三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会創立5周年 第6回総会・第10回定例研究会

2012年07月31日 | 海南島近現代史研究会

 2007年8月5日に創立された海南島近現代史研究会は、毎年夏に総会と定例研究会を、毎年冬に定例研究会を続けてきました。
研究会創立5周年の今年夏の総会・研究会では、あらためて、日本が海南島を侵略するにいたった歴史的原因・状況を解明したいと思います。
みなさんの参加をお待ちしています。

  と き:2012年8月18日(土)13時~17時(開場12時)
  ところ:大阪産業大学梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
                      JR梅田駅から南に歩いて5~7分ほどです。
  参加費:500円(会員は無料です)

■主題:日本はなぜ海南島を侵略したのか■
■海南島近現代史研究会創立から5年間の活動報告           キム チョンミ
   1998年~2007年の紀州鉱山の真実を明らかにする会の海南島「現地調査」、日本と
  韓国での聞き取りを前史とする海南島近現代史研究会のこれまでの活動の意味と内
  容を共に考えたいと思います。
■主題報告1  日本はいつ海南島侵略を開始したか           佐藤正人
   日本政府・日本軍が、海南島侵略の準備を始めたのは、1936年9月の「北海事件」
  以前からでした。
   国民国家日本の近現代史における海南島侵略の社会的・歴史的原因を解析したい
  と思います。
■主題報告2  中国侵略戦争からアジア南方侵略への中継地としての海南島  
                                             斉藤 日出治
   日本の南方侵略は海軍の軍事戦略によるものとされていますが、日本社会が「大東
  亜戦争」を国民的な合意としてアジアに対する侵略戦争を推進していった経緯について
  考えてみたいと思います。
      関連報告 日中戦争の推移と三竈島・海南島            蒲 豊彦
         1937年7月に中国への攻撃を本格化させた日本は中国との長期戦に陥り、
        さらに太平洋へと戦線を拡大するなかで、敗戦を迎える。この大きな流れの
        なかに、三竈島と海南島を位置づけてみたい。
■海南島「現地調査」報告
   2012年3月18日―29日の「現地調査」報告    キム チョンミ
       定安県(翰林鎮、龍門鎮)、儋州市(木裳鎮、蘭洋鎮)、臨高県(和舎鎮)、屯昌
     県(屯城鎮、南呂鎮、新興鎮、楓木鎮、烏坡鎮)、白沙黎族自治県(金波郷、七
     坊鎭)、海口市(雲龍鎮)、澄邁県(仁興鎮) ………
  2012年4月の「現地調査」報告          久保井 規夫
     海南島侵略における特務部(医療分野)の策動:占領地(海南島)・植民地(朝鮮)
    におけるハンセン病者、同仁会、防疫班の動きについて
■討論 日本国家の侵略犯罪の責任者はだれなのか
■報告 海南民間抗戦研究会準備会、海南省民族学会との共同研究・共同調査に
     ついて
■報告 次回の海南島「現地調査」主目的と日程(10月下旬~11月初旬)

         海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/
         【事務局】 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室

