三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

『日本占領下の海南島で何があったか?』

2010年07月28日 | 上映会
 6月5日にこのブログでお知らせしたように、あさって(7月30日)から、8月1日まで、3日間、大阪人権博物館(リバティおおさか)で、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会が主催するドキュメンタリー連続上映会『日本占領下の海南島で何があったか?』が開かれます。

 大阪人権博物館は、2003年末から企画展「日本は海南島で何をしたのか」を開催すると広報しはじめ、『催し物のご案内(2004年4月~8月)』に、企画展「日本は海南島で何をしたのか」を2004年7月21日から8月15日まで開催するという案内を掲載していました。この企画展は、1998年6月から約6年間の紀州鉱山の真実を明らかにする会の海南島での「現地調査」を基礎にしたものでした。
 ところが、開会50日まえの2004年5月30日に、大阪人権博物館は、突然、この企画展を中止しました。
 それまで、紀州鉱山の真実を明らかにする会と大阪人権博物館は、2002年11月から11回、企画展(あるいは特別展)『海南島で日本は何をしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』の展示内容について綿密な打ち合わせ会議をおこない、開催準備を進めていました。
 『大阪人権博物館紀要10号』に掲載された紀州鉱山の真実を明らかにする会「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」を参照してください (このブログに転載してあります)。
          http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/c/df0ce452e692f9e92da5e107c755435d
 他地域・他国侵略は、最大の人権問題です。 
 しかし、「人権」を主題とする日本の博物館が、海南島での日本の侵略犯罪にかかわる諸事実と海南島における抗日反日闘争の内実を伝達しようとする企画展を延期しつづけています。
 きょうからの大阪人権博物館での「日本占領下の海南島で何があったか?」と題するドキュメンタリー連続上映会は、6年前から延期され続けている 企画展「日本は海南島で何をしたのか」の、すみやかな実現を企図しています。   

 6月26日にこのブログでお知らせしましたが、同じ大阪人権博物館(リバティおおさか)を会場にして8月22日に海南島近現代史研究会第4回総会・第6回定例研究会が開かれます。
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ドキュメンタリー連続上映会

2010年06月05日 | 上映会
■ドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか  映像での報告」
  期 間:2010年7月30日(金)~8月1日(日)12:00開場
      ※会場に、パネル「海南島で日本は何をしたのか」を展示します
  会 場:リバティおおさか(大阪人権博物館)JR環状線芦原橋駅下車
  参加費:1日1000円(入館料込み)2日以上2000円(入館料込み)
      ※高校生以下、無料(入館料100円は必要です)
      ※リバティおおさか入口で、「上映会参加」と伝えてください
  上映作品:①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』
         ②『「朝鮮報国隊』』
         ③『海南島月塘村虐殺』
 
7月30日(金)
    13:00~ 「リバティおおさか(大阪人権博物館)で連続上映会を開催するにあたって」
             斉藤日出治(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
    13:10~ 解説「“南国の楽園”海南島までの距離をどう縮めるか?」
             藤井幸之助(海南島近現代史研究会会員・コリアン・マイノリティ研究会世話人)
    13:40~ 作品①上映
    15:00~ 作品②上映
7月31日(土)
    13:00~ 解説「海南島とわたし」斉藤日出治
    13:30~ 作品③上映
    14:25~ 作品①上映
8月1日(日)
    13:00~ 解説「「朝鮮報国隊」について」
             竹本昇(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
    13:30~ 作品②上映
    14:40~ 作品③上映

