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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「对中日年轻人的再定义」

2018年12月31日 | 海南島史研究
https://www.zaobao.com.sg/forum/letter/jp/story20080625-34599
「联合早报」 2008年6月25日 12:00 AM
■对中日年轻人的再定义
  在青春溢满的大学时代,为了也能够提高停滞不前的日语能力,我和在厦门大学里学习中文的日本同龄年轻人通过交往,交流的形式,互相提高外语水平。在我人性的本能中,并不是喜欢看充满暴力吟味的影片,可是在我的那已流逝的少年80 年代,在国内,除了泛滥的抗日战争片,我和我的多数同龄人还没有可以享受获得看爱情浪漫片的恩惠。
  或许是从小看多了抗日战争片的影响,也或许是交往的对象是日本人的缘故,我的话题也会被神经不经意地引导到敏感的中日战争问题。和我对这个话题的激情,好奇相比,不同的是,年轻的日本友人会不自然地流露出多许不怡然的表情、并给我一句宣泄的提问:「それは親の世代のことだから、私達がその事実をまったく知らないのに、なぜ私達がその責任を負わなければならないのか、いつになったら中国の若者はそのことを忘れて、我々と友好してくれるのか」(译:日中战争只不过是父辈的事情,我们日本年轻人对这个过去的事实一点也不了解,为何我们要必须承担这个战争责任呢?什么时候中国年轻人才能忘却这个事情,向我们表示出友好呢?)。虽然没有来得及赶上品尝文化大革命的滋味,我和国内的多数同龄人也从上小学时起开始被教导学习中日战争的那不可忘却的历史,父辈们也时常会在饭饱粗茶后沉痛地回忆起那个凄惨的不可忘却的年代,对于国内的我的多数同龄人,中日战争 ---- 这是一段本应该去忘却却又忘却不掉的年代。当时我不成熟的认为:对于日本同龄年轻人,虽然也知道战争是凄惨的和错误的,但没有深深地从教科书和现实的生活中去感受到那个战争的悲痛,所以对于那个战争带来悲痛的理解深度还远远不够。
  从这之后,我在和日本年轻人交往时,都非常慎重和尽可能地去避免谈中日战争的问题。并还把这个经历告诉我的大学的后辈们,劝告他们在和日本年轻人交往时,最好不要话提中日战争。有说法律职业人的思维是僵硬,画家们都是在体验中找到写生的灵感,可作为律师的我,却还是能在这段经历中启发偶尔的感悟:中日的年轻人就好像水和油的存在。水和油都有着透明液体的共性,虽然外观看来或许形似,实际上内容完全不同。对中日战争---- 日本年轻人也许有着宛如水似的轻快洒脱,中国年轻人确有着宛如油似的执拗纠缠。遇到不愉快,挫折的事情,日本年轻人或许可以让她像水一样地轻轻流逝,中国年轻人往往多会卧薪尝胆,矜泪咀嚼苦汁,耿耿难于忘怀。所以,水和油是绝对不可能融在一起---- 当时的我,仰望天空瞳孔,常会有此冥想。
  来日本不短的年限,在神户大学留学的岁月中,我也在不断地被潜化改变着对日本的看法。总体感觉,日本年轻人对政治并不太感兴趣。日本也有不少反映战争悲痛的影片电视,比如[阿信],[還暦の母]等等都曾给那个年代的人产生过共鸣。2年前,在我的故乡海南岛,与京都大学的俩位优秀日本年轻人得与有幸交往。他们是为了查清当时的元日本军在中国海南岛的侵略史实,而特地来海南进行自费的现地调查。
  我作为翻译得与同行。我对他们要调查中日战争而表现出的积极态度是油然地感到崇敬的。这也是我有生以来第一次在日本年轻人面前,有机会把国内战争受害者 ----一位朴实的农村老奶奶的憎恨和痛苦的言语直率地翻译出来。当我把老奶奶的说话翻译成日语「はじめに飛行機が100機くらい来て、爆弾を落として、それから、日本軍が来た。父と叔父さんが逃げられなかったので、首を切られて殺された。その時、私は21歳でした。」(译:刚开始时,100架左右的飞机飞到,投下爆弹,紧接着,日本兵来到了。父亲和叔父由于没来得及跑出,都被杀头了。那时,我才21岁。)时,从这俩位日本年轻人眼里,泪珠开始自然地和不自然地流了出来。过后,他们对我说一句:「その日の暑さとそのお祖母さんの涙を一生忘れない」(译:这一生都不会忘记那天的闷热和老奶奶的眼泪)。听着这萦绕在耳边的话语,一瞬间,水和油也是会能互相融合的-----我不得不由衷地感慨。
  前不久胡锦涛先生在日本早稻田大学作讲演时呼吁:中日的友好,关键在于青少年之间的交流。我同感于此,并相信水和油也是会能互相融合的,故特以此文为中日友好助澜。

                              日中国律师杨得洲 钟翠雅
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「フィリピンに今度は「少女像」設置 日本の妨害懸念も」

2018年12月30日 | 日本軍隊性奴隷
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181228003600882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.28 21:12
■フィリピンに今度は「少女像」設置 日本の妨害懸念も
【ハノイ聯合ニュース】フィリピン・ラグナ州のサンペドロ市で28日(現地時間)、旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の除幕式が行われた。韓国・忠清北道提川市の前市長、李根圭(イ・グンキュ)氏が伝えた。

【写真】フィリピンのサンペドロ市に設置された少女像と除幕式に出席した関係者(読者提供)=(聯合ニュース)

 少女像の設置は昨年9月にサンペドロ市長が提川市の少女像を訪問した際に、サンペドロ市側が提案して推進された。 
 除幕式には李氏のほか、「平和の少女像」を製作したキム・ソギョンさん、キム・ウンソンさん夫妻など韓国側の代表団8人が出席した。またサンペドロ市長をはじめ地域の関係者など100人余りも出席した。 
 李氏は「平和の少女像は怒りと憎しみを越え、女性の人権、社会的弱者に対する愛、人類の平和共存を望むわれわれ皆の念願」とし、「今回の平和の少女像の建立が韓国とフィリピンの友好増進と世界平和に寄与することを願う」と述べた。
 サンペドロ市長は「女性の人権と平和に対する希望が、サンペドロ市で光や塩のように大切な価値になるだろう」と話した。 
 フィリピンでは首都マニラにも慰安婦被害者を象徴する女性像があったが、日本側が撤去を強く要請した後、4月に撤去された。今回も日本の妨害が予想され、少女像がこのまま維持されるのか注目される。 


http://www.manila-shimbun.com/category/society/news242257.html
「まにら新聞ウェブ」 
■ラグナ州サンペドロ市と韓国側が、同市に慰安婦被害を表す「少女像」設置

