三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「1877年の日本政府指令 「独島は日本領土ではない」」

2013年02月28日 | 個人史・地域史・世界史
 以下は、2月25日に配信された韓国聯合ニュースの記事です。

■1877年の日本政府指令 「独島は日本領土ではない」 http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2013/02/25/0400000000AJP20130225003000882.HTML 
【ソウル聯合ニュース】「日本政府が独島を『竹島』と称し、領有権を主張しているが、これは独島を再占領しようと策動する行為だ」――。

 日本政府が独島の領有権主張を強めている中、歴史学者で中国・海南島に強制徴用された朝鮮人虐殺事件を研究する「海南島近現代史研究会」会長の佐藤正人氏は「独島問題は領有権の問題ではなく、植民地問題」と分析した。日本政府が独島を竹島を称し、歴史的・国際法的に明白な日本固有の領土と主張しているのは、独島の再占領を企む行為だと批判した。

 佐藤氏は日本政府が1877年、「竹島外一島之義本邦關係無之義」とする太政官指令を出し、韓国の鬱陵島と独島は日本の領土でないことを明らかにしたと主張した。日露戦争中の1905年、当時の大韓帝国の領土だった独島を日本領土に編入させ、竹島と命名したという。

 佐藤氏は独島について、「韓国で初めて日本の植民地化した地域」と指摘している。日本政府が独島を固有領土と主張するのは日本の侵略の歴史を肯定することだと主張。また、「日本が独島を含む大韓帝国を植民地化していなかったら韓国は南北に分断していない」として、「日本政府は韓国植民地化の歴史的な責任を取ろうとしない」と批判した。

 佐藤氏は3月1日、ソウルで行う出版記念会でこうした内容を発表する。同氏は独島が韓国の領土であることを示す地図も公開する予定だ。竹島に無断で渡った漁師を調べた「竹島渡海一件記」(1836年)と「朝鮮竹島渡航始末記」(1870年)に掲載された地図には鬱陵島と独島は日本領土と違う色で表示されているという。

 韓国学中央研究院のパク・ソンス名誉教授は「当時の日本人は鬱陵島を竹島、独島は松島と呼んだ」と説明。「地図に鬱陵島と独島が日本領土と違う色で表示されているのは独島が朝鮮の領土であることを示しものだ」と述べた。

 日本政府は22日、島根県の「竹島の日」の式典に内閣府政務官を派遣し事実上、中央政府の行事として行うなど、独島を紛争地域にするための試みを本格化している。 

   kimchiboxs@yna.co.kr


http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2013/02/25/0200000000AKR20130225117200005.HTML?from=search
  "日 1877년 '독도 일본 영토 아니다' 명시"
  日하이난섬근현대사연구회 회장 사토 세이린 소개
  "日 독도 영유권 주장은 독도 재점령하려는 책동"

(서울=연합뉴스) 황윤정 기자 = "일본 정부가 독도를 '다케시마'라고 칭하면서 영유권을 주장하고 있는데 이는 독도를 다시 점령하려고 책동하는 행위다."
일본 정부의 독도 영유권 주장이 노골화하는 가운데 일본의 한 역사학자가 일본 정부의 독도 영유권 주장을 강력히 비판하고 나섰다.

  일제강점기 중국 하이난(海南)섬에 강제 징용된 조선인 학살 사건을 조사 연구하는 일본 '하이난섬근현대사연구회' 사토 세이린(佐藤正人) 회장은 '일본의 독도 재점령을 반대한다'라는 제목의 글에서 "독도 문제는 영유권의 문제가 아니라 식민지 문제"라고 분석했다.

  이어 "일본 정부가 독도를 아직도 '다케시마'라 칭하면서 '다케시마는 역사적 사실로 보거나, 국제법상으로도 명백히 일본 고유의 영토이다'고 주장하고 있는데 이는 독도를 다시 점령하려고 책동하는 행위"라고 비판했다.

  사토 회장은 1877년 일본 정부 관리의 지령(指令)에도 독도가 일본 땅이 아님을 분명하게 명시하고 있다고 소개했다.

  그는 "일본 정부는 1877년 '죽도(울릉도) 외 한 섬(독도)은 본방(일본)과 관계 없다(竹島 外 一島之義 本邦關係 無之義)'라는 태정관(太政官) 지령을 내고 울릉도와 독도가 일본 영토가 아니라고 명시했다"면서 그러나 1905년 러일전쟁 와중에 대한제국 영토인 독도를 일본 영토로 병합하고 다케시마로 명명했다고 지적했다.
  사토 회장은 독도에 대해 "한국에서 최초로 일본의 식민지로 변한 지역이었다"면서 "일본 정부가 독도를 '일본 정부의 고유 영토'라고 주장하는 것은 지난날 일본이 한국을 식민지화 사실을 긍정하는 것"이라고 주장했다.

