■「ここで妹に川の水を飲ませた」
しかし、血まみれの妹を抱えて逃げのびた老人は、今でも当時の道筋と最後に妹を看取った場所に行くことが出来ない。あまりにも辛くて、どうしても足が止まってそこへ行けないのだ。それでも、生存者としての証言を正確に終わらせる為に、意を決して、老人はやっと一つの藪にたどり着く。彼は、ここだ、ここで妹に川の水を飲ませた、だがやがて静かに眼を閉じて死んでいった、と呟き、後は声が途切れて涙にまみれ、嗚咽を抑えきれずに号泣してしまう。六〇年ぶりにやっと妹の死場を再訪し、怒りと哀しみに身を委ねることが出来たからだ。
■証言採録の仕事
先に、この証言集は限りなく重たいものだと言ったのは、こうした多くの証言を聞いているうちに、これをしっかりと受け止める立場に押しやられるからである。
例えば、証言集を作る人たちは、この妹に死なれて埋めた老人の苦しみと哀しみを共有しようとして、倒れこむ老人を抱きしめ、証言する姿を撮影するのを中断することも出来る。それも証言に立ち会った人々の最低限の誠意だ。
しかし、苦しみと哀しみに身を捩る証言者の姿を映像に撮り続けることこそが証言採録の仕事であり、そういった矛盾や苦悩を作業として抱え込むことこそが証言集を作るために避けて通れない決定的に重要な作業の一つだ。
だから、観る側にとっても、素晴らしい証言集というのは、どうしても、そのように製作者の苦悩と決断を引き受ける分だけ重くなるのである。
■「一屍二命」
さらに、この身震いしそうな虐殺の残虐さの実態調査は続けられ、ある種の象徴的な事実に行き着く。それは、虐殺の被害者名簿の中の女性名の所に、そっと「一屍二命」という語が幾つか記されているのが示されると、それに虐殺の究極状況が象徴される。
「一屍二命」の意味は、虐殺された妊婦の体内に息づいていた胎児もまた殺され、目に見える屍は一つだが二つの命が同時に失われたことを指したものだという。そこまで重たい証言を聞き続けると、観て聞くだけの側である私には、何ともやるせない思いが迸り始める。
しかし、どうすればいいのか。
■この人々と共に
ここに提出されている史実としての重さは計り知れないのであり、この証言集は泣かずには語れない厄災を受けた人々の物語である。
いや、60年以上経った今でも怒りが去らず、あるいは辛すぎて、今日まで恨みを晴らせずに来た人々の涙の記録である。とすれば、彼らと思いを共にする以外に、やりきれなさと重さにこたえる術はないのである。
特に、ユェタン村の人々が日本政府と向き合って、しっかりと賠償を要求する運動を始めたと村人が説明し、虐殺被害者の記念碑も建立すると誓い合っているのを観る時、この人々と共に運動に組することで、私たちも辛い涙を幾らかでも受け止めて共に歩くことが出来るかもしれない、と思えてくる。
私にとってはそのように、この証言集は、とてもやりきれなくした上で、行動する気になればアジアの人々と共に未来を生きることが出来るという一縷の希望をも与えてくれるものだ。救いへの書でもあると言えるのだ。
2008.1.30.
しかし、血まみれの妹を抱えて逃げのびた老人は、今でも当時の道筋と最後に妹を看取った場所に行くことが出来ない。あまりにも辛くて、どうしても足が止まってそこへ行けないのだ。それでも、生存者としての証言を正確に終わらせる為に、意を決して、老人はやっと一つの藪にたどり着く。彼は、ここだ、ここで妹に川の水を飲ませた、だがやがて静かに眼を閉じて死んでいった、と呟き、後は声が途切れて涙にまみれ、嗚咽を抑えきれずに号泣してしまう。六〇年ぶりにやっと妹の死場を再訪し、怒りと哀しみに身を委ねることが出来たからだ。
■証言採録の仕事
先に、この証言集は限りなく重たいものだと言ったのは、こうした多くの証言を聞いているうちに、これをしっかりと受け止める立場に押しやられるからである。
例えば、証言集を作る人たちは、この妹に死なれて埋めた老人の苦しみと哀しみを共有しようとして、倒れこむ老人を抱きしめ、証言する姿を撮影するのを中断することも出来る。それも証言に立ち会った人々の最低限の誠意だ。
しかし、苦しみと哀しみに身を捩る証言者の姿を映像に撮り続けることこそが証言採録の仕事であり、そういった矛盾や苦悩を作業として抱え込むことこそが証言集を作るために避けて通れない決定的に重要な作業の一つだ。
だから、観る側にとっても、素晴らしい証言集というのは、どうしても、そのように製作者の苦悩と決断を引き受ける分だけ重くなるのである。
■「一屍二命」
さらに、この身震いしそうな虐殺の残虐さの実態調査は続けられ、ある種の象徴的な事実に行き着く。それは、虐殺の被害者名簿の中の女性名の所に、そっと「一屍二命」という語が幾つか記されているのが示されると、それに虐殺の究極状況が象徴される。
「一屍二命」の意味は、虐殺された妊婦の体内に息づいていた胎児もまた殺され、目に見える屍は一つだが二つの命が同時に失われたことを指したものだという。そこまで重たい証言を聞き続けると、観て聞くだけの側である私には、何ともやるせない思いが迸り始める。
しかし、どうすればいいのか。
■この人々と共に
ここに提出されている史実としての重さは計り知れないのであり、この証言集は泣かずには語れない厄災を受けた人々の物語である。
いや、60年以上経った今でも怒りが去らず、あるいは辛すぎて、今日まで恨みを晴らせずに来た人々の涙の記録である。とすれば、彼らと思いを共にする以外に、やりきれなさと重さにこたえる術はないのである。
特に、ユェタン村の人々が日本政府と向き合って、しっかりと賠償を要求する運動を始めたと村人が説明し、虐殺被害者の記念碑も建立すると誓い合っているのを観る時、この人々と共に運動に組することで、私たちも辛い涙を幾らかでも受け止めて共に歩くことが出来るかもしれない、と思えてくる。
私にとってはそのように、この証言集は、とてもやりきれなくした上で、行動する気になればアジアの人々と共に未来を生きることが出来るという一縷の希望をも与えてくれるものだ。救いへの書でもあると言えるのだ。
2008.1.30.