府・石原産業・熊野市は、はっきりさせようとしていません。
報告 追悼碑を建立する土地をどのように確保したか 竹本 昇
報告 熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」問題について 佐藤 正人
報告 入鹿捕虜収容所と“史跡 英国人墓地” 笹本 妙子 ・ 田村 佳子
話し合い 追悼碑建立のために
碑文案について
紀州鉱山の真実を明らかにする説明版について
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紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会
在日本大韓民国民団三重県地方本部 三重県津市西丸の内24
在日本朝鮮人総聯合会三重県本部 三重県津市栄町4
紀州鉱山の真実を明らかにする会 三重県伊賀市下郡53-3 竹本昇気付
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/index.html
と き 2009年9月6日(日)午後0時半開場 午後1時開会
ところ 三重県教育文化会館 第4会議室
三重県津市桜橋2-142
電話059-228-1122
JR・近鉄津駅正面から23号線方面へ徒歩5分
参加費・資料代 500円
石原産業が経営していた熊野市紀和町の紀州鉱山には、1940年から1945年までの間に、1000人を超える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
紀州鉱山では、家族とともに来て亡くなった幼い子たちをふくめて、30人をこす朝鮮人が亡くなりました。
日本政府と石原産業は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人に関する記録文書を公表しようとせず、熊野市は、紀州鉱山での朝鮮人の労働と死の事実を追及しようとしていません。
日本政府は、他地域他国にたいする侵略犯罪を謝罪せず、賠償もしていません。
石原産業は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働の企業責任をとろうとしていません。
熊野市は、1926年に熊野市(当時は、木本町)で虐殺された朝鮮人労働者、李基允さんと相度さんの死にたいする行政責任をとろうとしないばかりか、住民がお二人を虐殺したことを、『熊野市史』(1983年、熊野市発行)に「まことに素朴な愛町心の発露」だと書き、いまなおその表現を取り消そうとしていません。
紀州鉱山では日本軍の捕虜となったイギリス兵300人が強制労働させられ、そのうち16人が死亡しました。熊野市は、その16人の「墓地」を熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」としています。
しかし、熊野市は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人のためには、追悼碑を建立する土地の提供さえかたくなに拒否し続けています。
わたしたちは、今年7月10日に、独自に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する土地を入手しました。
集会では、来年春の除幕式にむけ、亡くなった朝鮮人を追悼する碑文をみなさんと検討するとともに、追悼の場をどのようにつくりあげていくかを話し合いたいと思います。
みなさんのご参加をお待ちします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主な内容 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
報告 会創立(2008年8月31日)からの1年間
在日本朝鮮人総聯合会三重県本部
在日本大韓民国民団三重県地方本部
紀州鉱山の真実を明らかにする会
ドキュメンタリー『紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で』上映
江原道から、1942年~1944年に、545人が紀州鉱山に強制連行されました。
江原道麟蹄郡・平昌郡の故郷に戻った人々の、いま、を伝えます。
報告 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人一人ひとりのこと キム チョンミ
紀州鉱山から生きて故郷に帰ることができなかった朝鮮人の名前も数も、日本政府・石原産業・熊野市は、はっきりさせようとしていません。
報告 追悼碑を建立する土地をどのように確保したか 竹本 昇
報告 熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」問題について 佐藤 正人
報告 入鹿捕虜収容所と“史跡 英国人墓地” 笹本 妙子 ・ 田村 佳子
話し合い 追悼碑建立のために
碑文案について
紀州鉱山の真実を明らかにする説明版について
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紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会
在日本大韓民国民団三重県地方本部 三重県津市西丸の内24
在日本朝鮮人総聯合会三重県本部 三重県津市栄町4
紀州鉱山の真実を明らかにする会 三重県伊賀市下郡53-3 竹本昇気付
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/index.html