 昨年2月~3月にリバティおおさか(大阪人権博物館)で開催が予定されていた、海南島近現代史研究会会員キムチョンミの報告「日本占領下の海南島で」などをふくむリバティセミナーが中止されました。
 リバティおおさかの『広報誌りばてぃ』43号(2009年4月)に、
    「海南島に関しては特別展もしくは企画展の開催を当館の理事会と展示企画委員会において延期を決定している
   との理由で、大阪市市民局人権室からリバティセミナー開催は承認されませんでした……」
と書かれています。
 リバティおおさかは、2004年7月21日から8月15日まで企画展「日本は海南島で何をしたのか」(主催:リバティおおさか。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)を開催すると、2003年末から広報しはじめましたが、開会50日まえに突然延期しました。 こんかいのドキュメンタリー連続上映会「日本占領下の海南島で何があったか  映像での報告」と会場でのパネル「海南島で日本は何をしたのか」の展示は、リバティおおさかで6年から延期され続けている企画展「日本は海南島で何をしたのか」の、すみやかな実現を企図しています。
 このブログに2006年10月7日から4回連載した「企画展『海南島で日本は何をしたのか』」、2009年04月28日から5回連載した「大阪人権博物館での報告「日本占領下の海南島で」中止問題」、2009年5月3日から10回連載した「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」などをみてください。

■ドキュメンタリー紹介
①『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作  65分
 1939年2月、天皇ヒロヒトの命令で日本軍は海南島に奇襲上陸し、アジア・太平洋地域への侵略の基地としていきました。また軍の侵攻にあわせて多くの日本企業がこの島に侵入し、資源を略奪していきました。
 日本軍に村を襲撃された海南島住民、日本の植民地朝鮮の監獄から海南島へ連行された「朝鮮報国隊」の人たち、アジアの各地から連行され酷使された人たち、また、「日本軍性奴隷」とされた人たちにとって、60年前の、日本政府・日本軍・日本企業による虐殺・暴行・略奪・人権侵害は、昨日のことです。
 1945年8月までに、日本が海南島でおこなった侵略犯罪は、これまで、日本では、ほとんど明らかにされてきませんでした。アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、反日・抗日闘争の時代でした。その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。

②『「朝鮮報国隊』』 紀州鉱山の真実を明らかにする会 企画・制作  55分 
 朝鮮人獄中者を海南島で強制労働させようとする日本海軍の要請に応じた朝鮮総督府は、朝鮮各地の刑務所から獄中者をあつめ、「朝鮮報国隊」を組織し、1943年春から海南島に送り出しました。これは、日本政府の閣議決定にもとづくものでした。
 約2000人の獄中者が海南島に連行されましたが、生きて故郷に戻ることのできた人は、わずかでした。
 日本敗戦近くまでに生き残っていた人たちは、三亜市郊外の南丁に集められ、軍用道路建設、軍用洞窟掘りなどをさせられたあと、1945年夏に殺され、焼かれたり埋められたりしました。その人たちの名は、まだ、ひとりも明らかになっていません。
 日本軍がいなくなってから、南丁は、そこで殺された朝鮮人を悼んで、「朝鮮村」と名づけられました。この黎族の村の人たちは、朝鮮人が虐殺されるのを目撃したと証言しています。「朝鮮村」には、いまも、多くの朝鮮人の遺骨が埋められています。
 このドキュメンタリーでは、目撃者の証言・虐殺現場・強制労働現場(飛行場、鉱山、鉄道、鉄橋、軍用道路、軍用洞窟、特攻艇格納庫)、生還者の証言、旧日本兵の証言などを記録するとともに、2006年5月に紀州鉱山の真実を明らかにする会が試みた始めての科学的な「朝鮮村発掘」にいたる過程を報告しています。

③『海南島月塘村虐殺』 海南島近現代史研究会 企画・制作  45分
 1939年2月10日、日本軍は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島に奇襲上陸し1945年8月まで軍事占領を続けました。
 沖縄戦のさなか、1945年農暦3月21日の明け方、日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵は海南島東部の月塘村を襲い、4時間の間に、おおくの村人を殺傷しました。 この月塘村虐殺をふくむ、日本占領下の海南島各地における住民虐殺の事実は隠され続けており、みどり児や幼児や妊婦をふくむ村人を殺傷した日本軍司令官の名も日本兵の名も明らかにされていません。
 1994年4月1日に、月塘村の村民は、
    「月塘村村民に国際社会に公開で謝罪すること、幸存者と犠牲者家族に賠償すること、月塘村に死者を追悼する
    記念館を建設し追悼式をおこうこと、焼失した家屋や強奪した財産を弁償すること」
を日本政府に要求する文書を出しました。
 虐殺63年後の2008年農暦3月21日(4月26日)に、月塘村の村民は、190人の犠牲者すべての名を刻んだ追悼碑を建立しました。 このドキュメンタリーは、生き残った人びとの証言を、追悼碑建立にいたる日々に、のべ60日間にわたって記録したものです。