【写真】(上)ラグナ州に設置された慰安婦の少女像。(下)少女像の横にある碑文=29日午後6時ごろ、ルソン地方ラグナ州サンペドロ市で冨田すみれ子撮影

 ルソン地方ラグナ州サンペドロ市に28日、第2次世界大戦中の旧日本軍による慰安婦被害を象徴する「少女像」が設置された。
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「真夜中に連行された27歳の同い年の夫はついに帰って来られなかった」

2018年12月29日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32440.html
「The Hankyoreh」 2018-12-27 21:42
■真夜中に連行された27歳の同い年の夫はついに帰って来られなかった
 済州4・3 椿に尋ねる 2部(11) 
 97歳のイ・イムギュさんの「短い出会い、永遠の別れ」 
 「1年半一緒に暮らして連行されたきり、今も夫を思い出す」 
 農作業をしていた夫は、麻浦刑務所で行方不明に 
 お腹に残された赤ん坊は、夫が刑務所に行った月に出生 
 息子のために連行された姑も4・3事件の犠牲に

【写真】済州4・3の時に夫を失ったイ・イムギュさん(97)が今月23日、初めて済州4・3平和公園内の行方不明になった夫の碑石を見つけ撫でている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆「友達がたくさんいて良かったですね」
 おばあさんがどっかりと座り込んで夫の碑石を撫でながら言った。もうすぐ100歳になるおばあさんのシワは深く、目じりから涙が一粒こぼれた。23日イ・イムギュさん(97・西帰浦市、南元邑、新礼里)は、娘と孫の助けを借りて済州市(チェジュシ)奉蓋洞(ポンゲドン)の済州4・3平和公園を訪れた。行方不明になった人々の石碑が立てられた後、おばあさんがこちらを訪ねたのはこの日が初めてだった。
 おばあさんは、先に亡くなった夫が一人でさびしくしていないか、いつもそれを気にかけていた。夫の碑石を撫でながらおばあさんは、「友だちがいて良かったですね」という言葉を何度も繰り返した。おばあさんの視線の先には多くの灰色の碑石が列んでいた。おばあさんが娘のチョン・ヨンスンさん(70)に言った。「死んだ人がこんなに多いの?こんなに多くの碑石が」「そうなんです。罪のない人がたくさん死んだので。それでも生きている時に来れて良かった」。娘が答えた。おばあさんは、父親の記憶がない娘に「あんたのお父さんは、背が高くて美男子だった」と話した。27歳で妊娠中に夫を送った女性と、それで遺腹子として生まれた娘の対話は湿っぽかった。

【写真】イ・イムギュさんが23日、済州市4・3平和公園内の行方不明者の碑石の前で、娘と一緒に夫の碑石に杯を上げている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆初めて訪ねた夫の碑石…「友達がたくさんいて良かったですね」
 碑石に書かれた名前は「チョン・ウォンジョン」。おばあさんと同い年の夫だ。婚姻届は出していない。1年半一緒に暮らし、27歳の時に「すぐ帰ってくる」と言って家を出た夫は、妻が100歳近くになっても帰っては来なかった。短い出会い、永遠の別れだった。
 歳月が流れて、正確な日付は覚えていないが“その日”の記憶だけは生々しい。「夜に横になってようやく寝つこうとした時、誰かが家の前に来て『ウォンジョン、いるか?」と呼びました。寝つこうとしていた夫が、むくっと起き上がり中庭に出て行って、(私が)『どこへ行くんですか?行かないでください』と言ったのに『行ってくる』と言いました。それですぐに帰ってくると思ったのですが、それきりでした」。
 寒い日だった。1948年陰暦12月のある夜の10時頃のことだ。夫について家の前に出てみましたが、彼はすでに見えなかった。27歳の若い夫は、暗闇の中を連れて行かれた。妻は一睡もできなかった。夫は二度と家に戻ってこれなかった。
 「戻って来ると思ってましたよ、そんな風に捕まえて行ったと思いますか?」 二日が過ぎて、おばあさんは誰かが夫を捕まえて行ったのだと思った。
 当時、新礼里(シルレリ)では畑作が中心だった。その当時、済州島での暮らしがそうであったように、一日一日を生きていくことだけで大変だった。夫とおばあさんも、主に麦や粟を作っていた。

【写真】イ・イムギュさんが、孫のヤン・シヨン済州4・3遺族会事務局長と娘のチョン・ヨンスンさんと話している=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆農夫だった夫、真夜中に連行され刑務所で行方不明に
 胸が張り裂けそうな時間だった。夫が連れて行かれて数日後、おばあさんは新礼里から近い海辺の村のコンチョン浦で夫を見たという話を住民から伝え聞いた。夫は頭を負傷したのか、タオルを頭に巻いて、服は夜中に家から出て行った時に着ていた服のままだったと言う。討伐隊は、夫と他の住民たちをコンチョン浦に臨時に収容し、西帰浦小学校の横のジャガイモ倉庫の収容所に連れて行った。当時、西帰浦ではジャガイモ倉庫、ボタン工場、澱粉工場が収容所として使われ、過酷な拷問が日常的に行われていた。夫はそこで人を通じて「妻に会いたい」と連絡してきたが、おばあさんは気持ちが折れそうで、行かなかったと話した。「会いたくてもどうすればいいのか。恨まれるかと思って行きませんでした」。
 おばあさんはその後、ジャガイモ倉庫の収容所に行った。少し離れた場所で目を合わせた。27歳の同い年の夫婦は、迫り来る運命が分かったのか、何も話をせずに互いを眺めるのみで別れた。それが最後の夫の姿だった。おばあさんはその後、二度と夫の姿を見ることはできなかった。
 夫は再び済州邑に移送された。当時、済州邑に移送された青年たちは、主に済州の酒精工場に収容され、形式的な裁判を受けて他の地方刑務所に移送された。1999年チュ・ミエ当時新政治国民会議議員が、政府記録保存所(現、国家記録院)から受け取った「受刑人名簿」を見れば、おばあさんの夫は軍法会議で無期刑を宣告され、ソウルの麻浦(マポ)刑務所に収監されたことが確認された。この記録にはまた、夫が無罪を主張したが受け入れられなかったと出ている。
 日帝強制占領期間に村の区長(現在の里長)をしていた舅は、ソウルまで行って夫に面会した。しかし朝鮮戦争が起きて、2回目の面会に行った時には夫は行方不明になっていた。死んだという噂はたくさん聞いた。おばあさんは、夫の誕生日に合わせて家族と共に法事を行っている。

