朱学平さんは、「坡はすっかり変わってしまった」と言いました。
その数日後、11月6日、わたしは、朱学平と「坡」に向かいました。その道は、以前にも歩いたことのある道でした。
しかし、朱学平さんといっしょに歩いていると、違った道のように感じました。
まえに行った地点を通り越して、道がなくなったところをさらに100メートルほど行ったところで朱学平さんは立ち止まりました。すぐそばを太陽河が流れていました。
そこで、朱学平さんは、つぎのように話しました。
「あのとき、わたしは、妹を抱いて、前を走っていく人につ
いて、逃げた。
妹が痛いというと、いったん下におろし、また抱えて走るよ
うにして逃げた。
雨が降りそうになったので急いだ。
ここまで逃げてきて隠れた。
あの日、午後3時ころだったと思うが、大雨が降った。夜に
は止んだ。
ここにはすぐには食べるものがなかったが、まもなくさつま
いもを探して掘って煮て食べた。鍋は、‘坡’に住んでいた人
に借りた。水は太陽河から汲んできた。
3日後、妹は、静かに目を閉じて死んだ。なにも食べようとし
ないで、水だけ飲んで死んでしまった。
妹は、ただ、痛い、痛いと言って、水だけを欲しがった。
妹のからだは、年寄りに助けてもらって近くに埋めた。いま
では、どこなのかはっきりしない。
叔父(朱洪昆)が日本兵に10か所あまり刺された。からだに
虫がわいて、何日もしないうちに死んだ」。
こう話したあと、朱学平さんは、樹と草の茂みに入って行きました。
そして、とつぜん泣き出しました。
そのあと、朱学平さんは、仕事があると言って、一人で戻りました。
岩場の多い太陽河が、光って流れていました。
太陽河沿いの細い道を下流に進んでいくと、銀白色のススキが風に大きく揺れていました。
すぐに道が川辺をはずれ、ビンロウジュの畑にでました。
夕方、帽子を返しに、朱学平さんの家に行きました。朱学平さんは不在でした。連れ合いさんが、「午後、坡から戻ってから、夫はずっと泣いていた」、と話しました。
佐藤正人