主 催:紀州鉱山の真実を明らかにする会   http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/
     海南島近現代史研究会   http://www.hainanshi.org/
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大阪人権博物館で上映会

2010年04月21日 | 上映会
 ことし7月30日、7月30日、8月1日の3日間、午後から、大阪人権博物館(りばてぃおおさか)で、紀州鉱山の真実を明らかにする会制作『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』、紀州鉱山の真実を明らかにする会制作『「朝鮮報国隊」』、海南島近現代史研究会制作『海南島月塘村虐殺』の3本のドキュメンタリーの上映会を開きます(主催:海南島近現代史研究会・紀州鉱山の真実を明らかにする会)。
 場所は、大阪人権博物館のセミナー室です(定員は60人です)。
 大阪人権博物館の入館料は250円ですが、上映会のみに参加する場合には入館料はいりません。
 このブログに2009年5月3日から10回連載した「国民国家日本の海南島侵略犯罪史認識と伝達」などをみてください。
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『日本が占領した海南島で』桑名上映会

2007年06月07日 | 上映会
 ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映会のお知らせです。
  
 と き 2007年6月17日(日) 午後1時30分開場 2時上映開始
 ところ 桑名中央公民館学習室(桑名市中央町、桑名郵便局隣り)
 参加費 500円
 主 催 戦争をしない・戦争協力もしない三重ネットワーク
 連絡先 090-8549-8923(富田)

■「ビデオと過ごす」(『週刊金曜日』2005年6月24日号)より
 三重・和歌山両県の境にある石原産業が経営した紀州鉱山と、中国・海南島。この離れた二つの場所は、「朝鮮人強制連行」で60年近い歳月を超え、一つに結ばれる。
 「朝鮮村」――。朝鮮人が一人も住んでいないにも拘わらず、こう呼ばれる「村」が海南島にあった。植民地下朝鮮の刑務所から連行された朝鮮人が鉱山などでの強制労働の末、虐殺・遺棄された場所なのだ。侵略の縮図だったこの島は第二次大戦中、飛行場や「慰安所」までも建設された。
 威圧感を今に残す多数のトーチカの跡。虐殺の様子を昨日のことのように嘆き、語る人々。侵略は文字上の歴史でなく、血の通う実感として息づいていた。このビデオは、地域における日本のアジア侵略の検証と責任追及に取り組んできた人々の16年にわたる「旅」の終着点であり、日本とアジアの今と未来に向け、多くの人々を誘う新たな「旅」への道案内でもある。

■足立正生「『日本が占領した海南島で』を観て」より
 日本が占領した海南島で」を観ていると、どくどくどくと鼓動が弾み始め、映像を焼き付けた脳裏が独りでに蠢動を始め、全身が映像の中に吸い込まれて行く。
 この、紺碧の空と濃緑に囲まれた美しい海南島の郷土で、強制連行され強制労働で痛めつけられた「朝鮮村」の人々が、何を恨んで死んで行ったかを感じ取ろうとする。
 今はただただ荒野の滑走路跡にどれほどの血と魂が吸い込まれているのか。その島を占領した日本の軍隊と国策企業が強行した戦争犯罪の史実の実態を記憶しようとする。
 生き残った現地の人々の語りが聞こえる。日本語のナレーションが語る。
 26年間、私が生活を共にしていたパレスチナの人々も、家族を虐殺され村を焼かれて追われた難民生活の中で、自分に降りかかった厄災の数々を語った。しかし、迸り出る言葉さえもどかしくなり、自然と伸びた両手が故郷の村の姿を描き始め、瞳はその村の光景を見つめて虐殺の現場にたどり着く。全身が一瞬凝固して、やがて、全てを飲み込んで胸をかき抱き、オリーブの木が、母が、父が、兄弟姉妹が、子供たちが、と瞑目したまま動かなくなる。それを今、新たに海南島の人々の語りに共鳴させて聞いているのだ。
今、『日本が占領した海南島で』の中で人々が語るのは、風化しようにも風化できない事実なのである。