【写真】イ・イムギュさんの夫、故チョン・ウォンジョン氏=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆おばあさんと一緒に連れて行かれた姑も犠牲に
 夫が連行された翌年の1949年1月27日には、おばあさんが姑(キム・ニョユン・当時48)とともに家の中庭でジャガイモの穴を掘っていると、3~4人の青年が手に竹槍を持って押しかけて来た。彼らは学連(全国統一学生総連盟)所属の学生たちだったと推定される。彼らは「逃避者の家族」と言いながら、おばあさん、5歳になった長女、姑の3人をコンチョン浦の海辺の小さな家に連れて行った。
 青年たちは、一部屋におばあさんと長女を、別の部屋には姑を監禁した。2月5日、彼らは姑に部屋から出て東に向かう道を歩かせた。おばあさんは「どうしてお母さんを捕まえて行くのか」とすがりついたが、効果はなかった。姑は自身の最期を予感したように、嫁に向かって「お前だけでも生きなくちゃ。あの赤ん坊を育てて良い暮らしをして」と言って家を出た。当時、おばあさんは号泣したがなすすべがなかった。しばらくして青年たちは道端で姑を殺害し遺体をかますで覆った。家族が出て行き遺体を収容した。おばあさんは「姑はとても良い人だったのに無残に殺された」と回顧した。
 1960年4・19革命の直後、国会次元の良民虐殺事件調査を控えて届け出られた「国会良民虐殺事件真相調査報告書」によれば、おばあさんの義理の弟(チョン・ペンジョン氏)は、自身の母親と兄を虐殺した執行者に対する厳重処断と無罪糾明、補償金請求を要求した。

【写真】イ・イムギュさんが済州4・3にまつわる家族史を語っているチョン・ウォンジョン氏=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆妻が妊娠していたことも知らずに連行された夫
 おばあさんの夫は、妻が妊娠していた事実も知らずに連行された。おばあさんは堕胎を試みたが果たせなかった。「娘が父親もいなくてどうして生きていけますか。松の花粉を釜で煮詰めて、どんぶり半分ほどの水で練って食べれば、直ぐに流産するという話を聞きました。それで一緒に暮らしていた人々が皆出かけると、誰にも知られないように他人の松畑に行き松の花粉を採取して急いで煮詰めて飲み、わらぶき屋根の上から飛び降りたけれど流産はしませんでした」。
 隣にいた娘のチョンさんが、お母さんの話を聞いて笑った。お母さんが消せなかった娘は、父親が麻浦刑務所に移送されたその月に生まれた。父親は4・3の時に亡くなったという話を聞いただけで、4・3の話を口にし始めたのは2008年に済州4・3平和公園が作られてからだ。チョンさんは「お父さんがいないので、一部屋だけを間借りして暮らし、お母さんと本当にたくさん苦労した」と回顧した。小学生の時は、お母さんと一緒に山から薪を取ってきて、翌日の明け方にこれを細かくして西帰浦(ソギポ)の松山まで担いで売りに通った。「私も苦労をたくさんして、お母さんも苦労をたくさんされたので、今更きれいな服を着ろと言われても、苦労して生きてきたので古い服を捨てることもできません。根っからの性格になりました。毎日がケンカです」。娘が言った。

【写真】イ・イムギュさんが23日、曾孫、嫁、娘と一緒に済州4・3平和公園を見て回っている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

◆遺腹子として生まれた娘、まだ父親の戸籍には載っていない
 チョンさんは、戸籍上は伯父の娘になっている。母親と父親の婚姻届の記録がないためだ。「お父さんが4・3の時に亡くなっても、私は遺族になれませんでした。戸籍の発給を受けてもいないので分からなかったんです」。チョンさんが話した。数十年の歳月が流れ、お母さんが養子をとるために戸籍を作ったが、法的手続きが難しく依然としてチョンさんは伯父の娘のまま残っている。「だから情けないんですが、私は本当にお父さんの娘なのに、今公園にこうして来ても遺族の扱いを受けられないんですから、本当にあきれてしまいます」。
 チョンさんの息子のヤン・シヨン氏(47)は、3年前に済州4・3遺族会事務局長になり、活動の中で我が家の4・3の経緯を確認しつつある。ヤン局長は「お母さんがおじいさんの子供だということを立証するために、おばあさんとお母さんの遺伝子検査をできるようにしなければならないのに、未だできていなくて本当に申し訳なく思っています」と話した。
 「『お父さん』と一度呼んでみたいし、顔も一度見たいです。それが願いです。そう思いながらも、ひょっとしてどこかで生きているのではと思ったりもします」。チョンさんが話した。娘の話を聴いていたおばあさんが、ぼそっと話した。「毎日のように考えます。生きているのなら、仕事でもして一緒に通ったりもできるのに、ああ死んでしまうとは」。

ホ・ホジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/875913.html
韓国語原文入力:2018-12-27 11:11
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「慰安婦合意から3年 「日本政府は公式謝罪・法的賠償を」=韓国団体」

2018年12月28日 | 日本軍隊性奴隷
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181228001600882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.28 14:32
■慰安婦合意から3年 「日本政府は公式謝罪・法的賠償を」=韓国団体
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦問題を巡る2015年の韓日合意から3年を迎えた28日、慰安婦被害者を支援する韓国の市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」などはソウルの外交部庁舎前で記者会見を開いて合意の無効を主張し、「被害者中心主義」に基づいた根本的な問題解決を求めた。