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海南島近現代史研究会の5年間 6

2012年07月30日 | 海南島近現代史研究会

■5年間の日誌 3
2008年10月 海南島近現代史研究会制作ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』新版完成。
2008年10月~11月 第3回海南島「現地調査」。
2008年10月12日 大規模な住民虐殺が行われた澄邁県橋頭鎮沙土地域で、はじめて聞き
      とり。
2008年10月20日 月塘村全体村民の「至日本国政府要求書」に対して、日本法務省大臣
     官房秘書課「事実関係を承知していないため、対応いたしかねますことをご理解くだ
     さい」と「回答」。
2008年10月27日 海南島近現代史研究会、月塘村民委員会の会議室で村民のみなさん
     と、こんごの方針について話しあい。
2008年10月29日 「朝鮮村」訪問。高速道路建設工事のため、朝鮮人の遺骨が埋められ
     ている附近に宿舎が建てられ、遺骨の破壊が進行しており、遺骨が露出しているとこ
     ろもあった。
2008年11月4日 橋頭半島突端(沙土北方)の日本軍の基地があった才坡で聞きとり。
2008年11月中旬 海南島近現代史研究会のキムチョンミが、「日本占領下の海南島で(19
     39年~1945年)」というタイトルでの大阪人権博物館でのリバティセミナー(「被差別
     民衆とアジア・太平洋戦争」)での報告を承諾。
2008年12月3日 セミナーの企画責任者である大阪人権博物館担当者、キムチョンミの報
     告のタイトル変更を提案。キムチョンミ、拒否。
2008年12月9日 日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会に「朝鮮村」の現状について
     報告。
2008年12月25日 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第7回口頭弁論
     (陳金玉さん証言。結審)。
2009年2月8日 第3回定例研究会(主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始
     70年)。
     研究報告Ⅰ 天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員  紀元節・神武天
             皇陵・八紘一宇                           久保井規夫
     研究報告Ⅱ 1939年2月10日の世界史的意味         佐藤正人
     研究報告Ⅲ 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか  竹本昇
     研究報告Ⅳ 2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか 日置真理子       
     研究報告Ⅴ 海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース 飢えと疫病と重
            労働  生き証人に聞く          西里扶甬子
     「月塘村虐殺」・月塘村村民の対日本政府要求について
     「朝鮮村」の現状報告と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
 2009年3月26日 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」に不当判決(控訴
     棄却)。原告・弁護団上告。海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団・中国人
     戦争被害賠償請求事件弁護団、抗議声明。
2009年4~5月 第4回海南島「現地調査」。沙土、花場、石山、烈楼、樹徳、雷鳴、旧州、
     高峰……訪問。
2009年8月9日 海南島近現代史研究会第3回総会・第4回定例研究会
     海南島近現代史研究会2年目の活動の軌跡と総括   斉藤日出治
     沙土、花場、石山、烈楼、樹徳、雷鳴、旧州、高峰……で    佐藤正人
     戦跡調査による特攻基地の比較(海南島を中心に図示)    久保井規夫
    研究報告Ⅰ 飛行第31戦隊による海南島攻撃――浜松から中国・ビルマ・フィリピ
           ンへ                               竹内康人
    研究報告Ⅱ 1939年、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 2   竹本昇
    研究報告Ⅲ 海南島では日本をどのように報道しているか 日本では海南島をどのよ
           うに報道しているか(2009) 2   日置真理子
    大阪人権博物館セミナー(2009年春)中止について   キムチョンミ