■松田政男「“こころして墓標を残す” 『日本が占領した海南島で』を見て」より 
 会の前身が発足してからでも15年以上を閲し、紀州鉱山―韓国―海南島へ足跡が伸長し行く「現地調査」を始めてからも10年近くが経過した。はじめ韓国のTV各局への協力から始まった映像記録の体験も、やがて自力による短篇制作を経つつ2年有余に及ぶ。
 南端の「朝鮮村」から始まって、日本民俗学の「聞き書き」にも由来する「聞き撮り」の手法を文字通り貫徹させつつカメラが北上し行く時、ただ一ヵ所で往年の収容所跡からも遠望されたとコメントされる高い塔を除いては、以降ランドマークは現れることはない。何故にか? 遠景ならぬ近景としてのランドマークが海南島の村々に、文字通り無数無名の碑として田園に山間に街頭に出現し、記録され行くからだ。
 強制連行された朝鮮人であれ海南島の現地人であれ、これまた文字通り無告無名の碑銘が刻まれた碑の群れは、言うまでもなく日本帝国主義の軍隊の蛮行への無告無言の告発である。
 海南島に遺された墓標の群列はまさしく「こころして残された」血債の記録だ。日本の観客はまさにこころして、対面しなければならない。
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『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映会の報告

2007年04月01日 | 上映会
                『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』
                上映三重実行委員会 竹本 昇

 昨年11月の伊賀市に続いて、2月25日に名張市で上映会を開催しました。今回は、会場に入りきれないほど(49人)の参加者でした。当日、参加者の皆さんには申し訳なかったのですが、予定していた資料を刷り増す作業を2回もしなければならない状況で、主催者として、予想を超える事態で慌てました。このような取り組みができたのも、地元の人が精力的にこの上映会の実現に取り組んでくれたお陰でした。
 さて、定刻13時30分から上映会を開催後、会の事務局から、このドキメンタリィーを上映するに至った過程を詳しく報告されました。
 報告の趣旨は、1926年、熊野市(当時の木本町)で二人の朝鮮人が虐殺された事件を「愛町心の発露」とする熊野市の歴史認識を正す運動の中で、隣の紀和町(現在、合併により熊野市)に石原産業の鉱山跡があり、その石原産業が海南島から資源を略奪していたことを知り、その実態を調査するために海南島を訪れたとき、地元の人から朝鮮人が一人も住んでいないのに、「朝鮮村」と呼ばれる場所があることを聞かされたのが、この活動の始まりであった。もし、この場に巡り会うことがなかったら、朝鮮人が虐殺され遺棄されている事実が永遠に闇に葬られてしまうことになっていたと思う、という趣旨でした。
 それを受けて、司会者から参加者による自由な発言をということでドキュメンタリーに対する感想を話し合うことなり、私が最初に指名され、昨年、私が海南島に行ったときの報告を求められました。そこで、私は、后石村で聞かされた日本軍による住民虐殺のことを報告しました。その後、このドキュメンタリーを見てどう思うか感想や意見を聞かせてほしい、という司会者の進行に沿って、参加者からの意見が出されました。
 意見として、「このドキュメンタリーを公的機関が関係するような場での上映会にできないものか。」とか、「憲法改悪、右傾化が推し進められている状況の中で、このような事実を知ることが非常に大切だ。」との意見が出されました。
 その後、茶話会になりました。茶話会では、このドキメンタリィーはどのような人たちが制作しているのか、という質問が出されました。つまり、カメラワークや映画制作のプロが創っているのか、という質問でしたので、事務局から、決してプロではない一市民運動が制作したものであるが、しかし、その制作には膨大な時間とエネルギーを要したことが説明されました。