  또 "일본이 독도를 포함한 대한제국을 식민지화하지 않았었다면 한국은 남북으로 분단되지 않았을 것"이라면서 "일본 정부가 한국 식민지화의 역사적 책임을 지려하지 않고 있다"고 비판했다.
  사토 회장은 3.1절인 다음 달 1일 천도교 수운회관 대강당에서 열리는 '3.1운동과 김덕원 의사' 출판기념회에서 이 같은 내용을 발표한다.
  또 독도가 한국 땅임을 보여주는 지도도 공개할 예정이다. 일본 당국이 독도에 무단으로 건너간 일본 어부를 조사한 조서인 '죽도도해일건기'(竹島渡海一件記·1836년), '조선죽도도항시말기(朝鮮竹島渡航始末記·1870년)에 실린 지도에는 울릉도와 독도가 일본 영토와 다른 색으로 표시돼 있다고 박성수 한국학중앙연구원 명예교수가 전했다.

  박 교수는 "당시 일본인들은 울릉도를 죽도로, 독도는 송도로 불렀다"면서 "일본 당국의 조서 지도에 울릉도와 독도가 일본 영토와 다른 색으로 표시된 것은 독도가 조선 영토임을 보여주는 것"이라고 말했다.

일본은 지난 22일 시마네(島根)현의 '다케시마(竹島·일본이 주장하는 독도 이름)의 날' 행사를 사실상 중앙정부 행사로 진행하는 등 독도를 분쟁 지역으로 만들려는 시도를 본격화하고 있다.

yunzhen@yna.co.kr 2013-02-25 14:46 송고



■日本人歴史学者「日本、1877年に『独島は日本の領土ではない』と主張」
 http://japanese.joins.com/article/793/168793.html?servcode=A00§code=A10 
 http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=10790937 
 [中央日報日本語版]2013年02月26日14時50分

 日本政府の独島(ドクト、日本名・竹島)領有権主張に対し、日本の歴史学者が日本の史料を根拠に痛烈に批判した。
 日本の「海南島近現代史研究会」の佐藤正人会長は、日本政府が1877年、「竹島外一島之義本邦關係無之義」とする太政官指令を出し、韓国の鬱陵島(ウルルンド)と独島は日本の領土でないことを明らかにしたと主張した。
 また佐藤会長は三・一独立運動の日に行う出版記念会で、このような内容を発表する予定だと伝えた。
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「案内板」(「熊野市指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN)についての質問

2013年02月27日 | 紀州鉱山
 きょう(2月27日)、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、国道311号の管理者である三重県の知事に、つぎの質問を郵送しました。

■「案内板」についての質問                      
 三重県熊野市紀和町の「英国人墓地」近くの国道311号の丁字路角に、
     熊野市指定文化財
     英国兵士墓地
     LITTLE BRITAIN
と白地に青字で書かれ、その下に赤色の←が書かれた「案内板」(裏表、同文)が立てられています。
 この案内版について、国道311号の管理者である三重県に、次のことを質問します。
 2013年3月8日(金曜日)までに回答してください。

1-1、この「案内板」を設置したのは、国道311号の管理者である三重県ですか。
1-2、設置したのが三重県だとしたら、設置した理由と目的はなんですか。
2ー1、設置したのが三重県でなければ、この案内板の設置許可の申請があったのはいつです
   か。
2-2、設置許可を申請したのは熊野市ですか、あるいは熊野市以外の団体あるいは個人です
   か。
3-1、この「案内板」の設置を三重県は許可しましたか。
3-2、三重県が許可したのなら、それはいつですか。設置許可日は、いつからいつまでです
   か。
3-3、三重県が許可したのなら、「案内板」の設置者、所有者が誰か示してください。
4-1、この「案内板」に「LITTLE BRITAIN」と書かれていますが、その意味と理由を、三重県
   は把握していますか。
4-2、把握しているなら、その意味・理由を示してください。
5、  この「案内板」を設置したのが三重県でなく、設置申請が出されていないのであれば、
   三重県はこの「案内板」と設置者にどのように対処しますか。
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「熊野市指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN」問題

