1998年6月から2015年4月まで、わたしは、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員として27回、海南島近現代史研究会の会員として14回、海南島を訪問して、おおくの人に海南島における日本の侵略犯罪の事実と海南島における民衆の抗日反日闘争の歴史を証言してもらうとともに、日本の海南島侵略の現場と「遺跡」を検証してきた。
はじめて海南島を訪ねたとき、わたしは、海南島での日本の侵略犯罪の大きさを知った。二度目に海南島を訪ねたとき、さらに、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における犯罪の闇の深さを強く感じ、それを記録し、日本民衆に伝達し、日本の国家犯罪の責任の所在を明確にし、責任をとるべきものにとらせなければならないと考えた。
佐藤正人
はじめて海南島を訪ねたとき、わたしは、海南島での日本の侵略犯罪の大きさを知った。二度目に海南島を訪ねたとき、さらに、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における犯罪の闇の深さを強く感じ、それを記録し、日本民衆に伝達し、日本の国家犯罪の責任の所在を明確にし、責任をとるべきものにとらせなければならないと考えた。
佐藤正人