 次に、このドキュメンタリーを観てのアンケートを紹介させていただきます。

1.今日の集会は、何で知ってくれましたか? 知人から
2.お歳は?  50歳代
3.性別    男性
4.ご感想ご意見
 日本軍の侵略については、ずっと関心を持ってきたが、本日聞いたことについては、全く知らなかった。このような重要な事実が、それなりの問題意識や関心がある者にさえ届かなかったというのは、どういうことだろうかと思っている。このことを解明すること自体、まず第一に大きな課題だと思われる。もうすでに何十年も運動を続けてこられたということだが、この集まりをきっかけにしてでも、大いに広めていってほしいと期待する。

1.今日の集会は、何で知ってくれましたか? 知人から
2.お歳は?  80歳代
3.性別    女性
4.ご感想ご意見
 国の為に天皇の命令で若者は戦争に参加した。吾が弟は18歳だった。私も東京で焼い弾にあった一人だ。死人を飛び越え大阪に帰った。ビデオを観て、命令とは云えヒドイことをやって来た日本人!! 戦争はムゴイものだ、二度としてはならない。残された歴史は2度と観たくない。平和で仲よく暮らしたい。どの国の人々共。むごい戦争に泣く国民ばかりだから~。

1. 今日の集会は、何で知ってくれましたか? 知人から
2. お歳は?  50歳代
3. 性別    女性
4. ご感想ご意見
 海南島の場所も知らなかった、ましてや日本軍、日本企業によるこんなざんぎゃくな行為が行われたことも知りませんでした。過去の事としてでなく、今の問題として心したいと思いました。

1. 今日の集会は、何で知ってくれましたか? 知人から
2. お歳は?  70歳台
3. 性別    女性
4. ご意見ご感想
 ビデオを見せてもらってびっくりしました。60年前、昔に日本人が朝鮮人に対して、あんなにむごい事をして来たなんて信じられないとつくづく感じました。日本人は皆んなが真実を明らかにして、はん省して、あやまるべきです。
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『日本が占領した海南島で』名張上映会

2007年02月13日 | 上映会
ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映会のお知らせです。

と き 2007年2月25日(日) 午後1時開場 1時半上映開始
ところ 名張市武道交流館いきいき 第1会議室   電話 0595-62-4141
                                三重県名張市蔵持町里2928
参加費  1200円
     冊子『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』を含む
     高校生・中学生300円。小学生以下は無料です。

主催 『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映三重実行委員会
     『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映名張実行委員会
                       連絡先 090-8860-9961(竹本昇)
後援 紀州鉱山の真実を明らかにする会
    http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/

上映会のあと、交流会をひらきます。それにも参加してください。

■「ビデオと過ごす」(『週刊金曜日』2005年6月24日号)より
 三重・和歌山両県の境にある石原産業が経営した紀州鉱山と、中国・海南島。 この離れた二つの場所は、「朝鮮人強制連行」で60年近い歳月を超え、一つに結ばれる。
 「朝鮮村」――。朝鮮人が一人も住んでいないにも拘わらず、こう呼ばれる「村」が海南島にあった。植民地下朝鮮の刑務所から連行された朝鮮人が鉱山などでの強制労働の末、虐殺・遺棄された場所なのだ。侵略の縮図だったこの島は第二次大戦中、飛行場や「慰安所」までも建設された。
 威圧感を今に残す多数のトーチカの跡。虐殺の様子を昨日のことのように嘆き、語る人々。侵略は文字上の歴史でなく、血の通う実感として息づいていた。このビデオは、地域における日本のアジア侵略の検証と責任追及に取り組んできた人々の16年にわたる「旅」の終着点であり、日本とアジアの今と未来に向け、多くの人々を誘う新たな「旅」への道案内でもある。