2013年02月26日 | 紀州鉱山
 熊野市紀和町にある「英国人墓地」の近くの国道311号線の丁字路角に、
    熊野市指定文化財 
    英国兵士墓地
    LITTLE BRITAIN
と書かれた新しい「案内板」が立てられているを知った紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2012年3月20日に、河上敢二熊野市長および杉松道之熊野市教育長に、回答期限を4月4日として、「案内板」(「熊野市指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN」)について、
    この「案内板」は、誰が立てたものか。この「案内板」の用地の使用者は、誰か。
    この「案内板」は、国道311号線の道路わきに立てられているが、その用地の所有者・
   管理者は誰か。
    この「案内板」を熊野市(あるいは熊野市教育委員会)が直接立てたものであるなら、そ
   の建設および設置の理由と目的、設置日、建設費用および設置費用を示してもらいたい。
などと質問しました(このブログの2012年3月20日の「「熊野市指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN」にかんする質問状」をみてください)。
 しかし、期限をすぎても回答がなく、その後しばしば回答を促しましたが、これまで文書回答がありません。
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対熊野市新訴状の構成 1

2013年02月25日 | 紀州鉱山
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地に熊野市が2012年度固定資産税を課税してきたことの取り消しを求める訴訟を提起することを、昨年末に決定しました。
 このブログの2012年5月9日の「「2012年度固定資産税納税通知書」」、5月10日の「土地提供を拒否した熊野市長が土地に課税」、5月24日の「2012年度固定資産税免除要求の理由」、5月31日の「「2012年度固定資産税の減免不承認通知書」」、10月3日の「朝鮮人を追悼する場(土地)への課税を継続しようとする熊野市長の「決定」」、12月8日の「熊野市教育委員会が紀州鉱山の「坑道探検」を開催」をみてください。
 きょう(2月25日)、紀州鉱山の真実を明らかにする会の事務局会議で、熊野市を被告とする訴状案を検討しました。この訴状検討第1回会議でほぼ確定した訴状の構成は、つぎのとおりです。
                                         佐藤正人

■訴状
   2012年度固定資産税賦課処分及び減免不承認処分等取消し請求事件
第1 請求の趣旨
第2 請求の原因
(一)本件「2012年度固定資産税賦課処分」及び「減免不承認処分」の取消しを求める異議申
  立を熊野市長が棄却するまでの経緯
    1)本件土地取得までの経緯
       1 紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働
         強制連行・強制労働は、行政犯罪・企業犯罪である
       2 石原産業はなにをしたか
       3 石原産業文書、三重県文書における朝鮮人強制連行の事実
       4 紀州鉱山における死者
       5 紀州鉱山の真実を明らかにする会はなぜ追悼碑の敷地を購入しなければな
        らなかったのか(原告らの追悼碑建立用地提供の要望を拒否した熊野市の過
        誤)
       6 追悼碑建立までの紀州鉱山の真実を明らかにする会の軌跡
    2)本件土地取得以後の経緯
       1 追悼碑除幕集会
         碑文・追悼碑建立宣言
       2 三重県・熊野市による追悼碑の敷地への不当課税
       3 韓国での批判・抗議運動
       4 現在の諸問題
(二)原告らが取得した本件不動産は、免税が相当である
    1)公共性・公益性
    2)被告熊野市の民族差別
       1 被告熊野市は「英国人墓地」を熊野市指定文化財としている
       2 「外人墓地供養経費」問題
         「熊野市指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN」問題
(三)なぜ朝鮮人が故郷から紀州鉱山に強制連行され紀州鉱山で亡くなったのか
   朝鮮人を追悼する碑の敷地への課税は、社会正義に反し、憲法に違反している

  証拠方法
    訴状提出と同時に提出する甲号書証、及び以後に随時提出する甲号書証
  添 付 書 類
    1、原告目録
    2、不動産目録
    3、訴状副本
    4、訴状提出と同時提出の甲号書証とその証拠説明書
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 39