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海南島近現代史研究会の5年間 5

2012年07月29日 | 海南島近現代史研究会

■5年間の日誌 2
2008年4月26日(農暦3月21日) 月塘村で、月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式。海南
   島近現代史研究会参加。
     1、宣布月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式開始。
     2、由村委会主任朱進平、鎮政府領導掲碑。
     3、鳴炮。
     4、紀念碑籌建主任朱学基読碑文。
     5、三・廿一惨案遇難者黙哀。
     6、黙哀完畢。
     7、向三・廿一紀念碑敬献花圏。
     8、請村委会主任朱進平講話。
     9、請鎮政府領導人講話。
     10、請受害者和遇難者家属代表朱瓊波講話。
     11、請韓国朋友講話。
     12、請日本朋友講話。
     13、儀式結束
  月塘村の全村民、「致日本国政府要求書」作成。
      1、月塘村村民虐殺を行った日本軍人の名を公布せよ。
      2、われわれ月塘村村民に、国際社会に公開で謝罪せよ。
      3、受傷して生き残った幸存者と犠牲者家族に賠償せよ。
      4、月塘村に犠牲者を追悼する記念館を建設し、追悼式をおこなえ。
      5、焼失した家屋、強奪した財産を弁償せよ。
2008年4月27日 陽江鎮覃村で陳居福さん(1936年生)さんに話を聞く。
2008年4月28日 戴桃村、鳳嶺村、長仙村、橋園で、欧宗朝さん(1934年生)、欧先梅
        さん(1939年生)、欧育援さん(77歳)、符国民さん(86歳)に話を聞く。
2008年4月28日 月塘村の全村民、海南島近現代史研究会に、「致日本国政府要求
        書」を日本政府に渡すことを委託。
2008年5月6日 万寧市北大鎮中興で、林尤光さん(1930年生)、陳国花さん(1932年生)
        に話を聞く。
2008年5月8日 海口市秀英区東山鎮儒万村で、王殿輝さん(1916年生)、王保仁さん
        (1930年生)に話を聞く。
2008年5月9日 三江鎮新馬郷東寨村で韓愛芳さん(1917年生)に、新馬郷福内湖村で
        林愛花(1931年生)さんに話を聞く。
2008年5月10日 三江鎮新馬郷演州村で黄雪霞さん(1923年生)、陳愛蓮さん(1931年
        生)に話を聞く。
2008年5月11日 海口市長流鎮で杜関陸さん(1925年生)に話を聞く。
2008年5月15日 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第5回口頭弁論。
2008年8月3日 第2回総会・第2回定例研究会。
    1年間の会の活動報告
    あいさつ 王建成(海南省民族学会副会長)
    研究報告Ⅰ  社会転型期的黎族伝統文化(社会転形期における黎族の伝統文化)
                                               金山
    研究報告Ⅱ  「日本考古学」と海南島                   五十嵐彰
    研究報告Ⅲ  海南海軍特務部編『海南島三省連絡会議決議事項抄録』について
                                               水野明
    海南島近現代史研究会制作『海南島 2007年秋』、『海南島2008年春』、『月塘三・
   廿一惨案紀念碑掲碑儀式』上映
    月塘村全村民の日本政府に対する要求について
    「会則」改定
2008年9月7日 人権平和浜松の学習会で佐藤正人報告(「日本が海南島を占領した6年
   半 それを調査した10年」。
2008年9月 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第6回口頭弁論。
2008年10月2日 月塘村村民から委託されて、海南島近現代史研究会、日本政府に、月
       塘村で虐殺をおこなった日本軍人の姓名開示要求などの「致日本国政府要求
       書」を出す。

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海南島近現代史研究会の5年間 4

2012年07月28日 | 海南島近現代史研究会

■5年間の日誌 1
2007年8月5日 海南島近現代史研究会創立。
2007年8月5日  海南島月塘村追悼碑建立基金募金第1期開始。
2007年9月11日 海南島近現代史研究会ホームページ創設。
2007年9月~11月 第1回海南島「現地調査」(紀州鉱山の真実を明らかにする会とし
        ては第14回)。
2007年9月25日 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第2回口頭弁論。
2007年9月30日 月塘村追悼碑建立基金募金第1期終了。
2007年10月1日 月塘村追悼碑建立基金募金第2期開始。
2007年10月6日 月塘村で「籌建月塘“三・廿一”惨案紀念碑領導小組」結成。
2007年10月10日 「籌建月塘“三・廿一”惨案紀念碑領導小組」に第1期募金を届ける。
2007年10月18日 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第3回口頭弁論。
2007年12月9日 海南島近現代史研究会事務局会議(第1回)。
2007年12月15日 ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』完成。
2007年12月31日 月塘村追悼碑建立基金募金第2期終了。「籌建月塘“三・廿一”惨
        案紀念碑領導小組」に第2期募金を届ける。
2008年1月1日 月塘村追悼碑建立基金募金第3期開始。
2008年1月15日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」、東京高等裁判所で第4回口頭弁論。
        原告黄有良さん証言。
2008年2月10日 第1回定例研究会。『会報』第1号発行。
2008年4月~5月 第2回海南島「現地調査」。
       楽東黎族自治県抱由鎮、昌江黎族自治県石碌鎮、東方市(前、東方黎族
      自治県)八所鎮・老欧村・北黎村、三亜市林家村・南紅農場・新聯官長村、
      瓊中黎族苗族自治県吊羅山郷、陵水黎族自治県三十笠村・紅衛村、五指山
      市水満郷、瓊海市陽江・戴桃村・鳳嶺村・長仙村・橋園、万寧市中興、海口市
      儒万村・古橋村・東寨村・演州村・福内湖村・長流鎮などを訪れ、58人のかた
      がたに、とくに日本侵略期・抗日闘争期になにがあったか、どのように生活し
      ていたか、などを話してもらうことができた。
2008年4月2日 海南省民族学会と海南島近現代史研究会の今後の共同作業について
      王建成海南省民族学会副会長と話し合う。
2008年4月6日(農暦3月1日) 燕嶺坡の“三・一”被難公塚での追悼集会に参加。
2008年4月8日~4月12日 ニューヨークからきた中国近代口述史学会会長のシュアン
      フーホェイ(Eric F.F. Huen)さんと香港からきた香港紀念抗日受難同胞聯合会
      員・中国近代口述史学会会員の孔強生(Jonathan Hung)さんと、昌江黎族自治
      県の石碌でおちあい、石碌と東方市八所で、証言を聞き記録する意味と方法、
      今後の共同作業について話し合う。
2008年4月10日 東方市羅帯郷老欧村で聞きとり。
2008年4月12日 東方市八所村(老八所)で、符路福さん(1924年生)に話を聞く。
2008年4月14日、23日、24日 三亜市郊外の林家村訪問。邢師全さん(1925年生)とそ
      の弟の邢師光さん(1928年生)、王亜佰さん(1927年生)、黎亜桂さん(98歳)、
      周英柳さん(1930年生)に話を聞かせてもらう。
2008年4月18日~19日 瓊中黎族苗族自治県吊羅山郷地域で聞きとり。
2008年4月20日~21日 五指山地域で聞きとり。