■足立正生「『日本が占領した海南島で』を観て」より
 日本が占領した海南島で」を観ていると、どくどくどくと鼓動が弾み始め、映像を焼き付けた脳裏が独りでに蠢動を始め、全身が映像の中に吸い込まれて行く。
 この、紺碧の空と濃緑に囲まれた美しい海南島の郷土で、強制連行され強制労働で痛めつけられた「朝鮮村」の人々が、何を恨んで死んで行ったかを感じ取ろうとする。
 今はただただ荒野の滑走路跡にどれほどの血と魂が吸い込まれているのか。その島を占領した日本の軍隊と国策企業が強行した戦争犯罪の史実の実態を記憶しようとする。
 生き残った現地の人々の語りが聞こえる。日本語のナレーションが語る。
 26年間、私が生活を共にしていたパレスチナの人々も、家族を虐殺され村を焼かれて追われた難民生活の中で、自分に降りかかった厄災の数々を語った。しかし、迸り出る言葉さえもどかしくなり、自然と伸びた両手が故郷の村の姿を描き始め、瞳はその村の光景を見つめて虐殺の現場にたどり着く。全身が一瞬凝固して、やがて、全てを飲み込んで胸をかき抱き、オリーブの木が、母が、父が、兄弟姉妹が、子供たちが、と瞑目したまま動かなくなる。それを今、新たに海南島の人々の語りに共鳴させて聞いているのだ。
 今、『日本が占領した海南島で』の中で人々が語るのは、風化しようにも風化できない事実なのである。

■松田政男「“こころして墓標を残す” 『日本が占領した海南島で』を見て」より 
 会の前身が発足してからでも15年以上を閲し、紀州鉱山―韓国―海南島へ足跡が伸長し行く「現地調査」を始めてからも10年近くが経過した。はじめ韓国のTV各局への協力から始まった映像記録の体験も、やがて自力による短篇制作を経つつ2年有余に及ぶ。
 南端の「朝鮮村」から始まって、日本民俗学の「聞き書き」にも由来する「聞き撮り」の手法を文字通り貫徹させつつカメラが北上し行く時、ただ一ヵ所で往年の収容所跡からも遠望されたとコメントされる高い塔を除いては、以降ランドマークは現れることはない。何故にか? 遠景ならぬ近景としてのランドマークが海南島の村々に、文字通り無数無名の碑として田園に山間に街頭に出現し、記録され行くからだ。
 強制連行された朝鮮人であれ海南島の現地人であれ、これまた文字通り無告無名の碑銘が刻まれた碑の群れは、言うまでもなく日本帝国主義の軍隊の蛮行への無告無言の告発である。
 海南島に遺された墓標の群列はまさしく「こころして残された」血債の記録だ。日本の観客はまさにこころして、対面しなければならない。
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伊賀 ドキュメンタリーフィルム『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映会

2006年10月07日 | 上映会
ドキュメンタリーフィルム『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』
(企画・制作 紀州鉱山の真実を明らかにする会) 伊賀 上映会の案内です。  

三重県下にお住まいの方、ぜひご参加ください!
    
とき:2006年11月4日(土) 午後1時開場 時半上映開始

ところ:伊賀上野伊交流研修センター tel 0595-24-6078
     JR関西線 伊賀上野駅西隣り)

参加費:1200円
 (冊子「海南島で日本はなにをしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、
  抗日反日闘争」含む)
  
(高校生・中学生300円、小学生以下無料)
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ポスター貼り

2006年10月02日 | 上映会
伊賀ドキュメンタリー・フィルム「日本が占領した海南島で ―60年まえは昨日のこと―」上映会のポスターを貼らせて欲しいと3軒のお店を廻った。
1軒目のビデオショップでは快く引き受けてもらった。2軒目の飲食店では断られた。3軒目では、ポスターにある怖い写真をさして「店のイメージを壊す」と言われてしまった。アイゴー。
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