2013年02月24日 | 「朝鮮報国隊」
■2007年1月4日
 2006年12月28日から2007年1月25日までの4週間、紀州鉱山の真実を明らかにする会は12回目の海南島「現地調査」をおこなった。
 そのとき、2007年1月4日に、「朝鮮村」を訪問した。2006年5月はじめの「試掘」のときから8か月が経っていた。
 「朝鮮村」をはじめて訪れたのは1998年6月だったが、それから8年半の間に、「朝鮮村」もその周辺もおおきく変わった。
 前年5月2日の「試掘」は、複雑な地権問題を現在の地権者の協力を得てのりこえ、日本政府の責任回避を許さず、韓国の真相糾明委員会の無為を放置せず、「埋葬地開発」の危機を事前に回避しようとして試みたものであったが、開始後すぐに三亜市外事部に妨害されて中断せざるを得なかった。
 その後、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、全面的な「発掘」の前提としての「試掘」を再度おこなおうとして努力を重ねてたが、日本がこれまで隠しつづけてきた侵略犯罪を、わたしたちのような小さな民衆組織が、国家間の政治的諸関係の網をつきやぶって、発掘という手段で明らかにすることは、簡単ではなかった。
 2007年1月4日、「朝鮮村」のなかの朝鮮人の遺骨が埋められている広場には、風が吹き、牛が草を食べていた。8か月前、クイをうった跡も土を掘ったあともなくなっていた。
 「朝鮮村」は、急速に変わろうとしていた。
 このまま、放置しておけば、この地がとおくない時期に「開発」され、犠牲者の遺骨が土塊とともに放棄されてしまい、日本国家の侵略犯罪の証拠が消されてしまうことになると感じた。
 このブログの2007年1月4日の「「朝鮮村」で」をみてください。
                                         佐藤正人
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 38

2013年02月23日 | 「朝鮮報国隊」
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年以降、海南島と韓国と日本で、継続的に、「南方派遣報国隊」=「朝鮮報国隊」にかんする「調査」をすすめていた。
 しかし、国家機関である日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会とは違い、民衆組織である紀州鉱山の真実を明らかにする会がなしうる「調査」には、限界があった。
 韓国で 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年8月から長期間、ソウルの韓国政府記録保存所で、「京城刑務所假出獄関係書類」を調査し、「南方派遣報国隊(朝鮮報国隊)」の「隊員」として海南島に送られ、帰郷できた人たちの「仮出獄書類」217人分を探しだした(韓国政府記録保存所は、その後、大田に移転し、韓国政府記録院となっている)。
 その後の数年間に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「朝鮮報国隊」の「隊員」として海南島に連行されながらも故郷にもどることができた人たちのうち、高福男さん、柳済敬さんら数人の方に会って話を聞かせていただくことができた。
 2006年3月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、それまでに会うことができた人と本籍が北朝鮮にある人とを除き、126人について、韓国の本籍地管轄行政区の民願係に、協力を依頼する手紙を送った。
 126通のうち、2006年5月末までに、管轄行政区の民願係からなんらかの返信があったのは、30通であった。ひとつの行政区に複数の人がいるばあいもあったので、あわせて42人について民願係が返信してくれた。
 2006年7月に韓国に行き、返信をくれた管轄行政区の民願係の4か所を訪ね、さらに個別に調査を依頼した。
 その結果、残念ながら、ご存命の方はおられなかったが、遺族と会ったり電話で話すことができた。
 このブログの2007年5月28日の「海南島から生還できた「朝鮮報国隊」の人たちを尋ねて」をみてください。
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 37

2013年02月22日 | 「朝鮮報国隊」
■高麗博物館特別企画展
 「朝鮮村」での「試掘」を中断させられてから2か月半後の5月17日から7月16日まで、東京新宿大久保にある高麗博物館で、特別企画展「海南島で日本は何をしたか 戦時朝鮮人強制労働・虐殺 日本軍“慰安婦”」が開かれた。
 期間中、5月20日に佐藤正人が「紀州鉱山への朝鮮人強制連行と海南島での朝鮮人虐殺」と題して、5月2日の「朝鮮村試掘」にいたる過程と今後の展望を話した。また、5月26日、6月9日、6月23日にドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』の上映会がおこなわれ、7月7日に前夜完成したばかりのドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』初版の試写会がおこなわれた。
 この展示にあたって、高麗博物館の山田貞夫氏は、紀州鉱山の真実を明らかにする会の10回目の海南島「現地調査」に参加し、担当スタッフは学習を重ねて、くわしい解説パネルをつくった。6月に高麗博物館は、『海南島で日本は何をしたのか――戦時朝鮮人強制労働・虐殺 日本軍“慰安婦”――』を発行した。
 高麗博物館での特別展示の表題は、2005年9月17日から12月14日まで京都府の丹波マンガン記念館で開催された特別展示の表題と同じ「海南島で日本は何をしたか」であった。
 このことには大きな意味がある。展示の表題は、展示内容を凝縮して示すものである。
 大阪人権博物館は、2004年7月21日~8月15日に開催すると広報していた企画展「日本は海南島で何をしたのか――侵略・虐殺・略奪・性奴隷化」の表題を、開会2か月まえの5月13日に、「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか」に変更することを紀州鉱山の真実を明らかにする会の求め、さらに、開会50日まえの5月30日に、企画展そのものを突然、一方的に延期していた。
 「高麗博物館特別展示“海南島で日本は何をしたか”」(三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『会報』44号、2006年11月10日)、このブログの2009年5月9日の「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」7、2012年7月19日の「「リバティの灯を消すな」について」、 2012年7月20日~21日の「企画展『海南島で日本は何をしたのか』無期延期の経緯と社会的応答」1~2をみてください。
                                            佐藤正人
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 36