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海南島近現代史研究会の5年間 3

2012年07月27日 | 海南島近現代史研究会

■海南島近現代史研究会創立集会から第9回定例研究会まで 2

第3回総会・第4回定例研究会 2009年8月9日
 1年間の会の活動報告
       研究会2年目の活動の軌跡と総括   斉藤日出治
       沙土、花場、石山、烈楼、樹徳、雷鳴、旧州、高峰……で    佐藤正人
       戦跡調査による特攻基地の比較(海南島を中心に図示)   久保井規夫
 研究報告Ⅰ 飛行第31戦隊による海南島攻撃――浜松から中国・ビルマ・フィリピンへ
                                               竹内康人
 研究報告Ⅱ 1939年、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 2   竹本昇
 研究報告Ⅲ 海南島では日本をどのように報道しているか 日本では海南島をどのように
         報道しているか(2009) 2   日置真理子
 海南島近現代史研究会制作『海南島月塘村虐殺』新版一部上映
 参加者の発言・討論
 大阪人権博物館セミナー(2009年春)中止について   キムチョンミ
 こんごの研究主題・研究課題
  「2010年夏の海南島における海南島近現代史研究会第4回総会について」

第5回定例研究会 2010年2月14日
【報告Ⅰ】 三竈島から海南島へ――もう一つの南進政策   蒲豊彦
【報告Ⅱ】 海南島での同仁会(研究ノート)   キム チョンミ
【報告Ⅲ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 3   竹本昇
【報告Ⅳ】 曹靖『回顧長仙聯村“三・一”血泪史』を読んで   鐘翠雅
【報告Ⅴ】 「Y作戦」と住民虐殺   斉藤日出治
【報告Ⅵ】アジア太平洋戦争開始前後の海南島侵略日本海軍の「Y5作戦」   佐藤正人
■海南島三亜郊外の「朝鮮村」の現状と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■2010年夏の海南島での第4回海南島近現代史研究会総会について