【写真】会見を行う市民団体メンバー=28日、ソウル(聯合ニュース)

 会見では「3年間に、24人の被害者が私たちの元を去ったが、合意は消えないまま、依然として正義に基づいた問題解決の足かせになっている」と指摘しながら国連の人権機関が被害者の要求に合致する永久的な解決策を模索するよう両国政府に勧告していることなどに言及した。
 その上で「日本政府は国連人権機関の勧告は拘束力がないとの立場を示すなど、性奴隷犯罪に対する歴史的な事実を歪曲(わいきょく)し、うその扇動で被害者の名誉や人権を繰り返し毀損(きそん)している」と批判した。
 さらに、日本政府は国際機関の勧告を受け入れ、被害者の人権回復のためにあらゆる措置を取らなければならないとして、「歴史の歪曲や妄言をやめ、アジアのすべての被害者に公式謝罪し、法的賠償をしなければならない」と強調した。
 韓国政府に対しても慰安婦合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」の解散は発表したものの、解散の手続きを進めていないと指摘。財団の解散を迅速に進め、日本が財団に拠出した10億円を返還するよう求めた。


https://www.asahi.com/articles/ASLDX4W67LDXUHBI00M.html
「朝日新聞デジタル」 2018年12月28日22時46分
■元慰安婦支援団体、文大統領に「合意の即刻破棄」要求

【写真】「和解・癒やし財団」の残余金の使途をめぐる日韓協議に反対する元慰安婦支援団体のメンバーら=28日、ソウルの韓国外交省前、武田肇撮影

 日韓両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決をうたう合意をして3年にあたる28日、韓国最大の元慰安婦支援団体「正義記憶連帯」(旧挺対協〈ていたいきょう〉)がソウルで記者会見し、合意を即刻破棄し、日本の拠出金10億円を日本側に返すよう文在寅(ムンジェイン)大統領に求めた。
 韓国政府は11月、日本の拠出金10億円を基に元慰安婦らに支援事業をしてきた「和解・癒やし財団」を解散させると発表。一方、文氏は合意の破棄は求めないとの立場から、残余金の約6億円は「本来の趣旨にあう用途で活用できるよう協議するのがいい」と、日韓協議の開催を提案していた。
 支援団体のメンバーは「(文政権は)合意は解決にならないと表明し、対応を約束した。日本と拠出金を使うための協議をしてはならない」と批判した。支援団体は文氏の支持基盤の一つ。
                                  ソウル=武田肇
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「慰安婦被害女性、「正しい義人賞」第1回受賞者に」

2018年12月28日 | 日本軍隊性奴隷
https://japanese.joins.com/article/525/248525.html?servcode=400§code=400
「中央日報日本語版」 2018年12月27日08時10分
■慰安婦被害女性、「正しい義人賞」第1回受賞者に

【写真】第1回「正しい義人賞」受賞者である金福童さん(左)を訪問した公益社団法人「チョン」のキム・ジェホン理事長(ソウルデジタル大学学長)が受賞を知らせながらキムさんの手を握って慰めている。(写真=法務法人パルン)
 
 旧日本軍慰安婦被害者である金福童(キム・ボクドン)さん(93)が公益社団法人「チョン」が選ぶ「2018正しい義人賞」を受賞することになった。公益社団法人「チョン」は法務法人「パルン」の弁護士と役職員が公益活動のために作った法人で、正しい義人賞の受賞者を今年初めて選定した。
 公益社団法人「チョン」は26日、「金さんが旧日本軍による被害者として痛みを抱いていながらもほぼすべての財産を教育のために寄付し、平和と統一の信念と韓日過去史に対する正しい歴史観を伝えてきた」と選定の理由を明らかにした。
 金さんは現在、がん闘病中にもかかわらず、着実に寄付活動を続けている。今年には2度にわたって私財5000万ウォン(約491万円)を在日朝鮮学校に奨学金として寄付した。2014年にはたね基金5000万ウォンを拠出して奨学財団「金福童の希望」を作った。その後、9月には台風で被害にあった在日朝鮮学校を復旧するために1000万ウォンをさらに寄付し、直接大阪朝鮮学校を訪問したりもした。
 金さんは「私の全財産を注いで後援するから朝鮮学校の生徒たちが熱心に勉強し、この国が統一されて平和の道が開かれる時まで立派な人材になって成長してほしい」と励ました。金さんは2012年3月8日には国際女性デーを迎えて慰安婦被害者後援施設でともに暮らしている吉元玉(キル・ウォノク)さんとともに「ナビ基金」を発足させたりもした。ナビ基金は「世界の戦争中にある性暴行被害者」を中心に各種暴力に苦痛を強いられている女性のために使われる。金さんは「死ぬ前に日本の安倍首相の真心の込められた謝罪を受けたい」と明らかにした。
 正しい義人賞の審査委員長を務めた公益社団法人「チョン」のキム・ジェホン理事長は「金福童さんの『殺身成仁』の精神と信念に満ちた活動にわが社会共同体が応じなければならない」として「第1回正しい義人賞はその小さい応答だが、大きな社会的な響きになることを希望する」と話した。授賞式は来月2日午後4時、ソウル延南洞(ヨンナムドン)「平和のわが家」で開かれる予定だ。

 一方、この日午後、ソウル鍾路区(チョンノグ)旧駐韓日本大使館の前では第1367回「旧日本軍性的奴隷制問題解決のための定期水曜集会」が開かれた。今年最後の集会だ。これは、今年亡くなった8人の慰安婦被害者を賛える場となった。14日、イ・グィニョさんが亡くなることで現在の政府に登録された生存慰安婦被害者は25人しかいない。
 現場の片方では亡くなった8人の被害者が生前に明るく笑っている写真が用意された。参加者は写真の前に準備した花を置いて被害者を追慕した。亡くなった8人の被害者の生前の足跡が紹介されると、流れる涙をぬぐい取る参加者もいた。
 氷点下の寒さにも準備された席を埋めつくした参加者は「日本政府は旧日本軍性的奴隷制被害者に法的賠償をせよ」というスローガンを叫んだ。定義記憶連帯はこの日、声明で「戦争に連れ去られて過酷な苦難にあった被害者は戦争が終わっても半世紀の間沈黙を強要されていたが、わが社会の厚い偏見と差別の壁を壊して勇気を出して被害事実を証言した」として「日本政府は国際社会の構成員として責任のある姿勢で戦争犯罪を認め、公式謝罪と賠償を通した法的責任を履行しなければならない」と訴えた。
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「釜山の日本総領事館前に「労働者像」設置を 市民団体が再度要求」