2013年02月21日 | 「朝鮮報国隊」
■ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』
 「朝鮮村」に埋められている朝鮮人犠牲者の遺体を「発掘」するということは、国民国家日本の侵略犯罪・他地域・他国侵略史を発掘することであり、それをおしすすめることは、国民国家日本の近現代史と全面的に対決することである。
 「試掘」は中断させられたが、わたしたちは、つぎの一歩をすすめた。
 「朝鮮村」での「試掘」を中断させられてから2か月後、2006年7月6日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』の初版を完成させた。
 それは、1998年6月からすすめてきた「朝鮮報国隊」の軌跡追跡の経過を示し、「朝鮮村」での朝鮮人虐殺の事実を映像によって明らかにしようとするものであり、「朝鮮村」とその周辺に住む目撃者の証言・虐殺現場・強制労働現場(飛行場、鉱山、鉄道、鉄橋、軍用道路、軍用洞窟、特攻艇格納庫)、生還者の証言、旧日本兵の証言などを記録するとともに、2006年5月2日に紀州鉱山の真実を明らかにする会が試みた始めての科学的な犠牲者の「発掘」にいたる過程を報告するものであった。
 『“朝鮮報国隊”』の構成は、つぎのとおりであった。シナリオ全文は、このブログに2007年9月5日~9月18日に13回連載した「 ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』をみてください。
  1-1、「朝鮮村」・「朝鮮報国隊」
  1-2、「朝鮮村」で朝鮮人が虐殺された
  1-3、なぜ「朝鮮村再発掘」が必要なのか
  2、現風景と証言① 回新村・三亜航空基地跡で
  3、現風景と証言② 陵城鎮・后石村・英州・新村で
  4-1、現風景と証言③ 感恩・八所で
  4-2、現風景と証言④ 石碌で
  5、現風景と旧日本兵の証言 中村・南林・六郷村・佐世保で
  6、韓国での証言、犠牲者の故郷の現風景
  7、韓国での証言 旧日本軍朝鮮人兵士
  8、海南島で日本軍隊性奴隷とされた朝鮮人女性
  9、「朝鮮村試掘」中断(2006年5月2日)
                                         佐藤正人
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 35

2013年02月20日 | 「朝鮮報国隊」
■「朝鮮村試掘」2
 2006年5月2日早朝、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、考古学者、測量専門家の主体的協力を得て、「試掘」をはじめた。
 はじめに現場にレベルを固定し、測量し、「試掘」範囲を確定した。
 2メートル四方、二つのグリッド(「試掘」範囲)をとるようにクイを打った。
 水糸を張った…………。
 土を掘るまえに、グリッドの前にお菓子、果物、酒をならべ、犠牲者に、参加者全員が、それぞれの思いを込めて挨拶した。
 上層の草を取り除き、シャベルでグリッドを縁取りしていき、すくっていった。
 まもなく、三亜市外事部の官僚が警官隊とともにきて、作業の中止を求めた。
 「試掘」は中断せざるをえなくなった。
                                        佐藤正人
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「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 34

2013年02月19日 | 「朝鮮報国隊」
■「朝鮮村試掘」1
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、独自で、2006年5月2日に「朝鮮村」の遺骨のはじめての科学的な「発掘」を試みた。
 それは、①埋葬様式、②埋葬状態、③遺体状態、④遺骨、⑤遺物状態、⑥遺物内容などを解析・鑑定・分析することによって、「朝鮮村」における日本軍による朝鮮人虐殺にかかわる諸事実を明らかにし、公的機関による全面的「発掘」をうながすためであった。
 しかし、このときの「発掘」は、中国海南省政府によって中断させられた。
                                          佐藤正人
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