第4回総会・第6回定例研究会 2010年8月22日
主題:「朝鮮報国隊」の真相糾明
 証言1 アボヂは海南島から戻らなかった       ハン グァンス(韓光洙)
 証言2 アボヂの魂を自由にするたたかい       イ ヒジャ(李煕子)
 報告 「朝鮮報国隊」と朝鮮自営隊について      キム チョンミ(金静美)
 【研究報告Ⅰ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 4   竹本昇
 【研究報告Ⅱ】 海南島の「Y作戦」と住民虐殺 日本のアジア侵略の構図      斉藤日出治
 【研究報告Ⅲ】 「海南島第十六警備隊能美事件」と「朝鮮村虐殺」について      佐藤正人
 ■2010年5月の海南島「現地調査」報告 梅種村、美桃村、海尾村、保平村、傳桂村、玉仙村で
 ■海南省民族学会、海南民間抗戦研究会準備会との共同研究・共同調査について

第7回定例研究会 2011年2月13日       
 主題:海南島とパレスチナ
  報告1  パレスチナでの参戦経験      足立正生
  報告2 今も続くイスラエルの攻撃と占領について  オマイヤ・アブード( Omaya Abboud )   
 【研究報告Ⅰ】 マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 5   竹本昇
  【 研究報告Ⅱ】 海南島占領支配の実相 司令部派遣将校報告の分析   久保井規夫
  【調査報告】 祖父が海南島で何をしたのか    糟谷尚子
  ■2011年2月末~3月初めの海南島「現地調査」の主目的と日程
  ■海南省民族学会、海南民間抗戦研究会準備会との共同研究・共同調査について

第5回総会・第8回研究会  2011年8月28日 
主題:海南島における日本の侵略犯罪のいま
 証言 夫は海南島につれていかれた イ ガンヒ(李康姫) 
 証言 アボヂの跡を追い続けて  ハン ガンス(韓光洙)
 報告 「朝鮮報国隊」の軌跡   キム チョンミ(金静美)
 報告 海南島戦時性暴力被害訴訟ののち  海南島訴訟弁護団 杉浦ひとみ
 討論 日本政府・日本企業に侵略犯罪の責任をどうとらせていくか
 報告 2011年春の海南島「現地調査」報告
    
第9回定例研究会   2012年2月26日
 報告  海南島で日本語教師をしていたときのこと    細見
    【補】 海南師範学校3期生だったYさんの証言   竹本昇
    【補】 海南師範学校と黒潮会      キム チョンミ
  【研究報告Ⅰ】 海南島における非軍人日本人の侵略犯罪    佐藤正人
  【研究報告Ⅱ】 日本人「研究者」の植民地意識ーー海南島と台湾   斉藤日出治
     【補】 日本人の海南島農業調査について   趙従勝  
 【調査報告1】 海南島昌江黎族自治県で建設中の昌江原子力発電所について
 【調査報告2】 2011年10月下旬~11月上旬の海南島「現地調査」

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海南島近現代史研究会の5年間 2

2012年07月26日 | 海南島近現代史研究会

 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、三重県で紀州鉱山を経営していた石原産業が朝鮮半島から多数の朝鮮人を連行し働かせていた事実を知り、その調査を進めてきました。 
 その過程で、石原産業が海南島の田独鉱山でも、おおくの人びとを酷使し鉱山資源を略奪していたことを知り、海南島での調査を始めました。
  それをきっかけに、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年6月から2007年月まで、13回の海南島での「現地調査」などによって、「朝鮮村」における朝鮮人虐殺、海南島の各地における住民虐殺、鉱山・道路・飛行場建設への強制労働、女性に対する性暴力など、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における侵略犯罪を、すこしずつ明らかにして きました。また、日本の侵略に抗する住民の抗日反日闘争運動についても知ることができました。
 海南島における日本の侵略犯罪の実態をさらに解明するとともに、海南島おける抗日反日闘争の歴史を学ぶために、2007年8月5日に「海南島近現代史研究会」が創立されました。
 続いて海南島近現代史研究会は、創立総会のときに定めた会則「三 総会と定例研究会 毎年夏に、総会を開き、本会の組織および運営に関することを審議するとともに、1年間の計画を話し合います。総会の時に、定例研究会を併催します」にしたがって、2008年2月10日に1回目の研究会を開きました。その69年まえの1939年2月10日未明に、天皇ヒロヒトの「裁可」を前提にして日本政府と大本営陸軍部と大本営海軍部は、日本陸海軍を海南島に奇襲上陸させていました。
 以下は、創立集会から第9回定例研究会(2012年2月26日)までの記録です。詳細は、このブログに掲載してある総会・定例研究会開催時の記録をみてください。
                                                   佐藤正人
 
