■「万人坑」
中国やモンゴルには、日本政府・日本軍・日本企業によって命を失わされたおおくの民衆がいっしょに埋められたり棄てられたりした場所が、数千か所あると思われる。そのなかで、とくに多数の人が埋められたり棄てられた場所は、「万人坑」とよばれている。ほかに「千人坑」、「百人坑」とよばれている所がある。
「万人坑」は、ハイラル沙山、水泉溝、龍王廟、琵琶山、塘沽、東寧、石家庄、本渓鉱山、鶏西炭鉱、鶴岡炭鉱、遼源炭鉱(西安炭鉱)、石人炭鉱、老頭溝炭鉱、豊満ダム、七道溝鉱山、大栗子鉱山、大同炭鉱、龐家堡鉱山、井陘炭鉱、准南炭鉱、南京、三灶島……にある(左禄主編『侵華日軍大実録』〈解放軍出版社、1989年7月〉、中共中央党史研究室科研管理部編『日軍侵華罪行紀実(1931―1945)』〈中共党史出版社、1995年9月〉、李秉剛『万人坑 千万冤魂在呼喚』〈中華書店、2005年7月〉、李秉剛・王新華・閻振民主編〈日本奴役中国労工罪行図証』〈中華書局、2005年9月〉、何天義編著『亜洲的奥斯威辛 日軍侵華集中営掲秘』〈四川人民出版社、2007年7月〉など、参照)。
遼寧省に限っても、孫玉玲主編『日軍暴行録 遼寧分巻』(中国大百科全書出版社、1995年6月)、李秉剛主編『歴史的疤痕 遼寧境内万人坑』(東北大学出版社、2004年6月)、李秉剛主編『日本侵華時期遼寧万人坑調査』(社会科学文献出版社、2004年12月)などによると、旅順、平頂山、新賓北山、旺清門、葦子峪、平頂山、下湾子、响水河子、木奇、永陵、撫順炭鉱、本渓、大石橋マグネシウム鉱山、弓長嶺鉄鉱山、北票、阜新、水豊(水豊水力発電所)、龍王廟、乱石山など20か所あまりに「万人坑」がある。
海南島には、田独鉱山(三亜市)、石碌鉱山(昌江黎族自治県)、八所港(東方市)、加来(臨高県)などにある(田独・石碌・八所の「万人坑」については、このブログの2006年5月21日の「「海南島1998年 夏」~田独万人坑・石碌万人坑・八所万人坑・朝鮮村~」を、加来の「万人坑」については、このブログの2009年10月18日の「パランオッ・藍色衣服・青い服 6」をみてください)。
海南島の「万人坑」は、日本軍、日本窒素、石原産業、西松建設の侵略犯罪の大きさを示している。
「万人坑」に埋められている人の名前は、ほとんどわかっていない。
1984年に、南京の江東門で侵華日軍南京大遇難同胞紀念館の建設がはじめられ、1985年8月15日に開館した。江東門地域は、1937年12月に、日本陸軍第16師団の将兵が、民衆を大虐殺した地域だった。1984年~85年の紀念館建設工事中におおくの遺骨が「発掘」された。
1998年~99年に、侵華日軍南京大遇難同胞紀念館は、新たに208体の犠牲者の遺骨を「発掘」した(朱成山主編『侵華日軍南京大江東門「万人坑」遺址的発掘与考証』〈江蘇古籍出版社、2002年8月〉)。侵華日軍南京大遇難同胞紀念館は、2006年6月26日に一時閉館され、拡張工事が開始され、2007年12月に新しく開館した。
佐藤正人
中国やモンゴルには、日本政府・日本軍・日本企業によって命を失わされたおおくの民衆がいっしょに埋められたり棄てられたりした場所が、数千か所あると思われる。そのなかで、とくに多数の人が埋められたり棄てられた場所は、「万人坑」とよばれている。ほかに「千人坑」、「百人坑」とよばれている所がある。
「万人坑」は、ハイラル沙山、水泉溝、龍王廟、琵琶山、塘沽、東寧、石家庄、本渓鉱山、鶏西炭鉱、鶴岡炭鉱、遼源炭鉱(西安炭鉱)、石人炭鉱、老頭溝炭鉱、豊満ダム、七道溝鉱山、大栗子鉱山、大同炭鉱、龐家堡鉱山、井陘炭鉱、准南炭鉱、南京、三灶島……にある(左禄主編『侵華日軍大実録』〈解放軍出版社、1989年7月〉、中共中央党史研究室科研管理部編『日軍侵華罪行紀実(1931―1945)』〈中共党史出版社、1995年9月〉、李秉剛『万人坑 千万冤魂在呼喚』〈中華書店、2005年7月〉、李秉剛・王新華・閻振民主編〈日本奴役中国労工罪行図証』〈中華書局、2005年9月〉、何天義編著『亜洲的奥斯威辛 日軍侵華集中営掲秘』〈四川人民出版社、2007年7月〉など、参照)。
遼寧省に限っても、孫玉玲主編『日軍暴行録 遼寧分巻』(中国大百科全書出版社、1995年6月)、李秉剛主編『歴史的疤痕 遼寧境内万人坑』(東北大学出版社、2004年6月)、李秉剛主編『日本侵華時期遼寧万人坑調査』(社会科学文献出版社、2004年12月)などによると、旅順、平頂山、新賓北山、旺清門、葦子峪、平頂山、下湾子、响水河子、木奇、永陵、撫順炭鉱、本渓、大石橋マグネシウム鉱山、弓長嶺鉄鉱山、北票、阜新、水豊(水豊水力発電所)、龍王廟、乱石山など20か所あまりに「万人坑」がある。
海南島には、田独鉱山(三亜市)、石碌鉱山(昌江黎族自治県)、八所港(東方市)、加来(臨高県)などにある(田独・石碌・八所の「万人坑」については、このブログの2006年5月21日の「「海南島1998年 夏」~田独万人坑・石碌万人坑・八所万人坑・朝鮮村~」を、加来の「万人坑」については、このブログの2009年10月18日の「パランオッ・藍色衣服・青い服 6」をみてください)。
海南島の「万人坑」は、日本軍、日本窒素、石原産業、西松建設の侵略犯罪の大きさを示している。
「万人坑」に埋められている人の名前は、ほとんどわかっていない。
1984年に、南京の江東門で侵華日軍南京大遇難同胞紀念館の建設がはじめられ、1985年8月15日に開館した。江東門地域は、1937年12月に、日本陸軍第16師団の将兵が、民衆を大虐殺した地域だった。1984年~85年の紀念館建設工事中におおくの遺骨が「発掘」された。
1998年~99年に、侵華日軍南京大遇難同胞紀念館は、新たに208体の犠牲者の遺骨を「発掘」した(朱成山主編『侵華日軍南京大江東門「万人坑」遺址的発掘与考証』〈江蘇古籍出版社、2002年8月〉)。侵華日軍南京大遇難同胞紀念館は、2006年6月26日に一時閉館され、拡張工事が開始され、2007年12月に新しく開館した。
佐藤正人