2018年12月27日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181226002300882?section=society-culture/index
「聯合ニュース」 2018.12.26 16:26
■釜山の日本総領事館前に「労働者像」設置を 市民団体が再度要求
【釜山聯合ニュース】韓国・釜山の市民団体は26日、日本総領事館付近で集会を開き、旧日本軍の慰安婦問題を巡る2015年の韓日合意の無効や日本による植民地時代に朝鮮半島から強制徴用された労働者を象徴する像の総領事館前への設置を求めた。

【写真】日本総領事館前に設置されている少女像(左)と集会の参加者が持ってきた労働者像の模型=26日、釜山(聯合ニュース)
【写真】にらみあう集会参加者と警官隊=26日、釜山(聯合ニュース)

 集会には複数の市民団体のメンバー約100人が参加した。
 像は釜山の労働団体がメーデーの5月1日に合わせ、慰安婦被害者を象徴する少女像が建てられている総領事館前に設置しようとしたが警察に阻止され、そのまま付近の歩道に置かれていた。同月31日に釜山市東区庁による行政代執行で撤去され、釜山市内の「国立日帝強制動員歴史館」に一時保管された後、団体に返還された。一連の過程で像が壊れ、現在は修理のため、京畿道に保管されているようだ。
 集会参加者は宣言文を発表。慰安婦合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」の解散や大法院(最高裁)が日本企業に対し植民地時代に強制徴用された韓国人被害者への賠償を命じた判決を取り上げながら、「小さな始まりにすぎない」として、「慰安婦合意が廃棄され、強制徴用労働者が法的な賠償を受ける日まで行動を止めない」と強調した。
 参加者らが集団で移動し、阻止する警官隊と約5分間にらみ合う場面もあったが、大きな衝突はなかった。


https://japanese.joins.com/article/521/248521.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年12月27日06時51分
■釜山市民団体「強制徴用労働者像、日本総領事館前に設置して謝罪受ける」

【写真】5月31日、市民団体の反発の中、釜山東区庁関係者がフォークリフトとトラックを使って釜山日本総領事館近くの歩道の前に設置されていた強制徴用労働者像の行政代執行(強制撤去)をしている。

 釜山(プサン)市民団体が強制徴用労働者像を日本総領事館前に必ず設置して日本政府の謝罪を受けると宣言した。
 日本軍慰安婦問題解決のための釜山女性行動と少女像を守る釜山市民行動のメンバーら100人余りは26日午後、釜山東区草梁洞(チョリャンドン)の鄭撥(チョンバル)将軍銅像前で集会を開いて強制徴用労働者像の設置保障を求めた。
 彼らは宣言文を通じて「今年の和解・癒やし財団の解散と強制動員訴訟に対する大法院(最高裁)判決は小さな始まりに過ぎない」とし「慰安婦合意が廃棄されて強制徴用労働者が法的な賠償を受ける日まで行動を止めない」と強調した。
 キム・ジェハ全国民主労働組合総連盟(民主労総)釜山本部長は「来年の三一節(独立運動記念日)、メーデー、光復節(解放記念日)のうち、今年設置が失敗に終わった強制徴用労働者像を必ず日本総領事館前に立てて日本から公式謝罪を受ける」と話した。集会参加者は強制徴用労働者像の模型を日本総領事館前少女像横に移して「今すぐここに」と書かれた手立て札を持って記念撮影を行った。
 これら市民団体は今年5月に日本総領事館前に強制徴用労働者像を設置しようとしたが、外交的な衝突の可能性を懸念した韓国政府と釜山市によって失敗に終わっていた。この過程で破損した強制徴用労働者像は、現在、修理のために京畿道(キョンギド)に保管中だという。
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「慰安婦問題の解決訴える定例集会 今年死去した被害者8人追悼=韓国」

2018年12月27日 | 日本軍隊性奴隷
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181226001600882?section=society-culture/index
「聯合ニュース」 2018.12.26 15:05
■慰安婦問題の解決訴える定例集会 今年死去した被害者8人追悼=韓国
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を支援する韓国の市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」は26日、ソウルの日本大使館前で、慰安婦問題の解決を求める定例の「水曜集会」を開催した。通算1367回目で、今年最後の集会となったこの日は、今年亡くなった旧日本軍の慰安婦被害者8人の追悼祭が行われた。

【写真】集会の様子=26日、ソウル(聯合ニュース)

 集会の場には8人の写真が並べられ、参加者は「市民の皆さん、(被害者の)おばあさんたちの涙を拭いてください」などと書いたカードを掲げ、被害者の冥福を祈って黙とうをささげた。
 壇上に上がった中学生代表は「亡くなったおばあさんたちを忘れない。おばあさんたちは90歳を過ぎ、残された時間は多くない。日本から謝罪を受けることがおばあさんたちの願いをかなえること」と訴えた。
 正義記憶連帯はこの日発表した声明で、「戦争(の場)に連れて行かれて苦難を味わった被害者たちは戦争が終わってからも半世紀にわたり沈黙を強いられたが、われわれ社会の偏見と差別の厚い壁を打ち破り、勇気を出して被害を証言した」とし、「日本政府は国際社会の構成員として責任を負う姿勢で戦争犯罪を認め、公式謝罪と賠償を通じて法的責任を履行すべきだ」と促した。
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「韓国独立活動家の100年前のフランス演説内容…日本の侵奪を熱弁」

2018年12月26日 | 個人史・地域史・世界史
https://japanese.joins.com/article/441/248441.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」 2018年12月24日15時53分
■韓国独立活動家の100年前のフランス演説内容…日本の侵奪を熱弁