■海南島近現代史研究会創立集会から第9回定例研究会まで 1

創立集会 2007年8月5日
 海南島近現代史研究会創立にいたる経過報告
 創立集会へのメーセージ
 会則(案)、討議。会則、決定
 海南島近現代史研究会の活動計画について   提案と討論
 ドキュメンタリー『月塘村惨案』日本語暫定版試写
 月塘村追悼碑の建立基金協力について
 日本政府にたいする海南島侵略犯罪真相究明要求
 会報『海南島近現代史研究』創刊について
 討論 

第1回定例研究会  2008年2月10日 
 創立集会以後の会の活動報告
 研究報告Ⅰ  海南島近現代史のなかの世界近現代史    佐藤正人
 研究報告Ⅱ  海南島近現代史資料について          久保井規夫
 質疑と討論
 海南島近現代史研究会制作ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』上映
 こんごの研究主題について

第2回総会・第2回定例研究集会  2008年8月3日
 1年間の会の活動報告
 あいさつ 王建成(海南省民族学会副会長)
 研究報告Ⅰ  社会転型期的黎族伝統文化(社会転形期における黎族の伝統文化)   金山
 研究報告Ⅱ  「日本考古学」と海南島   五十嵐彰
 研究報告Ⅲ  海南海軍特務部編『海南島三省連絡会議決議事項抄録』について   水野明
 質疑・討論
 参加者の発言・討論
 こんごの研究主題・研究課題
 海南島近現代史研究会制作『海南島 2007年秋』、『海南島2008年春』、『月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式』上映
 月塘村全村民の日本政府に対する要求について
 日本軍の海南島奇襲攻撃70年後(2009年2月)に
 「会則」改定

第3回定例研究会  2009年2月8日
 主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始70年
 【研究報告Ⅰ】 天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員  紀元節・神武天
          皇陵・八紘一宇                       久保井規夫
 【研究報告Ⅱ】 1939年2月10日の世界史的意味         佐藤正人
 【研究報告Ⅲ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか    竹本昇
 【研究報告Ⅳ】 2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか   日置真理子       
 【研究報告Ⅴ】 海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース 飢えと疫病と
          重労働  生き証人に聞く          西里扶甬子             
■「月塘村虐殺」・月塘村村民の対日本政府要求について
■「朝鮮村」の現状報告と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■第2回総会(2008年8月)以後の会の活動報告と2009年春の第4回海南島「現地調査」について

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2009年2月8日の海南島近現代史研究会第3回定例研究会の案内

2012年07月25日 | 海南島近現代史研究会

 以下は、2009年2月8日に開いた海南島近現代史研究会第3回定例研究会の案内です。当時、このブログに掲載していなかったので、ここに掲載します。

■海南島近現代史研究会第3回定例研究会を開きます
   と き:2009年2月8日(日)13時~17時(開場12時半)
   ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
   参加費:500円(会員は無料です)

