三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

追悼碑建立宣言

2010年01月22日 | 紀州鉱山
 追悼碑建立宣言文の最終案です。3月はじめまでに決定します。

■추도비건립선언
 1940년부터 1945년까지 1300명을 넘는 조선인이 기슈(紀州)광산에 강제연행되고 고된 노동을 시켜졌습니다. 1940년이전에도 가족과 함께 기슈광산에서 일하고 있었던 조선인이 있었습니다.
 기슈광산에서 돌아가신 조선인중 지금까지 34명의 이름이 밝혀졌습니다. 그 중에는 조선의 고향에서 강제연행된지 1개월후에 목숨을 잃은 사람도 있었습니다. 우리는 그 분들 한명 한명을 떠 오르는 뜻으로 여기에 돌을 놓았습니다.
 1941년5월 기슈광산에서 일하던 조선인130명은 미곡의 증배를 요구하여 스트라이크를 하였습니다. 1944년 가을에는 기슈광산 갱구에 「조선민족은 일본민족됨을 기뻐하지 않으며 장래의 조선민족의 발전을 보아라」라고 칸델라의 불로 태워 그렸다고 합니다.
 기슈광산을 경영하고 있던 이시하라산업은 일본점령하 하이난섬에서 전독광산을 경영하고 있었습니다. 전독광산에서 강제노동을 하게 된 조선인은 「조선보국대」로서 조선 각지의 감옥에서 일본정부·일본군·조선총독부에 의해 하이난섬으로 강제연행된 사람들이었습니다. 하이난섬에서 죽게 된 조선인의 수도 그 이름도 아직도 밝혀 져 있지 않습니다.
 전독광산에세워져있는「전독만인갱사난광공기념비(田独万人坑死難砿工紀念碑)」에는 「조선, 인도, 태만, 홍콩, 및 하이난섬 각지에서 연행되어 온 노동자가 여기에서 학대받아 혹사되어 죽었다」라고 적혀 있습니다.
 1942년부터 이시하라산업은 필리핀의 카란바얀간광산, 앤치케광산, 시파라이광산, 피라카피스광산등지에서 일본군과 함께 자원약탈을 개시하여 수많은 필핀인을 강제적으로 일을 시켰습니다. 그 중에는 일본군과 싸워 「포로」로 된 사람들도 있었습니다.
 우리는 이 추도비를 하나의 기점으로서 기슈광산에서 고향으로 살아서 돌아갈 수 없었던 여러분, 하이난섬에서 죽게 된 조선인, 그리고 아시아태평양 각지에서 일본정부·일본군·일본기업에 의해 목숨을 빼앗긴 사람들을 추도하고 그 역사적 책임을 추궁해 나갈 겁니다.

   2010년3월
     기슈광산에서 돌아가신 조선인을 추도하는 비석을 건립하는 회
                     재일본대한민국민단미에현지방본부
                     재일본조선인총연합회미에현본부
                     기슈광산의 진실을 밝히는 회


■追悼碑建立宣言
 一九四〇年から一九四五年までに、のべ一三〇〇人を超える朝鮮人が、紀州鉱山に強制連行され強制労働させられました。一九四〇年以前にも、家族とともに紀州鉱山で働いていた朝鮮人がいました。
 これまで、わたしたちが知りえた紀州鉱山で亡くなった朝鮮人は三四人ですが、そのなかには、朝鮮の故郷から強制連行されて、一か月後に命を失った人もいました。わたしたちは、その人たち一人ひとりを思う石をここに置きました。
 紀州鉱山で、一九四一年五月に、朝鮮人一三〇人は、米穀の増配を要求してストライキをおこないました。一九四四年秋には、紀州鉱山の坑口に、「朝鮮民族は日本民族たるを喜ばず。将来の朝鮮民族の発展を見よ」と、カンテラの火で焼きつけられてあったといいます。
 紀州鉱山を経営していた石原産業は、日本占領下の海南島で、田独鉱山を経営していました。田独鉱山で強制労働させられた朝鮮人は、「朝鮮報国隊」として朝鮮各地の監獄から日本政府・日本軍・朝鮮総督府によって海南島に強制連行された人たちでした。海南島で亡くなった朝鮮人の数もその名も、まだわかっていません。
 田独鉱山に建てられている「田独万人坑死難砿工紀念碑」には、「朝鮮、インド、台湾、香港、および海南島各地から連行されてきた労働者がここで虐待され酷使されて死んだ」と記されています。
 一九四二年から石原産業は、フィリピンのカランバヤンガン鉱山、アンチケ鉱山、シパライ鉱山、ピラカピス鉱山などで、日本軍とともに資源略奪を開始し、多くのフィリピン人を強制的に働かせました。そのなかには、日本軍と戦って「捕虜」とされた人たちもいました。
 わたしたちは、この追悼碑をひとつの基点として、紀州鉱山から生きて故郷にもどることができなかったみなさん、海南島で死んだ朝鮮人、そしてアジア太平洋の各地で日本政府・日本軍・日本企業によって命を奪われた人びとを追悼し、その歴史的責任を追究していきます。