【写真】独立活動家の金奎植先生の墓(写真=中央フォト)

大韓民国臨時政府パリ委員部代表を務めていた韓国の独立活動家、金奎植(キム・ギュシク)先生(1881~1950年)がパリを離れる直前の1919年8月初めに西欧の知識人の前で演説した内容が見つかった。金奎植先生は当時の演説で、韓国問題に無関心な西欧列強の態度に鬱憤(うっぷん)を晴らした。
 在仏独立運動史学者のイ・ジャンギュ氏(パリ第7大学博士課程)は、最近、フランス国立図書館(BnF)で金奎植先生の1919年8月初めの演説内容が記録された資料を見つけたと23日(現地時間)、明らかにした。イ・ジャンギュ氏によると、金奎植先生の発言は1919年8月8日付けのフランス日刊紙「La Lanterne」のある記事に含まれていた。「DUFAYEL(デュファイエル)での韓国:本当にアジアのアルザス=ロレーヌは存在するのか」という題名の記事には、1919年8月6日に開かれたとされるパリ外信記者クラブ宴会兼金奎植先生の歓送パーティの状況が書かれている。
 「OEDIPE(オイディプス)」というペンネームの記者が作成した該当の記事には、金奎植先生の発言が記されている。記者は金奎植先生の発言を短く要約して評価した。記事によると、金奎植先生は当時、自身の歓送パーティの演説で西欧列強が韓国問題に無関心だと言って糾弾した。金奎植先生は「実際、ここに集まった人のうち誰が、その昔に船員が島だと思い込んでいたはるか遠い韓国のことを心配するでしょうか。ほとんどしないでしょう。(心配する人が)いるとしたら、おそらく韓国の魅力的な首都で、世界で最も長い歴史を持つソウルに直接行ってみるほどの好奇心を持ったルイ・マランさん以外にいないでしょう」と話した。ルイ・マランとは、当時フランスの国会議員で、「韓国親友会」を立ち上げるなど韓国の独立運動を助けた人物だ。
 続いて金奎植先生は植民地解放問題に敵対的だったフランスなど西欧列強の態度に絶望していたと記者は伝えた。記者は「(金奎植)パリ平和会議の韓国代表団長はこのような無関心を糾弾した」としながら「4000年を越える歴史を持ち、独立国家として存在し、いま日本の束縛の下で身動きできずに震えている2000万の魂の懇請にも、誠意を持って答えない、正義と思想を愛すると語るフランスに彼は驚いた」と記した。
 あわせて金奎植先生の演説が非常に激情的だったと評価した。記者は「韓国は永住国(フランス)にも厳しかった。この官僚(金奎植)から出てきた非難には、日常的なそのような外交的態度は全くなかった。(フランス)外務部の強硬派、たとえばアジア担当副局長Gout氏のような人がいたとすれば、多分胸ぐらをつかんでいただろう」と説明した。
 最後に、日本の韓国侵奪をフランス・ドイツの境界地域である「アルザス=ロレーヌ」にたとえて説明した。アルザス=ロレーヌ地域は19世紀後半、ドイツが強制併合して第1次大戦後にフランスが取り戻したところだ。記者は「この席の結論は、日本がアジアだけでなく米国からも大きな共感を得られずにいて、アルザス=ロレーヌをかろうじて抱え込んでいるということ」としながら記事を締めくくった。
 記事によると、当時宴会にはルイ・マラン氏やフランス国会議員をはじめ、Li Yn Yuing中国北京大学教授、Minor元ロシア国会議長、民族自決主義を強調した米国人Gibbons氏ら60人余りの要人が参加した。彼らは金奎植先生の演説を傾聴しながら韓国を支持し、日本を批判する発言を順番に行ったと記者は伝えた。
 一方、該当の記事で紹介された「金奎植先生歓送パーティ」は現在資料として残されている「臨時政府欧洲我が事業報告書」にも少し短く言及されている。資料によると、1919年8月6日、「パリ万国記者クラブ」で金奎植の歓送パーティが開かれ、70人余りが集まったと記録されている。当時、李承晩(イ・スンマン)大統領が祝辞を朗読し、金奎植先生が報告演説をした後、来賓が順番に祝辞を述べたという。また、最後に大韓独立万歳を叫んだと記されている。

しかし、金奎植先生が具体的にどのような内容の演説をしたのかについては記録されていなかった。このため、今回見つかった資料は臨時政府がパリで行った独立運動の生き生きした場面を確認できる貴重な資料として評価できる。特に、臨時政府副主席まで務めた金奎植先生の活動を記録した関連資料がそれほど多くない点で希少性がある。
 国民大学史学科のチャン・ソクホン教授は「金奎植がパリを離れる直前に演説をしたという事実は知られていたが、その内容が具体的に確認されたのは今回が初めて」と話した。記事を見つけたイ・ジャンギュ氏は「金奎植が当時フランスと西欧列強に伝えた内容は悲壮でさえあった。韓国独立活動家が第1次大戦直後に列強が集まったパリ評和議で冷遇を受けた現実が演説を直接聞いたフランス記者の文として生き生きと記されている」と評価した。パリ第7大学韓国学科のマリオランジュ・リベラサン教授(韓国近現代史)は今月27日にソウル光復会館で開かれるシンポジウムで「三・一運動とフランス言論」を発表し、その際この記事もあわせて紹介する予定だ。
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「植民地時代の韓国人が書いた日本語文学 韓国で事典出版」

2018年12月26日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181224004000882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.24 20:03
■植民地時代の韓国人が書いた日本語文学 韓国で事典出版 
【光州聯合ニュース】韓国・全南大を8月に定年退職した金順槙(キム・スンジョン)名誉教授が教え子とともに編さんした「韓国人日本語文学事典」が出版された。全南大が24日伝えた。

【写真】編さんにあたった金順槙教授の研究チーム(全南大提供)=(聯合ニュース)