主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始70年
 1939年2月10日に日本軍が海南島に侵入しました。その7か月後、1939年9月に、ポーランドに、ドイツ軍が西方から、ソ連軍が東方から侵入して分割占領し、第2次世界戦争が開始されました。日本政府が2月10日に日本軍を海南島に奇襲上陸させたのは、「紀元節」である2月11日に海南島の首都、海口を占領することを計画していたからでした。 1939年2月11日、日本のマスメディアは、海南島奇襲上陸(宣戦布告なしの海南島戦争開始)の「成功」と「紀元節」 を大きく報道しました。                                                                                              
 プログラム
【研究報告Ⅰ】 
  天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員  紀元節・神武天皇陵・八紘一宇    久保井規夫
      日本が海南島侵略を開始していたころ、日本国内では「神武天皇御陵」や「橿原神宮」が国策
     として拡張され、「八紘一宇」というアジア侵略への国威高揚のスローガンが掲げられ、国家総
     動員の仕上げがおこなわれていました。
 【研究報告Ⅱ】
  1939年2月10日の世界史的意味       佐藤正人
     国民国家日本が1869年にアイヌモシリの一部(「北海道島」)を植民地としてから70年後、1939年
    2月に、天皇ヒロヒトと日本政府は、海南島に日本軍を奇襲上陸させました。それからさらに70年が
    過ぎました。海南島近現代史のなかの日本近現代史と世界近現代史を認識する意味を、みなさん
    と共に考えたいと思います。
【研究報告Ⅲ】
  1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか    竹本昇
     1939年2月10日に、大阪毎日新聞社は、「今暁・海南島へ奇襲上陸 直ちに猛進撃を開始 宛ら
    無人の野を征く」という号外を出しました。その「無人の野」における日本軍の犯罪を報道したマス
    メディアはありませんでした。
【研究報告Ⅳ】
  2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか    日置真理子       
     70年前、日本人がどのような目的で海南島に上陸したか。そして何をしたのか。まったく振り返る
    ことがないまま、海南島をリゾート目的で利用する日本の報道を取り上げてみます。
 【研究報告Ⅴ】
  海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース 飢えと疫病と重労働  生き証人に聞く   
                                                   西里扶甬子             
■「月塘村虐殺」・月塘村村民の対日本政府要求について
■「朝鮮村」の現状報告と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■第2回総会(2008年8月)以後の会の活動報告と2009年春の第4回海南島「現地調査」について

          海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/

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海南島近現代史研究会の5年間 1

2012年07月24日 | 海南島近現代史研究会

 2007年8月5日に創立された海南島近現代史研究会は、毎年夏に総会と定例研究会を、毎年冬に定例研究会を続けてきました。
 創立5周年の今年8月18日に、6回目の総会と10回目の研究集会を開きます。
 この5年間に、海南島近現代史研究会は、海南島で「現地調査」を8回おこないました。
   2007年9月~11月 海南島近現代史研究会第1回海南島「現地調査」。
                 紀州鉱山の真実を明らかにする会としては第14回。  
   2008年4月~5月 海南島近現代史研究会第2回海南島「現地調査」。
   2008年10月    海南島近現代史研究会第3回海南島「現地調査」。
   2009年4~5月  海南島近現代史研究会第4回海南島「現地調査」。
   2010年5月   海南島近現代史研究会第5回海南島「現地調査」。
   2011年2月~3月 海南島近現代史研究会第6回海南島「現地調査」。
   2011年10月~11月 海南島近現代史研究会第7回海南島「現地調査」。
   2012年3月  海南島近現代史研究会第8回海南島「現地調査」。
             紀州鉱山の真実を明らかにする会としては第21回。

 海南島近現代史研究会創立以前に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は海南島で「現地調査」を13回おこなっていました。
   1998年6月 紀州鉱山の真実を明らかにする会海南島で「現地調査」(第1回)。
   2000年3~4月 海南島で現地調査」(第2回)。
   2001年1月 海南島で「現地調査」(第3回)。
   2002年3月~4月 海南島で「現地調査」(第4回)。
   2002年10月 海南島で「現地調査」(第5回。韓国挺身隊研究所とともに)。
   2003年3~4月 海南島で「現地調査」(第6回)。
   2003年7~8月 海南島で「現地調査」(第7回。韓国KBS取材スタッフとともに)。
   2004年12月~2005年1月 海南島で「現地調査」(第8回)。
   2005年9月 海南島で「現地調査」(第9回)。
   2006年3月~4月 海南島で「現地調査」(第10回)。
   2006年4月~5月 海南島で「現地調査」(第11回)。 5月2日「朝鮮村試掘」→中断。
   2006年12月~2007年1月 海南島で「現地調査」(第12回)。
   2007年5月~6月 海南島で「現地調査」(第13回)。 
                                                                佐藤正人