   二〇一〇年三月
       紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会
                 在日本大韓民国民団三重県地方本部
                 在日本朝鮮人総聯合会三重県本部
                 紀州鉱山の真実を明らかにする会
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紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 碑文

2010年01月17日 | 紀州鉱山
 きょう(2010年1月17日)、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会の事務局会議で、碑文最終案を確定しました。近日中に、追悼碑のそばに建てる追悼碑建立宣言板の文章の最終案を確定します。



             추도
 조선의 고향에서부터 갈라 놓아 기슈광산에서 고된 일을 하게 되어
돌아가신 분들. 가족과 함께 기슈광산에 와서 죽은 어린 아이들.
 우리는 왜 여러분이 여기서 목슴을 잃지 않았으면 안되었던가를
밝히고 그 역사적 책임을 추궁해나갈 것입니다.
   2010년3월
     기슈광산에서 돌아가신 조선인을 추도하는 비석을 건립하는 회


             追悼
 朝鮮の故郷から引き離され、紀州鉱山で働かされ、
亡くなった人たち。家族とともに来て亡くなった幼い子たち。
 わたしたちは、なぜ、 みなさんが、ここで命を失わなければならなかったのかを
明らかにし、その歴史 的責任を追究していきます。
   2010年3月
     紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会
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大阪からバスで行く! 除幕集会

2010年01月12日 | 紀州鉱山
2010年3月27日(土)・28日(日) 大阪からバスで行く! 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑」除幕集会
     企画: コリアン・マイノリティ研究会
         こりあんコミュニティ研究会
         紀州鉱山の真実を明らかにする会
 
 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会(在日本大韓民国民団三重県地方本部・在日本朝鮮人総聯合会三重県本部・紀州鉱山の真実を明らかにする会)が主催する「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑」除幕集会に大阪からバスで参加する企画です。

 除幕集会の前日(3月27日)に、バスで大阪を出発し、午後から熊野市内で「木本事件」(1926年1月3日、朝鮮人労働者李基允さんと相度さんが虐殺された)の跡をたどり、熊野市紀和町で紀州鉱山関係の各所をまわります。
 翌28日に、紀州鉱山で亡くなった30名以上の朝鮮人を追悼する碑の除幕集会に参加します。

 ☯日 時:3月27日(土)~28日(日)  27日8:00出発(7:50までに集合)
 ☯集合場所:JR大阪駅前、あるいは天王寺駅前(詳細は追ってお知らせします)

■3月27日(土)8:00大阪出発→阪和自動車道(各自車内昼食)→311号線→熊野市内→紀和町
 李基允(イギユン)氏・相度(ぺサンド)氏追悼碑⇒木本トンネル⇒飯場跡⇒笛吹橋(虐殺現場)⇒「有本湯」跡(遺体が放置された場所)⇒極楽寺(お二人の墓が建てられた)⇒紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する場⇒紀州鉱山選鉱所跡⇒紀州鉱山板屋坑口⇒板屋共同墓地⇒「英国人墓地」⇒所山(朝鮮人の飯場があった所)⇒紀州鉱山湯ノ口坑口(紀州鉱山坑道跡をトロッコに乗って)⇒元湯山荘「湯ノ口温泉」(宿泊)
■3月28日(日)13:00~16:30  紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の除幕集会に参加  
          17:00 現地出発⇒大阪へ