 同書は近代の韓国人作家109人が日本語で執筆した小説359編を中心に、作家や作品に関する内容などがまとめられている。執筆に15年を要した。
 これまで韓国人が日本語で書いた作品は、韓国の文学史からは外されることが多かった。
 付録には小説、詩、評論、檄文(げきぶん)、社説など近代の韓国人による日本語の文学作品や日本による植民地支配からの解放以降、日本に滞在した在日韓国人作家の活動内容などが収録された。
 金氏は扱った作品について、主権を奪われた状況で日本から強制された言語を使って書いた作品であっても、韓国人によって創作された「韓国文学」だとし、「国が再建されてから70年過ぎた今でも韓国文学史でまともに扱われない事実が残念で事典の編さんに心血を注いだ」と話した。
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「新日鉄住金の韓国内資産差し押さえ手続きへ 徴用被害者弁護団」

2018年12月25日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181224003900882?section=news
「聯合ニュース」 2018.12.24 19:30
■新日鉄住金の韓国内資産差し押さえ手続きへ 徴用被害者弁護団
【ソウル聯合ニュース】韓国の大法院(最高裁)が新日鉄住金に対し日本による植民地時代に強制徴用された韓国人被害者への賠償を命じたことに関連し、被害者側の弁護団は24日、「新日鉄住金が現在まで協議に応じる意思を明らかにしなかったため、韓国内の新日鉄住金(の資産)に対する差し押さえ執行手続きに入る予定」との立場を表明した。

【写真】新日鉄住金に協議の実施を求める要望書を提出した弁護団関係者=(聯合ニュース)

 その上で、「ただ、韓日当局者間の協議が進行中であるため、外交的な交渉状況も考慮し、執行日時を決める」とした。
 弁護団は今月4日、東京の同社本社を訪れ、損害賠償の履行方法などを話し合うための協議を行うよう、要望書を提出し、24日午後までに返答するよう要請していた。
 弁護団は「現時点では新日鉄住金に協議する意思がないと判断し、執行手続きに進むが、被害者代理人団と支援団は今後も新日鉄住金との協議による問題解決を望む」とし、「新日鉄住金は確定判決にともなう損害賠償のために1日も早く協議に応じることを願う」と呼びかけた。
 韓国大法院は新日鉄住金に対し、被害者4人に1人あたり1億ウォン(約1000万円)を賠償するよう命じたが、同社は履行する動きをみせていない。


■新日鉄住金強制動員被害問題に対する損害賠償訴訟代理人団・支援団の公式な立場
           文責:金世恩(キム・セウン)弁護士、 翻訳:李洋秀(イ・ヤンス)

 1.新日鉄住金強制動員被害者代理人団は去る12月4日東京で開かれた記者会見で新日鉄住金に、12月24日午後5時までに確定判決に沿って損害賠償に関する協議に出ることを要求し、これに応じない場合は法で定められた手続きに沿って強制執行に入ることを明らかにした。
 2.新日鉄住金が現在まで協議の意思を明らかにしていないので、すぐに韓国内の新日鉄住金に対する差し押さえ執行手続きに入る予定である。 ただ韓日当局者間協議が進行中なので、外交的交渉状況も考慮して執行日時を決めることになる。
 3.現在では、新日鉄住金が協議に出る意思がないと判断されるので執行手続きに進むが、被害者代理人団と支援団は依然と、新日鉄住金との協議を通した問題解決を望む。新日鉄住金は確定判決に沿って損害賠償のために、一日も早く協議に出て来るように望む。
        2018.12.24.

■신일철주금 강제동원 피해 문제에 대한 손해배상소송 대리인단·지원단 공식 입장
 1. 신일철주금 강제동원 피해자 대리인단은 지난 12월 4일 도쿄에서 열린 기자회견에서 신일철주금에게 12월 24일 오후 5시까지 확정 판결에 따른 손해배상에 관한 협의에 나설 것을 요구했으며, 이에 응하지 않을 경우 법에서 정한 절차에 따라 강제집행에 들어갈 것을 밝힌 바 있다.
 2. 신일철주금이 현재까지 협의의 의사를 밝히지 않았으므로, 곧 한국내 신일철주금에 대한 압류 집행절차에 들어갈 예정이다. 다만, 한일 당국자간 협의가 진행 중이므로 외교적 교섭 상황도 고려하여 집행 일자를 결정할 것이다.
 3. 현재로서는 신일철주금이 협의에 나설 의사가 없다고 판단되어 집행절차에 나아가지만, 피해자 대리인단과 지원단은 여전히 신일철주금과의 협의를 통한 문제해결을 원한다. 신일철주금은 확정 판결에 따른 손해배상을 위하여 하루 빨리 협의에 나서기를 바란다.
         2018.12.24.


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3932588024122018PE8000/
「日本経済新聞」 2018/12/24 18:20
■新日鉄資産差し押さえ「日韓協議踏まえ日程決定」 元徴用工側
【ソウル=山田健一】韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金に韓国人の元徴用工への賠償を命じた訴訟判決を受け、原告側が24日夕刻までに同社が協議に応じない場合、韓国で同社資産の差し押さえの手続きをとるとしていた問題で、原告の支援団体は同日、新日鉄側と協議できなかったことを明らかにした。近く差し押さえ手続きを始めるとした上で「日韓の外交協議を踏まえて日程を決める」と表明した。
 原告側は裁判所に新日鉄の資産差し押さえ手続きを申請する構えを維持しつつ、具体的な日程への言及を見送った。仮に新日鉄の資産を差し押さえても資産を現金化して原告への賠償金に充てられるかは不透明といった問題があり、慎重に対応する必要があると判断した可能性がある。
 元徴用工の問題を巡っては、日韓両国の外務省が24日、ソウルで局長級会談を開いて今後の対応を協議した。原告側の支援団体は、同日発表したメディア向けの立場表明で「日韓の間で協議が進んでいるので、外交交渉の状況を踏まえて資産差し押さえ手続きの執行日を決める」と説明した。新日鉄側と協議に入りたい意向も改めて示した。


https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120400636&g=int
「時事ドットコムニュース」 2018年12月04日19時04分
■徴用工判決で新日鉄住金に協議要請=拒否なら資産差し押さえ-原告側弁護士