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「海南島海軍軍属募集」 2

2012年07月23日 | 海南島史研究

 浦添市史編集委員会編『浦添市史 第五巻 資料編4』(1984年3月、浦添市教育委員会発行)に、大阪の職業紹介所の「紹介」で「海軍軍属」として1942年に海南島に行った平良英太郎さんの証言が掲載されています。平良さんは、「海南島に行ったのは一九四二年の三月だと覚えている」と語っています(このブログ6月28日の「沖縄で 6」をみてください)。
 平良さんの証言によると、日本では1942年3月には、国営職業紹介所(1921年に設置された市町村営の職業紹介所は、1938年に国営化され、1941年1月31日に国民職業指導所に改変・改称)が、「海南島海軍軍属募集」をおこなっていたようです。
 沖縄で「募集」されたのは「南支○○島(海南島)行労務者」、日本で「募集」されたのは「海南島海軍軍属(海南警備府嘱託)」であり、賃金も前者は「日収二円八十銭前後」、後者は「初任月収百五十円」でした。
 海南島に送られた朝鮮人軍属・台湾人軍属については、このブログの2010年7月6日~7月13日の「海南島に連行された朝鮮人」1~6、2011年1月17日、1月30日の「「海南島的台湾兵」」1、10、2011年2月3日~2月5日の「海南島の台湾人兵士」1~3、2012年1月3日~1月23日の「「旧海軍軍属身上調査表」・「旧海軍軍人履歴原表」」などをみてください。
                              佐藤正人

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「海南島海軍軍属募集」 1

2012年07月22日 | 海南島史研究

 『琉球新報』1939年9月8日号、9月12日号、『沖縄日報』1939年9月9日号、9月10日号の広告欄に1939年9月8日付けの国営那覇名護宮古職業紹介所の「南支○○島行労務者大募集」が掲載され、『琉球新報』1940年10月20日号、10月22日号、10月23日号の広告欄に1939年9月8日付けの国営那覇名護宮古職業紹介所の「南支○○島行労務者大募集」が掲載されていました(このブログの6月25日の「沖縄で 3」、および6月28日の「沖縄で 6」をみてください)。
 沖縄では、国営職業安定所を通して、1939年9月、1940年4月、1940年10月(募集締切11月)の3回、「南支○○島行労務者大募集」がおこなわれましたが、日本でも、国民職業指導所を通して、1942年7月に「海南島海軍軍属募集」がおこなわれました。
 『朝日新聞』1942年7月11日夕刊2頁最下段に、つぎのような広告が掲載されています。
 沖縄では、「南支○○島行労務者大募集」と書かれて海南島の名が隠されていましたが、日本では明記されていました。
                                                 佐藤正人

■海南島海軍軍属(保安警察的事務従事)募集
 一募集人員 約一五〇名
 二志願資格 年齢満二十一年以上三十年未満ノ男子ニシテ中等学校卒業者又ハ之ト
  同等ノ学力ヲ有スル者及青年学校本科ノ課程ヲ終了シタル者
 三志願手続 志願書ニ履歴書、身体検査證、身分證明書、戸籍抄本、資格證書、写真
  ヲ添付銓衡当日前二日目迄ニ国民職業指導所ニ提出スルコト
 四試験    1、簡単ナル口頭試問  2、身体検査
 五銓衡期日 仙台市 十一日前九時  東京市 十三日前九時
          横浜市 十五日前九時  千葉氏 十四日前九時
          名古屋市 十六日前九時  大阪市 十七日前九時
 六待遇    1、海南警備府嘱託トシ部内限リ判任ノ待遇ヲナス
          2、初任月収百五十円外ニ被服兵食ヲ給シ宿舎与與フ
          3、成績優秀ナルモノハ順次昇進シ得ヘシ
 七服務年限 三ケ年間服務ノ義務ヲ有ス
 八赴任期日 八月上旬ノ予定
     其他詳細ニ付テハ最寄国民職業指導所ニ問合セラレタシ

 宮城、東京、神奈川、千葉、愛知、大阪各府県国民職業指導所

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