☯宿 泊:元湯山荘「湯ノ口温泉」 (三重県熊野市紀和町湯ノ口10番地 ℡05979-7-1126)
     http://www.ztv.ne.jp/irukaspa/yumotosansou/index.html
     http://www.gld.mmtr.or.jp/~okuch/kum/onsen/mie/yunokuchi.html
☯交通費:5000円~7000円(バス代〔大阪-紀和町往復〕・トロッコ代含む)
☯宿泊費:8000円(夕食・朝食・昼食・懇親会費含む)

 大型バスの定員(50名)や宿の定員などもありますので、参加ご希望の方は1月末までに下記にご連絡ください(先着順です)。 
 予約・連絡先:コリアン・マイノリティ研究会 藤井幸之 masipon@nifty.com 090-9882-1663
          紀州鉱山の真実を明らかにする会 キム チョンミ pada@syd.odn.ne.jp

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海南島近現代史研究会第5回定例研究会

2010年01月07日 | 海南島近現代史研究会
 2007年8月5日に創立された海南島近現代史研究会は、「毎年夏の総会時の定例研究会とともに、毎年冬に定例研究会を開催します」という規約にしたがって、2008年2月10日に最初の定例研究会を開催し、同年8月3日の第2回総会時に第2回定例研究会を併催し、2009年2月8日に第3回定例研究会を開催し、同年8月9日の第3回総会時に第4回定例研究会を併催しました。
 2010年冬の定例研究会を、つぎのように開催します。
 みなさんの参加をお待ちしています。

と き:2010年2月14日(日)13時~17時半(開場12時)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
参加費:500円(会員は無料です)

【報告Ⅰ】 三竈島から海南島へ――もう一つの南進政策   蒲豊彦
 日中戦争の主戦場は華北や華中である。しかし日本軍は華南にも着実に侵攻し、1938年には、マカオ近辺の三竈島に華南で最初の陸上航空基地を設置し、さらにその近辺の島でタングステンを採掘している。兵器製造に欠かせない金属である。戦闘と、資源の獲得。翌39年にはこの流れが海南島へ、41年にはさらにマレー半島へと続く。

【報告Ⅱ】 海南島での同仁会(研究ノート)   キム チョンミ
 日本の侵略地域で「診療」と「防疫」をおこなうために1902年に創設された同仁会は、1942年4月に海南島に侵入した。同仁会が海南島で日本軍とともにおこなった「診療」と「防疫」の実態を追及する。

【報告Ⅲ】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 3   竹本昇
 海南島侵略に同行取材した新聞各社の記者の報告文(『海を越えて』1939年5月号〈拓殖奨励館発行〉に掲載)と、『台湾日日新報』の記事の内容を報告します。

【報告Ⅳ】 曹靖『回顧長仙聯村“三・一”血泪史』を読んで   鐘翠雅
 1945年農暦3月1日に、日本海軍佐世保第八特別陸戦隊が長仙聯村(長仙村ほか8か村)の村人720人を殺しました。幸存者である曹靖さんがその著書でなにを伝えようとしているかを、みなさんとともに考えたいと思います。

【報告Ⅴ】 「Y作戦」と住民虐殺   斉藤日出治
 日本軍による住民虐殺が偶発的に起きたものではなく、海南島における日本軍の軍事戦略、および日本のアジア侵略の過程に不可避的に随伴するものであったことを、『海南警備府戦時日誌』を手がかりとして明らかにしたい。

【報告Ⅵ】アジア太平洋戦争開始前後の海南島侵略日本海軍の「Y5作戦」   佐藤正人
 1941年12月8日の13日前に日本海軍は海南島で「Y5作戦」を開始し、アジア太平洋侵略戦争の基地の治安を確保しようとした。2か月間続けられた「Y5作戦」の実態・本質を、同時期の日本軍の侵略犯罪全体のなかで解明する。

■海南島三亜郊外の「朝鮮村」の現状と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■2010年夏の海南島での第4回海南島近現代史研究会総会について

   海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/
   【事務局】 大阪府大東市中垣内3 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室
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