【写真】記者会見する元徴用工側弁護士の林宰成氏=4日午後、東京都千代田区

 韓国最高裁が新日鉄住金に韓国人の元徴用工への賠償を命じた判決をめぐり、原告側弁護士は4日、東京都内で記者会見し、24日午後5時までに同社が協議に応じない場合、資産差し押さえの手続きを韓国で開始する考えを明らかにした。実力行使に向けて期限が明示されたのは初めて。
 韓国で実際に手続きが始まれば、日本側も何らかの対抗措置を講じる可能性があり、日韓関係が一層悪化する恐れもある。
 記者会見した林宰成弁護士は4日、新日鉄住金本社(東京都千代田区)を訪問。11月12日の前回訪問と同じく同社側とは接触できなかったが、協議を求める進藤孝生社長宛ての要請書を受付に預けて回答を求めたという。林氏は「原告は高齢でこれ以上待たせることはできない。新日鉄住金は世界的大企業だが、話し合いにも応じないのは本当に残念だ」と述べた。
 ただ、林氏は資産の差し押さえと資産現金化の手続きは異なるものだとも説明。「差し押さえの手続きに入ることは交渉の決裂を意味しない。手続きの過程でも(同社の)責任ある協議の意思を待ちたい」と強調し、あくまで新日鉄住金側との協議を最重要視している立場を示した。
 新日鉄住金は、韓国鉄鋼大手ポスコとの合弁で設立したリサイクル会社の株式を保有。林氏によると、新日鉄住金は多数の知的財産権を韓国内で持っており、こうした資産が差し押さえの対象になるとみられる。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181224/k10011758461000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_020
「NHK NEWSWEB」 2018年12月24日 19時56分
■「徴用」裁判 原告側「近く資産差し押さえの手続きに」
 太平洋戦争中の「徴用」をめぐる裁判で、新日鉄住金に賠償を命じる判決が韓国で確定し、原告側は、24日の期限までに新日鉄住金から協議に応じるとの回答がなかったとして、資産の差し押さえに向けた手続きに入る予定だと明らかにしました。ただ、手続きの具体的な日程については、日韓両政府の協議の状況を見て決めるとして明言しませんでした。
 太平洋戦争中の「徴用」をめぐっては、ことし10月、韓国の最高裁判所が新日鉄住金に賠償を命じる判決を確定させたことを受けて、今月、新日鉄住金の本社を訪れた原告側の弁護士は賠償に関する協議に応じるよう求め、24日の午後5時までに回答がなければ韓国内にある資産の差し押さえに向けた手続きに入る構えを見せていました。
 これについて、原告側の弁護士と支援団体は24日午後5時すぎにコメントを発表し、「新日鉄住金が協議に応じる意思を示さなかったため、近く韓国内の資産を差し押さえる手続きに入る予定だ」と明らかにしました。
 一方で、手続きの具体的な日程については「日韓の当局者間の協議が進行中なので、そうした状況も考慮して決めるだろう」として明言しませんでした。
 さらに、「新日鉄住金に協議に応じる意思がないと判断し、差し押さえの手続きに入ることになるが、原告側はあくまでも協議を通じた解決を望む」として、話し合いによる解決を目指したいという姿勢を改めて示しました。


https://www.sankei.com/world/news/181224/wor1812240023-n1.html
「産経新聞」 2018.12.24 20:46
■徴用工判決 新日鉄住金の「回答」なし 原告側、週内にも資産差し押さえ

【写真】徴用工像と新日鐵住金のロゴ(コラージュ)

【ソウル=名村隆寛】韓国最高裁が新日鉄住金に対し、いわゆる徴用工として労働を強制されたと主張する韓国人男性らへの損害賠償を命じた判決で、原告側が新日鉄住金に通告していた賠償方法などに関する協議への「回答」期限が24日午後5時(日本時間同)に過ぎた。
 原告側弁護団によると、新日鉄住金側からの回答はなかった。今週中にも資産差し押さえの手続きが行われる可能性が出てきた。
 原告側は今月4日、東京の新日鉄住金本社を訪れ、協議を申し入れる要請書を手渡した。さらに同日の記者会見で、24日午後5時までに回答がない場合、韓国内にある同社資産の差し押さえ手続きを、年内に始める方針だと表明していた。
 原告側弁護士によると、新日鉄住金が韓国内に持つ資産には、同社と韓国鉄鋼大手ポスコの合弁会社の株式(約11億円相当)や3千件以上の知的財産権などがある。一方で原告側は「差し押さえ手続きと、資産現金化の手続きは別」としており、差し押さえ後も協議での解決を優先する考えだ。

  ◇◇◇◇◇

 日本政府は、原告弁護人が韓国国内で資産の差し押さえ手続きに入っても、韓国側の公権力が実際に執行するまでは、表立った対抗措置を取らない方針だ。韓国政府が李洛淵(イ・ナギョン)首相を中心に対応策の検討を続けていることをむげにはできない事情がある。
 政府は、一連の確定判決を「日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆す」と批判。国際司法裁判所(ICJ)への提訴を含む対抗措置の準備も進める。
 外務省幹部は「差し押さえを行うのは韓国の公権力だ。ここが動いた場合には、われわれも動かざるを得ない」としている。(原川貴郎)


https://www.yomiuri.co.jp/world/20181224-OYT1T50065.html
「読売新聞」 2018年12月24日 22時56分
■新日鉄住金の資産差し押さえ、手続きすぐ行わず
【ソウル=水野祥】韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金に韓国人の元徴用工への賠償を初めて命じた10月の判決を巡り、原告代理人は24日、声明を発表した。韓国内にある新日鉄住金の資産差し押さえの手続きについて、「韓日当局者間での協議が進行中なので、外交交渉の状況を考慮して執行日を決める」とし、すぐに執行しない考えを示した。
 原告側が「訴訟代理人団・支援団の公式見解」と題して発表した声明では、「新日鉄住金が協議に応じる意思がないと判断し、差し押さえの手続きを始める」とした。ただ一方で、「依然として新日鉄住金との協議による問題解決を望む。一日も早く協議に出ることを願う」と改めて要求した。
 代理人は4日に東京で行った記者会見で、24日午後5時を期限に新日鉄住金が協議に応じるか否かを回答しない場合、差し押さえ手続きを始める考えを示していた。



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